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「まち」と共存する農業 : 京都市「振り売り」の 戦後史を中心に

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戦後史を中心に

著者 三俣 延子

雑誌名 社会科学

巻 43

号 4

ページ 27‑46

発行年 2014‑02‑28

権利 同志社大学人文科学研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013390

(2)

「まち」と共存する農業

─ 京都市「振り売り」の戦後史を中心に ─

三 俣 延 子

平安遷都以来,京都市内では,四季折々の農産物が栽培されてきたが,現在も,伝 統の農業を受け継ぐ農家から農産物が市内一円に出荷されている。本稿は,生産者や 消費者への聞き取り調査などをもとに,主として,京都市の宅地化が進展した 1970 年 代後半から現在までを対象に,農家による野菜の行商である「振り売り」の変遷と現 状についてまとめ,また,都市生活における振り売りの多面的な役割について分析し た。その結果,「振り売り」は,京都のまちの宅地化が進展し,消費地の郊外化や消費 者の高齢化,消費者の生活の変化が急速に進展するなか,消費者のニーズに応えなが ら,生産者と消費者の「顔の見える関係」の再構築に重要な役割を果たしてきたこと が明らかになった。

は じ め に

同志社英学校の学生の一人であった徳富蘆花(健次郎)は,40 歳になった明治末期,東 京近郊に居を構えたが,その自らの田舎暮らしを記した著書『みみずのたわごと』のな かで以下のような一文を書き綴っている。

 「田舎はもとより都会の恩を被る。然しながら都会を養い,都会のあらゆる不浄を 運び去り,新しい生命と元気を都会に注ぐ大自然の役目を勤むる田舎は,都会に貢 献する所がないであろう乎。都会が田舎の意志と感情を無視して吾儘を通すなら,其 れこそ本当の無理である。無理は分離である。分離は死である。都会と田舎は一体 である。農が濫りに土を離るる日は農の死である。都が田舎を潰す日は,都自身の 滅亡である」。1)

都市と農村(都会と田舎)の望ましい関係性については,19 世紀末から 20 世紀にかけ ての都市計画に大きな影響を与えたE. ハワードの『田園都市論』が著名であるが,21 世

(3)

紀の現在においても,都市と農業の共存・共生は,社会全体の課題として我々の眼前に 横たわっている2)

都市と農業の共存・共生のなかで実現される生産者と消費者の「顔の見える関係」は,

安心・安全な社会の重要な構成要素のひとつである。日本では,1970 年代の石油ショッ クを一つの契機として,有機農業運動としての共同購入や地場生産・地場消費(地産地 消)といった流通の改革が急速に展開されてきた3)

その後,GATTのウルグアイ・ラウンドの決着をみた 1990 年代には,「食料・農業・農 村基本法」の制定もあって,国内の農業の発展が国民生活にとって多面的な役割(生物 多様性,文化継承など)を担っていることが強調されるようになった。その一方で,2000 年代以降は,世界的な食料価格の高騰や,環太平洋パートナーシップ(TPP)協定など,

食や農業のグローバル化もいっそう進展する。生産者と消費者の顔の見える関係を構築 するには,両者の距離ができるだけ近くなければならず,そのためには,都市生活のよ り身近な所で農業が活発に行われている必要がある。しかしながら,一体であるはずの

「都会と田舎」は,工業国と農業国というように,地球規模においても「分離」されてい くのである。

そのなかで,現在も,日本のみならず世界の各国で,より身近(ローカル)な農業や 農産物を追求する消費者の声,つまり都市住民の声はいっそう強まっている4)。また,国 あるいは地方レベルでの農業政策においても,都市に立地する農業(都市農業)ないし は都市に隣接する地域で営まれる農業(都市近郊農業)を支援する動きは活発化してい る5)。このような流れのなかで,2010(平成 22)年には,「地域資源を活用した農林漁業 者等による新事業の創出等及び地域の農林水産物の利用促進に関する法律」(通称「六次 産業化・地産地消法」)も制定された。

さて,都市生活と地域農業が一体となって経済を活性化してきたひとつの事例は,京 都市にある。京都市は,1200 年以上の歴史がある都市であるが,近郊では,その都市に 暮らす人々の生活を根底から支えた農業が盛んに営まれていた。日本で,もっとも長い 都市農業の歴史を持つ地域が京都市であるといっても過言ではないだろう。京都市の都 市農業は,特に安土桃山時代以降,隣接する都市の消費者に種類も豊富で新鮮な野菜類 を提供することを第一の目的として著しい発展をとげた。伝統野菜である九条ネギや賀 茂ナスなどが京都市内の地名を冠しているのをみても瞭然である。それらの野菜類につ いては市内の篤農家によって種子や栽培方法などの伝統が継承されているが,現在も,そ の伝統は受け継がれており,季節に応じて少量かつ多品種の野菜類の栽培を実践してい

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る農家が多い6)。また,生産面のみならず流通面においても,錦市場や中央卸売市場など にその長い歴史を有しているのが京都市の特徴である7)

京都市政としては,1998(平成 10)年から,環境と調和した都市農業の発展を支援す るため「京の旬野菜推奨事業」を実施し,京都市内の農家が生産した旬の野菜を京都市 民へ提供しやすくするための制度づくりとして,旬野菜の認証制度や直売所を整備して きた8)。蘆花のいう「都会と田舎は一体である」という認識が,我々の日常生活のなかに 浸透しているとは言い難いが,少なくとも現在の農業政策の背景には,都市生活と地域 農業が不可分なものであるという共通認識がある。

本稿では,1200 年以上の都市農業の歴史を持つ京都市を事例に,「都会と田舎は一体で ある」ことの意義を,伝統的な流通形態のひとつである野菜の「振り売り」に着目しな がら考えてみたい。振り売りとは,農家が自家で収穫した農産物を運搬しながら,都市 部の消費者に販売して回る行商のひとつである。京都での農民による行商は,「菜うり」

「しきみ売」「葱売」「炭売婦」「大原女」「桂女」といった名称で,平安時代末期以降の文 献にも登場している9)。また,幕末の風俗を記した『守貞謾稿』では,干物売り,豆腐売 り,花売りなどおよそ 100 種類の行商について記録されており,「京坂(京都と大坂)に ては,この小売をすべて「ぼてふり」と云」い,野菜売りについては「三都(京都,大 坂,江戸)とも八百屋と云う」と述べている10)。「棒手振り」とも呼ばれた通り,江戸時 代までの絵図には天秤棒で販売する姿が描かれているが,近代以降は,大八車やリヤカー が利用され,時には公共交通までもが移動手段となった。そして,現在では軽トラック での販売が主流となり,振り売りは,都市における地産地消ないしは,顔のみえる関係 の重要な担い手のひとつで在り続けている。

先行研究について述べると,日本の行商については,民俗学,地理学などで研究があ る 11)。また,京都市内における行商では,「白川女」の花売り,「大原女」の柴・薪売り,

野菜の振り売りについて先駆的な調査研究があり,1962 年の京都新聞の連載では「白川 女」「大原女」と並んで「上賀茂女」の風俗が紹介されている12)。しかしながら,この野 菜の振り売りについては,昭和の終わりごろまでは「賀茂のおばさん」などとして京都 市民に親しまれ,また,京都の農業史を論じるうえで欠かせない存在でありながら,そ れを主題に扱った研究は少なく,まとまった資料も作成されてこなかった。

そこで,以下では,野菜の振り売りの歴史的展開ならびに現状をとりまとめながら,こ の伝統的な流通形態の現代的な意義を論じる。そして,京都という「まち」における農 業(都市農業)の発展に振り売りがどのようなかたちで寄与してきたかを,京都のまち

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の農業が劇的な変化を遂げた戦後を中心に考察する。なお,後述する通り,調査を行う 中で,「振り売り」という名称が,実際に振り売りを行う農家や購入者にとってはなじみ のある表現ではないことがわかった。しかしながら,林(1963)による報告書や並松

(1998),田村(2006)による研究論文をはじめ,行政文書(京都市ホームページなど)や 一般書でも使用される用語であるため,本稿でも,農家による野菜の行商のことを「振 り売り」と表現する。

1 京都の「まち」の農業

京都の振り売りの展開や変遷について論じる前に,まずは,都市部と農業地域の定義,

また,その地域区分について整理しておく必要がある。現在の京都市 11 行政区を地理的 に区分すると,かつての洛中(御土居の内側)を含む上京・中京・下京・東山の都心 4 区,1918(大正 7)年に京都市に編入された区域を含む南・左京・北の旧郊外地域,1931

(昭和 6)年に編入され,1970 年代のニュータウン建設などで宅地化された区域を含む伏 見・右京・西京・山科の新郊外地域におおよそ分けることができる13)。これらの地域の なかには,現在でも,商工業地域・農業地域・住宅地が混在しているため,いずれの地 域が農業地域であるかを断定することは難しく,また,その区分は時代によっても変化 する。そこで,本稿では,戦国時代の『洛中洛外図』にも描かれ,かつ,現在の市街化 区域にも含まれている部分,つまり,おおよそ東山・北山・西山連峰と三川合流地帯で 囲まれた盆地部分(ただし岩倉・山科を含む)を「京都のまち」と呼び,それを分析の 対象とした。そして,この京都のまちを対象に,まちのなかの農業地域の地理的な変遷 を概観する。

まず,京都のまちにおいて,都市と農業地域の地域区分を明記したものとしては,1686

(貞享 3)年の『雍州府志』がある。それによれば,主要な野菜の生産地として,現在の 北区上賀茂,左京区吉田・下鴨,南区九条,伏見区稲荷,右京区山内などの名称があげ られている。また,「御土居組十二ヶ村」といわれた上鳥羽・西九条・東塩小路・西塩小 路・西七条・壬生・中堂寺・西ノ京・大将軍・鳴滝・木辻・北小山村は,特に重要な野 菜の生産地として位置づけられている。ここで挙げた地域が,野菜栽培の中心となった 農業地域である。農業地域といっても,野菜栽培がもっとも盛んであった「御土居組 十二ヶ村」のうち,北小山,西ノ京,壬生,中堂寺は洛中に位置し,また,西九条,東 塩小路,西塩小路,西七条,大将軍,木辻は,御土居に隣接する14)。このことから,新・

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旧郊外地域はもとより,上京区,中京区,下京区といった都心の一部も,近世期には重 要な野菜栽培の農地であったことがわかる。

その後,1926(大正 15)年には,京都市(上京・下京)と愛宕郡(市北東部)・葛野郡

(市北西部)・紀伊郡(市南部)の野菜の生産高が 1888(明治 21)年の生産高の 80 倍に も達した。その間の 1888 年から 1918 年にかけては,京都市内(上京・下京)に愛宕郡・

葛野郡・紀伊郡の 27 ヶ町村が編入されたことから,京都市内の農業生産高もまた,ダイ コン,ネギ,サトイモ,ナスなど野菜類を中心に大幅に増加した15)。京都のまちに,一 大農業地域が取り込まれたのはこの時期である。

さらに年代が下るが,高度経済成長期よりも前の京都の農業を知る貴重な資料として は,京都府農業試験場長であった林義雄氏が 1960(昭和 35)年の農業センサスをもとに 作成した近郊農業の区分がある16)。そこでは,近郊農業が,都市に隣接することによる 地理的利便性を持つ半面,労働力や農地を都市に吸収され,農業離脱の方向に向かいや すいという性質を持っていることを指摘したうえで,京都市内にある複数の近郊農業地 域の現状と展望を,その都市との関係性に着目しながら分類している。本稿では,その 分類をもとに表 1 としてまとめた。

表 1 近郊農業地域の現状と展望による農業区分(1960 年頃)

(出典) 林義雄(1963)『京都市近郊特産蔬菜作の変遷過程―その歴史的,地理的研究』pp.129-137 をもとに作成。

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この表を見ると,上賀茂,上鳥羽,七条,伏見を含め,近世期の書物に記録された農 業地域のほとんどが,20 世紀の半ばまで,農業地域として維持され続けていたことがわ かる。しかし,このときすでに,旧郊外地域である北区の鞍馬口,左京区の粟田口・南 禅寺・鹿ケ谷・岡崎・聖護院・吉田,南区の大内では市街地拡張によって農業が消滅し ている。また,300 年以上農業地域であったところの多くが遅かれ早かれ市街地化するこ とも予測されている。

その予測の通り,高度経済成長期を経て,京都のまちのすがたは大きく変貌し,農業 地域は著しく減少した。1960 年の農業センサスによれば,京都市における耕地面積の合 計が 5248 ヘクタールであるのに対して,2003(平成 15)年の京都市農林統計資料によれ ば,京都市(京北町合併前)における耕地面積が 2333 ヘクタールとなっており,概算で はあるが,300 年以上維持され続けた京都のまちの農業地域は,たった 40 年の間でおよ そ半分以下になったことがわかる。

都市における農業地域の減少の背景のひとつに,1968(昭和 43)年に制定された都市 計画法がある。これによって,京都市内の平野部の多くの部分が市街化区域に指定され たが(図 1 に市街化区域を示している),この「市街化区域」とは,農地の宅地化を進め ることを目的に指定された区域のことであり,事実上,市街化区域の農地については国 の農業政策の対象から除外されることとなった。しかし,当初から,都市化と農地保全 の意見対立は解消せず,20 世紀後半には,環境問題への関心が世界的に高まる中で,都 市における農業や農地が都市環境の保全や地産地消といった役割を担っていることが いっそう強調されるようになった。そして,1992(平成 4)年には,生産緑地法が改正さ れたことにより,一定要件を満たす市街化区域内の農地は,法律上の宅地ではなく生産 緑地として指定・保全されるようになった。2003 年の京都市では,市内全農地の約 38%

が市街化区域内に立地しているが,そのうち約 84%が生産緑地に指定されている。

このように,1970 年代以降には急速な市街地化と農地の激減があったが,1990 年代に は近郊農業の重要性を再認識する流れも現れた。それを経て,現在,『京都市農林行政基 本方針(平成 22 年)』では,市街化区域を中心とした京都盆地一円(つまり京都のまち)

を「都市的農業地域」として区分し,その農業振興方針において,以下のように位置づ けている17)

1.野菜の中心的な生産地。農地を集約的に利用。高度な生産技術が継承・普及。

2.市民に最も身近な農業地域。農業への理解を深める取組の推進。

3.体験型市民農園等の設置。農業の多様な担い手を生み出す機会の創出。

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4.農地の保全と環境保全型農業の推進による市民への環境意識の啓発。

このように,まちの農業は,従来からの野菜生産地としての役割に加えて,市民に対 する種々のサービスを提供する場としての付加価値が与えられ,もはや,市民生活に欠 かせない存在として再評価されているのである。

2 生産者と消費者の「顔の見える関係」

上記の通り,300 年以上にわたって維持された農業の地理的分布が大きく変化するのは 20 世紀後半のことであり,1960 年までに旧郊外地域の農地が消滅し,1970 年代以降に新 郊外地域の農地を中心に,かつての近郊農地が半減していくのである。以下では,この ような宅地と農地のバランスが崩れ,農業が変革を迫られる中で,京都市の生産者がど のように対応してきたのかを流通の側面から考察したい。

現在の京都市では,京都市内の生産者が京都市内の消費者に直接,農産物を販売する 方法としては,おおむね以下の 4 つの方法がある。なお,これら以外にも,京都市内に は,京の旬野菜推奨事業のひとつとして展開した「時待ち」「こと京都」「京の街角マル シェ」などの直売所があり,これらの直売所にも,京都市内の生産者から直接,農産物 が届けられている。しかし,本稿では,京都市情報館ウェブサイト「京の旬野菜直売所 一覧」に農家の所在地・販売先住所が掲載されている下記 4 つの方法のみを取り上げる。

1.振り売り      生産者が主として京都市内の消費者宅を訪ねて販売

(ただし,販売途中における「立ち売り」も含む)

2.直売所(有人)   生産者が農地に隣接する直売所などで販売

3.直売所(無人)   生産者が農地に隣接する無人直売所や自動販売機を用いて 販売

4.その他       生産者が八百屋や朝市などで販売

これら 1 〜 4 の販売方法を実施する農家について,同サイトに掲載される情報をもと に作成した地図が図 1 である。

図 1 から,生産者が直接消費者に農産物を販売する流通形態の地理的分布を考察する。

個々の振り売り農家の戦後史については次節で詳述するが,概観すれば,まず,振り売 りは北区と山科区に多く,一方,右京区や伏見区など京都市南西部では直売所が多いこ とがわかる。その理由は,消費者との距離にある。北区が隣接する上京区には西陣があ り,山科区(旧東山区)が隣接する東山区には祇園がある。西陣や祇園は 1 節で述べた

(9)

都心 4 区に含まれ,古くから住宅地・商業地として成立してきた地域である。したがっ て,都心に近い山科区や北区では,人が歩ける距離で販売を行うという従来的な振り売 りの流通形態を受け継いでいることがわかる。また,市内全般において,農家の自宅周 辺に限定した振り売りも多くみられる。

一方,右京区,西京区,伏見区は,1970 年代以降に宅地化が進んだ新郊外地域である。

1976 〜 77 年に入居開始となった洛西ニュータウン(西京区)や向島ニュータウン(伏見 区)が立地する。これらの地域では,もともと農地であったところに消費者が移住して きたことによって,消費者と生産者の間の距離がなくなった。したがって,農産物を販 売する方法としては,農地の敷地で,かつ,消費者にも近い所に直売所(有人・無人)を 設置するのがもっとも効率的であったといえる。直売所は,市街地化によって誕生した 新郊外地域における新しい流通形態といえよう。その双方の特徴を備えた北区と山科区 は,振り売りと直売所が混在した地域となっている。ただし,この図に用いた「京の旬 野菜直売所一覧」に掲載される農家以外にも,左京区や右京区で振り売りを実施してい る農家があることもアンケート調査からわかっている。よって,この図に挙げた農家が,

図 1 市街化区域における「顔の見える関係」の実践(2012 年)

(出典) 京都市ウェブサイト「京の旬野菜直売所・朝市」の「京の旬野菜直売所一覧」に掲載される農家の情報をも とに作成。

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振り売りを実施している農家のすべてではないことも付け加えておく。なお,1 節で紹介 した林(1963)が論及した通り,左京区の南部は農業地域が消滅しているが,林の予測 に反して,下京区や南区は,40 年間にわたって大規模な南部開発が実施されたにもかか わらず農業が存続し,直売所も運営されている。芹の湧水栽培や九条ネギ発祥の地であ り,近世期には肥沃な土壌の土地として名をはせた京都市南部の農業の底力を垣間見る のである。

このように,現在は,上述のような振り売りの地理的分布が形成されているが,長い 京都の歴史の中で,このような分布が形成されたのは近年のことである。図 2 は,1926

(大正末)年における振り売りの起点を示したものである18)。京都のまちの農業生産が飛 躍的に拡大したこの時期にも,振り売りは主たる流通方法のひとつであり,図に示され る各農村から起点を経由して市内への販売が実施されていた。この図からは,現在,振

図 2 近郊農村による市内への振り売りの起点(1926 年)

(出典) 京都市編(1975)『京都の歴史 8 古都の近代』p.423 掲載の図 134「農産物流通経路」

をもとに作成。

(11)

り売りが盛んな上賀茂や山科だけでなく,京都全域の農業地域(図中では 26 地域)が市 内で振り売りを行っていたことがわかる。また,上賀茂など北部からの振り売りは鞍馬 口通を,衣笠や太秦など北西部,西京極や吉祥院など南西部からは千本通りを,山科か らは東山山麓を,それぞれ主たる起点としており,地理的な統一性がみられる。この「起 点」の設置の経緯や役割については不明であるが,この時代において,この 23 の起点が,

都市への入り口であり,また,都市と農村の接点であったことに間違いはない。

3 高度経済成長期以降の振り売りの変遷

この節では,主として,2012 年度に実施したフィールド調査にもとづいて,振り売り の変遷と現状について述べる。調査は,①現在,振り売りを行っている北区・左京区の 農家(20 〜 80 代までの男女 10 名)を対象とした聞き取り調査,②振り売りの同行取材

(北区鷹峯の農家),③市内全域を対象とした農家へのアンケート調査(京の旬野菜直売 所の出荷者 27 名),④消費者へのインタビュー(京の旬野菜直売所の利用者 30 名)から 成り立っている19)。これら 4 つの調査を総合的にとりまとめ,高度経済成長期における 農業を取り巻く劇的な変化に対し,振り売り農家がどのように対応してきたのかを考察 した。

調査結果の考察の前に,前掲の林(1963)にもとづき,高度経済成長期より前の京都 の流通について概観する20)。これによると,当時の京都市産蔬菜(野菜)の経路別の流 通量については,正確な把握が不可能であるものの,中央市場(常設)が 320 万貫,野 市(臨時市場)が 339 万貫,立売(常設の直売場)が 90 万貫,振り売りが 120 万貫と推 定されており,農業生産高の約 14%は振り売りによる販売であることがわかる21)。鮮度 が重要である野菜の販売は,市場出荷よりも振り売りが有利であるが,それが可能であ るのは,農業労働に時間的余裕がある場合,あるいは,多品種少量の栽培である場合だ と記される。また,農産物の運搬方法であるが,明治維新以前から普及していたといわ れる大八車,昭和に入ってから普及したリヤカーやオート三輪が輸送の利便性を向上さ せたとある。なお,この調査報告書のなかでは,無人や有人の直売所(2 節,図 1)に関 する記述がない。このことは, 2 節で論じた通り,このような販売形態が高度経済成長期 における市街地の拡大にともなって発生した比較的新しい流通方法であったことを裏付 けている。

ここからは,主として高度経済成長期以降の振り売りの変遷について述べる。まず,現

(12)

在の振り売りの概要であるが,京都市の農業振興センターならびに農協からの情報提供

(2012 年 7 月)にもとづくと,京都市内の振り売り農家の軒数(人数)は,北区 98 軒,左 京区 2 軒,山科区 10 軒,西京区・右京区・南区それぞれ 1 軒(合計 113 軒)である。今 回の調査では,もっとも軒数の多い北区の上賀茂や鷹峯の農家に聞き取り調査を行った

(上記の調査①②)。さらに,北区以外の農家からも情報を収集するために,京の旬野菜 直売所の出荷者会議において,過去に,あるいは現在も,振り売りを行っている農家を 中心に,振り売りについてのアンケート調査を実施した(上記の調査③)。

それによると,やはり北区の農家の販売先は上京区西陣周辺を中心とする傾向があっ た。昔を知る上賀茂の農家H氏の話によると,西陣の織物産業が最盛期にあった時期

(1970 年代前半まで),丁稚奉公や女中さんなどを抱える大所帯の商家は,一度にたくさ んの野菜が販売できる大口の顧客であった。また,同じ西陣の商家でも,旦那衆には一 級品を提供できるように比較的早い順番で訪ね,奉公人には残り物を提供するというよ うに,振り売りで訪れる各戸の順番にも工夫が凝らされていたそうだ。また,鷹峯の農 家H氏によると,かつては,毎朝のように 20 名くらいが列をなし,鷹峯街道を競い合っ て西陣方面へ向かったそうである。近世期の面影はわずか 30 〜 40 年前まで残っていた といえる。

なお,北区の振り売りは,今も昔も,主として農家の女性たちの仕事である。男性が 農作業をしている間に,女性が販売に歩くというのが伝統であった。特に,上賀茂地域 では,女性は,出荷の準備作業,振り売り,帰宅後の農作業と,休む暇もなく働くのが 一般的であったらしい。これらの地域では,振り売りのことを「あきない」と呼んでい る。一方,山科区では,振り売りの担い手は男性であるが,その理由としては,東山を 越えて市街地へ向かう必要があったためといわれている。農家へのアンケート調査(調 査③)によると,山科区では,現在も,隣接する東山区の祇園や本町通り沿いの住宅地 への販売が比較的多かった。

また,同じアンケート調査によると,振り売りの販売経路や得意先は,先代から受け 継いだものであるという回答が 19 名中 12 名と最も多かった。聞き取り調査でも,嫁入 り後に,姑と一緒に得意先回りをしたという話を多く聞いた。また,その姑の得意先も,

さらにその先代の姑から引き継いだ所であった。得意先の「なわばり」が代々受け継が れてきたことがわかる。その一方で,新たな得意先を開拓したという農家も少なくない。

基本的には,他の農家との競合を避けるために新規開拓をするのであるが,その背景の ひとつに,京都のまちの市街地化が大きく関係している。京都市の市街化区域が拡大し

(13)

た 1970 年代ごろから振り売りをはじめた世代は,当時,右京区や西京区などに誕生した 新興住宅地において,自ら,新たな得意先を開拓した。ドーナツ化現象によって都心 4 区 の人口増加が止まった一方,新郊外地域での需要が増大することを見込んでのことであ る。新郊外地域への振り売りは,より遠方への移動となったが,その運搬には軽トラッ クが利用された。振り売りは,住宅地の郊外化という消費者の事情に応じるかたちで,新 しい局面を見出したといってよい。

振り売り農家のなかには,振り売りから立ち売り,さらには店舗販売へと販売形態を シフトさせた農家もある。上賀茂の農家M氏(80 代)は,姑の得意先を引き継いで 1950 年頃から大八車での振り売りを始めた。上賀茂の農家の多くがそうであるように,9 月以 降はスグキ栽培に特化するため,野菜類の振り売りは,春から 8 月末ごろまでに限定さ れている。曜日によってルートを変えながら,上賀茂から紫野・衣笠を経て円町まで,直 線距離にして約 5 キロメートルを歩き,売れ残った分を円町で売りさばいた。ところが,

円町での販売が盛況であったため,1965 年頃からは得意先回りよりも円町でのリヤカー の立ち売りが中心になった。ちょうど,右京区方面の市街地が拡大し,新丸太町通りが 右京区方面へ延伸したころである。それから約 40 年間,円町での立ち売りを続けた。し かし,京都市内の道路の交通量が増えて道路事情が悪化したため,2006 年にリヤカーの 利用をやめた。そして,2008 年からは立ち売りをしていた場所に店を構え,店舗販売を 始めた。この例も,農業内部の変化ではなく,都市の住宅事情や交通事情の変化に応じ て流通方法を対応させた事例のひとつである。

他方,振り売りから(有人)直売所へ販売方法をシフトする動きもみられる。左京区 岩倉のK氏(50 代)は,京野菜ブランドへの関心が全国的にも高まる中で,より付加価 値の高い賀茂ナス栽培に力を入れるようになった。それを機に,遠方まで出かけなけれ ばならない振り売りをやめ,畑での農作業がしやすいように,畑に隣接する直売所での 販売をはじめた。

振り売りの変遷には,消費者の生活様式の変化も大きく影響している。何十年にわたっ て消費者と密接にかかわってきた振り売り農家の多くが指摘したのは,振り売りの主た る顧客である主婦層の生活スタイルの変化である。女性の社会進出がすすむなかで,主 婦の在宅時間が短縮し,あきないに訪れても留守にしている場合が増えた。また,仕事 で帰宅時間が遅くなれば,自宅で夕飯を調理する時間も削減しなければならない。トマ トやキュウリなど煮炊きする必要もなく切ったらすぐに食べられる野菜は好まれるが,

ナスなど調理に手間のかかる野菜は敬遠されがちであるという。さらには,野菜の購入

(14)

を通じてのコミュニケーションや情報のやり取りを面倒に感じる消費者も増えたとい う。また,都心 4 区を中心に,これまで振り売りを利用してきた主婦層の高齢化も進ん だが22),加齢により自炊をすることが難しくなった場合には振り売りの利用もやめざる を得なくなる。

そのような状況のなか,現代的な振り売りの萌芽もみられる。それは,パソコン・携 帯電話などのメールサービスを利用しての個別宅配である。上賀茂のY氏(50 代)は,

食への関心が高い子育て世代の主婦グループへのサービスとしてメールによる受注・宅 配を始めた。仕事のため昼間も忙しい主婦のニーズにきめ細かく対応するためである。

このように,住宅地が農地を駆逐し,都市の暮らしも刻々と変貌を遂げてきた 40 年の 間,市街地での劇的な変化のなかで,京都市の農家は,都市化による農業の利点を生か すような流通の展開を常に模索してきたといえる。つまり,振り売りは,市街地におけ る消費者のさまざまな変化に対応しながら,消費者と生産者の顔の見える関係を再構築 することで,京都のまちづくりに貢献してきたのである。

4 振り売りの多面的な役割

これまで,振り売りの変遷をみてきたが,振り売りが都市生活に与える多面的な役割 について,以下では,2012 年 10 月の同行取材(3 節の調査②)をもとに,聞き取り調査 などの結果も考慮しながら考察したい。

同行取材は,鷹峯の農家H氏(80 代)に協力を依頼した。H氏は上賀茂から鷹峯に嫁 いだ。戦後,食べきれないほどとれたタケノコを姑がカゴに入れて売りに歩いたのがきっ かけとなり,姑が戦前の得意先への振り売りを再開した。H氏は,その姑の得意先を引 き継いで以来 60 年間,天候にかかわらず決まった曜日に,得意先へのあきないを続けて いる。北区鷹峯の自宅前で立ち売りを行った後,上京区千本上立売通り(西陣地区)ま であきないをしながら歩く。直線距離にするとおよそ 2㎞の距離であるが,住宅地の中を 迂回しながら 3 〜 4 時間かけてゆっくり歩く。そのため「うしのよだれ」と呼ぶそうで ある。一般的に,洛北から洛中までは坂道になっているため,(大八車の時代にも)振り 売りは女性でもできる仕事だといわれたが,実際に,荷物を引いてみると,長さが八尺

(2.4 メートル)もある大八車を縄一本で操作し,狭い道路を行き来するのはたいへんな 重労働であった。

販売された野菜の種類は多く,旬野菜が豊富である。サニーレタス,ほうれん草,小

(15)

松菜,白菜,コカブ,菊菜,鷹峯トウガラシ,ニンジン葉,キャベツ,ダイコン(葉付 き),ナス,スグキ菜の 12 種類が大八車に並んだ。このうち,ニンジン葉やスグキ菜は 間引き菜であるが23),「ニンジン葉の胡麻和え」は京都のおふくろの味の代表のひとつで ある。ダイコン,白菜,菊菜もやや小ぶりのもので,大量に市販されている野菜とはサ イズが異なっている。ダイコンは葉付きのもので,顧客のなかには「ダイコンの葉」が 目当ての消費者もあった。また,小ぶりの白菜や菊菜は,葉が柔らかいので,野菜が苦 手な子供にも喜ばれる食材である。現在,流通段階において規格外農産物の廃棄を減ら すことは環境の観点から課題のひとつとなっているが,振り売りや直売所はこのような 規格外農産物の重要な販路のひとつとなっている。この特徴は,すでに 40 年前からもみ られ,山科では市場出荷から脱落したナスが,消費者の要望に応じて,振り売りによっ て販売されている24)。フードマイレージが少ない点はもちろんであるが,規格外農産物 の廃棄を減らすという点でも,振り売りは,「もったいない精神」を実現させた環境に優 しい流通として評価できる。

H氏の振り売りでは,数メートルに一度の割合で,住宅地の一角に大八車を止める。そ こに付近のお得意さんが集まり,「顔の見える」市場ができあがる。そこは,コミュニケー ションの場ともなっている。生産者や消費者が「ダイコンの葉はおじゃこと炒めるとお いしい」などの情報交換をすれば料理教室にもなる。また,家庭料理のよさを伝え,自 炊の大切さを再認識する食育の場にもなる。また,長年にわたる対面販売によって信頼 関係も構築され,顔写真やバーコードはもちろん不要である。一方,農家も,消費者の 好みなどの情報を直接入手できるため,よいマーケティングの機会ともなっている。消 費者・生産者間の対話が果たす役割は多様でかつ重要である。

また,振り売りは,生産者による宅配の役割をも担っていることから,外出しにくい 高齢者や小さい子供を持つ母親にとっては,買い物支援サービスとしての意味もある。ま た,定期的な訪問を通じての高齢者への目配りも可能になっている。福祉事業としての 農産物販売については,すでに西陣の直売所(西陣マルシェ)や東京都練馬区における 自転車による宅配事業などの前例もある。さらに,振り売りの存続とともに,その衣装

(手ぬぐい・手甲・三幅前掛け・紺のたちかけ・白足袋)や道具(大八車など)も受け継 がれている。このように,振り売りは,単に農産物を供給すること以外にも,福祉・文 化・教育といった多様な役割を担っているのである。

ところで,消費者にとって振り売りの魅力とは何であろうか。上記のような多面的な 役割は,もちろん,消費者にとっても魅力的である。また,全国的にも食への関心は高

(16)

まりを見せ,農産物の安全性や品質を重視する消費傾向も強まっており,都市に農地を 残したいと考える人も増えている。今回,直売所の消費者を対象にしたインタビュー調 査(調査④)では,直売所で野菜を購入する理由をたずねると,まず「新鮮でおいしい から」という回答が返ってくるが,「野菜を購入するときに地元の(京都市の農家が作っ た)野菜であることを重視するか」どうかをたずねたところ,30 名のうち 19 名が「かな り重視する」,9 名が「ある程度重視する」と答えた。また,「京都市内に農業・農地(緑 地)を残したいか」どうかをたずねると 30 名のうち 25 名が「強く思う」と答えた25)。な お,インタビュー調査においては,振り売りの認知度についてもたずねた。「現在も利用 している(最近利用したことがある)」が 23%,「過去に利用していた(以前に利用した ことがある)」が 26%,「近所に来ているのを知っているが利用したことはない」が 16%,

「テレビなどで見て知っている」が 13%,「知らない」が 22%となった26)。直売所の利用 者の場合は,比較的振り売りへの認知度が高いといえる。このことから,振り売りや直 売所が食や農業への関心が高い消費者(主として京都市民)の受け皿として,大きな役 割を担っていることがわかる。

このように,京都のまちの食生活や食文化を根底から支える農業のなかで,消費者に もっとも身近な存在として貢献してきたのは,この振り売り農家であろう。現在,農業 の多面的機能(環境保全的機能)や都市農業の多様な役割が指摘されているが,京都の まちにおいては,数百年という長い時間,振り売りという流通形態がまちの暮らしにとっ て重要かつ多面的な役割を担ってきたのである。「振り売り」は,松尾芭蕉が東京の深川 で巻いた歌仙の句「振り売りの 雁あはれなり えびす講」にも登場する27)。えびす講 は都市商人の年中行事であるが,この句の通り,振り売りは,まちに生きる農家の姿で ある。昭和の京都においても,振り売りの写真が農業地域ではなく西陣や祇園で撮影さ れていることがそれを物語る28)。近年の研究では,都市の暮らしが人間らしく再構築さ れるためには,「むら」的な要素が重要な役割を果たすと指摘されている29)。この京都の まちの振り売りは,都市という地理的領域のなかで伝統的に息づいてきた「むら」であ る。

結 語

以上のように,1 節では,京都のまちにおける農業地域の区分が時代によって変遷をと げたことを,2 節では,生産者と消費者の顔の見える関係(振り売りと直売所)の地理的

(17)

分布について,3 節では,振り売りの変遷と都市化との関連について,そして,振り売り が生産者と消費者の顔の言える関係の再構築に貢献したことについて,4 節では,振り売 りが多面的な役割を果たしてきたことについて,それぞれ述べた。京都のまちの農業,と くに,消費者と密接に関係してきた振り売りは,都市化の流れの中でその変貌を余儀な くされつつも,伝統と革新を融合させながらたくましく生き抜いてきたといえる。

消費者にインタビューをしていると,年配の方からは,「昔から京都の農家にお世話に なった」「私たちは京都の野菜で育ってきた」との声も多く聞かれた。京都のまちにおけ る生産者と消費者との精神的な結び付きの強さを痛感した調査であった。蘆花の言う「都 会と田舎は一体」とは,生産者と消費者の物質的なつながりに加えて,生産者と消費者 の顔の見える取引によって築かれた信頼関係のことでもあるのだ。

最後に,「振り売り」の今後の展望について少し付け加えたい。京の旬野菜直売所での アンケート調査(調査③)では,出荷者(回答者数 27 名)に,振り売りの経験の有無を きいた。結果,現在も振り売りを実施していると答えた農家が 14 名,現在は実施してい ないが過去に実施していたと答えた農家が 5 名であった。この 5 名が振り売りをやめた 理由としては,高齢化による担い手不足のほか,販路の開拓や変更が挙げられた。そし て,現在も振り売りを実施しながら直売所へも出荷している農家 14 名(30 〜 70 代)に,

今後の振り売りの継続の有無について質問すると,「振り売りを継続するつもりであるが 後継者が未定」と答えた農家がもっとも多く 6 名,「自分の代で終わるつもりである」と 答えた農家が 5 名であった。また,今後,拡大していきたい販売方法についてたずねる と,直売所への出荷を拡大すると答えた農家がもっとも多く 8 名であった。複数の農家 が共同で出荷し,販売を直売所の運営側に一任できるこの直売所の場合,人手不足や高 齢化に直面する農家にとってはメリットが大きい。京都のまちに生きてきた振り売りは いま少しずつ姿を消しつつある。

なお,本稿では,主として振り売りの変遷や現状の全体像を把握することにつとめた が,その長い歴史や個別の地域の事例を分析するには調査が不十分であることも否めな い。本稿を基礎研究と位置付けながら,詳細な歴史分析や事例研究を展開していくこと が今後の大きな課題である。

謝辞

本稿は,同志社大学人文科学研究所第 15 研究「持続的創造都市:京都のくらしとまちの総 合研究(研究代表者鯵坂学教授)」の成果の一部である。研究会では多くのご助言を頂戴し

(18)

た。また,2012 年度大学コンソーシアム京都『未来の京都創造研究事業』の助成を受け,京 都市産業観光局農林振興室農業振興整備課ならびに数多くの農家の協力を得た。記して感謝 する。

1 )徳富健次郎(1938)『みみずのたはこと(上・下)』岩波文庫,下巻,p. 110。

2 )渡辺善次郎(1983)『都市と農村の間』論創社,Howard, E.(1898)Tomorrow : a peaceful path to real reform, London, Routledge(長素連訳『明日の田園都市』鹿島出版会,1968 年).

3 )多辺田政弘(1985)「食糧自給」天野慶之・高松修・多辺田政弘編(1985)『有機農業の事 典』三省堂,pp. 250-256,所収,桝潟俊子(1985)「提携」同上書,pp. 257-265,桝潟俊子

(1995)「有機農業運動の展開と環境社会学の課題」『環境社会学研究』1 巻,pp.38-52,所 収など。

4 )蔦谷栄一(2013)『共生と提携のコミュニティ農業へ』創森社など。

5 )農林統計で用いる「都市的地域」をもって都市農業とみなすこともあれば,都市計画法上 の「市街化区域」内で営まれている農業を「都市農業」という場合も多い。いずれも,都 市およびその周辺で営まれる農業のことを指す。

6 )林義雄(1963)『京都市近郊特産蔬菜作の変遷過程―その歴史的,地理的研究(農業経済研 究報告第 5 号)』京都府立農業試験場,高嶋四郎(2003)『京の伝統野菜と旬野菜』トンボ 出版,前掲,渡辺(1983)など。

7 )京都市編(1972)『京都の歴史 5 近世の展開』京都市史編さん所,pp. 604-606,上田耕司

(2009)「京野菜を活かしてきたもの」『農業と経済(特集 都市に農業をとりもどす)』5 月 号,昭和堂,pp.61-65,所収。

8 )京都市産業観光局農林振興室ホームページ。

http://www.city.kyoto.lg.jp/menu2/category/32-8-0-0-0-0-0-0-0-0.html

「京の旬野菜直売所・朝市」京都市産業観光局農林振興室(2013 年 4 月閲覧)

9 )前掲,渡辺(1983),pp. 99-105。

10)喜田川守貞著,宇佐美英機校訂(1996)『近世風俗志(守貞謾稿)(一)』岩波書店,pp. 243- 309。

11)北見俊夫(1985)『市と行商の民俗』岩崎美術社のほか,牛嶋英俊(2009)『飴と飴売りの 文化史』弦書房,中村周作(2009)『行商研究―移動就業行動の地理学―』海青社など。

12)「大原女」については,橋本暁子(2011)「京都近郊農山村における柴・薪の行商活動―明 治前期から 1950 年代の八瀬・大原を事例として―」『歴史地理学』53 巻 4 号,pp.38-56,所 収,「白川女」については,同志社大学西村卓ゼミナール(1999)『京の庶民史―伝統と技 に学ぶフィールドワーク―』かもがわ出版,pp.17-31。京都新聞の連載は京都新聞社編

(1963)『京の女人風俗』として河出書房新社から出版されている。野菜の販売については,

並松信久(1998)「京野菜の流通と消費」『京野菜の生産・流通・消費と地域活性化に関す

(19)

る研究(平成 8,9 年度京都市地域研究助成金研究成果報告書)』京都産業大学国土利用開 発研究所,pp.109-121,所収,田村うらら(2006)「振売り―都市に息づく野菜行商―」菅 原和孝編『フィールドワークへの挑戦―実践人類学入門』世界思想社,pp.169-191,所収。

このほか,前掲,林(1963),pp. 110-114,「日本の食生活全集 京都」編集委員会(1985)

『聞き書 京都の食事』農山漁村文化協会,p.14-16,西山恵子(1988)「働く女性―大原女 と白川女―」『人づくり風土記 京都』農山漁村文化協会,pp. 141-146,所収なども参考に なる。振り売りに関する雑誌の記事では,「行商と料理店への直売」(『農業経営者』2000 年),「follow up かんさい 2 「京」旬野菜の行商」(『イグザミナ』2001 年),「昔ながらの振 り売りで消費者に直接販売」(『農耕と園芸』2003 年)がある。京都府内における都市と農 業の関わりについて論じたものとして,『社会科学』では,藤田叔民(1968)「近世後期丹 波薪の生産と流通」『社会科学』第 10 号,pp.198-240,所収,庄司俊作(2001)「生協産直 と農業振興―京都生協「グリーンボックス久美浜」の 10 年を中心に―」『社会科学』第 66 号,pp.249-281,所収がある。

13)鯵坂学(2008)「京都の伝統産業と「まち」の移り変わり」鯵坂学・小松秀雄編『京都の

「まち」の社会学』世界思想社,pp.1-30,所収。

14)前掲,渡辺(1983),pp. 148-152,前掲,京都市編(1972),pp. 588-597 など。

15)京都市編(1975)『京都の歴史 8 古都の近代』京都市史編さん所,pp. 426-429。生産高の 増分については,同上書pp. 426-427 掲載の『京都府統計書』による「蔬菜栽培の推移」表 より筆者が計算。

16)前掲,林(1963),pp. 129-137。

17)京都市(2010)『京都市農林行政基本方針(平成 22 年)』京都市産業観光局農林振興室農政 企画課。

18)前掲,京都市編(1975),p.423。

19)③の調査については,市内 5 か所ある京の旬野菜直売所「時待ち食」の出荷者を対象にア ンケートを実施した(2012 年 11 〜 12 月実施)。また,④の調査については,同直売所「時 待ち食」のうちの 2 か所(北大路店・三条京阪店)で実施した(2013 年 3 月実施)。

20)前掲,林(1963),p. 97-114。なお,1 貫は 3.75 キログラム。

21)ちなみに,現在,振り売りの収入はお小遣い程度のものであると解釈される場合もあるが,

数年前まで,一家の収入のほぼすべてが振り売りによる収入であったという農家もあり,振 り売りの流通機構としての役割は決して小さくない。

22)鯵坂学(1998)「京都市の地域社会の動態と現状(覚書)―一九七五〜一九九五年の行政区 及び小地域=(元)学区別データ分析を中心に―」『評論・社会科学』第 58 号,pp.1-30,

所収。

23)間をすかすために間引き取った菜。つまみ菜。ニンジン葉は市場にも流通している。

24)前掲,林(1963),p. 400。

25)平成 23 年度『食料・農業・農村白書』に掲載の東京都政モニターアンケート(東京都民 500 人を対象として実施したインターネット調査,2010 年 6 月公表)と同様の質問を設定

(20)

した。「農地を残したいか」という質問に対して,東京都では 84.6%が「思う」と回答して いる。

26)「振り売り」という言葉だけではわからなくても,振り売り(大八車・軽トラック)の写真 を提示するとわかる場合がほとんどであった。

27)安東次男(1975)「「振売の」歌仙」『すばる』第 20 号,pp.240-262,所収。

28)浅野喜市(2010)『昭和の京都 回想 昭和 20 〜 40 年代』光村推古書院など。

29)池上甲一(2011)「「都市の中の〈むら〉」という問題設定」『年報 村落社会研究 第 47 集  都市資源の〈むら〉的利用と共同管理』農山漁村文化協会,pp. 23-47,所収。

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(21)

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「昔ながらの振り売りで消費者に直接販売」『農耕と園芸』58 巻 1 号,2003 年 1 月,pp.37-40。

ウェブサイト

京都市産業観光局農林振興室ホームページ。

http://www.city.kyoto.lg.jp/menu2/category/32-8-0-0-0-0-0-0-0-0.html

「京の旬野菜直売所・朝市」京都市産業観光局農林振興室(2013 年 4 月閲覧)

参照

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