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吉備池廃寺の発掘調査( 第 3 次 )
ー 南 面 ・ 西 面 回 廊 お よ び 中 門 推 定 地 一
現 地 説 明 会 資 料
1 9 9 9 . 3 . 1 3
桜井市教育委員会.奈良国立文化財研究所
ー はじめに
吉備池廃寺は桜井市吉備にある溜め池「吉備池」 の東南部の護岸工事にともない、
1 9 9 7
年1
月から実施した調査によって発見された飛鳥時代の寺院跡である。池の南岸に取り込まれた
2
つの土壇のうち、東の土坦は1 9 9 7
年の調査によって、東西37m
、 南北約28m
の掘込地業の上に、版築土を積んだ巨大な基壇であって、南面する金堂跡と判明した。そして、出土した軒瓦の年代観と基境規模および想定される伽藍規模の巨大さなどか ら、
C )
この寺院跡は西暦6 3 9
年に舒明天皇が発願した「百済大寺」の可能性が高いと考えられた。昨年
1
月からの調査では、 西の土壇は旧地表面から版築土を積み上げて造られ、その中央 部に巨大な抜取穴があることなどから、 一辺30m
近い塔跡と判明した。基壇規模の大きさかう高まった。
らもこの塔が「九重塔」である可能性が高く、寺院跡が「百済大寺」である可能性はいっそ また、塔跡の南約
56m
のところに幅約6r n
の回廊があることを確認した。その 結果、 吉備池廃寺の伽藍は、東に金堂、 西に塔があり、回廊がそれらを取り囲む「法隆寺式 伽藍配置」であって、水田畦畔が南に張り出してみえる両基壇間の中央部に中門が開くものと想定された。
また、昨年
1 0
月〜1 2
月には、桜井市が吉備池の東北部で宅地造成に先立って調査を行って、大規模な東西棟掘立柱建物を見つけ、僧房の一部と推定しました。
今年度の調査は( 1)南面の中央に想定される中門跡を確認することを目的として、
西半分が収まるであろう水田(小字カムリ石)
︵ .
<
2
わかったこと
く 塔一金 堂 中 軸 線 上 に 中 門 は な い > 吉備池廃寺に関係する遺構は南面回廊、
と、
その (2)西面回廊あるいは寺地の西限につ いての資料を得ることを目的として、塔の西の水田3枚(小字辻カマチ)に調査区を設ける ことにした。回廊西南隅想定位置にも小規模な調査区を設定した結果、調査面積は合計約
7 2
0面となった。調査は1 9 9 9
年1
月7
日から開始し、継続中である。
西面回廊、溝地業があり、塀8、土坑 9もその可 能性がある。
南面回廊の遺構は石組南(外)雨落溝、北(内)雨落溝の抜取溝、それの南に接した黄色粘土 の帯、回廊北側柱礎石抜取穴がある。石組溝は
25 50cm
大の自然石を一石並べて造られ、幅45cm
深さ30cm
。底面、上端ともに検出した17m
分で約20cm
、西方が低い。堆積土はほとんどなく南側石の上まで
―
l吟[に裡め立てている。抜収洲は上ではl│J{,;・1.5m
ある。この附の黄色 粘土の楷は基泣縁石の掘形か抜取りであろう。南の石糾溝の内側にも同様の抽埴縁・
石を想定した場合、回廊基塩の幅は約
5 . 6 m
と推定される。回廊晶埴上は、南側柱列が後の束西大溝l
で壊されている上に、基埴土が削平されており、北側柱列の礎石抜取穴 6
個を痕跡的に確認したにとどまる。桁行柱問は約
3 m
。南面回廊のこうした状況は、咋年の調査での所見と全 く同じで、それが塔の真南から塔一金堂の中軸線を越えて一直線に検出されたから、その問 に中門が存在しないことはほぼ確実である。< 塔 の 真 西 に も 同 じ 規 模 の 回 廊 が 通 る >
西面回廊に関する遺構は、西
2
区で東(内)雨落溝の抜取溝と東側柱礎石抜取穴1
個を検出 した。遺存状況が悪く、ともに極めて痕跡的であるが、東雨落溝の抜取溝の状況は同じく回 廊内側をめぐる南面回廊北雨落溝の状況と酷似していて、一連の遺構と判断できる。その場
合、西(外)雨落溝は、西2区と西 3区との間の水田畦畔直下に存在すると考えられ、塔心礎 の西約43m
に位置する。なお、回廊西南隅に設けた小規模な調査区では、南面回廊の南(外)雨落溝抜取痕跡を確認 したものの、石組溝は検出されなかった。
西面回廊東雨落溝の東約
2 r n
にある塀8
は、柱間1 . 6m
の1
間分確認した。北と南には同じ 柱間では延びない。 この塀は中軸線とかかわる可能性がある。< 寺 地 西 限 の 手 が か り は ? >
西面回廊西半から西南西に延びる
「
溝地業」は幅約1 . 5m
、深さ0 . 5m
の断面V字形の溝の
底に人頭大の石を詰めて、黄色山土で厚く埋めたもので、金堂基壇で確認した掘込地業の構 造に似ている。長さ15m
分を確認した。この「溝地業」の周囲には黄色粘土の塊が混じった 灰色粘土層があり、より西方までのびる。長さ22m分を検出。「
溝地業」の底の石は西南西 に低くなり、その構造と傾斜から伽藍地内の排水を意図した基礎地業の一部と考えられる。少なくともその西端までは寺地に含まれるであろう。西4区では寺地の西限を示す遺構は検 出されなかった。西
3
区の西端で検出した斜溝1 1
は「溝地業」 の西延長上にある同方向の溝 である。両者が一連の遺構である場合は、その延びゆく先に寺地の西限の手がかりがあることになる。この点は補足調査及び来年度以降の調査を待ちたい。
「溝地業」の北にある土坑
9
は直径約1 . 8m
の円形で、中に薄い板材が2
カ所立つ。藤原京 の時期の東西溝1 0
よりも古いことから寺に関わる可能性がある。く 移 転 後 は 伽 藍 地 内 ま で 藤 原 京 の 街 区 に な っ た >
寺廃絶以後の遺構には南調査区の東西大溝
1
、土坑3 7
、掘立柱建物2 、西調査区の東
西溝1 0
、東西溝1 3
、塀1 2
などがある。土坑7
や東西溝1 0 ・ 1 3
で見つかった土器から、 これら2
' え
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は藤厭京の時代の辿枯'
i
と考えられる。束西大杓
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は回廊南雨落i
,界の北側石に接して掘られた輻2
.2m
、深さ50cm
以上の素掘怜i '
。 下隠は堆積脳で、吉備池廃寺の瓦片のほか、木片、獣骨片が含まれる。上屈は埋立土。藤原 京三条大路推定線の近くにあり、その北側溝の可能性がある。掘立柱建物
2
は束西大溝1
に近接して、 一辺約l m
の掘形を持つ柱穴3
固を検出した。柱 問2 .
lm。梁間2
間の東西棟建物の西妻柱列と考えられる。土坑
5 7
は大きさや形に類似性があり、深さや埋土も同じで、配置にも規則性があるこ とから同時期の遺構とみられる。土坑7
から藤原京の時期の土器が出土した。土坑3
は比較 的多くの瓦片が含まれる点で土坑 6とは異なる。一回り大きな土坑 4を含めて、伽藍地内に 藤原京の時期の遺構が営まれていることが確認できた。東西溝
13
は幅約2 m
、深さ20cm
。底が平坦な素掘溝である。西3
区西端に始まり西 4区南 端を真西にのび、長さ25m
分検出した。溝の東端には細い杭が打ち込まれている。底には木 簡加工木片、板材が堆積し、上層から藤原京の時代に須恵器杯などが出土した。木簡には 数文字書かれているが判読できない。溝は推定三条大路の北約48m
にあり、その東端は推定 九坊大路からやはり48m
である。坪内を等分するものではないが両者がほぼ等しいことは興 味深い。溝の北岸近くには東西塀12
が併行する。柱間2 .
lmで 4間分検出した。西3区北端の 東西溝1 0
は、底が丸くて浅い素掘溝で、幅0. 8 m
。真東西に長さ13m
分検出した。藤原京の時 代の土師器などが出土した。c (
3 まとめと課題
a) 塔一金堂の中軸線上の南面回廊に中門がないことと、塔の真西で西面回廊を確認したこ とから西面と塔一金堂中軸線までの南面は回廊で閉じられていることが判明した。
では中門はどこにあるのか?。東西に長い掘込地業をもつ金堂が南面するのはほぼ確かで あり、中門は南面回廊上の塔一金堂中軸線以東に想定しなければならない。残された候補地 の第ーは金堂正面であろうが、いずれにしてもこれまで知られていない配置である。
b) 伽藍内の東に金堂、西に塔を並置する点では「法隆寺式」に類似するものの、中門の位 置まで含めた場合、典型的な「法隆寺式伽藍配置」のモデルとはなりえない。
また、検出した南面回廊を塔の中心で北へ折り返した場合、回廊の南北幅は約
105m
と推定 できる。しかし、今回の調査では塔一金堂中軸線が伽藍の東西の中軸であることを示す施設
などを確認できなかったから、回廊東西幅については中門、東面回廊などの検出をめざした 調査結果を待って検討したい。C)
建物造営の手順では基壇外装や雨落溝の施工は、建物の造作でそれらを傷つける恐れの なくなった段階で行われるものである。 今回、南面回廊南(外)雨落溝の石組みを広範囲に検 出し、基壇縁石の存在も想定できる。であれば、回廊は未完成ではあり得ない。吉備池東北 部では僧房と推定される建物が発見されており、伽藍全体の完成度はかなり高かったと考えるべきである。今後、中
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、講党、奇地の外郭と' I
りなどの発見につとめたい。d) 回廊内外に多くの藤原京の時代の逍構を確認した。周辺地におけるこれまでの調査でも、
南の冠名追跡、その西の柳田地区、池束北部の
1998
年の調査などで、坪内区画溝、掘立柱建 物、藤原宮式!1年瓦などが検出されており、金堂西南でみつかった掘立柱建物もそれに含めて 良いであろう。藤原京の造営は天武朝には始まっていると考えられ、基坦が百済大寺の批塔 であった記憶はなお鮮明なはずである。そうした時点で堂塔跡地の近辺にまでも建物が営ま れる状況を想定すると、吉備池廃寺は藤原京の条坊施工や街区利用の実態をさぐる上でも貴 重な遺跡であるといえる。今後の調査はこうした視点も必要となろう。百 済 大 寺 ・ 高 市 大 寺 ・ 大 官 大 寺 ・ 大 安 寺 の 沿 革
640
舒 明1 2
年1 0
月6 4 1
舒 明1 3
年10
月642
皇 極 元 年9
月645
大 化 元 年8
月651
白雉2
年3
月668
天 智7
年673
天 武2
年2
月12
月677
天 武6
年9
月 こ の 頃682
天 武1 1
年8
月685
天 武1 4
年9
月686
朱 烏 元 年5
月7
月1 2
月693
持 統7
年10月694
持 統8
年持 統
8
年1 2
月 持 統 朝7 0 1
大 宝冗年7
月702
大宝2
年8
月 文 武 朝710
和 銅3
年3
月7 1 1
和 銅4
年716
霊亀2
年5
月880
元度4
年10
月639
舒明1 1
年2
月 1 百 済 川 の 側 に 子 部 社 を 切 り 開 き 九 諏 塔 を 建 て 百 済 大 寺 と 号 す 。 社 神 の 怨 み に よ り 、 九 重 塔 と 金 堂 の 石 鵡 尾 を 焼 く ( 縁 起 ) 7月I
今 年 大 宮 及 び 大 寺 を 造 作 ら し む と の た ま う 。乃 ち 百 済川 の 側を 以 て 宮 処 と す 。 是 を 以 て 西 の 民 は 宮 を 造 り 、 東 の 民 は 寺 を 造 る 。 書 直 県 を そ の 大 匠 と す る ( 日 本 書 紀 ) 舒 明 、 百 済 宮 に 遷 る ( 日 本 書 紀 )
舒 明 、 百 済 宮 に 死 去 。 宮 の 北 で 歿 す ( 日 本 書 紀 )
百 済 大 寺 造 営 の た め に 近 江 と 越 の 民 を 動 員 す る ( 日 本 書 紀 ) 阿 倍 倉 橋 麻 呂 ・穂 稜 百 足 を 造 此寺司 に 任 じ る ( 縁 起 ) 恵 妙 を 寺 主 と す る
剌 繍 仏 完 成 剌 繍 仏 四 十 六 像 を 施 入 ( 日 本 書 紀 ) 釈 迦 丈 六 仏 ほ か の 乾 漆 像 を 百 済 大 寺 に 安 岡 ( 扶 桑 略 記 ) 天 武 、 飛 烏 浄 御 原 宮 で 即 位 す る ( 日 本 書 紀 )
百 済 の 地 か ら 高 市 の 地 へ 移 転 す る ( 縁 起 )
御野王 • 紀臣詞多麻呂を造高市大寺司に任ず(書紀·縁起)
高 市 大 寺 を 大 官 大 寺 と 改 称 す る ( 縁 起 ) 藤 原 京 の 造 営 始 ま る
大 官 大 寺 で 百 四 十 人 余 り を 出 家 さ せ る ( 日 本 書 紀 ) 大 官 大 寺 ・ 川 原 寺 ・ 飛 烏 寺 で 経 を 読 ま せ る ( 日 本 書 紀 ) 大 官 大 寺 に 食 封 七 百 戸 ・ 税 三 十 万 束 を 施 入 ( 日 本 書 紀 )
諸 王 臣 が 観 世 音 像 を 造 り 、 観 世 音 経 を 大 官 大 寺 で 講 説 ( 日 本 書 紀 ) 大 官 ・ 飛 烏 ・ 川 原 ・ 小 墾 田 豊 浦 ・ 坂 田 に 無 遮 大 会 を 設 け る ( 書 紀 ) に 王 会 を 諸 寺 で 行 い 、 剌 繍 大 潅 頂 幅 を 施 入 ( 日 本 書 紀 )
金 光 明 経 ・ 金 剛 般 若 経 施 入 ( 縁 起 ) 持 統 、 藤 原 宮 へ 遷 る ( 日 本 書 紀 )
寺 主 恵 勢 法 師 に 命 じ て 鏑 を 鋳 造 さ せ る ( 縁 起 ) 垣 寺 呂 と 迄; 而ザ巨ぇ、にt じさせる 造 塔 官 と 造 丈 六 官 を 司 に 準 じ さ せ る ( 続 日 本 紀 ) 高 橋 朝 臣 笠 問 を 造 大 安 寺 司 に 任 命 す る ( 続 日 本 紀 )
九 重 塔 と 金 堂 を 建 て 丈 六 仏 を 造 る ( 縁 起 ) = 現 ・ 史 跡 大 官 大 寺 跡 元 明 、 平 城 京 へ 遷 都
藤 原 宮 ・ 大 官 大 寺 焼 け る ( 扶 桑 略 記 )
元 興 寺 ( = 大 安 寺 ) を 平 城 京 の 左 京 六 条 四 坊 に 移 す ( 続日本紀) 百 済 大 寺 と 高 市 大 官 寺 の 旧 寺 地 で あ る 十市 郡 百 済 川 辺 の 田 一 町 七 段百六 十 歩 と 高 市 郡 夜 部 村 の 田 十 町 七 段二 百五 十 歩 を 大 安寺 の 願 い に よ り 返 遠 す る ( 日 本 三 代実録)
百 済 大 寺 は 「 十 市 郡 百 済 川 辺 」 「子部大神在寺近則」
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