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看護職不足の諸要因と新しい看護職のありかた

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著者 関口 恵子

出版者 法政大学大学院

雑誌名 大学院紀要 = Bulletin of graduate studies

巻 70

ページ 163‑175

発行年 2013‑03

URL http://doi.org/10.15002/00008641

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概 要

 安全で質の高い医療サービスを提供する上で、看護職者(1)の不足は問題となる。看護職者の不足は戦後の 日本社会の歴史的変化のなかで諸要因が絡み合い、進行、展開してきている。そこで看護職者の不足が歴史的 にどのように変化していったのか、医療政策や看護職者の確保策としての看護教育がどのように行われてきた のかを明らかにし、不足の諸要因と新しい看護職のあり方を探る。

 看護職者不足の諸要因は、高度成長による医療施設の増加、看護職者の離職(多い潜在看護職者)、少子高 齢化などによる需要の増大に比して少ない供給によるものであり、医療施設中心の看護職者の人材育成や配置 といった社会政策的なものである。これでは、いつまでたっても看護職者の不足は解消されない。今後の多様 化した世界や少子高齢社会が進む「ポスト病院の世紀」の時代では、地域の中における医療的知識と技術をも った対人関係専門職としての看護職者の不足が問題となる。従来の病床数に対する量的な看護職不足と意味が 異なる。

 そこでもう一つの看護の世界として、病院を飛び出した看護職者について述べ、新しい看護職のあり方を提 示する。新しい看護職とは、病院だけでなく地域の中で他職種や地域住民と連携して活動する、医療的知識と 技術をもった対人関係専門職である。従来の施設中心ではなく多様な場で専門性を発揮できることにより、離 職している看護職の再就職可能性を拡大し、看護職不足が解消するとともに安心できる利用者本位の多様なサ ービスが提供できる。

キーワード:看護職不足、ポスト病院の世紀、対人関係専門職、新しい看護職

Ⅰ.はじめに

 戦後より看護職者の不足が続く。日本看護協会の発表(20116月)によれば、2009年の病院勤務の看護 職員は89万人、年間4.7万人の新卒者が就職しながら、年間10万人以上が離職している。大量採用、大量退 職の悪循環が続き、さらに今後の少子高齢社会の進展でさらに「不足」の増大が予測される。また外国人看護 師の導入も問題となっている。

 医療が生活の質に関連する多様な尺度で評価されるようになり、「病院の世紀が終焉し、健康戦略の転換の 時代」(猪飼 2010a;217)といえる『ポスト病院の世紀』では、医療保健供給体制や看護も変化し、看護職「不 足」の意味も変わっているのではないか。

 看護職の「不足」とは、どのようなことか。看護職不足の問題を、看護職を取り巻く社会の変化、看護職自 身の意識や医療政策、看護職確保策など関係する制度などから、不足の諸要因とその意味の変化を明らかにす る。そして少子高齢社会が進行し多様化する今後の社会における新しい看護職者のあり方を検討する。

看護職不足の諸要因と新しい看護職のありかた Causes of Nurse Shortages and Necessity of New Nursing

公共政策研究科 公共政策学専攻 博士後期課程3年 

関 口 恵 子

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Ⅱ.看護職不足の諸様相

 看護職不足は、看護職をとりまく戦後の日本社会の歴史的変化のなかで諸要因が絡み合い、進行、展開して いる。その要因は以下の様である。

1.病床数に対する看護職者数の不足

 戦後、経済的状況がよくなり、国民の生活水準があがるにつれ病床数も増える。厚生労働省による医療施設 調査によると、1992(平成4)年をピークに年々減少しているが、2011(平成23)年では1,712,539床である。

OECDデータで各国の人口1,000人当たりの病床数でみると(2008(平成16)年)、日本が13.8床であるのに 対して、ドイツでは8.2床、フランスは6.9床、英国は3.4床、米国は3.1床である。ただしドイツ、英国、米 国では長期療養用のベッドやナーシングホームのベッドが対象となってはいないが、それでも日本の病床が多 いことにはかわりない。また病床当たりの看護職員を中心とした病院従事者数も、一番少ない(図1)。

 病床数と並行して看護職者が供給されない場合、看護職不足は一向に改善しない。この不足は、労働者数と しての看護職者の不足であり、特に病院で勤務する看護師・准看護師数の量的不足といえる。

2.医療技術の変化に伴う不足

1960年代より医薬品の進歩や麻酔技術や輸血、補液の進歩し急性期外科治療が飛躍的に進歩した。1970 代には第2次医療技術革新といえるコンピュータ導入による高度な医療機器が開発され、高度な手術、放射線 治療、人工透析などの治療に伴う看護援助技術が求められた。現在では、第3次医療技術革新といえる臓器移 植、体外受精、遺伝子操作など分子生物学の医学への導入が行われている。

 専門領域の技術、知識をもつ高度の看護サービスを提供する看護職人材の育成が1994(平成6)年から開始 されているが、まだ十分とはいえない。今後このような看護職の育成が進まない場合には、高度専門的な知識 と技術をもつ看護職不足となる。

3.疾病の変化と国民の多様な医療ニーズに伴う不足

 戦後の主要な死因は感染症であり、その後は慢性疾患が増加し、いわゆる生活習慣病といわれる糖尿病や虚 血性心疾患、高血圧などが増加する。1981(昭和56)年からはがん疾患が死亡の最大の死因となる。それに 伴って看護では疼痛コントロール、QOL、インフォーム・ドコンセントなどの概念が導入され、看護専門職 として多様なニーズへの対応が求められる。そのニーズに対応するには医療的な知識、技術だけでなく、対人 関係の専門職としての看護職である。

 しかしそのニーズに対応できる看護職者の育成が進まなかった場合や看護の環境(時間的なゆとり)が整備 されない等があれば、看護職の不足は表面化する。

(図1)各国の病床当たりの病院従事者数(常勤換算 2006)

出所(OECD Health Data 2009,Ver Nov 2009)

日本 ドイツ フランス イタリア カナダ 米国

0.96 1.29

2.4 3.08

3.79

5.18

0 1 2 3 4 5 6

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 以上が戦後の高度成長期において繰り返された看護職不足であり、1990年代以降はそれに以下の要因が付 加する。

4.少子高齢化に伴う不足

 近年の人口動態では出生数は減少傾向にあり、1970年代より人口の高齢化が進んでいる。高齢者は合併症 を引き起こしやすく重症化し、さらに見当識障害、認知症、失禁などの高齢者特有の症状への援助が必要とな る。2000年度からの介護保険の制度化により、看護職者は。医療領域だけでなく福祉領域での需要が増大する。

 またいわゆる団塊世代の看護職者が60歳以上となる2010年には労働者人口が減少する。さらに少子化によ り看護職志望者の伸び悩みで、今後ますます看護職者数の不足が予測される。少子高齢化に伴う看護職の確保 対策がなされない場合、在宅援助を必要とする高齢者や福祉領域での看護職者の活動は困難となる。

5.看護職者の離職による不足(多い潜在看護職)

2009(平成21)年における看護職員の離職者数は約125千人と推計されている(厚生労働省、医政局看 護課調べ)。病院に勤務する看護職員の離職率(年度の平均常勤職員数に占める当該年度退職者数の割合)は 11.2%(日本看護協会、看護職員需給調査)である。専門・技術的職業従事者の離職率は12.7%、一般労働者

16.4%(平成21年厚生労働省「雇用動向調査」)である。尚、2011(平成23)年の病院に勤務する看護職

員の離職率は11.0%、新卒者8.1%(日本看護協会、病院看護実態調査)である。いずれも常勤であり、調査 が異なるため単純な比較はできないが、看護職は専門・技術的職業と概ね同水準といえる。

 離職した看護職者は、比較的短期間で他の医療機関等に再就職する者と、そうでない者とがいる。資格をも ちながら看護職者として就業していない65歳までの看護職者(潜在看護職者)が55万人以上(2)いる。一般 に働く女性は30歳代に離職し、30歳代後半から40歳代に復職し、就業率はM字カーブを描くことが知られ ているが、看護職は離職後、復職は少ない(3)。離職理由は、結婚・出産・育児などの生活上の理由や、人間 関係、他施設(分野)への興味のほか、超過勤務が多い、休暇がとれないなどである(2011(平成23)年、

厚生労働省「看護職員就業状況等実態調査)。潜在看護職者が再就職しないのは、就業する意思を失った者や 本人の健康問題、家事・育児、家族の健康問題・介護や看護業務からはなれていたことによる不安などがある という調査結果がある(2011(平成23)年、厚生労働省「看護職員就業状況等実態調査)

 看護職者の仕事への認識および満足度に関する研究結果(田村ら、2007)では、満足度の関与因子として、

看護管理システム、労働条件と福利厚生、給料、スタッフ間の人間関係、燃え尽きがないこと、自律性、創造 性が抽出されている。就業数が一番多い20歳代の看護職は夜勤体制、人員配置、キャリア教育体制などの看 護管理システムに関して高い得点を示すが、40歳代の看護職は「仕事上の人間関係」の患者との人間関係、「専 門職性」のケア提供時間、「看護師としての自己実現」の創造性について高い得点を示す。このようにベテラ ンの看護職者にとっては、離職は単に労働条件の厳しさだけでなく、専門職として納得できる労働の内容であ るか、専門職としてのプライドが保てる待遇であるかという点であることに注目する必要がある。ベテランの 看護職者は、対人関係の専門職として援助ができないことへの不満足感や不燃焼感をもち、これらは仕事への 情熱や興味を減少させ、ひいては離職という現象を引き起こし、潜在看護職者が増加する一因ともなる。

6.医療施設中心の保健医療福祉体制による不足

 医療と福祉が接近し、さらに介護保険制度により医療領域だけでなく福祉領域での看護職者の需要は高まる。

厚労省は診療報酬における看護加算や訪問看護療養費の算定や「看護師等の人材確保法」を制定し、看護師等 の人材確保対策を行っている。しかし「第七次看護職員需給見通し」(表1)でも、現状の医療施設中心のシ ナリオが投影されたものであり、在宅療養を支える訪問看護ステーション、介護保険関係等考慮された様子は なく殆ど変化はない。また策定方法も国の保健医療体制を踏まえた需給見通しあり、さらに都道府県、医療機 関等の判断を踏まえたもので、実質的な数値をあらわしているとはいえない。現在の医療施設中心の保健医療 福祉体制では、看護職が必要とされる在宅ケアや福祉領域などで、今後ますます看護職不足となる。このよう な保健医療福祉体制が変わらないかぎり、利用者本位の多様なサービスは提供できず、看護職不足は続く。

(5)

 以上のように看護職不足の諸要因は、様々な要因が複雑に絡み合って起きる。看護職不足を内容からみると 量的な不足と質的不足とがあり、さらに現在の医療施設中心の保健医療体制(医療化)と、そうでない体制(脱 医療化)によって、不足の様相も異なってくる(図2)。

(表1)「第七次看護職員需給見通し」

厚生労働省「第七次看護職員需給見通しに関する検討会報告書」より 2010(平成 22)年 12 月

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 看護職の量的な不足や知識・技術的面の不足は、多くの人々が実感でき表在化しやすい。しかし医療的知識 と技術をもった対人関係専門職としての質的不足は、潜在化する。それは主に看護職者自身が感じるものであ り、量的不足がある程度解消されないと、表面化しない。何故なら、「不足問題」をさらに複雑、深刻にする からである。

Ⅲ.看護職をとりまく社会の変化と看護教育、医療政策

 歴史的に「不足問題」はどのように表面化したのか、その対応として医療政策や看護職の確保策としての看 護教育がどのように行われてきたのかを明らかにする。

1.看護師不足の社会問題化、労働闘争

 1)労働環境改善の運動;1960(昭和36)〜1961(昭和37)年

 戦後GHQの指導もあり、厚生省は病院での付添いが多い現状に対して、診療報酬として看護サービス提供 を料金化し、「完全看護」が創設された。しかし看護職の増員のない付添い廃止により看護労働条件はさらに 悪化した。さらに一人夜勤の病棟での緊急事態の要員として、多くの病院では入寮が義務付けられ、早朝から 夜の変則勤務、1週間続く夜勤など過酷な労働条件であった(田中 2008;30)。国立病院の看護職は1960(昭和 35)年にやっと週44時間労働となるが、そのために必要な2,500人増員に対し実際の増員は300人程度であ った(橋岡 1998;179)。このような人手不足による過重労働、低賃金、完全看護の矛盾、寮問題、出産制限な どの背景でストライキが起こる。東京医労連、全日赤によるストは全国に波及し、全寮制が廃止され最低賃金 1万円が保障された(橋岡 1998;188)。結局、「付添い看護」の廃止は、1994(平成6)年であった。

 2)夜勤闘争(ニッパチ闘争);高度成長期の看護婦不足、1965(昭和40)年代

1961(昭和36)年、国民皆保険が実施された時期は経済成長に伴い人口の都市集中が始まり、国民の受診

(図2)看護職不足の諸様相

離 職 多くの潜在看護職者

疾病の変化、    

多様な国民のニーズ 脱医療化

高齢化

質的不足

病床数の変化 少子高齢化

保健医療福祉体制

医療化 医療技術の変化

対人関係看護専門職

量的不足(看護職者数の不足)

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量も増大し医療施設や病床数が増大した41965(昭和40)年には夜間勤務等規則改善に関する人事院勧告 が出たが、強制力もなく守られず、そのため1968(昭和43)年、新潟県立病院でニッパチ闘争(夜勤月8 以内、2人以上の複数夜勤を要求する運動)が起き、全国に広まった。しかし、ほとんどの病院では夜勤回数 は減らず、複数夜勤も行えず看護職不足は解消されなかった(橋岡1998;192)。

 3)駆け込み増床による看護婦不足ストライキ;1985(昭和60)〜1991(平成3

 医療費や高額な医療機器などの配置の視点より病床数が問題となり、1985(昭和60)年、病床規制を柱と する地域医療計画の策定を義務付けた医療法改正(第1次改正)が公布された。その結果、病床数は1984(昭 59)年、1985(昭和60)年の2万床台の増加から、1986(昭和61)年から1988(昭和63)年にかけては 毎年約4万〜5万床と一時的に大幅な増加を示した。これは施行前の増床、いわゆる病院の「駆け込み増床」

が起きたためである。さらに医療の高度化等による看護職員の需要増もあり、病院看護職員は毎年25千人 前後の伸びを示したにもかかわらず、看護職不足は一層深刻となり労働条件が悪化した。医労連は看護問題の 社会的な世論化を図る目的で署名活動や「ナースウエーブ行動」を指導し、各地で看護職の白衣によるデモが

行われた(田中2008;37)。これらの行動は看護職不足の実態を社会に訴え、「看護師等人材確保法」制定となる。

 以上のように高度成長期には看護職の量的不足が表面化し、労働組合指導の下に労働者としての権利闘争、

賃金闘争を主としたストライキで、看護職者の労働環境や賃金は少しずつ改善された。しかし病床の増加と並 行した看護職の増員は行われず、看護職不足への対応はほとんど行われず、解決されないままであった。

2.看護職不足と医療政策

 保健師助産師看護師法、医療法などは医療の現場を左右する重要な制度であるが、特に健康保険法における

「診療報酬」や看護職の確保対策としての「看護師等の人材確保法」は、医療機関の運営と看護職不足に大き な影響を与える。

1)診療報酬の設定

1950(昭和25)年、診療報酬に「完全看護」を創設し、看護サービス提供を料金化したが、看護職不足で 一部の国立病院以外、完全看護は実施されなかった。その後1958(昭和33)年には、診療報酬に「基準看護」

が創設され、看護職の配置基準は、患者対看護職者の比率は31となった5。また「ニッパチ闘争」に対す る診療報酬上の支援として1992(平成4)年に「夜間勤務等看護婦加算」が新設された。

 入院患者の高齢化や慢性疾患の増加等により平均在院日数が長期化し、医療費が増大し、また急性期と慢性 期の機能分化を図るために、1988(昭和63)年は平均在院日数20日以内の病棟には特Ⅲ類看護(21)を新 設する。1994(平成6)年になっても基準看護の承認病院は約半分であり、付き添い看護料の患者負担は大き かった。そこで診療報酬として「付き添い」の廃止を明示した「新看護体系」を導入した。また看護サービス は今まで「病院または診療所への収容」という規定だったが、在宅医療と入院サービスとして明示され、訪問 看護ステーションは、高齢者だけでなく(老人訪問看護療養費は1992(平成4)年より算定)、一般にも訪問 看護療養費が算定できるようになる。2006(平成18)年の診療報酬改定では、最も手厚い看護職員の配置基 準として「71」入院基本料が創設され6、看護職員の争奪が始まる。大規模な病院が早期より看護職員の 採用活動を展開し、特に地方の中小病院や保健福祉施設での看護職の確保が困難となっている。

 以上のように診療報酬は医療機関の運営そのものに影響を与え、現場の看護を変える重要な要素となってい る(森山、2009)。しかし診療報酬は看護職不足の原因に対しての直接的な対策ではない。表面化した看護職 不足の後追い策であり、しかも量的にも不足し、抜本的対策とはなっていない。従来のような健康保険法によ る診療報酬の改定という対症療法では、看護職不足の解決にはならない。

 2)看護職の確保対策および看護師等の人材確保法

 病床数、受診数の増加、医療技術の進歩により看護職の不足は日毎に増大するなか、国は看護職員を増やす 計画として、昭和49年(1974)から看護婦需給計画を策定し、さらに平成41992)に「看護師等の人材確 保法」が制定された。需給計画は、既存の医療施設数、看護職者従事者報告などを基に策定したが、需給率と 実態は乖離していた7。また「第三次看護職員需給見通し」は、全国の病床数が決定しないままに、当時の 医療の進歩、看護婦の労働条件の改善など考慮せず、昭和63年(1988)に第一次需給計画の算定方法と同様

(8)

に策定される(矢野 2009;255)。さらにこの時期はバブル期で人手不足の時代であり、また高齢者保健福祉推 進十か年戦略(平成2年(1990)〜11年(1999))、いわゆるゴールドプランとして、ホームヘルパーの増員、

福祉施設の増設や老人保健施設などの21世紀までの確保戦略が発表され、さらに看護職不足が深刻となる。

 平成3年(1991)「第四次看護職員需給見通し」からは、策定方法を各都道府県から報告をもとに、現場か らの積み上げ方式に変更され、現在は第七次看護職員需給見通し(平成23年(2011)〜平成27年(2015))

が進行中である。

 平成2212月に取りまとめられた「第七次看護職員需給見通しに関する検討報告書」によれば、看護職員 の需要見通しは、平成23年の約1404000人から、平成27年には約1501000人に増加する見込みである 一方、看護職員の供給見通しは、平成23年の約1348000人から、平成27年には約148万人6000人に増加 する見込みとなっている(人数はいずれも常勤換算)。しかし初年度からすでに看護職員の不足が生じており、

日本看護協会では、今後18歳人口が減る中で効率的な離職防止策を抜きに見通しの数値達成は不可能である と指摘している。また訪問看護師の需要見通しを約28千人としているが少ない、潜在看護師の再就職の見 込みも123千人から137千人としているが、その算定は多いなどの意見もある8

 養成力の強化として看護大学の増加とともに就業促進として都道府県ナースセンターが設置され、再就業、

訪問看護などの促進が図られている。ナースセンター実績報告によると、2011(平成22)年度の求職数 68,199 人、求人数155,058 人、就職者12,398人であり、就職者は事業開始の1981(昭和56)年以降ゆるやか な増加傾向にあったが、平成10年度をピークに減少傾向にある。

 求人者は病院で夜勤のできることを希望するが、求職者は子育て等で夜勤のない就業形態を希望する場合が 多く、マッチングできない状況にあると考えられる。求職者のニーズにあう多様な形態で就業できるシステム の工夫が必要となる。

 以上のように厚労省は診療報酬における看護加算や看護師等の人材確保対策を行うが、効果が上がっている とはいえない。看護職者の増員計画は、現場からの積み上げ方式に変更されたが、日本看護協会の指摘にもあ るように、必ずしも看護職の需要の実態に沿っているとはいえない。また「看護師等の人材確保法」の制定に より看護大学が増加し看護職者の供給も伸びているが、看護職の需要増に見合った充足にはつながっていない。

ナースセンターによる再就業者も少なく、看護職確保策も量的な看護職不足への根本的対策とはいえない。

3.看護教育

 1)高等看護学校(専修学校)

 保健婦助産婦看護婦法が1948年に公布され、翌年厚生省令によって看護学校は日本の看護教育レベル向上 のため、基準の審査をうけて厚生省または文部省の指定校として認可された。看護学校の入学資格を高等学校 の卒業生とし、国家試験の受験資格を得るための3年間の専門職業教育として教育内容の充実、看護従事者の 質的向上、看護業務の重要性を認識し看護の主体的独立を目指した(榊1998)。教育内容や運用上の細部は、

その後に時代とともに変化したが、この制度・教育方針は現在も継続し、平成212009)年には505校、

24,686人が入学している(日本看護協会出版会2009)。また厚生労働省統計報告によると看護師3年課程の専

修学校入学状況は、2007(平成19)年と2011(平成22)年は、20歳以上が4,761人から6,481人に、大学・

短大卒が2,081人から3,286人に増加している。なお2011(平成22)年の競争率は4倍である。

 高等看護学校は戦後より専門職業教育の礎となり、看護職者供給の大きな柱となる。高等看護学校の多くは 病院と密接な関係をもち、歴史的にはその病院の看護師を育成する目的で始められたものも多い。厚生労働省 管轄であり教育機関として不整備で徒弟制度的な側面もあるが、臨床実習の場である病院との連携が強く、専 門職としての知的・技術的、対人関係的な能力が育成されたともいえる。近年は少子化や看護大学の増設に伴 い、高校卒業直後の現役学生の入学が減少し、社会人としての経験者や一般大学卒業者の入学希望が増加して いるが、定員が少なく(多くは1学年定員50名程度)であり、量的にも看護婦不足への対応となっていない。

時代の変化に応じた多様な学生に対する専門職教育が、看護職不足への解決につながるのではないか。

 2)看護系短期大学・大学

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 戦後、女性が大学に入学できるようになり、女性の高学歴化が看護界にも普及した。1952(昭和27)年に キリスト教系の看護学校が相次いで昇格する(日本看護歴史学会 2008)。大学における看護教育も1952(昭和 27)に始まる。全国に先駆けて大学教育を開始した高知県では保健婦は地域住民の中にあり、地域住民福祉で あるという考えに基づき保健婦の市町村の駐在制を実施していた(山崎1998)。この理念の実現のためには、

保健師の主体性の確立と、そのための大学教育が必要とされた。しかしその後、看護系大学の増加はなく 1989(平成元)年では12校であったが、1992年「看護師等の人材確保の促進に関する法律」の制定により看 護大学は急増し、平成212009)年には183校、14,322人が入学している(日本看護協会出版会 2009)。この ように法的整備は看護教育における大学化促進の大きな後押しとなったが、その契機となったのは、1990 頃からの生活水準が高まった社会の変化とともに、静脈注射の取り違えや高温の沐浴で新生児を死亡させるな ど相次いで起こった看護師の医療事故であった。看護婦不足の声とともに「看護教育は何を教えているのか」「看 護婦の質がよくない」といった批判があり(矢野2009;258)、そういった世論の高まりによると考えられる。

看護大学は文部科学省管轄となり、看護学と看護の専門性を追求する教育をめざし(日本看護歴史学会 2008)、大学院も115校となっている(平成238月現在)。大学化は大学院の増加により研究や看護学の確 立とともに、看護職の社会的地位を高めることに寄与した。

 近年、卒業後の実践能力や看護現場への定着状況が問題となり、新卒看護師の早期離職も増加している9 国民の医療への安全意識の向上により、学生は看護技術の修得範囲や機会が制限され、一方では医療技術の進 歩や少子高齢社会の中で、質の高い看護が期待され、看護教育で看護実践能力の強化と統合が求められる。特 に大学は学生数も多く、また教員は他学科教員と同様に学歴と業績等が中心となり、臨床実践経験年数が問わ れない場合も多く、病院との連携が十分できていない場合は、効果的な臨地実習や看護実践能力の強化がさら に困難となる。そして看護実践能力の強化と統合が不十分な新卒看護師にも、あわただしい臨床現場ではすぐに 一人前で実践できることが期待され、その期待に応えられずストレスとなり早期離職となることも考えられる。

以上のような状況で、いくら多くの看護職者を教育しても、離職者も多いのでは、看護職の需要に伴う供給と はならず、看護職不足は解消されない。

 3)認定看護師、専門看護師の育成

 看護職人材の質的向上をめざして、看護界の総意で看護職者の職能団体である日本看護協会は、1994(平成 6)年から専門領域の技術、知識をもつ高度の看護サービスを提供する看護職人材の育成を開始した。認定看 護師の認定方法は保健師、助産師、看護師いずれかの国家資格の保持、特定領域での5年以上の実務経験、認 定看護師教育機関(課程)の修了、認定審査の合格が必要となる。専門看護師はさらに看護系大学院修士課程 修了が必要となる。

 認定看護師数は19分野で9,047人(20128月現在)であり、認定者の多い分野は「皮膚・排泄ケア」「感 染管理」「緩和ケア」「がん化学療法看護」であり、これらは診療報酬上の評価もあり、需要も高いためと考え られる。またすべて医療施設に所属しており、教育開始初期は900床以上の大規模施設のみであったが、近年 300500床規模の病院が多くなっている。専門看護師も10分野で612人(20121月現在)である。認定 者の多い分野は「がん看護」であり、65.5%ががん診療連携拠点病院に所属する10。これは認定看護師・専 門看護師の広告が可能であり、診療報酬上の評価もあるが、看護師の質的向上を図り、よい医療を提供するこ とによる病院の生き残り策とも考えられるが、看護の専門性に対する国民の関心を高め、そして専門職として 探究する看護職にとっての目標ともなり、自立する看護職への力になる。

 専門領域の技術、知識をもつ高度な看護職人材の育成は、量的不足に対する解消とはならないが、知的・技 術的な質的不足への対策ともいえる。

4.高度実践看護師養成の構想

 専門看護師を育成する大学院教育課程が開始され10年余が経過する。日本学術会議健康・生活科学委員会 看護学分科会が、2011(平成23)年9月に、「高度実践看護師制度の確立に向けて─グローバルスタンダード からの提案─」を行う。この提案の背景には、現状の国民皆保険システムのもとで、不採算となる部門を抱え ざるを得ない公的病院は崩壊の危機にあり、とりわけ、勤務医不足の顕在化であった。そのため、看護師がさ

(10)

らに自律的に医療行為を行うことで、より踏み込んだ役割を果たすべきであるという考えである。

 日本における高度実践看護師の実現に向けては、今後の保健医療体制において医学とは異なる看護の立場か ら、何をどのような役割を果たすべきか、十分な検討が必要である。しかし高度実践看護師が、地域の対人関 係専門職として活動する看護職のスーパバイザーとして相談、指導、調整などの役割を担っていくことができ れば、脱医療化において重要な役割となることは確実である。

 現状においては、高度実践看護師を養成するための臨床の場の成熟と、教育方法の開拓が急務であり、看護 職の準医師化では、対人専門職としての質的看護職不足は解消されない。

5.外国人看護職者の導入

2006年に日本とフィリピン経済連携協定(EPA;Japan-philippines Economiic Partnership Agreement)が締結さ れた。協定の発効で2008(平成20)にインドネシアから104人、フィリピンからは2009(平成21)年に93 人が来日し、厚生労働省の発表では、2010(平成22)年度の第100回看護師国家試験の合格者(合格率

91.8%)は、インドネシア人が15人(285人受験)、フィリピン人が1人(113人受験)であった。外国人看

護職者に対する関係各界の反応は賛否両論さまざまである。日本看護協会は、国内の看護師不足を解消するた めの外国人看護師の受け入れには原則賛成できないとしながらも、フィリピンとの合意は看護協会が主張して きた条件11に沿っていることで、概ね肯定的に評価している。日本医師会は、日本語で日本の国家試験を受 験し合格した者を対象にするなど、ある程度の資質が担保されると、基本的には賛成している12。日本医療 労働組合連合会は、送り出す国も深刻な看護師等の不足が発生し、日本の医療関連労働市場に影響を与え、労 働条件の低下を招くと反対の立場を表明している13

 介護保険の実施、在宅ケアの需要の高まりなどケアの社会化が進み、看護職、介護職の必要性は認識されて いる。しかし看護職、介護職不足の原因分析と抜本的な対策なしに、外国人看護職、介護職の導入は安易すぎ るのではないか。単純福祉労働力としての外国人労働者の導入といった在来型の保守的な対処では、対人専門 職としての看護職不足は解決できない。

 以上のように看護職不足に対する対策は行われてきたが、後追い策であり、抜本的な保健医療福祉政策とし て行われていない。そこで、看護職自身が求めたもう一つの看護の世界と潜在看護職者の活用について述べ、「新 しい看護職のありかた」を考える。

Ⅳ.もう一つの看護の世界と新しい看護職のあり方

 「寝たきり老人」が社会的問題となった1970(昭和45)年頃より、病院における看護に限界を感じ、社会で 求められる看護を求め病院という施設から飛び出し新しい看護の世界を切り開いていった看護職者達がいた。

これは解決されない「対人関係的な看護専門職」に対する動き、つまり看護専門職としての質を高めようと、

看護職自ら乗り越えようとする動きといえる。

1.日本で初めて看護師だけで会社を設立した「開業ナース」

 在宅医療・在宅看護は保健事業と開業医師の往診だけだった1980(昭和50)年頃、病院の看護に限界を感 じていた看護職者数人が、真の看護を求めて「看護者の手で在宅看護をひきうけることだ」と何もないところ から走り始め、行政に働きかけ、医療者を含む周囲の人々へ影響を与えていった。1986年に「在宅看護研究 センター」を設立以来,利用者が必要とする看護を,必要とするときに必要な分だけ提供するという、利 用者本位の看護サービス提供を実践した(村松 2011)。病院や施設から独立したこのような看護職者の活 動は,訪問看護ステーションの制度化への開拓者といえる。

2.富山のディサービス「このゆびとーまれ」の活動

 富山の病院に勤務するベテランナース3名が、老いて病み、行き場を失っていく数多くの人々に対する施設 の看護に限界を感じ、独立を決意する。公的サービスの枠にとらわれず、「誰でも必要なときに必要なだけ利

(11)

用できるサービスを」というコンセプトで、地域の中で高齢者も障害者も子供も共に支援する「民営デイケア ハウス」を1993年に開設する(惣万・西村 2003)。高齢者だけだと補助金が交付されるが、乳幼児から高齢 者まで利用するため補助金もなく、独自事業で開設する。この実績から、1997(平成9)年に富山県が「民間 ディサービス育成事業」を創設し、子供から高齢者、障害者が利用できる場と行政の柔軟な補助金制度を併せ た「富山型ディサービス」が誕生した。ここでは高齢者も子供も共にすごす大きな部屋にベッドも一台置かれ、

慢性呼吸不全がある高齢者が臥床する。また看護師は、ターミナル状態の方など必要に応じてケアをし、看取 りを行う。制度があって活動したのではなく、地域のニーズと看護師の情熱・理念があって実践し、その後に 制度がついてきた。「富山型」は福祉関係者の共感を呼び、全国より注目を集める。

 看護職者の強みは、利用者の状態をアセスメントできることである。その時の状態の変化だけではなく、そ の後の予測や判断ができる。在院日数の短縮化、標準化し専門分化する医療の中で、看護師は患者・家族の背 景や価値観を捉え、その思いを理解し支援する時間さえ持ち合わせていない現状がある。看護職者は患者・家 族への支援にもどかしさを感じ、自らそれを乗り越え、地域における対人関係専門職としての道を歩き始めた のである。

3.潜在看護職者の活用

 免許を保持しているが就業していない満65歳までの看護職員を、厚生労働省では潜在看護職者と定義して いる。厚生労働省は2002年末時点の潜在看護職員数の推定では約55万人としている。その後に団塊世代看護 職者の定年退職等もあり、潜在化はさらに進んでいる。

 日本看護協会の「平成18年度潜在ならびに定年退職看護職員の就業に対する意向調査」では、潜在看護職 者の77.6%が医療現場への復帰を望み、さらに復帰に際しての研修や子育て等環境整備を望んでいる。都道府 県ナースセンターもハローワークと連携し、再就業支援を行っているが、潜在看護職者の再就職はあまり進ま ない14。これは潜在看護職者の就業ニーズにマッチしない現状もあり、もっと多様な働き方ができる場、仕 組みが求められる。

 現在、地方の中小病院や保健福祉施設などでの看護職の確保が困難であるが、別の視点では、大規模の急性 期医療施設での再就職をためらう潜在看護職者や働く意欲をもつ健康な定年退職後の看護職者の確保のチャン スともいえる。

 看護職の不足は、就業看護職者の半数近い潜在看護職の存在により、ある面では「作られた不足」「必然的 不足」ともいえる。潜在看護職者は、看護職不足の一因ともされているが、これは戦後日本社会の歴史的変化 の中での医療福祉体制で生じた、いわば構造的展開のひとつの帰結ともいえる。しかし考えようによっては「ポ スト病院の世紀」において「新しい看護職のあり方」の源泉ともなるのではないか。

4.新しい看護職

 現在の多様化したケア世界や少子高齢社会が進む中での脱医療化、「ポスト病院の世紀」の時代における看 護職不足は、対人関係専門職としての看護職者の不足といえる。新しい看護職は、対人関係専門職としての役 割をいかに果たすかにかかっている。

 1)対人関係の専門職としての看護専門職

 専門職の一般的価値は、技術的能力、科学的基準を採用する普遍主義、自分の技術的能力が及ぶ領域にだけ 職務活動を限定する機能的限定性、情緒的関与を避けるとともに客観化の心性を涵養する感情中立性、患者の 利害を自分自身の利害に優先させる集合体志向であるとパーソンズは述べている(高城、2002)。このような パーソンズの機能主義理論に対して、1950年から60年代のアメリカにおいて、福祉・教育・司法・保健医療 といった領域で社会的に不利な立場にある人の救済という基本的な責任を果たしていないという理論が一般に 広まる(伊藤、1996)。日本においても現在、官僚制と同様に権威的で閉鎖的な専門性、専門家が問題となっ ている(藤垣、2003)。

 こういった専門職批判があるが、看護職を歴史的にみると初期は医師の下での小間使いや補助者という役割 であり、現在では急性期化する医療施設において、看護職者は高度専門看護職として治療における医師の看護

(12)

パートナーの役割が期待されている。さらに疼痛コントロール、QOL、インフォーム・ドコンセントなどの 概念が導入され、疾病の変化と国民の多様な医療ニーズに伴い、看護専門職として多様なニーズへの対応が求 められている。看護職は医師のような権威者としての専門職ではなく、対人関係の看護専門職としての活動が 必要とされている。

 対人関係専門職とは、常に接している対人関係であり、持続的、恒常的な接触の専門職である。ホックシー

ルド(Arlie Hochschild,1983)がいうフライトアテンダントのような一時的な対人関係専門職ではない。看護

専門職は医療に関わる専門的知識と技術をもち、援助の対象者の「怖い」などの反応や状態の変化を捉え、そ の人にとって必要な援助を判断し、実施する。その判断こそが専門性であり、対象者との継続的な関わりをも つ対人関係職がゆえに可能となる。

 病院における看護に限界を感じ、社会で求められる看護を求め病院という施設から飛び出し、新しい看護の 世界を切り開いていったナースの地域における活動は、対人関係の看護専門職としての自立的な看護活動であ る。富山のディサービスにおける、高齢者も障害者も子供も共に支援する看護職の活動は、先駆的である。看 護職はさらに地域の様々な人材、資源とつながり、地域のスーパ─マネジャーとしての活動が期待されている。

このような新しい看護の世界を切り開いていった対人関係専門職としての自立的な看護職の活動は、戦後から の看護教育による豊富な看護職の人的資源の蓄積といえる。新たな分野での活動は、医師からの独立性か高く、

他職種との関係や本人の看護観、経験、実力が問われる。医学的治療に振り回されない分、じっくりと看護に 取り組め、主体性が発揮でき、やりがいを感じることができる。反面、医師の判断が得られないことや不明確 な業務領域への不安、周囲の人に看護の仕事への理解が得られないことなどで、自立的な専門職としての活動 を選択しない場合もあるだろう。しかし医療の場で医師とともに治療の場で活動する看護職も必要であり、そ ういった経験がないと自立した対人関係の看護専門職として活動できない。その時々の自分の生活に合った 様々な看護職としての道もあるだろう。現在ではこのような自立した看護職者はまだ少数である。しかし、地 域の中で継続的に実践する看護職者が増加し、業務内容も明確となり労働環境も整うなかで、これまで以上に 地域での自立した看護活動が看護職者の魅力的な選択肢の一つになり、潜在看護職の就業も拡大し、「看護職 の不足」の解決策にもなるのではないか。

 2)「ポスト病院の世紀」時代の看護職

 疾病構造の転換(生活習慣病中心化)や長寿命化、障害者パラダイムの発展により『健康』の概念の意味の 転換が起きている(猪飼 2010)。医療からケアへと脱医療化へと変化し、いわゆる「ポスト病院の世紀」の時 代の到来である。近年の日本の病院は、治療必要度の低い患者は病院での入院治療の対象ではなくなる。その ためには、他職種、地域住民が連携した多種多様の社会資源を動員した包括ケアが必要となる。

 よりよいケアは、ケアの与え手と受け手の相互の満足であり、ケアの相互関係から共に成長することが必要 となる。家族は過去の記憶やしがらみがあり、病気や高齢による認知障害などに対してよいケアができないこ とも考えられ、共に成長することも難しくなる。看護職は、家族のように患者との過去の記憶やしがらみがな く、また限られた時間の中でチームとして関わり、専門的な看護技術を駆使して、冷静に客観的にそして優し く対応できる。もちろん看護職者・介護職者など援助者は家族の役割を代替できないし、家族しかできない援 助もあるだろう。そして看護職者も自分の親の介護をする場合、よいケアができないことも考えられる。した がって家族ではない専門的な援助者が中心的に関わることで、よいケアが可能となるのではないだろうか。看 護職は対人関係専門職であり、さらに身体に関わる科学的根拠をもち看護を実践する2つの専門職である。看 護職は、他職種・地域住民と連携し、「ポスト病院の世紀」においてケアの中核的専門職として役割が求めら れる。そのためには、医学とは異なる看護の立場から、高度実践看護職の育成が必要となる。医師法と保助看 法との関係の見直し、高度実践看護師教育とその認証制度、経験を積んだ看護師の役割拡大と高度実践看護師 との関係や地域で活動できる環境整備など課題は多い。

(13)

Ⅴ.結語

1.看護職の不足の諸要因と意味の変化

 看護職不足の諸要因は、戦後の日本社会における病床の増大、医療技術の進歩、疾病の変化と国民の医療ニ ーズの増大、少子高齢社会と医療と福祉の接近などであり、看護職の需要に供給が伸びない結果である。また 不足の内容からみると量的側面と質的側面の不足がある。量的不足は看護職数の不足であり、質的不足は知的・ 技術的専門職としての不足と対人関係専門職としての不足がある。

 戦後の高度成長期における繰り返された基本的な看護職不足は、主として病床数に対する看護職者数であり、

さらに医療技術の変化に伴う知識・技術的な面での看護職不足であった。1990年代以降の少子高齢社会、疾 病構造の変化した時代では、それに加えて対人関係専門職としての不足が起こっている。つまり看護職不足は 戦後の日本社会の歴史、医療福祉体制の中で変化し、いわば構造的展開をしているといえる。「ポスト病院の 世紀」の看護職不足は、対人関係専門職としての不足であり、その意味も変わっている。  

2.新しい看護職のありかたと提言

 看護職不足は戦後の日本社会の歴史、医療福祉体制の中で変化し、いわば構造的展開をしている。したがっ て今後は従来の医療施設中心の保健医療福祉政策ではなく、新しい看護職者の育成と確保政策が必要である。

 新しい看護職は、①高度医療が進展する中、高度専門看護師として急性期医療や救急時のトリアージ15 できる看護職であること。②「ポスト病院の世紀」における看護職は、対人関係専門職として他職種・地域住 民と連携した援助活動の中核的専門職としての役割を果たすこと。③潜在看護職者はその「新しい看護職のあ り方」の源泉になりえる。そのためにも潜在看護職者が地域で活動を希望するような環境条件の整備、たと えば生涯教育的な地域専門看護師の育成や労働環境の整備が重要となる。さらに地域で活動する看護職者、

介護職者が行き詰まったときに相談できるスーパバイザー、コンサルト、調整役として④地域における高度実 践看護職が必要である。現在の地域看護に関する大学院での育成や認定看護師、専門看護師育成では不足する。

病院施設における急性期看護を実践した看護職が、地域での看護を希望した場合や離職した看護職者がいつで も勉強できるための「地域看護の専門大学・大学院」を全国に創設する必要がある。

補注

(1)保健師、助産師、看護師、准看護師をいう。

(2)厚生労働省「医療安全の確保に向けた保健師助産師看護師等のあり方に関する検討会」第1回資料

(3)就業者数、新卒就業者数、離職者による推計では、離職者10.2万人のうち再就業者は6.9万人である。

(4)厚生省大臣官房統計調査部「病院月報」「医療施設調査」によると、1955(昭和30)年からの10年間で、民間病院の 病床数は198,096床から424,224床へと、約2倍に増加する。

(5)看護職員の構成は看護婦・准看護婦・看護補助者の比率は442であった。

(6)これまでの「21」「31」という表記は実際の看護職員の配置数を正しく表していなかった。以前の比率で言えば「1.4 1」となり、看護職員が多く配置され、患者、家族にも病院も収入面でメリットがある。

(7)昭和60年には、数字的には100%需給率となる。しかし実態は、看護の夜勤体制、いわゆるニッパチ体制(2人夜勤、

8日以内)は、昭和40年(1965)に人事院判定が出たにもかかわらず、未完全実施の状態であり、看護職者の厳し い労働条件も続いていた。

(8)日本看護協会ニュース(20128月号)で、専務理事の菊池令子委員が指摘する。

(9)病院就職後1年以内の離職率は11.9%である(201163日、日本看護協会「日本の医療を救え」資料より)

10)日本看護協会広報部のNews Release2011726日)による。

11)日本人看護師の雇用や労働条件の低下への懸念から、外国人看護師受け入れ条件(①日本の国家試験の受験・合格②安 全なケア提供できる日本語能力③日本人看護師と同等条件以上で雇用④看護師免許の相互承認は認めない)を提示する。

12)「日医NEWS1042号(200525日)青木重孝氏のインタビュー記事。

13)日本医療労働組合声明、2004928日、日本医療労働組合中央執行委員井上久氏のインタビュー「BUSINESS Labor Trend」(200412月)

14)潜在看護職5565万人のうち再就業者は8.0万人(日本看護協会「日本の医療を救え」201163日)

15)災害時などの緊急時に最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を 決定すること。

(14)

引用文献

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参照

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