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臺灣布政使司衙門跡

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臺灣布政使司衙門跡

著者 松浦 章

雑誌名 阡陵 : 関西大学博物館彙報

巻 33

ページ 4‑5

発行年 1996‑09‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00024156

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豪潤布政使司術門跡

中国の史書に古く夷州、東蜆等と記されてい るのが現在の台湾と言われている。台湾の記録 が明確になるのは明清時代になってからのこと である。特に17世紀の初めに、オランダ東イン ド会社が東アジアヘの拠点としてタイオワンと 呼称された現在の台南市の安平を占拠して以降 のことである。その後、日本で国姓爺として知 られる鄭成功が台湾を反清復明、即ち満洲族の 建てた消朝を倒して漢民族の明朝を再び復興す る根拠地としたが、彼は志半ばで死去し、さら に彼の孫の鄭克壊の時代に清朝に降伏したため、

台湾が清朝の支配の中に入ったのである。清朝 時代の台湾統治の拠点の一つであった布政使司 衛門の建造物の一部が、台北市内に残されてい

るのでここに紹介したい。

清朝が台湾に府治を設置して統治を開始した のは、康熙二三年 (1684)のことである。台湾 府を設けて福建省に隷属した。その台湾府の治 所は現在の台南市に設けられた。台湾府には諸 羅縣、鳳山縣、台湾縣の三縣が設けられた。諸 羅縣と台湾縣は現在の台南市及びその近郊にほ ぼ該当し、鳳山縣は現在台湾における第二の大 都市である高雄市とその近郊を含む地にあたる。

このことからも明らかなように、清朝の台湾支 配は台湾の西南部から始まったのである。

台湾は高温多湿の気候であるため植物の栽培 に適しており、清朝時代は産米区として有名で あった。とりわけ、人口が多く耕作地の少ない 対岸の福建省は他省に米の供給を仰いでいたた め、福建省にとって台湾は米穀供給地として璽 視されていた。さらに、豊かな農業生産力を有 していた台湾を目指して福建、広東省からの移 民も多かったのである。清朝は治安維持の関係 から大陸から台湾への民衆の渡航に制限を設け たが、禁令を無視して多くの人々が台湾に渡っ たのである。特に福建省の南部にある夏門(ア モイ)は台湾への渡航の窓口であった。このた

松 浦 章

め福建南部の人々の台湾への渡航に占める割合 が高かったと言われる。この結果、長らく台湾 南西部の台湾海峡に面した沿海地区が開墾の中 心地であったのである。

清朝は台湾統治を重視するため光緒十一年 (1885)九月に福建巡撫を台湾巡撫と改め、台 湾巡撫を設置した。さらに、光緒十三年(1887) 二月には台湾を福建省から分割して、台湾省と

した。このため台湾布政使司衛門を台北に設置

したのである。台北に府治が設置されたのはそ れより少し古く光緒元年 (1875)六月のことで ある。両江総督の沈保禎の上奏により台北に一 府三縣を設けることになり、府治は猛押付近に 置かれた。現在の台北市の猛評である。台北府 は淡水縣、新竹縣、宜蘭縣の三縣と基隆庁を管 轄した。

台湾省は台湾巡撫のもと布政使、按察使がお り、その下に台南を統治する台湾知府、台北を 統治する台北知府がいた。

台湾の布政使司術門はもとは、現在の台北の 中山堂付近にあり、清朝時代にあっては官庁街 を形成していたのである。ここに紹介する旧時 代の布政使司術門の建造物は台北市内の植物園

内にある。植物園は重慶南路、南海路、和平西

路、愛国西路に囲まれた地にある。植物園は、

もと1896年日本統治時代に台北城の南部に台北 苗圃として建設したのが始まりで、その後、周 辺の地を購入し拡大して1939年には台湾総督府 林業試験所植物園となり、一般に植物園と略称 され、今日まで続いている。この植物園内に布

(写真1)r日時の台湾布政使司街門

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政使司街門の建造物が残されたのである。それ は、この建物が林業試験所の職員宿舎として利 用され、さらに1964年以降には「林業陳列館」

として使用されていた。しかし、破損がひどく 1989年にはそれも閉館となった。その後、文化 財の保護の観点から修復され旧時代の布政使司 衝門(写真1)の建造物を再現することになっ たのである。

現在残されているのは布政使司衛門の頭門

(写真2)である。頭門内の構造は中庭があっ て儀門があり、さらに進むと大堂があり公務の 場となっていた(写真3復元図参照)。頭門に向 かって右手の壁に中華民国五三年 (1964)四月 の期日で台湾省林業試験所所長が記した「修建 築林業陳列館記」が納められている(写真4)

それには、この布政使司街門の建造物が光緒十 九年 (1883)に建てられたことが知られる。現 存の建築物は布政使司衛門の器防局の一部であ った(荘展膜氏編 「台北古城之旅j遠流出版事 業股分公司、 1992年3月、 94 95頁参照)。

高温多湿の台湾にあって110余年前の建造物 が修復され残されていることは、消代の歴史を 研究するものにとって重要な史跡である。中国 大陸にあっては北京の故宮等の中央政府関係の 建造物は知られるが、現代化を進める現状では 清代の地方衛門の建造物が現存している例は希 有のことである。その意味でも、大都会の中に 保存されている布政使司街門の建造物は貴重で

ある。

この布政使司術門の建造物に案内し御教示下 さった台湾大学歴史系の徐私教授に末筆乍謝意 を表したい。

(写真2)台湾布政使司衝門頭門

(写真3)台湾布政使司衝門の復元図

(写真1、3は荘展鵬氏編「台北古城之旅」遠 流出版事業股分公司、 1992年3月、 94 95頁参 照による。)

(写真4)「修建林業陳列館記」

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