東アジア共生意識の可能性 : 義理の問題を中心に
著者 李 知蓮
著者別名 LEE Jiyeon
その他のタイトル The possibility of symbiosis consciousness for East Asia
ページ 1‑129
発行年 2014‑03‑24
学位授与番号 32675甲第329号 学位授与年月日 2014‑03‑24
学位名 博士(学術)
学位授与機関 法政大学 (Hosei University)
URL http://doi.org/10.15002/00010259
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博士学位論文
論文内容の要旨および審査結果の要旨
氏名 李 知蓮 学位の種類 博士(学術)
学位記番号 第543号
学位授与の日付 2014年 3月24日
学位授与の要件 本学学位規則第5条第1項(1)該当者(甲) 論文審査委員 主査 教授 田中 優子
副査 教授 屋嘉 宗彦
副査 法政大学名誉教授 堀江 拓充
東アジア共生意識の可能性―義理の問題を中心に―
この論文の方法と意義
本論は三つの視点を持っている。第一は、現在の世界において、真に必要とされる価 値は何か、を問う視点である。第二は、国や民族がその「固有性」を主張する精神や価 値観が狭小な世界観や排他性を生むことになるのであって、むしろ共通性に目を向ける べきだという視点である。この視点は、「固有性の研究」を「共通性の研究」にシフト させるものである。この視点によって、本論の比較文化は、従来とは異なる使命をもっ た。第三は、捨て去った価値観のなかに存在する、未来への可能性である。この視点に よって、本論は歴史を単に過去のものとして研究するのではなく、現在と未来に活かす ものとしての研究になった。
そのような観点から考え、本論は明瞭な価値観を持ち、それに基づく困難な実証を実 現した論であり、博士論文として認定すべき、意義あるものと判断する。
論文の目次 はじめに
序章 様々な義理論
第 1 節 東アジアという視点 第 2 節 義理研究の代表者、源了圓 第 3 節 土居健郎―甘えと義理 第 4 節 さらなる論者たち まとめ
本稿の方法
2 第 1 章 東アジアの倫理意識と義理
第 1 節 東アジアとは何か
第 2 節 異文化の間を通底するもの 第 3 節 経典の思想と義理
第 4 節 先義後利と義理研究 まとめ
第 2 章 言葉の義理、行動の義理 第 1 節 動物の行動から読まれる義理 第 2 節 生活の原始性と循環する社会 第 3 節 掘り返すことの意味
まとめ
第 3 章 事例から
第 1 節 贈与の文化と義理
第 2 節 つながりの意味と義理堅さ 第 3 節 義理と友情
第 4 節 忠の本質と義理人情 第 5 節 義理の今、そして社会問題 まとめ
終章 東アジア共生意識の可能性と義理の問題
それぞれの章の要旨と評価 序章 様々な義理論
・概要
ルース・ベネディクトをはじめ、源了圓、土居健郎、長野晃子、渡辺京二などを取り 上げ、今までどのように「義理」が論じられてきたかを、概観している。共同体の問題 として、親子関係の問題として、世界普遍の倫理観として、あるいは幻想の問題として、
様々な観点の義理論が存在したこがわかる。さらに本論の方法について述べられてい る。「義理」という言葉のみを追ってゆくと、そこには単なる「義務」としての表面的 な義理が無数に現れる。そこで「行動」もまた研究対象とすることが述べられる。
・評価
これら先行研究を概観することで、論者は、従来の義理論が過去の共同体の慣習とさ れ、さらに、日本人のアイデンティティーを保証するものとして、日本独特であると規
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定されることを批判する。「義理は正しい働きをする時にこそ人間社会に普遍的な価値 観念として位置づけられるもので、そういう意味では西洋も東洋も関係なく、共同生活 を営む諸々の民族の日々の生活とともに存在するのである」というのが、論者の出発点 である。その意味において東アジアの共生を可能にする意識として能動的に捉え、その 実態を、言葉のみならず行動からも研究しようとする。
第1章 東アジアの倫理意識と義理
・概要
本章では、なぜ論者が東アジアを問題にするのかが述べられている。中国、韓国、日 本の「違い」が特に話題にされるなかで、共通点に注目したときに見えて来るもののひ とつが「義理」である。
そこで、中国の先秦時代からの思想用語としての義理を概観する。その過程で明確に なるのは、儒教、仏教、朱子学、道教などで義理は論じられるが、それが庶民生活や人 間関係の中に浸透するのは物語や芸能を通してであり、それらが、とりわけ人の行動に 影響を及ぼした、という事実であった。論者はそれを、実際の物語および、韓国と日本 の商人道徳の中に発見する。
・評価
「義理」論は、やはり儒教思想の用語としてどのような意味と働きをもっていたか、
という出発点をおさえておかねばならないだろう。しかし論者は、その出発および、そ れが拡大して仏教、道教、朱子学の中で使われていた状況を基本にしながらも、人々の 生活上の倫理意識になる過程やその実際は、学問思想だけを見ていてもわからない、と 考える。義理は人が生きる現実の中に入り、社会を運営している際に発揮されるのであ るから、この考えと方法は評価できる。
通常の学術論文であれば、本章のような場で古典思想と古典文学、伝統芸能、商人の 家訓などから、次々と言葉の事例を示し、その意味の範囲を確定することだろう。論者 も執筆の過程で、古典の膨大な事例を集めた。しかし本論ではそのごく一部しか使わな かった。それは次の章で明らかになるように、本論が義理の学問的な「範疇確定」を目 的にするのではなく、現代の日本、韓国でどのように機能し、また今後、どのように働 きうるか、という哲学的な課題が目的だからである。
第2章 言葉の義理、行動の義理
・概要
新聞記事、エッセイ、説話、映画を取り上げ、そこで、犬、鳥、猫、牛に託されて語 られる「義理」を論じた。思想として語られるのではなく、日常の言葉で、しかも人間 以外のものに託されて語られるという現象に、論者は、人々の日常の心情に内在化され た義理の様態を見る。
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また、モースがメラネシア、ポリネシア、アメリカ先住民、インド、古典古代などの 資料を豊富に用いながら『贈与論』を展開したことをふまえ、義理という言葉が使われ ていない「贈与」の現場に、義理がかかわっていることを論じた。日本における「一宿 一飯の恩義」や、危機の時に表に現れる「相互扶助」も、まさに義理の現場として捉え られている。本論は、義理が言葉として現れる現場と、行動として現れる現場とを対象 にしている。
・評価
「義理というのは、毎日を生きる人間の心情と結びついているところにこそ普遍性が ある」というのが、論者の主張である。思想用語としてのそれではなく、生活の中に現 れ、現実の人間関係を成り立たせている内在化された価値観こそが社会を支え、社会を 変えるからである。本章ではその立場に立った上で、世界的に議論されている「分配」
と「平等」の問題、エネルギー消費の格差の問題にも言及する。それは、かつて東アジ アが共有していた義理が、その本質において現代の自由主義経済の欠点を乗り超える働 きをする可能性があり、先進国の抱える現代社会全体を包み込む課題につながっている からである。
このような姿勢が本論の特徴である。研究にとどまらずその働きを評価し、役割を再 認識し、実際に役立てる価値観として明確に提起している。
第3章 事例から
・概要
贈答の慣習とその形骸化を事例に挙げた箇所では、その形骸化に問題がある、という 主張が予測される。しかしそうではない。ここでは山岳関係の雑誌記事を事例に挙げな がら、「つながりの意味を知ること」「助けてくれた人のことを忘れないこと」が、東 アジアの生活文化における義理の意識の本質であることを発見し、そこから、形骸化さ れた慣習の中にも実はそれが秘められており、市場の戦略だと言いながらも否定せずに 実施する贈答行動は義理の実践であることが語られる。
また本章では縦ではなく横につながる義理こそ必要であることが語られるが、それは また、捨てきれない義理の中に生きる人間の発見でもあった。映画『共同警備区域 JSA』
や『チング』の事例では、彼らにとって贈与や義理は形骸化された「伝統文化」などで はなく、のっぴきならない生死を分ける状況の中での精一杯の表現であることが分か る。
その他この章では長谷川伸一論、日本映画、東日本大震災の時の言説など多様な事例 が語られている。
・評価
義理は韓国でも日本でも、縦社会の象徴として、あるいは縁故社会の欠点として、切 り捨てられた。しかし論者は様々な事例から、縦社会構造のなかでの「忠誠」だけでな
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く、横につながる関係としても伝承されてきたことを明らかにし、それこそが今後の社 会で機能するものだ、とした。とりわけ、国家への統一と忠誠が義理と結びつくことが あり、そのことは、義理が今後も注意深く扱わなければ、権力関係に利用される観念で あることを示している。
本章は事例が多岐にわたるために、主張が多方面に拡散しているように見える。その 意味では、さらに整理が必要であろう。しかし本章のテーマは全体としては「権力と義 理」である。国家、組織、姻戚関係において、内在化された倫理観が利用される事例は 義理に限らず枚挙のいとまが無い。その被害を避けるために形骸化が起こったり、批判 や切り捨てが起こる。が、その結果、本質的で重要な機能まで失うことになる。その責 任は義理にあるのではなく、それを利用する人間の側にある。そのことを事例をもって 明らかにした点で、この章は評価できる。
終章 東アジア共生意識の可能性と義理の問題
・概要
この章では、さまざまな義理の論や事例を前提にして、それでも存在する「共通点」
に注目している。それは「相互扶助を可能にする共同性の意識としての義理」であり、
具体的には「誰かと一緒に生きるという自覚から生まれる、気持ちをこめた贈与行為、
外圧に屈しない共存への果てしない追求、恩義に対する感謝、危機的状況における助け 合い」であると述べる。それは「金銭的な利益や何らかの対価がなくても喜びを得られ るような、人間の心情が本質的に求めるもの」である、と。
この心情はすでに孟子が指摘している。しかし孟子が発見したわけではない。「孟子 にしろ誰にしろ、そういう人間性を発見し、よく観察し、あとから言説をつけて観念化 した」のであり、その人間性、つまり我々が義理と表現しているところのものが「広が ることができた決定的な理由は、人々に既にそれらの教義に対する心当たりがあったか らではないだろうか」と結論する。
・評価
終章では「共生意識の可能性」の理由を述べている。むろん人間には悪意や欲望を含 めた様々な面があるわけだが、備わった要素に名前をつけ評価することによって、その 要素が認識され、社会的に賞賛され、行動に移しやすくなる。この章に至って、本論が 単に義理の普及を主張するものではなく、排外的なナショナリズムを超える方法として 提起していることがわかる。
論者が北朝鮮との緊張関係のなかに生きる韓国人であることを念頭に置いて、この論 文は読まなければならない。その脈絡の中で読むことで、排外的ナショナリズムが単に さまざまある思想信条のひとつなのではなく、危険きわまりない、切羽詰まった問題で あることに気付く。なぜ同じ民族が対立を乗り超えられないのか、という問題は、なぜ 国家や民族が異なるというだけで対立するのか、という問題とつながる。生活を基盤に
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した共通点を意識化すること、そのために研究することの緊急性が、本論では語られて いるのである。
論文全体の評価と審査結果
以上、各章に沿って評価を述べてきたが、全体として本論は、
1、研究論文であるが、その背後には時代の危機感があり、その意味で時代特有の論で ある。
2、「義理」は生活上の価値観であり、今まで学問が本気では取り組んで来なかった。
学問が対象にするとしたら、思想史において、儒教の複数の観念のひとつとして扱うだ けであった。その意味で、先行研究の数はありながら、その内容は薄い。先行研究の薄 さの上に、新たな視点を作り直した。
3、結果として、まだ事例研究や調査研究に不足している側面がある。しかしその不足 から、この課題は、哲学の方向にも、文化人類学の方向にも延ばしてゆくことが可能で あることに気付かされた。すなわち、人文科学、社会科学に、新たな研究課題を提供し たということができる。
4、論文の核は「共生のための意識」であり、その意味では、東アジア比較文化論の枠 を超えて、普遍的な「正義」や「分配」の議論と交叉する。自由主義経済と資源の枯渇 が予想されるなか、各国で危機に備えた論争が始まっており、東アジアが世界に対して、
その議論の枠組みを提供できる可能性を示唆した。
以上のことから、本論は博士論文として認定する価値があるものと判断する。