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南イタリア・プーリア州における都市と地域の空間 史

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著者 稲益 祐太

著者別名 INAMASU Yuta

その他のタイトル History of Urban Spaces and Territorial Areas of Puglia in Southern Italy

ページ 1‑165

発行年 2018‑03‑24

学位授与番号 32675乙第233号 学位授与年月日 2018‑03‑24

学位名 博士(工学)

学位授与機関 法政大学 (Hosei University)

URL http://doi.org/10.15002/00014639

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学位論文

南イタリア・プーリア州における都市と地域の空間史

2017 年度

法政大学大学院デザイン工学研究科

稲益 祐太

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2

目次

第 1 章 序論

1-1.本論文の背景と目的

(1)本論文の背景

(2)本論文の目的

(3)研究方法

1-2.先行研究の成果と本論文の位置付け

(1)建築史研究

(2)民家研究

(3)都市史研究

(4)テリトーリオ研究 第 2 章 変容による収束的都市形成 2-1.はじめに

(1)背景と目的

(2)既往研究

2-2.ガッリーポリの建築類型

(1)前庭型住宅

(2)中庭型住宅

(3)袋小路型住宅

(4)パラッツォ

(5)宗教施設

2-3.ガッリーポリの都市空間

(1)街路構成

(2)主要道沿い

(3)街区内部

(4)外縁部 2-4.まとめ

第 3 章 拡大と再編による都市形成 3-1.はじめに

(1)背景と目的

(2)研究方法 3- 2.モノーポリの建築類型

(1)各階 1 室住宅 1.階段室型 2.室内階段型 3.共有階段室型

(2)各階複数室住宅 1.階段室型 2.共有外階段型

(3)パラッツォ

3-3.モノーポリの都市形成過程

(1)中世初期の都市核と 16 世紀の都市整備

(2)街路パターンと建築分布

(3)中心広場の整備と都市施設の立地

3-4.テッラ ・ ディ・バーリの海岸沿いにおける田園地帯の空間構造     (1)大土地所有制の農地における作付け状況

    (2)田園の土地利用 3-5.まとめ

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・001         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・002

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・005

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・013

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・014

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・016

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・035

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・046       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・049

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・050

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・052

      

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・070       

・・・・・・・・・・・・・・・・・・076

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・085

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3 第4章 面的拡大による拡散的都市形成

4-1.はじめに

    (1)研究の背景と目的     (2)研究方法

4-2.コンヴェルサーノの都市組織の変容過程

(1)チェントロ・アンティーカ地区

(2)カサルヴェッキオ地区 1.「魚の骨」型都市組織 2.「魚の骨」型街区の建築類型

(3)カサルヌオヴォ地区 4-4.住宅の建築類型

(1)直交外階段型

(2)平行外階段型

(3)階段室型

(4)共有階段室

(5)パラッツォ 4-5.ムルジェ台地の地域構造 4-6.まとめ

第5章 移牧と農耕が共存する地域の空間構造 5-1.はじめに

(1)研究の背景と目的

(2)先行研究

5-2.牧羊業に関する制度の変遷 5-3.放牧のための移動路

5-4.牧羊業税関管轄冬季放牧租借地内の用途構成 5-5.土地利用

(1)フォッジア牧羊業税関冬季放牧租借地図集

(2)ポスタ

(3)タヴェルナ

(4)農地

5-6.山岳都市の地域構造

(1)居住地

(2)山岳都市の居住空間

(3)都市の周辺部

(4)都市の立地分布からみるテリトーリオ 5-7.まとめ

第6章 結論

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・089    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・090

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・092

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・124

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・128

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・133

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     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・136    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・137   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・140         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・142

           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・148

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・157

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・162

(5)
(6)

第 1 章

序論

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2

1-1.本論文の背景と目的

(1)本論文の背景

イタリアにおける「南」の意味

 イタリアと一口に言っても、現在のような国家の形になるまでには、様々な過程を経ていることは 想像に難しくない。特に、イタリアは都市国家の国としてよく知られ、それが近代になってやっと一 つの国家を形成したことはよく知られている。しかし、そのなかで「南イタリアは、集権的な君主制 国家が広い領域を一円的に支配して、王朝の交代をへながらもこの体制が国家統一のときまで続い た」。

 本論文が対象とするプーリア州を含む南イタリアでは、古代はターラントがギリシャ植民都市とし て発展、その後、紀元前326年から476年まではローマ帝国、およびビザンツ帝国領にあったが、5 世紀頃からヴァンダル人、東ゴート人が進入、553年からはビザンツ帝国領に、568年からランゴバ ルド族が占領する。9世紀になるとサラセン人(イスラム教徒のアラブ人)がしばしば沿岸まで侵入 してきた。838年にはブリンディシが強奪にあり、ついに840年にはターラントが占領されてしまった。

しかし、その後フランク王国によりイスラム教徒を追い出すことができた。875年にロドヴィコ2世 の死後、ビザンツ帝国は再びバーリを占領し、地方行政単位である軍管区テマ・ロッギバルディアス

Tema di Longobardia

)の首都となる。一方で、この時期には沿岸部の都市ではユダヤ人コミュニティ

も見られた。

 1016年からはノルマン人による支配が始まる。この頃にプーリアのロマネスク教会が建てられる。

1194年にはホーエンシュタウフェン朝に、1198年にはフェデリコ2世が即位する。1266年からはア ンジュー家のカルロ1世が王位を奪い、1442年にはスペインのアラゴン王アルフォンソ5世が南イ タリアを征服した。その間、沿岸部はオスマン帝国とヴェネツィア共和国によってしばしば侵略を受 け、1480年にはオートラントがオスマン帝国の侵攻によって約800人の死者を出した。1504年から はスペイン副王時代となる。1707年から1734年まではオーストリアが支配するが、すぐにスペイン・

ブルボン家が両シチリア王国の王に即位する。1806年にはナポレオンのフランス帝国がナポリ王国 を征服する。その後、妹婿のジョアシャン・ミュラがナポリ王として即位するが、この時期に近代の 萌芽を見ることができる。1815年から1859年まで再び、ブルボン家の手に戻る。そして、1861年に イタリア王国のもとに統一され、こうして現在のように「イタリア」の一部となる。

 しかし、ネーションとしてのイタリアが形成されていくに従い、都市共和国の文化を持つ北イタリ アと集権的な君主制下になった南イタリアの文化や社会のあり方の差異が認識されるようになった。

それが、「社会の発展度という基準が導入され、両者は進歩と後進の関係として位置付けられる」。そ れは格差として問題にされたのが南部問題であり、特に経済面での差はいまだに解消されず、またい まだに課題とされている。しかし、それはむしろ遅れと停滞のイメージを固定化しているとも言える。

そこで近年では、北との比較での南の固有性ではなく、「南イタリア内部の多様な南部、社会と文化 の固有のあり方としての南部を理解しなおす」動きも見られ始めている。

(8)

3 イタリア都市史研究における「南」

 このように、プーリア州は地中海世界のなかでも、様々な外国文化の影響を受けてきた地域である。

そのため、それぞれの時代の特徴ある建築文化が都市空間に重層的に蓄積している。また、プーリア 州は石造文化圏のなかでも特にその傾向は顕著で、壁体だけでなく、天井や屋根までも全て石で作ら れた建築が多い。そのため、トゥルッリのような個性的な民家や、彫塑的な造形のモニュメント建築 はしばしば研究対象となってきた。一方で都市史研究の分野では、都市国家の文化が根強いイタリア においては、ナポリやパレルモなどの「王都」を政治の介入や文化の流入という視点から捉えること はあっても、自律的な都市の形成・発展を見出しにくい南イタリアの都市に関しては、研究が遅れて いた。特に、プーリアをはじめとする、その下に置かれた都市や地域については、イタリアにおける 都市の一類型として捉えられることが少なかった。

地域形成における「南イタリア」的都市群の様相

 このような背景のもと、プーリア州の地域構造においては、一極集中型ではなく、多数の中小都市 群がネットワークを形成するようになった。実際、現在の州都であるバーリ周辺を描いた図では、ア ドリア海沿いの港町と内陸の町がそれぞれ結び合わされて示されている(図 1-1)。それは、近代以 前の南イタリアにおける広範囲の「領域(領土)」のなかに生まれた生活・経済圏としての広域空間 であり、地域特性を反映した地域構造を作り上げてきた。このような地域のあり方や形成過程、また その背景を明らかにすることは、多核・ネットワーク型都市圏の必要性が唱えられている国土のグラ ンドデザインや広域都市圏の問題において、行政単位ごとの政策や社会資本整備ではなく、地域間連 携や相互補完などの都市圏づくり、地域づくりに対して、広域空間の形成という考え方のモデルを提 示するものとなる。

 また、ここで示される広域空間としての地域とは、高機能化した点である都市どうしを交通インフ ラである道路や鉄道などの線で結んだものではない。それぞれの都市核は、その周囲を取り囲む田園 地域とも密接な関係性をもっている。イタリアのなかでも農業生産地域であるプーリア州では、田園

図 1-1 バーリ周辺を描いた 17 世紀頃の図

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4

地域に農業集落がほとんど形成されず、農業従事者も市壁で囲繞された都市内に居住するのが一般的 であった。市街地域と田園の空間的な差異は明確であったが、それらは一体となって一つの都市域を 形成していたのであり、点と線で構成される地域ではなく、面としての地域像を示してくれる。都市 と周辺環境との繋がりのあり方に焦点をあてることは、産業や商業、余暇など都市の高次機能の発展 だけでなく、環境資源との関わりや地域の自然環境に応じた暮らしが求められる時代の新たな都市圏 の形成の必要性がその背景にある。

(2)本論文の目的

 そこで本論文は、プーリア州の諸都市を対象として取り上げ、そこにおける街区の形成や建築類型 に言及し、都市とその周辺地域の発展過程について明らかにすることを目的とする。従来、建築類型 学的手法による分析においては、空間構成の変化として背景として都市の社会・経済的状況が考慮さ れてきた。しかし後背地である田園地帯に着目し、都市の存立基盤としての地域の空間構造について も解明し、都市内の建築形態においても大きな影響を与えていると考える。そこで、「テリオーリオ」

の視点を持ち込んで地域の姿を把握する。イタリア語であるテリトーリオは、英語のテリトリーと同 様、領土・領域という意味で行政界を指す。しかしそれだけでなく、都市とその周囲を含んで形成さ れる地域を示すことがある。植田曉はそれについて、「イタリアでは生活の場としてのまち、生活を 支える田園、それらの受け皿となった自然をひとつの関係として語る際にテリトーリオと呼ぶ。ただ し、複数のまちが相互に依存し、ひとつの歴史的・社会的・経済的関係、また文化圏を築いている場 合には、ひとまわり大きな規模のテリトーリオとして語る」1)と説明している。本論文はこの視点か ら、田園地域の農地の耕作状況や土地の所有形態などを明らかにし、プーリア州の都市の特質を明ら かにしていこうとする試みである。

 まず、道路や街区、敷地割といった都市組織に注目しながら都市の形成過程を復元し、そこに建つ 建築の類型を把握する。そして、都市を支える後背地である田園地帯にも着目することで、都市内に 建つ建築の空間構成と都市の社会・経済的背景との関連性を考察する。さらに、農地の耕作状況や土 地の所有形態などから、地域の空間構造を明らかにする。自然環境や近隣都市との関係などの周辺環 境によって都市の立地条件は異なる。それにより、それぞれの都市は異なる形態を取るが、そこに至 るまでの形成過程や空間構成に原理がいかに介在しているかを考察する。そして、それぞれの都市構 造を比較することによって、形成する地域(テリトーリオ)の特質、固有性について議論していく。

(10)

5

1-2.先行研究の成果と本論文の位置付け

(1)建築史研究

 プーリア州における歴史的建造物に関する建築史分野での研究については、イタリアの他の地域 と同様に、教会や邸宅などの建築様式に関する研究の蓄積がある。アルフレッド・ペトルッチの

Cattedrali di Puglia(1960)2)は、ロマネスクからバロックまでの主要都市の大聖堂の来歴について

記述している。また、プレロマネスク3)、ロマネスク4)、ルネッサンス5)、6)など、各時代の建築を網 羅的に扱ったものが刊行されている。

 特に、独自の地域性を持つロマネスクとバロックの様式建築については、研究が進んでいる。ヴィ ンチェンツォ・カッツァートやマルチェッロ・ファジョーロらの研究7)は、プーリア州におけるバロッ ク様式の教会や邸宅からバルコニーや門などの建築要素までを、各都市ごとに整理している。そのな かでも、特にプーリア州南部のレッチェを中心としたサレント地方は、レッチェ風バロック

Barocco

Leccese

と呼ばれる独特の様式を持ち、それに関する研究が行われている8)、9)、10)。マウリツィオ・カ

ルヴェージとマリオ・マニエリ・エリアは主に教会建築を11)、マリオ・デ・マルコとピエルルイジ・

ボロニーニはパラッツォ(邸宅)の様式を扱っている12)。ミケーレ・パオーネは、都市空間のなか で舞台装置的なバロック建築とは異なる、修道院やパラッツォの中庭や裏庭などを対象にしている

13)

 また、城塞や塔などの軍事施設に関する研究は膨大にあり、刊行されている出版物は論考とカタロ グを併せたものが多い。ジェンナーロ・バチーレ・ディ・カスティリオーネのCastelli Pugliesi(1927)

14)のように、古くから刊行されている。ラッファエレ・デ・ヴィータ編のCastelli, torri, ed opere

fortificate di Puglia(1974)15)では、プーリア州内の城塞、塔、その他軍事施設を一つずつ取り上げ、

建設年代や増改築の過程、建築的特徴について記している。アドゥイーノ・サバト編のLa Puglia dei

Castelli(1994)16)では、特にホーエンシュタウフェン朝時代の城塞に関する論考がある。クララ・ジェ

ラオとジャン・マルコ・ジャコビッティ編のCastelli e Cattedrali di Puglia(1999)17)では、論考と カタログの共通して、修復の過程での考古学的発掘調査などの成果をもとに、創建時の建築様式につ いて言及している。特に、ヴェネツィアやオスマン帝国からの襲撃に備えた城塞の建設が盛んだった 時期に関する研究は進んでいる18)

(2)民家研究

 建築学の分野では、プーリアの民家が世界的に知られるようになったきっかけは、1964年9月9 日から1965年2月7日までニューヨーク近代美術館で開催された展覧会「建築家なしの建築」、お よびそれに伴って出版されたバーナード・ルドフスキーの『建築家なしの建築』(1964)19)である。

そのなかで、アルベロベッロのトゥルッリが紹介された。また、ルドフスキーは『人間のための街 路』(1969)20)のなかの第12章「街路」のなかでは、マルティーナ・フランカの都市形態、迷宮的 な街路網について言及している。また、エドワード ・ アレンの『石の住まい』(1969)21)では、トゥ ルッリ、迷宮的な街路のなかで外階段が張り出す住宅、洞窟住居の三つの居住形態について、取り

(11)

6

上げている。なかでも 、 特に人々の興味と関心を惹き、研究が進んでいるのが、トゥルッリである。

ジョルジョ・シモンチーニのArchittetura Contadina di Puglia(1960)22)では、プーリア州の農家と してトゥルッリを取り上げ、その形態や立地などの類型化を行っている。ガルリエッラ・エスポジー トはArchitettura e Storia dei Trulli(1983)23)は保存の問題にも言及している。アンジェロ・アンブ ロージとラッファエーレ・パネッラ、ジュゼッペ・ラディッキオらによるStoria e Destino dei Trulli

di Alberobello(1997)24)では、トゥルッリの町であるアルベロベッロの修復、再利用について書い

ている。ドメニコ・スピネッリもチステルニーノの田園部に点在するトゥルッリを扱っている25)。ル イジ・モンジエッロはTrulli e Costruzioni a Pignon(1992)26)のなかではアルベロベッロで見られる ような円錐形のものだけでなく、階段状や頂部が平らなものを含めたトゥルッリと切妻屋根のピニョ

pignon

という二つの空石積み

pietra a secco

の民家を取り上げている。

 しかし、いずれも特殊な事例とも言える民家であり、民家や農家を通してプーリアの地域性を理解 するという視点は欠如していると言わざるを得ない。そのなかで、地理学の分野での一連の研究成果、

Ricerche sulle Dimore Rurali in Italia でのカルメーロ・コラモニコのLa Casa Rurale nella Puglia

(1970)27)では、プーリア州を八つの地域に分けて、それぞれの田園地帯に建つ民家を紹介しており、

トゥルッリや洞窟住居もそのなかでは相対化されている。

 もう一つの民家として、マッセリア

masseria

と呼ばれる規模の大きな農家、特に要塞化したマッ セリアを扱った研究がある。アントネッラ・カルデラッツィのL'architettura Rurale in Puglia LE

MASSERIE(2003)28)ではマッセリアの歴史を概観し、建築形態を類型ごとに建築的特徴を解説して

いる。また、Puglia Fortificata - LE MASSERIE(2011)29)では、プーリア州の要塞化したマッセリア を数多く取り上げて、それぞれの来歴や特徴を解説している。ルイジ・モンジエッロのMasserie di

Puglia(2002)30)は、それぞれの地域の代表的なマッセリアを紹介しながら、生業や立地条件と合

わせて類型化を行っている。ディーノ・ボッリとフランコ・セリカートのStudi sulla Formazione del Paesaggio in Età Moderna MASSERIE DI PUGLIA(1990)31)では農家としてのマッセリアだけでなく、

農場を含んだ全体の構成について分析している。

 その他に、プーリア州南部のサレント地方でよく見られるバルコニー付き前庭型住宅を扱ったもの がわずかながら存在する。アントニオ・コスタンティーニのLa Casa A Corte nel Salento Leccese(1979)

32)では、袋小路や共用の中庭も庭(コルテ

corte

)と位置付けて、外部空間を居住空間の一部として いる住宅をコルテ型住宅

casa a corte

として、分析している。また、La Casa a Corte e Il Mignano(1995)

33)は、主にバルコニー付き前庭型住宅を扱っている。

(3)都市史研究

 都市に関する史的研究としては、各都市で郷土史的な編年誌が出版されている。そのため、ここで は特に挙げることはしないが、本論文でも各都市を通史的に概観する際には参照してきた。しかし、

それらのほとんどが政治史、もしくは宗教史であり、空間に関する記述がないものが多い。

 そのなかで、ムラトーリ学派的手法を使ってトラーニを分析した

G.

ストラッパのLa Città Come Organismo; Lettura di Trani allle Diverse Scaleは、プーリアの都市を実証的に解明したものである

34)

(12)

7

 稠密な都市空間のなかに複雑な街路網が巡っている都市が多いことから、都市の外形や街区形態な どから、都市を形態学的分析を行ったアーバン・モルフォジー研究がいくつかある35)、36)、37)、38)、39)。 そのなかで、ルイジ・モンジエッロは立地条件に着目して、プーリア全体で都市を類型化し、地形と の関係で論じている40)

 また、都市の近代化をついても都市史研究の流れのなかに位置付けられる。特に、ナポレオン支配 期の都市開発は、南イタリアにおける都市の近代化の端緒とみなすことができる41)、42)、43)

 一方で、各都市で実測調査に基づいて、個々の建築についても記述しながら、都市空間の形成を明 らかにしていく研究も行われている44)。特に、旧市街の修復計画に関連して調査が行われたものが まとめられている45)、46)。またその過程で、近年は都市内の発掘調査も進み、成果が発表されている

47)、48)

 日本においては、プーリアを扱ったものは数が限られている。野口昌夫の『南イタリア小都市紀行』

49)はトゥルッリ都市、丘上都市、バロック都市とプーリアにおける建築的、都市形態的特徴をよく 表している都市を概観している。また、陣内秀信らによる「迷宮の中のバロック都市

--

レッチェに 関するフィールド研究

--

50)は、現地調査にもとづいて行った都市解読の研究成果である。その手法は、

本論文にも共通するものであり、特に2章においては、この研究成果から着想を得ている。

(4)テリトーリオ研究

 都市史研究のなかで、都市間の連帯や周辺領域を含んだテリトーリオ研究も行われている。支配領 域、行政領域としてのテリトーリオを扱ったものとして、ディーノ・ボッリの研究がある51)、52)。ま た一方で、田園地域に点在する建築を景観要素としてみて、地域性を読み取るもの研究がある53)、54)、

55)。一方で、テリトーリオ研究は景観の分野から始まったものであるため、プーリアにおいても蓄積 は多い。地理学的分析による研究56)のなかには、海岸線に着目した研究もある57)、58)。それ以外に、

田園部での農業や牧畜業などの生業によって形成される景観についての人類学や社会・経済史学の研 究59)はテリトーリオ研究の広がりをよく示しており、本論文はこれらの成果をしばしば参照しなが ら、空間の記述を行っている。

 以上のように、分野ごとに数の差はありながらも、それなりに研究の蓄積がある。しかし、建築史 研究や民家研究では、建築形態と社会・経済的背景としての田園地域は意識されていない。また、都 市史研究においてはテリトーリオの空間が、テリトーリオ研究においては建築の総体としての都市空 間が描かれていない。そこで本論文では、これらの先行研究の成果に依拠しながらも、建築からテリ トーリオまでその空間の形成史を描き出す。

(13)

8

1)植田曉「イタリアにおける都市・地域研究の変遷史――チェントロ・ストリコからテリトーリオへ」『水都学Ⅲ』

陣内秀信・高村雅彦編、法政大学出版局、2015 年、p.198。その他に、植田曉「戦後イタリア都市計画による農業 地域とその景観の保存活用に関する通時的研究」『日本建築学会計画系論文集』第 81 巻、第 719 号、pp237-247、

2016 年 1 月、がある。

2)Alfredo Petrucci, Cattedrali di Puglia, Carlo Bestetti, Roma, 1960.

3)Gioia Bertelli (a cura di), Puglia Preromanica, Patrimonio Artistico Italiano, Editoriale Jaca book, Milano, 2004.

4)Pina Belli D’ Elia, Puglia Romanica, Patrimonio Artistico Italiano, Editoriale Jaca book, Milano, 2003.

5)Clara Gelao, Puglia Rinascimentale, Patrimonio Artistico Italiano, Editoriale Jaca book, Milano, 2005.

6)Vincenzo Cazzato, Marcello Fagiolo e Mimma Pasculli Ferrara, Terra di Bari e Capitanata, Atlante del Barocco in Italia, Puglia 1, Edizioni De Luca, Roma, 1996; De Luca Editori d'Arte, Roma, 2002.

7)Luigi Mongiello, Maria Grazia Rocco, Cesare Verdoscia e Giovanni Mongiello, Architettura del Rinascimento in Puglia, Mario Adda Editore, Bari, 2008.

8)Vincenzo Cazzato e Mario Cazzato (a cura di), Lecce e il Salento, Atlante del Barocco in Italia, Puglia 2, De Luca Editori d'Arte, Roma, 2015.

9)Marcello Fagiolo (a cura di), Il Sistema delle Residenze Nobiliari, Atlante Tematico del Barocco in Italia, Italia Meridionale, De Luca Editori d'Arte, Roma, 2010.

10)Cosimo Damiano Fonseca, Lucio Galante, Mario Manieri Elia, Antonio Novembre, Giovanni Papuli e Regina Poso, “Barocco” Leccese; Arte e Ambiente nel Salento da Lepanto a Masaniello, Electa Editrice, Milano, 1979.

11)Maurizio Calvesi e Mario Manieri-Elia, Architettura Barocca a Lecce e in terra di Puglia, Carlo Bestetti Edizioni d'Arte, Milano, 1971.

12)Mario De Marco e Pierluigi Bolognini, ArchitettureLeccesi, Capone Editore, Lecce, 1995.

13)Michele Paone, Lecce Spazi Segreti, Mario Congedo Editore,2003.

14)Gennaro Bacile di Castiglione, Castelli Pugliesi, Officina Tipogr. Romana Buona Stampa, 1927; Arnaldo Forni Editore, Sala Bolognese, 2005.

15)Raffaele De Vita (a cura di), Castelli, torri, ed opere fortificate di Puglia, Mario Adda Editore, Bari, 1974; IV edizione, Mario Adda Editore, Bari, 2001.

16)Aduino Sabato (a cura di), La Puglia dei Castelli, Edizioni del Grifo, 1994.

17)Clara Gelao e Gian Marco Jacobitti, Castelli e Cattedrali di Puglia, Mario Adda Editore, Bari, 1999.

18)Lucio Santoro, Castelli Angioini e Aragonesi; Nel Regno di Napoli, Ruscini Libri, Milano, 1982.

19)Bernard Rudofsky, Architecture without Architects, The Museum of Modern Art, New York, 1964.(日本語版:バー ナード・ルドフスキー『都市住宅別冊・集住体モノグラフィ 2 建築家なしの建築』渡辺武信訳、鹿島出版会、1975 年、および『建築家なしの建築』SD 選書 184、 渡辺武信訳、鹿島出版会、1984 年)

20)Bernard Rudofsky, Streets for People, Doubleday & Company, New York, 1969.(日本語版:バーナード・ル ドフスキー『人間のための街路』平良敬一・岡野一宇訳、鹿島出版会、1973 年)

21)Edward Allen, Stone Shelters, MIT press, Cambridge, 1969(日本語版:エドワード・アレン『南イタリア 石 の住まい』増田和彦・髙砂正弘訳、学芸出版社、1993 年)

22)Giorgio Simoncini, Archittetura Contadina di Puglia, Vitali e Ghianda, Genova, 1960.

23)Gabriella Esposito, Architettura e Storia dei Trulli, Casa del Libro, Roma, 1983.

24)Angelo Ambrosi, Raffaele Panella e Giuseppe Radicchio, Storia e Destino dei Trulli di Alberobello, a cura di Enrico Degano, schena Editore, Fasano, 1997.

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9

25)Domenico Spinelli, Insediamenti Rurali e Maaserie nel Territorio di Cisternino di Brindisi, Adriatica Editrice, Bari, 2005.

26)Luigi Mongiello, Trulli e Costruzioni a Pignon, Mario Adda Editrore,Bari, 1992.

27)Carmelo Colamonico, La Casa Rurale nella Puglia, Ricerche sulle Dimore Rurali in Italia, Vol. 28, Leo S.

Olschki Editore, Firenze, 1970.

28)Antonella Calderazzi, L'architettura Rurale in Puglia LE MASSERIE, Schena Editore, Fasano, 2003.

29)Antonella Calderazzi, Puglia Fortificata - LE MASSERIE, Mario Adda Editore, Bari, 2011.

30)Luigi Mongiello, Masserie di Puglia, Mario Adda Editore, Bari,1996; reed., Mario Adda Editore, Bari, seconda edizione 2002.

31)Dino Borri e Franco Selicato, Studi sulla Formazione del Paesaggio in Età Moderna MASSERIE DI PUGLIA, Schena Editore, Fasano, 1990.

32)Antonio Costantini, La Casa A Corte nel Salento Leccese, Adriatica Editrice Salentina, Lecce, 1979.

33)Antonio Costantini, La Casa a Corte e Il Mignano, Circolo Culturale Ghetonia, Calimera, 1995.

34)G. Strappa, M. Ieva, M. A. Dimatteo, La Città Come Organismo; Lettura di Trani allle Diverse Scale, Mario Adda Editore, Bari, 2003.

35)Dino Borri, “Aspetti Urbanistici e Casistica delle Piazze di Puglia dal Medioevo all’ Ottocento” , Storia e Cultura in Terra di Bari – Studi e Ricerche, Congedo Editore, 1987.

36)Dino Borri, “Forma di Governo e Forma Urbana in Una Città Meridionale nel Secoli XIV – XV:

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37)Enzo Minchilli, Puglia Forme e Modelli Urbanistici di Città Antiche,Grafischena, Fasano, 1987.

38)Domenico Di Bari, Urbanistica dell’ 800 in Puglia, Full Books, Fasano, 1984.

39)Vincenzo Cazzato e Marcello Guaitoli (a cura di), Lo Sguardo di Icaro; Le Collezioni dell’ Aerofototeca Nazionale per la Conoscenza del Territorio; Insediamenti del Salento dall’ Antichità all’ Età Moderna, Mario Congedo Editore, Lecce, 2005.

40)Luigi Mongiello, Nuclei Urbani di Puglia; Analisi e Rappresentazione Degli Articolati Insediativi, Mario Adda Editore, Bari, 1999.

41)Marcello Petrignani, Bari, il Borgo Murattiano; Esproprio, Forma e Problema della Città, Dedalo Libri, Bari, 1981.

42)Giuseppe Carlone (a cura di), Il Porto di Bari; Progetto Città 1855-2005, Mario Adda Editore, Bari, 2005.

43)Marta Mansueto e Anna Modugno, Nel Nome di Murat; Segni Architettonici nel “Borgo” di Monopoli, Centro Regionale dei Servizi Educativi e Culturali Monopoli, 1995.

44)Bruno M. Apollonj Ghetti, Bari Vecchia; Contributo alla Sua Conoscenza e al Suo Risanamento, Arti Grafiche Favia, Bari, 1972.

45)Luigi Moniello, Il Restauro Urbanistico del Nucleo Antico della Città di Giovinazzo, Editori Laterza, Roma, 1980.

46)Giambattista De Tommasi, Qualità Prestazionali per il Recupero dell’ Edilizia Storica; Una Proposta Metodoolgica per un Codice di Pratica, Mario Adda Editore, Bari,2001.

47)Giovanni Pugliese Carratelli (a cura di), I Greci in Occidente, Bompiani, Venezia, 1996.

48)Maria Rosaria Depalo e Francesca Radina (a cura di), Bari, Sotto la Città; Luoghi della Memoria, Mario Adda Editore, Bari, 2008.

49)野口昌夫『南イタリア小都市紀行』建築探訪 7、丸善、1991 年

50)陣内秀信「迷宮の中のバロック都市 -- レッチェに関するフィールド研究 --』『都市の破壊と再生』福井憲彦・陣 内秀信編、相模書房、2000 年

51)Dino Borri, “Territorio e Città nell’ Alto Medioevo” , Rassegna Tecnica Pugliese – Continuita n.3, Tip.

(15)

10 Grandolfo, Bari, 1980.

52)Dino Borri, “Dall’ antico Regime alla Città moderna: La Puglia dal XVIII e XIX Secolo” , Vedi Gravina Itinerario III, Fondazione Ettore Pomarici Santomasi, Bari, 1987.

53)Adele Quaranta, Il Salento tra Identità e Specificità Territoriali, Argo,Lecce, 2004.

54)Valentina Castagnolo, Architettura e Paesaggio; Le Torri nel Territorio a Nord di Bari, Gelsorosso, Bari, 2010.

55)Vincenzo Cazzato (a cura di),Paesaggi e Sistemi di Ville nel Salento, Mario Congedo Editore, Lecce, 2006.

56)Pasquale Rossi, Paesaggi di Puglia; Un’ Analisi Geografica ,Cacucci Editore, Bari, 2010.

57)Luigi Mongiello, Angelo Ambrosi, Francesco de Mattia, Maria Grazia Rocco, Domenico Spinelli, Paolo Perfido, Gabriele Rossi, Stefania Angiulli e Pasquale Milillo, Coste di Puglia, Mario Adda Editore, Bari, 2004.

58)Mariavaleria Mininni, La Costa Obliqua; Un Atlante per la Puglia, Donzelli Editore, Roma, 2010.

59)Annastella Carrino(a cura di), Territorio e Identità Regionaliò; La storia della Puglia, Edipuglia, Bari, 2002.

(16)
(17)
(18)

第 2 章

変容による収束的都市形成

(19)

14

2-1.はじめに

(1)研究の背景と目的

 イタリア南部のプーリア州にあるガッリーポリ Gallipoli は、州の南端に位置するサレント地方の 陸繋島にできた都市である。一本の橋で繋がれたイオニア海に浮かぶ島が旧市街で、19 世紀になっ てから大陸側に新市街が建設された。ガッリーポリの起源については、古代メッサピア人の居住地を 古代ギリシア植民都市ターラントを治めていたスパルタ人が属領としたという伝承があるが、確証と なる考古学的発見はない。しかし、6 世紀中葉には司教座が置かれ、行政上はビザンツ帝国に従属し ていた1)。また、橋のたもとにある城塞は、ビザンツ帝国支配期の多角形の塔を含んで 1250 年代の ノルマン人支配期に建設され、その後のアンジュー家、アラゴン家支配期の拡張を経て、現在の姿と なった2)。一方で、大規模な都市改造は行われず、中世以来長い間、市街地は島のなかに限定されて おり、細い街路が複雑に入り組んだ都市を作り上げていった。しかし、地方の一寒村だったわけでは なく、特に 17、18 世紀には港町としてプーリア州南部においてイギリスやオランダなどの外国との 交易の主要港として栄えた。主にオリーブオイルの輸出を行い、その生産や販売で財を成した商人が 多くおり、彼ら富裕層は都市内に邸宅を構えるようになり、都市内にバロック様式の建築が並ぶよう になった。限られた土地のなかに形成されたガッリーポリは、新たな土地へと拡大していくのではな く、既存の都市を更新しながら発展していったため、幾重にも歴史の層が重なった複雑な都市の形態 を見せている。そこで本稿では、ガッリーポリの旧市街における都市の空間構造を読み解くことを目 的とする。

図 2-1 ガッリーポリの城塞と市壁("Pianta della città e del castello di Gallipoli", ing. E. Giovane, 1734. A. S. N., Carte Montemar, vol. 73 n. 18.)

(20)

15

(2)先行研究

 プーリア州におけるレッチェ・バロック様式に関する研究は多くの蓄積がある3)。しかし、それら はレッチェを中心にして、サレント地方の教会や貴族の邸宅などを対象に、個々の建物に関する来歴 と様式的特徴について記述したものであり、都市内の立地や分布傾向、さらにバロック期の都市の 変化などの都市的視点は欠けている。都市内でのバロック建築の要素の分布を扱った研究として M.

ファジョーロのレッチェに関する研究がある4)。レッチェの旧市街地内で、邸宅の角などに紋章を掲 げたジャイアントオーダーや門、バルコニーなどの分布を示しているが、要素や形式の多様性につい ての記述にとどまっている。一方、陣内秀信によるレッチェの研究5)では、旧市街の街路構造と住 宅に関する研究が行われており、人通りの多いメインストリートや教会前広場などに面して壮麗なバ ロック様式の邸宅が建ち、都市の外縁部に多く見られる袋小路のまわりには小住宅が並んでいること を明らかにしている。

 また、対象地であるガッリーポリに関する研究は多くなく、編年史6)や城塞7)、教会8)の来歴に 関するものを除くと、都市の形成過程や空間構造に関する研究はほとんど行われていない。また、住 宅建築を平面構成から分析するものも管見の限り、見当たらない。

 上記のような研究状況を踏まえ、本稿では現地調査での成果をもとに、文献も合わせて用いながら、

住宅建築の建設年代を判定し、都市内での立地場所を社会階層との関係性から明らかにする。そして、

イタリア南部におけるバロック様式期の都市空間の変化について解き明かそうとするものである。

(21)

16

2-2.ガッリーポリの建築類型

 ガッリーポリに見られる建築物は、用途や規模、外部空間との繋がりも含めた空間構成において多 様な形式が見られる。2005 年から 2008 年の間に現地で行った実測調査によって収集した物件(図 2-2)を以上の視点で分類すると、表 2-1 のような類型を見いだすことができる。

 A. コスタンティーニ10)や C. ペッローネ11)は、コルテ型住宅 casa a corte と呼ばれる形式をサレ ント地方の特徴的な住宅形式として挙げている。しかし、戸外空間と密接な繋がりのある住宅全般を 指しており、それが建物の内部に取り込まれているものか、建物外のものかについては区別していな い。そこで、本稿ではコルテを前庭、中庭、袋小路に分けて、それぞれを別個の建築類型とした。

(22)

17 図 2-2 調査対象物件の位置

0 50 100 150 200 250 300 metri

大聖堂

0 10 20 30 50m

(23)

18 表 2-1 調査対象物件一覧

建築類型 物件番号 住所 建設年代 備考

前庭型 1 Via Franza 7

2 Via Lucio Cardami 7 3 Via Monacelle 32 4 Via Piccioli 9 5 Via Roncella 6 Via S.Giovanni 9 7 Via Tafuri 7

中庭型 8 Via Antoniettade Pace113 9 Via Battisti17

10 Via Ferrai 5

11 Via Ospedale Vecchio 16 12 Via S. Luigi 27

13 Riviera N. Sauro 65 袋小路型 14 Corte Crispo 4

Corte Crispo 5 Corte Crispo 6 Corte Crispo 7 Corte Crispo 8 Corte Crispo 9 Corte Crispo 10

Corte Crispo 11 2F

Corte Crispo 12 15 Via Briganti 32

Via Briganti 36 Via Briganti 40

Via Briganti 42 2F

Via Briganti 46 Via Briganti 48 Via Briganti 50 16 Corte S. Antonio 5

パラッツォ 17 Via Antonietta De Pace 46 (Palazzo Balsamo) 1500 年代前半 18 Via Antonietta de Pace 59 (Palazzo Pirelli) 1500 年代 19 Via Antonietta de Pace 83 (Palazzo D'acugna) 1500 年代 20 Via Antonietta de Pace 114 (Palazzo d'Aprile) 不明 21 Via Micetti 2 (Palazzo Doxi) 1764 年 22 Via Micetti 9 (Palazzo Munittola) 1600 年代前半 23 Via Monacelle 39 (Palazzp Romito) 1751-1770 年

24 Via D'Ospina 19 (Palazzo Talamo) 1700 年代(庭園部分)、1900 年代前半に再建 25 Via Palmieri 4 (Palazzo Palmieri) 1700 年代

26 Via Patitari 33 (Palazzo Cappello) 不明 27 Via Spagna 29 (Palazzo Spagna) 1600 年代前半 28 Largo Venneri 5 (Palazzo Venneri) 1620 年代

29 Riviera Armando Diaz 99 (Palazzo De Tomasi) 1500 年代、1700 年に再建 30 Riviera C. Colombo 39 (Palazzo Calo') 1720 年代

その他 31 Via Briganti 15 Via Briganti 17 Via Briganti 21

Via Briganti 22 2F

Via Briganti 24 Via Briganti 26 Via Briganti 54

32 Via Fonto 20 商店

33 Via G.B. De Tomasi 30 2F

34 Via G.B. De Tomasi 32

35 Via Spagna 31 倉庫

教会 36 Ch. S.M.degli Angeli 1662 ~ 1665

37 Ch. delle Anime 1665

(24)

19

(1)前庭型住宅

 住宅のなかに組み込まれた戸外空間としての庭が敷地内の前方にあるタイプである。街路面には外 壁が建っており、表門をくぐると庭に出る。上階への階段が前庭に設けられていることが多く、門の 上がバルコニーとなっている。間口は狭いのに対し、奥行きは比較的深い。街路に面する前庭のバル コニーはミニャーノと呼ばれ、建物が密集する街区のなかで採光と通風を確保するために、農村で見 られる前庭を壁で囲った住宅形式を取り入れた都市型住宅である12)。それとともに、女性が自由に 出歩くことが社会通念上好ましくなかった時代に外気に触れるためや、宗教行列などの行事の際に鮮 やかな布などを垂れ下げて街路を彩り、そこから眺める役割も果たした13)。このような街路空間へ の意識の高まりは、台頭してきた中産階級の間に広まり、次第にミニャーノ自体を飾り立てるように なっていった。バルコニーの持送りにヴェネツィアン・ゴシック風のアーチを置いた 1500 年代のも のや、バルコニーの上にアーチ、もしくは二連アーチを載せて舞台装置的な演出を行っているバロッ ク期のものが出てくる。

(25)

20

・ルチオ・カルミダ通り Via Lucio Carmida7 番

 この住宅は、半円アーチと尖頭アーチの三葉飾りによる持送りで街路にせり出したミニャーノが入 口の上にある。決して大きくない前庭に、3 階まで外階段が螺旋状に巡っている。すべての住戸の入 口は前庭に面しており、各階は別々の居住者がいて、上下階は室内では繋がっていない。

図 2-4 ルチオ・カルミダ通り 7 番(上:2 階平面図、右上:ルチオ・カルミダ通り連続立面図、右中:断面図、右:

2 階平面図)

図 2-3 ルチオ・カルミダ通り 7 番のミニャーノ Via L

ucio C arm

ida

0 1 2 3 5m

(26)

0 1 2 3 5m

平面図 1/200

21

・タフーリ通り Via Tafuri 7 番

 タフーリ通りの曲がり角に位置する住宅は、バラスター付きの門の上のミニャーノと 3 層目のバル コニーをもつ。1 階は倉庫として漁に使う網などの道具が置かれているが、住民によると以前は住居 として使われており、入口側に居間、奥に寝室があった。前庭に面してもう一戸の住居がある。階段 を上り、2 階に上ると天井高の高いステッラ・ヴォールトが架かる住居がある。現在の住民が改築す る前は二戸に分割されており、入口の横の窓がもう一戸の玄関扉があった場所であったという。かつ いては、ミニャーノのある前庭を介して、四戸の住居があったことになる。

図 2-6 タフーリ通り 7 番のミニャーノ

図 2-5 タフーリ通り 7 番(左上:1 階平面図、左下:断面図、

右上:2 階平面図、右下:2 階復元図)

(27)

22

(2)中庭型住宅

 この住宅タイプがもつ中庭は、パラッツォのような 1 軒の建物の内部に組み込まれている中庭とは 異なり、複数の住戸によって共用されているものである。表の入口を入ってポルトーネ portone と 呼ばれるトンネル状の通路を抜け中庭に至ると、その周囲にはそれぞれの住戸の玄関が面している。

中庭は上階の住戸のための屋外階段だけでなく、共用の貯水槽や石の洗濯台が配置されることが多く、

セミパブリックな空間となっている。一方で、ファサードにおける建築的特徴は乏しい。

・バッティスティ通り Via Battisti17 番

 この住宅では、1 階に 3 戸、2 階に 4 戸の玄関がポルトーネと中庭に面している。中庭の階段下に はかつて共用していた石の洗濯桶と貯水槽の跡がある。実測調査を行った住宅は、改築によってカタ ルディ通り Via Cataldi 側の部屋に扉を設けて連結させ、二戸の住居を統合している。

0 1 5 10 m

N

2

0 1 5 10 m

N

2

0 1 2 5 10 m

図 2-7 バッティスティ通り 17 番(上:1 階平面図、下:

断面図、右上:2 階平面図、右:入口からの写真)

(28)

0 1 5 10 m N

2 0 1 5 10 m

N

2

0 1 2 5 10 m

23

・フェッラーイ通り Via Ferrai5 番

 街路に面してアーチ状の入口を入ると、トンネル ・ ヴォールトの架かった細長いポルトーネが奥に 向かって伸びている。中庭に面して 2 軒の住宅があり、実測調査を行った住戸は、ステッラ・ヴォー ルトの架かった 1 室住居である。中庭から立ち上がっている外階段を上ると、2 軒の住宅の入口があ る。ポルトーネには石の洗濯桶と貯水槽の跡があり、この場所が上下階で別世帯が居住するための共 有空間となっていることがわかる。

図 2-8 フェッラーイ通り 5 番(上:1 階平面図、右上:2 階 平面図、下:断面図)

図 2-9 フェッラーイ通り 5 番の入口からポルトーネを見る

0 1 2 3 5m

(29)

24

(3)袋小路型住宅

 袋小路は住宅の立地条件に関する事項でもあるが、南イタリアの住宅は戸外空間も居住空間とする 特質をもつことから、袋小路を前庭や中庭と同質と見なすことができる。袋小路には小規模な建物が いくつも面しており、居室が 1 室だけの住宅が多い。2 階建ての建物でも、上下階それぞれは独立し ている。

・コルテ・クリスポ Corte Crispo

 L 字型の袋小路コルテ・クリスポに面した建物の 1 層目には 10 軒の住宅がある。そのうち、実測 調査を行うことができた 8 軒の住宅が 1 室住居であった。トンネル・ヴォールトが架かり、奥行き 方向に長い居室が袋小路を取り囲むような構成になっている。現在は 3 世帯が暮らしており、複数の 居室を所有して、用途ごとに部屋を分けたり、壁に開口部を穿って統合したりして使用している。一 方、2 階以上の居室については、袋小路から立ち上がる外階段は 2 カ所だけで、3 戸の入口しかなく、

おそらく別の通りに面した入口があると思われる。ガッリーポリでは、室内階段で上下階を繋げるこ とは少なく、各階で別の居住者がいることが多い。

図 2-10 上:コルテ・クリスポ 2 階平面図、下:1 階平面図 図 2-11 コルテ・クリスポ

0 2 4 6 10m

(30)

25

(4)パラッツォ

 パラッツォは富裕層の邸宅で、道路面の外壁にはファサードとしての意識が強く、大きな表門を持 つ。また、表門の上や門をくぐった先のアンドローネと呼ばれる空間の天井などに家紋が掲げられる ことが多い。中庭を持ち、所有者の居住空間は上階に配されるのが一般的である。そして、大広間や 寝室からはバルコニーが街路上に張り出している。

 しかし、建設時期によって建物の全体、および細部の造形が異なる。特に、ファサードの装飾的要 素である表門や窓枠、バルコニーなどに様式的特徴が現れている。16 世紀に建設されたパラッツォ に多く見られるカラターノ・ドゥラッツェスコ catalano-durazzesco 様式は、南イタリアがスペイン・

カタルーニャ地方のアラゴン王朝支配期にあった 16 世紀にスペインの影響を受けた様式で、技巧的 な装飾を施したフランボワイヤン様式に類似しているが、より彫塑的な装飾を配しているのが特徴で ある14)。全体的には簡素な装飾で、扉口のアーチとそれを囲むように半円形モールディングで矩形 に縁取りをした門が特徴的である。また、道路に面した横長のファサードは直線的で、表門は中央付 近に配置されている。

 一方、17、18 世紀に建設された邸宅はより装飾的で、バロック様式的な要素を持つ。イオニア式 もしくはコンポジット式の柱頭をもつピラスターや、貝殻装飾や渦形装飾などの化粧漆喰での細工が 施された表門でファサードが飾られている。主階である 2 階では彫塑的な持送りによって支えられた バルコニーが街路に張り出している。

(31)

0 1 2 5 10 m

26 図 2-12 パラッツォ・バルサモ(上:平面図、下:立面図)

・アントニエッタ・デ・パーチェ通り Via Antonietta De Pace 46 番 (パラッツォ・バルサモ Palazzo Balsamo)

 現存する邸宅のなかで最も古いものと考えられているパラッツォ・バルサモは、矩形の半円形モー ルディングで囲まれた半円アーチの表門を構えている(図 2-12)。門を入ると、爪形装飾のあるトン ネル状ヴォールト volta a botte の玄関通路を通り抜けると中庭に出る。建物全体はその中庭を中心 とした平面構成である。生活空間である主階は 2 階にあるが、街路に張り出すバルコニーは設けられ ておらず、全体的に平板な印象を与える。

Via Antonietta De Pace

0 2 4 6 10m

(32)

27

・アントニエッタ・デ・パーチェ通り 83 番 ( パラッツォ・ダクーニャ Palazzo D'acugna)

 パラッツォ・ダクーニャも間口の広い邸宅で、ファサード全体にわたって連続している表門のモー ルディングが特徴的である。2 階にはバルコニーがあるが、モールディングや外壁に刻まれた碑文が バルコニーによって分断されていることから、後年に増築されたものであり、もともとは簡素なファ サードであったことが分かる(図 2-14)。中庭に面した部分には、現在数世帯が暮らしており、もと もとは使用人の住居や倉庫などであったと思われる。一方、2 階は所有者が暮らしていた主階で、街 路側に大きな居室が並んでいる。街路に面した扉の一つからは、地下にあるオリーブオイルの製油所 に下りることができる。

図 2-13 パラッツォ・ダクーニャ(上左:1 階平面図、上右:2 階平面図、中:地下平面図、下:立面図)

図 2-14 バルコニーによって分断されたファサードの碑文

0 2 4 6 10m

Via Antonietta De P ace

Via Antonietta De P ace

(33)

0 1 2 3 5m

第 2 章 変容による収束的都市形成 

28

・ミチェッティ通り Via Micetti 2 番 ( パラッツォ・ドクシィ Palazzo Doxi)

 18 世紀中葉に建設されたパラッツォ・ドクシィは角地に建つ邸宅で、柱頭付きのピラスターで構 成された半円アーチの表門が敷地の角に配置されている。玄関通路を抜けると、中心が吹き抜けてい る四角螺旋階段が中庭いっぱいに設けられており、建物側面に設けられた踊り場はアーチの架かった バルコニーになっている。また、主階である 2 階の大広間も横長のバルコニーが街路の上に張り出し ている。

図 2-15 パラッツォ・ドクシィ(左上:平面図、右上:Via Micetti 側立面図、右中:Via Valentini 側立面、左下:外観写真、

右下:外観パース)

Via Micetti

Via Vale ntini

0 2 4 6 10m

(34)

29

・モナチェッレ通り Via Monacelle 39 番 ( パラッツォ・ロミト Palazzp Romito)

 18 世紀後半に建設のパラッツォ・ロミトは道に沿って湾曲したファサードをもつ邸宅で、柱頭を 載せた円柱の表門と月桂樹の葉と鱗片で下面が覆われたバルコニーが特徴的である。また、2、3 階 の窓枠にはピラスターとエンタブラチュア、渦巻き模様のペディメント、貝殻装飾が付いている。街 路側からだけでなく、階段室からも入ることができる 1 階には飼い葉桶の跡が残っており、かつては 馬小屋や倉庫として使われていたものと思われる。バルコニーのある 2 階が主階で、特に角の部屋は 天井がテンペラ画によって覆われた大広間となっており、街路側に応接間、談話室など主要な部屋が 並んでいた。奥には食堂や浴室などが位置しているが、立面図を見ると、窓枠装飾や階高の違いを見 ることができる。もともとは二つの建物であったことがわかり、住民によると、1890 年に 2 階を統 合したという。表門は建物の端に配置されており、ファサードの対称性は崩れている。しかし、台形 の広場ラルゴ・ヴェンネリ Largo Venneri の短辺側底辺から伸びる街路と前面道路のモナチェッレ 通り Via Monacelle が交差する丁字路の突き当たりの部分に表門が位置しており、立地する周辺環 境に合わせて配置されているといえる。

0 1 2 3 5m

平面図 1/200

N

0 1 2 3 5m 0 1 2 3 5m

平面図 1/200

N

図 2-16 パラッツォ・ロミト(上:2 階平面図、下:1 階平面図、右:立面図)

図 2-17 パラッツォ・ロミト Via Monacelle

0 2 4 6 10m

(35)

教会名 建設年代 [ 再建年代 ] 1 Chiesa e Monastero dei SS. Pietro e Paolo 1578,1598

2 Chiesa di S. Angelo 1615 3 Cappella di S. Giuseppe 1631 4 Chiesa e Convento di S. Francesco di Paola 1631[1813]

5 Chiesa di S. Maria degli Angeli 1662-1665 6 Chiesa della Purita 1662-1665 7 Chiesa delle Anime 1665 8 Chiesa del Crocifisso 1741[1642]

9 Chiesa dell'Immacolata 1768[1720]

10 Chiesa dei Domenicani 18c[1565]

11 Chiesa Confraternale del Carmine 1715[1838]

30

表 2-2 兄弟団の活動拠点となる教会の一覧

(5)教会

 旧市街のなかには司教座大聖堂を含めて 15 の教会があり、そのうち修道院を併設しているもの が五つある。また 11 の教会には、16 世紀から 18 世紀にかけて創立した兄弟団(コンフラテルニタ confraternita)の活動拠点が置かれていた(表 2-2)。一般的に、兄弟団は共通の守護聖人への帰依 を媒介とする絆によって結ばれた自発的団体であり、その儀礼的な行為や社会的活動は中・近世ヨー ロッパの都市生活において市民に多様な貢献をなしてきた15)。特に、13 世紀のフィレンツェにおけ るメディチ家と兄弟団との関わりや慈善・救貧活動についてはよく知られているところである16)。 また、兄弟団のなかには、職業的、年齢的、社会的状況の共通する者たちによる集団もあり、祝祭に おけるプロセッション(宗教行列)や宗教劇の上演、絵画の発注や音楽家の雇用など、パトロネージ としての役割において注目される組織であった。しかしイタリアでは、16 世紀後半以降には兄弟団 の自律性は弱まり、教区教会に統合されていく傾向があると指摘されている17)

 一方、ガッリーポリでは港が商業港として栄え、都市が発展していた 17 世紀頃から同業者たち によって兄弟団を組織し、教会を建設してきた。1662 年創立のコンフラテルニタ・デッラ・プリタ Confraternita della Purita のプリタ教会 Chiesa della Purita は荷揚げ作業員や港湾労働者、1642 年創立のコンフラテルニタ・ディ・クロチフィッソ Confraternita di Crocifisso による教会は樽職 人によって組織された兄弟団が建てた教会である。また、工房や商店が並ぶプッブリカ広場近くに位 置するカルミネ教会 Chiesa del Carmine は、コンフラテルニタ・ディ・サンタ・マリア・デル・モ ンテ・カルメ-ロ Confraternita di Santa Maria del Monte Carmelo とコンフラテルニタ・デッラ・

ミゼリコルディア Confraternita della Misercordia の礼拝所を併設しており、靴職人によって組織 されたものである18)。実際、18 世紀の職業別の人口比を見てみると、農業だけでなく、港町として は漁業や港湾労働者、輸送業などが多いことがわかる(表 2-3)。その他にも様々な職業に従事して いる人がおり、兄弟団の構成と関連するような職業に従事する人が多かったのが分かる。

参照

Outline

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