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日本の「美術文化についての理解」を      深めるための

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   平成二十三年度学位論文

日本の「美術文化についての理解」を      深めるための

   絵画教育に関する考察

兵庫教育大学大学院修士課程    学校教育研究科

 教科・領域教育学専攻    芸術系コース

    岡田 俊彦

    M10210H

(2)

日次

はじめに ・ ・・・・・・・・・・・・…

第1章 近代における絵画教育の変遷 ・…

 第1節 西洋絵画技法の伝来 ・・・・・・… 一・・

 第2節 明治,大正,昭和初期の絵画教育の変遷 ・・

  第1項 明治初期の鉛筆画教育  ・・・・・…

  第2項 鉛筆画・毛筆画論争 ・・・・・・・…

  第3項教育的図画時代と『新定画帖』 ・・…

  第4項新しい教育運動 ・・… 二 ・・…

      (自由画教育運動から『小学図画』へ)

  第5項戦中の美術教育 ・・・・・・・・・…

 第3節戦後の美術教育について H・ ・・…

 第4節まとめ ・・・… 二・…  H・H・

第2章 大学生の日本美術文化に関する意識調査

 第!節 学生にとって、日本の美術文化とは ・…

 第2節 大学生の日本美術文化教育に関する意識調査  第3節 大学生アンケートから見える課題 ・・…

第3章 検定教科書における日本美術文化の扱い

 第1節 社会(歴史)教科書の検証 ・・・・・…

  第1項 小学校社会(歴史)教科書調査 ・・…

  第2項 中学校歴史教科書調査 ・・・・・・…

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・・ R

・・ S

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・・ U

・・ V

・・ W

・・ X

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 第2節 図画工作・美術教科書の検証 ・・・…

  第1項小学校図画工作教科書調査 ・・・…

  第2項中学校美術教科書調査 ・・・・・…

 第3節 教科書調査からの考察 ・・・・・・…

第4章絵画における日本の美術文化教育の展開 …

 第1節 中学校における日木の美術文化教育に関する課題 ・   第1項一中学校学習指導要領及び解説における日本の美術文化   第2項 日本の美術文化における教員の指導力 ・

 第2節 新教科書における日本の美術文化教育の変遷   第1項 検定毎に見られる中学校美術教科書の変遷

  第2項 平成23年中学校美術検定教科書における日本の美術       文化に関する記載

 第3節 日本の美術文化教育の表現活動への展開 ・

おわりに …   . .

謝辞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…

主要参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・…

注記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…

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はじめに

 日本は、江戸時代末期の開国から、多くの西洋技術・文化と接することになった。欧 米との圧倒的な科学・工業力の違いを目の当たりにした当時の日本人は、既存の文化を 捨て、西洋文化を食欲に取り込んで国内の近代化を実践していく。公教育制度の無かっ た日本は、明治から昭和初期まで、西洋の教育理論を元に日本の公教育を考案・施行し 普及させた。その間、日本の公教育は国内及び西洋の教育論を受けつつも、日本独自の 公教育制度を確立したと考えられる。

 戦後、日本は、敗戦によりアメリカを中心とした連合国の統治下に入った。GHQ統治 下の日本は、CIE(民間情報局教育局)の監督の元、新たな文化と教育観がもたらされ、

民主主義教育が行われることとなった。しかし一方、戦中の絵画教育は軍国主義に通じ るとして、10年近く無教科書状態が行われ、毛筆画及び臨画教育は実践されなくなる。

戦後に生まれ育った世代にとって、美術における絵画といえば、西洋的な写実を中心と したものを意味し、水墨画や日本画といった日本の美術文化は重視されなかった。小・

中学校の義務教育期間に、日本の美術文化を学習したことのない児童生徒もいると考え られる。デッサンや写実主義的な絵画中心の教育はあっても、教科書に記載されていな い水墨画の描写を学習した児童生徒は少なかったと考えられる。

 しかし、日本の工業生産品を大量に海外に輸出し普及させていくのと同時に、諸外国 は日本の社会や文化に対する興味関心を抱いたと考えられる。情報化社会と呼ばれる通 信技術の普及がそれを後押し、他国の人は自国にいながら日本に関する詳細な情報を手

に入れるようになるた。近年、日本に働きに、あるいは観光に来る外国人が増加した。

日本人は他国からの来訪者によって改めて自国の文化を再認識しつつある。

 平成10年文部省告知の学校教育法施行規則第3章第54条及び別表第2で、中学美術 の授業時間数は削減された1)。しかし、時間数は削減されたにもかかわらず、漫画・イ ラストレーションといった新しい表現が日本の美術文化として教育に導入された。そし て、平成24年中学校施行の学習指導要領では、国際化社会に対応できる様、鑑賞におい て日本の美術文化の内容がより強化されることになった。これまで欧米文化に慣れ親し み、日本の伝統文化を忘れつつある世代の教員が、日本の美術文化を学校教育で実践し ていくことになる。しかし、図画工作・美術の新学習指導要領には実践に関する主題や 重点項目となる作品・作者は明確に記載されず、教員自身の創意工夫に依るところが大

きいように見受けられる。

 なぜ、日本の美術文化教育は、戦後の学校教育で重要視されなかったのか。又、教員 は今後どのように日本の美術文化教育を推進していけばよいのだろうか。その為には過 去の歴史や現状を検証、考察していく必要がある。

 そこで、本論では中学校の絵画教育を中心に、日本の「美術文化についての理解」を

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深め、美術文化の継承と創造への関心を高める方法について考察していく。

 第1章では、日本近代教育における絵画教育の歴史を概観する。幕末、洋学所(後の 蕃書調所)による西洋絵画技法研究から、当時の教科書が作成された経緯と、明治5年 の学制公布時の、西洋絵画を基礎とした美術教育の内容について調べていく。明治17年 頃からの鉛筆画・毛筆画論争と終結までの経緯、大正から昭和にかけての新しい絵画教 育運動(自由画教育→生活画教育→思想画)の展開、及び臨画による毛筆画の減少を検 証し、戦中の咽民学校令」教育と、戦後GHQによる軍国主義・超国家主義的要素の排 除と無教科書時代に触れ、現在の絵画教育における美術文化教育の課題を考察する。

 第2章では、幼心中高の学校教育を終えた大学生に、日本の美術文化に関するアンケ

]トを実施し、日本の美術に関する学習内容,印象や知識,具体的な作品・作家,今後 の美術教育に関する意見等を集める。具体的には、日本の美術文化に関る教育の必要性 に対してどのように考えているのか,実際に日本の美術文化に関する知識を用いる必要 に迫られた時にどの様に対応することが可能なのかも確認する。

 第3章では、上記の事を踏まえて、学生が義務教育期間中に使用したものと同じ小牛 杜会(歴史)教科書内3社(小は4社)の記載内容を調査するとともに、また同年の小

申図画工作・美術教科書3社から、日本の美術文化に関する記載事項を確認し、第2章 の検証と合わせて考察する。

 第4章では、平成20年告知中学校学習指導要領の内容と平成23年検定美術教科書の 日本美術文化作品の掲載内容を探る。又、鑑賞だけではなく、身近な素材を使って日本 の美術文化教育をより深く理解する為の教材プランを考案する。その為には発達段階に 応じた内容にする必要がある為、小中連携や教科間連携を考慮しつつ取り組む方法を模 索したい。

 本研究が自身も含めて、今後の中学校の日本の美術文化教育に何らかの貢献が出来れ ぱと考える。

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第1章 近代における絵画教育の変遷

 本項では、欧米から西洋絵画技法が日本に伝来した後、絵画教育に導入され普及した 歴史的経緯を確認し検証する。

第1節西洋絵画技法の伝来

 日本に西洋の絵画技法が伝来したのは、南蛮人の渡来した安土桃山時代といわれてい る。しかし、江戸時代の鎖国政策により、日本への南蛮文化の流入はほぼ途絶えること になる。その為、西洋絵画技法が日本国内で普及することは無かった。転機が訪れたの は享保5(1720)年、江戸幕府による禁書輸入禁令である。これにより中国やオランダ から西洋の書籍が入ってくると、西洋画を元にした洋風画が発生してくる。中でも平賀 源内(1728−79)の教えを受けたといわれる東北秋田藩主の佐竹曙山(1748−85)や小野 田尚武(1749−80)が、後に秋田蘭画と呼ばれる洋風画を描くことになる。特に佐竹曙山 は『画法網量』『画図理解』と、西洋画の書も執筆し、西洋画の実学的性格(実用性,合 理性,有用性)を述べている。このころから、西洋画の実学的な面が強調されることに

なる。又、司馬江漢(1747−1818)も、自身による西洋銅版画・油絵の制作から、西洋画 の合理性,写実性を強調した。以後、葛飾北斎の浮世絵に見られる遠近法等、西洋絵画 の影響と思われる技法が導入されていき、日本の画壇では西洋絵画二実学的な要素とな

り強調されていくことになる。

 上記の様に、西洋絵画技法に見られる写実性や遠近法が日本の絵画技法に流用された のは江戸時代中頃と考えられる。しかし、西洋絵画に使用する油絵具や用具等の入手は 困難で、油絵や銅版画を大量に制作することは無かったと考えられる。転機となったの は江戸時代末期、米国を始めとする西洋諸外国との開国からである。欧米の科学・工業 力を目の当たりにした江戸幕府は、国防及び国内産業の近代化を行うため、西洋科学技 術導入を目的とした洋学研究と教育を行う機関の設立を準備する。幕府は、安政3(1856)

年に洋学所を設立し、翌安政4(1857)年、蕃書調所を開所した2〕。同年、蕃書調所内に 絵図調方が設置され、川上覧(冬崖)を中心として洋書を元に西洋画研究を始める。文 久元(1861)年、絵図調方は画学局となる。画学局は画学を学ぶ生徒が多かったため、

蕃書調所は独立した一科にするよう幕府老中に伺ったが、幕府勘定方が反対し評議が割 れる。幕府外国掛大目付御目付は西洋画の実学的価値を答申し、老中は折衷案として画 学出役の役名で任命となる。文久2(1862)年に蕃書調所は洋学調所となり、翌文久3

(1863)年に開成所となる。元和元(1864)年には開成所規則が設けられ、「稽古規則覚 書」に画学も科目の一つとして挙げられている。画学出役の川上指導の下、高橋由一や 狩野友信らが図学、写生、油絵を描いたとされている。慶応3(1867)年のパリ万博に

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は画学局関係者の油彩画が出品している。

 しかし、江戸幕府崩壊により開成所は閉鎖される。その後、開成所は明治政府により 再開され、大学南校へと続き、東京開成学校(東京大学の前身)となる。

 開成所が学生に対しどのような教育を行っていたのかははっきりしていないが、西洋 学間の一つとして画学が研究されていたことは間違いない3〕。金子一夫(1992)は、「(画 学局が)まず研究と画学の有効性を示す写生画の作成に忙しくしている内に幕府が瓦解

してしまい、教育については十分に研究実践がなされるところまでいかなかったのでは ないか」4〕としている。

 しかし、幕府外国掛大目付御目付が西洋画の実学的価値を主張する点は、前述の佐竹 曙山の主張と相通じるものがある。開学所で画学を希望した学生も多かったという事か ら、画学局は西洋画の実用性だけでなく、これまでの日本絵画にはない写実性に惹かれ て研究していたとも考えられる。

 開成所に関係していた人々が、明治期の絵画教育に与えた影響は大きい。開成所閉鎖 後、川上は私塾、聴香読画館を開き、南画や和洋折衷画を教えた。他に高橋由」の天絵 楼、英国より帰国した国沢新九郎の彰技堂等、西洋画塾が開かれる。国沢没後の彰技堂 は本多綿吉郎が引き継ぎ、多くの弟子が輩出された。民間での洋画研究の隆盛もあり、

明治政府は明治9(1876)年、工部美術学校を設置する。工部美術学校には当時の画塾 の優等生が入学し、明治時代を代表する洋画家や図画教員を多く輩出することになる。

第2節 明治,大正,昭和初期の絵画教育の変遷 第1項 明治初期の鉛筆画教育

 明治初期、日本は旧幕府の鎖国政策により、欧米に比べ科学及び近代工業化が遅れて いた。明治政府は、日本に西洋科学技術を導入する為には、正確な図画や記録を作成す る技術を必要としていた。又、日本で製作される織物等の工業生産品には、図案等、作 図の知識が必要と考えられていた。明治政府が日本の産業近代化に、細密で正確な描写 が可能な西洋絵画技法の普及は必要と考えた。そこで、西洋画に上記の様な実学的要素 を見出した明治政府は公教育の普及と体系化を行う際に、西洋画技法を習得する為のカ

リキュラムを導入する。

 明治初期の絵画教育は、学校教育の体系化により開始される。それまでの日本には、

教育を合理的かっ計画的に進めるシステムそのものが存在しなかった5〕。工房や私塾、

あるいは個人教授の場は、師の作業や教えを何回もまねて習得する内容であったと考え られる。学校教育を合理的かつ計画的に行うには、教育内容そのものを合理的体系とし て構築する必要がある。絵画教育を学校教育として普及させる際、西洋絵画の合理的要

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素は西洋の科学技術習得という点でも、教授体系のシステムとしても体系化しやすかっ たといえる。

 明治の学校教育は、明治4(1871)年に文部省が創置され、明治5(1872)年r学制」

及び「小学教則」が交付される所から始まる。「学制」では小学校を上下二等に分ち、そ の上等小学校の学科の中に「幾何学罫両大意」があり、その他事情によって授けても良 いという学科の中にr画学」があった。r幾何学罫両大意」はその後r罫画」に改められ るが、「小学校教則」によると、「罫画」は上等小学校の第6級から第1級まで課すこと になっている。現行学校制度では小学6年から中学2年まで3年間課されていたことに

なる6)。

 明治4(1871)年、川上覧(冬崖)編著の『西面指南』が大学南校より発行され、文 部省に図画関係の教科書として指定される。大学南校とは、幕末の開成所を明治政府が 再開し、明治2(1969)年に改名されたものである。旧幕府開成所で画学出役だった川 上は開成所から離れていたが、復職し明治3(!870)年大学南校図画御用掛となる。『西 面指南』は発行されたことが確認できる図画教科書最初の本で、前後二編に分かれてい る。前編は川上の西洋画の解説に、イギリスのスコットボルン著『Th・ I11ustrated Drawi㎎ Book』(1857)を訳して編纂したものである7)。ボルンの原著内容は、西洋画 の描き方を大人向けに説明したもので、紙面の大半は文書である富〕。詳細は中村亭(1979)

が解説しているので割愛する9〕。紹介される画材としては「筆」「石筆」「灰筆(ケレヨ ン)」「朽木(ヤキフデ)」が挙げられていぴ〕。「筆」「石筆」は鉛筆を指す。しかし、明 治初期には鉛筆が用いられていなかった。輸入鉛筆が一般商品として普及したのは明治 10(1877)年以後である。その間、どのような画材が使われていたかははっきりしない が、「灰筆」「朽木」から、木炭やコンテのようなものが使われていたと考えられる。続 く『酉画指南』後編は明治8(1875)年に発行された。内容は透視図法の翻訳であるが、

原本は判明していない。『西面指南』前編は文章説明と図が中心だったため、明治5(1870)

年に東京開成学校から『図法階梯』が発行された。内容は直曲線・器物・風景・植物な どの線画を配したもので、文章はほとんどない。山形寛(1969)によるとr図法階梯に 画いてある器物・器具・農具・工具・楽器・建築物はすべて西洋のものそのままでで、

日本の風物は画いていない」l1〕とある。当時の教科書は、小学校用,中学校用の区別も 画然としてはいなかった。教科書は国が定めた国定教科書が無く、山形(1969)による

と多くの教科書が確認されている12)。当時の教育方法は手本の模写、すなわち臨画教育 だった。それゆえ、教科書は手本図集になり、教科書も種類が増えた様である。

  r学制」は明治!2(1879)年r教育令」となり、翌明治13(1880)年にはr改正教育 令」となった。明治14(1881)年r小学校教則綱領」r中学校教員1」大領」を公布しr罫 画」「画学」を「図画」とした。図画教員には、工部美術学校や画塾の出身者、又は明治 13(1880)年に設立された京都府画学校の出身者が図画の教員として配置された。

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 明治政府は殖産産業を目的とし、西洋絵画の実学的要素を推進させたが、教育内容は 工業図案的学習より描画的図画学習へと変化したと考えられる。前述の『西面指南』の 原著は大人向けの絵画技法教育本である。また、図画教員の多くは洋画家であったため、

図画が描画技法中心になったとみられる。図画は明治政府の意図した殖産の為の工業的 図案教育ではなく、描写力の伸長を企図することとなる。

第2項 鉛筆画・毛筆画論争

 明治初期の罫画,画学,図画は西洋絵画の技法を導入していた。しかし教授法は、教 科書のお手本を移す臨画教育であった。教育内容も地方によりまちまちで、文部省が教 科書として指定した図書を、地方にあわせて印刷を許可した為、多数の翻刻図書が存在

したユ3〕。

 日本国内では、明治10(1877)年頃から国粋運動が起こる。美術においてもフェノロ サや岡倉覚三(天心)が日本美術の優秀さを説き、日本美術の復興に努めていた。

 その中、明治17(1884)年、文部省に図画教育調査会(図画調査会)が設置され、会 合が持たれた。委員は岡倉覚三,今泉雄作,上川村重個,山路一遊,小山正太郎で、後

にフェノロサが加わった。会合の内容は、普通教育に日本絵画の導入が可能かどうか,

又、可能な場合の方法について協議であった。しかし、西洋絵画の小山以外の委員は、

岡倉,フェノロサの賛同者で固められていた。岡倉は工芸の基礎にもなる日本絵画の優 位性を説き、普通教育の図画に毛筆画の導入を訴えた14)。小山は普通教育と専門絵画教 育の違いを説き、整然とした認識論的体系を持ち実用性の高い西洋画を推した15〕。岡倉,

フェノロサは新しい日本絵画創作による日本画復興を日指していたため、西洋絵画の小 山と対立する。普通教育の図画を協議する会合が日本絵画対西洋絵画の対立になってし まう。会合は岡倉,フェノロサの意図する方向に進み、小山は後に委員を辞任する。会 議の報告を受けた文部省は、日本絵画と西洋絵画の対立を恐れたのか、日本絵画を毛筆 画、西洋絵画を鉛筆画と呼称するようになる。

 明治18(1885)年、文部省は文部主専門学務局に咽面取調掛」を設置した。岡倉が 同掛主幹、今泉雄作,フェノロサが委員となる。図画取調掛は日本絵画の調査と指導法 の整理を目的としていた。

 明治19(1886)に小学校令,中学校令が公布され、教科書には検定制度が発足した。

図画取調掛は、次第に普通教育から専門美術教育へ関心を移し、明治20(1877)年に東 京美術学校(のちの東京芸術大学)へと改称した。東京美術学校は日本美術教育のみで 行い、岡倉覚三幹事(のちに学長),アーネスト=フェノロサ雇(のちに教頭格)で、毛 筆画による新しい日本の美術を構築させ普及しようとする。フェノロサの新目本美術運 動は明治15(1883)年の演説をまとめて訳した『美術真説』に詳しく記載されている16)。

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フェノロサは日本絵画の本質を体系的に展開させたが、授業実践では単純な線を何十回 も描かせる等、学生には不評だったらしい17〕。フェノロサは任期切れで明治22(1879)

年に帰国となる。岡倉は独自に学生を指導し、毛筆画の図画教員を輩出して師範学校等 に毛筆画を普及させた。毛筆画教科書も明治21(1888)年から発行され始め、以後、図 画教育には鉛筆画・毛筆画両方の教育が併用され、臨画形式で実践されていく。

 毛筆画教育が普通学校に普及すう一方、専門美術教育では新しい西洋絵画により日本 絵画の勢力が弱まることになる。黒田清輝ら外光派の人たちによる新しい洋画,新派の 台頭であった。明治29(1896)年、東京美術学校に西洋画科が設置され、西洋絵画が再 び公教育機関で教育されるようになった。黒田は模写から入る教育方法を排し、石膏像 の木炭素描から入っていった18〕。これは普通教育で、手本を模写する臨画教育の割合を 減らす結果になった。さらに明治31(1898)年、岡倉は自身の騒動で東京美術学校を退 任する(美枝騒動)。岡倉・フェノロサによる新目本美術の構築は、普通教育の現場に取

り込まれず、日本美術院等、創作活動の分野へ移ることになる。

 また、公教育から離れていた小山も高等師範学校に講師として復職し、教員養成に携 わるようになる。

 普通絵画教育は鉛筆画・毛筆画が併用され、従来の臨画教育で実践されていくが、鉛 筆の普及とともに、毛筆画教育も減少していくことになる。

第3項教育的図画時代と『新定画帖』.

 明治33(1900)年、改正小学校令が公布され、学校教育制度が整備されていった。明 治35(1902)年には文部省により「普通教育二於ケル図画取締委員会」が設立され、普 通教育においては鉛筆と毛筆をことさら区別しないことが挙げられた工9)。これにより鉛 筆画・毛筆画論争は一応終結した。

 明治36(1903)年には小学校令施行規則が改正され、図画も国定教科書制になる。明 治38(1905)年、『尋常小学毛筆画手本』『高等小学毛筆画手本』『尋常小学鉛筆画手本』『高 等小学鉛筆画手本』が翻刻された洲。指導法は手本を写し取る臨画教育で行われた。

 明治43(1910)年『新定画帖』が発行される。『新定画帖』は毛筆画と鉛筆画を併記 した国定教科書である。同時に尋常!年生から色鉛筆を使って書かせる等、多数の教材 と描画材を導入併存させた。臨画等手本の写しは題意ではなくr練習」であることが明 記され21)、児童の発達段階に応じて低学年では記憶画、高学年では写生画を重視した。

 『新定画帖』は多数の教材と描画材を導入併存させたため、発行当初は普及しなかっ た。従来の臨画教育による毛筆画,鉛筆画手本とは考え方や教育内容が違っていたため である。『新定画帖』の種本は、アメリカで発行された『Text books of Art Education(1904−5)』といわれている22)。しかし明治初期の『西面指南』の様に訳本で

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はなく、これまでの図画取締委員会の意見なども取り入れられて構成されている。『新定 画帖』は当時の図画教育教材の体系化を促進させていくことになり、大正時代に入ると

『新定画帖』の趣旨が理解され普及してくる。山形(1969)は、「新定画帖は、臨画教育 から、記憶画・写生画教育への転換をはかり、小学図画は写生画・思想画教育を中心と する図画教育を確定した意味をもつものである」23〕と述べている。このころの写生画は、

物を見たまま写しとる絵を意味し、風景画とは違うが、『新定画帖』が臨画手本から写生 画への転換を図り、後の自由画運動につなげることになる。毛筆画が、鉛筆画の普及と 臨画手本の細密化により、次第に使用されなくなってきたのもこの頃からである。

第4項 新しい教育運動

(自由画教育運動から『小学図画』へ)

 『新定画帖』の普及と時を同1じくし、大正から昭和にかけては、新しい絵画教育が隆 盛してくる。

 大正8(1919)年、山本鼎は「日本児童自由画協会」を設立し、自由画教育を提唱す る。山本の自由画教育運動は、『新定画帖』の教育内容から派生したものではたく、山本 がフランス遊学時にロシア経由で帰国した際に見聞きしたことを、画家の直感ではじめ たものだった24)。当時の国内の絵画教育とは直接的な接点が無かったが、山本の提唱後、

議論を呼びつつも自由画教育運動は普及していく。山本は『自由蕾教育(1921)』でr自 由釜といふ言葉を選んだのは、不自由書の存在に対照しての事である。云ふまでもなく 不自由書とは、模鴬を成績とする書の事であって、臨本一粉本一師博等によって個性的 表現が塞がれてしまふ其不自由さを救はうとして案ぜられたものである」25)と論じ、臨 画教育を排し、児童の個性的表現を推奨した。昭和3(1928)年、山本自身によるr自

由面打ち切り宣言」が行われ、自南画教育運動は一応終結するが、その後の我が国の図 画教育に多大な影響を残したといえる。

 国定教科書は、『新定画帖』の発行から20年近く変更が無かった。しかし文部省は自 由画運動後、新しい教科書を作成する。昭和7(1932)年に『尋常小学図画』が完成し、

以後『高等小学図画』と編纂されていく。『小学図画』は、児童発達程度に応じ、思想画 に重きを置き、学年が進むにつれて思想画を減じて、写生画を増やすようにした26〕。画 材もクレヨン,水彩絵の具が主流となり、毛筆画による臨画は減少した。さらに、わず

かではあるが、軍国的な題材も入れられるようになった27〕。

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第5項 戦中の美術教育

 昭和12(1937)年からの日中戦争長期化の様相に伴い、昭和16(1941)年に国民学校 令が公布され、図画は教科再編により芸能科の科目に属するようになった。芸能科内に 工作も入ってくるが、本論は絵画教育に絞るため割愛する。国定教科書も『エノホン』

『初等科図颪』『高等科図画』に変わり、より戦時色の強い内容になってくる28)。先の教 科書には「兵隊」「軍艦」「要塞」といった軍に直接かかわる内容から、「防空演習」「隣

り組」といった戦時下の生活を題材が挙げられ、軍国主義的教材が取り上げられている。

描画の申には毛筆画(日本画)が強調され、墨絵,彩色画の両方が取り上げられている。

『小学図画』でも毛筆画は取り上げられていたが、戦時体制による国家主義的思想の影 響で、西洋画に対する反動から、墨の濃淡や筆致等がより強調された教材となった。

 」方、生活と産業の関連性を考慮し、色彩指導を重視した教材も多く取り上げられて いる29)。文部省は昭和16(1941)年、鑑賞教材に国宝級の名作を大判(85×60cm)で複 製した『芸能科図画鑑賞指導用掛図』を制作発行している30〕。

 戦中の美術教育は、明治以降の絵画教育の集大成であったといえる。教科書の課題や 臨画手本等に軍国主義的な内容が色濃く出てはいるものの、教育カリキュラムとして一 つの系統性に準じた内容になっている。山形(1969)も「以前の教科書、特に小学校用 教科書は、一つのちゃんとした系統があって、第」項から順に指導していけばよいよう になっていた」31)と、戦中までの教科書を評価している。戦時下の物資不足による不完 全な運用と、課題の軍事的内容を除けば、絵画技法の習得等、教科内容として一つの完 成形に近い内容になっていたと考えられる。

第3節戦後の美術教育について

 昭和20(1945)年の敗戦により、日本は連合国の占領下におかれる。連合国軍総司令 部GHQには、教育管理部門としてCIE(民間情報局教育局)があった。GHQは軍国主義・

超国家主義的要素の排除を行うために様々な施策を行った。文部省は同年9月に「終戦 二件フ教科用図書扱方二関する件」を発して、教科書,教材から軍国主義的な内容部分 を削除するように命ずる。芸能科図画・工作教科書は、昭和21(1946)年6月17日の 通牒によって国民学校から師範学校まで」切使用禁止となる。

 昭和22(1947)年の教育基本法と学校教育法,学校教育法施行規則が公布され、小中 に図画工作科が設置された。図画科と工作科の合併はCIEの意向であった。山形(1969)

によると、当時「米語ではアート・アンド・ハンディクラフトと決まっていたけれど、

日本語は決まっていなかった」という。そこで暫定的に図画工作科としたらしい32)。

 図画工作の検定教科書は制作されなかった。山形(1969)によると、文部省は図画工

9

(13)

作の検定基準を作成していたが、GHQ及びCIEに削除されたらしい33)。また、CIEの小学 校図画担当官が図画工作の検定教科書作成に頑として反対であった。

 やむなく文部省は中学校図画工作の検定教科書作成から開始し、昭和26(1951)展示、

次年度より使用となった。小学校図画工作の検定教科書は、平和条約発効後の昭和28

(工953)年から準備され、昭和30(1955)年から使用されることになる。

 昭和21(1946)年〜30(!955)年までの無教科書時代は、臨画の手本を教育内容から 排した。臨画と密接に関係していた毛筆画は、水彩画へと変容する。その後、新しくつ

くられた検定教科書は、絵画手本的な要素を排し、授業で描かれた児童生徒の作品を多 く掲載した内容に転換する。戦後の検定教科書の特徴として中村(1979)は、児童作品 を中心にした編集と、教材の系統がはっきりしない点を指摘している34)。昭和33(1958)

年、中学図画工作科は美術科へと変わるが、検定教科書は現在も児童作品中心で編集さ れ実践されている。

第4節 まとめ

 日本に西洋絵画技法が渡来して約400年になる。その閻、西洋絵画の写実性と実用性 は当時の日本人にとって絵画の最新技術であった。江戸時代の絵師や明治の開成所所員 が、西洋絵画の実学的要素より異国の実として興味を持ち、蘭画及び洋画家に転身した ことはその表れともいえる。

一同時に当時の文部省関係者は、絵画教育を普通教育に取り込むなら、日本の徒弟制度 による著書の修練より、西洋絵画教育の系統的教育方法の方がはるかに容易であると考 えた。近代教育制度の確立していない明治初期に、文部省が普通教育の普及には西洋絵 画教育が適していると結論を出すのは自然なことであったといえる。明治中期の鉛筆 画・毛筆画論争は、最終的に鉛筆画・毛筆画両方を使用することで」応の結着をみるこ

ととなった。大正期の自由画運動は教育内容を刷新し、その結果、臨画形式の手本は減 少した。臨画は戦中に毛筆画とともに若干復興するが、国粋主義的内容はGHQおよびCIE

により排除されてしまう。以後、美術教育は西洋絵画技法を基にした児童生徒作品中心 の内容になり、60余年間、r日本の美術」に関する技能や作品鑑賞の継承がほとんど無 い状態で実践されている。

 連合国統治後、柔道や剣道といった軍国主義に通じる武道が禁止されても、平和条約 発効前後に復興している。しかし、絵画教育の中では、戦中までの毛筆画・臨画教育の 見直しは近年まで実践されていなかった。日本の伝統的な美術に関しても美術等の教科 で作品が紹介されても、伝統文化教育として系統化された教育として実践されてはいな い。日本の美術文化に関する教育は、各教員が学習指導要領の範囲内で個々に実践され ていても、指導要領の記載に具体性が無い以上、実践内容も限定されたものとなる。平

10

(14)

成20年告知以前の学習指導要領で幼心中高の美術教育を受けてきた学生達は、各教員の 創意工夫で実践内容が行われた関係上、日本の美術に関する共通した知識や感覚を幼心

中高教育から得られていないと考えられる。

 そこで、現在の学生が、幼心申高の美術文化教育でどのような実践を受けてきたのか を調査し、検証する必要があると考える。又、各教員における日本美術文化教育の実践 で、学生が幼心中高の美術文化に関してどのように受け止め理解されたかも調査・検証 する必要があると考えられる。

 仮に学生が、日本の美術に関する知識や情報が少なくても、日本の美術文化に対する 興味関心が無いとは限らない。しかし、学生が幼心中高の学習時に、日本の美術文化に 接する機会が少なかった場合、今後、日本の美術文化に関する知識や感性を得る機会は 少なくなり、諸外国の人たちから日本の美術文化に関して問われても、適切に答える事 は出来ない。また、本学の場合、学生の多くは教員志望の為、日本美術文化に関する授 業を児童生徒に行うことになる。教員が日本美術文化に対する知識が無くては、児童生 徒が興味関心を得る機会も少なくしてしまう。その為にも、学生に対して、日本の美術 文化教育に関して問うと同時に、学生自身の日本の美術文化教育に関する意見も合わせ て検証したいと考える。次章では学生のアンケート調査から見える、日本の美術文化に 関する意識を検証する。

11

(15)

第2章 大学生の日本美術文化に関する意識調査

第1節 学生にとって、日本の美術文化とは

 近代の日本における絵画教育で、日本の美術文化が西洋の美術教育と融合し変化され ていく歴史的経緯は前章で述べた。戦後、GHQによる占領政策により、日本の伝統美術 が意図的に排除された形で進められ、現在に至っている。その間、日本は主に西洋文化 圏の生活様式が流入され、明治以来の極端な西欧化が進むことになる。学校教育も欧米 の教育法が積極的に導入され、家庭での生活空間も欧米化が進んだ結果、日本に住む多 くの人々は、日本の美術文化を日常生活で意識しにくくなっているのではないかと考え

られる。

 では、戦後の西洋化した民主主義教育を受けた学生は、日本の美術文化についてどの ように意識しているのか。本節では学生たちがこれまでに幼心中高の学校教育の中で学 習してきた日本の美術文化に関する内容を調査し、検証する。

 まず、兵庫教育大学学部1回生(」部院生含む)の「初等図画工作」受講者200名に、

日本文化に関するアンケートを実施し、有効回答者197名から日本の美術に関する学習 内容,印象や知識,具体的な作品・作家等,今後の美術教育に関する意見を集めた。

 アンケートの質間内容は以下の通りである。なお、学生にはアンケートの趣旨を説明 し、周囲に相談せずに各自が思いついたことをそのまま記述するよう依頼した。

(資料1)兵庫教育大学修士論文アンケート(大学生対象)

    あなたの中の「日本の美術」意識調査  2010年12月9日(木)実施より

(アンケート回答用紙)兵庫教育大学修士論文アンケート(大学生対象)

      あなたの中のr日本の美術」意識調査

1,  (性別・年代等基本情報)

2,  あなたが、「日本の美」と聞いて、特に連想するものを5つ以上、順にあげて    いってください。

     日本の美→( )→( )→( )→( )→( )     →( )→( )→( )→( )

3,  あなたはこれまでに、日本の美術品で、特に印象に残っている物があります    か、どちらかに丸で囲んでください。

    !,ある  2,ない

12

(16)

4,  2で1にOを入れた方に質問します。それはどのような美術品でしたか?

   簡単に答えてください。

   rI       r    l.      」

5,  それを見たのはいっのことですか。○で囲んでください。

    1,」ヶ月以内  2,三ヶ月以内  3,半年以内  4,一年以内     5,( 年前) 6,覚えていない

6,  どこでそれを観ましたか。

     1,美術館・博物館  2,百貨店・デパート  3,市民会館・公民館      4,寺院・神社  5,会社・学校  6,個人宅  7,本・図録      8,TVその他映像  9,その他(       )

7,  それを見た理由を答えてください。

     1,興味があったから  2,知人・友人に誘われた     4,学校行事  5,その他(

3,たまたま

8, あなたがr日本画」と聞くと、どんな印象がありますか。該当するものを○

で囲んでください(複数可)

 1,おもしろい  2,おもしろくない  3,興味がある 4,興味がない  5,新鮮だ  6,古くさい  7,画面がシンプル  8,画面が複雑  9,色が多彩  10,色がシンプル 11,全体がきれい 12,全体が汚い  13,革新的  14,伝統的  15,よくわからない  16,わかりやすい  17,楽しい  18,退屈  19,その他(      )

9, あなたがr西洋画」と聞いて、どんな印象がありますか。該当するものをO で囲んでください(複数可)

 1,おもしろい  2,おもしろくない 3,興味がある 4,興味がない  5,新鮮だ  6,古くさい  7,画面がシンプル  8,画面が複雑  9,色が多彩  10,色がシンプル 11,全体がきれい 12,全体が汚い  13,革新的  14,伝統的  15,よくわからない  16,わかりやすい  17,楽しい  18,退屈  19,その他(      )

13

(17)

10, あなたが日本画と聞いてイメージする絵は、どのような内容が描かれたもの    ですか。○で囲んで下さい(複数可)。

    1,宗教的絵画  2,肖像画  3,風景  4,動物  5,植物     6,四季  7,空想図  8,抽象画  9,歴史画  10,物語     11,その他(      )

11, あなたが日本画と聞いてイメージする絵に使われている素材は何でしょう    か、○で囲んで下さい(複数可)。

    1,水墨  2,金箔・銀箔  3,岩絵の具(水彩)  4,版画     5,アクリル絵の具  6,油絵の具  7,漆(うるし)

    8,その他(       )

12, あなたがイメージする日本画の形式はどんなものでしょうか、○で囲んで下    さい(複数可)。

    1,屏風(びようぶ)  2,襖絵(ふすまえ)  3,掛け軸  4,色紙     5,巻物  6,額縁の絵  7,障壁画  8,その他(      )

13,

14,

あなたがこれまでの学校教育(小学校〜高校)の図画工作・美術・総合・そ の他の授業等で、日本の美術に関して授業を受けたことはありますか。ある 場合は一つ以上詳細をお書きください。

 ・日本の美術に関して授業を受けたことが(ある・ない)

 ・それはいつですか(      )

.内容

^      1

     ㌧       ノ

今、あなたの手元に、これらの絵の複製画があったら、どちらを家の中に飾 りますか。各群でA・Bどちらかに○で囲んでください(スライド参照)。

 1群A   B     2群A     B

 i

締綱

15, 14の問いで、どうしてそちらを選んだのか、理由を簡単に答えてください。

14

(18)

 アンケートは平成4年4月1目以前に生まれた学部生(一部院生を含む)を対象とし ている。つまり、学生達が中学校在籍時には平成13年の検定教科書か、それ以前の教科 書を使用している事になる。教科書は文部科学省の検定を受けるので、教科書会社は違 っていても、平成10年告示の学習指導要領に沿った指導内容で実践されている。「学数 指導要領 第2章 第6節 美術」の、「第1 目標」にて「(中略)美術文化について の理解を深め…」35〕と追加されたのは、平成20年告示版からで、その前の平成10年告 示版には記載されていない。学生達が学校教育で受けた日本の美術文化教育には、各実 践教員によるばらつきがあると考えられる。

 では、アンケートの問題順に回答結果を確認し、検証していく。1間日は平成22年4 月1同段階の年齢層及び性別の確認なので割愛する。

 次に2間目(あなたが、「日本の美」と聞いて、特に連想するものを5つ以上、順にあ げていってください)だが、以下に示す結果となった。

  0…6名  1〜2…3名 3〜4…   14名

(図1)2間目の回答数と回答者の人数分布図

 r日本の美」回答数0は、総数197名中6名と少ない。回答できなかった6名の内3 名は、その後の8間目で「興味がない」「面白くない」「古くさい」と回答している。さ らに14間目では「(空欄)」「家の中に飾るとするなら、日本の古くさい絵は好まない」

等と回答している事から、この3名は「日本の美」に関して批判的であることが読み取 れる。残りの3名は、他の設問で記号問題には回答し、記述式設間は空欄であったこと から、記号による回答は出来ても、具体的なイメージを思いつかなかったと考えられる。

つまり、6名の内3名を除いた194名は、r日本の美」と聞いて連想するものがあった,

あるいは連想しても記入する時間が無かったと考えられる。しかも、学生の内、174名 は5つ以上、多くのコメントを回答している。

 次に連想した内容だが、各自が最初に連想した5つに限定し、語句を抽出して多いも のから順に並べてみた。

15

(19)

2間目で記述の多かった回答

着物 浮世絵 四季

(図2)2間目で記述の多かった回答と回答者数

 回答で多かったものは「富士山」「日本庭園・庭園」「桜」となる。記述欄の最初に「富 士山」を回答した者は197名中15名である。このことから、二番日以降に「富士山」と 記述した学生は、先に連想し記述したものから「富士山」を導き出して記述した事にな

る。改めて回答を確認すると、「海→富士山」「山→富士山」「桜→富土山」「四季→富士 山」「紅葉→富士山」「雪→富士山」等、季節の事象や「海」「山」等の自然物から「富士 山」という回答を導き出している。一方、回答内で日本絵画に通じる「浮世絵→富士山」

「円山派→富士山」「富士山→水墨画」といったものも見られた。これらから学生の内数 名は「日本の美」に「富士山」を連想する際、写真や実物の富士山より、浮世絵等、日 本の絵画モチーフとして富士山を連想して記述したとも考えられる。

 次に「日本庭園・庭園」であるが、最初に「日本庭園・庭園」を連想した学生は16名 と「富士山」より多い。さらに二番目以降に「日本庭園・庭園」を回答した者は「城→

庭園」「寺→日本庭園」「神社→庭園」「和室→庭園」と「日本庭園・庭園」がある場所か ら連想した学生が多かった。又、「日本庭園→ししおどし」「日本庭園→着物」と、「日本 庭園・庭園」の設置物やその時の衣装等、「同本庭園・庭園」の情景から連想をしている

ものも見られた。これらから学生達が「日本庭園・庭園」を「日本の美」として捉えて 16

(20)

いると同時に、「日本庭園・庭園」の設置場所や設置物等「日本の美」に関する情景とし て連想し、他の物を表出させやすい役割があるものと考えられる。

 次に「桜」であるが、最初に「桜」を連想し回答した学生は6名と少ない。しかし二 番目以降に「桜」を回答した中に「四季→紅葉→桜→富士山」「四季→桜→紅葉→富士山」

等、「桜」に「紅葉」「四季」「富土山」のキーワードを、数や配置を変えながら連続させ て記入している学生が8名いた。「紅葉」が多かったのは、アンケート調査目が12月の 晩秋だった為、学生達がイメージしやすかったとも考えられる。しかし、「桜」「紅葉」

「四季」「富士山」という4つのキーワードが複数の者により連続して回答されていると いうことは、上記の4つは「日本の美」として続けて連想しやすいものという事になる。

又、「四季」と回答した学生に、冬を表す「雪」や、夏を表す「海」等を回答した者はい なかった。学生は「雪」「海」を「富士山」と連続して回答しても、「桜」「紅葉」「四季」

に連続させて回答していない。学生は富士山の様に、「日本」を象徴する物や、季節感を 表す物、「花鳥風月」と呼ばれるものを多く回答している。しかし、連続する組み合わせ にある種の順序や法則があるのには、「日本の美」として一つ又は複数の絵画的な情景を イメージして回答された可能性がある。この辺りは第3項にて検証したい。

 尚、日本の絵画と直接関連する回答では、「浮世絵」「水墨画」「日本画」と続いており、

全体数から見ると決して多くはない。さらに「北斎」「雪舟」といった具体的作者・作品 名や《見返り美人図》といった具体的作品名を回答したもの、あるいは《金閣寺》とい

った具体的な建築物を回答した回答者は、197名の内6名だった。

 次に、学生は具体的に日本の美術作品を「いつ」「どこで」「どのようにして」見たこ とがあるのか、3間目で確認してみた。

1,ある

2,ない(無回答含む)

(図3) 日本の美術品で特に印象に残っているものがあるか

 3間目で(ある)と答えた人数は全体の5割近くになった。ぽぽ半数の学生が日本の 美術品で印象に残っているものがあることになる。

 しかし、4間目(それはどのような美術品でしたか?簡単に答えてください)を確認 すると、ほとんどの回答者が「北斎の浮世絵」「狩野山楽?のびょうぶ」「風神雷神図の 屏風?」と、回答に正確さが乏しく、はっきりしない記述内容になっている。「実家にあ る無名の作家の絵」では、正確に回答することはできないが、作者及び作品名の両方を

17

(21)

正確に記述している学生はいなかった。

 又、「女の子の絵(れい子微笑)」「ジブリの水彩画」「金沢のプールみたいな美術」と いった、洋画や現代の美術と思われるものも含まれており、明治現代の美術と現代の美 術に関する錯誤が見られた。

 次に5間目(それを見たのはいつのことですか)は、以下の通りとなった。

5 日本の美術品を見たのはいつか

番号 見た時期 回答者数

1 一ヶ月以内 ・・W名

2 三ヶ月以内 …2名

3 半年以内 ・・W名

、、 一D鶯 .一黶D F一二一。  DD。 1,. 一

、… 1〜2年前 …2名 2年前 ・・ V名

3年前 …1名

4年前 …3名

6年前 ・1名

7年前 ・1名

8年前 ・・P名 10年前 …2名

6 覚えていない

・・R8名

※■は記述回答から確認し集約した

(図4) 日本の美術品を見たのはいつか

 r覚えていない」とする学生が多いが、r一年以内」とする学生が集中している。「一 年以内」は、学生の多くが高校3年生、つまり大学入試時期にあたる。この為、学生達 が受験学習の過程で、日本の美術品を観だとも考えられる。

 次の6間目(どこでそれを観ましたか)は、以下の図のようになった。

18

(22)

6 どこで日本の美術品をみたか 番号   見た時期

1 美術館・博物館 2 百貨店・デパート 3 市民会館・公民館 4 寺院・神社

・・Q名

…2名

一6名

・7名

(図5) どこで日本の美術品をみたか

 まず、作品の展示が行われているr美術館・博物館」や、敷地内にギャラリーの併設 が多い「百貨店・デパート」「市民会館・公民館」の人数が多い。これらは場所から考え ると、回答者は日本の美術品の実物を直接鑑賞したことになる。「寺院・神社」も収蔵品 の公開等があるので、回答者は実物を鑑賞したと考えられる。個人蔵も、学生の「作者・

作品名は忘れたが祖母の自宅で実物を見た」等、詳細に記述されているので、実物を鑑 賞したと考えられる。

 次に、r学校・会社」r本・図録」rTVその他の映像」を回答した学生を合計すると、

37人になった。上記学生の内「学校・会社」は、日本の美術品の実物を鑑賞したか、写 真や映像等を見たのか判別がつかない。上記の学生が、学校授業等で教科書掲載写真や 映像資料を観た内容を回答しているとすれば、多くの者が授業で学習した内容を印象に 残していたと考えられる。先の4間目で、作品詳細記述欄に「授業で観だ」 「教科書で 観だ」と補足回答している者が確認されているので、「その他」で回答した学生も、学 校授業や授業外で教科書等の資料を見たことを回答したとも考えられる。授業で日本の 美術文化を詳細に学習していなくても、教科書資料等を各自で観て記憶していると仮定 するなら、学校教育の影響と捉えて良いと考えられる。

 次に7間目(それを見た理由を答えてください)で理由を確認し以下にまとめた。

19

(23)

7 日本の美術品を観た理由 番号    見た理由

1 興味があったから 2 知人・友人に誘われた

(図6) 日本の美術品を観た理由

 「その他」の2名は「書道(教室?)のお手本」と回答している為、書写作品と判断 し割愛する。

 まず、r興味があったから」と答えた者が27名いる。回答者は幼心中高の教育活動に 平成10年告知前後の学習指導要領を元にした学習を受けているので、日本の美術文化に 関して教科目標とされる授業内容を受けていないと考えられる。このことから、学校で 詳細な知識を得ていなくても、学生は美術文化に関する興味を持つことが出来たとも考 えられる。もっとも「興味があったから」と回答した27名が、学校の授業活動等で日本 の美術文化に興味を持ったのなら、学校で実践された美術教育の成果であるともいえる。

 次に、「学校行事」「たまたま」の回答を合わせると50人になる。学生が「学校行事」

を、「普通教科授業」も含めて入れているかの判別は難しい。しかし一方で、学校行事の 一環として美術文化に触れることのできる実践があったと考えられる。内容的には美術 館・博物館見学か、制作等の体験学習のいずれかだとは考えられるが、各学校での個々

の取り組みによって日本の美術文化に触れられる機会が得られていることがわかる。

 「たまたま」の回答に関しては、回答項目に「授業で観だ」を入れなかった為、学生 が授業中に観た内容をrたまたま」としたとも考えられる。又、授業外で教科書や資料 集等に掲載されている写真等を観て印象に残っていれば、「たまたま」見たに回答してい

るとも考えられる。これらの回答から、学生の日本文化に関する知識には、授業等の直 接的な体験や、教科書や映像資料を観て覚えていた等、学校教育の影響とも考えられる。

 しかし、これまでの回答から、学生は幼心中高の授業で観た作品や作家など、知識と して知っている事を単に回答したとも考えられる。学生が日本の美術作品と他国の作品 との違いを認識し、各自で美術の価値を判断していなければ、学生達がこれまでの学校 教育によって日本の美術文化理解を深めたという事にはならない。

 次に、8・9間目(あなたが「日本画」「西洋画」と聞くと、どんな印象がありますか)

で、日本画と西洋画に関する印象を複数回答方式で確認してみた。尚、「日本画」と「西 20

(24)

洋画」の定義に関しては、各回答者の判断に一任し、こちらからの注釈及び説明は行っ ていない。結果は以下の通りである。

8・9 あなたがr日本画」r西洋画」と聞くと、どんな印象がありますか

(名)

O

(名)

150

………

51  56・554 6768

41 蝿  O魏

13

Q口_

@9

19

v■」コ_ 3 2

…■ 一■一

 14161181

 、」コロ.塵。■一L1

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………一一…一一…… 一…一一 一【^…一一…………一一………一止…… 皿……^

9西洋画の印象

76 79

66 67

51 11

44 43

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11 13 16

7 8 8 8 5

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1. {、L一

1 2

 お  一も

も  興興  古 し  味味  く い  るい  い  な

 い

(図7) 日本画・西洋画それぞれの印象は(複数回答)

21

(25)

 まず、問8の「日本画」であるが、14の「伝統的」を答えた学生が169名と多い。

学生が「日本画」を、明治以前から日本にあった絵画と考えているなら、「伝統的」と考 えるのは日本画の歴史的特徴を正確に捉えているものと考えられる。以下、10の「全体 がきれい」が68名、11のr色がシンプル」67名、6のr古くさい」57名と続く。その 他の回答として7の「画面がシンプル」が54名、3の「興味がある」が51名と、概ね 好印象な回答である。2〜7間目までは、学生の日本の美術文化に関する知識の乏しさを 指摘したが、「伝統的」「シンプル」「全体されい」と、日本美術の絵画技法の特徴を正確

にとらえている。しかも2の「興味がない」と答えた学生は19名と少なかった。

 一方、「西洋画」は、9の「色が多彩」が133名と最も多く、13の「革新的」が90名、

r画面が複雑」の79名と、r日本画」のr伝統的・シンプルさ」と比べるとr革新的・

複雑・新鮮」といった対極的な回答に多く集中している。これらから学生の多くは「日 本画」はr伝統的」だが、r興味がない」r面白くない」r退屈」といったネガティブな印 象は少なく、むしろあまり詳しく知らない事等からr興味がある」という印象がある様

に見える。学生は日本の美術文化に関する知識量が少なくても、日本画の絵画的特徴を 捉える事が出来ていると考えられる。

 次に、10間目(あなたが日本画と聞いてイメージする絵に使われている素材は何でし ょうか)だが、結果は以下の通りである。

10 あなたがイメージする日本画の内容(複数回答)

200

P50

P00

T0

O

山並■一血一…169 ……… o ^o^一

10日本画の内容

90

63 66

42

14

ユー固一  8 12

Q一量_」璽L_

23

Q盟」」

1 2 ∴..・ポ 4 ∵ふ二.1 黶D6 …一㌧一・霧 ..、灘一 11

間10の項目

宗教的絵画

肖像画一

音∴千一・= 動物 午・物1 .四

諡G

業1…二三;二、㌃

一一 bP灘駿1灘

その他

(図8) あなたがイメージする日本画の内容(複数回答)

22

(26)

 回答では、3の「風景画」の169名、9の「四季」90名が多かった。しかし、気がか りなのが「肖像画」の63名、「歴史画」の66名である。詳細は第3章で示すが、「肖像 画」や「歴史画」は、日本画のモチーフとして美術の教科書に掲載されることは少ない。

洋画も含めてなら「肖像画」の作品が教科書の作例として挙げられるが、日本画の「歴 史画」は、美術よりむしろ社会の歴史で扱われている題材である。回答に「肖像画」「歴 史画」が多いのが学校授業や教科書等の影響だとするなら、美術より社会科の歴史の影 響が大きいという可能性も考えられる。

 次に、r日本画」に使われている素材についてはどういう知識・印象を持っているのだ ろうか。11間目(あなたが日本画と聞いてイメージする絵に使われている素材は何でし

ょうか)で確認すると、以下の通りになった。

あなたがイメージする日本画の材料(複数回答)

5,アクリル絵の具…3名     油絵の具…22名

(図9)あなたがイメージする日本画の材料(複数回答)

 「水墨」が他の項目と比べても多い。学生のほぼ全員に近い人数である。これは水墨 画に使用されている墨や筆・半紙が国語の書道の授業で使用されている関係上、学生に

とってなじみのある教材であることも影響していると考えられる。しかし、学生の8割 強が「水墨」を選択しているのには、他に理由があるとも考えられる。先の2間目(「日 本の美」で連想する物)で「水墨画」と記述した学生は19名と少ない。間の内容が違う

としても、学生の多くが「日本画」=「水墨画」と連想しているとは考えにくい。しか も、10間目で次に回答数の多かったのが「版画」の78名で、「水墨」との人数に開きが 見られる。これには学生が、浮世絵の多くが木版画だと知らず、版画二浮世絵と繋がら なかったとも考えられる。しかし、他の「版画」「金箔・銀箔」「岩絵の具」を回答した 学生がほぼ同数に近いのは、3つともほぼ同じ学生が回答している為である。学生の回 答が「水墨」に集中したのには、何らかの要因があると考えられる。考えられるのは、

23

(27)

学生がr水墨」という言葉をr単純な語句」として記憶しているのではないか、という 事である。この件は第3章で考察したい。

 次に、r漆」と回答した学生が48名いる。漆で描かれた絵画も存在するが、一般的に は工芸で使用する素材である。学生にとって、日本の美術品=漆のイメ∵ジが強く、絵 画にも漆が使われているというイメージが強いものと考えられる。

 一方、「油絵」と回答した学生が22名いる。日本画の絵の具に岩絵の具が使われてい ることを知らない為の勘違いか、それとも近代の日本の洋画を含めての回答かは判別で きなかった。

 回答から、学生は日本の美術文化に関する詳細な知識を有していない様に見える。で は学生は、幼心中高の学校教育で日本の美術文化に関する教育をどれだけ受けてきたの

か。

 次に、13間目(あなたがこれまでの学校教育 小学校〜高校 の図画工作・美術・総 合・その他の授業等で、日本の美術に関して授業を受けたことはありますか。ある場合

は一っ以上詳細をお書きください)で確認してみた。

13 日本の美術に関して授業を受けたことが

(図10) 日本の美術に関して授業を受けたことがあるか

13それはいつですか

覚えていない ・・R名

小学校 ・「 E・13i名・二

中学校一 ・・Cブ名一・

高校 ・・P8名 その他 …10名

(図11) いつ日本の美術授業を受けたか

学生の半数強が、学校教育で日本の美術を学習したと回答した。「中学校」に回答が集 中している。そこで回答から「何の教科で日本美術の授業を受けたか」を確認してみた。

24

(28)

日本の美術授業を受けたのはどの教科か 覚えていない  …12名

国語     ・・2名

美術 社会 総合 不明 未記入

・…R7名

(図12)日本の美術授業を受けたのはどの教科か

 アンケートの項目に、授業を受けた教科名を記入する項目を設定していなかった為、

記述した内容に教科名があったもののみ抽出して集計した。この為、「不明」「未記入」

が多くなっている。回答数ではr社会」がr美術」を上回っている。r美術」とr図画工 作」の人数を足せば「社会」の数を上回るが、それでも「不明」回答扱いにした中には、

「社会」「美術」どちらとも受け取ることが出来る記述になっている回答が多数確認され ている。上記の結果から学生は「図画工作・美術」より「社会(歴史)」を中心にして日 本の美術文化を学習しているのではないかと考えられる。この件は第3章で考察したい。

 次に、14間目(今、あなたの手元に、これらの絵の複製画があったら、どちらを家の 中に飾りますか)である。1群・2群それぞれで選択した。

  鳩、

 .

   ■    .

25

参照

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的に増加したのである。

7 日本映画に見る日本女性の姿(4) 8 行事食の調理体験を通して日本の文化を知る(1) 9

      日本のく同質〉文化とアメリカのく異質〉文化

とができるような経験や価値観を身に付けることが重要だと述べている。つまり、現在の風潮

第2節

3− 5 東洋日本美術史 研究・教育活動の概要と特色 東洋日本美術史専攻分野は、大正 12

 筆者が担当する共通教育科目「異文化コ ミュニケーション」では、文化人類学という

日本語を母語とする者に対する日本文化教育は①歴史的な文化研究(平安文化、室町文化、江