まえがき
ベクトル解析は物理学を学ぶ上で必要不可欠の道具である.ベクトルは大き さと向きをもった量で,矢印を使って幾何学的に表現されるので直感的にも理 解しやすい1.しかしそれらの計算は普通の数の場合と比べて複雑である.そ のためには「成分」を用いると便利なことが多い.それと同時に,大きさと向 きというイメージをもちながら計算の意味するところを理解することができ る.物理学を進めていく上で大切なことが,まさにこの,計算を進めながら具 体的な(「物理的な」とよく表現される)イメージをもつことである.ベクト ル解析は,このことを実践し慣れていく格好の題材でもある. もう1つ,ベクトルには重要な考え方がある.ある実体(ベクトル)がい くつもの性質(成分)をもっているときに,見方(座標系)を変えるとそれら が異なって見えるということである.この考え方は現代の物理学の考え方を 学ぶ上で特に重要になる.その変わり方は座標変換の規則によって決まってい る.このときベクトルの大きさのように,変わらない量(不変量)も存在する. これは対称性という考え方と深く関わっている.本来違っていてもいいもの が変わらない場合がある.この状況は対称性が良いと表現される.見方をいく ら変えても変わらないので,それは単純なものであるに違いない.それに対し て見方を変えて変わる場合,すなわち多様性がある状況を対称性が破れている という.世の中の多様性は対称性の破れという概念で説明できる.この考え方 は2008年にノーベル物理学賞を受賞した3名の日本人研究者,益川敏英,小 林誠,そして南部陽一郎3博士の研究に大いに関わっている. 本書でこの内容を解説することはできないが,ベクトルを学ぶのはこのよう な考え方の基礎にもなり得るということを知っておくことは,今後勉強を進め ていく上の1つの動機になるのではないかと思う.すでに数多くの優れた教 1ベクトルから物理的な実体の意味を取り払い,幾何学的な対象とすると大きさというよ りは長さという方が適当かもしれない.物理では,力や電場をベクトルで表すが,力の長さと か電場の長さとはいわない.大きさとか強さという方が適当である.本書では適宜これらの表 現を使っていく.iv まえがき 科書や参考書がある中でこの本が存在する意味があるとしたら,例題を学びな がら上記の点を少しでも感じ取ることができる点としたい.これは特に3章 の「場と変換性」で説明されているが,ベクトル解析の本ではあまり見かける ことのない,ややわかりにくい内容になっているかもしれない.このシリーズ のコンセプトは,1ヵ月の間1日1題の基本となる問題と関連する数題の問題 に触れることで,物理の問題に慣れていくというものである.例題はできるだ け難易度をそろえ,またそれぞれ独立した問題を用意したつもりである.しか し発展問題は即答できる問題から,かなりの計算や考察を必要とする問題がち りばめられている.適宜自ら手を動かして確かめるなり,読飛ばすなりして, 自分のペースで最後まで進めて欲しい. 2012年12月 保坂淳