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留学体験記 「韓国留学からの学び」

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Academic year: 2021

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国際色豊かな韓国語の授業メンバー(下右から2人目)

チマチョゴリ試着体験(真ん中)

22

韓国留学からの学び

Study Abroad Report

留学体験記

自分の五感をフルに

 海の向こうには、自分のすべてをゆさぶるものがある!異文 化に対して強い関心をもちながらも、長期留学をすることで 卒業が遅れてしまう焦りがあった。しかし、異文化の中で学べ る全てのことは、かえがえのない経験であり、教師として子ど もたちの前に立った時にも生かせるはずだという思いが留学 を後押ししてくれた。  留学先に韓国を希望したのは、自分の目で見て、耳で聞い て、心で感じたいことがあったから。テレビを通して韓国と日 本の政治的な関係が良くないことを知り、インターネットでは 歴史的な問題に関して中傷的なことがかかれているものを目 にした。韓国とは?韓国人とは?情報を鵜呑みにすることだけ はしたくないとそう思った。

韓国人との時間

 寮のルームメイトは韓国人。日本語を熱心に勉強しており、一 緒の空間で過ごすうちに勉強を教えあい、自分の夢や恋愛、悩み までお互いに打ち明け、時には夜通し語り合うこともあった。深 い信頼関係を築けて初めて、私はずっと気になっていた歴史に 関することや外交関係について尋ねることができ、そのことにつ いてもお互いの意見や思いを何度も話し合った。メディアを通し てではなく、自分の耳を通して聞いた言葉はとても印象的で、韓 国人の視点はどのようなものかを少なからず知ることができた ように思う。気力のいることだったが、戦争や教育、文化について 改めて考える本当に貴重な時間を過ごすことができた。  また、多くの出会いの中で感じたことは、韓国人は感情や 気持ちをはっきりと伝える人が 多いということだった。このこ とを感じてから、周りにあわせ てしまいがちだった自分の気 持ちを伝える努力をした。協調 性は大切だが、自分の気持ち を大切に扱い、丁寧に伝えるこ とも人間関係や自分自身によ り良い影響を与えてくれること を実感した。

「日本人」というアイデンティティー

 留学生活では、さまざまな文化と出会いたかったため、韓 国人だけでなく世界各国からきた留学生とも、毎日交流をし ていた。この日々は、私が「日本人」であることを強く意識させ た。私が「日本人」であるがゆえに、日本に関する質問をされる ことが度々あったが、経済や制度、外交問題など自信を持って 答えられず、自国に対していかに自分が無知で、無関心である かを知った。このことが、初めて日本を相対的に捉え、見つめ 直し、考え始めるという、自分の中で非常に大きな変化が起 こった。様々な国籍の人たちと触れ合う異文化交流は異文化 を理解することだけでなく自国を改めて見つめなおす重要な 機会でもあると身をもって感じた。

改めて、教師をめざす

 書ききれないほどの楽しく、また苦い経験や思い出と試行 錯誤を繰り返したこの留学生活を通して、私は中学校の英語 の教員を目指すことを決めた。留学前は国語の免許を取得す る予定だったが、英語をツールとして、多くの人や異文化と出 会い、好奇心をもって、可能性や視野を広げていってほしい と、子どもたちに強く伝えたいと思うようになったからだ。残り の大学一年間は、ゼミだけでなく、新しく学ぶ英語教育や異文 化理解にむけて、充実した一年にしていきたい。  最後になりましたが、留学を決心し無事に終えることができ たのは、先生方、国際センターの方、両親、友人、たくさんの 方々の温かい応援や支援のおかげです。本当にありがとうご ざいました。 23

表紙解説

広報誌『しがだい』をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。 読者の皆様の声を誌面に活かして参ります。率直なご意見・ご感想をお聞かせ下さい。 なお、「読者アンケート」にご記入頂いた情報は、今後の広報誌編集の参考にさせていただくためにのみ使用し、他の目的には一切使用致しません。 ご回答はホームページからお願いします。 滋賀大学公式HP[

http://www.shiga-u.ac.jp/

]から「大学紹介」→「刊行物・グッズ」→「広報誌しがだい」 広報誌『        』 第40号  読者アンケートご協力のお願い いしやまでら  み い でら 韓国人の友達と過ごす休み時間(真 ん中) 教育学部

4回生 清水 里佳

し みず  り  か

日下部鳴鶴の習字教科書―『小学習字帖』

(明治20〈1887〉年)

 明治から大正の著名な書道家、旧彦根藩士日下部鳴鶴の『小学 習字帖』は、明治中期の代表的な習字教科書である。日下部鳴鶴 は、明治維新後の明治元(1868)年に徴士として明治政府に召募さ れ出仕した。太政官の小書記官から大書記官になり、大久保利通 の厚遇を得た。紀尾井坂で大久保が暗殺された翌年明治12(1879) 年に官を辞し、以後は書家一筋の道を歩む。長三洲、水口藩出身の 巌谷修(一六)とともに、明治書聖の三筆の一人と称された。号は鳴 鶴、東嶼・翠雨とも名乗り、名は幼名八十八、のち東作と改めた。  『小学習字帖』巻1∼8(文学社)は、明治18(1885)年初版で、滋 賀大学所蔵本は明治20年訂正三版本である。巻1はひらがな「いろ はにほへと」からカタカナ「アイウエオ」に進み、次に「一二三四五 ……」、「甲乙丙丁……」「子丑寅卯辰巳……」へと進む。巻2からは、 じょじょに易から難の漢字に進み、楷書・行書・草書を習っていく。 木全 清博(滋賀大学名誉教授・元教育学部教授)  石山寺は、正式には「石光山石山寺」といい、紫式部 が『源氏物語』を起筆したという伝承もある寺院です。 境内には寺名の由来である巨大な珪灰石(国の天然記 念物に指定)が突き出ていて、ユニークな景観を形づ くっていますが、「湖水浦廻り 名所・寺社便覧図蹟」に も「当山ハ悉ク瑪瑙石ニテ、奇クハン(奇観)也」と記さ れています。近江八景の一つ「石山秋月」にちなんで、お 堂の上に満月が描かれているのにご注目ください。  三井寺は、本来は「長等山園城寺」ですが、天智天皇 らが長等山の湧き水を産湯に用いたため「御井の寺」 と称するようになったとされます。「便覧図蹟」では、寺 の創設を「貞観十年(868年)開山智証大師(円珍)」とし ています。近江八景の「三井晩鐘」については、鐘の音 は図に描けないので特別な表現はありません。石山寺 と三井寺は、ともに西国三十三所の札所であり、巡礼 が大勢訪れる寺院でした。石山寺が「西国十三番」で、 三井寺―正しくは「クハン音」、つまり山内の観音堂(正 法寺)が「十四番」となっています。 青柳 周一(経済学部附属史料館教授)

石山寺と三井寺

く さ か べ めいかく いわ や おさむ ちょうさんしゅう とう しょ ・ すい う せっこう ざん けいかいせき こ すい うらめぐ ことごと めのう き かん いしやましゅうげつ なが ら さん おん じょう じ み い じょうがん ち しょうだい し  えん ちん み い ばんしょう さい ごく さん じゅう さんかしょ ふだ しょ しょう かんのん おん ほう じ なり めいしょ じ しゃびんらん ず せき

参照

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