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衣裳を通した災悪防除の思想の比較 : 奄美のノロ神装束とラオス北部の民族衣装の意匠を中心に

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川野和昭

大島郡住用村 ︵現奄美市︶ 、本務の鹿児島県歴史資料センター黎明館で 、平成十一年六月十日から 部や隅部、屈曲部、接合部に施されていることを指摘し、そうした箇所が霊魂の脱入 の危険を持った箇所であることを指摘した。また、施された赤布、糸や細布の房、一 目落としや鋸歯文などの意匠は、その霊魂、特に悪霊の身体への進入を防除し、心身 の清浄さ、安全を守ろうとする機能をもっていることを考察したものである。   結論として、ここで述べたような両地域の極めて微細な点に至る共通性は、装束の 分野に限らず、奄美を含む南九州から南西諸島の他の民俗事象の多くに認められるも のである 。それは 、こうした周辺域の小数民族の民俗文化との比較の作業によって 、 これまで日本民俗学が蓄積してきた膨大な民俗事象の読み直しが迫られ、日本列島の 文化の多様性を説く可能性に満ちた比較民俗学の道が開けていることを示唆してい る。本稿は、その実践の一つである。 ︻キーワード︼奄美、ラオス、カミギン、一目落とし、鋸歯文、蚊帳、災悪防除 の筆者が見た ﹁御 印 加 那 之 ﹂ ︱ つながる北縁 ︱ ︱ つながる東南アジア ︱

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御印加那之圖 『南島雑話』 

はじめに

  黎明舘では、筆者が担当し、平成一一年六月一〇日から同年九月五日 にかけて ﹁奄美のノロ神の装束︱宇検村阿室のシバサシギンを中心に︱﹂ と題する企画展を開催した。   大島郡宇検村阿室は、 大正一〇年柳田国男が﹁海南小記﹂の旅で訪れ、 ﹁阿室の女夫松﹂の一文をものし 、白い祭衣を着て神の山に登って祭を するノロについて触れた集落である。この阿室には、奄美の夏正月とい われるアラセツ︵旧暦八月の初丙の日︶の一週間後のシバサシ︵旧暦八 月の壬の日︶に、シバサシノカミを家に招きシバサシギンと呼ばれる着 物を祀る習俗がみられる。この一群のシバサシギンの展示を企てる契機 は、筆者が担当して開催した黎明館企画特別展﹁海上の道︱鹿児島の文 化の源流をさぐる︱ ﹂︵一九九八年二∼三月︶に 、宇検村中央公民館に 収蔵されていた同村阿室の岡元家伝来のハブラドギンと呼ばれる、全体 を三角布で接ぎ縫いしたノロの神衣を展示したときに遡る。   展示会終了後、宇検村中央公民館収蔵品の外に、阿室集落にはさらに 多くの資料の存在することが分かり、 以後三回にわたる調査を実施した。 その結果、ノロ神に関連すると思われる装束の中には、ハブラの文様だ けでなく様々な意匠が施されていることが明らかになってきた。結論か ら先に言えば、それらの意匠にノロ神の身に忍び寄る悪霊を追払う機能 が見てとれたのである。つまり、 冒頭の企画展のコンセプトとして、 ﹁災 悪防除の思想︱人は何故に衣を纏うのか︱﹂が見えてきたのである。本 稿では、それらの意匠に込められた災悪防除の思想について、同展で展 示した資料を中心にして述べ、さらに、奄美の北側としてのトカラ列島 及び鹿児島地域、南側としてのベトナム・ラオス・タイ北部及び中国南 西部との比較検討をすることで、環中国海の広がりの中での位置づけを 試みてみたい。

❶﹃南島雑話﹄

の筆者が見た

  奄美のノロ神の装束に ついて考えてみようとす るとき、最も基本的で具 体性のある手引は﹃南島 雑話﹄ の ﹁御印加那之圖﹂ であろう。 ﹃南島雑話﹄ は、 嘉永二年に勃発した薩摩 藩のお家騒動である﹁お由羅騒動﹂に連座し、嘉永三︵一八五〇︶年三 月に大島遠島に処せられ 、名瀬間切の名瀬間方小宿村で五年の生活を 送った名越左源太が、奄美大島の地理、動植物はもとより、宗教、年中 行事、衣食住など人々の生活全般にわたって記録した南島研究のバイブ ルである 1 。   その中で 、﹁御印加那之圖﹂は 、補遺篇に収録されている 。その描か れた図を注意深く見ていくと興味深いことがわかる。下半身には縦襞 を 付けたカカン︵下裳︶を着け、 上半身にはドギン︵胴衣︶を着けている。 そのドギンは色布の襟で 、左 袵 と思われる部分には三本の縦筋とその 上に三角の鋸歯文が描いてあり、袖口には一目落としの縫い取りが見ら れそれらの上からは帯びを巻かずに白布の長着を打ち掛けている。 また、 首から胸に掛けて前ハキという木綿糸に水晶の玉を通した首輪を掛けて いる。   さらに、背中には玉ハベロという名称の五色や紫の玉あるいは練物の 珠を縦三列に連ねたものを垂らしている。左手には長さ三尺六七寸の綾 手奴と呼ばれる三段の削り掛けを施し、〇、△、□の印を刻した杖をつ

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鳥の羽と三角布に房の付いたアヤハブラ 黎明館蔵 奄美市・大山家  いている。その頭には、サヂあるいはハチマキと呼ばれる白布を頭に巻 き首の後から両肩に広げて垂らしている。また、後髪にはサバネという 鷺の羽を二本差している。   以上が名越左源太の見た一八五〇年代の奄美のノロの姿である。この ﹁御印加那之圖﹂がどこの集落のノロを描いたものであるかは明確にさ れてはいないが、 薩摩から奄美に渡った人間がノロに対して示す﹁迷信﹂ や﹁妄信﹂といった偏見、蔑視の姿勢は微塵も感じられない。名越の奄 美に注いだ眼差しの熱さと確かさがノロの装束の特徴をみごとに捉えた と言ってよい。彼が捉えたこれらの形の中にこそ、ノロがどのような存 在として村人に認識されていたかを読み取る鍵の一端が隠されているの ではないかと思われる。そこで、これらの要素を手掛かりにして、現在 残る資料について見てみることにする。

現存するノロ遺品

  1   アヤハブラ   アヤハブラはノロの髪飾りで、 名 越左源太が描いた﹁御印加那之﹂が 後髪に二本差しているサバネとい う鷺の羽に当たるものである 。﹁ア ヤ﹂は﹁綾﹂で、 様々の色が入り混 じっていることを意味し、 ﹁ハブラ﹂ は﹁蝶﹂のことで、 三角形の布のこ とを指し、 奄美大島では霊魂の象徴 であると考えられている。   現在黎明館所蔵で名瀬市の大山 家に伝えられていた﹁アヤハブラ﹂は、竹の串に束ねられた鳥の羽根が 二段にわけて巻き付けられ、下の段には胸の羽根、上の段には翼の羽根 が付けられている。それらの間には、八種類の絣や縞の文様︵アヤ︶の 三角布 ︵ハブラ︶が下げられている 。四本あるもののうちの二本には 、 それぞれ一列に三個ずつのハブラを付けたものが三列と、別に大型のハ ブラが一個とが付けられている。また、残り二本は一列二個ずつ二列付 けられたものと、ハブラがすべて取れてしまって二段の鳥の羽根だけに なったものとに分けられる。   また、阿室の岡元家のアヤハブラ︵宇検村中央公民館収蔵︶は、細い 竹の軸の頭頂に鳥の羽根が巻き付けられ、一列に七個のアヤハブラが付 けられたものが四列下げられている。このアヤハブラは、軸となってい る竹の太さからみて髪に挿したものではなく、花瓶などに挿して用いた ものであると思われる。   さらに、黎明館蔵の名瀬市大山家のハブラの三つの各頂点にはアヤの 糸の房が付けられているのが特徴である。   こうしたアヤハブラの特徴を見てみると、アヤハブラの数が一、 三、 七 などという聖数を基本にしていることが理解できる。これは、三角の形 とともに悪なる霊魂を追い払おうとする意図が表されている。また、三 角の頂点に付けられた糸の房も同じ魔払いの房で 、後に触れるハチマ キの両端の房やドギンの脇に付けられた複数の紐ともつながるものであ る。こうした頂点に糸の房を付けた三角布を魔除けとし持ち物に付ける 習俗は、ラオス北部のアカ族の間にも見られるものである。   また、注目すべきことは、名越左源太が描いた﹁御印加那之圖﹂のサ バネが鷺の羽だけであるのに対して、ここにあげたものは鳥の羽根とハ ブラの組み合わせであることの違いがある。この違いがどのようなこと を意味しているのか。ハブラの付いていない羽だけの形が本来であるの か。その羽根が、悪なる霊魂を追い払うというハブラの機能と重なりを

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両端に房の付いたハチマキ 福元千草家蔵・宇検村阿室 擣衣されたバシャギン 福元千草家蔵・宇検村阿室  持つものであるのかは、その可能性を指摘するに留めておきたい 2 。   2   サヂ・ハチマキ   現在残るサヂ ・ハチマキは 白布で作られ 、両端に糸の房 が付けられたものがほとんど である 。しかし 、名瀬市立奄 美博物館収蔵の名瀬市浦上の ノ ロ が 用 い て い た テ サ ー ジ は 、全体が浮き織りの布で作 られ 、菱形や花形の小さな文 様が織り出されている 。﹁南 島雑話﹂の婦人の礼服の項に ﹁サヂト云頭布ナリ   婦人礼 服タナベトイヘルモノヲ着セ ル時此サヂヲ冠レルナリ地合ハ紗綾ニテ長二尋ナリ﹂とあるところを見 ると、本来は文様入りの布であったと考えられる。また、これがどのよ うに被られていたかは﹁御印加那之圖﹂から推測すれば、頭に巻き両端 を肩から首の後︵含み背︶に垂らしていたものと思われる。   こうした、浮き織りのテサージとその被り方を窺い知ることのできる ものとして、大島郡与論町の重要無形民俗文化財に指定されている与論 十五夜踊りの踊り手が被るシュパと呼ばれる被り物がある。それらのう ち最も古いものは、江戸時代後期のものであるが、奄美博物館のテサー ジと同様に菱形や花状の小紋の浮き織りの布で、両端には糸の房が付い ている。その被り方は、シュパで頭を包むように巻き、糸の房を背中に 垂らす。昔の年寄りたちが被っていたシュパの両端には、卍の文様が浮 き織りされており 、それは悪魔を追い払うためのものであったという 。 つまり、浮き織りをはじめ紗綾などの織物の文様そのもの、さらには糸 の房に悪霊を払う力の存在を認めていたと言っていい。宇検村阿室の森 山家に伝わる白布のハチマキの一端に織り込まれた紺色の筋も同様の機 能をもつものであろう。   3   カミギン︵神衣︶   カミギンは、ノロが一番上に打掛けにして着ける長着で、多くは極上 の生芭蕉の布で仕立てられているところからバシャギンとも呼ばれる 。 しかし、中には黎明館蔵の名瀬市大山家のカミギンのように綸子の織り の袷のものもある。   宇検村阿室に残るバシャギンのほとんどは振り袖の形でなく、身八つ 口を開けずに四角な布の襠 をいれた筒状の袖である 。これは ﹃南島雑 話﹄にも﹁此所四角ノ切レ入ル是ヲワキヤツミト云コノ所ニ三角ノ切レ モアリ是ヲハベラワキヤツミト云﹂と記されており 、﹁ワキヤツミ﹂と 呼ばれていたことが分かる。また、これとは別に三角の襠もあり﹁ハベ ラワキヤツミ﹂と称されて いたことも分かる。 しかし、 四角の襠も前後から見ると 三角に見えることからすれ ば、この二つは違いのない ものとしてとらえて良いと 考えられる。つまり、日本 の着物では開けてある部分 を、カミギンでは三角の意 匠︵鋸歯文︶で塞いでいる ことになる。 先に述べた ﹁ア ヤハブラ﹂と同じく悪霊の

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前袵に襞が施されたドギン 宇検村教育委員会蔵・宇検村阿室・岡元家  進入を防ごうとする意識の表れである。   さらに 、宇検村阿室に残るバシャギンの中に 、正絹かと見紛うような 光沢を持つ極めて薄いものが見られる 。これは 、﹃南島雑話﹄が ﹁朝衣 といへる服あり 。極上々の芭蕉素を以て至て細密に績たるを素のまゝに 数篇 、藍にて五日計り 、飽くまで染て 、織調へ類族集りて替る々々擣衣 すること二 、 三昼夜なり 。成就になりたるは其光沢恰も 目が如し﹂と 記しているところの ﹁擣 衣﹂という技術によって作られたものである 。 擣衣は 、同書の図から推測すると 、織り上げた芭蕉布を盤木という平ら な台の上に載せて練盤筒という槌で叩き延ばし 、さらに 、その反物を一 本の心棒に巻いて打盤という抉り底の入った盤の上に載せ 、棍棒で叩く という方法で行っていたらしい 。まさしく ﹁其光沢恰も 目が如し﹂と いう表現に値いするもので 、その光や輝きがノロの神々しさを表すこと はもとより 、周囲の悪なる霊を追い払い寄せ付けない働きを持っている と理解することができる 。   こうした技術は、 中国南西部やベトナム、 ラオスなどに住むモン族︵中 国名ではミャオ族︶やベトナム北部のタイ族の間にも行われており、そ うした地域と少数民族の染織文化とつながる技術である。ベトナム北部 のモン族は 、﹁チュンタオ﹂と称して 、正月の礼服用 ︵上着の上に羽織 る袖無し︶のために織ったドウ ︵大麻布︶をドン ︵平板︶の上に載せ 、 パジェと呼ばれる半月状の石板でローリングさせながら光沢を出してい る。同村の周辺のタイ族は叩いて光沢を出すという。   また、黎明館蔵の名瀬市大山家のカミギンの襟は一目落とし︵一点鎖 線の縫い︶で縫われており、次項で述べるドギン︵胴衣︶の襟の縫い方 との共通点が見い出すことができ、これも襟から侵入しようとする悪霊 を払おうとする意識が読みとれる。   さらに、 このカミギンの背筋と両袵の裾の三箇所には芭蕉のフ︵繊維︶ の房が付けられている。これは、内側に裾をたくり上げるための結び紐 の働きを持つものであるが、先にアヤハブラの所で述べた三角布の頂点 に付けられた糸の房にも通ずるものであろう。さらに、奄美大島の北側 に位置するトカラ列島の悪石島に伝承されている、外出を厳しく禁じて 家の中に忌み籠もるオオヒチゲの祭りの時に、魔除けのために芭蕉のフ を首の回りに巻く﹁フ結び﹂などとも重なり合う。こうした事例を考え 併せると、同じく魔除けの機能を持つものであろう。考えてみれば、芭 蕉布で仕立てられたバシャギンそのものにも同様の機能があって不思議 はない。   4   ドギン ︵胴衣︶   ドギンは、カミギンの下に着ける丈の短い上着である。日本の機では 織れない幅広の布の存在や 、緞子 、綸子などの織りの技術 、菊 、唐草 、 蘭、瑞雲、牡丹、卍などの文様が認められることから、明らかに琉球を 介して入ってきた中国製の布で仕立てられているものがほとんどである と言ってよい。先田光演氏が解読された宇検村須古の大原家文書の中に ﹁且又琉球江用事之儀有之   別紙差遣申候間   宜敷相調候 様   参候人江被仰付可被下候   神事胴衣用之絹鉦太鼓鐘鞁 三味線高祖祭之仏具類入念出 来候様御頼申入候﹂とあり 、 幕末と思われるころにノロ神 事用のドギンの絹布を琉球に 求めていたことが分かる 3 。ま た、それらの布とは別に琉球 域内で生産されたと思われる 芭蕉布平織、木綿平織、木綿

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脇の襞の上を縫い取った三角文 山畑直三家蔵・宇検村阿室 袖口に三列の一目落としの 三角丈が見られるドギン  保枝久信家蔵・宇検村阿室 背に一目落としの縫い目 が見られるドギン    下村浩朗家蔵・宇検村阿室 襟の縁に三列の一目落とし の縫い目が見られるドギン 保枝久信家蔵・宇検村阿室  紅型、浮き織りなどの布も見られる。   このドギンの意匠にはいくつか注目 されることがある。先ず、最初に取り 上げなければならないのは、袵や両脇 の割れた部分に施された襞の問題であ る。袵の場合は、重ねた時に前側にく る前袵に二段、三段の襞が施され、内 側の袵には付けられていないのが特徴 である。また、その襞の上を押さえる ように三角形に縫い取りを施したもの が見られる 。﹃南島雑話﹄が描いた前 面の三本の縦筋やその上に描かれた鋸 歯文は、この襞や三角の縫い取りを描 写したものだったのである。また、両 脇の割れた部分には前見頃にも後身頃 にも襞が施され、前袵同様にその上に 三角の縫い取りがなされている。その代表的なものが、宇検村阿室の山 畑家の子供のものと思われるドギンである。これらの襞とその上の三角 の縫い取りは何を意味するものであろうか。考えてみれば、襞にしても 三角の形には違いないのである。しかも施されている部位が開口部であ り、 袵の襞は外に対する前袵にのみ施されていることを併せて考えると、 いずれも外側からの侵入に対する防御の意図を読みとることが出来る。   次に、一目落とし縫いの縫い目が見られることである。例えば、阿室 の保枝家に残るドギンは、生地が藍染め紺地の芭蕉布の平織りで、文様 は認められない。また、布の表面は擣衣されており、つやつやした光沢 があり、薄くて日常的に着るには適さない服である。襟は蘇 芳色の平布 が当てられ、縁は蘇芳色の糸二列で中央に白糸を一列挟んだ三列の一目 落としで縫い付けられている。さら に、両袖口には蘇芳色の糸一列と白 糸二列の三列で一目落としの三角の 縫い取りが一周施され、その内側の 頂点を白糸一列の一目落としで一周 縫い取ってある。また、袵と前身頃 の縫い合わせ目も白糸一列の一目落 としで縫い取ってある。さらに、前 側に重ねる左袵の三段の襞の上にも 白糸一列、蘇芳色の糸二列の一目落 としの縫い取りが施され、それと同 様に両脇の前後の襞にも同じ一目落 としの縫い取りが認められる。 また、 阿室の下村家に残るドギンには、襟 の後ろから背縫いに沿って九回の一 目落としの縫い取りが施されてい る。こうしてみると、一目落としの 縫い取りが施されている箇所は、袖 口、襟の縁縫い、襞の上、袵の縁か ら裾回り、袵と前身頃の境目、後襟 中央から背筋である。さらに、袖口と襟回りには二筋あるいは三筋、四 筋の縫い取りが見られ、その糸の色も茶・白や茶 ・ 白 ・ 茶などの組み合 わせがあることも注目される。これは、一筋ではもの足らず重ねて入念 に縫い取ったと思われるものである。また、袖口に三筋で三角の一目落 とし縫いの見られるものもある。   さらに 、前段で述べた襞の上の三角の縫い取りも一目落としであり 、 阿室の岡元家伝来のハブラドギンのハブラ︵三角布︶の縫い目も同様で

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赤布の当てられた幼児用ドギン(前面) 宇検村教育委員会蔵・宇検村屋鈍・吉野家 赤布の当てられた幼児用ドギン(背面) 宇検村教育委員会蔵・宇検村屋鈍・吉野家 後襟に付けられた三個のハブラ 山畑直三家蔵・宇検村阿室 襟端、脇に付けられた複数の紐 福元千草家蔵・宇検村阿室  ある。実は、こうした一目落としの縫い目は、生まれ子に着せるウブギ ン︵産衣︶の背守りに見られるものである。特に、三筋の一目落としの 背守りについては、與那嶺一子・金城武子によって沖縄にしか見られな いもので、 その機能が魔除けと魂の守護にあることが指摘されている 4 が、 奄美にも存在することが明らかになった。ドギン開口部がこの一目落と しで縫われていることもまさしく同じ文化的文脈にあると言えるのであ る。さらに、幅広の赤布の当てが縫いつけられた、宇検村屋鈍の吉野家 の子供のものと思われる地合が緑色のドギンが注目される。赤布が当て られている箇所は、 両袖口、 襟、 前袵、 後襟付け根、 背筋、 裾回りである。 特に、後襟付け根の赤布は、縦に伸びる背筋の布とは別の小片の赤布が 縫いつけられており、後で触れる宇検村阿室の山畑家の子供のドギンの 後襟の付け根に付けられた三個のハブラと同様に、明らかに背守りとし て意識されていることが分かる。 また、 その下の背筋に延びる赤布は、 ﹁御 印加那之圖﹂に描かれている背中の﹁玉ハベロ﹂に通じるものであると 考えられる。しかも、全ての赤布は金色糸を用いて、一目落としで縫い 付けられているのである。さらに、前袵の襟下と両脇の開口部には、二 段の襞がつけられ、しかも前袵の襞の上には、一目落としの三角の縫い 取りが施されている。 先述したドギンの特徴の上に赤という色を加えて、 一層魔除けの力が強められていると思われる。ただ、このドギンは、か つて屋鈍の人が朝鮮に漂着した折りに持ち帰ってきたものであるという 伝承を持っており 5 、朝鮮の魔除けの習俗とつながる可能性も考えられる が、中国南部や東南アジアを視野に入れて、さらに注意深い検討をしな ければならない。   また、宇検村阿室の山畑家の子供のドギンの後襟の付け根に付けられ た、三個のハブラ︵右端の一個は欠落︶も興味をそそる。小さな長方形 の布袋に綿を詰め、中央部を糸で締めたもので、二等辺三角形の頂点が 突き合わさった形で 、蝶が羽を広げた形を模したものである 。これも 、 奄美大島のウブギン︵産衣︶のマブイやトカラ列島のウブギン、ナヅケ ギモンのチンボイと呼ばれる背守りと全く同じもので、子供の体内への 悪霊の侵入を防ぎ、 生命︵魂︶の離脱を守り固めようとしたものである。 そうした意味で、後に述べる宇検村阿室の岡元家の﹁ハブラドギン﹂と 呼ばれる、 袖以外の全面に三角の布︵ハブラ︶を接ぎ合わせたドギンも、 機能は同様のものと考えて良い。   さて、ドギンに関して最後に問題にしておきたいのは、襟端や両脇に

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三角布が接ぎ合わされた ハブラドギン(前面) 宇検村教育委員会蔵・宇検村阿室・岡元家 三角布が接ぎ合わされた ハブラドギン(背面) 宇検村教育委員会蔵・宇検村阿室・岡元家  付けられた結び紐と思われる細長い布切れの存在である。現存するドギ ンの中には、 欠損している物も見られるが、 残っている布切れを見ると、 複数の数が付けられていたことが分かる 。問題は 、正にその点にあり 、 何故に一本でなく複数なのであろうかということである。それが最もよ く残っているのは、阿室の森山家に伝えられているドギンで、それを見 ると前面に重ねる左襟端に蘇芳色の二本、内側に入れる右襟端に蘇芳色 の一本、左襟端と結ぶ右脇に蘇芳色の一本、内側の右襟端と結ぶ左脇に 蘇芳色の一本の布切れが認められる 。また 、阿室の福元家のドギンは 、 前面に重ねる左襟端に白、 茶、 浅葱、 紺、 蘇芳色の五本、 右脇に白、 茶、 蘇芳色の三本の紐が付けられている。さらに、阿室の岡元家の﹁ハブラ ドギン﹂とよばれるものは、前側に重ねる左襟端に白、赤、浅葱、鶯色 の四本、左襟端と結ぶ右脇に茶、茶、白、紺、浅葱色の四本、内側に入 る右襟端と結ぶ左脇に白、茶、浅葱色の三本が付いている。   また、屋鈍の吉野家の朝鮮伝来の伝承を持つ、緑地に赤布を縫い付け た子供用のドギンは、前に重ねる左襟端に青色二本、左右両脇にそれぞ れ赤、赤玉模様の入った白色二本の三本が付けられている。   こうしてみると、前面に重ねる左襟端と内側に入れる右襟端とでは明 らかに差が認められ、前者に重きが置かれていると思われる。また、両 脇の差はそれほどないと判断して良かろう。さらには、これが先に述べ た襞の施された箇所と深くつながっていることにも気づく。つまり、こ の布切れにも襞と同じ防除の機能を見て取って良いであろう 。それは 、 布の色が一色でなく、 その上を一目落としで縫い取ったり、 岡元家の﹁ハ ブラドギン﹂のように、数枚の異なる布を接ぎ合わせて一本の布切れが 作られ、その上に三角紋の縫い取りが施されていることを考え合わせる と、より確かに思われる。また、こうした数枚の異なる布を接ぎ合わせ て一本の布切れを作る技術は 、中国 ・四川省 ・大涼山の 彝 族や 、タイ ・ ラオス北部のアカ族の間にも見られるものである 6 。   5   ハブラドギン   ﹁ハブラドギン﹂は 、ハブラ ︵蝶︶と呼ばれる直角二等辺三角形の布 切れを二枚で一つの正方形を、それを四組でさらに大きな正方形を作る という形で接ぎ併せて縫ったドギンの一種である。その代表的なハブラ ドギンは、阿室の岡元家伝来のものである。このドギンについて、沖縄 県立図書館史料編集室の奄美ノロ遺品調査に参加した祝嶺恭子氏は、三 角布は約三〇種、二一三枚程度からなっていると報告している 7 。さらに このドギンをよく観察すると、前面は前側に重ねる襞の施された左袵と 内側に隠れる右袵の部分を除いて、前身頃の部分だけに認められる。こ れは、 袵が既に襞が施されたり、 それによって覆われていたりするため、 ハブラを施す必要がないことを意味する。これに対し背面は、ほとんど 前面に施され、特に、背縫いに沿って八枚の三角布が四五度の頂点で同 色が対角に接する形と、同様に九〇度の頂点で接する形が交互に繰り返 されるようにして、一目落としで縫われている。この対比的な形が蝶の 翅を広げた形姿を連想させるのである。   それでは 、なぜ三角布を接ぎ合わせなければならないのであろうか 。

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 これについて、大島郡宇検村のノロ遺品について初めて言及された先田 光演氏は 、﹁ノロ遺品に用いられている三角布や三角文様は鋸歯紋の持 つ悪霊侵入を防ぐ呪術性よりは、扇に描かれている文様から考えて、セ ジ︵霊力︶を招き寄せるための文様であり、ハビラの霊魂そのものを表 現している瑞象であったに違いない。 ﹂と述べ、さらに、 ﹁沖縄でハビィ ルが神聖な昆虫とされていたにもかかわらず 、ハビィラやハビィル玉 、 ハビィルザバネ等の遺品が見られない。このハビィルを正三角に表現し たのは、恐らく奄美大島の風習であったとも考えられ、この点について 更に解明を要する衣服である 。﹂という見解を出され 、この三角布を身 につけることで先祖の霊力を得て、ノロ自身が神としてのセジを高める ものであるとした。さらに、若干の留保をしながらも霊魂を三角文で表 現した形が沖縄には見られず、奄美で独自に発生した可能性を示唆して いる 8 。また 、祝嶺恭子氏は 、﹁ハビルハギドギンを構成する三角は蝶の 象徴である。蝶は脱皮する︵スディル、孵化する︶力を永遠に持ってい ると思われている。その霊力を身にまとうことにより、神女としてのセ ジ︵霊力︶を高めると考えられ、このような衣裳が生まれたものと思わ ざるをえない。 蝶と霊魂との関わりは我々にも馴染み深い。 琉球と奄美、 その言葉や習慣に共通した発生をみながらも、ハビルハギドギンに関し ては初めての出会いであった 。﹂と述べ 、先田氏とほぼ共通の考え方を 表明している 9 。   しかし、本当に﹁セジ︵霊力︶を招き寄せる﹂ 、﹁セジを高める﹂ため なのであろうか。それに対しては、若干の疑義を挟まざるを得ない。宇 検村生勝のウブギン︵産衣︶の襟の後ろに付けるハブラは、赤布の三角 の袋にヨネノイワイ︵米寿の祝︶の年寄りの髪を入れて縫い付けたもの である 10 。これは、赤子の霊魂が体内から遊離することと、逆に悪霊が体 外から侵入することとを防御するためのもので、ハブラが霊力そのもの であることを意味している。それに対して、死者の着物は同じ位置を引 き破り、魂が抜けやすくすると伝承されており、そのことを逆証明して いる。したがって、ハブラドギンのハブラも神女としての霊力を高める のではなく、むしろ、神女の神聖さを犯されないための防御の機能を重 視していると考えた方が妥当であると思われる。ハブラの縁が一目落と しで縫い取られているのもそのことを証している。そうした意味で、植 木ちか子・上運天綾子氏が報告した久米島の屋慶名家伝来品の中の﹁女 物大礼服のアシアゲコムネ御衣﹂は注目に値する。それによると﹁この 御衣は、 淡い黄金色の地に、 中国気象文の飛雲のあしらわれた綸子地︵中 国では光絹と称す︶を用いた、琉球式の単衣仕立てになっている。その 両前身頃の胸部、即ち左右両袵の剣先に、二等辺三角形状刺繍の補子の 頂点を合わせ、二等辺の一辺を衿付線に揃えて縫いつけ、固定させてい る。また、方形の刺繍補子は、左右両袖口の袖山にパッチワーク風に付 け縫った女物の大袖衣である 。﹂とあり 、その図柄は山水 、雲 、菊花 、 宝瓶など宝尽くしの吉祥模様であるとしている。さらに、模様は異なる ものの、同じ形状のアシアゲコムネが琉球王家にも伝わっていたことを 指摘し、それは、明国の文官や武官の官服の背や胸に刺繍補章を付ける 服制を模したものであるとしている 11 。ここで注目されるのは、刺繍補子 の形が鋭角の二等辺三角形であること、付ける箇所が衿、袵、前身頃の 縫い目の合わさる部分であり、しかも、内側に入る衿、袵、前身頃にも 付いていることで、 方形ながら袖口にも刺繍補子が見られることである。 そして、これらの箇所がドギンにおける一目落としの縫い取りの認めら れる箇所の一部と重なることである。さらに重要なことは、刺繍補子の 二等辺三角形の底辺に沿って、小さな二等辺三角形の刺繍が一列見られ ることである。この特徴は、袖口の方形の刺繍補子にも見られる。この アシアゲコムネはハブラドギンではないが、根所神殿の司祭役の神女が 六〇∼七〇年前に着用し、草冠りを被り、神事用首飾りのタマを首にか け、大扇を拡げ持って祭祀儀礼を行っていいたといい、阿室のカミギン

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輪状の袖(左袖) 宇検村教育委員会蔵・宇検村阿室・岡元家 ハブラのカミギン(背面) 益田家蔵・龍郷町中勝 襞付のカカン 黎明館蔵・奄美市・大山家  に当たるものである。こうしたことを考え合わせると、ハブラドギンの 三角文の意匠は、着物の内部へ忍び込もうとする悪霊を払い除け、着衣 者を護持する霊魂の象徴としてのハブラと、悪霊の侵入を防御する鋸歯 文の性格を合わせ持っていると考えるのが妥当であろう。   次に取りあげなければならないのは、輪状の布をつなぎ合わせた袖の 問題である。阿室の岡元家伝来のハブラドギンは、左袖は袖口から順に 浅葱、茶、黒・白、茶・白、銀襴、茶色の六枚布で輪状に継ぎ縫いして あり、袖口及び互いの継ぎ目は一目落としで縫ってある。この袖を輪状 に縫う形は他のハブラドギンにも見られる。例えば、阿室の浜畑家や泰 山家のもの、名瀬市︵現奄美市︶の大山家︵黎明館蔵︶のものは、表地 だけを見ると袖もハブラの意匠であるが、しかし、裏地を見ると輪状に 継ぎ縫いされているのが分かる。さらに、注意深く見るとハブラの付い てないドギンにも同様の輪状の袖が認められる。大島郡宇検村生勝の名 越家のドギンは、琉球の紅型染の布で仕立てられている。生地は水色と 赤色の二色があり、水辺に飛び回る蜻蛉と水草の間を泳ぎ回るアメンボ ウが描かれている。その両袖は袖口から水色、赤色の順に継ぎ縫いされ ているのである。また、ドギンではないが、龍郷町中勝の益田家のハブ ラのカミギンは、赤と白地に縞の直角二等辺三角の布でハブラが縫い取 られたものであるが、左袖は袖口から赤、白地に縞、赤、白地に縞、右 袖は赤、白地に縞、赤の順に輪状に継ぎ縫いされている。これらの輪状 の袖も単なる飾りではなく、ある種の思想のもとに縫われた意匠とみて よかろう。それは背骨と頸椎の部分にはハブラや赤布、一目落としの縫 い取りを施していたように、袖に包まれる手首、肘、肩もまた同じく屈 曲する関節部分であるという共通性がある。つまり、関節部から魂が脱 入するという奄美の信仰に基づいて、その防除をねらいとしたものと理 解できよう。   6   カカン ︵下裳裙︶   カカンは、ドギンと一対をなして、その下裳として腰にまとう巻きス カートである。その前面には襞が施されており、ドギンの前袵や両脇に 付けられた襞と同様のものである。かつて﹃南島雑話﹄の著者は、この カカンについて﹁裙   嶌ノ詞ニカント云   四〇八ノヒダアリ   故ニ俗名 四八ヒダト云   上品ナルハ綾紗下 品ナルハ木綿﹂と記している。   例えば、現在は黎明館に所蔵さ れている名瀬市の大山家のノロ遺 品の中には、二枚のカカンが残さ れている。その中の一枚は、木綿 地に、八角文の中に六枚の花びら を持つ花の形と、鳥が飛翔してい る姿を型取った二通りの文様を連 結して型染めしたものである。丈 は六五センチで、胴の周りは八〇 の襞が付けられ、四二センチに絞

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ナヅケキモンに重ねたウブギン(男児用) 黎明館蔵・十島村口之島  られている。帯布の端には、胴を締めあげるための紐を取り付ける継ぎ 手となる輪が見られ 、﹃南島雑話﹄の記述の確かさを証明するものであ る。また、もう一枚のものは、木綿布を藍染めした紺の生地二〇枚を継 ぎ縫いしたものである。丈は九〇センチと現在確認できるものの中で最 も長く、胴回りも八〇の襞が付けられ、九五センチと広いのが特徴であ る。特に、襞の折り目が胴回りから裾までアイロンを掛けたように明瞭 な山形の残っているのが注目される。さらに、大島郡宇検村阿室の岡元 家に残る緑地の絹のカカンも見事なものである。牡丹や菊、唐草模様の 綸子の布を十枚継ぎ縫いしてあり、 大山家の型染めのものなどとともに、 ﹃南島雑話﹄の言う﹁上品ナルハ綾紗﹂と記した種類であろう。   これに比して、現在阿室の森山家、泰山家、下村家などに残るカカン のほとんどは、 白地の木綿で平織りの布で仕立てられており、 ﹃南島雑話﹄ が﹁下品ナルハ木綿﹂と記したものである。しかし、こうしたカカンで あっても、襞の付いていないものはなく、全てのカカンに襞は付けられ ているのである。   こうしてみると、カカンの基本的な要件は、襞を付けることと、胴部 に巻き着ける形であることの二点に絞られる 。中でも 、襞については 、 ドギンの部分で縷々述べたように、三角文としての悪霊防除の機能を読 みとることが許されるように思われる。そのドギンと一対で着用するこ とは、両者における襞の機能の共通性を考えて良かろう。特に、名瀬市 の大山家の藍染め木綿布や阿室の岡元家の藍染め芭蕉布で仕立てられた カカンに見られる三角の山形は 、そのことを強く感じさせる 。それは 、 ノロたちが顔を覆うようにかざすテロギ︵神扇︶を広げた時の、竹骨と 竹骨との間にできる、紙の折り目の山形とのつながりを十分に連想させ る。   以上が 、宇検村阿室を中心とした奄美大島のノロの衣裳に施された 様々な意匠について、その文化的な意味を探ってみた結果である。それ では、次に奄美の周辺の状況について、その北側の周辺と南側の周辺の 二つの方向から、同様の視点から比較してみることにしたい。

カミギンの周辺その一

︱ つながる北縁 ︱   ここでは、奄美の北側に連なるトカラ列島から鹿児島に至る地域に残 る、服飾に関わる資料の幾つかを取りあげて、その意匠の特徴を検討し てみたい。   1   トカラ列島のウブギンとナヅケキモン   トカラ列島のウブギンは、赤子が生まれて一週間目に行われる名付け 祝いの時に、ナヅケキモンと呼ばれる長着の晴れ着の上に羽織る、木綿 白地の袖無しである 。このウブギンとナヅケギモンとには 、奄美のド ギンをはじめとするノロの遺品に施された意匠につながるものが見られ る 12 。ここでは、鹿児島郡十島村口之島のウブギンとナヅケギモンを中心 に述べてみることにする。   先ず、口之島の男児着用のオブギンから触れてみたい。これは、昭和 三〇︵一九五五︶年、生後七日目の名付け祝いの時に、ナヅケキモンの 上に着せたオブギン ︵産着︶であ る。白の木綿布で、 袖無しの形に仕 立てられている 。襟は赤の布を用 い、 縁は一目落としで縫い付けられ ている。襟紐の取り付け部には、 赤 と青の方形の布を重ねて中央部分 を糸で絞ったチンボイという蝶の 形の布を縫い付けてある。 肩口の部 分も同じく一目落としで縫い取り

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ウブギン(女児用)のチンボイと 一目落としの縫い目(背面)   黎明館蔵・十島村口之島 ナヅケキモン(女児前面) 黎明館蔵・十島村口之島 産着 黎明館蔵・鹿児島城下・末川家  してある 。襟の後ろの部分には 、 マブイと呼ばれる悪霊の侵入を防 ぐ背守が縫い付けられている。襟 の後の付け根に三角の白布を縫い 付け 、その中に米粒を縫い込む 。 その上を赤い糸で、縦横五列に一 目落としで一四個の正方形をぬい 出し、その正方形の対角を一目落 としで縫い取ってある 。つまり 、 五六個の三角形が縫い出されてい る。さらに、外側の大きな正方形 の四隅と三番目の線と外枠の線と の四つの交点、中央の交点合計九 の交点に、チンボイを縫い付けて ある。さらに、その縦の中央線か ら背筋に沿って下の方向に、赤い 糸の一目落としで鍵形の縫い取り が施されている。男児用であるた め先端の鍵は左に曲げてある。   このオブギンの下に着けられた ナヅケキモンは、紺地に白線抜き で菱形を描き出し、その上に鹿や キリンなどの動物や汽車や飛行機 などの乗り物が染め出されてい る 。袖口 、肩周りの縫い目は赤糸で 、青色の襟の縁の縫い目は白糸で 、 そのすべてが一目落としの縫い取りである。また、マブイとチンボイの 形と取り付け箇所は、オブギンと全く同じで、背中のマブイから延びる 一目落としの鍵の曲がりも、オブギンと全く同じである。   次に、昭和二八︵一九五三︶年に女児に着せたウブギンは、男児用と ほぼ同じであるが、襟布が裾まで延びていること、チンボイの布の色が 赤と白であること、背中のマブイから延びる一目落としの鍵の曲がりが 右であることなどの特徴が見られる。一方、ナヅケキモンは、木綿の赤 地に牡丹と思われる花が染め抜かれ、襟も赤地の木綿布が当てられてい るが 、一目落としの縫い取りの位置は男児用とほぼ同じである 。ただ 、 男児用に比べて左右の両肩上にチンボイがそれぞれ一個ずつ付け加えら れているのは大きな違いである。これは、宇検村阿室の山畑家の子供用 のドギンの襟の後ろに付けられた三個のハブラの両脇の二個につながる もので、 女児がより厳重に守護されていることを示しているのであろう。 さらに、背中の一目落としの右曲がりの鍵の先端に一本の糸が垂れてい る。これは、十島村悪石島のウブギンのマブイにも見られる。悪石島で は、ウブギンの後襟の付け根に、二等辺三角の袋の底辺を襟側に当てて 縫い付け、その上から L 字形に糸で、二列の一目落としの縫い取りを付 け 、下側に向いた方の頂点に四本の糸の房を垂らしている 。こうした 、 糸の房や細幅の布を垂らす習俗は、サジ・ハチマキと呼ばれるノロの被 り物の両端の房、あるいは、ドギンの襟端や両脇に見られる複数を一組 とする付け紐などと共通するものであろう。   さらに、取りあげておくべき産着が今一つある。それは、黎明館が所 蔵する末川家資料の中にあるもの で 、島津家一門の垂水島津家の庶 家 、 末川家初代久救︵周山︶ [元文四 ︵一七三九︶ 年∼文政一〇 ︵一八二七︶ 年]が 、文政二年生の曾孫久長に与 えた産着である 。絹 の 白 地で袖無し 型に仕立てられ 、前面は肩口周り 、

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一目落とし房(背面) 黎明館蔵・鹿児島城下・末川家 袖口の一目落としと赤・白の糸の房 黎明館蔵・十島村口之島 赤く染められた袵と裾(内側) 黎明館蔵・十島村口之島  背面は肩口周りと肩上から背中の三 分の一ぐらいの位置まで、一目落と しで四角の中を対角線に縫った縫い 取りが施されている。 それは、 赤、 緑、 黄、白の四色の糸で、前面の肩口周 りを二列一〇段、背面の肩口周りは 二列一二段に縫い、その外周の交点 部には四色の糸の房が垂らされてい る。また、背中には一〇列八段に縫 い取り、外周の交点部には四色の糸 の房が垂らされている。さらに、背 筋に当たる真ん中の線から縦に一目 落としの縫い取りが下ろされ、中央部で留められ、先端からは四色の糸 の房が垂らされている。この糸の縫い取りの意匠は、十島村口之島の昭 和二八 ・ 三〇年のウブギンやナヅケキモンに施されたマブイの縫い取り と全く同じで、一三〇余年の時間、鹿児島城下と口之島という距離、支 配者と一般人という階級差を越えて一致するのである。さらに、この四 角の中を対角線で縫い取る意匠は 、そのまま奄美のハブラにつながり 、 そして、ハブラドギンへとつながっていくのである。   さらに、 この末川家の産着には、 もう一つ注目すべき特徴 が認められる。それは、 二つに割れている左右の両脇が、 三 角文で縫い取ってあり、 その先端の留めから糸の房が垂らさ れているのである。 これもまた、 奄美のドギンの両脇の襞や、 その上に施された三角文の縫い取り、 複数本の付け紐とのつ ながりを強く感じさせる。まさに、 前者には生まれ子の弱く 危うい命を 、そして後者にはノロ神の神聖な命の離脱を防 ぎ、 さらに様々な悪霊の侵入を排除して守護しようとする共 通の災悪防除の意識が 読み取れるのである。   2   晴れ着   先ず、黎明館が所蔵 する鹿児島郡十島村口 之島の女性の袷の紋付 から見ていきたい。こ れは、手紡ぎの木綿糸 の紺地の布で仕立てら れた袷の長着で、霜月祭りに着られたものである。袖の前面、胸、背中 に家紋が付けられ、裾周りには菖蒲の間を泳ぐ鴛や紅梅、松、菊らしき 花などが型染めされている。しかし、この袷で注目されるのは、そうし た華やかな文様よりも別にある。それは、左右両袖口周り、襟端からの 袵の縁 、裾周りが一目落としで縫い取られていることである 。さらに 、 同じ箇所と身八つ口の裏地は、赤く染められており、一目落としの機能 を補強しているかのようである。つまり、長着の開口部分を表からも裏 からも二重に固めているということである。こうした箇所を一目落とし で縫い取ったり、赤布を当てたりするのは、奄美 のドギンにも共通することであり 、災悪防除の 意識が窺えるのである。また、両袖口の一目落と しの留め縫いの部分には赤糸と白糸の房が付けら れ、襟端と前側に重ねる左袵の接合部分にも同じ 房が付けられている。同島のナヅケキモンの袖口 や背縫いにも見られるものと同様である。   今一つの晴れ着は、黎明館が所蔵する曽於郡志 布志町の袷の晴れ着である。この着物は、表地に

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裏地を一目落としで縫ったドンザ 黎明館蔵・いちき串木野市羽嶌  胸と背に家紋が入り 、松 、梅 、山河の風景の裾模様が配されているが 、 一目落としや糸の房などは見られない。ところが、 裏返しにしてみると、 袖周り、身八つ口、袵、裾周りには赤布が当て縫いされていることが分 かる 。これは 、口之島の裏地が赤く染められているのと共通しており 、 同様のことは、約一七〇年前のものだという、黎明館所蔵の鹿児島郡三 島村硫黄島の九月踊り衣裳にも見られる。しかし、このことは、先にド ギンの項で触れた大島郡宇検村屋鈍の吉野家の子供のものと思われる 、 地が緑色のドギンの赤布につながるという点で重要である。赤布が当て られている箇所は、表地ではあるが両袖口、襟、前袵、後襟付け根、背 筋、 裾回りで、 晴れ着の赤布の位置とほぼ重なることが分かるのである。 表地から裏地へ後退したと言うべきであろう。次に、仕事着について触 れてみたい。   3   仕事着   南九州の仕事着には 、タナシ 、コシギンと呼ばれる上着とそれと一 対で下半身に着けるバッチやメダレが代表的なものとして知られている が 、それ以外にドンザと呼ばれる仕事着がある 。ドンザは木綿の古布 を接ぎ合わせ、さらにその上に古布を次々に重ねて刺した刺子の分厚い 長着で 、漁師が漁船で沖に 出るとき 、潮に濡れないた めや寒さを防ぐために着た 着物である 。このドンザに も三角文や一目落としの縫 い取りが見られる 。例えば 、 黎明館が所蔵する串木野市 羽島のドンザは 、表地に通 常の縫い方で左巻きの三角 文が縫い取ってある。それは、袖、後襟、後ろ身頃、前身頃、袵とほぼ 前面にわたって施されている。こうした例は、熊本県球磨郡五木村で荷 を背負うときに背中に荷擦れが出来ないように着用するニズリにも見ら れる。ニズリは、木綿布で仕立てられた袷の袖無しで、防寒着の機能も 持っている。 前面も背面にも白糸で左巻き三角の渦巻き文が刺してある。 これは、 背面から忍び寄る悪霊を巻き取る魔除けの意味があったと言い、 この三角文以外にも蜘蛛の巣や渦巻き文があったと言う。   また、同じく黎明館所蔵の揖宿郡山川町︵現指宿市︶のシオハレも漁 師の着たドンザの一種で、裏地全面に一目落としの縫い取りが施されて いる。こうした縫い目には、危険の渦巻く沖の漁場で働く男たちの身に 降りかかる災悪を排除し、守護しようとした女性たちの強い意識が窺え るのである。ドンザには防潮や防寒という実利だけでない、精神的な意 味も付されていると言って良い。次に、蚊帳に見られる防災意識につい て触れてみることにしよう。   4   蚊帳   黎明館が所蔵する川辺郡川辺町︵現南九州市︶の蚊帳は珍しいもので ある。明治四年生まれの女性が、自らの手で麻から糸を紡ぎ出し、さら に手織りをして、クヤ︵紺屋︶に頼んで藍染めして仕立てたもので、昭 和の中頃まで用いられたものである。かつては、女性は一生に蚊帳を一 つ作らなければならないものとされていた。この蚊帳には、天井面の四 辺には赤い布が一周縫い付けられ、四隅の天井面の内側には四角の赤布 が当てられ、内側の二辺と対角は白糸で一目落としで縫い取りがなされ ている。また、四隅の吊り手の付け根には、縁を白糸で一目落としに縫 い取り 、山の形に重ね折りして 、それを二本に折って縫い付けてある 。 また、入り口と思われる一つの側面には、天井面の赤の縁取りの中央の 位置から、吊り手の付け根と同じ赤布が一本下げられている。この赤布

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四隅の菱形の赤布と一目落とし縫い 黎明館蔵・南九州市川辺町両添 出入口の面に下げられた赤布 黎明館蔵・南九州市川辺町両添  は、蚊帳は一つの方向からしか入ることが許されないもので、あちこち の側面から入ると親にしかられものであったという伝承を裏付けるもの である。しかも、これらの下げられている赤布が山の形に折られている のも 、三角を意識しているものであり 、天井面の四隅の四角の赤布も 、 一目落としの縫い取りをすること で三角文を作り出していると言っ て良い。夜、蚊帳の中で安眠する ためには、人間と共に侵入しよう とする悪霊を幾重にも排除しなけ ればならなかったのである。雷が 鳴るときは蚊帳の中に入れば取り 殺されないなどという俗信も、こ うした、蚊帳に施された防災の意 匠と深くつながっていると思われ る。   以上が、ノロ神遺品に見られる 災悪防除の意匠との関わりを示 す、奄美の北側周辺の服飾関係資 料の様相である。ここに見られる ように、奄美の北側周辺では、一 目落とし、三角文、赤色が基調に なっており、これは奄美と共通す るのであるが、ドギンの輪状の袖 に見られるような多様な色の組み 合わせや、三角折りの連続と考え られる襞などは見られない。 ただ、 襞に関しては、川辺町の蚊帳に付 けられた山形に折った赤布にその関連が推測できる。また、仕事着や蚊 帳など日常的に使用する物の中に災悪防除の意匠が認められるのは、奄 美との大きな違いであると言えるのではないだろうか 。それでは次に 、 目を転じて東南アジアの少数民族の民族衣装との比較を試みることで 、 そのつながりをみてみたい。

カミギンの周辺その二

︱ つながる東南アジア ︱   筆者は、ここ十数年タイ ・ ラオス ・ ベトナム北部︵北緯二〇∼二三度︶ を歩いている中で、竹製の生活道具をはじめ生活全般にわたって、奄美 や南九州の民俗文化と深いつながりのあることを紹介してきた 13 。ここで は、その過程で知り得た少数民族の民族衣装の中から、奄美のノロの衣 裳とのつながる点について触れていきたい。   1   ラオス北部・モン族の被り物   ラオス ・ フアパン県サムヌアー郡ナノンブワ村のモン族の女性は、 プー アと呼ばれる布を頭に巻いて被る。全体が藍染めの木綿布で、大きさは 幅五九センチ、長さ一四八センチである。その両端には、菱形の中に花 らしき文様の浮き織りが施され、さらにその片側の三辺の縁には、三個 のビーズの玉の先に三角布を付けたもの二六個が下がっている。この部 分を背中に垂らすように被る。これは、名瀬市︵現奄美市︶立奄美博物 館蔵の浦上のノロのテサージや与論十五夜踊りのシュパ、さらには黎明 館蔵のアヤハブラに重なると思われる。     2   ベトナム北部・ロロ族の民族衣裳   ベトナムのロロ族は、中国・雲南省との国境沿いのハジャン省・ドン バンやメオバック、カオバン省・バオラック、ラオカイ省ムオンフオン

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ロロ族の民族衣装(女性用) 原野農芸博物館蔵・ベトナム・ メオバック県サパア村    ピィヤンの背面 原野農芸博物館蔵・ベトナム・ メオバック県サパア村 ピィヤンの輪状の袖 原野農芸博物館蔵・ベトナム・ メオバック県サパア村  などの地域に、およそ三〇〇〇人ほどが住んでいる。中国の彝族の支族 で、言語はチベット・ビルマ語族に属する民族である。   ここでは 、大島郡住用村 ︵現奄美市︶の原野農芸博物館が所蔵する 、 ハジャン省のメオバック県・サパア村のロロ族の成人女性の衣裳につい て述べてみよう。この衣裳は、 上着 ︵ピィヤン︶ 、ズ ボン ︵ロ︶ 、帯 ︵ロピィ︶ 、 腰布 ︵ズト︶ からなっている。生地は藍染めの黒に近い濃紺の木綿布で、 赤と黄、青、緑、白色の三角形の布を基調にして接ぎ合わせている。そ の接ぎ合わせ方は 、直角二等辺三角形の赤布と黄色の底辺を合わせて 、 正方形になるように縫い付ける。さらに、赤の三角布にはその上から青 と黄色の小さな直角二等辺三角形の接ぎ合わせ、 黄色の三角布の上には、 二等辺の内側に三本の赤布で線を入れるように縫い取り、その内側に赤 と緑色の小さな直角二等辺三角形の布を接ぎ合わせてある。また、もう 一つのパターンは、先の赤と黄色の三角布で縫い取った正方形と同じ大 きさの赤の布を縫い付け、左下隅と右上隅とに四分の一の四角の白布を 縫い付け、 その中に赤の細布で﹁北﹂字を変形させた様な形に縫い付け、 左上と右下の四角には緑の小さな直角二等辺三角形の布を接ぎ合わせた 形がある。この形には、左下隅と右 上隅の四分の一の四角の布を赤に変 えた形がある。この三種類を交互に 配列して縫い付けてあることにな る。例えば、上着の前面には胸前か ら裾までの左右の縁沿いに L 字型に 縫い付けてあり、背面にも同様に背 筋から裾周りにかけて L 字型に縫い 付けてある。これは、宇検村屋鈍の 吉野家の子供用の緑地のドギンに縫 い付けられた赤布の形とほとんど同 じである。しかも、胸も背の側にも L 字上部にはそれぞれ別布が縫い付 けられているが、これも同じドギンの背筋の赤布の後ろ襟との接合部に 赤の別布が当てられていることとつながるものであろう。また、腰布は 縁取りをするようにこの縫い取りが配され、ズボンにも大腿部周りから 内股沿いに裾口まで縫い付けられている。また、帯の両端には、同様の 二つの直角二等辺三角形を合わせた正方形の布が下げられ、縁と三角の 頂点の交点、底辺の中央点には、ビーズの玉を通した糸の房が取り付け られている。こうした、房の付け方は、黎明舘所蔵の名瀬市大山家のア ヤハブラに取り付けられた糸の房と同じであるのも極めて驚きである。   ところで、この上着にはもう一つ注目すべきものがある。それは、輪 状になった袖の作りである。袖口には白布が当てられ、赤と黄色布の三 角文が縫い付けられている。さらに、肩側に向かって紺、茶、紺、茶の 布が輪状に接ぎ合わされて袖が作られている。これは、宇検村阿室のハ ブラドギンの輪状の袖と一致する形である。しかも、その継ぎ目の縫い 目は、紺と茶の継ぎ目が白、紺、白、紺の飛び縫いで、茶と紺の継ぎ目 が黄、赤、黄、赤の飛び縫いになっていることである。これは、奄美や

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モン族の成人女性のチョー(背面) 個人蔵・ラオス・ルアンナムター県ドンマイ村 モン族の女児のチョー(前面) 個人蔵・ラオス・ルアンナムター県ドンマイ村  トカラ、鹿児島に見られる一目落としの縫い目に通じる形で、中でも宇 検村阿室の岡元家のハブラドギンの輪状の袖の継ぎ目の一目落としの縫 い目との類似は強調しておきたい。また、この縫い目は襟周りから裾に 下り、裾周りを一周する縫い取りにも用いられており、同様の一目落と しの縫い取りは、宇検村屋鈍の吉野家の子供用の緑地のドギンにも見ら れるものである。次に、ラオスのモン族の女性の上着について見てみた い。   3   ラオス北部のモン族の女性の上着   モン族は、中国で言う苗族のことである。ここでは、筆者が一九九九 年五月に、ミャンマーと中国雲南省に接するラオス ・ ルアンナムター県 ・ ドンマイ村のモン族から収集してきた、女性用の上着について述べてみ ることにする。ドンマイ村のモン族は、一九九四年にベトナム国境のフ アパン県サムヌアー郡から移ってきたと言い、約八〇戸数を数える。   先ず、チョーと呼ばれる成人女性の上着を取りあげる。生地は、手紡 ぎ、手織りの木綿布を黒に近い濃紺に藍染めしたものである。襟︵ディ エチョー︶は、外側から白、赤、青、赤と接ぎ合わせて中程の位置まで 付けられている。袖︵ドウテーチョー︶は、袖口から黒、青、黒布を交 互にそれぞれ八枚ずつ、輪状に接ぎ縫いされている。さらに、襟の後ろ の付け根には、ラチョーと呼ばれる黒布と白布接ぎ合わせた布が付けら れ、 白布には三角文や六角文が刺繍されている。そして、 背筋にはクゥー コーチョーと呼ばれる青色の布が、首の付け根から裾まで縦に一列に縫 い付けられている。   次に、子供の女性のチョーを見ると、幾つか大人のものとは異なる点 がある。生地が青色であり、 背中のクゥーコーチョーは黒色の布である。 さらに注目されるのは、左右両肩から両脇を通って裾までと、襟周りか ら裾まで 、クゥーコーチョーと同じように黒布が縫い付けられている 。 また、袖の輪が一枚多く九枚になっているなどの違いが見られ、不安定 な命の子供をより強く守っていると考えられる。因みに、男性の上着に はこうしたクゥーコーチョーはないのである。   それにしても、輪状のドウテーチョーとハブラドギンの輪状の袖、ラ チョーとウブギンのマブイ、クゥーコーチョーとドギンの背中の赤布や 一目落としの縫い取りというように 、見事に対応するのである 。次に 、 タイ北部の女性の上着について見てみたい。   4   タイ北部のラフ族の女性 ︵幼児︶ の上着   ここで紹介する上着は、原野農芸博物館が一九六○年代に収蔵したも ので、タイ北部のラフ族のもので、一歳から三歳の女性の幼児が着用す る上着である。生地は濃紺の藍染めで、 左右の両袖は袖口から肩まで赤、 濃紺、 赤、 白の布を輪状に接ぎ縫いし、 袖口の赤布と肩の赤布の上には、 それぞれ一一個の銀製釦が一周り取り付けられている。首の周りには赤 糸の縫い取りがあり、その上に一九個の銀製釦が付けられている。襟の 端から裾まで左右共に赤布が付けられている。その左側の赤布には襟端

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ラフ族の女児の上着(背面) 原野農芸博物館蔵・タイ北部 モン族の女性のターンドゥ 個人蔵・ラオス・ファーパン県サムヌアー村 ラフ族の女児の上着(前面) 原野農芸博物館蔵・タイ北部  から下に五個の銀製釦が付けられ、右側には二つ分ぐらい空けて左側と 同じ大きさのもの二個、その下に左側の五個目の釦を留める機能を持た した、大きな銀製釦が一個付けられている。右襟の端から二番目の釦の 下にも一個付けられている。また、左右の両脇にはそれぞれ九個の銀製 釦が付けられている。さらに、 背筋の中央には一四個、 その右に一三個、 左に一四個の銀製釦が、襟の後ろの付け根から裾まで縦に三列付けられ ている。      この上着に至っては、釦と一目落としの縫い取りとの差こそあれ、モ ン族のチョー以上に奄美のドギンやトカラ列島、鹿児島のウブギンとの 重なりを思わないわけにはいかない。 名越左源太が ﹃南島雑話﹄ に描いた、 御印加那之が首に掛けた ﹁前ハキ﹂ という玉や、 背中に垂らした三列の ﹁ハ ブラダマ﹂もこうしたものとのつながりの中で考えてみると、より理解 が深められるのではないかと思われる。 次に、奄美のカカンの問題を考えさせる、ラオス北部のモン族の襞付巻 きスカートについて触れてみたい。   5   ラオス北部のモン族の襞付巻きスカート   モン族の女性は、先に述べたチョーという上着と一対で、襞付きの巻 きスカートを着用する。筆者が、一九九六年一二月、ラオス・ファーパ ン県サムヌアー市場で収集したモン族のターンドゥという襞付きの巻き スカートは、大麻の布を臈纈染めした紺地の布に、赤布で縦横に三角文 を縫い付けたものである。裾周りは赤布を縫い付け、その上に刺繍が施 されている。胴に巻く帯の部分は白布が当てられ、締めるための細紐が 付いているが、その紐を結び付ける紐の輪が帯の両端に付いている。ま た、モン族は、臈纈染めも布の縫い付けも刺繍もなにも施さない、真白 の襞付巻きスカートも持っている 。筆者は 、一九九六年三月 、ラオス ・ シェンクワン県・ポンサワン市の近郊のモン族の村で、それを見ること ができたが収集はできなかった。しかし、その後、タイ・チェンライ県 で収集されたダイティアと呼ばれるモン族の襞付巻きスカートを入手で きた。これは、焼畑の播種祭や、正月、結婚式など、晴れの場で着用す るものである。これは、奄美のカカンが綾紗を上品とし、木綿の白布が 下品とされたのとは異なる点であ る 。しかし 、襞付きであること 、 巻きスカートであること 、短い上 着とセットで着用することなど 、 奄美のカカンとの共通性が強く認 められるのである。   ところで 、こうした襞付巻きス カートは 、モン族の他にも中国 ・ 四川省 ・大涼山の彝族の女性も着 用していることが分かっている 。 奄美大島の住用村山間にある原野

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ピディをはいたアカ族の女性 ラオス・ルアンナムター県タホム村  農芸博物館が所蔵 ・展示する 、彝族の女性の衣裳の下裳がそれである 。 それは、 足下まで達するほどのロングスカートであるが、 刺繍が施され、 見事な山形の襞が付けられている。これからの調査によって、さらにこ うした襞付巻きスカートの存在が確認されていけば、奄美のカカンとの つながりが明らかになるに違いない。   次は、巻きスカートではないが、襞付のスカートを紹介したい 。   6   ラオス北部のアカ族の襞付スカート   襞付スカートとして触れておかなければならないのが、アカ族の女性 たちがはくミニスカートである。ここでは、 筆者が、 一九九七年一一月、 ミャンマー国境に接するラオス北部、ルアンナムター県タホム村のアカ 族から収集した 、成人女性の襞付スカートを紹介したい 。タホム村の アカ族の成人女性は、胸にラージャーという胸当てをし、その上にペー ホンという腰下までかかるやや長目の上着を着け、ピディという短いス カートをはく。このスカートは、手紡ぎ、手織りの藍染めの木綿布で仕 立てられている 。丈が三二センチ 、幅が二六センチの布を前側に四枚 、 丈が三二センチ、幅が二三センチの布を後側に六枚、筒状に縫い合わせ て、胴部に細紐を通して締めるようになっている。腰の両脇からお尻の 面にはおよそ二三〇段の襞が付けてある。お尻側だけに襞を配している のは、やはり背後に 忍び寄る悪霊を防除 しているものと思わ れる。因みに、ペー ホンの背面の裾周り にも 、銀貨 、銀牌 、 宝貝を連ねたものを 三列下げてあり、そ のことを窺わせる 。ルアンナムター県モンシン市周辺やポンサリー県 、 さらにタイ・チェンライ県周辺に住むアカ族も、こうした後側半分に襞 を付けたスカートを着用しているのである。奄美のノロがなぜ襞付の巻 きスカートをはくのか。このアカ族の襞付スカートも、そのことを理解 するための資料であることには間違いないであろう。   7   ラオス北部のタイダム族の蚊帳   ルアンパバーン市内にある民族博物館に入ると、入口左にラオス・ル アンナムター県ノンボア村のタイダム族のモスキートネットが一張り展 示してある。いわゆる蚊帳である。その特徴を見ると、上側の四辺の縁 には、地が赤色で、紫、青、白などの縦縞、さらに三角形や両端が鉤棒 を格子状に組み合わせた紋様の浮き織りを施した赤布が縫いつけられて いる。   特に、 人間が出入りする正面側の上縁には、 その赤布の下側に、 青、 赤、 黄、緑、赤色の布が五段に縫いつけられ、それぞれ継ぎ目は三角形の鋸 歯文が隙間無く付けられている。さらに注意深く観察すると、その布は 正面左右の吊り手部を巻く形で左右の二面にせり出していることが分か る。それらの五段の最下段の赤布の下側には、先端部が三角形に尖った 赤、緑、青、茶色などのプリント地の布片が隙間無く縫いつけ垂らされ ている。さらに、先端部三角形の頂点と左右には、ビーズの玉を挟んで 三枚の細布の房が施されている。   また、四隅の吊り手の根本には、真ん中に緑色、左右に赤色の三枚の 方形の布片が垂らされ、その先端は三角形に成形され、三角形の頂点と 左右にビーズの玉を挟んで三枚の細布の房が取り付けられ、垂らされて いる。これは、正面入口に隙間無く垂らされている布と全く同じ形態で あることが分かる。さらに、上縁に縫いつけられた吊り手の紐の両端も 糸の房になって垂れ下げられている。

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タイダム族の蚊帳(正面拡大) ラオス・ルアンナムター県ノンボア村 タイダム族の蚊帳(正面左側隅) ラオス・ルアンナムター県ノンボア村 タイダム族の蚊帳(正面入口) ラオス・ルアンナムター県ノンボア村    さらに 、筆者が二〇一一年三月に 、ルアンパバーン県のウー河沿い のタイダム族の村で収集した蚊帳を見ると、天井部のみが透かし織りに なっており、垂れ下がった四面は木綿の黒布で作られている。その大き さは、正面と奥の二辺が一六六センチ、左右の二辺が一八五センチ、高 さが一八五センチである 。四面の上縁は 、地が赤色の縦が一七 ・ 五セン チの布に、紫、青、白などの縦縞、さらに三角形や両端が鉤棒を格子状 に組み合わせた紋様の浮き織りを施した赤布が縫いつけられている。特 に、 人間が出入りする正面側の上縁には、 その赤布の下側に、 赤、 緑、 赤、 青色の四段の布が縫いつけられ、緑と赤、赤と青の継ぎ目には三角形の 鋸歯文が、隙間無く施され、その布は、正面左右の隅を巻くように左右 の二面にせり出している。それらの四段の最下段の青布の下側には、幅 三 ・ 〇センチ、 長さ一〇 ・ 〇センチの方形で、 先端部が三角形に尖った赤、 緑、白やプリント地の布片が隙間無く縫いつけ垂らされ、三角形の先端 部には三枚の細布の房が施されている。   また、 四隅の吊り手の根本には、 幅三 ・ 〇センチ、 長さ九 ・ 〇センチの赤、 青、緑の方形の布片が垂らされ、その先端には三枚の細布の房が取り付 けられ、垂らされて いる。さらに、上縁 に縫いつけられた吊 り手の紐の両端も糸 の房になって垂れ下 げられている。   これらを見ると 、 地理的には西と東に 遠く離れているルア ンナムター県とルア ンパバーン県であっ ても、同じタイダム族であれば、蚊帳の製作技術は全く一致しているこ とが分かる。四辺の上縁に施された赤布や垂らされる布、それらに施さ れる三角形の鋸歯文、布や糸の房、それらの意匠や取り付けられた位置 が、ほとんど正確に一致するのである。   それはまた、 鹿児島の川辺町︵現南九州市︶で手作りされた蚊帳とも、 一目落としの縫い取りを除けば 、ほぼ一致していることが理解できる 。 つまり、両者の意識は、赤い色、三角形の鋸歯文、出入り口、四隅、天 井部と側面の接合部なのである。これらの意匠と施す箇所は、これまで みてきた様々な衣裳にも共通してみられることである。このことは、蚊 帳に施されたこれらの意匠もまた、両地域の災悪排除の思想が一致する ことを、強く示唆していると言ってよい。   以上が、奄美のノロの衣裳に見られる特徴と比較する形で、東南アジ アの大陸部の少数民族の民族衣装を見てきた結果である 。結果的には 、 その意匠とそれに込められた災悪防除の意識の重なりに、改めて大きな 驚きを感じる。

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