• 検索結果がありません。

南アジア研究 第28号 016書評・相川 愛美「松川恭子『「私たちのことば」の行方―インド・ゴア社会における多言語状況の文化人類学―』」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "南アジア研究 第28号 016書評・相川 愛美「松川恭子『「私たちのことば」の行方―インド・ゴア社会における多言語状況の文化人類学―』」"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)南アジア研究第28号( 2016年). 書評. 松川恭子『「私たちのことば」の行方―イン ド・ゴア社会における多言語状況の文化人 類学―』 東京:風響社、2014 年、310 頁、5000 円+税、ISBN978 ­ 4 ­ 89489 ­191­3. 相川愛美 本書は、著者が2006 年 3 月に大阪大学大学院人間科学研究科に提出 した博士論文「『私たちのことば』を求めて―インド、ゴア社会におけ る多言語状況の文化人類学的研究―」を元に書きあげられた書である。 かつて、ポルトガルに支配を受けた西部インド、ゴア社会の歴史と現 在について、多言語状況に焦点を当てて文化人類学の観点から、著者 の2000 年から 2005 年のゴアにおける現地調査結果をもとに考察がな. されている。本書の主な研究目的が2 点あげられる。まずは、1 ) ポルト. ガル支配下におけるゴアでは、独自の社会関係と多言語状況が形成さ れ、その状況は、インド編入という過程で、カーストや宗教そして経 済などの様々な要因によって形成されたゴアの社会関係を反映してい るということから、筆者はポルトガル植民地時代から1961年のインド への編入を経て、現在に至るまでに起こったゴア社会の変化を、社会. 関係と多言語状況の記述を通じて明らかにしようとする。そして、2 ). その状況下において、ゴア社会における現地語コーンカニー語を「私. たちのことば」として作り上げようとする運動が展開され、そこではそ の言語を共同体の共通項として象徴化していくという理念だけには収 まらず、言語間の力関係の問題などの背景が見られる。そこで筆者は、 この一連の運動の流れを確認し、近代に形成された言語共同体観とゴ ア社会の多言語状況の間の「ずれ」とその意味を捉える。 以上の目的から、本書は以下の通りに構成され、各章について概観 を説明する。 はじめに 序論 第1章 「私のことば」を決定する社会関係 第2章 「私のことば」の分裂と多言語状況の現在. 162.

(2) 書評 松川恭子『 「私たちのことば」の行方―インド・ゴア社会における多言語状況の文化人類学―』. 第3章 「私たちのことば」で書くということ 第4章 もう一つの「私たちのことば」-キリスト教徒にとっての ローマ字筆記 第5章 多言語状況における現地語公共圏の形成 結論 あとがき 序論では、本書の目的、先行研究と本書の理論的位置づけ、調査地 の概要、調査の概要、そして本書の構成などが説明される。著者は1) 本書の言語と集団への帰属意識をめぐる研究の観点から、人種性、宗 教といった概念が歴史的に成立した背景を問い直す構築的立場に基盤 を置きつつも、ある地理的空間に生きる人々が自身を民族として認識 していくその過程を精査することの重要性2)インドにおける多言語社 会に関する観点から、インドにおける多言語社会の形成は、イギリス 支配からの脱植民地化の過程と密接な関係性を持つが、本書の調査対 象であるゴアはポルトガル支配の歴史を考慮する必要性3)公共圏の 形成の観点からローカルなレヴェルにおける公共圏の形成過程とその 複雑さを描くこと、この3 点を研究の位置づけとして、現地調査と資料 分析によって研究を行っている。 第 1章では、ポルトガル植民地時代に形成されたゴアの社会関係と解 放後の変化、特にゴア特有の土地共有制度コムニダーデを中心とし村 落の社会関係の変化が述べられる。ゴア特有の土地共有制度コムニダ ーデとは、ガウンカール(村の最初の入植者の子孫と名乗る人々)に よって行われ、それはその土地に対する権利と義務が生じる社会関係 で形成されている。著者はまず、このコムニダーデとガウンカールの関. 係性を調査対象である M 村の事例から説明する。 M 村における 4 つの. コムニダーデの紹介とその各コムニダーデの規模やその運営状況、ガウ ンカールの対象者とその権利、そしてコムニダーデと教会の関係性を. 述べ、 M 村の場合はコムニダーデが教会の維持に貢献していることを 指摘する。次に、著者は地主と小作関係について述べる。ゴアではバ. トカール(地主)が所有する私有地が多く存在し、ポルトガル政府と 深い関わりを持っていることを、M 村におけるバトカールの聞き取り調 査から明らかにする。また、ゴアにおけるヒンドゥー教徒の社会関係. 163.

(3) 南アジア研究第28号( 2016年). と M 村におけるヒンドゥー教徒の移住史を素描し、ヒンドゥー教徒が 居住する新征服地では、コムニダーデに相当するマザニアという村落. の維持管理機能を果たす制度があり、著者はその仕組みの事例として. M 村に移住してきた家族について紹介する。最後にポルトガル支配か. ら解放されたあとに生じた村落内の社会関係の変化について述べ、解. 放後はパンチャーヤットが M 村に導入されたこと、ヒンドゥー教徒の 村への移住、また、彼らによる M 村のヒンドゥー教寺院建設とその運. 営の過程で、 M 村におけるヒンドゥー教徒の政治的権力が増しコムニ. ダーデとガウンカールが政治的権力を失ったことを確認する。このこと から、著者は M 村では土地所有者と借地人という関係性から、キリス. ト教徒とヒンドゥー教徒という対立が顕在化したことを明らかにした。 第 2 章では、ポルトガル支配を経たゴア社会全体の多言語状況の考 察がなされている。ゴアでは一般的にコーンカニー語が人々によって話 されているが、ポルトガル植民地支配、現地エリート(ヒンドゥー教 徒)の出現、さらにイギリス支配という過程で、現地語のほかにポル トガル語、マラーティー語、英語が使用されるようになり、人々はこ れらの複数の言語を目的に合わせて使い分けるようになった。そこで著 者は、その多言語使用状況下で、人々はどの言語(ポルトガル語、マ ラーティー語、英語)を「私のことば」として認識しているかという ことに着目する。著書は、話者にとってポルトガル語は、植民地支配 の記憶につながる「私のことば」であり、その言語の使用こそがその 文化と結びついていること、またゴア社会におけるマラーティー語は、 話者にとって「私のことば」として意識しながらも母語ではないと認 識されることがあり、マラーティー語は主にヒンドゥー教の宗教的領域 で使用され、マハーラーシュトラ州との文化的連続性の現れであるとす る。そして、英語について、著者は時代の変遷の中で生じたポルトガ ル語に代わる社会的上昇の手段としての行政・教育の言語であると位 置づけた。 第 3 章では、現地における教育の観点からのコーンカニー語の使用状 況と、コーンカニー語は方言であるのか、それとも独立した言語であ るのかという現代における言語学的論争の概観が述べられる。著者は、 このような状況下で登場したコーンカニー語作家が、どのような経緯 をもってコーンカニー語で本を書くに至ったのかという語りをその事. 164.

(4) 書評 松川恭子『 「私たちのことば」の行方―インド・ゴア社会における多言語状況の文化人類学―』. 実背景を組み込んで述べる。そして、コーンカニー語普及機関の存在 と、各機関の活動内容を紹介し、これらの基礎的情報を踏まえて、著. 者は M 村におけるコーンカニー語に関する教育現場に着目する。著者. は、 M 村における教育制度の問題点として、経済的に余裕がある富裕. 層は子供を初等教育から英語教育を受けさせる一方で、貧困層はコー. ンカニー語またはマラーティー語の教育を受けさせるという経済的問 題からの二分化が生じているという点と、その貧困層はゴア外の出身 者が多く、母語がコーンカニー語でない人々が、コーンカニー語を学 んでいるという状況が生じ、「私たちのことば」としてコーンカニー語 をゴアの子女に学ばせるという目的から外れてしまっていることを指 摘した。 第 4 章では、州公用語としてのコーンカニー語の筆記はデーヴァナー ガリー文字が使用されるのに対して、ゴアのキリスト教社会では、ロ ーマ字によるコーンカニー語が使用されているという現状についての 考察が行われている。ポルトガルの支配がはじまると、ポルトガルの宣 教師たちは布教目的で来航し、その布教は現地語で行われた。彼らは 現地語を学び、やがて彼らによってコーンカニー語の文法書が著され、 そして、それは印刷され普及していった。その際に、彼らはコーンカ ニー語をデーヴァナーガリー文字で表さず、ローマ字のアルファベット で表記したという。その理由として、著者はインド文字を活字にして 印刷することの困難さと現地語を下位に位置づける言語ヒエラルキー の形成目的があったことを明らかにする。また、19 世紀末コーンカニ ー語の印刷物がボンベイのゴア人労働者間で流通し始めたのをきっか けに様々な月刊紙や作品が出版された。そして19 6 0年代以降、ローマ 字のコーンカニー語印刷物は、ローマ・カトリック教会によるものが増 え、人々の中でローマ字筆記のコーンカニー語はキリスト教徒のものと いう意識が強まった。それは、1961年のポルトガル支配からの解放後、 ゴア教会は地域志向に転換し、典礼におけるコーンカニー語化の方針 をとったためで、ゴア教会では聖歌や新約聖書、旧約聖書などはロー マ字表記でのコーンカニー語で出版された。そのような背景を踏まえ、 著者は M 村における教会のコーンカニー語の実践的事例を報告する。 著者の調査からは、神学校でのコーンカニー語の教授課程でローマ字. 表記とデーヴァナーガリー文字表記の使用における問題点や、ある神. 165.

(5) 南アジア研究第28号( 2016年). 父が時と場合によってポルトガル語、コーンカニー語、英語などを使 い分けている現状が明らかになった。 第 5 章では、1958 年から87 年に起こったコーンカニー語州公用語運 動で、特に重要な役割を果たした新聞紙上でのキャンペーンの動向、運 動家たちの戦略について考察がなされている。. 著者は、ゴアの新聞発展史にふれ、 M 村における新聞読者は、キリ. スト教徒は英字新聞を、ヒンドゥー教徒はマラーティー語新聞を読むと. いうような、言語によって分裂が生じていることを指摘する。その後、 1961年の解放直後、マハーラーシュトラ州にゴアを編入させるという 政治的な経緯から、それに対立するという形でゴアの歴史的・文化的 独立性の訴えが生じた。そのような流れでコーンカニー語を州公用語 にしようとする運動が生じたのである。著者は、この運動の中で印刷 メディア、特に新聞紙が、コーンカニー語の州公用語化の考えを掲載 することで、読者にゴアはマハーラーシュトラとは違う文化的独自性を も有すること、また、コーンカニー語を「母」と同一視させて、「母」 を守る=母語コーンカニー語を守る、というイメージを読者に与えるこ とで、コーンカニー語州公用語に対する理解を大衆へ広めようとした ことを実際の記事から説明する。また、著者はここで、文字で書かれ たメディア、つまり書記メディアに対して文字に媒介されない非書記メ ディアからの視点、コーンカニー語による大衆演劇や歌などからによる コーンカニー語州公用語化運動状況も言及した。 最後に、結論として著者は現在のゴアの多言語状況において現地で は、グローバル言語としての英語とゴア人のアイデンティティの拠り所 としての話し言葉のコーンカニー語という二極化が進んでいることを 指摘し、インターネットなどの普及によって新しいコーンカニー語共同 体の形が作り上げられてくだろうと結論づけた。 以上、本書における概要を示した。そして、本書を通読して少しな がらコメントを記しておきたい。まず、本書の特徴として読者に対し て非常に内容がわかりやすく書かれているという点があげられる。各章 の始めには必ず、章における目的とその展開、小括では、その章にお いて言及された内容と簡単なまとめが書かれており、読者が各章にお いてどんな目的意識をもって読めばいいのか明確に理解することがで. 166.

(6) 書評 松川恭子『 「私たちのことば」の行方―インド・ゴア社会における多言語状況の文化人類学―』. きる。また、その読者に対する丁寧さが見られる箇所として、特定の 1. 語彙の説明や由来についての言及がある 。それらは、インドを専門と する研究者以外の読者にとって理解しやすく説明されている。. また、著者は文化人類学的マクロな観点を M 村の調査事例というミ. クロな視点からの考察を試みており、それはネーションとエスニック集. 団の双方を視野に入れて検討するという本書の目的が果たされている。 一方で気になった点を1 点申し上げる。第 4 章の題目で “もう一つの 「私たちのことば」-キリスト教徒にとってのローマ字筆記” とされて いるが、論じている内容は「キリスト教徒にとってのコーンカニー語ロ ーマ字筆記」と、「キリスト教徒にとってのコーンカニー語」の 2 点が 混在しているように思われた。 例を挙げると、「M 村教会における活. 動」(202 頁~)で報告される活動内容、教会会議や日曜学校の授業内 容の事例報告はコーンカニー語で行われる活動であり、コーンカニー 語のローマ字筆記との関連性を見つけられず評者は少なからず困惑し てしまった。また本書では「私のことば」を個人の社会的位置づけに よって、ゴアの人たちが自分にふさわしいと認識している言語であると 定義をした上で、ゴア社会における「私たちのことば」としてのポル トガル語、マラーティー語、英語そしてコーンカニー語を並列的関係で 検証しているように思えるが、評者はポルトガル語、マラーティー語、 英語は、その話者と他者との区別をつけるための言語で排他的な性質 を持ち、「ゴア人」というカテゴリーと結びつけようとするコーンカニ ー語とは違うような印象を持っているが、その点についての区別は特に なされていないようなので、著者のご意見を伺いたい次第である。 最後に、インドにおけるゴア社会の多言語状況を考察するには、非 常に多角的な考察が必要とされる分野でありながら本書はそれを試み ており一読するに値する良書であるといえる。 註. 1 例えば第1章におけるパンチャーヤットの説明、 第2章におけるインド諸言語の説明や宗教. 的儀礼の説明などがあげられる。 あいかわ えみ ●東洋大学. 167.

(7)

参照

関連したドキュメント

人の生涯を助ける。だからすべてこれを「貨物」という。また貨幣というのは、三種類の銭があ

 英語の関学の伝統を継承するのが「子どもと英 語」です。初等教育における英語教育に対応でき

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

したがいまして、私の主たる仕事させていただいているときのお客様というのは、ここの足

「聞こえません」は 聞こえない という意味で,問題状況が否定的に述べら れる。ところが,その状況の解決への試みは,当該の表現では提示されてい ない。ドイツ語の対応表現

 問題の中心は、いわゆるインド = ヨーロッパ語族 のインド = アーリヤ、あるいはインド = イラン、さ らにインド =