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Vol.65 , No.2(2017)084李 泰昇「韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子」

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(1)

まず氏は,近代初期の政府の宗教政策と関連して仏教が歩んだ道について,島 地黙雷らの主張によって認められた,政教分離と信教の自由とが,仏教側が得た “大きな勝利”(末木 2012, p. 11)であると言いながらその奥に隠れている問題点を指 摘している.その中で,島地が主張した非宗教としての神道は,後に神道が一般 の宗教ではなく政治的な立場を持つ国家神道になる道を開いたという.さらに神 道が非宗教であるという主張は,神仏分離の政府側の立場を受け入れ,仏教側の 主張が政府の立場を否定するものではないことを明らかにしたという.それによっ て神道と仏教はお互い共存する道が開けたことになること,さらにこの神道と仏 教との共存の関係を,末木氏は “神仏補完” と言っている(末木 2012, p. 11).島地 が神道は非宗教であると主張した背景には,宗教を人間の心の問題として考えた ことが指摘される.そこには神道が人間の問題ではなく政治,社会的な面を重視 することによるという.末木氏は,それについて,“島地が拠って立つ宗教観は, キリスト教の影響下に,あくまで人間の心の問題に限定されるものであった.そ れは必ずしも実際の日本人の信仰を反映するものではなかった”(末木 2012, p. 11) と言う.ここにおいて,“日本人の信仰を反映するもの” として代表的なものが, 日本仏教の深層にある葬式仏教などの伝統である.末木氏はその深層,即ちその 奥に潜んでいる葬式仏教の伝統を探っていく.そして氏は次のように語る. (1)近世の仏教は,寺檀制度のもとで,人々は葬式だけでなく,日常生活のさまざまな 場面で仏教寺院と関係していた.しかし,近代になると,葬式と墓の管理,並びに祖先 のための法要が寺院の主たる任務となった.しかもそれは,近世のように政府による政 治的な制度として成立していたわけではなく,法制度的には何の規定もないものであっ た.しかし,神道は国家神道として宗教的活動を禁じられることで葬式を行うことがで きず,キリスト教は祖先祭祀を行わないために,実質的に葬式や祖先祭祀を担うことが できたのは,近世以来のノウハウの蓄積のある仏教しかなかった.(末木 2012, p. 12) 従って仏教が近代になってもっと重要な位置に立たされたことを末木氏は “仏 教は民間の自由な宗教になったはずなのに,実際は近代の天皇を頂点とする家父 長制度をもっとも底辺で支える重要な役割を果たすことになった”(末木 2012, p. 12)と言う.かくのごとく仏教が社会の基盤としてその役割を果たしていること を明らかにした後,末木氏はその基層の仏教と表層の仏教との関係を “表層の理 想化された言説は,この深層の葬式仏教による経済的基盤があってはじめて成り 立つものであった”(末木 2012, p. 12)と述べている. このように末木氏は,近代仏教において表層と深層との重層的な構造がどのよ 韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子(李) (33)

韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子

――末木文美士氏の冥顕説の検討及び韓国との対比――

李  泰 昇

1.はじめに

筆者は,近来,明治初期の仏教弾圧に関して,その原因あるいは弾圧の実態, さらにそれを克服する過程などに興味をもって調べてきた1).また明治初期の弾 圧から明治後期の仏教及び神道の流れを表で示したこともある2).日本近代仏教 の流れとは,仏教界がそのような弾圧を乗り越え,さらに東京大学に印度哲学の 名前で仏教学が成立し,日本社会において宗教哲学あるいは宗教文化として重要 な役割を果たすようになる経過とも言えると思う.もちろん仏教の流れにおいて は神道との緊張関係が常に続いていたと思われるが,明治後期に仏教が社会にお いて重要な宗教伝統であることが認められることで仏教の位相は確実になったと 思われる. 本稿において纏めてみたいものは,日本近代仏教の展開の中で忘れられてしまっ たような仏教の伝統に関する末木文美士氏の見解である.末木氏は,多様な近代 仏教の様子を “近代仏教の重層性” と呼び,その奥に隠され,そして忘れられてし まった仏教の伝統を探っている.その探る過程においてよく使われる言葉が,「顕」 と「冥」である.筆者は,これを冥顕説と呼び,その言葉が重層の仏教において どのように使われ,さらにそれが持つ意味が何であるかを韓国の仏教者の立場か ら検討してみたい次第である.

2.近代日本仏教の重層性

日本の近代仏教は初期の廃仏毀釈以来,仏教が日本社会において宗教として認 められ,その社会的役割を果たすに至るまで,多様な経過を経ることになる.こ の経過のことを末木氏は “近代日本仏教の重層性” と呼びながら,その経過を明快 にさらに深く考察していく.その末木氏の見解を基本としてその近代仏教の経過 を調べてみることにする3) (32) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月

(2)

まず氏は,近代初期の政府の宗教政策と関連して仏教が歩んだ道について,島 地黙雷らの主張によって認められた,政教分離と信教の自由とが,仏教側が得た “大きな勝利”(末木 2012, p. 11)であると言いながらその奥に隠れている問題点を指 摘している.その中で,島地が主張した非宗教としての神道は,後に神道が一般 の宗教ではなく政治的な立場を持つ国家神道になる道を開いたという.さらに神 道が非宗教であるという主張は,神仏分離の政府側の立場を受け入れ,仏教側の 主張が政府の立場を否定するものではないことを明らかにしたという.それによっ て神道と仏教はお互い共存する道が開けたことになること,さらにこの神道と仏 教との共存の関係を,末木氏は “神仏補完” と言っている(末木 2012, p. 11).島地 が神道は非宗教であると主張した背景には,宗教を人間の心の問題として考えた ことが指摘される.そこには神道が人間の問題ではなく政治,社会的な面を重視 することによるという.末木氏は,それについて,“島地が拠って立つ宗教観は, キリスト教の影響下に,あくまで人間の心の問題に限定されるものであった.そ れは必ずしも実際の日本人の信仰を反映するものではなかった”(末木 2012, p. 11) と言う.ここにおいて,“日本人の信仰を反映するもの” として代表的なものが, 日本仏教の深層にある葬式仏教などの伝統である.末木氏はその深層,即ちその 奥に潜んでいる葬式仏教の伝統を探っていく.そして氏は次のように語る. (1)近世の仏教は,寺檀制度のもとで,人々は葬式だけでなく,日常生活のさまざまな 場面で仏教寺院と関係していた.しかし,近代になると,葬式と墓の管理,並びに祖先 のための法要が寺院の主たる任務となった.しかもそれは,近世のように政府による政 治的な制度として成立していたわけではなく,法制度的には何の規定もないものであっ た.しかし,神道は国家神道として宗教的活動を禁じられることで葬式を行うことがで きず,キリスト教は祖先祭祀を行わないために,実質的に葬式や祖先祭祀を担うことが できたのは,近世以来のノウハウの蓄積のある仏教しかなかった.(末木 2012, p. 12) 従って仏教が近代になってもっと重要な位置に立たされたことを末木氏は “仏 教は民間の自由な宗教になったはずなのに,実際は近代の天皇を頂点とする家父 長制度をもっとも底辺で支える重要な役割を果たすことになった”(末木 2012, p. 12)と言う.かくのごとく仏教が社会の基盤としてその役割を果たしていること を明らかにした後,末木氏はその基層の仏教と表層の仏教との関係を “表層の理 想化された言説は,この深層の葬式仏教による経済的基盤があってはじめて成り 立つものであった”(末木 2012, p. 12)と述べている. このように末木氏は,近代仏教において表層と深層との重層的な構造がどのよ

韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子

――末木文美士氏の冥顕説の検討及び韓国との対比――

李  泰 昇

1.はじめに

筆者は,近来,明治初期の仏教弾圧に関して,その原因あるいは弾圧の実態, さらにそれを克服する過程などに興味をもって調べてきた1).また明治初期の弾 圧から明治後期の仏教及び神道の流れを表で示したこともある2).日本近代仏教 の流れとは,仏教界がそのような弾圧を乗り越え,さらに東京大学に印度哲学の 名前で仏教学が成立し,日本社会において宗教哲学あるいは宗教文化として重要 な役割を果たすようになる経過とも言えると思う.もちろん仏教の流れにおいて は神道との緊張関係が常に続いていたと思われるが,明治後期に仏教が社会にお いて重要な宗教伝統であることが認められることで仏教の位相は確実になったと 思われる. 本稿において纏めてみたいものは,日本近代仏教の展開の中で忘れられてしまっ たような仏教の伝統に関する末木文美士氏の見解である.末木氏は,多様な近代 仏教の様子を “近代仏教の重層性” と呼び,その奥に隠され,そして忘れられてし まった仏教の伝統を探っている.その探る過程においてよく使われる言葉が,「顕」 と「冥」である.筆者は,これを冥顕説と呼び,その言葉が重層の仏教において どのように使われ,さらにそれが持つ意味が何であるかを韓国の仏教者の立場か ら検討してみたい次第である.

2.近代日本仏教の重層性

日本の近代仏教は初期の廃仏毀釈以来,仏教が日本社会において宗教として認 められ,その社会的役割を果たすに至るまで,多様な経過を経ることになる.こ の経過のことを末木氏は “近代日本仏教の重層性” と呼びながら,その経過を明快 にさらに深く考察していく.その末木氏の見解を基本としてその近代仏教の経過 を調べてみることにする3)

(3)

の概念と人間の倫理の世界として顕の概念を使って,近代仏教の重要な様子を説 明している.近代仏教の様子と関連して,氏は次のような図を出している.(末木 2013, p. 264) 図 1.キリスト教的世界観の基本的枠組 図 2.近代的世界観の基本的枠組 図 3.日本宗教に基づく世界観の基本的枠組 ここにおいて図 1,図 2 は,近代仏教界において重要な宗教的観念,即ち宗教 の本質は自身と究極的な対象との出会いであることを示している.図 1 は当然キ リスト教の立場であり,図 2 に含まれる代表的な人物は島地黙雷であって,宗教 は人間の心の問題をもっとも重視する立場を持っているという立場である.しか し,この図 1 と図 2 をモデルとして日本近代仏教の様子をすべて捉えることは不 可能であるとして,新しく図 3 を示している.この図 3 に関して末木氏は,“しか し,実際の日本の仏教のあり方は,このような図 1 または図 2 では捉えきれない. そこで切り捨てられたものは何であろうか.それは,葬式仏教,密教,神仏習合 韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子(李) (35) うな意味を持っているかを明快に述べている.さらにこの重層構造を,末木氏は 四重構造であると説明し,その説明の中に,冥と顕の概念が出てくる.末木氏は 他の本において次のように述べる4) (2)こうして,日本近代の精神構造は,上の図のような四重構造を取ることになる.現 世的な法や道徳の秩序を「顕」と呼び,それに対して,霊的な世界の秩序を「冥」と呼 ぶならば,西洋近代科学・哲学と儒教が「顕」の領域に関わり,それに対して神道と仏 教が「冥」の領域に関わるということができる.仏教はこのような四重構造の中に位置 づけられ,一般の民衆の祖先祭祀を担当することで,近代日本の精神構造の重要な一角 を確保することになった.(末木他 2014, p. 338) ここにおいて末木氏が述べている冥と顕の概念を以下調べることにする.

3.末木氏の冥顕説とその意義

末木氏が近代仏教の様子を説明する際に使った冥と顕の概念は,氏の哲学が含 まれている独特な概念であって,氏はその概念を以て近代仏教の様子を説明して いる5).まずその概念の意味を調べてみれば,氏は “合理性によって解明される倫 理の領域を「顕」と呼び,合理性を逸脱し,それによって解明できない不可解な 世界を「冥」と呼ぶことにした”(末木 2013, pp. 262–263)と言う.倫理の領域,即 ち我々が認識している一般の世界のことを顕と呼び,その倫理の世界を超えた, 我々の認識不可能な世界を冥と呼んでいる.このような冥と顕の世界を末木氏は, さらに次のように説明している. (1)歴史的な用法では,「顕」と「冥」はいわば存在の領域分けとも言うべき性質のもの である.人間存在は「顕」の領域に属し,「冥」の領域には人間以外の,それも基本的に は目に見えない存在が属している.それに対して僕の場合には,あくまでも他者の他者 性は,自己の関係の持ち方によるのであり,「冥」なる領域がそれ自体として存在するわ けではない.人間同士であっても互いに了解可能である限りは「人の間」としての「倫 理」の領域に属し,従って「顕」の世界ということができるが,了解不可能な関係にな れば,「倫理」を逸脱した「他者」としての面が出ることになるので,「冥」の領域に属 すると考えられる.(末木 2013, p. 263) 末木氏の冥と顕の概念の裏には,自己と他者の概念が置かれている.即ち倫理 が働く人間同士の世界を顕の世界と言い,さらに顕の世界では人間がお互いにぶ つかりながら交流している.しかしお互い人間であっても私以外の他人をすべて 知ることはありえない.私が知ることができない了解不可能な面においての他者 のことを冥と言うのである.さらにその他者の極限のところにあるのが死者であ る(末木 2013, p. 174).このように末木氏は,他者と死者の概念が含まれている冥 (34) 韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子(李)

(4)

の概念と人間の倫理の世界として顕の概念を使って,近代仏教の重要な様子を説 明している.近代仏教の様子と関連して,氏は次のような図を出している.(末木 2013, p. 264) 図 1.キリスト教的世界観の基本的枠組 図 2.近代的世界観の基本的枠組 図 3.日本宗教に基づく世界観の基本的枠組 ここにおいて図 1,図 2 は,近代仏教界において重要な宗教的観念,即ち宗教 の本質は自身と究極的な対象との出会いであることを示している.図 1 は当然キ リスト教の立場であり,図 2 に含まれる代表的な人物は島地黙雷であって,宗教 は人間の心の問題をもっとも重視する立場を持っているという立場である.しか し,この図 1 と図 2 をモデルとして日本近代仏教の様子をすべて捉えることは不 可能であるとして,新しく図 3 を示している.この図 3 に関して末木氏は,“しか し,実際の日本の仏教のあり方は,このような図 1 または図 2 では捉えきれない. そこで切り捨てられたものは何であろうか.それは,葬式仏教,密教,神仏習合 うな意味を持っているかを明快に述べている.さらにこの重層構造を,末木氏は 四重構造であると説明し,その説明の中に,冥と顕の概念が出てくる.末木氏は 他の本において次のように述べる4) (2)こうして,日本近代の精神構造は,上の図のような四重構造を取ることになる.現 世的な法や道徳の秩序を「顕」と呼び,それに対して,霊的な世界の秩序を「冥」と呼 ぶならば,西洋近代科学・哲学と儒教が「顕」の領域に関わり,それに対して神道と仏 教が「冥」の領域に関わるということができる.仏教はこのような四重構造の中に位置 づけられ,一般の民衆の祖先祭祀を担当することで,近代日本の精神構造の重要な一角 を確保することになった.(末木他 2014, p. 338) ここにおいて末木氏が述べている冥と顕の概念を以下調べることにする.

3.末木氏の冥顕説とその意義

末木氏が近代仏教の様子を説明する際に使った冥と顕の概念は,氏の哲学が含 まれている独特な概念であって,氏はその概念を以て近代仏教の様子を説明して いる5).まずその概念の意味を調べてみれば,氏は “合理性によって解明される倫 理の領域を「顕」と呼び,合理性を逸脱し,それによって解明できない不可解な 世界を「冥」と呼ぶことにした”(末木 2013, pp. 262–263)と言う.倫理の領域,即 ち我々が認識している一般の世界のことを顕と呼び,その倫理の世界を超えた, 我々の認識不可能な世界を冥と呼んでいる.このような冥と顕の世界を末木氏は, さらに次のように説明している. (1)歴史的な用法では,「顕」と「冥」はいわば存在の領域分けとも言うべき性質のもの である.人間存在は「顕」の領域に属し,「冥」の領域には人間以外の,それも基本的に は目に見えない存在が属している.それに対して僕の場合には,あくまでも他者の他者 性は,自己の関係の持ち方によるのであり,「冥」なる領域がそれ自体として存在するわ けではない.人間同士であっても互いに了解可能である限りは「人の間」としての「倫 理」の領域に属し,従って「顕」の世界ということができるが,了解不可能な関係にな れば,「倫理」を逸脱した「他者」としての面が出ることになるので,「冥」の領域に属 すると考えられる.(末木 2013, p. 263) 末木氏の冥と顕の概念の裏には,自己と他者の概念が置かれている.即ち倫理 が働く人間同士の世界を顕の世界と言い,さらに顕の世界では人間がお互いにぶ つかりながら交流している.しかしお互い人間であっても私以外の他人をすべて 知ることはありえない.私が知ることができない了解不可能な面においての他者 のことを冥と言うのである.さらにその他者の極限のところにあるのが死者であ る(末木 2013, p. 174).このように末木氏は,他者と死者の概念が含まれている冥

(5)

きないはずである.葬式仏教の果たしてきた役割を適切に評価することは,仏教理解の 上からもきわめて重要といわなければならない.(末木 2013, pp. 259–260) そして末木氏の冥顕説の根底には,死者についての確実な見解がある.それは 死者に関する死の問題を我々が理解不可能な領域であると考えてきた今までの理 解を改めることによって,新しい死についての立場が出てくる.それは私と死者 との関係から見つめることである.ここにおいて末木氏は,独特な他者論,即ち 他者の死に関する論を展開する.それを末木氏は “死について考えつづけた数年 間の中で得た結論は,死については経験できなくても,他者の死は誰もが経験す ることであった”(末木 2013, p. 258)と言っている. 従って末木氏の冥顕説には,近代の日本仏教の展開の流れで忘れられていた葬 式仏教に新たなる生命力を与えようとする立場が看取される.それはもともと生 きている人々のために重要な役割を果たしていたのに,近代の死の観念,即ち死 についての否定的な観念に振り回されて,かえって葬式仏教の伝統さえ否定され るようになったことを,改めて見直すべきではないかということであろう.勿論 それは死についての観念を新しくしてからのことであると思われる.

4.おわりに

本稿の副題に敢えて “韓国との対比” と付けたのであるが,それは,韓国の立場 から改めて考えたいと思ったからである.韓国でも今寺院において死者の供養, 法要などは盛んに行われている.特に四十九斎,薦度斎という名前で死者につい ての儀式が重要な意味を持って行われる.しかし日本の近代仏教という観点から 見れば,韓国の死者儀式は,日本のような甦らなければならない儀式とはいえな い.それは韓国の歴史の中で,朝鮮時代に崇儒抑仏の政策でほぼ五百年間の仏教 に対する弾圧があり,さらに植民地時代,戦争などがあったことで,死者供養の 伝統文化は殆ど残っていない.従って,その死者儀式の儀式もほとんど近現代に おいて新しく制定されたものが多い.勿論,伝統の死者儀式に関して最近多くの 研究が行われているが,それでも近現代仏教の伝統は日本とは違う.そのような 状況を勘案して見れば,末木氏の冥顕説には,日本近世の国教であった仏教の重 要な伝統として葬式仏教を改めて考えるべきであるとの主張が窺える.そしてそ の冥顕説の根本となる死者についての観念は,日本では勿論,韓国においても重 要だと思う.韓国においては,仏教以外にさらにキリスト教,儒教などにおいて 韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子(李) (37) などの要素である”(末木 2013, p. 266)と言いながら図 3 を次のように説明している. (2)そのような日本の宗教に基づく世界観を図 3 で表して見た.人と人との間が倫理に よって規制される「顕」の領域は楕円で示されているが,かなり限られた狭い範囲であ る.その外には,広大な他者の「冥」の領域が広がる.実際には「冥」の世界は「顕」 を包み込む,あるいは「顕」と重なり合っていると考える方がよい.しかし,ここであ えて縦方向ではなく,横方向に「顕」と「冥」を位置づけたのは,ここでは図 1 の一神 教的世界観のように,絶対者と人間が上下関係にあるのではなく,「顕」の世界の奥に 「冥」の世界を捉えるほうがよいと思われるからである.(末木 2013, pp. 266–267) このような末木氏の冥顕についての説明を我々の一般的な考え方で捉え直して 見れば,それは我々一般の人々が生と死の観念を区分して考えているのに対して, 我々はすでに死の世界に含まれているというのである.それは勿論我々が生きて いながら常に死を経験し,死にぶつかって生きていることを意味すると思う.そ の様子を図で示せば,次のようになると思う. 一般的な観念 末木氏の見解 特に,この末木氏の冥顕説は近代仏教と関連してはもっとも重要な意味を持っ ていると思う.それは日本近代仏教の展開において忘れられていた多様なものの 中,とりわけ葬式仏教に関する新たなる理解を求めることである.即ち葬式仏教 の対象となる死者の存在は,生きている人々とは関係ないようなものとして退け られがちな存在として理解されてきたのであるが,末木氏はそうではなく,その 死者を現代の死者観に基づいて見れば,葬式仏教は大変重要な役割を果たすこと を次のように語っている. (3)こうして死者を正面から取り上げる中で,従来軽蔑され,仏教研究の対象とされな かった葬式仏教が新たな課題として浮かび上がってきた.葬式仏教こそ,もっとも積極 的に死者との関わりを続けてきた.そこにはさまざまな問題があり,現状のままで認め られるものではないが,しかし他方,それを仏教に非本来的として否定し去ることもで (36) 韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子(李)

(6)

きないはずである.葬式仏教の果たしてきた役割を適切に評価することは,仏教理解の 上からもきわめて重要といわなければならない.(末木 2013, pp. 259–260) そして末木氏の冥顕説の根底には,死者についての確実な見解がある.それは 死者に関する死の問題を我々が理解不可能な領域であると考えてきた今までの理 解を改めることによって,新しい死についての立場が出てくる.それは私と死者 との関係から見つめることである.ここにおいて末木氏は,独特な他者論,即ち 他者の死に関する論を展開する.それを末木氏は “死について考えつづけた数年 間の中で得た結論は,死については経験できなくても,他者の死は誰もが経験す ることであった”(末木 2013, p. 258)と言っている. 従って末木氏の冥顕説には,近代の日本仏教の展開の流れで忘れられていた葬 式仏教に新たなる生命力を与えようとする立場が看取される.それはもともと生 きている人々のために重要な役割を果たしていたのに,近代の死の観念,即ち死 についての否定的な観念に振り回されて,かえって葬式仏教の伝統さえ否定され るようになったことを,改めて見直すべきではないかということであろう.勿論 それは死についての観念を新しくしてからのことであると思われる.

4.おわりに

本稿の副題に敢えて “韓国との対比” と付けたのであるが,それは,韓国の立場 から改めて考えたいと思ったからである.韓国でも今寺院において死者の供養, 法要などは盛んに行われている.特に四十九斎,薦度斎という名前で死者につい ての儀式が重要な意味を持って行われる.しかし日本の近代仏教という観点から 見れば,韓国の死者儀式は,日本のような甦らなければならない儀式とはいえな い.それは韓国の歴史の中で,朝鮮時代に崇儒抑仏の政策でほぼ五百年間の仏教 に対する弾圧があり,さらに植民地時代,戦争などがあったことで,死者供養の 伝統文化は殆ど残っていない.従って,その死者儀式の儀式もほとんど近現代に おいて新しく制定されたものが多い.勿論,伝統の死者儀式に関して最近多くの 研究が行われているが,それでも近現代仏教の伝統は日本とは違う.そのような 状況を勘案して見れば,末木氏の冥顕説には,日本近世の国教であった仏教の重 要な伝統として葬式仏教を改めて考えるべきであるとの主張が窺える.そしてそ の冥顕説の根本となる死者についての観念は,日本では勿論,韓国においても重 要だと思う.韓国においては,仏教以外にさらにキリスト教,儒教などにおいて などの要素である”(末木 2013, p. 266)と言いながら図 3 を次のように説明している. (2)そのような日本の宗教に基づく世界観を図 3 で表して見た.人と人との間が倫理に よって規制される「顕」の領域は楕円で示されているが,かなり限られた狭い範囲であ る.その外には,広大な他者の「冥」の領域が広がる.実際には「冥」の世界は「顕」 を包み込む,あるいは「顕」と重なり合っていると考える方がよい.しかし,ここであ えて縦方向ではなく,横方向に「顕」と「冥」を位置づけたのは,ここでは図 1 の一神 教的世界観のように,絶対者と人間が上下関係にあるのではなく,「顕」の世界の奥に 「冥」の世界を捉えるほうがよいと思われるからである.(末木 2013, pp. 266–267) このような末木氏の冥顕についての説明を我々の一般的な考え方で捉え直して 見れば,それは我々一般の人々が生と死の観念を区分して考えているのに対して, 我々はすでに死の世界に含まれているというのである.それは勿論我々が生きて いながら常に死を経験し,死にぶつかって生きていることを意味すると思う.そ の様子を図で示せば,次のようになると思う. 一般的な観念 末木氏の見解 特に,この末木氏の冥顕説は近代仏教と関連してはもっとも重要な意味を持っ ていると思う.それは日本近代仏教の展開において忘れられていた多様なものの 中,とりわけ葬式仏教に関する新たなる理解を求めることである.即ち葬式仏教 の対象となる死者の存在は,生きている人々とは関係ないようなものとして退け られがちな存在として理解されてきたのであるが,末木氏はそうではなく,その 死者を現代の死者観に基づいて見れば,葬式仏教は大変重要な役割を果たすこと を次のように語っている. (3)こうして死者を正面から取り上げる中で,従来軽蔑され,仏教研究の対象とされな かった葬式仏教が新たな課題として浮かび上がってきた.葬式仏教こそ,もっとも積極 的に死者との関わりを続けてきた.そこにはさまざまな問題があり,現状のままで認め られるものではないが,しかし他方,それを仏教に非本来的として否定し去ることもで

(7)

日本における『禅家亀鑑』刊行とその影響

小 河 寛 和

1.はじめに

清虚休静(1520–1604)は,朝鮮時代を代表する僧侶である.休静は儒教が国教 として定められていた朝鮮時代,僧侶たちが仏教の経典よりも,儒家の文字や詩 を好んでいた風潮を危惧し,その状況を克服するために仏教経典や語録等から重 要な要点のみを抜き出し,『禅家亀鑑』を著した.この書物が,17 世紀初め対馬 の外交僧規伯玄方によって日本にもたらされ1),以後 17 世紀の間に計 5 回(1635 年,1638 年,1677 年 a,1677 年 b,1678 年)刊行された. これまで日本で刊行された『禅家亀鑑』に注目した研究は多くないが,本書は 同時期に日韓両国で刊行されたものであり,日韓仏教関係史を考察する上で,極 めて重要なテキストであると言える.そのため,本稿では日本僧侶による『禅家 亀鑑』の引用や注釈書に注目し,17 世紀の日本でなぜ『禅家亀鑑』が刊行された のか,その背景を探っていく.

2.1635(寛永 12)年版の底本について

元々『禅家亀鑑』は儒仏道の三教を論じた『三家亀鑑』の中に収録されていた が,1579(宣祖 12)年にその中から『禅家亀鑑』のみ分離,さらには内容が追加 され刊行された.それ以降『禅家亀鑑』は,朝鮮時代において計 11 回にも及び刊 行されており,朝鮮後期の仏教界において重要なテキストとなった. 日本において『禅家亀鑑』は計 5 回刊行されており,これらは大きく 2 種に分 けられる.1 つ目は 1630 年代に訓点を施したものであり,2 つ目は 1670 年代に頭 書本として刊行されたものである.ここではまず,日本で初めて刊行された 1635 年版が韓国で刊行された 11 種の版本の内,どれを底本としたものか考察する.ま ず,韓国国内の先行研究によると,韓国で刊行された 11 種の『禅家亀鑑』は,神 興寺系(1579 年~),楡岾寺系(1583 年~),鳳巌寺系(1701 年~)の 3 系統に分け 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月 (39) も死者についての儀式が盛んに行われるのが現状である.そのような状況におい て,死についての新しい観念を持つ冥顕説等を十分踏まえて,仏教の儀式が誰で も理解可能な意味をもって行われるとすれば,それは仏教の儀式は勿論,仏教の 社会的意味を一層深めることにもなると思う.近来死については東西をとわず, その関心が高くなったと思われる.韓国においても Shelly Kagan の Death(Yale University, 2012〈韓国訳:죽음이란무엇인가(死は何か);初版 1 刷 2012.11;初版 13 刷 2013.2〉)が翻訳され,沢山の関心を呼んだこともある.このような状況の中,末 木氏の冥顕説は,日本近代の仏教伝統に再び光を当てることは勿論,現代の社会 的な問題として死についての観念を見直すにも有益な役割を果すものであると思 われる.  1)李泰昇論文参照.  2)李(2015, p. 72).  3)主に,末木(2012)による.  4)末木他(2014).  5)主に,末木(2013)による. 〈参考文献〉 大谷栄一 2012『近代仏教という視座 戦争・アジア・社会主義』ぺりかん社. 柏原祐泉 1990『日本仏教史 近代』吉川弘文館. 末木文美士 2010『他者・死者たちの近代』近代日本思想・再考 III,Transview. ――― 編 2012『近代と仏教』国際シンポジウム 41,国際日本文化研究センター. ――― 2013『反・仏教学 仏教 vs. 倫理』ちくま学芸文庫. 末木文美士他編 2014『ブッダの変貌 交錯する近代仏教』法蔵館. 李泰昇 2013「일본 메이지 시기 불교의 전개와 근대 불교학의 성립」(日本明治時期の仏教 の展開と近代仏教学の成立)『韓国仏教史研究入門 下』知識産業社,395–429. ――― 2013「일본 근대 불교계의 전쟁에 대한 인식 연구――『젠과 전쟁』와 市川白弦 의 논의를 중심으로――」(日本近代仏教界の戦争に対する認識研究――『禅と戦争』と市 川白弦の論議を中心に――)『仏教学研究』36: 271–325. ――― 2014「일본 근대 인도 철학의 성립과 하라탄잔(原坦山)의 역할」(日本近代印度 哲学の成立と原坦山の役割)『印度哲学』42: 105–133. ――― 2015「일본 메이지 시대 신도와 불교의 갈등」(日本の明治時代における神道と仏 教との葛藤)『日本仏教文化研究』12: 45–79. 〈キーワード〉 末木文美士,冥顕説,近代仏教,他者,死者,葬式仏教 (威徳大学副教授) (38) 韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子(李)

参照

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