Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soolety for the Study of Pall and Buddhlst Culture
〈
書 評
〉S
.J
.Tambiah
, 〃わrldConqueror
and〃
brld
Renouncer
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Stu
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Buddhis
〃i andPol
め
ノin
Thailand
against
a
Historical
Backgi
りund島
岩
1
. は じ め に本 書は,
S
.J
.Tambiah
の タ イの 仏 教に関
す る三部 作の うちの 第二作 (
発行
1970
年 )で あ る (他 の 二 作品 に関 し て は, 『パ ー リ学 仏 教 文化
学研究
』 第5
号 と第11
号で すで に紹
介 した)
。本書
が 扱 うテーマ は, タ イに おい て王権 と宗教(
サ ン ガ)
とが互い に支え 合っ て い る とい う関係 につ い て で あ る。− 権
(
国家〉
と宗
教 と が互い に 支え合 う とい うこの よ うな関係は, 西欧に お け る王権 神 授説をひ き あい に だす まで も な く, イス ラー ム に お ける カ リフ 論や イマ ーム論, ヒ ン ドゥ ー 王権論, チベ ッ トにお けるダライ ラマ に よる祭 政一致 体制
, 日本
の古
代 ・ 中世に お ける王 法 と仏 法 との 関 わ りな どな ど,政 教 分離に基づ く近代 国 民 国家の 成立 以前に は, む しろ ご く普 通の もの だ っ た と言 えるもの で あ る。だ が ,近 代 以
降
なかで も特
に第
二 次世 界大 戦以降の , 世 界各地 に お け る 近代
国 民 国家の 広が り と ともに,国 家あるい は政 治 と宗 教が互い に支え合 う よ う な形の 政 体は, 前近代 的な体 制の 残 存 に す ぎない と考
え ら れ るよ うに なっ て い っ た。ところが,
1979
年 の イ ラン:革命以降の 現 在で は,イス ラー ム圏 に お ける イ ス ラーム原理主義
イン ドに お け る ヒン ドゥー 原 理 主義 ス リ ラン カ に お け N工 工一Eleotronlo Llbrary
178
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 る仏教 原理主義な どに見られる よ うに,西ア ジアや中
央ア ジ アや南アジア を中
心 と して, 宗教に よる国家 ・ 社 会 統 合を図ろ う とす る動きが強 まっ て きて い る。 す なわ ち ,サ ミッ ト に代表
され る よ うな先進 諸 国の ほ うを む し ろ例 外 と し て , 政 教 分離 に よ り国家 ・社 会統 合の原理 と し ての 役割
を すで に 終えて い た はずの 宗教が ,再 び
その力
をふ るい は じめ て い る よ うに思 える の で あ る。この よ うな
流
れの なかで , タ イ は, 戦前
戦後
を通 じて 一貫
して 王制を維持
して きて お り, そ して こ の 王制は仏 教(
サ ン ガ)
に よっ て 支え ら れ て きた。 す な わ ち,宗
教 に支 え られ た 王権 → 政教 分 離に基
づ く近代
国民 国家→ 宗 教 原 理主義の 高ま り, とい うよ う な変化
とは比較
的無縁な形で , 現 在に至 っ て お り, その ため, タイ に お け る現在の 王権と仏教(
サ ン ガ)との 関わ りにつ い て は, 過 去か らの歴 史 的連 続 性の 中で , と ら える こ と が可 能なの であ る。2
.所説
の紹
介
そのた め
Tambiah
は, 本書
を二 部構成
と して い る。 す な わ ち, タ イにお け る現 在の 王権 と仏 教 (サ ンガ)
との関
わ りにつ い て の 現状 を理 解 する た めに は, 歴史
的背
景の 理解が必要だ とし て,第 ・部を その 歴 史的 背景の 記述 と分析
に あて, 第二 部を現 状の 記 述 と分析
に あて て い る の で あ る[
第1
章
序 論]
。 以 下 , その内容につ い て,簡 単に紹介
してい くこ ととしたい 。2
.1
第一部の内容 紹 介第
2
章
ラー ジャ ・
ダ
ル マか らダルマ ・ラ ー ジャへこ こで は, 初 期 仏典
Agganna
Suttanta
の 第 二 部に記 さ れ た 仏 教 的 な創世記 の記述
を もとに, 王 の起 源 と王 と比丘 との関
わ りに関す る, 古 くか らの 仏 教 的な考え方が 以下の よ うに紹
介さ れて い る。世 界の 発生 に際 して, 最初に まず心 と光 と し て の存 在が あ り, その 中で 物
質性
が増 大す る とともに, 世 界が形 成 されて くる。 だ が, こ の 自然 発生 的 な 世 界は,無秩
序な世 界で あ る。 そ こ で人々 は ,社
会に秩
序を与 える存在 と し て, 自分 たちの な か か ら 王 を選 出す る。 か く して 社 会は, クシ ャ ト リ ア, バSociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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S、J. Tambiah,肋 〃ゴCoπq θ 厂or α毋4 肋 〃dRenouncer 179 ラモ ン , ヴァ イシ ャ, シ ュ ー ドラの四
階層
か らなるもの とし て, 王 に よっ て秩
序づ け られ る。 その後
, こ の ように秩 序づ け られ た社
会か ら,比
丘が ,涅 槃 を求めて離脱
し て い くこ と に な る。バ ラモ ン 的な世 界 創 世記 と比べ て , こ こ で 注 目すべ きは以 下の 四 点で あ る 。
1
.世 界は自
然発
生的
で神
に よる創 造で はない 。2
.社
会を秩序
づ け たの は神で はな く人々 に選出さ れ た 王である。 す なわち, 言い 換え れ ぼ, 王 (ラ ー ジャ )が神に よる秩序
(
ダル マ)
を体 現する の で は な くて,
秩序 (
ダル マ)
を社会 にもた ら したの が王(
ラー ジャ)
なの で あ る。3
.従 っ て, 王族(
クシ ャ ト リア)
の ほ うが , 社 会 的に はバ ラモ ン の上 に位
置
す るこ とに な る。4
, だ が, こ の王 よ りもさらに上 に位 置す るの が , 涅槃
を求め て社 会か ら離 脱 した 比 丘 の存 在であ る。 す な わ ち ,言い 換え れ ば, 世 俗 を 超 え た 比
丘 が体 現 する
涅槃
とい う価
値 によっ て , 世俗
内のダル マ ・ラー ジャ と して の王 の
存在
が支
え られ る とい う構 造に なっ て い る の であ る。 第3
章社 会と王
権
に 関 する バ ラ モ ン的理論こ こで は, マ ウ リ ヤ
朝
に お け る カ ウテ ィ リ ヤ的 統 治か らア シ ョ ー カ的なダ ル マ に よ る統 治へ の転換
を念頭
に置
い た うえで, 『マ ヌ 法典 』 と カ ウテ ィ リ ヤ の 『実 利論』 に見 られる,社 会 と王権 に関す るバ ラモ ン的理論が, 仏 教 的 理論
と比較検討
さ れ る。仏 教 的理
論
との 比較
で特徴 的なの は、バ ラモ ン 的理論で は,社 会が ダル マ とアル タ と カ ーマ の 三 つ の領 域に分か れ て お り, その 中で アル タ(
政治 経 済 ) の領域
だ け を担
当す るの が 王 だ とされてい る点
で あ る。 す な わ ち, 社 会 的な 秩序
の 根 源で 基 盤で あるダル マ(
tLt
界の 道徳 と自然の 秩序 を維持
す る行 為の コ ー ド)
の領 域はバ ラモ ンが 担 当し, ア ル タ(
政 治 経済 )の 領 域で は 王 が保 護 と処 罰によ る統 治を 通 して 社 会 的な秩 序 を維持
し(
これ が 王の ダル マ で あ る)
, カ ー マ(
個
人的
な欲望
,特
に官
能 的 な喜 びの 充足)
の領域
は個 人にま かさ れ る の で ある。 N工 工一Eleotronlo Llbrary180 パ ーリ学 仏 教 文 化 学
こ の バ ラモ ン 的理論を前 述の
仏
教 的理論 と比 較す る と, バ ラ モ ン 的理論
の ほ うで は, 王の ダル マ がアル タの 領 域に限定され て い るの にたい して, 仏教 的理論の ほ うで は,社会 に秩
序(
道 徳 的秩 序 も含む)を も た ら したの は 土で あ るとい う形で, 王 の ダル マ が ,政 治 ・経済 ・ 社 会 ・道徳
のすべ て の領
域を 包括
す る よ う なっ てい る の で ある。 第4
章
世 界の プロセス とダルマ と王権に関する初期仏教の 見解
両理論の こ の よ うな相 違はさ ら に,バ ラモ ン
教
の世界観
とそ れを否 定 する よ うな形で 登場して き た仏 教の世 界 観との , 以 ドの よ う な相
違に 基づ くもの で も あ る。まずバ ラモ ン教で は, 小宇宙
(
アー トマ ン)
と, 世 界 と神々 を含む 大宇宙 と, 両 者を媒 介す る供 犠 とい うシ ス テ ム が, 宗 教の 基 本 となっ て お り, さ ら に, こ の シ ス テム とパ ラレ ル な形で, ヒ ン ドゥー モ 国の王権の あ りよ う もと らえ られて い た。 すな わち ,臣 民 と王 と両
者を媒 介す る供犠 (
こ こで は王 に よ る保 護 と そ れ に たい す る ダ ク シ ナー と して の税 )とい う構造 の も とに , ヒ ン ドゥ ー 王国が成
立 して い た。 その た め, 供犠 の執行者 と して の バ ラモ ン の 地位は,保護
と刑 罰に よ る支 配を行 うク シ ャ ト リア の 地 位 とな らんで , き わ め て重要な もの となるの で あ る。他
方, 仏 教は, こ の バ ラモ ン教
的シ ス テム の 中核 をな すアー ト マ ン 自体を否
定した。 す な わち無我 説の 立場に立っ たの で あ る。 そ し て,無 我説
の立 場 に立 ち な が ら も, 道 徳 的責 任 の 主 体の 問題を解 決す る た め に, 世 界 を業の 集合体
と して の 器 世 間と して と ら え , さ らに,業
とそ の報
い の 連鎖
とい う無 秩 序な世 界に秩 序を与 える もの と して , ダル マ の 概 念を用い た。 す な わ ち, バ ラモ ン的 な ダル マ , ア ル タ,カ ーマ の 一つ と して の ダル マ で は な く て, 宇 宙 の 法 と し ての ダル マ で ある。 そ して , こ の 宇宙の 法 とし て の ダル マ が , 王権 の 正統 性の 起 源 と さ れ て転輪
聖王 に よる統 治の 基 盤 となる と 同時
に ,出
家の 比 丘が追 求す る真 実 と し て の ダル マ を も背
後で 支え てい るの で ある。第
5
章
マ ウ リヤ朝の ア シ ョー 力 王パ ラダイム
こ こ で は,ア シ ョ ーカー
碑
文に 基づ き なが ら,ア シ ョ ーカ 王統
治の 理念 とSociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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SJ . Tamblah,肋 〃d Conqr‘8厂or and urortd Renocrnce厂 181
現
実
に つ い て考 察さ れて い る。 その う ちまず,統治 の 理念す なわ ちパ ラ ダ イ ム は,宇 宙の 法 と しての ダル マ の 道 徳 性と正義に基 づ く統 治で あ り,こ の ア シ ョ ーカ王統 治が, 転輪聖 王モ デル とな っ て , の ちの東
南ア ジ ア の 王権
へ と つ なが っ て い くこ とになるの で ある。 ま た, ア シ ョ ーカ 土 が行 っ た , ダル マ を広め るこ とに よ る未 開部 族 等の取
り込 み もまた, の ちの ビル マ や タ イの 王 権の行 っ て い るこ とで あ る。他
方 , こ の よ う なダル マ に基づ く統
治 とい う理念の も とに成立 し て い た, ア シ ョ カ 王の 国 家の 現 実につ い て,Tambiah
は, 官僚 化 さ れ た中
央 集 権 的な 国家 とい うよ りは各
地の 王 を ダル マ の傘の 下に組
み込ん だ銀
河系
タ イ プの も の だっ たの で はない か , そ して , 転輪
聖王 モ デ ル とは , も と も と, こ の よ う な銀河系タ イプの国 家体 制を指 して い たの で はない か とい う推 測を行っ て い る。第
6
章
歴
史
的観 点 か ら見
た王権
と国家
こ こ で は, タ イの ス コ ー タ イ 王朝とア ユ タ ヤ王朝の 王
権
と国 家の あ り方に つ い て論じ られて い る。まず, ス コ ータ イの王
権 (
13
−14ce
.)
は , ヒン ドゥ ー的なデーヴ ァ ・ラー ジャ (神と して の王)
的な もの で は な くて,仏
教的な ダルマ ・ラージ ャ(
宇 宙の 法 として の ダル マ を体 現 する 王)
的な もの で あっ た 。 とい うの は,一つ には, ス コ ー タ イ を圧 迫 して い た ク メ ール の王権が デ ー ヴァ ・ラー ジ ャ的な もの で あっ たか らで あ り, も う一つ に は, ス コ ータ イの 王権
の理論が , シ ン ハ ラ の 上座 仏教 とパ ガ ン(
モ ン)
の 王権の理論 (
ダルマ ・ラー ジ ャ と して の ー)
の 影響
を強
く受
け た もの だっ た か らであ る。 なお こ こで一 つ 注 目すべ き こ とは, ス コ ー タ イの王権の 理論に は, 転輪
聖 王 として の 王 とい う理 念以外 に, ア シ ョ ーカ王の 頃に は見られ な かっ た 理念
, す な わ ち ,菩 薩 と しての 王 とい う理念
が登 場 して きてい る点
で あ る(
な おt こ の菩薩
と して の王 とい う 理念は, その後の 東 南ア ジア の 王権に受け継が れて い くこ と となる)
。他方 ,ス コ ータ イ よ り強 力な 王
権
を築い た ア ユ タヤ王朝(
1351
−1767
) の 場合に は, その 王権
の 理論
に, 以下の 四つ の 要素
が入 り込んで い る。 N工 工一Eleotronlo Llbrary182 パ ーリ学 仏 教 文 化学
豆. シ ンハ ラの 上 座 仏 教 的 要素 (転 輪 聖王= 菩 薩 と して の 王
)
2
.ス コ ー タ イの ダル マ ・ラージャ の 理 念3
. ク メ ール の デーヴ ァ ・ラー ジャ の理念(
た とえぼ
大宇宙
に お ける神
の王 宮 や首 都 と対
応
す る形での 小 宇 宙 とし て の 王宮や首 都の構 造 )4
.パ ガ ン の 仏 教的 な 法典の要 素 こ の よ う な形で , ア ユ タ ヤの 土権は, ス コ ー タ イ , ク メ ール , パ ガ ン とい う そ れ 以前の 東 南ア ジアの 王権
を統合 する よ うな 形 の もの と して , 自らの 王権
を位置づ け よ う とし て い たの で あっ た。 第7
章 銀河系
国 家転 輪聖 王 モ デ ル に基づ く上 記の よ う な東 南ア ジア の 王権の あ り よ う を,
Tambiah
は,銀 河 系 国家
と名 付けて い る。 当時
, ギア ツ の提 示 した劇 場 国家
論
とな らんで 話題を呼
ん だ考え方で あ る。銀
河系
国 家 と は, 言い換
え れ ば, 国家 体制がマ ン ダ ラ的な形 態になっ てい る とい うこ とで ある。 す な わ ち ,領土 や首 都や王宮や支配機構
の構 造が ,5
(
四方+上下)
,9
(
八 方+h
下)
,17 (
前述9
を 八方が さ らに 囲む)
,33
,64
等を単位
とす る同心 円構 造になっ てい るの で あ る (た とえ ば ,領土 あるい は 支配機 構が, パ ガ ン で は, 王 +大 臣4
+ 地 方の 長(
あ る い は モ子)28
= 33 と い う構 造になっ て お り, また, ス コ ー タイで は, 王の都 ・王子た ち の 支配す る地域
・属
国の 三重の 同心 円構
造に な っ てい る)
。 そ して , こ の銀 河 系 国家
の 統 治の形 態は,中 央集 権 的な もの で は な く(
つ ま りク ラン等
の区別は保 持 して お り)
,最も権
威の高
い 王の中の王 を中心 ・頂 点 とす る統 合 とい う形に なっ て い るの で ある。第
8
章
アユ タヤ王国一 デザイ ン とプロ セ ス
こ の銀 河
系
国家の あ りよう を, ア ユ タヤ 干国を例に, 具体 的に論 じて い る の が こ の 章で あ る。Figure
8
.2
で は, 領土の 配 置が ,Figure
8
.4
で は,統 治機 構 が,太 陽 (首 都を 中 心 とす る 王 の 直轄
地 あるい は モ)を 中心 に , その 周 りを 惑星(
王 子の領 土や属 国, あるい は軍 事 と内政の 二部
局)
が, さ らに惑 星の 周 りを衛
星(
王 の 小 直 轄地 あるい は各 部 局 )が囲む よ うな形 に なっ て い るのSociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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S,J,Ilambiah,}PbrldConqueror and ffbridRenouneer 183
Figure
8.2.
Key:-・--"mt1134
[Ihe
Ayutthayan
polity
inthcscvcnteentli century.Present
borders of Thailand(ig75)・
Vaiz
Rachathani:
royaldon]ain
of ,ALyutthayaFiTst-class
provinces
Second-class
provinccs
['hird-c]assprovinces
Fourth-classprox:illces,beingprirnari]y33 units in number
VaiiRachathani;also
located
onbordcrs
of major provincescomposing184 Sangha AdministrationRoyal Apparel and Insignia パ ーリ学 仏 教文化 学 Registrur s [》epartment 「arsmentR 颪1aCじ Guard〜 Treasurン κノ’姻咢 4和 ノ’ごハ・‘1川わ醒 1R 〔〕yalS じribc5
Six Lesser KrOin
CChambcrs
’)D且rectly Rcs. ponsib]e to Kmg
Six Majo「Krem cCし)ul』1sll
Kt’ont ’Vttattg κrθ 〃 〜 Ly‘lll.gr Kr(,in 1〜「a KJ(ン〃l K’r〜atlg
(Capital City) (Palacの (CoLm 【rンslde!ト」dds} (Treasury)
繖
b
灘
攤
i
鰌
鰍
:
鑼
盤
鰤
飆
鰥潅
嬲
が, お分
か りい た だ け るこ とだろ う。 第9
章
サ ンガの浄化
に関す る ア ショー 力的伝 統 と シンハ ラ的伝統
以上で ,王
権
の あ り方に関す る議 論は終 わ り, こ こか らは,王権 と サ ン ガ の関
わ りに 関す る論 議が 開始さ れ るこ とに な る。 まず 最初に取 り トげられ る の は, ス リ ラ ン カ で12
世 紀か ら18
世 紀の あ い だ に定
め られ た サ ン ガ 法katikavata
に見
られ る両 者の関わ りだ が ,そこ に は以下の よ うな三つ の 特 徴が 認め られ る。1
. サ ン ガ は 当時すで に階層 化 し てい た。2
.サ ン ガの 浄化 は, 王 がサ ン ガ に統一や浄化を要請 し, サ ン ガは 長老の指導の もとでサ ン ガ
法
を まと め, その の ち 王 が 公布す る とい う形で 行わ れて い た。Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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S・」・T・mbiah ・ M・ ・ld伽 quer・ ・姻 堕1磁 ・ ・un … 185
3
. サン ガの堕落
と復興お よび王 によ るサ ン ガの浄化
は王権
の 盛 衰 と対応 して い る。 第10
章サン ガ と 国家
アユ タヤ王
朝
か らバ ンコ ッ ク王朝
へ次 に , ラーマ …世 , ラ ーマ 四世
(
モ ン ク ッ ト)
, チ ュ ラ ロ ン コ ン 王に よ る サ ン ガの改 革 と,1902
年
・1941
年 ・1963
年
の サ ンガ法 の 改 正の 持つ 意味
につ い て論 じ られ る 。 その うち まずこ の章
で は,ラ ーマ ー世(
1782
−1809
)
の 行っ た改 革につ い て 論じ られて い る。 彼が行 っ た改 革は以下の よ うな もの で あっ た。1
. サ ンガの 浄 化(
比 丘の 追 放も含む形の もの)
。2
.比丘 の 登録制度
の創
設。3
.仏 典の整 備(
第 九版の 三蔵の出版 )。4
.Traiphum
(
王権
が ダル マ を保 持
し , 王が転輪
聖王であ る こ とを示 す宇宙 論 的 作品
)
の編纂
。5
.パ ー リ仏典
に基
づ く法 典の 整 備。要す るに, ラ ーマ ー世は , こ の よ う な改革を通して,
自
らが ダル マ ・ラー ジャ で あ るこ とを意識
的に示そ う としたの で あっ た。 そ して その 後, 王権は 安 定 し, ま た, 西欧 列 強へ の 対抗もあっ て,国家 体 制の 中央 集 権化 と官僚 化 が 進 んでい くこ と に なる。 ま た, そ れ と と もに, サ ン ガの ほ う も,中 央集 権 化 し, ヒエ ラル ヒ ー化がす すんでい くこ と に な るの で ある。 第11
章
19
世紀
に おける宗教 とサンガの改 革こ こ で は , ラ ー マ 四世
(
モ ン ク ッ ト)
(1851
−68)
とチ ュ ラ ロ ン コ ン 王 (1868
−1910
)
の行
っ た改 革が 取 り上 げられ て い る 。まず, ラーマ 四世の 行っ た サ ン ガの 改 革は以下の よ うな もの で あっ た。
1
.サ ン ガの 浄化 = 戒律の 回復(
→ タン マ ユ ッ ト派の 創設)
。2
. 聖 典 主義 ・知識主義 ・合理 主義 ・神 話 史 実 主義
に基づ く改革 (
た とえば
仏教教
育の レ ベ ル 向上, 出版 所の 設 置, シ ンハ ラ版の 重 視, 迷 信の排
除等)
。3
、 その後の タ ンマ ユ ッ ト派
の僧
院の増 大。 N工 工一Eleotronlo Llbrary
186
パ ーリ学 仏 教文化学次に,チ ュ ラロ ン コ ン王の 行っ た改革は以下の ような もの で あっ た。
1
, タン マ ユ ッ ト派の 比丘 に よ る初等
教 育の地 方へ の 普 及。2
. それ に と も なっ て , サ ン ガ と国家
との あい だ に密
接な関係が生 ま れ,その 結果,
両者
の組 織形 態が類 似の形の もの となっ て い き , ま た, こ のよ うな形 態の
組織
が辺境
へ も浸透してい くこ とと な っ た。 第12
章
1902
年と1941
年と1963
年
の サン ガ法次 に ,
20
世 紀に 入 っ て か ら行 わ れ た三 度の サ ン ガ法の 改 正に 関してだ が, それらは そ れ ぞ れ次の ような背景 と特徴
を持っ たもの であっ た。1902
年のサ ンガ法1
.チ ュ ラロ ン コ ン 王 に よ り行わ れ た。2
.中央 集権 的な国家体制
が確立 したの は こ の 王 の と き で ある。3
,地 方に初等
教育
を広める組織
と して 地 方の 僧 院を再 編 成した。4
.全 国 レベ ル で の均 ・な統 治の ヒ エ ラル ヒー(
特に伝統 的に異質
な タ イ北 部の 仏教を取 り込む よ うな形で)が 形成 された。
5
. サン ガの ヒエ ラル ヒ ー と官
僚組織
の ヒエ ラル ヒー がパ ラレ ル に対応す る よ うな形の もの となっ た。1941
年
のサンガ法
L1932
年の 革命に よ る絶
対王制か ら立憲
君主制
へ の 転換に と も な う改正 で あ る。2
, こ の改 正は,軍人 や官
僚の メ ン タ リ テ ィ ー と革命を支え た民主 化へ の要求
の .二つ に引 き裂
か れてい る。 す なわち ,(a)民主化の 方向 と して は,サ ン ガ組 織が,三権分 立に 基づ く形 と な っ た。
(
bva
人 や官
僚の メン タ リ テ ィ ーの現 れ と して は, 政権が サ ン ガ をコ ン トV 一ル で きる よ うに なっ て お り, ま た ,個々 の僧 院 長の権 限が 強 化 さ れ た。
1963
年
の サン ガ法1
. これ は軍 事 政権 下に お ける サ ン ガ法の 改正 であ る。2
, その た め民主化の 否定 とい う形に なっ て い る(
す な わ ち, ;権
分立的Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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S.」.Tambiah ,肋 厂ld Ceneueror and Mor’d R召nounce 厂
187
なサ ン ガ組 織が廃され , サ ン ガの
権
力が サ ンガ の 頂 点に立っ 者に集 中す る よ うな 形 に な っ た。 な お, その 結果が,Figure
l
6
.1
に見 られ よ うな 現 行の サ ンガ組織
で あ る)
。2
.2
第
二 部の内容 紹介 第13
章
宗教者
の構
成と分布
一統
計 資 料が 語っ て い る こ とこ こ で は, 統 計
資料
に基づ い て, タ イ に お ける宗教者
の現 状が簡 単に紹 介 さ れて い る。まず全般 的な状 況 と しては,
1968
年の 統 計に よれ ば, 比丘が全 人口の約
05
% で男 子人口 の 約1
%, 見習僧
が全人 口の 約0
,3
%で 男 子 人口 の 約0
.6
%,比 丘 と見習僧を あわ せ た宗教 者の 合 計が 全 人口 の約O
.9
% で男子 人凵の 約1
.8
% で , タ イの僧院数
は25
,116
で ある。次に,
都 市
および都 市 人口 が, バ ン コ ッ ク と トン ブ リ を中心 とす る中
央 タ イに集 中 して お り, こ の 中央 タ イに都 市人 口の71
.13
% が住んで い る。 その た め, 比丘 の 数も, バ ン コ ッ ク と トン ブ リ が最
も多い(
20
,715 )
の だ が, に も か か わ らず, 見 習僧の数 は逆に ここ が少な くなっ て い る(
4
,610)
。ま た, バ ン コ ッ クの マ ハ ー チュ ラロ ン コ ン仏 教大 学在
籍
の比 丘 の 出身 地 を 調査 して み る と, その58
.3
% は東 北タイ の 出身
であ る。 ま た ,高
度な仏教 教 育を受け た比丘 の数 は, バ ン コ ッ ク と トン ブ リ に圧倒的 に多い (Pali
grade
3
−5
が50
% でPali
grade
6
−9
が61
.5
%)
の だ が ,仏 教教 育程 度の 低い 比丘 の数 は, 東 北タ イ が 多い(
1
−9
phansa
が39
% で10phansa
以上が24
,2
%)
。 ま た ,マ ハ ー チ ュ ラロ ン コ ン大学在籍
の比
丘324
名 中 ,58
.3
%は東
北タ イの 出身だ が,57
.9
%の もの が 中央タ イで 具 足戒を 受 けい て い る。 ま た ,初歩
的 なレ ベ ル の 仏 教 の試 験 naktham に合格
した見習僧
お よ び比丘 の約50
% は東北
タイ で その 試 験 に通っ て い るが ,中 央タイで 試験に通っ た もの は3
−7
% にす ぎない 。こ の こ とは何を物 語っ てい るのだ ろ うか。 第
14
章
社
会 的 上昇の道と して の比丘の身
分こ の こ とが物 語っ て い るの は,
貧
しい 東 北タ イ 出 身者に とっ て,比丘 と な N工 工一Eleotronlo Llbrary188 パ ーリ学仏 教 文 化学 るこ と が, 社会 的に一
L
昇す る道となっ て い る とい うこ とで ある。まず,比丘 の 還
俗率
と その後
の経
歴につ い て見て み る こ とに し よ う。 マ ハ ーチ ュ ラ V ン コ ン仏教
大学の卒業者
が た どる道は, 通常, ω海 外 留 学す る,仏
教 大 学 教 師 とな る, (3
汐 ン マ トッ ド ・プロ グラ ム(
後 述 )に参 加す る, {4
)itt
俗
して他
の職業
に就 く, の いず
れかで ある。 その うち, 還俗
し て他
の 職 業に就 く とい う道を取っ た者 は,Tambiah
の 調査に よれ ば,246
名の 比丘 お よ び見習僧
の う ちの147
名 (59
,7
%)
であ っ た 。還俗率
は き わめ て 高い と言 え る だ ろ う。 次に, 還俗後
の経
歴で あるが, それ は,政府
の役
人 や学校
の 教 員 か ら タイ航 空の キャ プテ ン や郵便 局 員な ど さ まざまで あ る が ,仏 教的 な 教育 程 度の 高い 者 (つ ま り高い 資格 を持 っ て い る者 )の ほ うが,比較 的社会 的 地位
の高
い職業
に就い て い る よ うで ある。こ の よ うに , ス リ ラン カ と は異な り, 還
俗
が 必 ずし も悪い こ とだ とは され てい ない タ イに おい て は, 地方の (特 に東 北タ イの)貧
しい家 庭の 出 身者に とっ て ,比丘 となる こ とが,高
度の 教育の機 会を授
け られて ,社
会 的に上昇 す る道 となっ て お り, その 結果 とし て, タ イの社
会に社 会 的流 動 性 を生み出 す要 因 と な っ て い る の である。 第15
章
僧
院に お け る僧の 経歴 と僧 院のネッ トワークで は次 に , こ の よ うな社 会 的上昇は, どの よ うな方 向性で 行われてい るの だろ うか。
ま
ず
,マ ハ ー チュ ラロ ン コ ン仏 教 大 学 在籍
の比
丘(
324
名)
お よび見 習 僧 (321
名)につ い て , これ まで の僧 院
間の移 動に つ い て 見て み る と, 見習僧の あい だは 中央 タ イ を 目指 して 比 較 的よ く移 動 して い る (た と え ば僧 院を代 わっ た こ とが ない 者は19
.31
%)が ,中央タ イに出
て きて い っ た ん比丘 とな っ た者はあ ま り移
動 して い ない(
た と えぼ僧院
を代
わっ た こ とが ない者
は67
.74
%)
。 なお,こ の種の 移 動の 際に,移動先 の僧 院 を紹 介 して くれ る ネ ッ トワ ー クは , 主に 同じ出 身地 の 人た ちの ネ ッ トワー ク であ る。 そ して , こ の よ う な ネ ッ トワ ークを通 して,Figure
15
.1
に見 られ る よ うな,社
会 的上昇を求め て の, 地 方 か ら中央へ の 移動が絶えず 行わ れて い るの である。Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soolety for the Study of Pall and Buddhlst Culture
S.J. Tambiah ,肺 〃d Conqueror and 恥 厂〃1〜enouncer 189
V岨ILgc 、ド‘tt
F{guτe 15 .1、 The toセal lu(エ11a虻ic llctwork .
第
16
章サンガの保 護と国
家
の正統 性すで に述べ た よ うに , 軍
事
政権
下に お け る1963
年の サ ン ガ法の 改正 以降
, 国家 組織
とサ ンガ組 織は,Figure
豆6
.1
に見
られ る よ うに, 国 王 を頂 点 とす る パ ラ レ ル な中央 集権 的 組織 となっ た (た だ し , サ ン ガのCounsil
ofElders
を管
轄
して い るの が,Mi
・i
・try
・fEd
・ ・ati・n の 中のD
・P
・・rn ・nt ・fR
・ligi
。u,Aff
、irs
で あ るこ とが示 して い るよ うに,サ ン ガ
組織
は国家 組織
の ご く一部
に しか す ぎない)
。そ して , こ の よ う なパ ラレ ル な構 造を持っ た サ ンガ と国家に は, サ ン ガが 国家 (政権
)
の 正統 性を宗教的 ・儀 礼 的に 保 証 し, 国家(
政権)
がサ ン ガ を 保 護す るとい う,互い に支え合 う関 係が認め られ るの で ある(
Figure
16
.2
)。 N工 工一Eleotronlo Llbrary190 ,£-U#asut'X(lt*
Pretectnrorthc BuddihistreligionKing
Comstitutional
head eC'govcrnmen{
-o>vAMoMua=dianHoL...-es=.2ttz
zs=pt1==utth=>oUeatdi:・e-ut
Supreme pntriaruh (sonTdc'tphrasangkharat
Ceuncil od'}'iders
(,Vtih,ifheJ'asamctkhtmi) E::.}iit Ecclestastical ge L,ernors gener2h](S) ({'haokhanal'tti) /1 -Counci]ofMinLglers' NlinistryEcfucu[ion DeparEmentReliniousLAffairs ofot'Otberministries anddepartnlents ReL'iontilccclcslustical goyernors(IS) {(・haolthanttvttctk) EroviTici:Llcec[esiastical governors(71) (hatJkhaJtct{'/}att,g"'(if} E)istricteec[esiagtic,b[ gcn・crnerst5[O) (chaoklpunticimpittu ) e-e-o-o-o-".o E(cgional [overnors (18) Provincial gox'crnors(71) e"e -o > v -o ua nd -= > k o p = di ut as e m ""e.e-o-o-o-o-e-e-e-e-o-o Cpnununcccclesiastica[ e (' guverners (],6S()) ----t {c'httoA'hatTcti"mbim)
['
-A'bit:;:t,1
.I,,?2)4) .{s) J ,r- --rrL
ind s-atlav
i)Lstrictofficers (509F27) CrTaianv,tttlt')
rilalre-o-o-o-e"ell em]ML[ne hcttdmen {4.926) (A'amntut) lv'illagehcadrnen (41.63U)(plntJ'athan> lceou]lt:ult(u'tt{rawaf'ltak(m) cemmitlcc Villagers
-- OMcialeonsultations t:ikeplacc.
--- UnofficiLl cc)"sulLationF niay tukeplaee.
-cae- 'I'hclincthat separntes the n:itio[lal fromthe village levelhas
bcendrttwn[u lhe point-hcre the lowcstethcial civii service
levclreachcs thc villngcFpherc,
Figurei6.i, StTtictureof thesariglm :nd relationships togoveTnmentana vill:ige
popu-Litions"(iD6g)"・ Ritua]lcgititnation Manks, scholars, andecclesiastical oMciats concentntted inthe capital Patronage t r Army and po[ice, geTierals and oMcers wielding political pewerinthc capital Poor ruraL pcasant base Urban-buscdstratum of oMcials
Rura]lundedt'a!nilics
Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soolety for the Study of Pall and Buddhlst Culture
S.J. Tamb主ah, Morld Congue广η厂and Morid Renouncer
191
第
17
章伝 統に 基 づ く改
革
とイ デオロギ
ー的 変化
だ が,
両者
の こ の よ う な関
係は, 基 本 的に は従
来の サ ンガ と王権
との伝統
的 な関 係 と同様で ある とは言っ て も, まっ た く同じで あるわけ で は 当然ない 。 す な わ ちそれは, 近代
とい う時代を くぐ り抜
けた上で の現在の関
係なの で あ り, その あい だ に む しろ,近 代 とい う時代の な かで 伝 統を 意識 的に再生産す るよ うな形で の 改 革を行 うこ とに よっ て , 現存
して い る関係
なの で ある 。 で は, その ような改革
は, どの よ う な形
で行われて き たのだ ろ うか。Tambiah
は まず, 時 期 を 次の よ うに三 つ に 区 切 っ て い る。Ll850
年 代の モ ン クッ トに よ る改革
一 これ は, 王室に よる仏教復
興運動で あ り, 近代 化へ 向けて の 最
初
の ス テ ッ プで もある 。2
.1930
年
代の 宗教
的潮
流一 これ は , モ ン クッ トや チ ュ ラロ ン コ ン が行っ た教 育の 拡大 と
官
僚の増 大が成熟
に達 した時期
の もの で あ る。3
.1960
年代後半
か ら1970
代こ れは,
本
書が書
か れ た時 期で の 現在で ある。モン ク ッ トの改
革
西欧 近代
(
あるい は西 欧 列 強)
との出会
い を契機
とす るモ ン ク ッ トの仏
教 改 革は,次の よ うな特
徴 を備え た もの であっ た。 す な わ ち, 精神
主義 (
真の 仏典に 戻 る)
,知性 主 義(
迷信 は排 除す る)
, 神 話 史実主 義 (神 話を 史実を反 映した比 喩 と して解釈す るこ とで , 国家あるい は 国民の 統 合をはか る)
, 合 理主義 (
仏教
の教 理 と科学
との 調 和を は か る),宗派 主 義(
タン マ ユ ッ ト派の創 設)
,仏 教の 大衆化 (
単純 化 さ れ た教理 問答
集を用い て 仏教 の布 教をは か る)
であ る。 い ずれ も,西 欧近 代 と対置
す る よ うな 形で タ イの 国家 ・ 国民 統合
の 文化 的 基盤 と し ての 仏 教を復興 しよ うとす る ものだ と 言 えるだ ろ う。1930
年
代の宗教 的潮
流この時 期は, モ ン ク ッ トとチュ ラ ロ ン コ ンの行 っ た 改革によっ て, 広い 地 域に わた っ て 教 育が行きわ た る よ うに な り, その 結
果
教育
ある在 家が仏 教に関わ る よ うに なっ て い っ た時 期で あ る。 そ の際
彼 ら教育あ る在
家者が, 仏 教に関して 問題 と したの は, 次の 二 点で あっ た。1
. 西欧の科学や近代 的な 知 の前で も, 仏 教の教義
は妥当性
を持
ち う る も N工 工一Eleotronlo Llbrary192
パ ーリ学 仏 教文化学 のか ど うか。2
. 近代 的な生 活や現 世 的な活
動に たい し て ,仏 教や サ ン ガは対応で き る のか。 そ の 結果 と して ,彼ら教 育 ある在家 者たちが 出 した答え は, 次 の よ うな もの で あっ た。1
.真の仏教 は,生き方で あ り, 宗 教で はない の で ,科
学と は矛盾
しない 。2
,社 会 活動は仏 典に も勧め ら れ てい るもの で ある(
こ の考
えに基づ く当時の 具体 的な運
動
がYong
Men
’ sBuddhist
Association
を 通 して の 在 家によ る仏 教の
布教
で ある)
。 さ らに,仏 教の新た な教 義的 理解 と して注 目に値す るの は, 彼 ら在家
の側
か ら, 煩悩
や存在の 止滅 と しての 涅 槃 と い う従 来の涅槃理解に代わ っ て,最 高 の 善,最 高の倫理 と し て の 涅槃
とい う積極 的な形
の涅槃
理解が提示 さ れた こ とで あ る。現代の エ リー ト比丘の倫 理
的価値
観そ し て, 上記の よ う な変 化を経たの ち の 現 在 (
1971
年 )で は, 本 来は出家の 比丘 た ちの あい だ に も, 社 会参 加 志 向や実践 主 義 的傾 向が強 く認め られるよ うに なっ て き てい る。 た と えば マ ハ ー チュ ラロ ン コ ン仏
教 大学生324
名
の う ち ,比丘 も な ん らかの形で社 会 と 関わ るべ き だ とす る者が68
,3
% で あ り, また ,仏典
の 学 習よ りも瞑 想 とい う 実践の ほ うが重 要だ とす る者は74
.1
% に もの ぼ るの で あ る。 第18
章 布
教僧
と国 家 開 発比丘 た ちの こ の よ う な社 会
参
加 的 (あ るい は社
会改 革的)傾向 や実践主 義 的傾向 が ,現 在, 具体的 な形 と して 現れ て い る のが, 比丘 に よ る タン マ トッ ド ・プロ グラ ム と農 村 開発プロ ジェ ク ト で ある。こ の う ち まず, タ ンマ トッ ド ・プ ロ グ ラ ム の ほ うは , タ イ の 辺境の 部 族に も仏教 を布 教す る プロ グラ ム と して
1965
年に立 ち上 げられ た もの で あ る。 そ し て, こ の プロ グラム は,政 府の 活動 と結びつ くこ と に よっ て,地 方の 不満 を上に吸いh
げるこ とで,共産
主義化
の 危 険を避 け,結 果 的に は, 辺境の部 族をもバ ン コ ッ クを中心 とす るタイの 国家体 制の中
に 組み込む とい う,政 治Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soolety for the Study of Pall and Buddhlst Culture
S.J. Tambiah ,肋 厂〃Conqueror砌 d 恥 〃ゴ1〜enouncer 193
性を も
含
む もの で あっ た。 また, こ の プロ グ ラ ムの 活 動を 通 して, 政 府 とサ ン ガ とが,特に地方 で は密 接に結 びつ くよ うにな っ て い っ た。一方, 農村開発プロ ジェ ク トの ほ うは, マ ハ ー チュ ラ ロ ン コ ン
仏教
大 学や マ ハ ーマ ク ッ ト仏 教大 学を中
心 に押 し進め られてい るが, そ れ もや は り, タ ン マ トッ ド ・プロ グラム と同種の 効果
を生 み出 し て い っ た。第
19
章
国 家 開発政 策と正統
性
の シンボ
ルこ の ように タ イの
仏教
が, 国 家開発
と結 びつ く よ うになっ て い っ たの は ,1950年
代 後 半の サ リッ ト軍 事 政 権 下で の こ とで あっ た。 す なわ ち, この サ リッ ト政 権は, 国家開発
国
民統合
, 共 産 主義
の危機
を合
い 言葉
に ,国王 と 仏 教を タイ とい う国家
の 集 合 的象徴
として かっ ぎあ げて,国王 と仏 教 とい う 占くか らの 象徴 に, タイ全 土 を 厂タ イ 化 」 す る た め の 象徴 と しての 新たな意 味を担わせ たの で あっ た。 こ の うちまず, この 当 時すで に立憲
君主制 となっ て い た タ イに お け る国王 の象
徴 と して の価値
は, 現 実の権
力争い に巻き 込 ま れ る こ とはな くなっ た とい うこ と も あっ て, 仏 法(
ダル マ)
の 象徴
と して は, 以前 より も安 定 した役 割を担 える もの となっ て い た。 一方 , 仏教の持つ 象 徴 的価値の ほ う は,仏 法に よっ て正統性
が 保証
さ れ た国王 に よ る承 認 と政 権が保護
す る サ ン ガ か らの功 徳(
す な わ ち功徳が尽き ない 限 り政権
は崩壊
しない)
とに よっ て ,軍
事政 権に正統性
を保 証す る とい う形の 役 割を担
っ たの で あっ た。そ して こ の よ うに して ,ス コ ータ イ やアユ タ ヤ
E
朝
以来の伝 統 的な 王権
と サ ン ガ との相 互に支え合 う関係
が, モ ン クッ トや チュ ラ U ン コ ン に よる近代 的改革
に よ る変化
や , 立憲 君主制
あ るい はその後
の軍 事政 権へ 変化
を経なが ら も,基 本的に は,Figure
19
.1
に 見られ るよ う な形で, 同種の構
造を保ち な が ら,現 在に至っ て い るの であ る。 第20
章
結 論こ のよ うに, タイ に おい て は, 国家と仏 教 との 緊 張
関係
の な かで,両者
お よび両者の 関 係は, 時代 と と もに変容
を とげ なが ら も,時
に応
じて 過 去 に回 帰 し過 去を復興 させ る こ とで 過去 との 連 続性の 意 識を引き起 こ して,構 造 的 N工 工一Eleotronlo Llbraryパ ーリ学仏 教 文 化 学
194
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NII-Electronic Library Service Soolety for the Study of Pall and Buddhlst Culture
S.」.Tambiah,防 〃d Conque”()厂and 昭b〃d R召ηoπ η σεr 195
な連
続性
を保ちなが ら, 現代
にい たっ て い るの で ある。3
.若
干
の感
想
以 上 , タイ に おけ る国
家 (
王権)
と仏 教(
サ ン ガ)
との関
わ りに関 す る,Tambiah
の所説
を紹介
して き た。 この 二部
に分かれ た彼 の議
論の うち , 私が よ り興味
を そそ られ た の は, 現 状の 分析を中心 とす る社 会 人 類学 的 な考察が 行わ れて い る第二 部よ りも む しろ,現 状の 歴 史 的背
景の説 明が行
わ れて い る 第一部
の ほ うで あ る。 その 理由
は次の 通 りで あ る。前
回の 書 評(
厂書評
:S
.J
.Tambiah
,Buddhism
and theSpirit
Cults
in
・North
−east
Thailand
」 『パ ー リ学仏 教 文化 学』13
・i
pp
.107
−128
)
に お い て , 私は, この[
Tarnbiah
1970
]
の論
じたタ イに お け る仏
教 と霊の 宗教 と の関わ りを, 南 ア ジア ・東
南ア ジアや東
アジア に お け る宗 教 と民俗信 仰 との関
わ りの 一例と い う形で 普:遍 化 し て, そ の 在り方の 比較を行い , 南ア ジア ・東
南ア ジ ア に お い て は 「階 層 的 包含
」 あ るい は 「マ ン ダラ的構 造」 を な す の に た い して , 東 ア ジ ア に おい て は 「棲 み分けに よる共存
の 構 造」 を なし て い る と指摘
した。こ の よ う な私の 関 心か ら言え ば ,本 書に お ける
Ta
皿biah
の指摘
の なか で, 最も注 目したい の は,仏教
に よっ て その正統性
が支え ら れ た 「銀 河 系 国家
」 がマ ン ダラ的構
造を な し て い る とい う点で ある。 す な わ ち ,[
Tambiah
l
970 ]
に おい て は, 霊の 宗 教を仏 教を中心 と した形で統 合 して い たマ ン ダラ的な統
合 の 原 理が, こ こ で は さ らに その 範 囲を広 げて, 国家 統合の 原理 と して まで機能
してい た とい う点に注
目した い の で あ る (なお, この 中心 と周縁
か ら な るマ ン ダラ的な統 合の構
造 とは, ヒ下関係
に注 目すれ ぼ, 階 層 的包 含に よる 統 合の 構 造 と言い 換え る こ とがで き,それ は た とえぼ, イ ン ドの カ ース ト制 度に 見 られ る よ うに, バ ラモ ン を頂 点 とする社 会統 合の原 理 とも なっ て い る もの であ る)。こ の よ うに, 東
南
ア ジ アの 仏教王 国や イ ン ドの カ ース ト社 会で は , 仏 教 的 な 「マ ン ダラ的 包含
」 の構
造 やヒ ン ドゥー的な 「階層 的包 含」 の 構 造が,宗 教 ・文 化 ・ 社 会 ・ 国家の統 合 原理 と して働
い て き た と言える の だが,その 特 N工 工一Eleotronlo Llbrary196 パ ーリ学 仏 教文化学 徴は中心あ るい は頂点が一つ だ と されてい る とい う点に あ る。