口承文藝研究の視点について(2)
On the Viewpoint of the Folk Narrative Research (2)
河 野 眞
K
ONOShin
愛知大学非常勤講師
Part-time Lecturer, Aichi University
5. マックス・リュティのメルヒェン検出方法
リュティは、メルヒェンとグリム・メルヒェンは異なったものという見解を呈示する。
そして両者の違いの検証を次のように行なう。出発点はやはり
KHM
であるが、それは(先 に挙げたように)ヴィルヘルム・グリムが《さんざんいじりまわした》ものであった。そ こでリュティは、KHMの特徴的な人為性を削り落としてメルヒェンを再構成するという 試みを行なった。それには幾つかの手法がもちいられるが、その一つはKHM
が民間で受 容され広まったときに起きる変化である1)。民衆の手にもどった昔話は、ヴィルヘルム・グリムが弱めてしまった抽象的様式にい ろいろな点でふたたび接近してゆく。
そして具体例として、シンデレラ譚が挙げられる。
グリム童話においては、灰かぶりはまず「金と銀の着物」をもらい、つぎに「もっと ずっとりっぱな着物」をもらい、最後には「まだだれも手にしたことがないほど豪華 で、輝くばかりの」着物をもらう。ところがエクバート・リッツという低地ドイツの
1
)次の版をもちいる。マックス・リュティ(著)小澤俊夫(訳)『ヨーロッパの昔話―その形式と本質』岩崎美術社
1960、新版 1995(民俗民芸双書)、p. 196
以下農夫の物語では、最初の着物には指二本の銀のすじがあり、二番めの着物には指二本 の幅の金の筋があり、三番めの着物には金と銀のすじがある。これはグリムのばあい よりも抽象的であり、同時に装飾的であり、するどく線的であり、かつ具象的である。
―そもそもわれわれの「抽象的」という用語は具象的に対する対立概念と考えられ てはならないのである。むしろ逆に抽象的な、すなわち現実からはなれた構成は、 リ アリスティックに個性化する叙述方法よりも視覚的に暗示に富んだ像を伝えるもので ある。ゲリッツのばあいは純粋に構成された、明瞭な、単純な可視性を求めての高揚 がまるでひとりでにうまれたように恢復されている。それは不明瞭に詩的なものにし ようとするグリムの文章のなかでは消えてしまっているものである。
このリュティの考え方は、たしかに注目してよい。書記的に固定されたメルヒェンが民間 で口承化した場合、それは民間メルヒェンの本来の特徴へともどってゆく、というのであ る。それは各国で採集された多くのメルヒェンにも共通するメルクマールであるとされる。
これは、文学としてのメルヒェン、またそれはどのような文学なのか、という問題につな がってゆく。
リュティの挙げる幾つかの特徴は、詰まるところ、メルヒェンは文学の一形態というこ とになる。むしろ文学そのものと言ってもよいような理解でもある。たとえば次のような 説明は、文学作品の特徴をあげているのとどれほど違っているだろう2)。
白雪姫の悪いまま母(あるいは母親)は、けっして不器量などというものではない。そ れどころか彼女は、「国じゅうでいちばんの美人」であり、ただ白雪姫にだけ劣る。
昔話の人物は、類型ではなく純粋な図形である。……図形は純粋な話のすじのにない 手であり、それがみたすべき唯一の要求は、するどい可視性と、造形の際の極端さで ある。粉屋、パン屋、兵隊、坊さんたちは、けっして「類型的な」粉屋、パン屋、兵 隊、坊さんではない。それらは職業の類型ではなく、ほとんどどんな職業とも簡単に 結びつけられるような特性を示している。
文学作品は描写が細かく丹念であるのに対して、メルヒェンは簡潔であるということなら、
それはあまり違いにはならない。文学作品の文体は作家それぞれで多様であるが、それは 必ずしも描写が厚化粧であることを意味しない。また具象的になぞられることが必須条件 でもない。ちなみに三島由紀夫が『文章讀本』のなかで、こんなことを書いている3)。
2
)リュティ『ヨーロッパの昔話』(前掲注1)p. 130―131.
3
)三島由紀夫『文章讀本』中央公論社 昭和34
年、p. 126.昔、アンドレ・カイヤットといふフランスの映畫監督と話したときに、私がしきりに 映畫に對する小説の優越性と未来性を力説して、映畫には太った女や、痩せた女が出 てきて、如何に映畫會社が美人だと宣傳しても、それは美人ではないと思ふ頑固な觀 客を避け得ないが、例へば小説だと、スタンダールの『ヴァニナ・ヴァニニ』のやう に「彼女はローマ第一の美人であつた」と書いてあるあるだけで讀者は納得し、彼女 の美の前にひれ伏すではないかと言つたことがあります。……
そして次にバルザックの『モデスト・ミニヨン』ではヒロインの顔の造りが
2
頁にわたっ て描かれているのを対比的に紹介する。さらにモーパッサンと谷崎潤一郎における女性の 容貌の描写をも取り上げる。当然にもそれぞれに違っているが、その違いは《作者の強い 主観に裏づけられた強力な印象と、それを讀者に傳達する際の想像力を如何に刺戟するか といふ問題にかかつている》と言う。方法や文体と違いと言ってもよいだろう。『白雪姫』が国中で最も美しいと語られ、それが継母の嫉妬を煽ることは誰もが知る筋 立てだが、白雪姫がどんな顔立ちだったのかは言及されない。しかし本格的な文学作品で もそうした描法は幾らもみることができ、スタンダールは決して例外ではない。たとえば アレクサンドル・プーシキンの『ドゥブローフスキー』を挙げてもよい4)。
読者はおそらく、私たちがまだ数言を費やしたにすぎぬキリーラ・ペトローヴィッチ の娘がこの物語の女主人公であることを、すでに推察していられるであろう。私たち の手で書かれているこの時代には、彼女は
17
歳で、その美しさはいまを盛りの花で あった。マーリヤ・キリーロヴナ・トロエクーロヴァについては、物語における行動はなぞられて も、容姿風貌となると、これ以上は何ひとつ細かい描写がなされていない。それが却って、
すでに顔立ちから一癖も二癖もある数人の男たちと鮮やかな対照をなして、存在の輝きを 得さしめている。減筆体さながらの言語描法もまたすこぶる個性的なことがある。
6. メルヒェンは文学か非文学か
一方に、メルヒェンが文学であることを強く主張する人々がいる。リュティは一応その 代表者である。もっとも、何を以て文学と見るのかという問題があるが、リュティの場合 は、その研究対象がほぼメルヒェンに限定されており、またメルヒェンとの関係で伝説が 論じられる程度なので、問題はそれほど顕在化しない。と言うのは、もし広く口承文藝に
4
)プーシキン(作)中村白葉(訳)『スペードの女王』(新潮文庫)所収、p. 134.網をかけて、それが文学か否かと問うとなると、様相は違ってくるからである。たとえば 諺は文学か、観天望気は文学か、占いやまじないの文言は、呪文は、墓碑銘は、挨拶の決 まり文句は、は、と問うてゆくと事は厄介である(これを問うたのがバウジンガーだが、
それは後にとりあげよう)。メルヒェンと、それに加えて精々、伝説に限定すると、文学 の一形態という見方はあまり破綻しない。これはフィンランド学派についても言うことが できる。対象をメルヒェン・伝説・笑話、それに叙事詩や伝承歌謡にほぼ限っているから である。また、この限定が課題を軽くしてくれることをリュティはよく認識していた5)。
(神話に対する昔話の独自性という)この問題は、まだまったく解明されていない。昔話と いうジャンルの起源は暗闇の中に横たわったままなのである。そうこうするうちに、
昔話研究の一大グループ、いわゆるフィンランド学派が、個々の昔話タイプ、例え ば、二人兄弟や灰かぶり姫の物語の原型を再構成しようという目標を打ち立てた。こ の仕事の場合にも、文芸学的な観点が一役買っている。昔話の原型はすべてそれ自体 一つの創作文学である、という前提である。
リュティ自身も基本的にはその観点に立っている。しかし重要なのは、メルヒェンが文学 であるとすれば、どのように文学か、をはっきりさせることであろう。当然にも起きるこ の問いにリュティが答えていないわけではない6)。
昔話は人物や対象を決然と孤立させ、それらを現実的な関連から切り離し、鋭く輪郭 づけ、また文学という新たな関連性の中にそれらを現出させる。顕著に際立たせて、
新たにつくられた全体にそれを秩序づけること、これは文学の基本的な功績の一つで あるように思われる。昔話はそれを模範的なまでに純粋に、そして軽やかなタッチで 成し遂げる。
リュティは、ゲーテの戯曲『庶出の娘』やシュティフターの短編集の中でまさに昔話特有 の特徴が強調されていることに注目している。またそれは有力な同時代の先人にも支えら れた視点でもある。
ローベルト・ペッチュやパウル・ベックマンおよび他の人たちが仮定しているよう に、昔話が叙事的なものの基本形式であるばかりではなく、そもそも文学そのものの
5
)参照、マックス・リューティ(著)高木昌史・高木万里子(訳)『昔話と伝説-物語文学の二つの基 本形式』法政大学出版局 1995(叢書ウニヴェルシタス 491)、p. 238.6
)同上、p. 241―244(後続の引用を含む)基本形式でもあるとしたら、重要な論点を議論する際に、昔話は引き合いに出されて よい。
そしてアンティ・アールネとスティス・トンプソンによる昔話と笑話のタイプの目録づく り、またヨハネス・ボルテとゲオルク・ポリフカが
KHM
の注釈においてきわめて多数の 類話のモチーフの位置関係を目録化したことを挙げて、こう続ける7)。昔話研究者に見られるあの手際、繰り返し現われるモティーフを扱い、それを配列す るあの手際は、個人的な文学の領域で似たような、と言ってももちろんはるかに困難 な仕事をする文芸学者にとって範例となり得る。ゴットフリート・ケラーの次の言葉 が思い出されるであろう。「人間の生活には、過去の偉大な作品がそれを土台に組み 立てられているあ
フ ァ ー ベ ル
ら筋の一つ一つがいかに深く根づいていることだろう。このような あら筋の数はあまり多くない。しかしそれらはつねに新たな衣装を身にまとい繰り返 し現われる」。……
その具体例をもとめるなら、「漁師とその妻の話」において縮図的な解説を聞くことがで きる。そこでは
KHM19
が、シェイクスピア『マクベス』やシラー『ヴァレンシュタイン』と同じ種類の人物類型から成ることが論説される。特に『マクベス』について、リュティ の筆は熱を帯びる。
「漁師とその妻」の物語は一つの昔話であって、シェイクスピアやシラーの文学作品 よりも遊びの性格があり軽いものなのだが、「白痴の語るお話、何の意味もありはし ない」★わけではない。その単純で、鋭い輪郭を持ったイメージは、偉大な詩人の微 妙に陰影化された場面よりも、容易にそして確実にわれわれの心に刻み込まれる。
★『マクベス』第
5
幕第5
場におけるマクベスの独白の一部。「漁師とその妻の話」(KHM19)はアルニムを介して寄せられた方言綴りの原稿をグリム兄 弟が手を加えずに収録したとも言われるが、それはともかく、貪欲な婆さんと、不甲斐な い爺さんの話である。またリュティは、漁師の妻が主人公であることについて、《他の昔 話では、主人公でない人物、恩寵に恵まれない人物が、主人公の敵として、あるいは対照 的な人物として脇役を演じている》とも言う。これは通常は脇役である妻が夫を押し退け て、悪役とは言え前面に出ることを指している。しかし女性の悪役の際立ったメインキャ
7
)参照、同上、p. 72―78(後続の引用を含む)ラクター振りは、(リュティのコメントとは裏腹に)昔話にも割合多い上に、ここで男女 格差の逆転を読むのは、読みすぎの印象を受ける。それはともかく、恬淡でお人よしの夫 と物欲の亡者のような妻というカップルをマクベスとマクベス夫人に重ねることが事の本 質に適っているかどうかは疑問である。言い換えれば、マクベスとその夫人の次第にたか まる権力欲とその段階ですでに忍び寄っていた自省との葛藤を、欲にかられた単線的な筋 に還元してしまってよいものだろうか。その伝でゆけば、KHM19は、欲深婆さんという 点で日本の舌切り雀とも同工でもあるため、シェイクスピアのマクベス夫人はつまるとこ ろ舌切り雀の強欲婆さんと言えることにもなる。そうした同形や相似形を言い立てること が何かを解明することになるだろうか。たしかに「漁師とその妻の話」は、プーシキンに 民話詩「金の魚」を創作させた刺激源ではあった8)。また近くはギュンター・グラスの長 編小説『ひらめ』があるが、グリム兄弟のその話を重ね合わせつつも、昔話とは全く別物 である9)。それはホルスト・ハイツィンガーのイラストでも同じである10)。そこでは原子力 発電所とそそり立つ工場群を背景に、汚染された海辺で、死骸と化したひらめに現代人が 懇願している。《あの小便壺(のようなみすぼらしい小屋:KHMでの表現)でいいから返してく れないか》。要するに、誰もが知る材料の気の利いた活用ということであり、特にメルヒェ ンでなければいけないというわけではない。
リュティにおける《メルヒェンは文学》の結論
創造力、すなわち虚構の次元で観念を自由にあやつる営為としての文学の一形式として メルヒェンを考えるところへ、論説は進んでゆく。リュッティは、要するにメルヒェンは 文学という結論を下すのだが、それは昔話の特質に付き合ってきた読み手に肩透かしを食 わせるところがある。では、何のためのメルクマールの挙示だったのか、との意外感も起 きる11)。
昔話は、ことばの真の意味での世界を包含する文学である。それはあらゆる任意の 要素を、純化しつつみずからのなかに受けいれることができるばかりでなく、現実 に、人間存在のあらゆる本質的要素を反映している。
昔話は象徴的文学と名づけてよかろう。しかしそれは、あらゆる文学は象徴的である
8
)参照、プーシキン(作)北垣信行(訳)「漁師と魚の話」『プーシキン全集3
』河出書房新社昭和47
[1972
]、p. 75―88.
9
)参照、ギュンター・グラス(作)高本研一・宮原朗(訳)『ひらめ』上・下 集英社 1981.10)環境問題のテーマでまとめられた次の風刺画集はハイツィンガーの代表作でベストセラーとなった。
参照、Horst Haitzinger, Globetrottel. Karikaturen zur Umwelt. München 1989, Abb. S. 105.
11)リュティ『ヨーロッパの昔話』(前掲注 1)p. 139、167、173.
というひろい意味においてである。(p.167)……
……昔話は自分がそれによってできているその諸要素を、じつは自分ではたらいて作 るのではなく、いたるところからとりよせ、それらの本来の体験内容をはぎとって、
絶対的に、またたくみに独自のやり方で利用するのである。それによって重量のない 単純さという印象が生まれる。
しかし軽さと単純さはひとつの発展のなかでの後期の形式の目じるしである。……
(p.173)
メルヒェンは文学という見方もそれ自体は少しも斬新ではない。メルヒェンをめぐる理論 をならべてみると、それには先人が幾らもいる。リュティもそれらを挙げている。また先 行する見解と対比すると、どのように文学なのか、という二次的な特質については先人た ちとはやや異なることも分かってくる。
ちなみに出発点までもどると、グリム兄弟もメルヒェンを詩歌に類するものと考えてい た。そのキイワードでいえば《フォルクスポエジー Volkspoesie》である。これは《民衆詩 歌》ということになるだろうが、また詩歌が生まれる母体の力の様態を指している。加え て《フォルク
Volk》の語感を加味すると《たみのうたごころ》とでもいったものになる。《大
和歌は人の心をたねとして》と通じるような観念であるが、ドイツ語のフォルクが大きな 意味をもつのは近代においてであった。また《フォルクスポエジー Volkspoesie》はヘルダー の思想であり、グリム兄弟の独自な言い方をもとめるなら《Naturpoesie自然のうたごこ ろ/自然詩歌》である。とまれグリム兄弟はメルヒェンを《Poesie》と解していた。それ は形になろうとする根源的な動きを指しており、それゆえメルヒェン=文学を排除するも のではなかった。ただし、それは神話の延長であり、また個々の詩人の創作ではなく、民 のあいだで自ずと生成すると観念された。同じようにメルヒェン=文学という理解は、ローベルト・ペッチュ、ヴィルヘルム・フォ ン・シイドウ、フリードリヒ・フォン・デア・ライエン、アルベルト・ヴェッセルスキー、
ヴァルター・A・ベーレントゾーン、さらにアールネとトンプソンも広義では文学と捉え ていたと見てよいところがある。言うまでもなく、メルヒェン研究では常に顔を出すポピュ ラーな名前である。したがってメルヒェン=文学に限ってはリュティもそういう考えた方 の一人であるにすぎない。そこで、どのように文学なのか、を見ておきたい。
文学の展開との並行関係
しかしリュティがメルヒェンを文学とみなすとしても、その文学の意味はかなり問題的
である。たとえば、こういう一節がある12)。
……昔話は純粋な文学であり、この理由からだけでも原始的ではありえない。原始的 とはいまだ開花しない結合のことをいうのである。しかるに昔話は、個々の領域がす でにたがいに整然と区別され、文学が実用や「科学」との結合から解放された人類発 展のある段階において発生したにちがいない。原始的共同体としての伝説は今日でも 日々、民衆のあいだで発生しうる。しかし昔話は民衆自身のなかでは発生しえない。
この《純粋な文学》としての昔話の文学史的な位置について、リュティが次のように言う のは注目されてよい13)。
ドイツではほかならぬアナークレオン派(ヴィーラント、ムゼーウス)が昔話をあら たに発見したことは、けっして偶然ではない。アナークレオン派自身がひとつの最終 形式であり、つねに同一の、空虚になったモティーフをたくみにもてあそび、昔話と おなじように子供のような単純さをもっているようである。しかしそれだからとてア ナークレオン派を原始的とか素朴とか考えるひとはいない。われわれはそれがある発 展の終点に位置をもち、素朴とまったく縁の遠いものであって、その単純さは人為的 なものであることをしっている。昔話のばあいには外面的研究はひとつとしてわれわ れに昔話発生の時期や状況を伝えてくれない。しかし昔話の内面的形式の性質がわれ われに、昔話は原始的でもなく素朴でもなく、高度に発達した芸術であることを確証 してくれる。
その《高度に発達した藝術》である昔話はどのような藝術思潮のなかに位置するのであろ うか。この点ではリュテイが、昔話を
18
世紀の、(早く見ると30
年代)、通常は40
年代 に始まる文藝思潮であるアナークレオン詩派(Anakreontik)と特定して関係づけているのは 注目される。そしてヴィーラントとムゼーウスの名前を挙げている。昔話というジャンル で大きな成果を挙げたのはムゼーウスで、それを称賛してメルヒェンの呼称を文藝界に定 着させたのが文壇の雄ヴィーラントであったのはドイツ文学史の比較的よく知られた一齣 である。またアナークレオン詩派ということなら、その代表者は《ドイツのアナークレオン》と呼ばれたヨーハン・ヴィルヘルム・グライム(Johann Wilhelm Ludwig Gleim 1719―
1803)
であっ た。もっとも、グライムは多面的で、その作風は当時のさまざまな文藝スタイルに広がっ ている。またその名を一躍世に知らしめたのは、その作るところのプロイセンの軍歌数篇12)リュティ『ヨーロッパの昔話』(前掲注 1)p. 175.
13)リュティ『ヨーロッパの昔話』(前掲注 1)p. 177.
が流行したからであったが、その事実をもって軍国主義と見るのは、それまた当たってい ない。
アルニムとグリムの議論を振り返る
これらの問題は、実は古くから見られたものでもあった。グリム兄弟がメルヒェンを公 刊した最初期から、すでにそれは表れていた。しかもグリム兄弟二人の間でも(表面化は 回避されたが)相互に見解の違いがあった。ヤーコプ・グリムは弟が悪びれもせず、むし ろ屈託なく改変にあたることには違和感を覚えたらしい。しかしそれが顕在化しなかった のは、大きく見れば、兄弟が同じ方向だからである。ちなみに、ヤーコプとヴィルヘルム のグリム兄弟が書きとめていたメルヒェン集の原ヴァージョンはブレンターノの遺品のな かから
1927
年に発見され、伝来した図書館の所在地に因んで「エーレンブルク手稿」と 呼ばれる14)。手稿の記述はあっさりして材料どおりの、ときには速記風のスケッチで、民 間の語られたものの忠実な再現であることが証されると言う。にもかかわらず、兄弟にメ ルヒェンの提供を依頼した『少年の魔法の角笛』の編者アヒム・フォン・アルニムは、事 態を見透かした。アルニムは、グリム兄弟宛ての手紙のなかで、昔話が報告者のグリム兄 弟によって変えられていても、それで構わず、またそうしかあり得ないと考えた15)。両君が子供のメルヒェンを聴いたままに書き記したと信じているとしても、私は決し てそう思いません。人間のなかではたらく造形の運動は、どんな建て前にも抗って勝 ち進むもので、要するに不死身なのです。
原資料であることの意義を重く見たヤーコプ・グリムにも、採録の忠実さとは《機械的》
な忠実さではないことは分かっていた。ただ異質なものを付け加えないことは守りたいと いう姿勢であった。それをヤーコプは、比喩で言い表した。
完全無疵に語ることができないのは、卵を割るとき、白身が殻に残ってへばりつかな いようにはできないのと同じだ。……まっとうな忠実さとは、この譬えで言えば、黄 身をつぶさない、ということになるだろう。
14
)グリム兄弟が1810
年にクレーメンス・ブレンターノの希望に応じて送った49
篇から成るメルヒェ ン集の草稿。1927年にアルザスのエーレンベルクに所在するトラピスト会尼僧院(TrappistenklosterÖlenberg)の図書館で発見されたため、この名称がある。現在は、スイスのジュネーヴ州コロニーのマ
ルタン・ボドマー財団図書館(Bibliotheca Bodmeriana/Cologny)の所蔵となっている。15)以下のドキュメントはバウジンガー『<民のうたごころ>の諸形式』による。Hermann Bausinger, Formen
der “Volkspoesie”.
21980, S. 169f.
しかし兄のそうした姿勢に対して、弟のヴィルヘルムはもう少し先へ進んだ。忠実という 点では、むしろ自己の感性がおのずと表出するところに忠実たろうとしたのである。
私は、言葉遣いや、譬えの順番やそれに類したことについて、少しも困らなかった。
つまり、瞬間的な自分の気持ちのままに語ったのだ。
KHM
は主要にはこの観点から書き下ろされており、それゆえ文体の奥には書き手の人格 が控えているという考え方に立つならば、そこに見えるのはヴィルヘルム・グリムの個性 ということになる。(2)アンドレ・ヨレスの口承文藝論について:スケッチ
メルヒェンを対象に、その文藝か否かという設問を手掛かりにして問題点を探った。も とより多くの疑問の一部である。しかしそこから浮かび上がるのは、輪郭があまり明瞭で はない状況である。おそらく対象の設定の仕方にそれは起因している。先に研究動向への 第一印象的な疑念としてふれたことだが、メルヒェンを独立王国のように区分すること自 体が無理押しのきらいがある。であれば、事態は、検討の場ないしは位相を変えることを 必然的にするだろう。これを言うのは、口承文藝の全体が射程に置かれる場合には、議論 はまるで異なった広がりを見せるからである。もとよりそれを行なった論者は多くはない。
しかし理論を本質的に深化させたのは、そうした少数者であった。問題点を確かめるため と、今日の日本で最もよく読まれている論者ということからリュティから始めたのだが、
それを目安にすると、口承文藝の世界に広く目配りし、その全体を問うた論者は、(そう した試みにまで進まなかった)リュティから見てそれ以前には二人がいた。アンドレ・ヨ レスとローベルト・ペッチュである。またリュティ以後ではヘルマン・バウジンガーがい る。口承文藝とは何か、という根本問題では、この
3
人の理論を押さえ、また検討するの が本道ではないであろうか。いずれもドイツ語圏の学界では、今のテーマ圏では中心に位 置してきた経緯があり、決して奇矯奇抜な議論に目をつけたのではない。1. 位置づけ
学説の推移の順番からも、アンドレ・ヨレスの主著『単純な諸形式』(1929)16)を頭に入 れておく必要がある。口承文藝の多くの種類について基本的な理解を示し、それが劃期的
16) Andre Jolles, Einfache Formen. Legende, Sage, Mythe, Rätsel, Spruch, Kasus, Memorabile, Märchen. Witz. Halle
1929. Tübingen
82006. ここでは主に次の邦訳をもちいる、アンドレ・ヨレス(著)高橋由美子(訳)『メー
ルヒェンの起源 ドイツの伝承民話』講談社
1999(講談社学術文庫 1380)
であったことにおいてもそうであるが、またバウジンガーの理論の形成という面からも押 さえておきたい。それに、バウジンガーによって完全に過去のものと化したとも一概には 言えない。またこの一節を設けたのは、邦語への翻訳がなされているにしては、本邦の口 承文藝の関係者にその意義がもうひとつ認識されていないように思えるからである。もっ とも、ドイツ語圏でもヨレスは当初は概ね無視され、死後に評価されるようになったのだ が、概略的には以下のような背景がある。
口承文藝については、グリム兄弟が理論面でも起点に聳えている。ごく端折って言え ば、その要点は神話を原点とするという見方であった。すなわち神話の抑圧され断片化し たものとして各種の口承文藝がとらえられた。メルヒェンが、雑草に覆われた地面に残る 神話の破片で、識者だけがそれに注目し真価に気づく、という譬えをもちいた論説はよく 知られている。また「メルゼブルクの呪文」が広く共通知識となったのも、ヤーコプ・グ リムの解説によってであった。そうした神話を母体とみなす考え方は時人に歓迎された。
しかも、やや極端化して言うならば、一言聞けば何をどう扱えばよいか分かった気にさせ るところがあり、詰めの精粗や当たりはずれはあれ大局的には何とか収まり、関心さえあ れば誰もが手を出せた。すでにグリム兄弟の生前には民俗探訪はブームになっており、ド イツ語圏の各地で民俗学の同好会や研究団体が成立していた。社交的でもあったヴィルヘ ルム・グリムは、もとめられると、そうした団体の設立や活動を祝う文章をわりあい気軽 に書いた。実地の動きでは、現行習俗や言い伝えが主にゲルマン神話の名残りとして解さ れた。勢い《珍習奇俗》が好んで取りあげられたが、その実際やそれへの軌道修正の議論 にはここでは立ち入らない17)。
口承文藝においてもゲルマン神話に遡源させるグリム兄弟の見解が柱であった。フィン ランド学派のカールレ・クローンにもその影響がみとめられ、形を変えて生き続けた。修 正もなかったわけではなく、『パンチャタントラ』のドイツ語訳という偉業をたずさえて テーオドル・ベンファイがメルヒェンのインド起源を説いたのはエポックであった。と共 に、何かに遡及させるという思考の構図は変わらなかった。また口承文藝全般への関心で はヴィルヘルム・ヴントとそれを具体的に発展させた民族心理学からの取り組みがある が、それらはここではふれないでおく
問題のアンドレ・ヨレスの著作であるが、何を主張しているのか、その主張はどのよう に組み立てられているのか、について簡単にまとめておきたい。翻訳が二種類出ているの で、それを読めばただちに分かることであるが、他方で、やはり理解し辛いという声もあ る。それは決して翻訳者のせいではないであろう。ヨレスが取り組んだような課題に対し て、日本の口承文藝の研究者に問題意識が希薄であることに起因していそうである。それ
17)
次の学史文献の拙訳を参照、参照、インゲボルク・ヴェーバー=ケラーマン(他・著)河野(訳)『ヨー ロッパ・エスノロジーの形成/ドイツ民俗学史』文緝堂2011(翻訳の底本は第三版 2003)
はまた筆者が紹介しようとしているヘルマン・バウジンガーの論説が日本で見舞われてい る反応とも重なっている。
2. アンドレ・ヨレス『単純な諸形式』の構成
考え方の構図をうかがうには、目次を見るのが便利である。ただし部分的には、邦訳と は違った訳語にしたところもある。それはこれからの説明でも同様である。また以下の要 約では少し分かりにくい術語(*)の解説を兼ねている。
序章 1 文藝学の三方向 2 言語と文学 3 言語と労働 4 文学形式 I. 聖人伝 II. 伝説 III. 神話
IV. 謎々 V. ことわざ VI. 決疑法* VII. 追想記* VIII. メルヒェン IX. ウィット 展望
一見して分かるように、すこぶる体系的である。ヨレスはそれを文藝学の展開から説 き起こす。文藝作品をどう見るかについて、18世紀後半以後の学問的な文藝理解は二つ の方法を発展させた、と言う。一つは、創作を《天才》の概念に関係づけるゆき方であ る。二つ目は、ヘーゲルが説いたような《精神史》の展開として理解する行き方である。
ヨレスは、個性が重視される時代に言語造形体を精神史の産物と見たことによって個性が 否定されかねないのは皮肉なことだった、と冗談めいたコメントをもはさんでいるが、
それはともかく、第三の行き方があると言う。それをヨレスは、ゲーテが《ゲシュタル ト(形状)》について残した論評を手掛かりにして説明した。簡単に言えば、文藝が形を とるものであることから形自体に焦点を合わせることもできるはず、と言う。形とは言 語的造形である。したがって言語のあり方から文藝は説明でき、それどころか言語のあ り方が文藝の様態を決定づけると考える。それをヨレスは、言語の姿勢の意味で《言語 態 Sprachgebärde》と呼ぶ。またこの考え方の大きな里程標としてはハーマンなどが挙げ られるが、とまれ言語態と表裏一体のものとして人間がいる。それゆえ言語態は《精神活 動 Geistesbeschäftigung》の表れである。特定の言語態は特定の精神活動が形をとったも のと言ってもよい。
そしてここで言語の特質が視野に入ってくる。言語は自由に操ることができると共に、
他方では自由がきかないものでもある。言語を最も自在に駆使するのは詩人であり、その 所産が藝術であり、それが文藝形式(Kunst)である。ドイツ語の
Kunst
は狭義では藝術 だが、技巧や加工をも意味する(たとえばKunststoff
は人工素材すなわちプラスチック)。これに対して言語が自由にはならない様態とはいかなる場合であろうか。特定の言語態 の他にはなりようがない場合であり、それは特定の精神活動を背景にしている。その場合、
それ以上は加工も分割もできず、しかも誰にも明らかであることにおいて《単純な形式》
であるとされる。
3. 精神活動と言語態の二層構造
言語が何であるかを考えることも、これを支えるだろう。人間は、混沌としてばらばら の外界を脈絡あるものにするために言葉を発するが、言葉はその特質において運動するも のでもあり、人間から独立する18)。
人間は、世界の混乱に介入する。人間は、深く入り込みつつ、削減しつつ、結合させ つつ、一体となるべきものをひとつにまとめ、本質的なものを引き離し、分類し、分 解してグループをつくる。
言語は人間の自由になるばかりではなく、それ特有の動きをも見せる。ヨレスはこの着想 と展開に重点を置き、ふんだんに事例を挙げた。説得性を高めることに意をもちいたのだ が、その記述は手が凝っており却って理解を難しくしている面もないではない。またそれ だけ委曲を尽くしても後に誤解を含む批判を招いたことを見ると、やはり説明を要するこ とだったのであろう。特定のまとまりをもち、分割や改変が不能な単位となっているもの が《単純な形式》である。しかしはそれは片言隻句でしかないという意味ではない。藝術 形式にはなりようがないものである。後者については、次のように理解される19)。
藝術形式は、まさに個人の選択、個人の介入によって生み出され、言語における最終 的な完結を前提とするような文学形式と解釈できる。その際もはや、言語において何 かがひとりでに凝縮して詩になるのではなく、藝術家による反復不可能な活動のなか で、最も崇高な拘束力が実を結ぶのである。
特定の精神活動の赴くところ、《何かがひとりでに凝縮》する体の言語のあり方、すなわ ち個人的・藝術的な加工が無理であったり、潤色が意味をもたない種類の言語表現、それ が《単純な形式》である。そして
9
種類挙げられるが、分かりやすいのは《聖者伝》と《神 話》であろう。また《決疑法》と《追想記》は聞きなれない術語のために解説を要するこ とからも、またそれらにおいて藝術形式が関わってくることにおいても、そこでの見解に は注目してよい。なおヨレスは聖者伝を最初において、全体にかかわる基本的な論説をお こなっている。かなり長い論述で、どう読むかという問題もあるが、論説の特徴を探る限18)Andre Jolles, Einfache Formen
(1929, 82006 前掲注 16).[邦訳]p. 43―44.
19)Andre Jolles, Einfache Formen
(1929, 82006
前掲注16).[邦訳]p. 269.
りで、聖者伝をはじめ数項目について検証しようと思う。
4. 口承文藝の小区分から
(聖者伝/聖人伝)
聖者を聖者たらしめるのは美徳であるが、それは《私たちが知り得る因果律の範囲外で、
神によって引き起こされた奇蹟》によって証明される。また聖人が聖人になるのは教会に よる列聖審査という一種の法的な手続きを経てである。それには死後もなお奇蹟を起こす ものとして聖遺物(全身か一部かはともかく遺体のことが多い)がある。何よりも大きな 意味をもつのは奇蹟譚でありそれは本質的に殉教譚である。殉教はまた本質的にキリスト に倣う《イミタチオ》である。それはどのようにして表現されるか。
キリスト教徒たちが、迫害され、捕らえられ、拷問にかけられた際の多様な現象 は、総括的に特徴づけて言い表すことができる。つまりそれは「鋭い刃のついて刑車」
という共通項にまとめられる。……数多くの国家宗教と統一的な新しい宗教との対立 は、「殉教者は、多くの偶像が建つ神殿に運ばれた」という部分に要約される。キリ スト教徒たちの抵抗は、「彼は、にせの神々に呼びかけ、彼らは答えをもって、彼に 服従した」、迫害の無益とキリスト教の勝利は、「偶像が粉々に砕けた」と表現されて いる。(邦訳
p. 73.)
これらの表現は、ヨレスによれば《単純な》と説かれるが、それは次の意味においてである。
ある精神活動の支配のもとで、存在と出来事の多種多様性が凝縮して形作られる所 に、それが言語によって最終的かつ分割できない単位となって、言語的な形象のなか で、再びその存在と出来事を意図すると同時に意味する所に、単純形式が成立するの である。(邦訳
p. 75.)
聖者の多くは殉教者であるが、その殉教は《「鋭い刃のついた刑車」という共通項にまと められる》、すなわち具体的な描き方は違っても、「鋭い刃のついた刑車」に取って代わる ものではあり得ない。同じく、キリスト教の勝利の描き方がどうであれそれは「偶像が粉々 に砕けた」に集約できる。潤色が変化をあたえることができず、むしろ希薄化にしかなら ないような表現の形式であれば、分割不能・変形不能であることにおいて究極的なまとま りを得ており、それゆえ単純なのである。それは特定の精神活動に照応すると共に、特定 の言語態によってはじめて表現され同時に解釈されたものとなる。
聖者伝の場合、それは三つの段階で成り立っている。先ず聖者とされる人物とその行為
がある。次にその証として奇蹟的な聖遺物がある。聖遺物を証拠として聖者伝が成り立つ。
しかもこの一連の展開には、聖者その人は関与しない。その展開を可能にするのは言語で ある。そして言語のある特質と結びつくことによって最終的な形態、すなわち聖者伝とい う改変不能で改変が意味を持たない言語態に至る。
(神話)
同じ構図は神話においてもみとめられる。神話は雑多な出来事の描写の総和ないしはそ の一部であるが、その要点は《予言》にある、とヨレスは言う。人間が混沌を前に、自ら も混沌の一部としていかなる脈絡もなく問を発する。発することも自覚されないような問 であるが、そこに答えが下る。その様子は、次の旧約聖書「創世記」の引用で説明される。
神はまた言われた。「天の大空に明かりがあって昼と夜とを分け、しるしのために、
季節と日と年の(規定の)」のためになるように。そして、天の大空にあって、地を 照らす明かりとなるように」。そして、そのようになった。神は二つの大きな明かり を造り、大きい明かりに昼をつかさどらせ、小さいほうの明かりに夜をつかさどら せ、また星を造られた。神はこれらを天の大空において地を照らさせ、昼と夜をつか さどらせ、光とやみを分けさせられた。神は見て、良しとされた。(邦訳
p. 151―152)
これをヨレスは次のように説明する。
……この聖書訳からでもすぐに、そこでは純粋な陳述や物語、あるいは単なる描写が 問題とされているのではないことがわかる。……人は大空を眺め、昼には太陽が、夜 には月が常に繰り返し空を照らすのを観察した。観察は驚きとなり、驚きは問いと なった。……さてそこで、問う者に答えが与えらえる。その答えは、さらなる問いが 出ないようなもの、与えられた瞬間に問が消えるようなものである。つまり答えは決 定的であり、断固たるものなのである。 (邦訳
p. 152)
このヨレスの説明があまり説得的に受けとめれないとすれば、今日の我々が天体の運行や 天文についてさまざまな知識をもっているからである。しかし、たとえば原因不明の病気 に自分や近親者が襲われるような状況を想定すればよいだろう。誰一人として何であるか 解くことができない不透明と不安のなかで医者であれ他の何者かであれ、一人だけが明確 な(と聞こえる)答えをあたえてくれると、それ以上の問いは消える。問は答えのなかに 吸収される。その答えが正しいかどうかを検証する手立てはどこにもないという状況がそ こにある。やがてそれが社会のなかに定着して、権威ともなり秩序ともなる。
(決疑法 Kasus)
普通はあまり聞かない術語のために、いずれにせよ解説を要しようが、これに注目する のは理由がある。この一章からは、ヨレスの考え方全体にわたる思考の方向をうかがうこ とができるのである。
決議法ないしは決議論、ヨレスがもちいるドイツ語は
Kasus
であるが、Kasuistikと表記 することもできる。英語ではCasuistic
あるいはCasuistry
決疑論(法)である。しばしば 詭弁、こじつけを意味し、Casuist
は詭弁家の意でもある。またKasus
は文法用語の《格》で、語源の面からは英語の
case
にあたる。ちなみに刑事事件は英語ではa criminal case、
ドイツ語では
ein krimineller Fall
であり、そのときのFall
に照応する(原書はKasus oder Fall
という説明をしているS. 179
)。そうした意味での《ケース》は法が問われる場であり、時には法が重なったり衝突したりする場である。決疑とは疑問を解くことを指す。なおこ の術語がある程度一般的なのは、法学の分野に加えて、特に
16、17
世紀のカトリック教 会において信徒の告解に対して聖職者が助言をあたえるときの規準をめぐって議論になっ た経緯が与っている。勢い道徳や倫理が関係してくるが、よく引き合いに出されるものに は、何らかの事情で知らずに結婚(7つの秘跡の一つ)してしまった父と娘や母と息子は 親の義務に従うか夫ないしは妻の義務に従うべきかといった事例がある。ヨレスが引用す る、ある雑誌に寄稿された法に関わる《平易な論考》も、そうした性格にある。ひとりのすり(掏摸)が大都会の雑踏の中で、少額の紙幣で百マルク入っている私 の札入れを盗む。彼はその運の良い収穫のことを恋人に話し、戦利品を彼女と分ける。
もし二人がつかまったら、その恋人は盗品隠匿者として処罰される。
もし私の札入れに百マルク紙幣が一枚だけ入っていたとしよう。泥棒はまずその紙 幣をくずし、それから女に五十マルクを与える。すると彼女は無罪である。盗品の隠 匿は、犯罪行為によって直接得られたものにだけあり得て、両替された紙幣はそれに 該当しないからである。(邦訳
p. 257―258
下線は引用者)この掏摸の恋人を処罰できるかどうかについては、法の《分散》が起きている、とヨレス は言う。そしてその構造と、そこから生じる形式を論じる。
物差しが正しく測れないという事実……。しかし、同時にさらに別のことが起きる。
(刑法)
259
条の不十分さが実現することによって、より高い規範が次のような形で実 現するのである。つまり、その恋人は259
条に従うと、もはや罰せられるべきではな いが、にもかかわらず、有罪である。不十分な規範が生まれる前のより高い規範で彼 女を量ると、彼女は有罪である。……こうした全体においては、もはやその恋人があるひとつの規範で評価されるのではなく、当該の規範自身が別の規範によって評価さ れるのである。……すなわち全体の意図は、第
259
条が、道徳的ならびに法律的な意 識の規範で量れば、軽率すぎると認められること、法の物差しが、そこでは不十分な 価値基準であることを示すことにある―こうした意図から形式が生じるのである。(邦訳
p. 265
カッコは引用者)こうした事案を決着させるものとしての言語態には、特定の精神活動が照応する。上の事 例の前半分と後半部は矛盾することから精神活動が何であるかが見えてくる。
矛盾する二つの部分は、全体として私たちに決議法の本来の意味を教えてくれる。つ まり、世界を規範によって判断され得るもの、評価され得るものとみなす精神活動に おいては、行為だけが規範で測られるのではない。そうではなくて、それを越えて、
規範が規範によって、次元を高めつつ評価されるのである。この精神活動から単純形 式が生じるところでは、基準による規準の測定が実現する。(邦訳
p. 266)
精神活動は、法は規範であることをもとめるが、法は不十分であり、一般的であるために は不安定である。ここでは法の組み合わせとして現れる言語態は一種の揺らぎを呈する。
不可分なまとまりであることによって反復できるものでもある《単純な形式》でありなが ら、あやういところがあり、常に同じかたちで反復できるかどうかは怪しくなる。それは、
別の種類のものが入り込む余地があることになるだろう。
ここで私たちは、単純形式の世界の境界にたどりついたことになる。なぜなら、ここ で起きること、あるいは起こり得ることは、決疑法には決疑法それ自体単純形式であ るにもかかわらず、顕在化した単純形式を越えて、藝術形式へと至る道が開けている こと、さらにその見道があるレベルの所まで前もって定められていることを意味する からである。……
具体的に言うと、決疑法はすでに、迫力を増すための追加によって[、]やはり切 迫した事件を一度限り提示する藝術形式との境界線上に置かれることになる。その藝 術形式は、しかし、まさにそれが藝術形式であるがゆえに、その事件を決疑法とはみ なさい。そうではなくて、事件はそれ自身のため、つまり私たちが短編小説と呼ぶ藝 術形式そのもののためにあると解釈するのである。単純形式として規範から生まれ、
規範を具体化する泥棒と盗品隠匿者、泥棒の恋人とその窃盗罪は、そうしたほんの わずかの追加によって、すでにかなり個人的な外観をそなえてしまうので、そこでの 出来事は、規範あるいは法の条文を代表することを、ほんとどやめてしまう。(邦訳
p.
268―269[ ]は引用者)
規範によって世界を理解しようとする精神活動の現実形態である言語態が、法の不十分と それを解決するための複数の法の重なりによって隙間ができ、緊密で不可分かつ恒常的か つ反復され得るという単純形式を完全には維持できなくなる、と言うのである。
この議論が全き説得性を持つかどうかは一考の余地があるが、そこから見えてくること がらがある。ヨレスの思考が垂直的と言ってもよいような性格をもつことである。それに は資質に加えて時代の精神状況もあったと思われるが、神話の説明において端的に見られ るように、予言や託宣といった定言命法がはたらくのに近いシチュエーションでは、その 論説はすこぶる説得的である。法が関わるような事例が好んでもちいられるのも、それを 示している。「決疑法」の節で、《決疑法の言語態度、ぼんやりとぼやけて現れる》として、
《より厳密に規定された言語態を観察できる決疑法が存在するかどうか》(邦訳
p. 270)
と進 むのも、上下の動きの線に敏感な論者ならではの論法である。逆の面から言えば、平面的 な広がりや横の聯関の扱い方では、論説の鋭さにやや翳りが出る。とまれ、決疑法におい てわずかに現れた揺らぎを含む言語態は次の形式では、いっそうその性格を見せてくる。ヨレスが追想記と呼ぶところのものである。
(追想記 Memorabile)
ヨレスが《単純な形式》として挙げる言語的表現のなかにはかなり複雑な内容と思える ものもある。それでも《単純な》と見ることができる所以を説得的に論じているのが追想 記と呼ばれる種類を論じた一章である。この種類には新聞報道も含まれるとして、次のよ うな記事をヨレスは挙げ、報道の言語的特質を分析する。
商業顧問官のハインリヒ・Sが、昨夜、カイザー通り
203
番地の自宅でピストルで自 殺をしたが、その動機は財政的な苦境であろうとされている。トルキスタン出身のS
は、以前、ウォッカ工場を経営していたが、それを、だいぶ前に売り払っていた。62 歳の彼は、すでにかなり前から自殺の意図をもらしており、妻が音楽会に出かけた昨 夜、その計画を実行した。銃声を聞いたのは、隣りの住居の所有者、アスタ・ニール センで、彼女が最初の医者と警察に通報した。この報道は、明らかに次のことに役立っている。その
1、死んだ商業顧問官の簡単な
経歴を知らせること、その2、なぜ才能と名声のある男が、自ら死を選んだかを説明
すること、その3、自殺の方法について情報を提供すること。
(邦訳p. 294―295)
ヨレスはこの新聞報道に現れる諸項目を分析して、どう組み立てられているかを考察する。
たとえば妻が音楽会に行っていた留守中という報道は、寂しく絶望のうちに死んでゆく夫 の姿をくっきりと浮き立たせる。また隣家の女性は映画女優であるが、悲劇的な数々の場 面を演じた俳優が実事件に遭遇したことを伝える効果が計算されている、と言う。
二つの歴史的事実、つまり音楽会に行った妻と家にいる夫は、因果関係にあるので も、理由付けの関係にあるのでもない。そうではなくて、それらは自殺という上位に 立つ事実を、出来事の進行の中で、くっきりと際立たせる目的で、互いに並べて挿入 されているのである。(邦訳
p. 296―297)
新聞による報道が《歴史的事実》とされるのは注目してよい。ヨレスは、これと同じ性格 にあるとして歴史記述をも挙げるからである。オランダ独立の立役者オラニエ公ウィレム が暗殺に斃れた事件の記述と、西ゴートの国王アタウルフが頓死めいた暗殺に遭った経緯 の記述である。そこでも暗殺とは直接関係のない付随的な要素が見られるが、それらは、
悲運が誰に起きたかを前面に押し出すための組み立てのゆえとされる。
(これに照応する)精神活動を示唆する言葉を捜すのならば、現実性をともなった精神 活動という名称が適当であろう。商業顧問官
S
の自殺の追想記にも、オラニエ公の 暗殺の追想記にも、出来事において事実でなかったことは何も含まれていなかった。しかしそれらの追想記では、横に並べられた事実の列から、上位に立つ事実性が浮き 上がってきて、すべての細かい事実は、一度限り、深い意味をもって、その事実性に 関連付けられた―ばらばらな事実から、まとまった事実性が現実化したのである。
(邦訳
p. 308
カッコは引用者)かかる様相において、事件とは因果関係にあるわけでもない細かな諸点も揺ぎ無い位置を 占め、それらの全体は一聯の代替できないまとまりであることが明らかになる。また、そ うしたまとまりにおいて、その記述は《単純な形式》である。その言語態は、特定の精神 活動の現実態、言わば形状(ゲシュタルト)である。
現実性が具体的になる精神活動にとって、重要なのは信憑性である。(邦訳
p. 314)
信憑性をもとめる精神活動が、信憑性を保証する言語態において現実のものとなる。すな わち《信用に値する》ようになる。また、これは屢々歴史記述のあり方でもあることから、
ヨレスは注目すべきコメントをも加えている。藝術形式との関係である。追想記は、上位
になる要素を浮き立たせる構成であることによって藝術形式が借用し、活用することがで きる形式という性格にある、と言う。
おそらく私たちは……やはり次の点にも触れておかねばならないだろう。すなわち、
藝術形式は、練り上げたものを何らかの理由で事実性に即して、つまり具体的かつ信 用に値するように描き出そうと努める限りにおいて、追想記の手法に手を伸ばすとい う点である。(邦訳
p. 315)
すなわち、追想記という言語態は、信憑性をもとめる精神活動に照応するところから、
フィクションという位相における信憑性が重要となる藝術作品(文藝作品)がその構図を 活用することになる、と言う。
……空想力から生まれた具体化しない事故が問題とされる場合には、その事故が信用 に値するように、追想記と同じ手法で描き出されていることに気づく。……進展する と……ついには追想記の関連形式なのか、短編小説という藝術形式なのか、その区別 が、もはやほとんどつかなくなってしまうのである。(邦訳
p. 315)
《単純な形式》という言い方がまったく適切かどうかはともかく(この問題は後に、日本 語では何がそれに当たるかも含めて検討する)、そうした形式に文藝が滑り込んでくると いう構造を提示したのは鮮やかである。
(メルヒェン)
同じような構図がさらに拡大するのが《メルヒェン》である。ここではメルヒェンをめ ぐってヨレスがおこなっている検証の手続きは省く。グリム兄弟とアルニムのあいだで交 わされた見解の応酬やメルヒェンの歴史にかんするスケッチや、メルヒェンを藝術形式と みたヴィーラントの考え方の洗い直しなどである。要点を絞ると、それは二つの極、すな わち精神活動と言語態になる。メルヒェンの奥にある精神活動は何であろうか。ヨレスは 現実の本質的な一面に着目することからそれを始める。
メールヒェンは、私たちが世界の中で実際の出来事として観察することに慣れてい るものと、非常に鋭い対立関係に立つ。現実における事の運びは、素朴な道徳の要求 にめったに一致しないし、たいてい「正しく」ない。―メールヒェンは、したがっ て、「現実の」世界と対立するのである。……
素朴に不道徳であるこの世界、ここで否定された「現実」の世界を、悲劇的と呼ぶ
ことにしよう。……(邦訳
p. 350)
なお《メールヒェン
Märchen》は基礎語が Mär
であることから長母音であ るが、引用文のみこの表記とした。かかるものとしての現実の世界に照応するのは二つの精神活動である。すなわち現実を映 すか引き受けるか、あるいは向き合うかはともかく、現実と同じ構図をもつ精神活動であ り、もうひとつは現実を逆に映すか、歯向かうか避けるかはともかく、逆転した構図の精 神活動である。そして両者はそれぞれ照応する形式としての言語態をもとめる。
こうした精神活動の両面的な働きから、おそらく二つの形式が生まれることを予測で きる。事の運びが素朴な道徳の要求に完全に一致する形式と同時に、素朴に不道徳で あると感じられる世界、すなわち悲劇的なものの世界が凝縮された形式、換言すれば 反メルヒェンというものも存在しているのではなかろうか。(邦訳
p. 351)
この反メルヒェン(Antimärchen)は、不道徳で悲劇的と概括してもよい現実世界の正像 であるがゆえに、言語的な形式となっても、別の種類の形式が活動できる種類となる。す なわち藝術形式である。またアンチ・メルヒェンは古くからありはするが、《藝術形式と 出会って、藝術形式においてのみ私たちによく知られている》ことになる。端的に言えば、
短編小説である。それに対して現実世界の逆像の方向へと発展したのが、《単純な形式》
としてのメルヒェンとされる。
メールヒェンの形式は、まさに(現実の正像と逆像の)二重の精神活動が生まれる形式、
悲劇的なものが呈示されると同時に止揚される形式である。……(邦訳
p. 352
カッコは 引用者)具体的には、現実世界の映し繪としての不道徳な世界が呈示され、それが反転する。
正しい出来事に対する私たちの感覚とは矛盾した状況や事件が、好んで選ばれる。
……しかし事件の進行のなかで、絶えずすべてが使用されていき、正しい出来事に対 する私たちの感覚と一致する結末を迎えることになる。いじめ、誤解、罪、過ち、横 暴 ―これらのものがメールヒェンに登場するのは、やがて完全に止揚され、素朴 な道徳によって解決されるためにだけである。(邦訳
p. 352)
この引用文でもすでに言語態に言及されているが、改めてヨレスは《メルヒェンの言語態》
を次のようにまとめている。
メ〜ルヒェンは出来事、素朴な道徳という意味での出来事である。メールヒェンの出 来事は悲劇で開始され、正義の方向へ向かい、悲劇的な妨害に出会うが、ついには倫 理的な結末で終わる。……
この意味で、不正は馬鹿であること、みすぼらしい身なりであることをさす。悲劇 は、一瞬のうちに、ありとあらゆる穀物の混ざった山をくまなく調べて、より分ける こと、終わりのない旅に出ること、怪物と戦うこと、そして正義は、宝物を手に入れ ること、王子様と結婚することである。……これらの言語態は、いつでも同時に、不 道徳である現実を破壊するものによって満たされている。時や場所や登場人物がそう であるように、メールヒェンの言語態は、何らかの形で常に不可思議なものを意味す るのである。(邦訳
p. 356―357)
たしかに、誰もが知る「シンデレラ」や「白雪姫」や「長靴をはいた猫」を見ても明らか なように、メルヒェンの筋は、逆境に始まって正義や正統性の恢復に至る。これは現実で はほとんどあり得ない推移と結末であり、それゆえ不可思議が形式となるという説明は説 得的である。
5. アンドレ・ヨレスの論説への当面のコメント
ここではアンドレ・ヨレスの理論について概括的な理解に必要な限りで抜き出した。基 本概念の言語態の解説を端折りすぎており、また挙げられている口承文藝
9
種類のうち4
種類はまったくふれずにおいた。しかし、これだけでもその理論の大よそは伝わるだろう。他の多くの論者を凌駕していることもうかがえる。それは、ヨレスの論説がやや鈍ると見 えるメルヒェンの理解においてすらそうである。たとえば、カール・ヴィルヘルム・フォ ン・シイドウである。ネオロマンティシズムが猖獗するなかで、時代の逆風を突いてフレ イザー批判を敢行した意義は不滅であるが20)、本人が本来のレパートリーと自認していた メルヒェン研究では、少なくともメルヒェンとは何かという基本的な理解ではヨレスに よって克服されたと言ってよい。シイドウはメルヒェンの特質を想像力が自由にはばたき
(キマイラ的)、それでいて因果性に破綻がないことを重視し、それをアーリア人の生得の 才能と関係づける逸脱を犯した。その限界は、突きつめると、メルヒェンだけを研究対象 とし、口承文藝の全体に網をかけなかったことから来るように思われる。
その角度から見ると、ヨレスの後に続く論者もまた、ヨレスの理論的水準には到達して
20)次の拙論を参照、河野『ドイツ民俗学とナチズム』(創土社 2005)(第二部)第 8
章5
節「スウェーデン学派の導入―マンハルトとフレイザーへの批判」
いない。マックス・リュティもそうである。その論説はメルヒェンの様式的ないしは文体 的な特徴を縷々と書き綴ったのが持ち味であるが、枠組みは、ヨレスがメルヒェンの言語 態として提示したもの以上ではなく、そのエリアのなかで様式特徴を繰り返し話題にした ことになるだろう。また力説してはいないが、《ヨーロッパのメルヒェン》という文化圏 への限定の痕跡がみられる他、メルヒェンを上古にまで遡らせる理解からもリュティは完 全には脱却していない。
またヨレスの理論では、詞章的な言語形式に文藝が忍び込んで活用するようになるメカ ニズムが呈示されたのが大きな意義であった。その後に来るローベルト・ペッチュを越え る知見と言ってもよく、これについては次に取り上げる。
と共に、そこでもふれることになる重要な事項が残っている。先にも触れたが、タイト ルに掲げられた《単純な諸形式》(einfache Formen)という概念である。ヨレスの論説の 実際があってのことだが、それが口承文藝研究の流れの転換点にまでなった衝撃の本質的 な幾分かは、《単純な