離と一時性
著者 加藤 雅啓
雑誌名 大妻女子大学英語教育研究所紀要
巻 3
ページ 123‑142
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00006881/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
英語の丁寧表現における時制と相の選択
-心的距離と一時性-
*加 藤 雅 啓
1.はじめに
英語では一般に現在の動作・出来事や状態を表すには動詞の現在形を用 い,過去の動作・出来事や状態を表すには動詞の過去形を用います。とこ ろが,実際には,(i)現在の事柄を表すのに過去時制を用いたり,(ii)過 去の出来事を表すのに現在時制を用いて表したりすることがあります。
(1) a .Could I leave early today if we aren’ t too busy? (Yule 1998: 93)
b .And today I woke with a splitting headache. (ibid.: 58)
(2) a .Yesterday the landlord tells me my rent’ s going up. (ibid.)
b . Last night Blackie comes in with this huge dead rat in her mouth and drops it right at my feet. (ibid.: 61)
(1a)は,忙しくなければ今日は早退してもよいか,と現在のことを尋ね
ている文です。現在を表す副詞 today を用いているにもかかわらず,主節
の助動詞は could と過去形を用いています。(1b)は,今日は頭が割れそ
うな頭痛で目覚めた,と今日の出来事を過去形 woke で表しています。一
方,(2a)では,家主が家賃の値上げを伝えた文ですが,昨日の事柄にも
かかわらず現在形 tells が用いられています。また,(2b)では,昨晩,
Blackie(猫)が大きなネズミの死骸を口にくわえて入ってきた,という 過去の出来事を述べていますが,現在形 comes が用いられています。
(1) (2)のように,現在の事柄を過去形で表したり,過去の出来事を現 - 在形で表したりするような,一見,時制の原則と矛盾するような事象は,
いわゆる伝統文法や文文法の枠組みでは合理的な説明をすることは困難で す。
また,現在の出来事を現在形ではなく,過去形や進行形で表すことによ り,より丁寧な表現になるということが一般によく知られています。
(3) a .Did you want to see me now? (Quirk, et al. 1985: 188)
b .I wondered if you could help us. (ibid.)
c .I was hoping you would give me some advice. (ibid.: 203)
(3a),(3b),(3c)は,いずれも動詞の過去形,あるいは過去進行形を用 いていますが,過去の事柄を述べているのではなく,現在の心的状態を述 べており,聞き手にとっては現在形を用いた場合より丁寧な表現であると 感じられます。
本稿では, Fleischman(1989), Yule(1998)の心的距離(remoteness),
および Quirk, et al.(1985)の一時性(temporariness)という枠組みを
拠り所にし,英語の丁寧表現における時制と相の選択について,小説,コ
ミック,映画,ドラマ,新聞記事などから実例を取り上げて分析していき
ます
1。さらに過去形,進行形,仮定法を用いることによってなぜ丁寧な
表現となるのかという疑問について「気まずさ回避の方略」を提案し,英
語の丁寧表現に関わる興味深い問題を明らかにしていきます。
2.心的距離(remoteness)
2.1 指示語と心的距離
日本語の指示語は,指示対象と話し手・聞き手との距離関係によって 3 種類に分類されます。話し手に近い指示対象を指すのは「近称」,聞き手 に近い指示対象を指すのは「中称」,話し手・聞き手のどちらからも遠い 指示対象を指すのは「遠称」と呼ばれます。具体的には,それぞれ「こ れ,この」「それ,その」「あれ,あの」などの指示語を用いて指示対象を 区別しています。
これに対して英語の指示代名詞は,原則として指示対象に対する話し手 の相対的な位置関係に応じて,より近ければ this,these を用い,より遠 ければ that,those を用いて表示します。Quirk, et al.(1985: 374)は,英 語の指示代名詞は物理的遠近の位置関係のみならず,心理的な遠近にも関 係すると指摘し,“Another extension of the near / distant polarity is for that to imply dislike or disapproval.”と述べています。that は指示対象に 対して嫌悪感を抱いているか,好ましくない,賛成しないという感情を暗 に示しているとして,次の例を挙げています。
(4) a . Janet is coming. I hope she doesn’ t bring that husband of hers.
b .She’ s awful, that Mabel.
(4a)では,話し手はジャネットの夫を that husband と表すことで嫌悪感 を抱いていることを示唆しています。(4b)でも彼女のことを that Mabel と表すことにより,話し手は Mabel のことを快く思っていないことが伝 わってきます。
さらに,話し手の目の前にあるものを指して that / those を用いること
があります。(5)の会話文は Blondie というコミックで用いられたもので
す。ガレージセールで手に入れたお気に入りの品々が,実は自分たちのガ レージセールで処分したものだった,というのがコミックのオチです。
(5)BLONDIE: Enjoying yourself, honey?
DAGWOOD: Oh boy, am I. I’ ve never been to such a great garage sale. I love every thing I’ ve picked up.
BLONDIE: And well you should. We sold them all those things at our garage sale
BLONDIE の発話にある those は目の前の夫が抱えている品々で,自分た
ちがガレージセールで処分した物品を指しています。このように,目の前 にあっても不都合なものや,遠ざけたいものを指すときは,this / these の代わりに that / those を用いることがあります。これは,物理的遠近で はなく,指示対象に対する発話者の心的距離が指示詞の選択に関係してい るからです。自分たちがガレージセールで処分した物品は,話し手にとっ て不都合なものと映ります。すなわち,これらの物品(ガラクタ)は発話 時点において,心的に「遠い(remote) 」存在として話し手に認識され,
このことが指示代名詞の選択に大きな影響を与えていることが分かりま す。
この心的距離という概念は,英語の指示代名詞のみならず,時制や相の 選択にも密接に関わっています。2.2,2.3,2.4 節では時制の選択と心的距 離の関係について,詳しく見ていくことにします。
2.2 Fleischman(1989)
Fleischman(1989)によれば,人間の言語は基本的に自己中心的であ
り,人はどちらかといえば,自分自身のことや自分に直接関係のあること
について述べる傾向にあります。したがって,文法的に可能な表現が複数
存在する場合,他の条件が同じなら,話し手は自分から近いか遠いかとい
う一定の遠近軸に沿って,より遠い表現より,自分により近い表現を選択
する,と指摘しています(Fleischman 1989: 3-4)。これについて Fleis- chman(1989)は次のように述べています。
The greater the likelihood that a situation will be realized, i.e., the closer to ‘reality’ the speaker perceives it as being, the closer to
‘now’(=present)will be the tense used to represent it;…
(ibid.: 5-6)
これは,ある事態が実現する可能性や見込が高ければ高いほど,その事態 を表示する時制は「現在」に近いものになる,ということです。
(6) a .If I have time, I’ ll write to you.
b .If I had time, I would write to you.
(6)の条件節を見てみると,(6a)は直説法における仮定を表し,「時間が あれば」という蓋然性が比較的高い仮定を述べており,現在時制を用いて います。一方,(6b)は仮定法における仮定を表し,現実とは異なる仮定 です。現実とは距離をおいた蓋然性の低い仮定となっているため,現在の 事象について述べているにもかかわらず,過去時制を用いています。文法 に組み込まれた時制と蓋然性の関係を時間軸に沿って考えてみると,ある 事態の実現性が高まるにつれ,その事態を表す時制は「現在」に近づくと いえます。言い換えれば,ある事態の実現性が低くなるにつれ,その事態 を表示する時制は過去方向に向かう,と Fleischman(1989: 5)は主張し ています。
2.3 Yule(1998)
Yule(1998)は Fleischman(1989)の主張を援用し,時制の選択は,
原則,心的距離(remoteness)と事実性(factuality)によって捉えるこ とができると述べています。心的距離とは,ある事象について,話し手が 発話時点において物理的・心理的に「遠い(remote) 」と認識しているか
「遠くない(non-remote) 」と認識しているかということを表す概念です。
(7) a .Toby eats three burgers every day. (Yule 1998: 58)
b .He ate four burgers yesterday. (ibid.)
c .He will have eaten a thousand burgers by next year. (ibid.)
(7a)では,トビーが毎日 3 個のバーガーを食べるという習慣的行為は,
話し手にとって「遠くない」ことと認識しています。そのため現在時制を 用いて表しています。一方,(7b)では,昨日彼が 4 個のバーガーを食べ たということは,話し手にとってすでに終わっていること,すなわち「遠 い」ことと認識され,過去時制が用いられています。
事実性とは,ある事象について,話し手が発話時点において「事実であ る(factual) 」として認識しているか「事実でない(non-factual) 」とし て認識しているかということを表す概念です。(7a),(7b)はいずれも発 話時点において話し手が事実であると認識しています。しかし,(7c)は 未来の事柄を表しているため,事実でないと認識しています。
すでに見てきたように,現在の事柄を表すのに過去時制を用いたり,過 去の出来事を表すのに現在時制を用いて表したりすることがありますが,
これらは心的距離が関わっていると思われます。
(8) a .Could I leave early today if we aren’ t too busy?(=(1a))
b .Today I woke with a splitting headache.(=(1b))
(9) a .Yesterday the landlord tells me my rent’ s going up.(=(2a))
b . Last night Blackie comes in with this huge dead rat in her mouth and drops it right at my feet.(=(2b))
c . I couldn’ t believe it! Just as we arrived, up comes Ben and slaps me on the back as if we’ re life-long friends. ‘Come on, old pal,’
he says, ‘Let me buy you a drink!’ I’ m telling you, I nearly faint-
ed on the spot. (Quirk et al. 1985: 181)
(8a)は忙しくなければ今日は早退してもよいか,と現在のことを尋ねて
いる文です。現在を表す副詞 today を用いているにもかかわらず,主節の
助動詞は could と過去形を用いています。この could は「~することがで きた」過去の能力,可能,許可を表しているのではなく,現実とは異なる ことを述べる仮定法の could です。ここでは,話し手は早退できる可能性 は低いと考えているのです。すなわち発話時点において早退の可能性は
「遠いこと」と考えているため,過去時制を選択し,仮定法を用いている わけです。(8b)では,今日の出来事にもかかわらず過去形 woke を用い ています。なぜなら,頭が割れそうな頭痛は,発話時点ではおさまってい るため,すでに「遠い」こととして捉えているからです。
(9)の例はいずれも過去の出来事であるにもかかわらず,現在形を用い ています。(9a)では,家賃の値上げは昨日言われたことであっても,話 し手にとって切実な内容であり,心理的に決して「遠くない」ことである ため,現在形が用いられています。(9b)では,昨晩,Blackie(猫)が大 きなネズミの死骸を口にくわえて入ってきた,という過去の出来事を述べ ています。ところが,あまりに生々しい光景であるため,話し手にとって
「遠くない」出来事と映り,現在形 comes が用いられています。(9c)で は,突然ベンがやってきて,長年の知己のように背中をたたいたことに気 絶するくらい驚いたため,話し手は「遠くない」ことと感じ,現在形を用 いています。このことは文中の‘up comes Ben’のように,予想外の内 容を表す文末主語構文が用いられていることからも確認することができま す。
2.4 心的距離と時制の選択
本節では,過去形と現在完了形の意味と機能の違いを心的距離の観点か ら考えてみることにします
2。過去形と現在完了形の意味と機能の相違は,
概略,過去の事象・状況が現在時においてどのような関わりを持つか否
か,という点に集約されます。Comrie(1985: 83f)はこれを‘present rel-
evance of a past situation’と述べ,Quirk et al.(1985: 190)は‘the pres-
ent perfective signifies past time ‘with current relevance’’ と指摘していま す。久野・高見(2013)は英語の過去形と現在完了形の意味を次のように 規定しています。
(10) a . 英語の過去形の意味:英語の過去形は,動詞の表す動作・出 来事や状態が過去において起こったことを表し,それらが現 在に及んでいないことを示す。 (ibid.: 43)
b . 英語の現在完了形の意味:英語の現在完了形は,動詞の表す 動作・出来事や状態が現在までに起こったことを表し,それ らが現在と関係づけられていることを示す。 (ibid.: 47)
現在完了形は過去の経緯をふまえた上で,現在と関係づけて述べる言い方 ですので,発話者にとっての心的距離は「遠くない」ということになりま す。一方,過去形は過去の動作・出来事や状態が現在に及んでいないこと を表すので,心的距離は「遠い」ということになります。現在完了形も過 去形も述べていることは事実であると認識されているので,事実性に関し てはいずれも「事実である」ということになります。この点を踏まえて次 の小説の一節を見てみましょう。
(11) “You’ ve cut off your hair?” asked Jim, laboriously, as if he had not arrived at that patent fact yet, even after the hardest mental labor.
“Cut it off and sold it,” said Della.
(O. Henry, The Gift of the Magi.)
(11)は貧しい夫婦が,それぞれの大切なものを売って相手のためにプレ ゼントを買って帰宅した場面です。妻の美しい髪のために髪飾りを買って きたジムは“You’ ve cut off your hair?”(「髪を切ってしまったの」)と現 在完了形で尋ねます。デラが髪を切ってしまった現実は受け入れがたく,
心的に「遠い」こととして冷静に捉えることができないからです。言い換
えれば,夫にとって妻が髪を切ってしまったことは「遠くない」こととし
て認識され,驚きと残念な気持ちが現在完了形に込められています。この
切実な気持ちは過去形では表現できません。
一方,デラは“Cut it off and sold it.”と過去形を用いて,髪を切った ことはもう「遠い」こととして,自分の心の内では決着済みであり,自慢 の髪に未練はないことをキッパリと伝えています。このように,現在完了 形と過去形を対比的に用いることにより,ことばの上では明示的に現れて いない二人の心情の違いを見事に描き分けていることが分かります。
次の例はテニス選手が引退を表明した新聞記事からの抜粋です。地の文 では過去形を用い,選手の発話は現在完了形を用いて表しています。
(12) After winning four Grand Slam titles and once holding the No. 1 ranking, a sobbing Arantxa Sanchez Vicario retired from tennis Tuesday…
“The time has come for me to think about myself,” she said. “It hasn’t been an easy decision but I believe the moment has ar- rived for me to dedicate my time to my personal life.”
(The Daily Yomiuri, Nov. 14, 2002)
((ようやく)自分自身について考える時が来ました。(引退する ことは)決してたやすい決断ではありませんでした。でも,自分 の時間を自分のために使う,そんな時が(やっと)来たのです。)
(12)はサンチェス選手がテニス界から引退した事実を述べた記事です。
地の文では,新聞記者は過去の 1 コマとして過去形を用いて引退の事実を 客観的に表現しています。一方,本人のことばを述べている引用文では,
現在完了形が用いられています。これは,引退の時期が来たこと,引退の
決断をすることは容易ではなかったこと,そして自分の時間を自分のため
に使う時が来たこと,などの心情は本人にとって「遠くない」ことと感じ
ているからです。過去から現在に至る選手生活を振り返りながら,現在の
心境を語るには現在完了形が最もふさわしいことが分かります。現在形や
過去形ではこのような気持ちを表すことはできません。
次のコミックは職場の士気改善提案書を巡る上司と部下のやりとりが描 かれています。
(13) a . 部下: Boss, have you had time to review my memo for im- proving office morale?
b .上司:I just finished it.
部下は社内士気改善の提案書をボスに提出したこと,さらにそれを上司が 読んでくれたのか,いま現在とても気になっています。すなわち,(13a)
では,部下はこれらの事象を「遠くない」こととして捉えているため,現 在完了形を用いていることが分かります。
一方,上司は 1 コマ目で彼の提案書を読み,2 コマ目でそれを紙飛行機
にして窓から飛ばして捨てています。これらの視覚的情報から,部下の提
案は取るに足らないものであり,心的に「遠い」ことと上司は判断してい
ます。(13b)で過去形を用いることにより,提案書に関わる問題は解決
済みである旨を伝えているわけです。
3.丁寧表現と過去形・進行形
3.1 態度を表す過去形と進行形
次の例は,動詞の過去形を用いていますが,現在形を用いた場合より丁 寧な表現と感じられます
3。
(14) a .Did you want to see me now?(=(3a))
(Quirk, et al. 1985: 188)
b .I wondered if you could help us.(=(3b)) (ibid.)
(14a),(14b)は,意思や心理状況を表す動詞の過去形が用いられていま すが,過去の事柄ではなく,話し手の現在の一時的な心的態度を述べてい ます。Quirk, et al.(ibid.)はこのような過去時制の用法を「態度を表す過 去形(attitudinal past) 」と呼んでいます。
また,意思や態度を表す動詞は進行形を用いるとより丁寧な表現になり ます
4。
(15) a .I’ m hoping to borrow some money. (ibid.: 210)
b .I hope to borrow some money. (ibid.)
(16) a .I was wondering if you could help me. (ibid.)
b .I wonder if you can help me. (ibid.)
進行形が用いられている(15a)は(15b)より丁寧に感じられます。進 行形に加え,態度を表す動詞の過去形を用いた(16a)は,相手にぶしつ けな依頼を和らげることができるため,現在形を用いた(16b)よりさら に丁寧な表現となります。
Quirk, et al(1985)は,(14),(15),(16)の例を挙げて,態度を表す
動詞の過去形や進行形が用いられると,それは現在の事柄を表し,さらに
丁寧な表現になると指摘しています。しかし,その理由については「間接
的になる」と述べているだけです。次節以降では,動詞や助動詞の過去形 や進行形を用いるとなぜ丁寧な表現になるのか,その理由を「心的距離」
と「一時性」に基づいて明らかにすることにします。
3.2 丁寧表現と心的距離
次の例(17a)はテレビドラマで実際に用いられた会話文です。
(17) a . Alicia: Cary. I just wanted to say I’ m sorry.
(ケリー。あなたに一言謝らせて。)
Cary: Sorry you got the job or sorry for what you did to get the job.
(自分が残ったことを,それとも残るためにやったこ とを。) (The Good Wife: Season 1, Episode 22)
b .“I just want to say I’ m sorry.”
(17a)はアメリカのテレビドラマ The Good Wife のなかで,法律事務所で 働く二人の見習弁護士のうち,採用された方(Alicia)が採用されなかっ た方(Cary)にかけたことばです。事務所の廊下で向かい合った状況で の発話にもかかわらず,現在形ではなく過去形で話しかけています。過去 形 wanted を用いた(17a)は,現在形を用いた(17b)に比べて丁寧な 表現となっています。謝罪の気持ちを過去形で表すとなぜ丁寧な表現にな るのでしょうか。一般に,依頼や謝罪表現では過去形を用いると間接的で 遠回しな表現になるので丁寧になる,と言われています。しかし,間接表 現を用いるとなぜ丁寧になるのか明確にされていません。
3.2.1 心的距離と気まずさ回避の方略
時制の選択には,心的距離が密接に関係していると考えられます。謝罪
のことばを発するのは,相手に対する不都合,不愉快な行為・事柄に対し
て,謝罪の気持ちを受け入れて欲しいという欲求・願望があるからです。
2.3 節で述べたように,動詞の現在形 want を用いた場合,話し手は当該 の事象について「遠くない(non-remote) 」ことと認識しています。すな わち,話し手は現在の謝罪の気持ちを聞き手に直接的に伝えることになり ます。これを受けて謝罪された側は,その謝罪を受け入れるか否かを求め られます。いわば Yes / No いずれかの選択を面前で直接的に迫られる心 理状態に置かれることになります。これは程度の差はあれ,謝罪された側 にとって精神的な負担となります。これに関して,(17a)は動詞の過去形 を用いていますので,話し手は当該の事象について「遠い(remote) 」こ とと認識しています。すなわち,話し手は現実から距離を置き,自分の謝 罪の気持ちが受け入れてもらえる可能性は「遠い」,つまり低いかもしれ ないと思って発話しているわけです。これは,同時に相手に対して謝罪受 入の可否を直接的に迫るという押しつけがましさを避けることにつながり ます
5。これによって,動詞の過去形 wanted にこめられた話し手の控え めな願望が伝わり,謝罪された側は謝罪受入の Yes / No を直接的に迫られ ることが弱められるため,(17a)を丁寧な表現と感じると考えられます
6,7。
これらの考察から,丁寧表現には次のような方略が関わっていると考え られます。
(18) 気まずさ回避の方略
8態度を表す動詞の過去形,進行形,仮定法は依頼,願望,要望,
提案などを行う場合,
話し手が断られた際に伴う気まずさを回避し,心的ストレス を軽減する
聞き手が断る際に伴う気まずさを回避し,心的ストレスを軽 減する
依頼,願望,要望,提案や謝罪などの表現で過去形が用いられるのは,話
し手が当該事象について「遠い」こととして認識しているため,断られた
場合の気まずさを回避し,心的ストレスを軽減することができます(18i)。
同時に,聞き手に対して依頼,願望,要望,提案や謝罪などを受け入れる か否かを強く迫らないため,断る際の気まずさを回避し,心的ストレスを 軽減することができます(18ii)。このような場面で過去形を用いると,相 手にとっては,謝罪の申し出を断ったり同意したりできない場合の気まず さが低減されます。同時に話し手にとっても,申し出が断られた場合の気 まずさを回避することができます。このように過去形を用いると双方にと って有利な効果がもたらされる結果,より丁寧な表現となることになりま す。なお,(18)の方略と進行形,仮定法の関わり方については,それぞ
れ 3.2,3.3 で議論することにします。
(19) a . “Hi, Mom. I wanted to make sure you knew that Kiki is leav- ing tonight.”
(お母さん。すでにご存じかもしれませんが,今夜キキが発 つことになりまして。) (『魔女の宅急便』)
b . “Hi, Mom. I want to make sure you know that Kiki is leaving tonight.”
(19a)はアニメ映画『魔女の宅急便』で,父親が自分の母親に電話をし,
娘のキキが魔女の見習い修行に旅立つことを伝える発話です。電話口の向 こうにいる母親に話しているにもかかわらず,wanted と過去形を用いて います。このように相手に確認を行う場合は気をつかわねばなりません。
なぜなら相手は,すでに知っていることをこちらが知らないと思って,重 ねて確認される(want to make sure~)と不快に感じるからです。そこで
「すでにお聞き及びでご承知のこと」と思っているのですが(wanted to
make sure~)」と過去形を使うことで,伝達内容を心理的に「遠い」こ
とと認識し,もし相手がすでに知っていることを重ねて確認した際の不快
感を和らげる,ということが期待できると考えられます。一方,現在形を
用いた(19b)では,このような効果は期待できず,(19a)と比べるとぶ
しつけな感じを伴うことになります。
3.2 丁寧表現と一時性
一般に,進行形を用いるとより丁寧な意味合いを伝えることができると 言われています。次の例を見てみましょう。
(20) a .I’ m hoping to borrow some money.(=(15a))
b .I hope to borrow some money.(=(15b))
(21) a .I was wondering if you could help me.(=(16a))
b .I wonder if you can help me.(=(16b))
主節に進行形を用いている(20a)は,現在形を用いている(20b)とほ ぼ同じ意味を表していますが,より丁寧な表現です。Quirk, et al.(1985:
210)はその理由を進行形の主要な機能である一時性(temporariness),
あるいは暫定性(tentativeness)にあると示唆しています。進行形を用 いることで,現在の願望や依頼が一時的であることを示し,それによって 相手に対して直接的で失礼な態度を弱めることができると述べています。
ここでも(18)の「気まずさ回避の方略」が関わっています。話し手の願 望や依頼が一時的であることから,相手に受け入れられなかった場合の気 まずさを回避し,心的ストレスを低減することができます。また,聞き手 も話し手の願望・依頼が一時的であることから,押しつけがましさをそれ ほど感じないため,否定的な応答をしても心的ストレスが軽くてすみま す。現在形を用いた願望・依頼を表す文(20b)では,このような語用論 的効果は期待できず,3.1 節で述べたように相手に Yes / No を直接的に迫 ることになり,「気まずさ回避の方略」を期待することができないため,
結果として丁寧さが相対的に低くなります。
(21a)は,進行形に加えて過去時制を用いているため,さらに丁寧な表
現となっています。すなわち,進行形によって願望・依頼が一時的なもの
であることを示し,さらに加えて過去形を用いることによって,話し手は
当該の事象について「遠い(remote) 」ことと認識している旨を伝えるこ とができます。すなわち,現実から距離を置き,自分の願望や依頼は受け 入れてもらえる可能性は「遠い」,つまり低いかもしれないと思って発話 しているわけです。このことは,相手に対して願望や依頼を直接的に迫る 押しつけがましさの低減につながり,結果として「気まずさ回避の方略」
により一層丁寧な表現となるわけです。
3.3 丁寧表現と仮定法
依頼や願望あるいは提案などを述べる際に仮定法が用いられることがあ ります。これは直説法を用いるより間接的な表現になり,丁寧さが生じる からであると一般に理解されています。しかし,間接表現を用いるとなぜ 丁寧になるのでしょうか。これについてこれまで原理に則った説明がなさ れているとは思われません。本節では,この問題について心的距離の観点 から分析していくことにします。
(22) a .Could I leave early today if we aren’ t too busy?(=(1a))
b .Can I leave early today if we aren’ t too busy?
(22a)では can の過去形 could が用いられていることから,話し手は早 退できる可能性は「遠い(remote) 」ことと認識しています。すなわち,
話し手は現実から距離を置き,自分の要望が受け入れてもらえる可能性は
「遠い」,つまり早退することは無理かもしれないという想定のもとに発話 しているわけです。これは,相手に対して早退の可否を直接的に迫るとい う押しつけがましさの低減につながります。これにより,相手は早退の申 し出が不都合な場合でも断りやすくなるという「気まずさ回避の方略」の ため,心的ストレスを軽減することができるわけです。このように,
could にこめられた話し手の控えめな要望が伝わり,相手は Yes / No を
直接的に迫られることがなく,断る場合でも心的ストレスが軽減されるた
め,(22a)を丁寧な表現と感じると考えられます。
次の例文は英国文化紹介の啓蒙書 The HOW TO BE BRITISH Collection で用いられたものです。川でおぼれている男性が,河岸を歩いている紳士 に助けを求めている場面での発話です。
(23) a .“HELP!”
b . “Excuse me, Sir. I’ m terribly sorry to bother you, but I wonder if you would mind helping me a moment, as long as it’ s no trouble, of course.”
最初,男性は“HELP!”と叫んだのですが,紳士に無視されたので,より 丁寧な表現である(23b)を用いたら,紳士が河岸に備え付けの浮き輪を 投げてくれた,という話しです。
当初,“HELP!”という発話が無視されたのは,「助けて」という依頼で はあるが形式的には現在時制の命令文を用いたからです。男性にとって は,人がおぼれているときに「助けること」は人として当たり前のこと,
すなわち「遠くない(non-remote)」ことと認識しています。しかし,プ ライドの高い英国紳士にとって命令文による依頼は受け入れがたいことで す。そこで,この男性は命令文をやめ,依頼のことばを述べる前に“Ex- cuse me, Sir. I’ m terribly sorry to bother you,と丁寧な声がけと前置きを 述べ,それから過去時制の would を用いた仮定法過去の文で紳士に救助 を依頼しています。これは現実から距離を置いた仮定の話であって,さら に人助けをするという行為は「遠い(remote)」ことであり,したがって 助けてもらえる可能性は低いと話し手は認識しています。すなわち,もし かしたら人を助けるなんていうことは思いもよらず,とても無理なことと 思いますが,という前提に立っての依頼です。このため,救助を求めた男 性は断られた場合の気まずさを軽減することができ,依頼された紳士も断 る際の気まずさを軽減することができるため,仮定法過去を用いた(23b)
の発話は丁寧な表現となるわけです。
4.まとめ
英語では,一般に,現在の動作・出来事や状態を表すには動詞の現在形 を用い,過去の動作・出来事や状態を表すには動詞の過去形を用いるのが 原則です。しかし,現在の事柄を表すのに過去時制を用いたり,過去の出 来事を表すのに現在時制を用いて表したりすることがあります。このよう な,一見,時制の原則に反している事例の裏側には,時制の選択に関わる 興味深い現象が隠れています。
本稿では,これらの現象を Fleischman(1989),Yule(1998)の心的距 離(remoteness) ,および Quirk, et al.(1985)の一時性(temporariness)
という枠組みを拠り所にし,「遠い(remote) 」こと,「遠くない(non-re-
mote) 」こと,および「一時的」であるか「一時的でない」か,という観
点に立って,過去形,進行形,仮定法を用いることによってなぜ丁寧な表 現となるのか,という疑問を明らかにしました。さらに「気まずさ回避の 方略」を提示し,依頼・願望・要望・提案などを行う際,話し手と聞き手 がどのように気まずさを回避し,心的ストレスを低減させているのか,と いう丁寧表現に関わる興味ある問題について新たな提案を行いました。
注
1. Quirk, et al.(1985: 203, 210)は進行形の基本的意味機能は temporariness(一
時性),あるいはtentativeness(暫定性)であると述べていますが,本稿で
は
temporariness(一時性)に統一して論じていくことにします。
2.
ここで用いた現在完了形は,正しくは現在完了相(present perfect aspect)と表記すべきですが,本稿では,一般に用いられている「現在完了形」とい う語句を用います。
3.
過去形が現在の事柄を表し,丁寧な表現として用いられるのは,want,won-der
などの動詞が話し手・聞き手の要望や意図,あるいは心理状態を表している場合であって,すべての動詞の過去形に当てはまるわけではありません。
4.
正しくは,進行相(progressive aspect)と表記すべきですが,本稿では,一 般に用いられている「進行形」という語句を用います。5. Yule(1998)は押しつけがましさについて,次のように述べています。
Basically, English speakers seem to be sensitive to a politeness rule that says,
‘Don’
t impose.’ When one speaker appears to be imposing upon another, there is a tendency to soften that act of imposition by mentioning willingness
(will orwould) , potential
(can or could), or possibility
(may or might)within an if-
clause.
(ibid.: 140))これは,基本的に英語話者は「人に押しつけてはならない」という丁寧さの 規則に敏感であり,人に何かを押しつけようとする場合には,if節では
will / would,can / could,may / might
など用いて押しつけ感を和らげる傾向に ある,ということを述べたものです。6.
堀田(2014: 107-108)では,聞き手の自由を奪う行為をするときは丁寧な言 い方をすることが必要であり,相手の自由度を保つことが丁寧さにつながる,と述べています。
7. Fleischman(1989: 8-9)は次の例を挙げて,なぜ過去時制を用いると丁寧な
表現になるのか説明しています。(i)I thought / was thinking about asking you to dinner.
(i)は発話者の現在を含む非過去の出来事を述べ,相手を夕食に招待しよう と考えています。発話しながら相手の反応を探り,同意しそうであれば誘い,
難しそうであれば‘but…’
を用い,‘I thought about asking you to dinner, but since I know you’ re on a diet this week, I won’ t.’
(夕食にお誘いしようと思っ ていたのだけど,今週はダイエット中でしょ,だからやめておくわ)と続け ることができます。そうすることで,相手から否定的な応えが返ってきた場 合のショックを和らげることができます。これは,実際に招待するという行 為がなされたわけではないからであると述べています。さらに,過去時制は 話し手が依頼,質問,招待,あるいは予期せぬ訪問などの発話行為から距離 を置くという語用論的機能を果たしていると指摘しています。8.
ポライトネス研究においては,Brown and Levinson(1987)が「フェイス保 持」の立場から,他人によく思われたいという欲求としての「ポジティブフ ェイス」と,他人に行動の自由を邪魔されたくないという欲求としての「ネ ガティブフェイス」を提案し,フェイスを保持するために「フェイスを脅か す度合い」に応じて5
つの「ポライトネスストラテジー」を使用すると述べています。
本稿では,英語の丁寧表現における時制と相の選択に関して,心的距離と 一時性という概念が大きな役割を果たしていることを論じています。この間,
なぜ間接的になると丁寧な表現になるのかという疑問に対して,本稿ではポ ライトネス研究に立ち入ることはせず,語用論の立場から「気まずさ回避の 方略」を提案しました。
* 本稿は,平成
28
年~平成31
年度科学研究費助成事業(学術研究助成基金助 成金(基盤研究(C))(課題番号:16K02759,研究代表者:加藤雅啓))の 援助を受けてなされた研究の一部です。本稿の不備はいうまでもなく著者の みの責任です。なお,本稿で引用しているコミックBLONDIE
の著作権につ いては,Ms. Dianne Erwin, Director of Marketing for the Blondie Comic Strip を通して版元より掲載の許諾を得ています(June 20, 2013)。参考文献
Brown, Penelope and Levinson, Stephen C.
(1987)Politeness: Some Universals in Language Usage: Cambridge: Cambridge University Press.
Comrie, Bernard
(1985)Tense. Cambridge: Cambridge University Press.
Fleischman, Suzanne
(1989)Temporal Distance:
“A Basic Linguistic Metaphor,”Studies in Language 13: 1-50.
堀田秀吾(2014)『なぜ,あの人の頼みは聞いてしまうのか?仕事に使える言語 学』東京:筑摩書房
Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum
(2002)The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: Cambridge University Press.
加藤雅啓(2017)「時制の選択-心的距離と事実性-」高見健一(編)『中島平三 教授退職記念刊行物<不思議>に満ちたことばの世界』pp.470-474. 東京:開 拓社
久野暲・高見健一(2013)『謎解きの英文法 時の表現』東京:くろしお出版