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東京医科大学雑誌

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Academic year: 2021

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(1)

一 387 一

如医大誌 48(4):387〜388,1990

若い人々のために

東京慈恵会医科大学・名誉教授

近  藤     勇

 大学在職中によく学生に伝えた忠告の一つに次の言葉がある.

 「人には生涯の中で己れ自身の意志で決めなければならないことが,二つある.一つは生涯の 伴侶の選択,もう一つは己の生涯に亙る職業の選択である」

 今の若い世代に小生のこの忠告がその侭で通用するかどうか? 少なくとも今の老生には,一 つ目の選択肢について云々することは似つかわしくなかろうし,今の若者も聞く耳を持たぬであ

ろう.

 二つ目の選択肢については,その自由度も情報量も昔とは比較にはならぬ位,豊かになっては いるが,逆にそれが裏目に出て,寧ろある意味では却って今の世代には難しい問題になっている 節も見られる.せめてこの問題に関わる遠い昔の小生の経験の一二を伝えて私の責めを果たし意

い.

 実は小生にしても,学生時代から微生物学への強い志向を持ってはいたが,卒後これを生涯の 道として選ぶまでには少なからぬ迷いの期間があったのが正直の話である.戦前派の我々には,

インターンとか研修の間に自分の志向を吟味する余裕を持ってはいなかった.

 殊に小生の場合は,大学卒業(慈恵医大)の3ケ月前に大量の血を吐いて結核に臥れ,翌年ど うにか追試で大学を終え,郷里の盛岡に帰り,自宅で絶対安静療法の侭,終戦を迎えた.翌春幸 い小康を得た小生が自己紹介の下にまずは研修を目的として訪れたのは,当時,岩手医専の細菌 学教室(田沢芳三郎教授)であった.思えば良くも悪くも今日の小生のあるのは,今は亡き田沢 教授の下で研究の第一歩を踏み出したことを措いては到底考えられない.戦後の虚脱と窮乏の時 代とは云え,今の時代ではとても考えられない自由で,なんの拘束も無い研究生活がそこでは許 されていた.教授からは何のテーマの押し付けも無く,教室のノルマの強制も無かった.毎日怪 しげな発想を細菌学提要と首つきりで自前の実験に載せ,翌朝,祈るようにして艀卵器から結果 を取り出しては一喜一憂する.そんな『牧歌的』な研究生活をスタートに持ち得たことは何にも 代え難い幸せだったと思っている.

 もう一つの小生にとっての大きな幸運は当時の校長に岩手出身の三田定則先生(法医学の泰斗 で日本の血清学の創始者)がおられたことである.今更ながら自分の無鉄砲さに呆れるが,時 折,実験結果の矛盾に出回ったりすると校長室のドアをノックしては先生のアドバイスを頂いた

りした.その間のエピソードは長くなるので割愛するが,そんなことが縁で,当時クルズス的に

(!)

(2)

一 388 一

東京医科大学雑誌 第48巻第4号

進めていた田沢教室での仕事に親書を添え母校の寺田正中教授に提出,学外論文として学位を取 らせて下さったのも三田先生である.教室へ入って4年目と云うのは当時としても異例の速さだ

った.

 唯,これで細菌学が生涯の道として小生の心に定着したわけでは決してない.当時,小生 の心を悩まし続けていたのは,この侭では何時まで経っても単なるアマチュア的な細菌愛好者として 終ってしまうのではないかと云う不安だった.

 そんな不安に駆られてるある日,田沢教授に,この私でもプロの細菌学者として,この先やっ ていける見込みがあるのかどうか忌揮のないご意見をお尋ねした折,そのお答えは,「近藤君,そ れは私の口から云うことは出来ない.君の将来を左右するといけないから」だった.「然し先生 のご意見をお聞き出来ないために私の人生が曲がってしまうことだって有るでしょうから  」

と重ねてお願いしても,そのお答えに変りはなかった.

 一方,三田先生に基礎医学者としての長い研究生涯のなかで,この様な不安はお有りにならな かったか,あるいは嘗って臨床医を心掛けたことは一度もお有りにならなかったのかとお聞きし た折のお答えはもっと厳しい次の様なものだった.

 「そんな事,考えたことも無いよ.だって学問というのはimmer frisch, immer neu!だから ね.近藤君」

 この二人の恩師からの言葉で小生の不安と悩みが前にも増して大きく揺れ動いたのは云うまで

もない.

 結局は,あれこれ思いあぐねた末,岩手を去って,上京し,学生の頃からそこにだけは入るま いと考えていた母校の細菌学教室へ丁稚奉公の様にして入局,細菌学の いろは から叩き直し てもらうことで再出発する以外にその不安を封じ込める道はなく,そのめまぐるしい日々に追わ れている中にどうやら小生の細菌学者への道が定着した.  というのが事の顛末である.

 恩師二人のあの時の冷たい「突き放し」には不安のどん底からの自立を促す逆説的な言葉の深 さが含まれていたのである.

(2)

参照

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