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資 本 輸 出 論 に 関 す る 覚 書   ( そ の 一 )

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(1)

資 本 輸 出 論 に 関 す る 覚 書  

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資本輸出論に関する覚書︵その一︶       四七

(2)

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く進む︒コンビナート・カルテル・トラストが形成され︑帝国主義的角逐の期に入るのである︒資本の輸出はこの期

( 2 )  

に入って飛躍的に増加する︒かくて︑﹁自由競争が完全に支配していた古い資本主義にとっては︑商品の輸出が典型

( 3 )  

的であった︒だが︑独占が支配している最新の資本主義にとっては︑資本の輸出が典型的となった﹂といわれ︑資本

の輸出が帝国主義段階の基本的経済的特徴の一つとしてあげられることになるのだが︑そのばあい︑それが単に資本

輸出の量的増大のみに関与するものではなく︑資本主義の構造的変化│それは一面では資本主義の新たな飛躍的発展

として現象するlの本質の典型的表現の一つであるという点に力点が置かれているとみるべきことが重要であろう︒

( 4 )  

われわれは先にとの乙とを︑独占の原理の世界的浸透という観点から︑経済ブロック化との関連で把えたが︑資本輸

出の問題を正面から把えようとするなら︑資本制生産の矛盾の展開に沿って︑資本輸出の原因・作用及び形態とその

機構を明らかにするのでなければならない︒貨幣信用論の立場からするとき︑このことは資本制生産の矛盾の累積過

程の一定の発展段階において︑照応しつつ展開する金融機構・制度上︑海外投資がいかにして発生しまたいかなる意

義をもったかを明らかにする︑という乙とであろう︒

乙乙では以上のことを想念におきつつも︑その手がかりをJ

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ホブソンにもとめようとするにすぎない︒また

ホプソンについても︑その全体系にわたって検討するつもりはない︒ホブソンの資本輸出論の構造をとくに過剰資本

の形成の論理を中心としてあきらかにし︑そのなかでわれわれの問題への接近の手がかりをえたい︑というのが小論

のき︑やかな目標である︒過少消費論とそれに奇妙にも併存している販路説的見解より産業組織論︑労働組合論など

多岐にわたるホブソンの体系については︑乙乙ではたち入った分析はおこなわれない︒

(2)  (1) 

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0年代初期一時後退︑そして九︒年代末より本格化ずる︒なお乙の点については︑当・者.河

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﹁帝国主義論﹂レ1

(4)  (3) 

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拙稿︑前掲論文ロ

ωホブソンの資本輸出論の特徴は︑資本の輸出u海外投資が帝国主義の経済的根祇要因の一つとされていること︑

つまり帝国主義との関連でのべられているととである︒

﹁帝国主義のはるかに重要な経済的要因は︑投資に関連した勢力である︒資本の世界主義の増大は今世代の最も大

きな経済的変化である︒あらゆる先進的工業国はその資本のより大なる部分を自国の領域外に︑すなわち︑外固また

は植民地に投下し︑乙れを源泉として増加する所得を引きにす傾向をもっている︒﹂(回目匂

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(1)

﹁アメリカ帝国主義は︑国内に用途を見出しえず︑商品と投資のための外国市場を必要とする資本主義の突然の進歩

の経済的圧迫の自然的所産である︒﹂

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乙乙で若干附記すべき乙とがある︒ホプソンが資太・輸出l彼にあってはもっぱら海外投資ーをその原因にまでさかのぼって取

nL 扱っているのは︑一九Q一年に初版が出た﹁帝国主義弘踊﹂においてのみであると思われる乙と︒もっともバ投資の経済的説眠︺(

向 ︒

一九二年)は参照する機会を得なかったのでその内容が不明ではあるが︒また﹁近代資本主義の展開汁(初版一入九四年)の

一九二六年新改定版の補章﹃二O世紀の産業﹄のなかで﹃資本の輸出﹄なる節を設けてあるが︑そ乙では二O世紀に入って以来︑第

資本輸出論に関する覚書(そのご

(4)

一次大戦前後の海外技資の量的地理的分布の変化を記述してあるにすぎない︒そこで︑ホプソンにあっては資本輸出をそれ自体

として取扱ったことがなく︑たまたま帝国主義を論じた際に触れたにす.きないし︑それ故にこれを資本輸出論として論ずる価値

がないとの議論も生じうる︒しかしむしろ問題は資本輸出が帝国主義と密接なつながりをもつものである点にある︒乙の観点か

らすれば︑帝国主義論のなかでの資本輸出への関説乙そ︑資本輸出を論ずる場合の出発点として︑また到達点として取りあげる

にふさわしいものだといえよう︒また右のあとの方の引用文について特殊具体的アメリカ帝国主義との関連で資本輸出がとりあ

げられているが︑注意すべきはそれが単に特定のアメリカ帝国主義についての論述にとどまらず︑世界的傾向として取扱われて

いる乙とで︑ホプソンもすぐ次のバラグラフで︑﹁同様の必要がヨーロッパ諸国にも存在し︑そして一般に認められているよう

に︑政府を同じ道に追いやっている﹂

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戸百)とのベている︒たYしその際問題となるのは︑政府の特殊政策との関連

でのみ資本輸出を取扱う乙とに終るなら︑乙れを固有の資本輸出論というわけには行かない乙とであり︑資本主義の一定の発展

段階に極めて特徴的に現われる現象として資本輸出を措定し︑分析する乙とを重要な論点とするのが筆者の立場である乙とを乙

とわっておきたい︒ともあれ海外投資の著しい拡大という現実を目前にして︑ホプソンが資本輸出を論じている乙とがホプソン

を研究対象として選んだ理由の一つでもある︒

ところで︑帝国主義を支える要因としてはこの他︑諸々の帝国主義政策の軍事的官僚的直接の利益者の存在及びそ の間接的経済的利益者の発生があげられるが(巳

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国主義政策の利益者であって︑乙の経済的根底要因としては資本輸出の他に外国貿易があげられている︒これは︑先 の引用文中にも商品の輸出市場の獲得として海外投資と併せて指摘されている︒また別に引用すると︑﹁各国がつぎ つぎと機械経済に入り︑進んピ産業方法を採るにつれて︑その製造業者︑商人︑金融業者にとって彼らの経済資源を 有利に処分することが益々困難となり︑彼らは次第に政府を利用して彼らの特殊利益のために多少遠隔の未開発国を 併合及び保護により確保する誘惑にかられる︒﹂

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とも云っている︒乙乙では主体としての製造業者︑

(5)

商人︑金融業者の利益がのべられているが︑要するに貿易及び投資市場の確保を促進するものが帝国主義の経済的根

底要因と考えられているのである︒

国貿易である︒それはある意味で本来自然のものではなく︑ J

︑ ︑ ﹀ ︑

今トムHNここで触れられた帝国主義の経済的要因としての海外投資とならんでの外国貿易は︑実は括弧つきの外

グゆがめられた4外国貿易であった︒

﹁帝国主義論﹂の第一篇第二章﹃帝国主義の商業的価値﹄のなかで一国の産業上の進歩にとっての外国貿易の重要

性について触れるさいのホブソンは︑経済発展の自然の流れのなかで必然的に発生する外国貿易の必要性を前提にし

て︑それ以外に現実に生じている外国貿易は圏内市場向けの生産と相互転換しうるものとしているように思われる︒

自然的社会的環境の国際的相違に基いて︑有無相通ずるという類いの国際交流︑自然的国際分業に基いた外国貿易が︑

そのさいホブソンの前提であり︑また外国貿易の唯一本来の必要性である︒すなわち︑﹁海外に市場を見出すの必要

は︑多くの職業において︑随分と逼迫しているとはいえ︑決して本来の経済的必要に基くものではない︒制限されて

いる自然の資源︑及び産業上の技術の実状によって強制される諸々の制限を除けば︑イギリス国内で生産され︑交換

され︑消費され得る富の分量には︑事も自然的制限が存しないのである︒﹂と述べ︑乙乙に註記して︑﹁かかる大なる

重要さを外国貿易に与えている自然的必要以外の必要に関しては︑第六章参照︒﹂という︒

この註記にあたるのが︑帝国主義の経済的要因としての外国貿易の必然性であった︒つまり外国貿易発生の論理につ

4いてホブソンは事物自然の展開に沿うものと︑そのゆがめられたものとを区別しているのである可ωでは同様の乙とが資本輸出について考えられないだろうか︒乙乙でわれわれは次のととを注意しておく必要が

ある︒すなわち︑帝国主義の規定について︑ホブソンの場合︑それが国際主義の一形態とされていることである︒そ

して国際主義の展開にはふたつの過程︑形態が考慮されているのである︒ (﹁一版訳﹂四五ページ)

(

)

(6)

彼にあっては︑帝国主義はナショナリズムの史的展開に際し︑その自然的展開をゆがめられたもの︑ないしはそれ

をゆがめるものとされる︒ナショナリズムとは︑国民性│人種・言語・宗教及び経済的連帯の同一性ーにもとずいた

国民的独立または統一の志向と規定することができる︒それが一定の地域を領土として確定し︑結合され︑独立したも

のが国家である︒国家の外側に向つての自然的拡張は︑一方で純粋の植民地の形成︑他方で滴品と思想の自由かっ平︑何等な相互交換という相互扶助に結ぼれた国際交流からなる国際主義をもたらすはずであった︒また十九世紀前半の世

4界史的展開は乙の道をたどる傾向をもっていた︒さらにとの道は人類的なヒューマンな世界主義に通じていたともい

われる︒ナショナリズム←国際主義←世界主義︒乙の動的変化の過程として把えられた自然的国際主義を限害し︑ゆ

QU がめ︑変じたものが帝国主義であった︒ただしそれはゆがめる要因というのではなく︑何らかの要因のゆえにゆがめ

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られた過程の表現と考えられているようにも思われる︒だがいずれにせよ︑消極的な規定にすぎないとは云える︒ωかくて経済的な国際関係の一表現として資本の輸出についても二つの性格のものの存在が予想されうる︒だが

資本輸出にはそれがないと云った方がよさそうである口少くとも﹁帝国主義論﹂のなかではそうした二つの性格をあ

げている箇所は見出せない︒強いてあげることになると︑国家の﹁純粋な﹂植民地への拡大に際して蓄財の移転とい

う形での資本の移転配分が自然的過程にあたるものと解されないこともない︒(註ω参照︒)未開地の開発が文明の

世界化に課せられた使命であるとすれば︑資本輸出は文明伝播の主要な手段となろう

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がこのように言うときの蓄

財移転はたんに資本財または生産財の場所的移転というにすぎないものであって︑決して資本の輸出︑あるいはまた

海外投資と規定しうるものではない︒なぜなら︑資本が資本たる所︑以は利殖に乙そあるからである︒価値を生むべきω 価値の輸出が資本の輸出に他ならない︒資本規定を欠いては﹁資本﹂の輸出は成立しえない︒どからホブソンは外国

貿易の場合と違って︑資本輸出の自然の過程なるものの存在を明記することがなかった︒本質的にも現象的にも価値

(7)

増殖を使命とする資本の輸出を前にしては︑それも当然のことであった︒もっともこの点をもって資本輸出と外国貿 易の相違として強調しすぎるのも問題であろう︒商品の輸出入も同様利潤を目的とする資本の運動に発生する商品の 流通に他ならないからである︒だが︑資本輸出の特質は価値増殖の過程そのものが形態化されている点にあり︑帝国 主義と資本輸出を結びつけてホブソンが論じえた原因は︑利殖を目的としてのこの一日際然仁る過程にこそあったと いえよう︒しかしそれ以上に決定的な

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とは資本輸出の動因を分析下向し追求した乙とにあった︒この点で﹁帝国主 義論﹂のなかの資本輸出論がとりあげるに値いするものと思うのである︒そして先に触れた外国貿易発生の必要につ いての二つの性格のうち︑ゆがめられた外国貿易の発生要因を︑資本輸出の発生要因と全く共通につかみ︑帝国主義 の経済的根底要因として論じた点がホブソンの資本輸出論の骨子であるといえる︒ではその発生要因は何であったか︒

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・の石沢訳(改浩文庫肢)(以下一版訳と略記)を参照︑もっぱら周︒.

三回包包・を参照した︒そこでは一版にくらべ資料の追加及びかなりの叙述の変更がおこなわれている︒

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・なお本稿では一九五四m

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このような区別は現実には無意味である︒むしろ︑のちに述べるように︑資本制生産にとって外国貿易の展開は︑商品H

資本の論理によってのみ押し進められ︑乙の過程が他面で生産の一層の拡大を促進し︑経済の進歩なるものとして自に映

F D 

資本輸出論に関する覚書(その一) 人口皆無または稀薄な外地への国民と蓄財の一部の移住移転︒そこでは母国の制度と密着した地方自治が確立される︒乙

(8)

(7)  (6) 

のような展開の場合をホプソンは﹁純粋﹂の植民主義といっている︒

﹁ナショナリズムは国際主義に通ずる坦々たる大道である︒﹂

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・また︑﹁前世紀の最も著しい特徴は経済的国際主義の諒張︑すなわち資本︑労働及び商品を全世界

に配布する諸力が増加し︑もって地球上の一般的資源をより十分に開発し︑それらを地球上の住民により有利に配分する

に至った乙とである︒﹂?﹀.問︒

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以外では︑ホプソンに調和論的傾向︑単なる表面的事実の描写の傾向が強いように恩われる︒

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(8) 

﹁一方で︑えせ植民主義︑他方で帝国主義へのナショナリズムの進路を特徴ずけるものは︑その自然の堤防をあふれだし

反抗的かつ非同化的諸国民の住む遠近の領土を既収しようという意図によってのこの本来のナショナリズムの卑俗化であ

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(9) 

資本制生産の発展は一方で商品の生産と流通の高度の展開を促し︑歴史的には民族性と自然を前提にしつつ︑一定の再生

産領域H国民経済を形成し︑さらに外国貿易←世界市場の展開をもたらす︒同じ過程は他面では再生産の機能構造の一定

の段階への発展の過程に他ならずそ乙に必然的に帝国主義諸国家の角逐を生みだす︒帝国主義規定は乙のような観点から

(なお世界市場への展開過程については︑拙稿﹁現代世界経済論の一側面﹂九州大

01

一二頁参照︒)資本制商品生産の錯倒に支えられた世界史の展開をホプソンは見落してい

る ︒

U ホプソン自身は﹁主義﹂を限定定義することは無益だと言う︒たしかに具体的歴史的事象を限定定義する乙とは危険で

ある︒だが問題は具体的事象のつかみ方にある︒﹁主義﹂を歴史の自然的展開に対する特殊要因による阻害としてとらえ

る仕方を﹁消極的規定﹂としたのである︒特殊要因自体歴史展開の産物である筈であるから︒

先の註問﹁宮の科学﹂よりの引用文︑及び﹁展開﹂の補章中︑経済的国際主義が二O世紀初頭貿易の拡大を強めたことそ

(9)

﹁しかし︑近代的経済的国際主義のもっとも明白な姿は政治的領域閣の通常の商業の増大ではなく︑外国

に対する資本の投下の増大であるごとして︑海外授資の量的増大と地理的分布の拡がり及び投資対象の変化につき記述し

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では︑帝国主義と全く無関連に資本輸出がのべられている︒だが乙の場合注意

すべきは︑そこでは何らの原因追求がなされていない乙とで︑原因分析を欠いては資本輸出論たりえぬし︑単なる資本輸

ヒルフプディング︑岡崎訳﹁金融資本論﹂岩波文庫版(下)の七0

資本輸出←帝国主義という規定はそのご例えばJ

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過剰資本と資本の輸出

過剰生産と資本の過剰

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ゆがめられた外国貿易と資本輸出の原因は生産過剰と余剰資本の生産であった︒ホブソンは言う︒先に引用し

﹁製造工場が過剰であるという意味での過剰生産と国た﹁同様の必要がヨーロッパ社会にも存在し:::﹂に続いて︑

内に健全な投資部面を見出しえない余剰資本とは英国︑ドイツ︑オランダ︑フランスをしてその現在の政治領域の外

へと経済資源の益々大きな部分を投ぜしめている︒﹂

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O)また︑﹁いたると乙ろ過剰な生産諸力︑

投資を求める過剰な資本があらわれている︒国内の生産諸力の増大が消費の増大を越えている乙と︑一定の利潤を得

て売られうる以上に多くの商品が生産されうる乙と︑有利な投資を見出しうる以上に多くの資本が存在することは全

﹁帝国主義の根底をなすのは諸事象のこうした経済状態である︒﹂ての事業家に認められている乙とである︒﹂といい︑

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と述べている︒市場充溢をもたらす生産過剰︑投資口を失った資本の過剰が帝国主義の経済的

資本輸出論に関する覚書(その一)主主

(10)

根拠とされている︒

こうした過剰生産過剰資本を発生させる原因は何か︒第二

にそれが説明できたとしてもただちに外国貿易︑資本輸出に結びつきうるだろうか︒第三に︑それをもって帝国主義

を説明しうるのかということである︒問題の中心は過剰生産過剰資本の発生の論理にあるだろう︒ 以上の限りでは次のような疑問が湧いて来る︒第一に︑

ω市場の充溢と投資口の欠如という現象に日を向けるなら︑われわれは直ちに資本制生産の必須の生活史をなす

恐慌循環の過程に絶えず経過的循環的にそれが出現したという事実に思い到らざるをえない︒ホブソンも次の様に言

﹁乙の運動(帝国主義的拡張運動l引用者︒)の経済的諸根源は︑生産者が生産しうるもののための適当且

つ有利な市場を見いだせない乙とによる周期的な産業不況に曝露されている口﹂

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℃・一コ)もっともここで注

意を要するのはホブソンの見ている産業不況が︑いわゆる大不況期のそれ│乙の時期にも勿論循環と恐慌は存在した

ーであることであるが︑この点はひとまずおこう︒

産業不況にあらわれる過剰生産と過剰資本ゆ生産について︑ホブソンは﹁展開﹂第十一章を﹁機械と産業不況﹂と

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題して︑機械の発達との関連で論及している︒

まず彼は不況現象を︑川卸売物価の下落︑付過剰生産︑付生産力の過剰として把ぇ︑同時に乙れらを因果連鎖の関

係におく︒生産力過剰←過剰生産←物価下落︒(開

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(11)

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生産力の過剰を触発するものは製造業︑交通業における機械の導入とその改良︑つまりは機械制生産の発達に他な

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﹁機械はかくして産業病の十分な原因としてあらわれるこ

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どが﹁真の責任は新機械の発明者の肩にあるのでもなく且つまた製造業者の責任でもなく︑消費者にあるo

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ここからホブソンの過少消費H過剰貯蓄論が始まる︒生産されたものは消費と貯蓄に︑現在の消費と未

来の消費に分割される︒しかも消費と貯蓄には一定の比例関係が要請される︒比例関係が破れると︑例えば過剰な銀

行貯蓄は社会的にみて財の売れのこりを生じ︑結局一方に過剰生産力と過少生産︑他方に貯蓄の空文化が生ずる︒そ

の経過は次の通りである︒

生産財の生産つまり迂回生産の拡張H投資に見合わぎるを得ない

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∞印)︒さもなくば︑すなわち投資に向うことがなければ︑単なる︑主同出匂

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貯蓄︑つまりは貨幣資本のプレトラに終らざるをえない︒l過剰貯蓄の第一契機︒また一方︑投資量と消費量につい

Aても比例関係が必要で︑それが破れると︑迂回生産は最終的には消費拡張を前提する

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生産資本!といってもここでは貨幣資本の体化したものとしての機械︑

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の過剰となってあらわれる︒過剰貯蓄の第二契機︒

現在消費しえない性質の財︑

原料等が考えられているにすぎいが

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ところでこの貯蓄と投資︑資本量と消費量の社会的にみての一致と比例の関係は︑行為の主体が個人であるために

資本輸出論に関する賞書(そのご

(12)

常に事後的にのみ実現するものであって︑経過において個入の利益と社会の利益の衝突が︑機械生産の発達に触発さ

れてお乙り︑過少消費H過剰貯蓄←過剰生産←不況に現出すると言うのである︒

﹁機械はそれが個人の利益と社会の利益の聞の衝突の機会を増加させるが故に︑過少消費または過剰貯蓄の病疾を

強めて来た︒機械工業の競争の活発化と共に他人の古い﹁貯蓄﹂を無効にすることによって彼らの新しい﹁貯蓄﹄を

利用する機会が諸個人にとり絶えず大量に増加する︒また全産業の絶えず増加する部分が機械の支配に陥ち入るにつ

れて︑次第に乙の位置転換が増加しがちになる︒自己の市場を確保せんとする古い機械をもっ弱少企業の斗い︑その

拡大する生産物のために市場を見出そうとしての機械改良の努力は︑よりしばしば商品過多を産みだし続けることに

なろう︒その結果︑生産活動の阻害︑事業の倒産︑大量の労働の突然の失業︑一言にしていえば︑﹃不況﹄病の全て

の徴候が激しさを増してあらわれるであろう︒﹂公

F E ‑ ‑

ω↓印)ω恐慌原因をいわゆる過少消費に求めてはいるにせよホブソンがその過程の説明を機械生産の発展と私企業によ

る競争に求めていることはたしかである︒問題は︑彼が資本制生産の基本的矛盾の展開に沿って論を展開していない

ことにある︒それは彼の資本規定がいたんに抽象的には貨幣資本︑具体的にはその物化したものとしての生産資本と

dいう実体規定を全く無視した点にまボあらわれている︒剰余価値を追求し産みだす価値としての資本という規定にた

って初めて︑私的資本制生産の展開において︑蓄積過程それ自体が矛盾の展開として︑止むに止まれぬ資本の運動過

程として把えられ︑かくして機械制生産の導入は周期的過剰生産恐慌となってその矛盾を曝露せずにはいないことが

明らかとなる︒乙の資本規定の不足故に︑ホブソンにとって︑機械は単に無意志の具として︑再生産の不均衡の外的

偶然的契機として把えられざるをえなかったのであり︑かくて消費力の悪配分︑消費不足に恐慌の直接の原因を求め︑

それを基準としそれに対比せられ過剰生産・過剰投資・資本の過剰が求められるという結果となった︒

(13)

ホプソンの過少消費←恐慌論が単純な過少消費論でないことは凶で示した通りであるが︑といって部門間不均衡の過程を媒介 にしているともいい難いD不均衡は貯蓄と授資︑授資量と消費力という形で論じられていた︒第一の契機は投資と貯蓄の事後的

均衡という乙とで︑現実の貯蓄は新投資に他ならないから︑残るところは貨幣資本の過多の問題で︑乙れが事後的にl

l現実資本の書積と一致せざるを得ないとは必ずしも云えないであろう︒乙こには循環的契機と発展的累積的契機の区別の問

題が潜んでいるように恩われる︒だが︑乙れは後論にゆずるとして︑ホブソンが恐慌の契機として重視するのは第二の契機︑投

資量と消費力の比例関係である︒乙の場合ホプソンが問題にしているのは迂回生産自体に内生する不均衡というよりも生産と消

費︑迂回生産により拡大した生産と︑その外部にある消費力の不釣合という乙とに集約できそうである︒とすれば︑ホプソンの

論理は過少消費説の典型だという乙とになる︒近代産業恐慌の原因を過少消費に求めるととの難点はすでにマルグスによって指

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摘されたところであ引︒だがその原因を過剰生産に求める乙とも過少消費と同義反復にすぎないではないか︒ホプソンの場合は

そうなる︒つまり両者はともに具体的事実現象にす.きないからである︒しかし資本制生産の内的矛盾の展開として資本蓄積の過

程をおさえるとき︑部門閣不均衡に媒介されて生産の過剰が資本の過剰としてあらわれる乙と︑しかも体制的には生産と消費の

4矛盾を基礎的条件とする乙と︑乙の点が重要であろう︒

を注意すべきである︒

の相対的減少という意味で制限されていること︑だから生産の拡大は基底においてそれ自体消費制限を強化しつつ︑

ることを反省する必要がある︒

資本輸出論に関する覚書(その一)

参照

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