地方行政改革と社会教育施設
―北九州市・教育文化事業団を中心として―
猪山勝利*・藤沢加代**
Local Administrative Inovation and Social Educational Facilities
― On Educational Cultural Third Secter in Kitakyusyu City ―
Katsutoshi IYAMA and Kayo FUJISAWA
1.問題の所在と視点(猪山)
本稿の目的は,地方行政改革が社会教育を規定する論理と実態を北九州市の教育文化事 業団を中心に明らかにすることを目的としている。
1980年代冒頭の第2次臨時行政調査会答申を画期として,いわゆる行政改革が本格化し,
国家レベルにおいては,3公社の民営化をはじめ国庫補助金の補助率の低下などの行政施 策が進んでいる。それに連動する地方行政改革も1984年の臨時行政調査会・地方行革推進 小委員会答申を画期とし,1985年の自治省「行政改革大綱」通達を基盤に本格的な行政改 革が進行している。地方行革推進小委員会報告は改革の主対象を,1.定員の合理化,2.
民間委託等事業運営の合理化・効率化,3.会館等公共施設の設置及び管理運営の合理化 など住民サービスに直結する「合理化」方策を強調しており,特に3の公共施設の設置及 び管理運営の合理化対象施設として,社会福祉施設,社会教育施設,コミュニティ施設を 特定し,その設置の抑制や複合化と管理運営の合理化の促進をあげている。さらに,自治 省の通達においても,会館等公共施設の設置及び管理運営の合理化と上記報告と同等の行 政改革対象を設定し,とくに「施設の管理運営については,○○法人に委託する」という 例示さえしており,地方行政改革推進小委員会の論理を現実化する方策を示している。
地方行政改革政策の上記2つの行政方針書は,地方自治体とくに都市の社会教育施設の 設置や運営に大きな転換を与えており,その中でも政令指定10大都市及び特別区の東京23 区において,大幅な制度改革が生起しはじめ,1980年代後半は中小都市や農村地域にも,
その動向が及ぶことが推測される。このような状況において,政令指定都市の中でも最初 に社会教育施設の管理運営の合理化を着手し,その後の全国モデルとされている北九州市 の教育文化事業団を研究することは,現代的地方行政改革と社会教育施設の関係を明らか にするために重要な社会教育研究課題と言える。
ところで,現代の行政改革が社会教育施設に及ぼす影響については,島田修一氏も指摘 するようにω,社会教育行政の基本原理の転換を意味しており,単なる財政合理化に止まら ない。この点に関して,筆者は教育文化事業団が提起された時点で,「地区公民館『教育事
*長崎大学教育学部教育学教室
**北九州市社会教育研究会
20 猪山勝利・藤沢加代
業団委託化』構想の問題性」を提示した(2)。その論稿において,筆者はその構想が「公教育 性否定」構想であり,その内実として,1.公教育機関性の否定,2.公費運営原則の後 退と市民負担の増大,3.運営への住民参加の否定,4.教育専門サービスの低下,5.
教育の自由性の退化,6.教育行政の一般行政への従属化が進行することを指摘した。こ のような問題性が,どのような現実的動向を示しているかを明らかにすることが本稿の課 題であるが,筆者らはさらに制度原理の視点だけではなく,「教育経営」論の視点から地方 行政改革と社会教育の関係性について研究することを企図している(3)。その意味では,本稿
は直接的には制度論的アプローチによる研究であるが,あわせて教育経営論的アプローチ への基底づくりをも企図したものである。
(注)
(1)島田修一「『行政改革』と社会教育」(日本社会教育学会年報,第27集)東洋館出版社,1983年,2 頁〜15頁
(2)猪山勝利「北九州市・市立地区公民館『教育事業団委託化』構想の問題性」(社会協『地方行財政の 危機と社会教育施設』)社会教育推進全国協議会,1976年,165頁〜168頁
(3)猪山勝利,田中弘,富永耕造「社会教育施設経営に関する研究」(長崎大学教育学部,教育実践研究 指導センター年報 No 1)1987年
II.社会教育行財政(猪山)
1.教育文化事業団成立の要因 (1)地方行財政要因
北九州市は,戦後都市政策史上 2つの実験モデル地として注目を 浴びている政令都市である。その 1は,都市化動向の進む1960年代 に世界にも稀な大都市合併をなし たことであり,その意味では現代 の地方制度再編成の先駆的役割を 果したのである。その2は,地方 行政改革の先駆的役割として,
1970年代に入り他の都市には見ら れない大幅な減量経営と行政事業 の下請・委託化政策であった。す でに1971年には保育所の下請の受 皿である福祉事業団を発足させ,
いわゆる現業部門の多様な下請化 とOA化による事務部門の定員削 減化が大都市の中でももっとも進 行しているのである。因みに,第
表1−1 北九州市「委託料動向」(一般会計)〈決算書〉
款 A.昭和42年度 B.昭和58年度 B/A 58年度¥成費
議 会 V29千円 V47千円 1.3 0.0 総 務 64,800 1,413,417 22.8 6.0
民 生 480,767 10,494,565 22.8 41.1
衛 生 113,948 2,037,166 18.8 0.8
清 掃 277,087 3,149,634 11.4 12.3
労 働 6,563 43,451 6.6 0.1
農林水産 7,995 183,270 22.9 0.7
商 工 14,871 73,885 4.9 0.3
土 木 214,719 3,578,592 16.6 14.0
港 湾 5 306,300 一 1.2
建築行政 12,521 1,488,905 118.9 5.8
消 防 4,443 77,433 17.4 0.3
教 育 99,965 2,789,616 27.9 10.9
災害復旧 5,762 53,906 9.4 0.2
諸支出金 0 0 一 一
計 1,304,180 25,543,892 19.6 100
3セクターといわれる公社・協会は,公社7,事業団3,協会3,センター5,協同組合 3の合計21(1984年現在)にも及んでおり,単に一部事業合理化に止まらない「構造的」
行政改革の全面化ωと言われる行財政動向を示している。このことを端的に示すのは,表1
−1に示されているような財政における委託料の増加である。表1−1が示すように,一 般会計における委託料の伸びは,昭和42年度から昭和58年度の約15年間におよそ20倍に なっており,その中でも民生,土木,清掃,教育部門において委託化の比率は格段に高い のである。北九州市において,全国に先がけて社会教育施設の委託化が着手されたのは,
基本要因として,市全体の行財政の合理化があることが指摘される。
(2)社会教育要因
教育文化事業団成立の第2要因は,教育要因にある。その要因は大別して2つに分けら れる。その1は,社会教育政策要因である。北九州市は昭和38年の合併以来,現在まで5 次にわたるマスタープランを制定しているが,そのうち公民館を中心とする社会教育施設 の項目は以下のようになっている。
〈北九州市,基本計画(社会教育施設「公民館」計画)部分〉
(1)長期総合計画,基本計画(1966年〜1970年)
本市の社会教育は,地域に密着する社会教育活動の推進をめざすもので,公民館の機能 を重視する。とくに,公立公民館についてはコミュニティ計画に対応し,社会計画でしめ されているような地域組織計画の線にそって,地域住民の自主活動を助成する体制が全市 的に確立されねばならない。当面,各中学校区ごとに,1館を設置して,八幡区の水準に までひきあげるとともに,各区ごとに中央公民館を充実し,公民館活動の指導を円滑なら しめる必要がある。この場合,公民館には,館長,主事,その他必要な専任職員の確保が 十分考慮されなけれぼならない。つぎに類似公民館については,その日常的な活動を保障 するにたるだけの補助が行なわれる必要があり,それぞれの現状におうじた大はばな助成 計画がたてられなくてはならない。この場合,比較的他の社会教育施設の恩恵を受けにく い離島や農村部の公民館については,とくに重点的な配慮が行なわれる必要がある。これ
らは問題の重要性からみて前期中にその大半を実現するための検討が必要である。
(2)長期総合計画,中期計画(1971年〜1975年)
①社会教育センターの建設
婦人,青少年等が多面的に利用でき,社会教育活動の中心的役割を果たす場として婦 人会館,青少年会館等の諸機能をもつ社会教育センターを建設する。
②公民館の整備
地域住民に密着した社会教育活動をすすめるため,地域実態に対応した公民館の適正 配置をはかり,施設設備の整備充実をすすめる。
(3)長期総合計画,新中期計画(1976年〜1980年)
①地域公民館の整備
中学校区に各1館設置することを目標に,計画的に整備する。
なお,整備にあたっては,くつろげるホール,スポーツができる広場,豊かな緑を配 置するとともに,各種講座を充実し,住民が利用しやすいように運営面に工夫をこらし,
コミュニティ(地域社会)における中核的な施設としての充実につとめる。
②市民センターの建設
22 猪山勝利・藤沢加代
小倉南区,八幡西区については,従来の中央公民館機能とあわせ,市民サロン,集会 室などを持つ市民センターを建設する。また,既設の中央公民館の建替えにあたっては,
市民センターとして整備する。
(4)長期総合計画,新,新中期計画(1981年〜1985年)
①地域住民の教育文化活動や交流の場として公民館の整備をはかり,コミュニティ(地 域社会)の中核的施設としての機能充実につとめる。
また,公民館の活動をとおして,住民の地域連帯意識の醸成をはかる。
(5)さわやか北九州プラン(1986年〜1990年)
①多様な学習機会の提供
(ガ 行政,民間団体,民間企業が実施する生涯学習関連事業の実態把握と分析などを行 い,生涯学習の理念と制度のあり方について研究するため,生涯学習研究委員会を設 置する。
α)情報社会に適応した学習条件づくりと市民の主体的な学習活動を促進して学習社会 の風土づくりを進めるため,既存の施設を活用して生涯学習情報センター(仮称)の 設置を検討する。
②コミュニティ活動の場の整備
Oり活動の拠点となる地域公民館の建設を進めるほか,施設の複合化や周辺環境の整備,
施設相互の関連システム化を図るとともに,公民館をコミュニティの中核施設として 位置づけ,市民の有効利用を促進する。
α)身近な地域スポーツの場などとして学校施設を開放し,コミュニティ広場としての 機能をもたせる。
マスタープランに見られるように,北九州市は合併後初期は旧八幡市(現八幡東,西区)
の都市型公民館を基準に社会教育施設計画を設定していたのである。しかし,国の社会教 育政策が生涯教育政策を導入しはじめる1970年代後半に入って,市も生涯教育政策をスト レートに受容し,直営の全市,区単位の大型社会教育施設主体の施設構造をとる政策動向 を示し,社会教育施設の基幹と言われる校区単位の地域公民館は委託方式のものに転化す る政策をとりつつある。しかも,今次の「さわやかプラン」においては,地域公民館はい わゆるコミュニティ施設として再編成する政策動向をとっているのである。
第2は,社会教育施設要因である。一般に政令指定都市では,全市単位,区単位の大型 社会教育施設主導の社会教育施設構造になっている。しかし,広島市,北九州市,福岡市 の西日本地区では,基幹的な校区単位の地域公民館を戦後一貫して設置してきている。し かし,上記政策要因とも関連して,校区単位の社会教育施設は「コミュニティ」施設とし て再編成し,その運営も下請方式をとる傾向を示している。その鳴矢となったのが,北九 州市であり,専門職員配置の弱体な要因とも重なって,今回の教育文化事業団運営方式に なったと言える。つまり,行政改革は単にストレートに社会教育施設の行革に結びつくの ではなく,教育政策や社会教育施設の内在的要因と結合することによって現実化するので あり,そのもっとも典型的な例が北九州市の教育文化事業団の成立であったと言える。
2.教育文化事業団の性格
北九州市教育文化事業団は,1976年4月に公益法人として発足したのであるが,設置目
的は,「北九州市の委託を受け市の設置する体育施設,文化施設の管理及び運営等を行い,
もって市の体育,文化の振興等に寄与すること」であるが,設立の趣旨はつぎのような点 にあった。その1は,経済効果であり,市の高齢退職者の再雇用による市の人件費の削減
と社会教育施設における人件費の低下である。つまり,財政合理化こそ教育文化事業団の 真の設立目的であったと言える。その2は,事業団概要によれぽ市民サービスの向上を図
るということであるが,IIIで分析するように市民サービスは実際には低下している。
委託された館のうち,公民館を除く市民センター,文化会館,体育施設,婦人会館にお いては,施設の「管理」のみならず事業「運営」を行なっているが,公民館に関してだけ は,形式的には施設管理にとどまることを発足時の市民の社会教育運動による要請によっ て規定している。しかし,実態的には事業企画レベルでは「出向」の市職員が担当するが,
現実の事業運営においては事業団職員も担当する運営がなされており,実質的には「運営」
にも事業団がタッチしていると言えよう。この点において,事業団設立時の目的規定に照 らして公民館運営の実態は,明らかに社会的約定に違反するものとなっている。
このような目的,運用から見るかぎり,当初から第3セクターとして発足した名古屋市 の文化,スポーツ振興事業団(2)とは異なると性格づけられていた北九州市の教育文化事業 団も実質的には社会教育における「第3セクター」としての基本性格をもったものである
と言えよう。なお,そのことを端的に示すように,発足時の1976年の事業団寄附行為では,
「公民館の用に供する施設,設備の警備及び清掃」となっていた条項は,1979年には,「公 民館の施設管理」と改定されたのである。
3.教育文化事業団と社会教育財政
2.で述べたように,事業団発足の根本的目的は財政合理化にあったのであるが,以下 財政と事業団の関連を考察する。
表1−2は,教育文化事業団の総予算及び公民館であるが,表が示すように発足時4億 7千万強であった予算は昭和59年度においては,約15億のおよそ4倍になっている。表1
−3に見られるように,発足前年の昭和51年度と昭和59年度の教育費総額の対比が1.4倍で あるのに比して,いかに大幅な伸び率を示しているかがわかる。
表1−2 教育文化事業団の総予算・公民館費 (単位:千円)
年度 S.51 S.52 S.53 S.54 S.55 S.56
事業団総予算 474,762 694,170 864,798 948,071 1,026,053 1,248,213 公民館予 算 29,416 42,079 71,000 75,735 95,993 110,460
公民館使用料(決算) 96 622 1,232 1,499 1,486 2,312
委託公民館数 3 10 13 一14 19 23
年度 S.57 S.58 S.59
事業団総予算 1,340,176 1,447,479 1,489,478
公民館予算 119,640 137,634 136,836
注(1)市民センター内の中央公民館は
@除く。
i2>S59年度は使途別使用料の区分
@が明記されていない。
公民館使用料 3,962 5,693 一
委託公民館数 27 32 33
24猪山勝利・藤沢加代
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さらに,表1−4の社会 教育費における委託料の割 合を見れば,昭和60年度に おいて,社会教育費46.9%,
文化振興費43.4%,保健体 育費72.0%となっており,
北九州市の社会教育財政は 事業団主体の財政構造を示 しはじめていると言えよう。
このことは,一般会計の伸 び率が昭和50年と昭和59年 では1.9倍であるのに対し,
社会教育費の伸び率がほぼ 同額となっていることが端 的に示すように,北九州市 の教育文化事業団は行財政 改革の中でも,とくに財政 合理化の機能を果している
と言える。その点において,
II−2で述べたように実態 的にも経済的効果こそ事業 団発足の性格であったと言
えよう。
表1−4 社会教育費における委託料の割合
社会教育関係費 割 合
項 目 S.50 S.55 S.60
○社会教育費 5.4 28.6 46.9
社会教育総務費 4.4 77.6 86.4 青少年対策費 48.9 38.2 10.2 公 民 館 費 2.6 20.2 28.6 児童文化施設費 20.9 26.9 16.3 青少年の家費 1.3 4.7 25.6
○文化振興費 28.1 35.9 43.4
文化振興総務費 44.0 58.2 70.4 図 書 館 費 12.3 17.0 20.1 美 術 館 費 22.4 19.9 15.6 博 物 館 費 5.4 12.3 31.3 視聴覚センター費 1.8 16.2 30.0
文化会館費 11.1 64.2 69.5
○保健体育費 21.9 36.4 72.0
保健体育総務費 6.5 13.5 6.0
体育施設費 25.7 39.7 74.2
(注)
(1)榊原健二「北九州市における減量経営と下請・民営化の変遷と現状分析」第14回地域・自治体問題 全国研究大会発表資料集,1984年
(2>社全協愛知支部「社会教育再編成と振興事業団問題」社会教育推進全国協議会,1983年
III.公民館経営(藤沢)
1.住民参加
公民館経営における住民参加の制度的保障は社会教育法に規定されている公民館運営審 議会である。社会教育法第29条に「公民館に公民館運営審議会を置く。但し,二以上の公 民館を設置する市町村においては,条例の定めるところにより,当該二以上の公民館につ いて一の公民館運営審議会を置くことができる」と定められているのを根拠とする。「二以 上の公民館について一の公民館運営審議会」という条文により,北九州市は1987年現在71 の公民館を持っているが,公民館運営審議会は全市に一つしか置かれていない。
北九州市は周知の通り1963年(昭和38年)5市が合併して生まれた。合併直後に政令指 定都市となり,旧5市はそのまま5つの行政区に移行した。1964年に公民館運営審議会は
26 猪山勝利・藤沢加代
各区に置かれたが,1968年に全市一本化されることとなった。公民館運営審議会の役割は 社会教育法馬29条第2項に「公民館運営審議会は館長の諮問に応じ,公民館における各種 の事業の企画実施につき調査審議するものとする」と規定されている。しかし,71の公民 館に対しひとつの公民館運営審議会では,ここに規定された「各種の事業の企画実施につ
き調査審議する」ことなど到底不可能である。
北九州市はその成り立ち上,行政区によって公民館の成り立ちも大きく異なり,現在は 7区に増えた行政区がそれぞれ旧5市の特徴を今だ保持している。行政区の個性を生かし た公民館の経営を考えるならば,全市に一つの公民館運営審議会では明らかに無理がある。
当然一般的な問題の審議しかできない。それは記録に残された公民館運営審議会の審議内 容にも当然現われている。1964年に公民館運営審議会が設置されて以来の主な答申・建議
を表1に掲げた。
表II−1 公民館運営審議会の答申・建議一覧(1)
1970年7月答申 1972年7月答申 1972年7月建議 1973年12月答申 1976年7月答申 1985年3月答申
「社会の変化に即応した公民館事業のあり方」
「北九州市における公民館講座のあり方について」
「公民館の振興対策について」
「公民館運営委員会のあり方について」
「社会教育関係団体またはこれに準ずる団体サークルと公民館の かかわり方について」
「北九州市における公民館運営のあり方について一公民館の活性 化をめざして一」
これを見ると,公民館運営審議会が全市に一本化されて以来,1978年7月の答申までは ほぼ1〜3年ごとに答申あるいは建議が出されているが,その後1985年答申まで実に9年 間の空白が見られる。一体この空白は何を意味するのであろうか。
1976年というのは北九州市教育文化事業団の発足した年である。この答申の一覧には教 育文化事業団の設置に関する答申はない。諮問がなされなかったと言うことである。教育 文化事業団の設置は北九州市の公民館,社会教育の根幹に関わる重大問題だったはずであ る。それが諮問されなかった。そればかりか市当局から事前に知らされることもなかった のである。公民館運営審議会は完全に無視されたのである。もちろん反対を恐れてのこと であるが,公民館運営審議会は市当局からはその程度にしか重きを置かれていないという ことでもあった。住民参加とは名ばかりである。市民・社会教育関係職員を巻き込んで教 育文化事業団反対運動が起こった時,公民館運営審議会委員のメンバーの数名が反対の立 場に立ったのも当然と言えよう(2)。
しかし公民館運営審議会が無視されたのは教育文化事業団発足の時ぽかりではなかった。
その後,北九州市の公民館にとって再びその根幹に関わる変化が見られたのは1985年の南 小倉公民館の開館である。南小倉公民館は別名「小熊野コミュニティセンター」と言う。
公民館のコミュニティセンター化という公民館の存在を揺るがす大きな問題であったにも かかわらず,このときも公民館運営審議会はこの問題について諮問されることはなかった。
同じ時期に諮問されたのは「公民館運営のあり方」「公民館の活性化」という一般的な問題
であった。
1976年の教育文化事業団発足以後,新築,改築の公民館はすべて教育文化事業団管理と なるのが通例となっているのであるが,南小倉公民館は新築館であるにもかかわらず新し い実験館として市の直営館となった。新しい試みは,別名のコミュニティセンターの名が 示す通り,これまでの公民館にはない新しい形の運営形態を持たせているところにある。
即ち,館長,事務吏員の他に地域住民による管理ボランティア制度を持つ。現在33人のボ ランティア達が職員の勤務と同様に朝昼夜の3交替で2名ずつ公民館(コミュニティセン ター)に詰めている。臨時職員2人分の手当てが委託費として支払われている。仕事の内 容は管理補助となっている。ボランティアには主婦や高齢者が多い。
コミュニティセンターとしての管理主体は21名から成るコミュニティ委員会という組織 を別に持つ。これは従来の公民館が持つ公民館運営委員会とは全く異なる組織である。公 民館運営委員会は中央公民館を除いて,ほとんどの地域公民館で「館長の諮問機関」「館長 の協力組織」として作られているが,館長の要請に応じて召集されるだけである。一年号 一回しか開かれないなどというところも珍しくはない。コミュニティ委員会は確かに形だ
け見れば住民参加と言うことでは一歩踏み込んだと言えよう。
しかしどこまでが公民館なのかコミュニティセンターなのか,その判断も難しい。管理 ボランティア制度も臨時のパート職員とどう違うのか。彼らは利用者に対してどのような 態度で接するのであろうか。調理室の使用後の点検は大変厳しく言われるとは利用者の声 である。
この小熊野地区には強力なリーダーが存在しているという特殊な状況を考えて,この方 式が他の地域に普及していくとは単純には考えにくいが,公民館の新しい在り方として市 当局が注目していることは確かである。
一方,公民館運営委員会も近年新たな変化を見せてきている。それは自治省事務次官通 知「コミュニティ(近隣社会)に関する対策要綱」に始まるコミュニティ政策の流れに沿っ て,北九州市にも「北九州市コミュニティ研究会」が発足,昭和57年6月に提出された報 告書の中で,公民館を新たにコミュニティ施設として位置付けなおそうとする方向が出さ
れた。
そして1983年から公民館運営委員会を拠点に教育委員会主導で中学校区を中心に「地域 会議」が組織され始めたのである。もちろん「地域会議」も公民館運営審議会には諮問さ れていない。公民館の役割を地域の中で見直してみようとする試み自体は歓迎すべき事で ある。特に「社会教育の終焉」(3)すら主張され公民館は存亡の危機にある現在,改めて市民 のなかに公民館の存在意義を問うてみることは重要である。青少年の非行防止を第一の目 的とする組織であるが,既存の青少年育成協議会とほぼ同様の組織であり,メンバーも重 複:している場合が多い。「地域会議」はその80パーセント(1985年現在)が事務局を公民館 に置いているのが特徴的である。青少年育成協議会がありながら新たに「地域会議」を組 織しようとする意図は,公民館をその拠点にしょうとする以外見当たらない。公民館をコ ミュニティ政策のなかに取り込み,住民管理のコミュニティ施設の中核として打ち出そう という狙いである。小熊野コミュニティセンターの建設もその意図に沿ったものである事 は,言うまでもない。そこには一定の住民参加の形を取りつつも,新たな住民統制の意図 が見て取れる。
28 猪山勝利・藤沢加代
なぜなら一方で住民参加が無視され,一方で重視されると言うことはあり得ないと思う からである。北九州の公民館や社会教育の根幹に関わる大事な問題が,なぜ住民参加の制 度的保障として位置付けられている公民館運営審議会を素通りするのであろうか。公民館 運営審議会が単なる形式にすぎない存在とされてきたことは以上で充分過ぎるほど明らか である。せっかく提出された建議や答申もどれだけ尊重されているか疑問である。公民館 運営審議会の委員は公選,あるいはその他の手続きを経て住民の側から選ばれて出てきた わけではなく,市教育委員会が選んで委嘱するのであるから,住民参加と言えども一定の 限界を持っていることは確かである。とは言え,建議,答申の内容を検討してみるとこに は現在の北九州市の公民館が持ついくつかの重要な問題点が指摘され,市教育委員会や社 会教育関係者が耳を傾けるべき大事な内容が含まれている。
例えば最近の1985年の答申を見ると,住民参加の問題で言えば,公民館運営審議会自ら の問題については触れていないが,公民館運営委員会については「単なる諮問機関的存在 として機能させるのでなく,実質的な公民館運営組織として機能させる方向が望ましい」
こと,合わせて中央公民館が公民館運営委員会を持たないことについては,何らかの機関 が必要と述べている。また,公民館職員の問題についても,教育文化事業団発足後「地域 公民館の職員として,市職員の高齢退職者の活用がはかられたが,結果的には,公民館職 員が男性中心で,かつ高齢化の現象を示してきている。また,公民館職員に求められる専 門性の点で欠ける面もみられる」(4)としている。その他勤務体制の問題の指摘などもみられ るが,次項職員制度において詳述する。
公民館運営審議会のそうした声に真摯に声を傾けようとする姿勢が教育委員会にあるな らば,北九州市の公民館はもっと変わってよいはずである。公民館利用者の「借りにくい」
「窓口の人が怖い」「子供連れで行きにくい」等の声はもっと減少してよいはずである。
2.職員制度
北九州市の公民館71館のうち地域公民館は64館あり,7行政区がそれぞれ中央公民館を 持っている。旧5市時代の公民館の有り様の違いがそのまま受け継がれ,戸畑区では一小 学校区一公民館があるが,若松区には地域公民館が一館しかないなどの格差は見られるも のの,全市的に見れば,ほぼ一中学校区に一館の数を満たしている。これは旧八幡市の公 民館の設置方式を踏襲したものである。
1976年,人件費の節約を最大の目的に高齢退職職員の受け皿として教育文化事業団が設 置され,公民館,市民会館,市民センター,婦人会館,総合体育館を除く全体育施設の管 理が委託されることになった。
まず教育文化事業団の体制を見ておこう。職員は教育長以下教育委員会からの派遣職員 と教育文化事業団直庸職員からなる。発足3年後に付置された埋蔵文化財調査室職員を除 いて,直庸職員は高齢退職職員である。勤務年数は2〜3年である。高齢退職職員は係長 以上の管理職,消防局退職職員が多く,これまでに女性の例は無い。
教育文化事業団の発足以後新築あるいは改築された公民館は,前述の南小倉公民館を除 いて全て教育文化事業団管理となっており,既に過半数の39公民館を数える。稀には改築 されないまま旧市時代からの特別採用職員である警備員や管理人の退職により管理が事業 団に移行した例が見られる。
新築館,改築館ともにほぼ700㎡を基準としているため,立地条件によって多少の不足や 問題はあるものの,建物については利用者の不満は余り聞かれない。設備備品等について はまだまだ要求がある。ピアノはあっても調律が怠っているため弾けない,映写機を使用 するには電気のアンペア数が不足している,ビデオを使いたくてもビデオデッキがないな ど,館によっても格差がある。
しかし最大の問題は職員体制である。利用者が公民館を気持ちよく利用できるかできな いかは職員にかかっていると言っても過言ではない。公民館での教育,学習活動が活発に 行われるかどうかは職員の問題が大きいと言える。
北九州市の公民館職員制度の実態は非常に複雑である。市の直営館と教育文化事業団の 管理下にある館(以下事業団館と呼ぶ)が並存しているため,基本的に二つの方式が存在 する。加えて,旧5市時代の職員体制が事業団館になっても受け継がれている事で一層複 雑さを増している。
市の直営館(以下直営館と呼ぶ)は教育文化事業団発足以前の開館で改築されていない 公民館がほとんどである。直営館は旧5市時代の職員体制がほとんど残っており,行政区
によって特徴が見られる。
若松区は旧悪時代から類似公民館が充実し,市立の地域公民館は1館しか持たず,現在 もそのまま1館しか持っていない。小倉北区,門司区は旧市時代は農村部に少数の公民館 しか持っていなかったため現在は新築館が多い。それ以外の八幡東区,八幡西区,小倉南 区,戸畑区に古い公民館が多く,改築済みであっても1976年の教育文化事業団発足以前の 改築の場合に,解官の職員体制を残している。八幡東西区では館長,事務吏員,用務員,
警備員という4人体制,小倉南区では館長,事務吏員,用務員という3人体制,そして戸 畑区では館長,用務員,警備員のみ事務吏員のいない3人体制が通常となっている。
一方通常事業団館には職員は4名いる。館長,事務吏員,事業団職員2名である。事務 吏員は市職員が休職して教育文化事業団に派遣されるという形を取る。事業団職員が事業 団直庸の高齢退職職員である。館長は市職員の場合と退職校長や教頭の嘱託の場合がある。
いわゆる公民館主事の役割を果たしているのが事務吏員であるが,北九州市には公民館主 事の規定は一切無い。教育文化事業団に委託するのは建物の管理のみ,事業運営は市職員
を置くと言う教育文化事業団発足時の取り決めによって,こうした職員配置となっている。
それは,不十分ながら公民館が単なる貸し館ではなく教育・学習活動が行われる教育機関 であると言う認識に基づく。
ただし全ての事業団館でこの原則が守られているわけではない。事業団館も一様ではな い。たとえ新築館であっても小規模の館の場合,それを理由に職員数を減らし,また,改 築されて教育文化事業団に管理が移行した後もそれ以前の職員数以上には増やさないとい う措置をとっているため,館長,事業団職員のみの3名に押さえられている館がある。旧 市時代から一小学校区一公民館を配置はしていたものの約500㎡という小規模館が多く専 任職員が置かれていなかった戸畑区,公民館が元来少なく,新築館も小規模館となってい
る門司区に多く見られる。これらの館では事務吏員が置かれていないのである。
旧離時代から比較的公民館の整備が進んでいた区では原則を守っているが,そうでない 区では守らないという行政の姿勢である。従って根本的に北九州市教育委員会が公民館を 教育機関であるとする認識に立っているとは言い難い。
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このような職員制度の違いは当然勤務体制の違いを生む。
まず事業団館と直営館で異なる。事業団館ではABC勤務の 交替制を取る。ABCとは表2に示すような勤務時間の違いで ある。4人体制の場合,昼間は常に最低3人はいるように館長
も含めて平等にローテーションを組む。夜間は1人重なる。館 長がいない時間帯ももちろん生まれる。直営館では午後5時を 過ぎれば,主催事業など特別のことが無い限り,警備員あるい
は管理人だけの1人の体制となっている。
表II−2 ABC勤務時間帯
A8:45〜17:00 B13:35〜22:00
C 8 :45〜12:15
このABC勤務の導入については,超過勤務手 当ての出費を抑えるために考えられた方策だと指摘する向きもある。こうした勤務体制の 違いについて,公民館運営審議会の1985年の答申は次のように指摘している。
「教育委員会管理の公民館と教育文化事業団管理の公民館によって,職員の勤務体制が異 なり,市民になじみにくい面がある。」また,事業団館は,「施設管理重視の傾向が強く,
日中,館長不在の時間帯もあり,学習相談などへの対応にやや欠ける面が見られる。」さら に,事業団館は「職員の年齢構成が高く,青少年の活動促進などの意味からも,職員配置 についてなんらかの配慮が必要であろう。」(5)
事業団館についての問題点の指摘が多い。利用者にとってはそれが直営館であろうが,
事業団館であろうが預かり知らぬことである。接遇について教育文化事業団自らが問題の あることを認めている。高齢退職職員は消防局出身者が多いことは既に述べたが,消防職 員は市民サービスというよりは,市民を指導したり注意をしたりという仕事が主である。
しかも管理職出身者が中心であることも既に述べた。そこで利用者からは「借りにくい」
「物を壊すなばかりで厳しい」などの声が聞かれるのである。
教育文化事業団の高齢退職職員の初任時の研修は,ただ一日限りの接遇研修のみである。
そこでは事業団職員の任務は施設管理であるから公民館利用の受け付け手続きのみをすれ ば良いとされている。しかし公民館を利用する団体・個人も様々であり,どの申し込み者 が無料で良いのか,有料なのか判断出来るようになるまでにはかなりの時間が必要であろ う。判断を中央公民館に仰ぐと言う場合も有り得る。その間申し込み者は返事を保留され 待たされるわけであるから不満が募って当然である。高齢退職職員は現役時の2分の1
〜3分の1の報酬で,2〜3年を限度とする勤務年数である。やっと公民館にも慣れてき たと思ったらもう退職である。これで意欲を持って働けるであろうか。
館長は嘱託が多い。これは事業団館,直営館を問わない。1986年3月現在63地域公民館 のうち嘱託館長は実に49名にのぼる。これも勤務年限は普通2年,長くて3年である。館 長研修は一年に一回,一泊二日のそれはまるで校長の同窓会という評がある。
専門性などおかまいなしの短期の人事異動もまた,事業団館,直営館を問わない。稀に 10年以上と言う場合もあるが,事務吏員も3年で異動と言うのが一般的である。しかも公 民館間での異動や他の社会教育施設問での異動という方が珍しく,民生局,水道局,建設 局,戸籍係,税務と全く関係の無い部局から部局への異動というのがむしろ普通なのであ る。事務吏員の研修は初任時のほかに一年に一回一日研修があるのみである。社会教育主 事講習に出席し資格を取得した直後の人事異動で配転という例はいくつもあると言う。こ
こでも労働意欲は殺がれる。
この点についても,前述の公民館運営審議会の答申に指摘が見られる。「職員異動が定期
的に行われる事情にかんがみ継続的,計画的な職員研修機会を設ける必要がある」(6)と,必 ずしも現状の人事異動の方針の転換を求めてはいないが,その問題点は突いている。現在 の職員研修が充分なものでないことは,公民館運営審議会も指摘する通りであるが,およ そ2〜3年ごとに館長以下の職員が入れ替わるのであるから,研修をしても毎回初級段階 で終わり蓄積されていかない。
ただし直営館の場合は館長,事務吏員の異動は事業団館と同様であるが,用務員,警備 員,管理人の場合は特別採用のため異動が無い。そこでその公民館について最も詳しいの は用務員ということになる。
公民館職員は社会教育主事と異なり,何等の法的規定が無いため,自治体によりその取 り扱いも様々であるが,全国的には公民館職員自らの運動としてその実践のなかから専門 性の確立を目指してきたと言う歴史がある。北九州市の公民館の歴史を振り返ってみると
き,不十分とは言えそうした努力が成されてきたと言える。旧八幡市は1950年代から60年 代にかけて最盛期を迎えた公民館活動の輝かしい歴史を持ち,その象徴とも言うべき八幡 公民館(現八幡東中央公民館)は1951年の開館であるが,まだ改築されず当時の面影を今 に伝え,中央公民館としては唯一直営館として残されている。八幡公民館を創設した当時 の守田市長時代には,専門職としての位置付けはなされなかったものの,職員の採用は一 般市職員とは別に特別採用もなされた。また一般職員のなかからも優秀な職員から先に公 民館に配置すると言うことが公然と言われた。その後も教育文化事業団が発足するまでは,
公民館間の異動はもちろん行われたが,現在のような経験も資格も無視した配転がなされ ることはなかった。したがって公民館職員集団が生まれ自主的な研修会も持たれていた。
そうした経験を持つ職員は,公民館夢野の書き方を初め,青少年のレクリエーション指導,
野外キャンプのテントの張り方など先輩から一つひとつ教わり,鍛えられていったと言う。
旧八幡市の公民館職員が教育文化事業団反対運動の中核となったのも当然と言えよう。
しかしこの専門職員集団の形成は強固なものではなかった。反対運動の前面に立った職員 達が公民館から排除された後は,職員集団はなくなってしまったのである。辛うじてその 伝統の名残は,八幡東区に自主的な館長グループと職員グループの研修会が残っているこ
とにみられる。しかし館長職員ともに短期間で頻繁に入れ替わり,ここでも常に初級段階 に留まり蓄積がなされていかないことが悩みと言われる。
公民館職員の専門性に期待される資質が「第一に,住民の学習要求を明らかにし自立的 な学習が組織されるよう援助し,第二に学習活動が実り豊かに発展するように援助をすす め,第三にそれらに必要な条件を整備するとともにそれ自体が住民の参加と自治によって 発展するようにつとめる」(7)事であるとするならぼ,北九州市の公民館職員はそうした資質
を身に付けるための機会も,発揮するための機会も奪われていると言える。研修は充分行 われない,職員同士身分待遇の上でも分断されているとともに,市民との間も分断されて いる。少なくとも教育文化事業団発足前は,職員間の分断はなく,現在のように短年限,
異部局間の異動が激しくなかったと言う意味においては,市民とのつながりもあったと言 えよう。明らかに教育文化事業団は公民館職員制度を変質させたのである。それが,住民 参加の原則をないがしろにすることであったことは既に前項1で見た通りである。
(昭和62年10月31日受理)
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(注)
(1)北九州市教育委員会『コミュニティづくりをめざす 北九州市の公民館』1986年,2頁
(2)北九州市教育文化事業団反対運動と発足に至る経緯は下記の文献参照
社会教育推進全国協議会,北九州市社会教育関係職員連絡会議『地方行財政の危機と社会教育施設 一北九州市社会教育施設の委託そ下請け問題一』1976年
(3)松下圭一『社会教育の終焉』筑摩書房,1986年
(4)北九州市教育委員会 前掲資料 63頁
(5)同上 61〜62頁
(6)同上 63頁
(7)荒井邦明「第2章 第4節 社会教育職員の機能と役割」(島田修一・藤岡貞彦編『社会教育概論』)
青木書店,1982年,171頁