【学位論文審査の要旨】
1 研究の目的
多くの神経変性疾患では、疾患を特徴づける異常タンパク質病変が認められ、神経病理 学的確定診断に用いられている。パーキンソン病(PD)やレビー小体型認知症(DLB)にはレビ ー小体、レビー突起と呼ばれる異常病理構造物の出現が認められ、その主要構成タンパク 質としてαシヌクレインが同定された。レビー小体の出現部位と神経脱落との関係は古く から指摘されていたが、より感度の高いαシヌクレインの免疫染色により、αシヌクレイ ンの蓄積病変の脳内分布や広がりと臨床症状の間には強い相関が示されている。近年、こ の病変の広がりを説明する機序として、細胞内に蓄積した異常タンパク質が細胞間を伝わ るという考えが提唱され、これを裏付ける実験結果がin vitro、培養細胞、さらには動物モ デルで多数報告されるようになった。すなわち試験管内で作製したαシヌクレイン線維や 患者剖検脳から調製した異常型αシヌクレインを、野生型マウスやトランスジェニックマ ウスの脳内へ接種すると、内在性αシヌクレインが異常型に変化して病変が形成されて広 がるプリオン様伝播が起こることが示されている。これらのマウスモデルは病気の進行機 序や治療法の開発に有用であると考えられるが、よりヒトに近い脳病変、症状や病態を再 現するモデルとして、霊長類のモデルが望まれている。
こうした背景から、本研究ではコモンマーモセットにおけるαシヌクレイン伝播のモデ ルの構築を試みた。コモンマーモセットは小型の霊長類であり、繁殖効率が良いことから 実験動物として広く使用されている。マウスで限界がある高次脳機能などの研究を霊長類 で行うことができるという点でも、ヒトの疾患モデルとしての有用性が期待される動物で ある。そこでマーモセットにαシヌクレイン線維の脳内接種を行い、PD/DLBにみられるよ うな脳病理が観察されるか、病変はどの部位に出現し、どう伝播するか、神経変性は誘導 されるか、などについて検討した。
2 研究の方法と結果
2頭の野生型マーモセット(26 月齢)の線条体(尾状核/被殻)に試験管内で作製したマウ スαシヌクレイン線維を接種した。接種から3ヶ月後に脳を固定し、免疫組織染色などに より、病変の形成、広がりを観察した。その結果、リン酸化αシヌクレイン特異抗体陽性 の病理が接種部位をはじめ、様々な場所に認められ、脳の広範囲に広がっていることがわ かった。リン酸化αシヌクレイン抗体陽性の病理はユビキチン、p62 抗体にも陽性であり、
βシート結合色素であるチオフラビンSやFSBでも染色された。マウスαシヌクレインを 認せず、マーモセットαシヌクレインを認識するLB509抗体を用いた染色により、マーモ セットの内在性αシヌクレインが蓄積していることが判明した。以上の結果から、人工的 に作製したαシヌクレイン線維を野生型マーモセットの脳内に接種すると、3ヶ月という 短期間でレビー小体様のαシヌクレイン病変が形成され、広範に伝播することが示された。
病変は線条体に直接神経入力する皮質や扁桃体、視床などの脳領域に見られ、特にドーパ
ミン神経が線条体へ接続する中脳黒質では蓄積が顕著であった。このことからαシヌクレ イン病変は逆行性に伝播することが強く示唆された。また、中脳黒質におけるαシヌクレ インの蓄積量が多いほど、ドーパミン神経細胞マーカーであるTH抗体陽性の神経細胞が減 少する傾向が認められ、αシヌクレインが凝集、蓄積することで神経細胞の機能低下や神 経変性が誘導されることが示唆された。各種細胞マーカーとの共染色を行なったところ、
αシヌクレインの蓄積は神経細胞内がほとんどであった一方、一部のαシヌクレイン病変 はミクログリアのマーカーとの共局在が観察された。このことから、αシヌクレイン凝集 体、あるいはそれに伴って変性した神経細胞がミクログリアによって貪食、除去される可 能性が示唆された。神経変性疾患における細胞内異常タンパク質病変とミクログリアの関 係は未だ不明の部分が多いが、今回の実験から一つの可能性が示された。
本研究は小型霊長類の野生型マーモセットにαシヌクレイン線維の脳内接種を行い、
PD/DLBと同様のαシヌクレイン病変の再現、伝播を観察した初めての報告である。本マー
モセットモデルはαシヌクレインの伝播メカニズムの解明をはじめ、異常αシヌクレイン を検出するPET プローブの評価、さらにはPD やその他のシヌクレイノパチーの進行を抑 える根本治療薬の評価やバイオマーカーの探索に有用と考えられる。
3 審査の結果
進行性の神経変性疾患であるαシヌクレイノパチーは未だ根本治療法が確立しておらず、
その発症機序や異常タンパク質の伝播メカニズムの解明が望まれており、より良いモデル の開発が期待されている。そこで、よりヒトに近い霊長類動物であるマーモセットにおい てモデル作成を行った。本研究から、野生型霊長類においても、異常αシヌクレイン接種 により病変が蓄積し、その病変は患者脳に蓄積する病変と同様の特徴を持っていることを 明らかにした。さらに、αシヌクレインの蓄積に伴い神経細胞障害が起こること、障害さ れた細胞がミクログリアによってクリアランスされる可能性がわかった。このモデルがPET プローブの評価や治療標的となるバイオマーカー等の探索に有用であり疾患の解明に寄与 することを示した研究と言える。これらの研究成果はすでに国際雑誌にも発表され、国際 的にも高く評価されており、本論文は博士(理学)の学位に十分値するものと判定した。
4 最終試験の結果
本学の学位規定にしたがって、試験および試問を行った。公開の席上で論文内容の発表 を行い、生物科学専攻教員による質疑応答をもって試験とした。また、論文審査委員によ る本論文および関連分野の試問を行った。その結果、専門科目および外国語について十分 な学力があることを認め合格と判定した。