自然法の基礎
井上紫電
本稿ぼ法律秩序の中核穴る自然法(正義)換言すれば人の他入及び肚會に野する關係に於て存する自然法の基礎付けな目的と
すうものであろQ此の故に自然法と實定法との關係及び專ら宗教的道徳的意義のみを有し法律的意義な有ぜざうところの︑入の
創造主及び自己自身に封すろ自然法には欄れない︒街ほ本稿は自然法の基礎的理論に關すろ軍なろ素描に止まるものであり︑之
に關するより詳細なろ論述は後日に期し度いo
目次
回︑相劉主義
二︑自然法の概念及び認識
三︑自然法の内容
四︑自然法の不憂性と弾力性
五︑自然法の世界観的某礎
一︑相封主義
↓既に紀元前五世紀の昔に於いて希騒のソフィスト達が善悪の観念を以て習俗の所産︑^若(
くは少歎者叉は民衆の恣意的創造に係る制定法に由來するものであ砂︑此の故に善悪の観念に
關し普遍安當的なる判断の存せざるを説けるに封し︑ソクラテス︑プラトン︑アリストテレス
が本質的なる善悪の観念︑事物の本質自燈に基く普遍的なる道徳法の存在を主張して以來︑今
日に至る迄同種の論争は跡を噺たない︒法及び道徳の中核たる普遍的なる原理を否定し︑法及
び道徳を以て徹頭徹尾各時代各民族の文化︑習俗︑制定法乃至は時代精榊等に相封的なるもの
と観念する實誰主義的︑相封主義的見解と︑普遍的なる人闇の本性に立脚し此の故にあらゆる
時代あらゆる場所を通じて不攣なる法及び道徳原理の存在を認むる自然法思想は︑過去に於け
ると同じく現代に於いても法及び道徳思想の範域に於ける相封立する二大思潮と謂ふも過言で
はない︒
⇒然るに道徳思想に就いて之を見るに現代の我國に於いては進化論︑功利主義︑自由主義︑
r︑
マルキシズム乃至は極端なる國家主義思想等の流行の結果として︑我國古來の傳統的なる︑素
朴ではあるが然し眞理を穿てる道徳常識に反して知識階級の間に於ては︑實誰主義的︑相封主
自然法の基礎一四七
1)Sophistの 中1:lt「 賢 者 ば事 情 に 依 つ て は 姦 淫,窃 盗,漬 紳 す ら恥 と し な いo何 とな れ ば 之 等 の 行 爲 は 本 來 其 の 性 質 上 悪 で は な く して,之 な 悪 な り と 謂 ふ ぼ 愚 者 な 統 御 す るrSl:入 が 案 出 し7こ卑 俗 な 考 へ に す ぎ ぬ か らで あ る 」
と す ら極 言 ぜ る者 もあ っ た 。Carthrein,Moralphilosophie,6.auf.lg24,Bd.
・1,S.164.
東 洋 に於 て も此 の 種 の 思 想 ば 古 く よ り存 す る。 旬 子 が 「古 昔 聖 王 入 の 性 悪 な ろ 彪 以 て 之 が 爲 に 禮 儀 を 起 し法 度 を 制 して 以 て 人 の 性 情 な 矯 飾 して 之 な 正 し以 て 入 の 性 情 彪 擾 化 して 之 を 導 き皆 治 に 出 で 法 に合 ぜ しむ 」(性 悪 篇) と日 ひ,叉,物 祖 律 が 「先 王 のmelt先 王 の造 る と こ ろ な りo蓋 し先 王 聰 明 の 徳 な 以 て 天 の 命 な 受 の 天 下 に 王 た り。 其 の 心 一 に 天 下 な 安 ん ず る な 以 て 務 め とな すo是 な 以 て 其 の 心 力 な 盤 し其 の知 行 な 極 め て 是 の道 な 作 爲 し天 下 後 世 の 入 な して 是i:由 り之 々 行 は しむ 。 畳 天 地 自 然 に 是 あ らんPJ(辮 道)
と説 け ろ如 きに 其 の 例 で あ ろQ
一四八
義的傾向が顯著である︒
わ今之等の思想を瞥見するに︑進化論の立場に於ては現在の人間生活は萬物の進化過程に於ける過渡的現象に
他ならす︑入間生活の形式たる道徳も人類の生物學的進化に随件して進化攣遷し︑外部的環境に封する人間の
完全なる融合が實現する迄は進化の歩みは不断に櫃績するものと認められる︒就中ヘッケル流の唯物的進化論な組成す剤原子に於いては人間の道徳的判断麟細胞α寓口雰8日国霧︒︒窪§傷ζ①げ8)に因る物理的化學的作用に止まり︑
動物の本能と本質的に異らす︑倫理學は自然科學の一部に過ぎぬものとせられる︒倫理的虚無主義(簿匿ω魯窪
の2団巨断︒・日器)は進化論の必然の帰結である︒̀
弐に功利主義の立場に於いては︑道徳の最高基準は個人の幸福(国風ざさ︒︒oぎ︒器︑U崔︒H︒計司︒ぎま碧ゴ等の
所読)若くは杜會の幸幅(︾質σq・Oo8僧ρいo冒ρ団固巳︒︒窪等の所読)に求められ︑道徳は之に奉仕すべき手段た
る地位を與へらる玉に止まる︒然し乍ら何が個人若くは枇會の幸福なるかは結局主襯乃至は攣遷する具艦的事
の情に依存するのであり︑之等に随伴して︑道徳の内容も亦攣遽するものと認められる︒功利主義の一形態であリ
アメリカ文化と共に我國に輸入せられたる男§㈹ヨ註︒︒ヨに於いては観念の眞理性は共の實用性に糠るのであり︑
眞理は可及的容易に生活を爲し得る爲の實際的指針に他ならぬ︒善悪の観念もそれが人闘生活に役立つや否や
しめに依つて定めらるべきが故に人間生活の攣遷に俘ひ攣化するものとせられ道徳の不攣性は當然否定せられる︒
更に自由主義も亦絡論に於いて道徳の相封主義に陥る黙に於いて前二者と軌を同うする︒一般に所謂自由主
2)進 化 論 は 科 學 的 確 謹 存 俘 は ざ る 假 説i:止 ま り,現 代 に 於 て は 寧 ろ 反 野 論 が 優i勢 で あ る と の こ と で あ ろ 。 此 のlkl:關 し て は 後 述152頁 脚 註 謬 照 。 3)漉 化 論 的 倫 理 學 就 中II.Spencerの 見 解 の 紹 介 及 び 批 評 と し てltW・Sto‑
ckums,DieUnverttnderlichl〈eitdesllatUrlichenSittengesetzindersρho1‑
astischenEthik,IgH,S.4‑‑5.
4)功 利 主 義 的 道 徳 襯 の 詳 細 な ろ 批 剣 と し て(1Carthrein,Moralphilosophie・
義の中には二種のものが存する︒︑一は個人の自由を自己目的として之に最高便値を認むるものであり︑他は箪
に消極的に特定の理想︑目的を蓮成する手段として外部的の塵迫を排除する意味に於いて自由を主張するに止
るものである︒此の中第二の意義に於ける自由主義は眞の自由主義と稽するを得ない︒眞の自由主義即ち第一
の意義に於けるそれは総ての文化の範域に於いてピ駐︒・︒N試器㌔比自弓の實現と自律を要求し︑道徳に關して
のも自律的道徳(碧8き日①寓︒H&を主張する事に依り道徳を主観に依存せしめ︑之を相封化するに至る︒
マルクシズムが道徳の不攣性を否定する事に付いては多言を要しない︒此の立場に於いては道徳は法律︑宗
敢︑哲學︑藝術︑其の他の観念方法と共に上暦建築として︑下暦建築であり物的基礎たる維濟の攣動に随伴し
て攣動するものと認められる︒之等の観念方法に於いては絶封不攣の眞理は存在せすして︑それは各経濟時代
わに固有なるものとせられゐ︒
更に極端なる國粋主義も亦︑一國には其の國特有の道徳の存すべきを主張することに依り道徳の普遍性を否
定する︒それは結局に於いてパゥルゼンの夫れと同じ結論に到達するであらう︒﹁英國人は支郡人或はニグロ
と異るが故に彼等の間に行はれる道徳も異る︒各民族は夫々異る道徳を有する事は疑ひの鯨地がない︒若しも
ヘロ英國人の道徳とニグロの夫れとが異るものとせば︑更に進んで男と女︑藝術家と商人︑否最後には各個人の聞
にも異る道徳が存せねばならな魎︒﹂極端なる國粋主義は倫理的無政府主義に陥る危瞼を多分に包藏するので
ある︒
自然法の基礎︼四九
1924,6Auf,Bd.1.S.26Sff.並 び1:∫.Credt,Diearistotelisch‑thomistische Philosophie,Ig35,Bd.II,S.296。f£ 謬 具資0
5)Pragmatismの 道 徳 観 の 批9el:つ い てltO.Schilling,ChristlicheSozialund RechtsphilosoPhie,1933,S.234,235,塗 照0
6)自 由 主 義 的 道 徳 観 の 批 評 に 付 い て は0.Schilling,op.,cit.,S.240.参 照 。 7)Marx,Engels;Bebel,Dietzgen,Kautsky等 の 道 徳 観 の 紹 介 及 び 批 評 に 付 い
一五Q
ヨ相封主義者は一般に其の主張を歴史及び人文地理の事實に基き立誰せんとする︒一國民に自明の道徳も
他國民には必すし悉然らす︑例へば丈明國に於いては老人︑病弱見の扶養救濟の爲に各種の努力が梯はれるが
遊牧の民の問に於いては活動の障碍たる彼等は遺棄せられる︒スパルタに於いては窃盗が是認せられた︒青年
が一人の大人を殺さねば一人前の男と看徹されぬ未開人種も存する︒日本に於いては美徳とせられた切腹も欧
の米人の道徳槻念に依れば罪悪である︒之等の例外的抹梢的事實を楯に相封主義者は常識を以て承認せらる﹂自
明なる普遍的道徳原理を否定する︒道徳は時代と場所とにより異るが故に今日悪とせらる玉ことも明日は善と
せらる玉ことあるべく︑一地方に於いて悪とせらる玉事も他の地に於ては必すしも然らざるべく︑斯くて相封
主義を徹底せしむるに於いては﹁眞理は存在しない︒どんな事をしてもかまわないのだ﹂(Z言ゲ窃算零聾び
≧一窃蜂實冨鐸9とのニイチエの言は必然の結論である︒
四道徳の世界に於ける相封主義は法律の世界に於ける相封主義と密接なる牽連關係を有する︒相封主義者(
は道徳の世界に於いて普遍的なる道徳秩序を否定する如く︑法の範域に於いても古今東西を通じて不攣なる法
の中核を否定して︑之を攣遷する人聞の主観︑習慣︑時代精帥等に依擦せしむる事により之を相封化する︒十七︑
八世紀の個人主義的主観主義的なる啓蒙期自然法思想に封する反動として出現したる歴史法學派が︑法を以て
民族の歴史︑精帥及び確信の所産と観念して以來踵を接して出現したる各種の法律思想は︑法の不攣なる中核を
否定する事に於いて共通して居た︒出︒σq9及びその流れを汲む唯物史観︑又は法實誰主義に観する諸學派例へば 曝一(ltV .Carthrein,DerSozialismus,Ig23,S.207fK塗 照0
8)F.Paulsen,SystemderEthik,1,S.Ig.ziしim.Stockums,op・cit・,S・7・
9)各 種 の 例 外 的 事 例 及 び 佛 蘭 西 に 於 け る 相 劉 主 義 的 倫 理 學 説 に 付 い て は, Leclercq,Legondedroitnaturel,t・1,1934,PP・25etsuiv・ 蓬蓼具頁o
概念法學派︑一般法律學派等︑若しくは自由法學派︑乃至は国魯簿及びその系統に属する︒︒欝ヨー此.
ヨ一①ひ口巴げ口目﹃囚昏窪等の法律思想は夫々主義主張を異にし乍ら而も自然法思想に封しては%
ー を 張 ー 認 め 転 之 等 の 法 慧 想 の 影 響 の 下 に 嚢 國 の 葦 紮 ス 轍
コラ的自然法の立場に立つ田申耕太郎博士及び自然法に多大の同情を寄せらる玉高柳賢三氏a
を除き︑自然法に封しては反封の態度を探る黙に於いて一致して居るのである︒然し乍ら之等%
鶉嚢的︑實讃妻的諸羅繕局に於いてあらゆる時代と場所と姦じて不饗る法の囎
中核︑自然法を否定する事援り法を國家的︑民族的乃至は階級的のものたらしめ︑法をして鰍
國家的葦階級的饗前に努ならしめる.のみ隼是等の立場に於嚢は本來そ謙
れ窺律せねばならぬ甕の世界に亡目從する事となり︑法としての震を失墜するのみなら脇
す法は倫理的意義を喪失し斯くて制裁を怖れざるに於ては﹁眞理は存在しない︒どんな事をし儒の
てもかまわないのだ﹂とのニイ重の言葉は法の世界に於いても愛當するに至るのである︒聴士律は博倒然し乍ら如上の道徳及び法に關する相封義的愚は過去及び現在を誉て決して支養纐
配的勢力を享るものではない︒之等の思想と並んで然し乍ら是等の愚とは源を里ハにし︑舗響等瀦田同アリストテレス及び聖トーマスの流れを汲み︑人類の健全なる常識とも一致する傳統的なる之の
スコラ的自然法思想の存する事を看過してはならない︒否自然法思想は二十世紀の初頭以ゆ
自然法の基礎︼五一
博 法 律 哲 學 概 論,第 一 分 冊,六 十 五 頁 以 下 、 自 然 法 の 過 去 及 び 現 代 的 意 義(帝 大 カ ト リ ツ 〃 研 究 會 編,ヵ ト リ ッ 〃 研 究,第 一 輯,四 十 五 頁 以 下)
同 雫 現 代 法 律 思 潮(岩頁 以 下) 波 講 座,世 界 思 潮,第 四 冊,ニ ー 六 爾 ほ1〈ohler,Stammler,Krabbe,Kelsen,Binder,Duguit等 の 相 罰 主i義 に
劉 す ろ 批 穿Fと し て はE.H61scher,SittlicheRechtslehre,Ig30,Bd.1,S.
257‑‑286謬}旦 頁o
II)例 へ ば 新 カ ン ト派 に 馬 す う もの と し てlt三 谷 隆 正 氏,中 島 重 氏,就 中1〈el‑
senの 流 れ な 汲 む 大 澤 章 博 士,横 田 喜 三 郎 氏,黒 田 箆 氏 等 。 自 由 法 學 派 一 牧 野 英 一 博 士o概 念 法 學 振 及 び 一 般 法 律 學 派 一 法 學 通 論 教 科 書 の 著 者 に 概
れ 此 の 何 れ か に 馬 す る 。 唯 物 史 観 一 亭 野 義 太 郎 氏,奈 艮 正 路 氏 等 。
勧來再び新なる勢力を以て擾頭せんとしつ曳ある︒以下素描せんとするは︑斯かる古來の傳
統的なるスゴラ的自然法理論に他ならないのである︒
=︑自然法の概念及び認識
↓自然法とは普遍的なる人聞の本性に基礎を有する所の基本的なる道徳原理であり︑(
入聞の理性は自明の理として直観的︑本能的に之を認識し得るところのものである︒
元來人闇は人種︑時代︑丈化等の差異にも拘らす同}の本性を有するものである︒即
・ち人聞は一面動物と同じく肉腿を有し各種の本能慾望を有し乍ら︑他面理性と自由を與へ
られ︑自己を認識し或程度迄之を制御するを得ること︑其の生存の爲に外界の財貨を獲得
し之を使用消費ずること︑叉自己の幸幅を追求しつ﹂も輩猫にては其の目的を達成するを
得すして同胞と肚會關係に入らざるを得ざる事︑即ち男女結合して子を生み︑親子兄弟の
關係を生じ叉更に集合して部落︑都市︑國家等の團鎧を形成し︑自己と其の所屡する團艦
恥.との聞に各種の關係を生する事は普遍的なる入間性に基く事實である︒勿論人闇性に關す
る吾人の認識は杜會學︑心理學乃至は生物學の進歩に依り深化せられることが可能である
12)自 然 法 思 想 の 復 興 の 状 況iこ 關 し てitCharmont,LaRenaissancedudroit五 naturel,19To(大 澤 章 繹,自 然 法 の 再 生);1)laton,Pourledroitnature1,IglI;二
Hainef,TheRevivalofnaturallawconcept,Ig30等 の 丈 献 が 存 す ろo I)進 化 論 者 ば 入 間 の 本 性 の 不 鍵 な こ と な 否 定 す るo然 し 所 謂 進 化 論 は 軍 な る
假 謝 こ 止 ま り 現 代 に 於 て ば 寧 ろ 反 蜀 論 が 有 力 で あ る と の こ と で あ ろo此 の 瀦 に 關 し てltHansI)rieseh,DasLebensproblemimLichtedermodernen
Forschung,Ig31,S.430‑一 一1.
Lamarck,Darwin,Haecke1,Weismanの 進 化 論 に 墾 す る 詳 細 な ろ 批 評 と し てltOscarHertwig,DasWerdenderOrganismen,3Auf.,ig22,S・580ff1.
及 び ウ ゴ リ ン ・ ノ ル 氏,世 界 観 の 研 究 第 五 分 冊 参 照o術 ほRenard(t其 の 同 僚7こ ろNancy大 學 の 生 物 學 の 灌 威Cuenot教 授 の,進 化 論 者 の 假 観 ば 毫 末 も 確 謹 な き も の で あ り,寧 ろ 創 造 論 者(cr6ationiste)の 主 張 が 遙 に 眞 實 に
近 き も の で あ る と の 見 解 な 引 用 し て 居 ろ 。G・Renard,1・eDroit,L'oTdreet laRaison,Ig26,P.210,
2)田 中 博 士,法 律 學 概 論,57頁(現 代 法 學 全 集,第31巻,21g頁)謬 照o