9
教 室の誕生前史
1 9
世紀 イギ リス教育史研究 その2
の3
上 野 耕三那
クラスの誕生 私たちは 日常生活 で子 どもたち との会話 の接穂 を見 出すた めに, なにげな く次の ようなや りとりを交わ している。
「あ あ君 は
4
年生 なの。じゃあ10
歳 になったのかな ?4年生 に もな る と, 算数 はけっ こうむずか しいで しょう。」「
9月 に10
歳 にな るよ。算数 はこの頃やた らむずか し くなってや になっ ちゃうよ。」「お じさんたちの子 どもの頃 は,
1
学年5
クラス もあって,その上1
クラ スに45人 もいて,教室 に一杯 だ った け ど,今 はそんなにはいないんで しょ う ? 人数が少 ない といい よね。」「1
クラス3 2
人で,2
クラス しかない よ。」「先生 は どんな先生
?」
「山本先生 っていって, けっ こうお もしろい先生 だ よ。」
このや りとりは学校教育 に関す るあ る暗黙 の了解 の も とに交 わ され てい る。その暗黙 の了解 とは,学校 で は生徒 は教育 内容 を漸進的 に学習 してい き, その各段 階 ごとにほぼ 1歳 とい う幅 の同年齢層 の,一定人数 を規準 としてひ
とま とま りにされ,基本的 には
1
年後 には進級す る, とい うことで ある。通 常 この集 団 をクラス と称 してい る。 と同時 に, ほ とん どの場合, クラスはそ れ固有 の独立 した空間 ‑教室 を も所有 してい る。したが って,「クラス (学級)」
とい うことばは,今 日で は生徒集団 と教室 とを同時 に指示す る もの として定 着 をみてい る。 また小学校 で はクラスは教師 の名 を冠 して,た とえば 「山本
10
人 文 研 究 第 87覇
クラス (学級)」と呼 ばれ るように,生徒集 団,教室空間,教師 は三位一体 の 関係 にあ る。
この よ うに今 日で は 「クラス」 とい うことばは, ほぼ均質 な生徒集 団が ひ とりの教師 の責任下 におかれ る独立 した部屋空間 を指 してい るが, イギ リス で この よ うな生徒集 団,教室空間,教師 の三位一体 の関係 が,民衆学校 で現 実 に展 開 され るよ うにな るの は
1 850
年代以 降 とされ て い る(1
)。1 850
年代 以 降の 「教室」 の全面 的展開 を思想 そ して政策 に即 して論 じる前 に, ここで は 先行研 究 に拠 りなが ら, その前史 ともい うべ き‑ したが って, クラス に固 有 の教室が割 りあて られ るの は, あ る意味 で一応 の完成態 と捉 えて差 し支 え ないで\あろう‑ 「クラス」の成立 か ら1 9
世紀前半 まで を辿 る ことに しよう。よ く知 られ てい るように, 「クラス」を研究 の姐上 に載 せたの はア リエスで あった。 ア リエス は,生徒集 団 を均質 な フォーム あ るいはクラス に分 ける試 みは,意外 に もそれ ほ ど歴史 的 に遡行 で きず, クラスが一応 の完成態 をみ る のは
1 7
世紀 で ある としてい る。 す なわ ち, 「それ な しには学院 の生活 が理解 され ないで あ ろ うこの学級 とい う構造 は,せ いぜ い十六世紀 か十五世紀 の末 の時期 に まで しか さか のぼ る もので しか な く, それが最終 的 な形態 を獲得 す るの はようや く十七世紀初頭 になっての ことなので あ る。(2)」
ア リエス に よれ ば, それ以 前 の時代 に もクラス分 けの萌芽 が なか ったわ け で はなか った。た とえば,古代 の学校 において も,生徒 をクラス に分割 す る システム はあったが,その ような システム は表層的 な もの に とどまっていた。
そ してクラス は 「中世 には消滅 して しまった。難 易性 の異 なる学問 を同時 に 教 え, また い く度 も くりか え し聴講 す る中世 の方式 は, た えざる混清 をひ き お こし,年齢 ご とにあ るい は能力 ご とのカテゴ リー に編成 しよう とい うすべ
(1
)当面は1 8 51
年の覚書( a Me mor andum r e s pe c t i ng t he or gani z at i o n of s c hool si npar al l e lgr oupsofbe nc he sandde s ks . )
をそのメルクマール としてお く。
(2
)フィリップ・ア リエス,杉山光信 ・杉山恵美子訳 『<子 ども>の誕生‑ アン シャン ・レジーム期の子供 と家族生活‑ 』みすず書房,19 8 0
年,16 8
貢。教室 の誕生前史
l l
ての試み を禁 じたのであった。(3)」
学校 の形態が中世 の この ような 「混清」か ら脱 け出 し,近代 的な 「厳密 な」
形態へ と変貌 を とげてゆ くプロセス を, ア リエスは多 くの実例 をあげて描 い てい る。彼 は このプロセスのなか にいったい何 を読 み とったのであろうか。
「かつての時代 には,人 は もっ とず っ と長 い期 間にわたって人生 のひ とつ の時期 を保 ち続 け,少年期 とい う生活期間 は この ように短 かい時間の幅で 000000 00000⊂)00 い くつに も分 断 され ることはなかった。 だか ら学級が,幼児 の時期 と少年
000000000000000000000000
0
の時期 との分化 の過程 の決定 的な要因 となったので ある
。‑‑
・00000000000000000000000
0
000000 0 私たちの議論 に とって学級 の もつ重要 さは ここに由来す るので ある。 い 00000000000000000000 0000000000 00 か に して中世的 な諸時期 の不確定 な状況か ら,近代的 な厳密 な概念へ と移0000 00000 0000 00000000000000000 行 したか,いか に して, またいつ,学級 は年齢 ごとによる区分 とい う性格
00000000000000
を獲得 したか問 うことに しよう。(4)」
「この (
15
世紀 の末期 まで組織化 され ていなか った生徒集 団が分化 して い く‑‑・上野)過程 はまた,教師の行 う教育 を生徒たちの程度 に見合 った ものにす る とい う,や は り新 し く生 じた欲求 と対応 してい る。 ここには本 質的な問題 が存在 してい る。 生徒たちにたい して もた らされ始 めた この ような配慮 は,難易性 のちが う科 目を同時 に教 えた り反復 して聴講 す る中世 の教育 方法 と対立す る とともに,子供 を大人 か ら区別す る ことをせず,知 識 を教 えること (人生への準備) と教養 (人生の獲得) とを同一 の もの と
00000000000 考 える人文主義者 の教育方法 に も対立 してい る。 この ように学級 ご とに分
000000 00000000000000000000000000 離す る ことは,少年期 ない し青年期 の特殊性 について意識 され は じめた こ
0 0000000000000000000000000000000 と,少年期 や青年期 の内部 にあ るカテゴ リー として固有 の意識 が存在 して
0000000000000000000000
い ることが 自覚 され はじめた ことを証言 してい る。(5)」
0 0 0 貢 貢 貢 8 9 9 6 6 7 1 1 1 ' ' l
書善書訳訳訳上上上同同同.1日rJl.1日‑1nuE■ーnu3 4 5 hl一■U ll U dZ!
12
人 文 研 究 第8 7 輯
時代 が 中世 を脱 けで るなかで,身分 の高 い階層 の人 々の間で は, 旧い見習 い修業 的 な教育形態‑ さまざ まな年齢 の人 々が混清 した 「ごた まぜ状態」
で, 教育 内容 も系統 的 に構成 されていない‑ が衰微 してい くのが み られた。
それ にかわ って,大人 と子 どもとを引 き離 し, かつ子 どもたちをあ る程度均 質 なクラス に分 け,進級 させ る学校形 態へ の転換 が み られた。 このプロセス のなかで, 「クラス」はあ る象徴 的意味 を もた され ていた。す なわ ち,子 ども にたいす るまな ざ しが新 た に生 じる, あ るい は変容 す る, そのひ とつの象徴 的 そ して現実的 なあ らわれ を, ア リエ ス は 「クラス」にみて とったので あ る 。
言 いか えれ ば 「クラス」 の出現 は, その時代 を生 きる人 々が少年期 ない し青 年期 の固有性 について,意識 し始 めた こ との反映 で あったわ けで あ る( 6 ) 0
ところで,ア リエ ス によれ ば,( 年齢 や学習 の進度 が異 な るさ まざ まな生徒 が ごた まぜ にされていた) 中世 の学校 か らほぼ 3 つの段 階 を経 て,完成態 で あ る近世 の学校 へ と到達 した。 その最初 は生徒た ちが ほぼ同 じ学習進度 の集 団 に分 け られ, いわ ばクラスが形成 され る段 階で あ る。 その次 に来 るのが, ひ とつの学校 において複数 の教 師が教育 を担 当す るようにな り, ひいて は各 々 の生徒集 団 に固有 の教師が つ く段 階であ る
。そ して最終 的 な もの は各 々 の クラスが固有 の教室 を もち, クラス と教室が結合 す る段 階で ある。以下 この
(6 )ただ しア リエスがあえてことわっているように, 「 1 7 世紀の初頭で も,学疲 f i
+九世由
O 0000
美以後あそ乱を健危う舟そJ)るよう各年蔽鹿歳上ゐ埼資性を着しそ良い なかった 。 」( 同上訳書 ,1 8 0 貢。) 少年期ないしは青年期の固有性 について意識
され始めることによって,た とえば次のような現象があらわれて くる。「 遅 くと
も十八世紀 になると,世の人び とはこれ らの神童 を感嘆の対象 としな くなる。早
熟 ということへの嫌悪 は, 青年期 に対 して無関心でいた状態への最初の亀裂のあ
らわれである。・ ・ ‑・ それゆえ,早熟 さに対する反発 は,子供期の最初の段階を十
歳 ごろまでひきのばさせ る, 学院による最初の学齢区分 という分化 を意味 してい
る 。 」 ( 同上訳書 ,2 2 5 頁。 )あるいは 「 すべての在学生は ( た とえ 1 7 歳であろう
と)<子 ども>であるという伝統的な考 えは,次第 に思春期の近代的考 えへむ
かってい くもの と矛盾するようになった。か くしてイー トンのすべての少年たち
はおなじような鞭打ち ( f l o g gi n g) の罰 を課 されていた し ,1 8 世紀の末 に向かっ
てイー トンや他の所でなされた暴動 に寄与 したのは,この罰の形態にたいする年
長の生徒の怒 りであった 。 」( Ma l c o l m Se a bo r ne , o P. c i t . ,p. 8 4 . )
教室の誕生前史
13
3 つの段 階 を主 としてイギ リスに沿 って簡単 に辿 ってみ る ことに しよう
。その最初 の段階,す なわ ち クラスの分化 の過程 は こうで あ る 。 「 1 5 世紀 の初 頭 には,助手 をひ とりもってい るばあい,文法学教 師 とその助手 とは,年齢 の 相違 に もかかわ らず完全 に一緒 に混清 されてい る数十人 ない し数百人 の生徒 た ちに, ひ とつの部 屋 のなかで反 復学習 させていた。 だが この世紀 を過 す な かで,生徒 た ちを区分 す る新 しい原理 が 出現 して くる
。均質化 されていない 生徒人 口は教 師た ちの共通 の コン トロール の もとであいかわ らず ひ とつ部 屋 の なか にい るが,知識 の程度 ご とにい くつかの集 団 に分割 され る。 そ して教 師 たち もこうして分 け られた各 々 の集 団 ご とに語 りか けるようになる
0(7)」
イギ リスのグラマー ・スクール は, 1 6 世紀頃 は生徒数 もそれ ほ ど多 くはな く,進度別 に
3クラスか ら
6クラス編成 で あった。 しか し, よ り多 くの生徒 数 を擁 していたセ ン ト・ポールズ校 で は, フォーム ( f or ms ) ( 8 ) へ の分割 はそ れ以前 の学校 に較 べ て細分化 され ていた。 「それ ぞれの フォームで は 1 6 人 の 少年 とひ とりの級長 ( ahe adboy) がお り,学校 には 1 5 3 席 が あったので,
‑‑・ 全部 で 9 フォームで あった はずで あ る 。 学校 をフォームへ と分割 す る こ とは, この時期 に他 の所 ( 学校 ) で もな されていた証拠 が あ り, その ことは
0000 0000000000000000000000
グ ラマー ・ス クール のカ リキ ュラムが よ り系統 だ って漸進 的 ( pr ogr e s s i ve )
0000
になった ことをたぶ ん意味 してい る
。(9)」ちなみに, ウ インチ ェスター とイー トンそ して ( 1 5 6 4 年 に は 9 フォームへ と増 えたが) シュル スベ リーで は 7
(7 )ア リエス,前掲訳書 ,1 6 9 ‑ 1 7 0 頁。
(8) 「クラス」 ということばは 「ロンドンのセン ト・ポール寺院の学校の様子 をの べているユステイン ・ヨナスにあてたエラスムスの 1 5 1 9 年の書簡 に,最初の出 現 をみるのである。そこでは各々の学級 ( q ua e q uec l a s s i s ) は 1 6 人の生徒か ら 編成 されている。学級の主席の生徒 は,他の生徒たちを見渡す少 し高い席を占め
ている。学級の観念 はこの言葉 よりも以前か ら存在 していて,パ リ大学の「 法オ ヨビ学則」で も,学級による学業課程 は実際 に周期化 された性格 を獲得するに 至っていた。それゆえ,この進化 は 1 5 世紀か ら 1 6 世紀初めにかけて授業を行 う 学寮のなかで,完成 されていったのである 。 」( 同上訳書 ,1 6 9 頁 ,Se eMa l c o l m Se a bo r n e ,p. l l . )
( 9)Ma l c o l mSe a bo r n e
,o P. c i t . , p. 1 3 .
1 4
人 文 研 究 第87 輯
フォーム編成 であった。クラスあるいはフォームへの分菩拍ミなされた ことは, 中世 的な教育形態一一一大人 とごた まぜの状態 で難易性 の異 なるもの を同時 に 教 える‑ か ら,完全 とはい えないに して も脱 けでて きた ことを示 してい る。
すなわち,生徒が一定期間 ある段階 に とどま り,同一 の内容 を くりか えし学 ぶ形態か ら,順次上 のクラスへ と進級す る形態への移行が み られたので ある。
とはい うものの,
1 6 ,1 7
世紀 にグラマー ・スクールの フォームが年齢別 に 編成 されていた とい う証拠 はまった くない。た とえば,1 6 0 9
年の時点 で ウル ヴ ァハ ンプ トン( Wol v e r ha mpt o n)
・グラマー ・スクールでは6 9
人 の生徒 が7
つのフォーム に分 け られ,ひ とつの部屋で教 えられていた。一番下の フォー ム( t heAc c i d e n c ef o r m)
には生徒が1
1人在籍 してお り,年齢 は主 として7
歳 か ら
1 1
歳 で,平均8. 8
歳 で あった。 しか し6
歳 と1 3
歳 の生徒 も含 まれて いた。三番 目のフォーム も生徒 は1 1
人 で,年齢 は主 に1 2
歳 か ら1 4
歳 で,平 均1 3. 5
歳 であった。だが,9
歳がひ とり,1 7
歳 がふた りも含 まれていた。したが って, フォームの編成 は年齢 とい うよ りは, カ リキュラムでの生徒 の到 達度 による ものであった(10)。 この ことは時代が進 んで も変 わ らなかった よう で ある
。
シーボー ンは,1 7 7 5
年の時点で,イー トンに在籍 してい る2 4 6
人 の 生徒 の うち,年齢が確認 で きた1 4 7
人 の各 フォーム ごとの年齢分布 を調査 し た。その結果 は,た とえば,第5
フォームの在籍者7 2
人 の うち年齢が確認できた者 は
5 3
人 で あ り,年齢 幅 は1 1
歳 か ら1 7
歳 とい うように, それ ぞれの フォームで年齢 の幅がかな りあ り, フォーム間で年齢 がかな り重 なっている ことを示 している。
この ことか らもわか るように,「少年 たちは2
,3
年 ある いは 4年 もひ とつの フォームで過 ごすのが一般的である。 明 らか に進歩 の全 システムは古典 コースで到達 した段階 に負 っていた にちが いない。個 々の少 年 の正確 な年齢 は,決 め られた本 の内容 を知 ってい ることよ りは重要で はな い とみなされ,ひ とつの フォームか ら次 の フォームへ の毎年 の進級 とい う考( 1 0)L b i d. , p p. 5 6 1 5 7 .
教室 の誕生前史
15
え も,現在 で は一般 的で あるが, まった くみ られ なか った.(ll)
」
また各 フォーム はフォーム固有 の教師 によって教 え られていたわ けで はな い。フランスで は
1 6
世紀末葉 には各 クラス は固有 の教 師 を もつ に至 った とさ れ てい るが, イギ リスで は, その進 み具合 は遅 々 とした ものであ った。実際に
1 560
年 において も, イー トンで はマスター と助教 師( us her )
の二人 しか お らず, マスター は第5
,6
,7
フォーム を集 めた上級 の生徒 た ちを担 当 し ていた。他 方,助教 師 は初級 の3
つの フォームか ら構成 され る年少 の生徒 た ち を教 えていた(12)。時代 が下 って1 609
年 の時点 で も,ウル ヴ ァハ ンプ トン・グラマー ・ス クールで は
2
人 のマスター に よって7
つの フォームが教 え られ ていた( 1 3 )
。だが,「い くつ もの学級 を二 つ に区分 す る とい う学業課程史 の最初 の段 階 は,十六世紀 にな る と学級 の数が増大 してい き, その ことで時代遅 れ な もの となってい った。 ・・‑・各 フォーム ご とに,教 師 は生徒 た ちの あいだで 選 ばれた助手 に,監督 を委 ねていた。(14)」これ とは少 し性格 はちが うよ うで あ るが, イー トンで は1 56 0
年 には年長 の少年 たちのあいだか ら選 ばれた1 8
人 の風紀係( pr aepos i t i
)がいた。その役割分担 の うちわ けは4
人 は教室( s c hool ‑ r oom)
で欠席者 を調べ,4
人 は寄宿舎 での監督 ,4
人 は遊 び場 での監督,2
人 はチ ャペ ルでの監督 , ひ とりはホールでの監督,2
人 は自費生 を監督,1 8
人 目は清潔 さを保 つ係 とされていた(15)0イギ リスで は,教師 の数 を増 やす ことは長 いあいだ蹟頗 され てお り,各 ク ラスが固有 の教 師 を もつ に至 った時期 を正確 に確定 す る ことはで きない。 と はい え,教 師の複数化 の趨勢 をお し とどめ ることはで きなか った ことも確 か で あ ろう。 ただ し,各 クラスが固有 の教 師 を もつ に至 った に して も,今 日の 学校 で クラス と称 されてい るもの と同一視す るには,あ る特性 が欠 けていた。
( l l )Z b i d. ,pp. 8 2 ‑ 8 3 .
( 1 2 )
ア リエス,前掲訳書,17 4
貢。( 1 3 )Ma lc ol m Se a bor ne
,o p. c i t . ,p. 5 6.
( 1 4 )
ア リエス,前掲訳書,17 4
貢。( 1 5 )Mal c ol m Se a bor ne
,o p. c i t . ,p. 6.
16
人 文 研 究 第87
輯すなわち, クラスに固有で独立 した教室が なかった ことである。 学校 が クラ ス と教師 と教室 との三位一体 の最終 的な結合へ と辿 りつ くのは, ア リエスに よれ ばほぼ
1 7
世紀 を通 じてで ある。 それ以前の「長 い期 間 にわた って,教師 たち とかれ らに属 している生徒たちは, ひ とつの教室 のなかに集 め られ, こ の部屋 は 「ス コラ」 (学校)と呼 ばれていた。学校 ご とにひ とつの学業 の部屋しか存在せず, それ ゆえ 「ス コラ」 とい う言葉 には,部屋 の意味 と制度 の意 味 とが同時 に合意 されていた。 これ と同 じことは, しば ら く後 に「学級」 (ク
ラス) の言葉 について も生 じるであろ う。(16)
」
イギ リスについてその学校構造 をみてみ る と, セ ン ト ・ポールズ校 は,完 全 な円形 をしたひ とつだ けの部屋で,階段座席が あった。 この部屋 は,開閉 可能 なカーテンによって,四つの部分 に, すなわ ち,三 つの教室 と祭壇 をそ なえた礼拝室 とに,仕切 られていた。「これ は各教室 を完全 に分離す るまで に 至 っていないが,相互 の隔絶性 を保 とうとす る配慮 のあ らわれである。(17)」こ の ように学校空間が分化 して ゆ く過程 は長期 にわ た る ものだ った よ うで あ る。 た とえば
,1 7
世紀前半のグラマー ・スクール はその名称 とは裏腹 に, ラ テ ン語 に とり背かれていたわ けで はない.年少 の少年たちにたい して は英語 での読 み書 きの技術 も教 えられてお り, またたいへん重要性 を もっていた。校舎 を計画す るに際 して, とりわ け学校規模が大 き くな るにしたがい,構造 上 の分化が必要 とされた.た とえば,富裕 な商人 た るピー ター ・ブラン ドル
( Pe t e rBl unde l l )
がデヴォンのテ イヴ ァ‑ トンに1 6 0 4
年 に創設 した 「学校 の プランはひ とつの長 い建物 が上級学校( hi ghe rs c hoo
l) と下級学校( l owe r s c hoo
l)に分かれ,それぞれが スク リー ンで仕切 られ,一方の端 にはマスターの部屋が ある。内部 はふたつの学校がいか に視覚的 につなが ってい るか を示
o
OOO000000O0 O000してい る
。
その結果,1 6
世紀 の間 に上級 フォーム( uppe rf o r ms )
を教 える000
0
0000000 0000000 0000マスター と下級 フォーム
( l owe rf or ms )
を教 える助教 師( us he r )
との間 に( 1 6)
アリエス,前掲訳書,1 76
貢。( 17)
同上訳書,17 6
頁。教室の誕生前史
17
00000000000000000000展開 され て きた機能 の分化 は一層進 め られたが, すべ ての生徒 を収容 す るひ とつの大 きな教室 とい う旧い考 えは まった く放棄 されたわ けで はない0(18)」
イギ リスで は, なお長期 にわた って この状態が続 き, クラス ご とに固有 の 独立 した教室 が あてがわれ るよ うにな るの は,少 な くともフランス よ りは遅 れた ようであ る。 だが, その例外 もまた あ る。 イギ リス市民革命期 に活躍 し た ジ ョン・デ ュア リ (
JohnDur y)
は, その著 『改革学校』のなかで 自 らの理 想 とす る寄宿学校 プラ ン‑ 生徒数50
,60
人‑ を展開 してい る。「生徒が授業 を受 ける部屋 は
4
部屋 あるべ きである。すなわち,各助教師( Us h‑
er )
とその生徒 のた めの3
つの小 さな部 屋 と, ひ とつの大 きな部屋 で あ る。大 きな部屋 はすべての生徒が共用 す るギ ャレ リー
( Gal l er y)といった方
が よい。これ らの部屋 の備 品や教具 は次 の ようにすべ きであ る。
大 きな共 用 の部屋 は数学 的, 自然的,哲学的,歴史 的,医学 的,象形文 字風 な どあ らゆる類 の図絵,地 図,地球儀 ,道具,模型 ,エ ンジ ン, そ し て どの ような芸術 あ るい は科学 に関 してで あれ,感覚 の対象 とな る もの を 備 えるべ きで ある
。‑ ・
‑小 さな部屋 にはそれぞれ助教 師用 の高 い座 席が備 え られ,助教 師 はすべ ての生徒 を監督 で きるようになってい る
。
座 った り立 ち上が った りで きる20
の席が,それぞれの生徒 にたい して決 め られ てお り,生徒 の顔 が助教 師 に向か うようにで きてい る。生徒 の各席 には机 が あ り,紙 や他 の物 を うまく用 い られ るように してお くべ きで ある。(19)
」
「それ ぞれ の クラス につ いて別 々 の部 屋 とい う考 えが初 めて現 われた(20)
」
( 1 8 )Mal col m Se abor ne
,o p. c i t . ,pp. 50‑ 51.
( 1 9) JohnDur y ,TheRe f o r me dSc h o o l ,1 649? ,pp. 75‑ 76.
( 20) Mal col m Se abor ne ,o p. c i t . ,p. 63.
「もうひ とつの新 しさは20
人 に対 して1
人18
人 文 研 究 第8 7
輯とい う点 で, この学校 プランは同時代 の水準 をはるか に凌駕 して しまってい る。しか しだか らといって,イギ リスで も
17
世紀 を通 じて クラス と教師 と教 室 の三位一体 の関係 が現実 に出現 した, と結論 づ けるの はい ささか早計 で あ ろ う。 シー ボー ンも言 うように,「学校 プ ラニ ングの展 開 に関 して は,ここで はひ とまた ぎで1 9
世紀 にまで到達 して しまってい る。もち ろん これ は純粋 に 理論 的 な もので,ユー トピア論文 で あ り, 当時で も夢想 として簡単 に捨 て去られた類 の ものであった。(21)
」
私 た ち は主 としてア リエス, シー ボー ンに したが って, クラスそ して教室 空間 の史 的展 開 を簡 潔 に辿 って きた。本論 の冒頭 に示唆 しておいた ように, クラス分 けが精微 にな って ゆ くの は,少年期 や青年期 の固有性 が人 々 に強 く 意識 され るこ との反映 であった。 もう少 し「教育」にひ きつ けて考 える とどの
ような ことが言 えるのだ ろ うか。 ア リエス はクラス に直接 かかわ ってで はな いが, こんな ことを言 ってい る
。17
世紀 モ ラ リス トには, もはや楽 しみ ご と とか「児戯 」とい う言葉 で はな く,心理学 的関心 と道徳 的配慮 による子供期 と その独 自性 に対 す る愛着 が めば え,「教育 的手法 を子供 た ちの水準 にさ らに よ く適応 させ よう として,子供 たちの精神性 の中に奥深 く入 り込 む努力 が払 わ れ る(22)」こ ととなった。クラス分 けが精表敬にな ってゆ くプ ロセス は,子 どもが その固有性 に よ り沿 った形態 で教育 され るプロセス と同一 の もので あった。同 じことは生徒 の側 か らは こうも言 える
。
個 々 の生徒 の精神奥深 くに まで はい り込 もうとす る, いわ ゆ る教育的 まな ざ しが徐 々 に学校 内 に浸透 す る こ とは, 「きつ さ」が増 す ことで もあった。 とい うの も, そ こに個人化へ の指 向 性 を内在 させ る,心理学 的 ・道徳 的監視 へ の牧人 司祭的 テ クニ ックの浸透 をという生徒対スタッフの割合であり,そして(部屋の側面に沿 って座 り,互いに 向き合 うことにかわって)生徒 は教師に顔 を向けるべ きだ‑‑ という勧 めであ る
.」 ( Z b i d. ,p. 6 3. )
( 21 )L b i d. ,p. 6 3.
( 22)
ア 1)エス,前掲訳書,127‑1 2 8
頁。教室 の誕生前史
1 9
認 め る ことがで きるか らで あ る
。
牧人 司祭 的 なテ クニ ックは当然 の こ となが ら, その対 象 (子 ども) を凝視 して理解 を示 す。 じっ と見 つ めて比較考量 す れ ば, 「この子 は‑‑‑である」とい う知が生 まれて くる。 そ して この知 は今度 は逆 に子 どもに働 きか け, 自己確認 を迫 るわ けで あ る。 だか ら子 どもに とっ て は, この教育 的 まなざ しは表層 に とどまらず,魂 の奥深 くにはい り込 もう とす るので,逆 にきつ くな るわ けで あ る。 ただ しその対 象 とされた子 どもが「きつ さ」を感 じ とるか どうか は また別 問題 で ある。 とい うの も,人 をか らめ とる質 のその まなざ しは, けっ して暴力 的 な もので はな く, いた って ソフ ト だか らであ る(2
3 ) 0
これ をクラス とい う問題 に沿 って解釈 してみれ ば,牧人 司祭 的 な権 力 が学 校 とい う空 間 そ して時間 を統制 しよう とす るメカニズムのなか に, 当初 か ら 深 く埋 め込 まれてお り, そ うい うメカニズムのなかで,子 どもへ の まな ざ し もまた生 まれでた とい うことで あ る。 牧人 司祭 的 な関心 と子 どもへ の まなざ しは切 り離 す こ とはで きず, ある意味 で表裏一体 の関係 にあ ったので あ る。
子 どもへ の まなざ しは思想家 によって初 めて表 明 され, その現実的 なあ らわ れ としてクラス を生 み,学校 の空 間構造 も変貌 を とげた, とい うだ けで はな い。 そ うい う面 を否定す るわ けで はないが,人 間 の意識 が常 に先行 し, その 意識 の外化 として制度が追 随す る とい うよ りは, ここで は制度 に よって逆 に 意識 が規 定 され る点 をあ えて強調 してお こう。 すなわ ち,空 間的 にそ うい う 場 が形成 され る ことに よって‑ そ うい う場が きわ めて悪意 的 に形成 された
とい ってい るわ けで はない‑ ,意識 もその枠組 みのなかで もの を捉 える こ とが強 い られ る とい うことで ある。 したが って, ここで は場 と意識 との相互
( 23)
牧人司祭権力 とは, ( 1)
対象が個人であること( 2)
その対象の幸せを図ること( 3) 献
身的であること,の三つに特徴があるのだが,これを個人の側か らみると,(1)自らを救 うことを義務づけられている
( 2 )
他者の権威 を受 け入れなければならず,法 よりももっと細か く厳密で微妙な支配 と断罪が待 っている。牧人司祭は個人の行 動すべてを知 り,監視 しているか ら,( 3)
自己の意志 を強要 され謙虚 さを求められ ている, ということになる。 ( M.
フ ー コ ー「 <
性 >と権力」「現代思想」78 年 6
月号,『哲学の舞台』朝 日出版社 に再録)20 人 文 研 究 第 87
輯浸透 とい う関係 が想定で きるので はないか。
い ささか先 を急 ぎす ぎたか もしれ ない。ここでの私 の主た る関心 は
1 7
世紀 に子 どもへ の まなざ しが生 じる, あ るい は変貌 す る ことにはない。 そ うで は な くて, シー ボー ンが デ ュア リの学校改革 に触 れて 「学校 プラニ ングの展開 に関 しては, ここで はひ とまた ぎで1 9
世紀 に まで到達 して しまってい る(24)」
と評価 を くだ してい る
,1 9
世紀 にお ける教室 の展開 を辿 る ことなので あ る。とい うの も,権 力 メカニズム としての学校空 間で あ る教室 は
,1 9
世紀 にお いてた いへ ん大 きな意味 を もっていた, とみな してい るか らで あ る。 かつて ギ ャレ リー,遊 び場 を論 じた拙稿 で次 の ように記 しておいた。す なわ ち 「子 どもた ちは学校 空 間で は,途切 れ る こ とな く教 師 の まなざ しに晒 され,心 の 内 まで剥 きだ Lにされ,視 られてい る存在 となった。理論上 あ るいはマニ ュ アル上 は,民衆学校 には もはや教 師 の まな ざ しを遮 断す る闇 の空 間 を許容 す る余地 はな くなってい く。 しか しそれ はけっ して強制 的 なメカニズムで はな く, どち らか とい う ときわ めて 自由で柔 らかな非強制 的方法 で,子 どもの差 異化,個人化 をはか るメカニズムで あった。 この個人化 ・差異化 メカニズム は新 た な子 どもの像 を結 ばざ るを得 ない。 それが 「全面 的人 間」
とい うもの を うみだす前提 で あった。民衆学校 は労働 者階級 の子 どもた ちの育 ち方 その もの を克服 の対 象 とした もので あ り, その克服 の万能薬 として構造化 が はか られたわ けで ある。 そ こで は,教 師 の まな ざ しの もと,生徒 が隠れ るべ き, そ して 自分 を兄 いだす闇 は消滅 して しまう。一言 で言 えば 「可視」 の整序 さ れた秩序空間が構造化 された, ともいえ よう。 視 る ことを徹底 す る, この観 察実験場 はい った い何 を生 み出 したのだ ろ う。 それ に答 えるには, もう少 し 微視 の権 力 としての学校構 造 に こだわ って み よ う。(25)」
そ う した こだわ りの( 2 4 )Mal col m Sea bor ne , o P. c i t . ,p. 6 3.
( 2 5 )
拙稿 「微視の権力 としての学校‑1 9
世紀イギ リス教育史研究 その2
の2
‑ 」小樽商科大学 『人文研究』第
8 5
韓,19 9 3 ,4 2 ‑ 4 3
頁。誤解 を招かないため にあえて強調 してお くが,「整序 された秩序空間が構造化 された」のは,あ くま教室の誕生前史
21
ここでの新 た な対 象 は,ほ とん ど取 るに足 らない微細 な「教室」 (
cl as s r oom)
で あ る。 すで に論 じたギ ャレ リー,遊 び場 につづ いて, その延長線上 に 「可 視」の整序 された空 間 として, 「教室」を描 くことが ここで の課題 であ る。1 9
世紀 の初 等学校 で はクラスが大規模 に展開 され,世紀後半 にはクラス と教室と教 師 との三位一体 の完成態 を とろうとしていた。私 た ち はその前史 の
1 7
世 紀 までの上 層 の階層 のた めの学校 での展 開 に触 れたが, こん どは民衆教育 での教室誕生 の前史 に触 れ な くて はな らない。
モニ トリアル ・システム と教 室
1 9
世 紀 前 半 の民 衆 学 校 の メ カニ ズ ム と い えば, モニ トリアル ・システム を抜 きに して語 る ことはで きない。 モニ トリアル ・システム について は,1
830
年代以 降のテ クノロジーの前段 階 として 位置 づ け, あ るい は位置 づ けなお してみ るつ も りで あ るが, 当面 の課題 であ るクラスあ るい はクラス空間 とい う視 点 に絞 って簡単 に ここで は触 れ るに とどめてお く。
さてモニ トリアル ・システムで はいった い どの ような クラス分 けが な され ていたのだ ろ うか。 そ してそれ はいか な る原理 に もとづ き, いか に機能 した のだ ろ うか。 まず は この こ とを創始者 のひ とりラ ンカスターの著作 か ら拾 っ てみ る ことに しよう。 ラ ンカスターの場合,読 み書 きで は初歩 の第
1
クラス( ABC
のアル ファベ ッ トの読 み方)か ら第5
クラス (5
あ るい は6
文字 の こ とば) まで, そ して読 む ことので きる生徒 を対 象 とした第6クラス (
聖書) か ら第8
クラス (読本 ) まで とい うように,生徒 を8
つのクラス に分 けてい た。算数 に関 して も初歩 の第1
クラスか ら四則 の応用問題 を扱 う第1 2
クラス まで に分 け られていた(26)。ベル の場合 も,学校 はひ とりのマスター, あ るいで も 「理論上あるいはマニュアル上」での ことである。矯正装置がマニュアル通 りに作動 したわけではない。
( 2 6 )Jos e phLanc as t e r ,I mpr o v e me nti nEduc at i o n,t hi r de d , ,1 8 0 5( r e p. 1 9 7 3 ) ,
pp. 41 ,6 4.
2 2
人 文 研 究第 8 7 帝
は校長
( s upe r i nt e nde nt )
によって運 営 され るのが基本 で あ り, このた めに学 校 は同様 の学力進度( pr of i ci e nc y)
の生徒約3 6
人 か ら構成 され るフォーム あ るい はクラス に分 け られ る。 ほぼ同様 の学力進度 の生徒 か ら構成 され る とい う意味 で,ベ ル は これ を同質 な クラス分 け( equal i z e dcl as s i f i cat i on)
と称 し てい る。 各 ク ラス に は1
名 の教 師( t eac he r )
,人 数 が 多 い場 合 に は助 教 師( as s i s t antt eac he r )
がつ く(27)0それで はなぜ その ような クラス分 けが モニ トリアル ・システムで は必然化 す るので あろ うか。ベ ル は この ことを こう言 う。 第一 の原則 は自己運動 的 な 教育
( s el f ‑ t ui t i on)
で あ り, 「第‑ の原則 に従事 し, それ に続 くもの として, 学校 の教授 と規律 を統制 し,運営 す るの に役立 つの はクラス分 け( Cl as s i f i ca‑
0000000
t i on)
と競争( Emul at i on)
で ある.(28)」
その メカニズムの 「第‑ の大法則 は000000 0 0 00 0 0 00 0 0 00 0 0 0 0 0 000 0 00 0
‑‑・各 々 の生徒 は 自分 自身 で 自分 の レベ ル を見 つ け, 自分 の相対 的 な学 力 0000 0000000000()00000000000
( pe r f or mance)
に応 じて,絶 え間 な くフォーム内の席次 と学校 内での ラ ンク000C〉0
を上下す る(29)
」
ことで ある。 あ るい はランカスターの言 う ところを拾 ってみ 000000る と,「競争 を奨励 し,学習 を容易 にす るた め に,学校全体 はクラス に分 け ら れ,各 クラス にはモニ ターが任命 され る。 ひ とつの クラス はその学力 が同 じ であ る一定 の人数 の少年 た ちか らなってお り,彼 らは一緒 にクラス分 けされ, 一緒 に教 え られ る。 ‑‑・あ る学校 で同一 の レ ッス ンを学 んでい る少年 た ちの 数 が
6
人 に達 すれ ば, クラス分 け し,共 に( i nconj unct i on)
学 ぶ こ とに よっ( 2 7 )Andr e w Be
ll,Bn' e fMa nu alo fMut ua lI ns t r uc t i o na ndMo r alDi s c i pl i ne
,I ‑・ ・ t e nt he di t i o n ,di ge s t e da ndab r i d ge d ,f r o m f o r me re di t i o no f 1 8 23a nd 1 8 27 ,pp. 6 8‑ 6 9 ,i nTheCo mbl e i eWo y k so ft heRe v .Andr e wBe l l ,1 8 3 2 .
「クラ ス数は少なければ少ないほど,そして各 クラスの生徒数 は多 ければ多いほどよ い。というのは教授,査察,そして監督の容易さ,模倣そして競争の機会,有能 な熟達 した教師の選択可能性 は同じ割合だか らである. 」( Andr e w Be
ll,Mut ual Tui t i o na nd MwalDi s c i l ) l i ne・ ・ ・ ・
‑,s e v e nt he di t i o n,p. 5 2 ,i n TheCo m pl e t e u ) 0 7 1 k s‑・ ‑p. 5 2 . )
( 2 8 )Andr e w Be l l ,TheWr o n gso f Chi l dr e n
‑・・‑p. 2 1 ,i n TheCo mpl e t eWo r k s
( 2 9 )Andr e w Be l l ,Mut ualTui t i o na ndMo r alDi s c i pl i ne・ ・ ・
・‑p. 5 2 .
教室 の誕生前史
23
て学力 は倍加 す るで あろ う。(30)」これだ けの ことか らも,クラスの存在 その も の を解 く鍵 は <競争 >にあった ことは容易 に理解 で きよ う
。
ランカスターの 著作 で あれ,ベ ルのそれで あれ, それ らをひ もとけば, そ こに兄 いだせ るの は <蓑 争 >のオ ンパ レー ドで あ る。 ランカス ターの ものの言 い方 に したが え ば,親譲 りの気高 さ( he r edi t ar ynobi l i t y)
で はな く,一般市民 の気高 さ( ci vi l nobi l i t y)
を高 め るの に,競 争 と褒賞 の システム に優 る もの はない(31)。そ もそもモニ トリアル ・システム は,人 間 の <利 己心 >あ るい は<エ ゴイズム >を 基本 的 に肯定 す る ことか ら出発 してい る。人 間が快楽 を追 い もとめ,不快 を 避 ける とい う,一面 で は きわ めて リアルな社会的人 間像 に立脚 した もので あ る
。
生徒 の望 ましい行動 に対 して は即座 の賞 を, す なわ ち快 を与 える一 方, 望 まし くない行動 に対 して は即座 の罰 を,す なわ ち不快 を与 える。教室 の隅々 に まで この賞罰 の体 系 を張 りめ ぐらせ, この過程 を繰 り返 し習慣化 す る こと に よって, おのず と生徒 は望 ましい価値 を身 につ けるようにな るはずで あった
(32)0さて, この <競争 >が具体 的 に どの ような形 で学校 内 に もち込 まれたか に ついて は, か な り多 くの ことが語 られて きた。屋上 に屋 を架 す る ことにな る が, ここで は一例 を挙 げてお く。 ラ ンカスターのプ ラ ンには, カー ドを用 い てアル フ ァベ ッ トを教 える方法が あ る
。1 2
人 の少年 た ちが,教室 の壁 に吊 る された厚紙 に書 かれた アル フ ァベ ッ トの まわ りに円 くなって並 ぶ。少年 た ち はそれ ぞれ厚手 の紙 に書 かれた1
か ら1 2
まで の番号札 を コー トの ボタ ンか ら紐 で 吊 るすか,首 にか ける。最 も出来 の よい少年が一番 の地位 に立 ち,革 の札 に金箔 でメ リッ トと書 かれた札 を,名誉 のバ ッジ としてつ けていた。 モ ニター はつね にその1
番 の少年 に最初 に質 問 を投 げか ける。 アル フ ァベ ッ ト(30)
J os e phLanc as t e r , o P. c i t " P
AO.( 31 )L bz ' d. ,pp. 9 4‑ 9 5.
(32)まさにそれは 「はずであった」ので,実際にはモニ トリアル・システムは生徒 からも親か らも不評 を買い,それほどの広 まりをみせたわけではない。
24
人 文 研 究 第87
輯のある文字 を指 さし 「この文字 は何か」 と尋ね る。 もしその生徒が その質闇 に正 し く答 える と, その席次 は確保 され る。 答 え られない場合 には,正 し く 答 えた次 の少年が その席次 を占め る。こうして
ABC
クラスにいる少年 は,ア ル ファベ ッ トの文字 を学ぶ と, 2文字 のモノシラブル を学ぶために次のクラ スへ と進級 す る。そ してそれ を習得 す る と,よ り上 のクラスへ と進級 す る( 33 ) 0
このクラス分 け と競争 とによって,「教 師 はほ とん ど困難 な く,ひ とりの生 徒 を教 えるよ りも,全生徒 を教 えるのが よ り容易 とな り,創造主が最 も賢明 000000000000 で気高 い 目的のために子 どもの心 に植 えつけた,競争心 あるいは人 よ りも秀
○()()00000()
でたい とい う気持 ちが よびお こされ, それ は尽 きない楽 しみ とな り,賞賛 す るに足 る努力への絶 え間ない刺激 となる(34)
」
はずであった。競争 とクラス分 け との結合 は, 自己運動的な教育( s el f ‑ t ui t i on)
を実現す る要石 であった。だか らその理想郷 であるモニ トリアル ・システムの学校 で は 「偶然的な,窓 意的な体罰 に代 わ って,マ ドラス・システム は人間の本質
( cons t i t ut i on)
に もとづ き,子 どもの特質 にかなった, そ してその対象 とな る人々 自身 の管理( admi ni s t r at i on)
に任 され,絶 え間な く作用す る法 コー ドにお きか えた。‑‑●●● ●■
結局,同質 なクラス分 け
( e q ual i z e d cl as s i f i cat i on)
とい う方法 は学校 を闘技●
場
( we nd)
とす る. その闘技場 で は,学徒戦 闘員 にたい してその成功失敗 に 応 じて褒賞 と罰 が片時 も休 む こ とな く与 え られ る(35)」 そ うい う もので あっ た。競争 とクラス分 け とい う手段 を用 いた 自己運動す る教育 は,当然 の ことな が ら教師の役割 を無化 す る傾 向 を孝 む。「教 える ことがモニターの仕事 ではな い。少年 たちが 自分 の クラスあ るいは分団
( di vi s i on)
で相互 に教 えているこ とを監督( s ee)
す る(36)」ことがモニ ターの仕事 であ る。 自動的なメカニズム( 3 3 )Jos e phLanc as t e r , o p . c i t . ,pp. 4 5 ‑ 4 6.
( 3 4 )And r e w Be l l ,Mut u alTui t i o na ndMo 7 1 alDi s c 砂I i ne ・ ・ ‑ ・ ,p. 5 3 . ( 35) L b i d. ,p. 5 5.
( 3 6 )Jos e phLancas t e r , o p. c i t "p. 46 .
教室 の誕生前史
25
に必要 な もの はコー ドで あ り, いか にそのメカニズムがすべ らか に作動 す る か を監視 す る一員が モニ ターで あった。 だか らモニ ター はメカニズム に組 み 込 まれた部 品で しかない。教 師 みずか らがモニ ター を含 む上級 クラスの生徒 た ちの教授 を担 当す る こ とはあったが, その ほ とん どの時間 は,学校 内 シス テム ‑秩 序 を形成 ・維持 す る こ とに用 い られ ていた。そ もそ もモニ トリアル ・ システムの システムた るゆえん は,ひ とたびその システムが確立 さえすれ ば, それ 自体 の力 に よって システム は自動 的 に働 き,教 師 も機械 の歯車仕掛 の一 種 の運転者 として, システムの一部 品 として その内部 に組 み込 まれ る もので
あった。
ところで, クラス分 けが な され るた め には, その教育課程 が漸進 的 に組 み 立 て られ ていな けれ ばな らない。す なわ ち,教育 内容 が分節化 され,生徒 へ の適合 が図 られてい る こ とが前提 とな る。 この点で はモニ トリアル ・システ ム はその条件 を満た していた。 「マ ドラス・ス クール あ るい はその他 の学校 の マ スター, あ るい は親 で あれ テ ユー タ‑で あれ, その第‑ の務 めは,徐 々 に そ して ほ とん ど眼 に見 えないほ ど漸進 的 に, 方法的順 次性 に沿 ってア レンジ された教育課程 を準備 す ることである。す なわち『よ り少 ない合図 による理解』
( " anot i o n' b w admi nu s noh Z ")
である。そ うして各 レッス ンが以前習 った こと, (⊃0000 そ して次 に習 うこ とと緊密 に関係 を もつ ようにす る こ とで あ る。 この プロセ000()00000000000000
ス はその基礎 を人 間 の性質 に置 いてお り,文学 に と同様 あ らゆ る芸術 と科学 に属 してい る。(37)
」
「勉 強が進 むか どうか はステ ップの低 さそ して各部 の関連 にかか ってい る。 ステ ップが子 どもの年齢 や力 にふ さわ しい もので あれ ば, 段 階 を踏 んで そ して容 易 に登 ってい くことがで きる。 ステ ップがたいへ ん大 きい と,年齢 の高 いそ して力 の強 い者 のみが登 るこ とがで きる。 極端 に高 い ステ ップで あ る と,少数 の者 のみがや っ との こ とで登 る ことがで きる。(38)」
( 3 7 )Andr e w Be
ll,El e me nt so f Tu i t i o n,P ar tI l
l,p. 3 7 ,i n TheCo mpl e t eWo r k s
( 38) I b i d. ,p. 72.
26
人 文 研 究 第8 7
輯子 どもに即 した この ような教育課程 が民衆教育 に導入 されてい くことは, それ以前 の 「無関心 さ」か ら学校教育 が脱 けだ してい くことを示 していた。
ただ しそ うはい うものの,子 どもに沿 うといった場合 で も, それ以後 の教授 方法 に較 べて,教育 的 まなざ しが子 どもの 「内面性」 に及 んでお らず,表層 的である とい う印象 は否 めない。 それだか らこそ,モニ トリアル ・システム は 「機械 的」として斥 けられてい くわ けである。 すで に触 れた ように,犯罪, 貧困,社会秩序 の撹乱 は労働者階級 に健全 な道徳 ・行動原理が 「欠如」 して
い るが ゆえに生 じるのであ り, その空隙 を埋 め,救貧 に頼 る ことのない よう に自助 の精神 を子 どもの ころか ら植 えつ け,犯罪 にはしるのを予防す るた め の教育が, モニ トリアル ・システムの核 をな していた もので あった。
だか ら,た とえば時間 とい う観念 にして も,個々 の子 どもの力 を有機 的 に 結 びつ け,増大 させ る とい う視点 はそれほ ど強 くはない。学校 内での活動 は 無為怠惰 に陥 るのを阻み,時間の浪費 を防 ぐことが 目的であ り
,3R'
Sをいか に楽 し く,迅速 に,かつ効率 よ く子 どもたちに身 につ けさせ るかに主眼が あっ た。 そ もそ も下層階級 の子 どもの頭 のなか は空 っぽであ り,行動原理が欠如 してい るか ら,その空洞 を何 らかの活動で満 たせれ ば事足 りるものであった。い うな らば,時間 は子 どもとい う空 の容器 を,絶 え間のないなん らかの活動 によって埋 めれ ばよいスペースであった。モニ トリアル ・システムで怠惰 が いか に怖 れ られ,常 に号令 が い き交 い,作業がな されてい ることが, いか に 重視 されたか は強調 す るまで もなか ろ う。 そ して 「モニ ター は彼 の監督下 に あるクラスの各々の少年 たちに絶 え間 ない まなざ しを注 ぎ,少年がお しゃべ りを した り,怠 けて時間 を無駄 に使 っている ときには注意 しなけれ ばな らな い(39)」 そ うい うメカニズムの歯車 のひ とつであった。
時間 の尽 きざる活用一一.「積極 的 な時間意識が子 どもたちの一瞬一瞬 を補捉 し, その行動 を記録 し,累積 し,分析 の対 象 とし, そ こか ら矯正措置 を導 く
( 3 9 )Jos e phLanc as t e r ,
oP. c i t . ,p. 1 0 0.
教室の誕生前史
27
‑ が めざされ る領域 に までモニ トリアル ・システム は到達 していなか った。
したが って <個人性 >を作 りだす とい う観 点 か らい えば,完成態 に至 ってい なか ったモニ トリアル ・システムで あ るが, その学校 空間 は どの ように構想 されたので あ ろ うか。 シーボー ンによれ ば, ランカス ター は授業 について は 詳細 な論 を展 開 していたが,学校 の空間構 造 について は 『ブ リテ ィッシュ ・
システムの教育
( TheBr i t i s hs ys t e m o fe duc at i o n ,1 81 0)
』そ して『ブ リテ ィッ シュ ・システムの教育 に よるス クール ・ルームの建築 ,備 え付 け, ア レンジ のための ヒン トと指示 (Ht ' nt sanddi y l e C t i o nsf o rb ui l di ng,j i l t i ng
upand ar r an gi n gs c ho olr o om o nt heBr i t i s hs ys t e m o fe duc at i on ,1 811 )
』 で は じめて示 された
。
「最初 の本 は,机 が部屋 の側面 に沿 って据 え られ るので はな く, 教 師 に向か うように据 え られ る とい う, その当時 として は革命 的 レイアウ ト で あった もの を公表 した。机 は書 き方 のた め に用 い られ,充分 なスペ ースが 部屋 の両 サイ ドに残 され,そ こで は子 どもた ち は小 さなグルー プにな り読 み, 綴 りそ して算術 をモニ ターの監視 の もとで習 う。(40)」ランカスターの考 えは内外学校協会 に よって受 け継 がれ,協会 が 『初等教 授 システムのマニ ュアル
( Man u alo nt heS y s t e m o fPr i ma 7 y I ns t r uc t i o n
,Pur s ue di nt heMo de lSc ho olo f t heBr i t i s handFwe i gnSc ho olSo c i e t y,
1 831 )
』 を発行 した1 831
年 まで には驚 くほ ど詳細 にな った。 このなか に掲 げ られ てい るのが,私 た ちが よ く目にす るバ ラ ・ロー ドの内外学校協会本部校 の図であ る。それ は監視 す るため に,こん な工夫が な され ていた。「教師 がす べての子 どもた ちを くまな く見 るこ とがで きるように,床 は傾斜 を もってい る ことが のぞ ましい。教師 の机 か ら最上級 あ るい は第8
クラスが位置 す る部 屋 の上端 まで20
フ ィー トにつ き 1フ ィー ト上が る。(41)」
少 な くともモニ トリ( 4 0 )Mal col m Se abor ne , o p. c i t . ,p. 1 3 6.
(41)
Ma n
ualo nt h eS y s t e mo fPr i n w7 yZ n s t r uc t i o n・ ・ ・ ‑ , p. 6 7 .
ベルのマ ドラス方式 の部屋では配置が (ランカスター方式 とは)まった く反対で,側面の壁 には書 き 机があ り,部屋の主要な部分 はクラス毎 に子 どもたちが立 って授業 を受 けるように空 けてあった。
28
人 文 研 究 第8 7 輯
アル ・システム につ いて は よ り詳細 な検 討 を必要 とす るが,次 の ような評価 を無視 す る こ とはで きない
。「 1 8
世紀 には≪序列≫が,学校 の秩 序 のなかでの 個 々人 の配分 とい う大 がか りな形式 を限定 しはじめ るので あ る。 ‑‑系列本 位 の空間の編成 は,初等教育 の技術 上 の大変化 の一 つで あった。 その空間 の おか げで,伝統的 な教育 方法 (あ るひ とりの生徒 が先生 と数分 のあいだ勉強 してい る,他 方 その間,待 た され る生徒 た ちの雑然 た る集 ま りは監視 の 目 も とどかず遊 んでい る) をの り越 える こ とがで きた のであ る。 その空間 によっ て, それぞれの生徒 の座席 が定 め られた結果, ひ とりひ と りの取締 りと全員 一斉 の勉 強が可能 にな った。 また勉 強時間 の新 しい節約 が組織化 された。学 校 の空間 を,学ぶだ けのみな らず監視 し階層化 し賞罰 を加 える一 つの装置 として機能せ しめ るよ うになった。(42)
」
ただ し,教 師の視線 に どの程度個 々の子 どもの要素 が はいって きて, それ が子 どもの個人性 を どの程度浮 かびあが らせ,矯正 に反映 したか ははな はだ 疑 問で ある。試験 に関 してホスキ ンが指摘 した ように,権 力/知 テ クノロジー の端緒 は認 め られ るが,点数評価 が欠 けてお り, <個人 > とい う知 を生 みだ す まで には至 っていなか った。生徒 を標準 を もって個人 (別)化 で きるよう な, あ るい は標 準 か らの計量可能 な逸脱 に よって個人化 で きるような,客観 的尺度がかた ちづ くられ て はいなか ったのであ る(43)。同様 に,個人化 を生 み だす空間が モニ トリアル ・システムの学校 で完成態 として出現 していたわ け で もない。 とい うの も, それ は教 師が生徒全員 を教 える一斉授業 で はなか っ た し, したが って教 師の視線 に個 々 の子 どもた ちが はいって きていたわ けで はない。 そ こに個人化 テ クノロジーの端緒 を認 め る ことはで きるに して も, 個人化 を生 みだす メカニズムの空間的指標 とな るの は,独立 した教室 の出現 で あった。