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ポス ト ・ヒューマ ン時代 の政治的想像 力, あ るいはアイ ロニカルな神 話
‑ ダ ナ ・ハ ラ ウ ェイ の 「サ イ ボー グ宣 言
」を読 む そ の ( 1 ) ‑
副 島 美 由紀
1 .バ ズ ・ワー ド : 「サ イ ボ ー グ宣 言 」
「われわれ はすで にサイボーグで ある。」とい う触発 的 な言明で知 られ る「サ イボー グ宣 言 」( 1 ) は,現在 カ リフォルニ ア州立大学 サ ンタ クル ス校 ,意 識 史 ( Hi s t or y of Cons ci ous nes s )講座 の教授 で あ るダナ ・ハ ラウェイ Donna JeanneHar awayの主要論文 で ある。 もともと動物 学か ら出発 したハ ラウェ
イは, イェ‑ル大学 で生物学博 士号 を取得, ジ ョンズ ・ボブキンズ大学 やハ ワイ大学 ホ ノルル校 で教歴 を経 た後,現職 についてい る
。ポス ト ・フェ ミニ ズム時代 を迎 えた現在 の フェ ミニズム理論家 のひ とりで はあるが, その関心 は遺伝子工学や生物学,霊長類学 か ら労働 関係論 と多岐 にわた ってお り,特 にポス ト ・ヒューマ ン時代 の生体政治学 とい ったテーマ を最近 の思索 の中心 に据 えてい る ところか ら,彼女 を ミシェル ・フー コーの思索 を継 ぐ思想家 の 一人 と見 る こともで きるだ ろう
.1 9 85 年 に発表 された この 「 サイボーグ宣言」は,彼女 の膨 大 な発表論文 の 中で も特 に注 目を集 め,多 くの フェ ミニス トや SF評論家 たち によって再読 ,
(1)斑a r awa y,Do nna. " A Mani f e s t of orCybor gs :Sc i e nc e,Te c hnol ogy,and Soc i al i s tFe mi ni s m i nt he1 9 8 0 S "i nEl i z a be t hWe e d,e d ,Co mi n gt oTe r ms . ・ Fe mi ni s m,The o w ,Po l i t i c s ( Ne w Yo r k:Rout l e dge ,1 9 8 9 ) ダナ ・ハラウェイ
「 サイボーグ宣言」 小谷真理訳,巽孝之編,『 サイボーグ・ フェミニズム』トレヴイ ル,1 9 9 2 ,以下,ハラウェイ論文 ( 日本語訳)か らの引用は, ( )内の頁数で,
また原著か らの引用は [ ]内の頁数で本文中に記す。
再録,再版 されて きた。特 に,サイバーパ ンク と呼 ばれ る SF の作品群 を読 み 解 くのに恰好 の理論 として多 くの場 で言及 されてお り,冒頭 にあげた科 白は, マ ン‑マ シー ン共生系時代 の到来 を告 げる託宣 さなが らに引用 され, その分
バズ●ワ‑ド
野では一種流行語 と化 した感 す らある
。確か にこの論文 は,人間/機械,人間/動物 といった旧来 の境界 に対 す る 超越 を推進 しようとしてい る点 において, ポス ト・ヒューマ ンを標樺す る文 学作品の レ トリカル な戦略 にに強力 な理論的補強 を与 えうる もので ある。実 際ハ ラウェイ 自身 も論文 の最後部 で,境界侵犯 のパ ター ンを豊かに提供 して くれ る源泉 として非 白人系の女性作家やアメ リカの代表 的 な女性 SF 作家 た ちの作 品 を挙 げなが ら,サイボーグ ・フェ ミニズム
(2)の観点か ら文学 を読 む 方法 を試 みている 。 しか し, この論文 は, 「 1 9 8 0 年代 の科学 とテクノロジー, そ して社会主義 フェ ミニズムについて」 とい う長 い副題が語 るように,本来 文学理論 として発表 された もので はない。 その初 出は 1 9 8 5 年 の『 社会主義評 論 』So c i a l i s tRe vi e w 誌 であ り, もともと ,1 9 8 0 年代 とい う時代 について, 社会主義 的/ フェ ミニズム的視点か ら政治的解釈 を加 えては しい とい う要請 の もとに執筆 された ものである。 よって,サイエ ンス ・フィクシ ョンを読 む ための批評理論 とい う印象 を与 えがちな この 「 サイボーグ宣言」 は,本来, 現実の社会情勢,つ ま り, レーガ ン政権下 の政治的現実 を参照点 に した評論 で あ り, また,社会変革へ の関わ り方 に,ハ ラウェイ 自身の言葉 に従 えば,
「 矛盾 にみちみちた世界 においていか に思考 と行動 を連携 させ てい くか とい う問題 ( 2 6 )[ 1 7 3
]」に取 り組 むためのひ とつの政治的提案 なのである 。
また, 「 サイボーグ宣言」 は次の ように始 まってい る
。「フェ ミニズム,社会主義,そ して唯物論思想,これ ら三本柱 を信条 とす る アイロニカル な政治神話 を構築 す ること, それが本論 の も くろみである( 28)
(2) 「 サイボーグ・フェミニズム」 とはハラウェイ自身の命名ではな く,「 サイボー
グ宣言」に触発されたフェミニス トや文芸批評家等のネー ミングによるものであ
る
。ポスト・ヒューマン時代の政治的想像力,あるいはアイロニカルな神話 177
[ 1 7 3 ] 。 」 ポス トモ ダ ン以 降, フェ ミニズムで ある こととアイ ロニ カルで ある
フイクション
ことはほ とん ど同義 に等 しい。 なぜ な ら,物語 を語 る人 間主体 その ものが, すで に一定 の歴史 的物語 の効果 にす ぎない とい うポス トモダ ン最大 のアイロ ニーのただ なかで, フェ ミニズム は何 に もまして 自らのアイデ ンテ ィテ ィの 立脚 点 に疑 問符 をつ きつ ける もの, T ・イーグル トンの言葉 を借 りれ ば, 自 らの足元 か らカーペ ッ トを抜 き取 る行 為 を敢行 す る もの
(3)だか らで あ る
。し たが って 『 サ イボー グ宣言』の言説 自体, アイ ロニー にみちみちてい る
。「 信 条
」「 神 話構築」 とい った言葉 か らしてすでに, 「冒漬」や 「 神話解体」 と同 義 なのだ。われわれ は このアイロニー を充分 に享受す るのでな けれ ば,「サイ ボー グ宣言」 を通過す るわ けにはいか ない。 この宣言 は,ただ単 に ( 文化〉
と く自然〉 の対立 関係 に幕 を引 き,人 間 と機械 の共生関係 を慶賀 しよ うとす る もので は決 して ないか らだ。 む しろ, その ような共生関係 を可能 にす るテ クノロジーの " 物語性〝 にわれわれの 目を向 けよう とす る ものなので ある。
ところが,特 に SF 関係 の文献 に見 られ る「サイボーグ宣 言」の援用 は,時 と して この フェ ミニズム理論特有 のアイ ロニー を読 み落 としてい るように思わ れ る.(サイボーグ ・ポ リテ ィクス), つ ま りハ ラウェイの提唱す る政治意識 を,「 革新的 な代替案 としてのテ クノロジー との共生 とい う展望 を開いて くれ るもの」として認識 し, 「 実際 の ところ, この共生関係 はすで に獲得 され てい る
(4)。」と楽観 す るな らば, われわれ は科学 とテクノロジー による社会 の集積 回路 で 情報伝達 に勤 しむ ことに よ り, その回路 を紡 ぎ出す「 支配 の情報工学」
にやすやす と加担 して しまいかねない。 それ こそハ ラウェイが警告す る方向 なのである
。「サイ ボーグ宣言」 を単 な る SF 界 のバ ズ ・ワー ドとして終 わ らせ る ことな
(3 )テ リー ・イーグル トン 『ワルター ・ベ ンヤ ミン :革命的批評 に向けて』勤革書 房,1 988 ,2 03 貢。
(4 )スコッ ト・ブカー トマン 「 ポス トヒューマン時代の太陽系」山田和子釈,『 ユ
リイカ 』1 9 9 3 年 1 2 月号,青土社 ,6 0 頁。
く,この提案の持 つ革新性 を真 に理解 しようとす るな ら,それが本来 8 0 年代 の現実認識 に立脚 した政治評論であること, ひ とつの フェ ミニズム理論であ ること, この二点 は決 して忘却 されてはな らない。で は,ハ ラウェイの提唱 す るサイボーグ ・ポ リテ ィクス とは, どのような政治学 を言 うのだ ろうか。
くサイボーグ)とは,ハ イテク情事酎ヒ社会が 「 人 間」中心主義 の終幕 を迎 える にあた って浮上 して くるイメージ として, どの ような解放 の想像力 をわれわ れ に与 えて くれ るのだ ろうか。 また, それが特 に女性 の政治意識 を変 える と すれ ば, そめ極 めつ けのアイロニーはいかにしてフェ ミニズムの修辞的戦略 た り得 るのか。本論 はこれ らの問いを中心 に据 えつつ,難解 ではあるが多 く の示唆 に富 んだ このハ ラウェイ論文 を,その中心的立脚点 に沿 って読 み直 し, その全体像 を把握 し, それ によってサイボーグ ・ポ リテ ィクスをその可能性 の広が りにおいて捉 えるための足掛 か りを作 ってみたい。
2 .境 界 線 解 体 の 3 つ の段 階
サイボーグ ・ポ リテ ィクスが掲 げる目標 は明解である
。それ は, いか にし て西欧的 ロゴスの具象化 としての 「 人間」 にな らず にすむか を学ぶ ことで あ る
。ハ ラウェイの言 う西欧的 ロゴスの伝統 とは,人種差別的 ・男性優位的 ・ 資本主義的 ・進歩主義的であ り,つ まる ところ 「 文化生産 の源泉 とうそぶい て 自然 を搾取す る伝統,ひいては他者 を再考す ることで 自己再生産す る ( 31)
[ 1 7 4 ] 」ものである
。またそれ は自然/文化,肉体/精神,公的/私的 といっ た様々な二項対立 を もつ くり出 した。「サイボーグ宣言」の目論見 は, この よ うな伝統 の外部 に出て,二項対立 に起因す る搾取 や抑圧や階級や ジェンダー のない世界 を希求す ること, あるいは希求す るた めの よ り豊かな想像力 を養 うことにある。結局 それ は意識 の問題 である と同時 に「 生死 を賭 けた闘争 ( 29)
[ 1 7 4 ] 」で もある, とハ ラウェイは言 う
。この ような二項対立 の克服 を志向す
る視点 は,時代 が可能 にす る とともに要請す る もので もある。で は, その よ
うな要請 を もた らす時代 として,この 2 0 世紀後半 をハ ラウェイ はどの ように
捉 えてい るのだ ろうか。いったい どの ような想像力が,二元論 的志向 に起因
ポス ト・ヒューマ ン時代の政治的想像力,あるいはアイロニカルな神話 17 9
す る抑圧 の構造 か ら我々 を自由にして くれ るのだ ろうか。サイボーグ ・ポ リ テ ィクスを読 み解 くにあた り, その立脚点 となる時代 についてのハ ラウェイ 自身の認識 を確認す ることは不可欠であ り, まず この点か ら作業 を始 めてみ
たい。 *
われわれの世界や身体 を横断 してい る様々な境界線 は, い 草や溶解や融合 を起 こしつつ ある。 そして この境界解体 は,科学 とテクノロジーが もた らす ものである と,ハ ラウェイ は言 う
。そ して,三 つの重大 な二項対立 の解体 が 現在 の時点 までに起 こってい る と語 る。第一 に人間 と動物 との間の境界線, 第二 に有機体 と機械,第三 に物理的な もの と物理的な らざるもの との境界線 である 。 この三つの境界線 の揺 らぎについて, その背景 を概観 してみ よう。
[ a. 人間 と動物 との境界]第一 の境界解体 は,最 も古 くて馴染 みが深 い。
生物学 と進化論 とが動物 と人間 との境界線 をほぼ消滅 に追いや って以莱, こ の区分 を決定的 に保証 する もの, あるいは必要 とす る ものは もはや何 もない と言 っていいだ ろう。生物学や進化論が,や は り科学文化上 のイデオ ロギー 空間 にす ぎないにして も,近代 の初頭 において, シャム双生児や両性具有者
7 リ ‑ ク ス
たちが実在す る奇形人間 として, 自然 と超 自然,医学 と法学,狂気 と理性, 兆候 と疾患 といった図式 に基づ く言説 によって確立 されていた近代 的主体 を
モ ン キ ‑ エ イ プ
不安 に陥れた ように,有尾猿 や無尾猿 といった高等晴乳類 に対 する認識 は, 2 0 世紀後半産業社会 にお ける人 間主体 で さえ,いかに多様 な境界 に囲い込 ま れてい るか を知 らしめて くれ る
。そして,他の生物 との境界 の溶解 を経た後 の 「 動物性」とい う概念 は ,1 8 世紀以降考 えられていた ように,「 人間性」に 高 め られ るはずの もので も,管理 されて飼 い慣 らされ るべ きもので もな く, 例 えば最近 のイルカに関す る研究が示す ように, あ らたな意義 と知 の空間 を 獲得す るだ ろ うとハ ラウェイは考 えてい る。
[ b. 有機体 ( 動物 ‑ 人間) と機械 との境界] この区分が明確 に存在 して
いた時代 について,ハ ラウェイは次の ように語 る。「 二元論 の背景が唯物論 と
観念論 の対話 を構築 し, それが弁証法的効果 によって解決 されていた時代。
この効 果 をお好 み とあ らば精神 とか歴史 とか呼 んで もよい ( 3 6 )[ 1 7 6
]。」彼女
オ ‑ サ ‑
によれ ば, 自分 自身 の主人 ‑著者 た りえないか らとい う,機械 を人 間か ら隔 て る理 由は,単 に父権 主義者 の再生産幻想 をパ ロデ ィー化 した もの にす ぎな い。そ して一見 明解 に見 えていた この区分 も ,2 0 世紀後半 になってか ら大 い に揺 らぎ始 め るので ある
。サイバ ネテ ィクスの理論が機械 的存在 と人間 を同 一 の言語 で語 る ことを可能 に し,以降, 自然 と人工,精神 と肉体,機械 と生 物 との間 に適用 されて きた差異 のすべてが, こ とご とく暖昧化 して しまった のだ。機械 と生物 はコー ド化 されたテクス トとして再構想 され,知 の分類 シ ステムの中 に共通 の空間 を獲得 す るようになった。人 間/動物 間の境界 の融 合 と, マ ン とマ シー ン との間のハ イ フンの発見 は,生物学 的 な意味 で も,個 人 主義 の特殊 な神話 とい うイデオ ロギー的な意味 で も,「 人 間」とい う知 の対 象 に関す る思考 の規則 の再編 を余儀 な くし, "ポス ト・ヒューマ ン〟 とい う概 念 は,すで にポス トモダ ン時代 のパ ラダイムの一部 を成 してい る とも言 える
くらいだ。
しか し, マ ン‑マ シー ン共生系 のためのあ らたな思考規則 は,例 えば人 間 の フィジカル な可動性 を, コンピューターのサイバ ネテ ィックな流 れ に置 き 換 える といった ような機能主義的合理性 に合致 す るだ けで はない。 この境界 僅犯 は,その他 の境界侵犯 の行為 が持 たない よ うな快楽 を時 として伴 い得 る。
不動 の機械 的存在 とい う理想 に, あるい はその完全性 に近づ きつつ ある とい う意識 で あ る 。 機械 が,充足/完成 を求 める脳 の永遠 の夢 で ある とすれ ば, そのサイバ ネテ ィクス的 な予測可能性 に完全 に自己 を明 け渡 す ことは,理性 の放棄や終鳶 で はな く, む しろ道具 的理性 ,管理者 の理性 へ の " 奉 仕〟 を意 味 す るので あ り, また そ こには,究極 の 自己同一性 に近 づ くことのエ クスタ
シーが存在 す るのであ る。
この機械 と結 ばれ る ことのエ クスタシー を最 も鮮明 に語 ってい るのが, サ イバ ーパ ンク と呼 ばれ る SF のムー ヴメ ン トで あ る。ウイ リアム ・ ギ プス ンの
『 ニ ュー ・ロマ ンサー 』( 8 4 年)登場以来,サイバ ーパ ンクは SF 界 のメイ ン・
サイバ‑スペ‑ス ス
トローム をな してい るが,その魅力 は と言 えば,何 とい って も電脳空 間‑
ポス ト・ヒューマン時代の政治的想像力,あるいはアイロニカルな神話 181 人間 の脳 をコンピュー ター に直接接続 し, コンピュー ター ・ バ ンクが持 つ全 デー タ を視 覚 的 に再 現 す る とい うメ デ ィア空 間 ‑ と呼 ばれ るサ イバ ネ テ ィック時代 の象徴 的 なラン ドスケープ・ヴ ィジ ョンにあ る と言 えるだ ろ う
。ロジ ック ラテイス
「 視覚情報 の蔓陀羅 」 「 無色 の虚空 に広が る,輝 く論理 の格子」等々
(5)と表現
サイバースペ‑ス
され る電脳 空間 は, SF 的共感覚仮想空間で はあ るが, コンピュー ター ・テク ノロジーが ヴ ァーチ ャル ・リア リテ ィを準備 しつつあった 8 0 年代後辛, その イ メー ジ は充分 に近未 来 的 な リア リテ ィを持 って いた。サ イバ ーパ ンク は ジャンル を超 えて波及す る文化 的潮流 だ と言われたが
(6),実際 にはそれ は,咲 画や テ レビ,音楽 や劇 画 とい った文学以外 のカル チ ャー ・シー ンで同時発生 的 に起 こっていた個々 の現 象 を全体 と して概 観 す る よ うな,理 論 的 回路 と なった と言 った は うが いいだ ろう。
また 8 0 年代 には,生体 と交接 す る機械 として,脳 に三次元的 な音像 を認識 させ る 「ホロフォニ クス」や,脳 内画像 を網膜 に摘 出す る 「フォス フォ トロ ン」, また 「 全脳 波形成 同調賦活装置」としての 「シンクロ・ エ ナジャイザ
‑ 」等,感覚器 官 をコン トロールす るメデ ィアが開発 されている
。身体 にダイ レ ク トに情報 をイ ンプ ッ トした り,人間 の神経系 を情報領域 として活用 した り す る ことで,これ らの機械 は言わ ば生体 自体 をメデ ィア化 してい る。い まや, テクノ ロジーが人 間 の内部情 報 に帰還 を開始 す る時代 だ と言わ れ てい るの だ。 サイバ ーパ ンクの作家が言 うテクノロジーは, すでに 「 皮膚 の下 にはい りこみ, しば しば心 の中 にまで もぐり込 んでい る( 7 ) 。」そ して,人 間/機械 と い う二元論 を超 える この ような身体感覚 と, その背景 にあ るメデ ィア ・テク ノロジー を可能 に してい るのが,以下 に挙 げる第三 の境界侵犯 で ある。
[ C. 物理 的 な もの と物理 的 な らざるものの境界] これ は第二 の差異 の部分
(5 )ウイリアム・ ギプスン『 ニューロマンサー』黒丸尚訳,早川書房 ,1 9 8 7 ,1 4 貢。
(6 )山形誠二 「 時間 とテクス ト‑ サイバーパ ンクの後に」『 ユ リイカ 』1 9 9 3 年 1 2 月号 ,7 3 貢。
(7 )ブルース・ スター リング 『ミラーシェー ド』小川隆他訳,早川書房 ,1 9 8 8 ,1 0
貢。
集合であるが,物質的 な もの と非物質的な もの,と言い換 えて もいいだ ろう。
現代 の機械が,金属 で もプラステ ィックで もな く,エ レク トロニ クス とい う 目に見 えない非物質 によって決定 された構造 を持つ, とい うことを言 ってい るのだ
(8)0
我々 は,身 に纏 った り身近 に触 れた りす る物質が 自然素材 だった り,金属 だ った り, あるいは人工素材 だった りす ることによって微妙 に身体感覚 を変 化 させ ている。同様 に,機械 の持 つ物質性 も, それ と触 れ合 う我々の感受性 に大 き く働 きか けているはずである 。 例 えば可塑性 を持 った素材で あるプラ ステ ィックの登場 によって,初 めて物質 は明確 に記号性 や情報性 を帯 びるよ うになった と言われている( 9 ) 。どの ようにで も自由に変化 し得 る" 記憶 のない 素材〟 としてデザイ ンをよ り情報化 した形 で表現 し得 ることによって, プラ ステ ィック とい う素材 は,生産 レヴェルでの機能 や手段 としてで はな く,潤 費社会 にお けるメデ ィア としての物質の効果 を助長 していった と言 えるだ ろ
う 。
また,現代 の機械 はマイクロエ レク トロニ クスの産物 であることによって 小型化 され,著 し く携帯可能 になる とともに, しだいに非物質化 して 目に見 えな くな り,情報やメデ ィアによって隠蔽 され るようになった。 いわ ゆるメ デ ィア ・スーツ時代 の到来である。 メデ ィア ・スーツを纏 うとい うことは, ウォークマ ンに代表 され るような,小型化 され透明化 したメデ ィア ・テクノ ロジーに身 を包 む, あるい はメデ ィア ・テクノロジーが作 り出す空間 に身 を 置 くとい うことであ る .2 0 世紀前半か らのプラステ ィック ・アーキテクチ ュ アに加 え ,8 0 年代 のメデ ィア ・アーキテクチ ュア を備 えた都市 は,情報化社 会以前のそれ とははっき り様態 を変 えた。現代 の都市 とは,情報, モー ド,
(8) 「 非物質」 という言葉は ,1 9 8 5 年,パ リのボンピドゥ・センターで開催された
「 非物質展」 ( フランスの哲学者,ジャン‑フランソワ・リオタールの中心企画に よる)によって定着 した。
(9 )伊藤俊治 『 生体廃嘘論』 1 )プロポー ト ,1 9 8 6 ,1 9 0 頁。
ポス ト・ヒューマ ン時代 の政治的想像力, あるいはアイロニカルな神話 183
商 品,広告,デ ィスプ レイな どによって, そ こに住 む者 に行動規範や価値観 を環境 として与 えるメディア空間なのである
。言 い換 えれば,エ レク トロニ クス・テクノロジー によって生 み出された環境 に我々が包囲 されてい るのだ。
この ことをハ ラウェイは次の ように語 る
。この 「 至 るところに存在 し, 冒 に見 えないほ ど小 さい」 現代の機械 は, 「 不遜 な成 り上が り者 の神 であ り,父 な る神 の偏在性 と精神性 をパ ロデ ィー化 して しまう ( 4 0)[ 1 77] 。 」例 えば映画
「 黒 いオル フ
ェ」 ( 59 年)の中で,ユ リデ ィスの遺体 を探 すオル フェは,黄泉 の国 とい う神話的空間 のかわ りに,人 の生死 を記録 した紙 の山 と遭遇 す る。
現代 な らさ しず め人 間 の死亡 データ をデ ィスプ レイす る無数 の コ ンピュー ター画面 を目にす る といった ところか。 そ して何 よ りも,機械 の小型化,罪 物質化 と権力 との関係が深 い ことを,ハ ラウェイは指摘 す るのである
。なに
しろ,「 書 くこととと権力,お よび科学技術 は,西欧 にお ける文明の起源物語 においておたがい旧知 の伴侶 であった ( 41 ) [ 1 7 7 ] 」 か らであ る。身体 を とり ま く素材 による人間の身体感覚 の変化 は, 当然 「 空間」 において も起 こって い る。エ レク トロニクスによって支 えられたメデ ィア空間 は,人間の よ り多 くの感覚 に作用す るマルチメデ ィアを志向 し, メデ ィア ・スー ツはます ます その透明度 を増 す。 よ り物質性 の希薄 な空間 に放 たれた人間の肉体 は,空間 の新たな解放性 と閉塞性 を経験す る
。そ して, メデ ィア とのイ ンタラクテ イ ヴによって我々 は自 らの肉体性 の 「出力」 を試み るが, この空間の拘束度 を 測 ろうに も,権力の顕現である ところの文字 は, い まやマイクロ ・チ ップ と い うペー ジに書かれているのだ。「 小 さい こと,それ はい まや美 しい どころで はない ( 41 )[ 1 7 8] 」 のである 。
3.C
3Jの戦 略 と支配の情報工学
上記 の ような境界融合 を可能 に してい る科学 とテクノロジーが,現実構造
を根本的 に変革 してい る, とい うのがハ ラウェイの主張である 。 しか し 「サ
イボーグ宣言」が描写 す る変革 された新た な現実 とは, テクノロジー と人間
の共生 とい う無 限の可能性 に満 ちた明 るい世 界 な どで は決 してない。ハ ラ
ウェイが 目に していた 70 年代,80 年代 のアメ リカの現実 と,境界解体 の動 き の背後 には,これ を前 にしては「テーラー的な
(10)科学的経営管理 の悪夢 さえ, かわい らしい もの化す ( 30) [ 1 7 4]」 ような戦略が存在 す る。軍事 目的のため に個人 的無意識 さえ も制御 し,資本化 して しまいかね ないサイバ ネティクス の政治学,いわゆるシー ・キ ューヴ ド・アイ ‑C
3I ( 指揮 c ommand ‑ 管制 c ont r ol ‑ 通信 c ommuni cat i o n ‑ 情報 i nt e l l i ge nc e ) である。「このシステ ム実現 に際 して,アメ リカは 1 984 年 に 840 億 ドル とい う国家予算 をつ ぎ こん だ ( 30)[ 174]。 」ここに存在す るのは, その最悪 のシナ リオが,スター・ウォー ズ的なハ イテク戦争 もし くはすべてを核 の灰塵 にして しまう終末であるよう な,「 最大級 の境界錯乱領域 ( 42) [ 178]」 なのである。
サイボーグ ・ポ リテ ィクス とは, この システムが もた らしかねない最悪 の シナ リオ を避 け, この領域特有 の危機 に打 ち勝 ってサバ イバルす るための, 政治的想像力 の提唱である。で は ,C
3Ⅰが象徴す るような高度情報化社会 に組 み込 まれ る とはどうい うことか,ハ ラウェイは状況 を どう僻撤 しているのか, それ をまず検証 してみたい。
我々が現在暮 らしているのは,有機的 な工業社会か ら,多様 な差異の錯綜 す る情報化社会へ至 る時代 である
。科学やテクノロジーの発達や政治的勢力 地図の塗 り変 えを背景 にして世界的社会 関係が変質 してい るように見 える
。社会 の価値観 は多様化 しているように見 えるが,実 はそ こに新 たな搾取 ・併 合 ・全体化傾 向 を見 て とることもで きる。 この新 たな支配 システムのネ ッ ト
ワークを,ハ ラウェイ は 「 支配 の情報工学」 と呼 んでいる。 この支配 ための 諸概念 の束 は, 物質的である と同時 に観念的で もある。 ハ ラウェイはその個々 の概念 をあげて図式化 してい るので, 代表的 な もの を以下 に紹介 してみ よう 。
つ ま り,左項 に示 された 「 古 き良 き階級支配 の諸概念」が,右項 の,「すなわ ち支配 の情報工学 とも呼べ るおぞ まし くも新 しいネ ッ トワー ク群へ移行す る ( 60) [ 1 85]」 もの と考 えられ るのである。
( 1 0 ) フレデリック ・ウインスロウ ・テーラーは 1 8 5 6 年生まれの米国機械技術者。
ポス ト・ヒューマ ン時代 の政治的想像力, あるいはアイロニカルな神話 185
レプリゼ ンテー ション
表 象 リア リズム 有機体
臨床 としての生物学 生理学
優生学 衛生
有機 的分業
リ プ ロ ダ ク シ ョ ン
生殖/再生産 協 同
労働 セ ックス 人間知性
白人 中心資本主義父権制
シミ ュ レ ーショ ン 擬 態
ポス トモダ ニ ズ ム 生体部 品
記号 としての生物学 通信工学
大衆操作 ス トレス管理
人間工学/労働 のサイバ ネテ ィクス
レプリケー ション
模 造
コ ミュニケー シ ョン増長 ロボッ ト工学
遺伝子工学 人工知能
支配の情報工学
右項 の対象 は, もはや 自然 な もの としてはコー ド化で きない。 このた め, 左項 の諸事物 にして も,同 じ く自然主義的なコー ド化 を受 け付 けな くなって いる 。 ポス トモダニズムが人間主体 を歴史的物語 に して しまった ように,先 にあげた三種 の境界解体 を可能 にした ような科学 とテクノロジー は,「肉体 」
も 「自然」 もや は り歴史的 に構成 された一種 の 「テクス ト」であ ることを露 呈 させた。精神 と肉体,動物 と人間,有機体 と機械,公私, 自然 と文明,男 と女,原始 と文明な どの もろもろの二元論 はすべてイデオ ロギーの点で疑 問 符 を突 きつ けられ, テクノロジー によって岨噂 され ようとしてい る
。例 えば 公 的/私 的,衣/職 場 といった労 働 管 理 シス テ ム に見 られ る境 界 線 は,
エレクトロニツク●コテ‑ジ
在宅勤務用電脳住宅 の出現 な どによって 「ホーム ワー ク ・エ コノ ミー」 と呼
ばれ る労働形態が成立すれ ば,消滅す る可能性があ る。生殖 ももはや私 的な
こととは見 な しえず, あ またある再生産 の一例 として, その経費 も利益 もシ
ステム環境 に完全 に組 み込 まれ得 る。性 や性的役割 の概念 も, 自然対象 に内
在す る有機的特質 として推定す ることは もはやで きない
。「 女性」とい う集 団
も,「 子供」や 「 青少年」同様, ひ とつの歴史的キャラクターなのである。「そ れ は,科学的言説や社会活動 にお ける論争史 によって構築 された複合カテゴ リーにす ぎない ( 45) [ 1 79] 。」 い まや, 「 女性」や 「 男性」 とい う種族 の記号 体系が, この制度的空間が解体 しようとしてい る
。下部構造 と上部構造,公 私, あるいは物質 と観念 とい った境界維持概念が,い まほ ど脆 く思われた と
きはない, とハ ラウェイは言 う。 「 「 高度資本主義」 な どとい う言葉 で は, も
●●●
はや この ような歴史的瞬間の構造 を表 しきれな くなっている。西欧的 にい え マ ン
ば,人間 ‑男性 の終 君 とい う危 機 その ものが 危 機 に瀕 して い るの だ ( 59 ) [ 1 8 4]。 」危機 の危機 とい う言葉 でハ ラウェイが表現 しているの は,「 人間」を 消滅 させ て しまうよ うな新 しい知識 の形態 ‑ フー コーが予想 した よ うな
‑ を も揺 るが しかねないほ どの強度 な融合 の可能性 と, それ を迎 える意志 で ある。「 生体政治の言説がテ クノバ ブルの言説 に席 を譲 ればいかなる名詞 も 原初的全体像 を保 てな くなる ( 39) [ 1 77 ] 」 と,彼女 は言 う。
要す るに,今 日で は,いかなる事物 も人 間 も,我々が これ までその特質 と 理解 していた枠組 みの根底 か ら解体 し再統合 され るもの と考 えるのが妥 当な のである
。有機体 は もはや知的対象 としては存在せず, い まや生体部 品 と化
した とす ら言 えるので ある。つ ま り,特殊 な情報処理装置へ と変貌 したのだ。
例 えば人種 について記述 す る としよう
。人 間 の多様 性 に まつわ るイデオ ロ ギー群 は,血液型や知能程度 といったパ ラメーターの周波数 に応 じて公式化
されなければな らな くなるだ ろう 。
人間 を何か にた とえる とした ら, その他 の構成要素やサブシステム と同 じ く,蓋然的 ・統計的機能 を根本 とす るシステム ・アーキテクチ ャがい ちばんなのだ。 いかなる事物 も空間 も肉体 も,内在 的に神聖 なので はな
コ‑ド い。 む しろすべて は部品 なので あって, しか るべ き規範 ない し暗号がつ
くられ共通言語で命令 を発信 しさえすれ ば,部品相互が連動す るもの と 前提 すべ きである
。現在世界 にお ける交換 は,マル クスが徹底分析 した
ユニヴ ァ‑サル ●トランスレイ ション
資本主義市場 の帰結 としての世 界 翻 訳 さえ超越 しかねない。この
ポスト・ヒューマン時代の政治的想像力,あるいはアイロニカルな神話 187 宇宙 の事物 がすべて感染 しかね ない病理 が あ る とすれ ば, それ はたんに ス トレスで あ り, コ ミュニケー シ ョン不能状 態で あ ろう ( 6 4 )[ 1 8 7 ]。
今 や 『 臨床 医学 の死』 な る本 で も書 かれ て しか るべ き時で はないか, とハ ラウェイ は言 う
。全宇宙 の事物 は,科学 的 に認識可能 で あるか ぎ り,管理者 のた めには通信工学上 の問題 として,反政府 主義者 のた めにはテクス ト理論 上 の問題 として,定式化 す る ことがで きる。西欧的 自我 は これ まで 自身 の本 質や 自身の真実 を重視 して きた けれ ども,その ような考 え方 は,「 支配 の情報 工学」 を構成 す る計算法や知識工学 の前で は意味 をな さない。 かつて臨床医 の方法論 には患者 ( 身体 ) と治療 ( 器具)が必要 だ ったが, い まの我 々 には, テ クス トと通信装置が あれ ば よい。「 社会 を支配す る もの は もはや医療 で も規 範 で もな く, ネ ッ トワー ク とコ ミュニ ケー シ ョン再編成, それ にス トレス管 理 に尽 きている ( 3 9 )[ 1 7 7
]。」
わた したち我 々 は物理 的 に もイデオ ロギーの うえで も, い まや決 して後 戻 りで きない。生体部 品の ような事物 との関連 にお いて,我々が考 える べ きなの は, その本 質的特徴 どころか, む しろそれが どの ような構想 で 戦略 しているか, どの よ うな境界制約 が あ り, どの ように流れ, あるい は どの ような システム理論 に基 づ いて, ひいては制約緩和 には どれ ぐら い費用 をか けているか とい った問題 のほ うだ ( 6 3 ) [ 1 8 6 ]。
人 間 の肉体 を再構成 す るの に欠かせ ない手段 として,ハ ラウェイは情報伝 達技術 とバ イオテ クノロジーの二 つ を挙 げてい る ( 6 6 )[ 1 8 7 ]o そ してその二 つ は共通 の動機 か ら構成 されてい る と彼女 は考 えてい る
(l l ) 。つ ま り,現実世
( l l ) ハラウェイは ,1 9 8 8 年の論文 「ポス トモダン身体のバイオポリティクス 」 ( 山 田和子訳,『 現代思想 』1 9 9 1 年 3 月号,青土社)において, この共通の利害を「 テ
クノー バイオポリティクス」 と呼んでいる
。界 をすべて コー ド化 の問題 に翻訳 す ることである
。いいか えれば, それ は共 通言語 の探究 なのであ り, その言語 さえ成立すれ ば, テクノロジー管理 に対 す るあ らゆる抵抗 は消 え,一切 の不均質 は解体/再構築 され,投資/交換 さ れてい く, とい うのである。情報伝達学 にお ける問題 は,現実世界 はどの よ うに記号的問題 に翻訳 され るか とい うことであ り,その解決 は,サイバ ネテ ィ クス的な言語 と制御 の理論 に託 され, その技術 は電子工学 に依存 している
。多国寿企業,軍事 システム,政治的 プロセス,労働管理 システム, これ らは 今 日, ひ とつ残 らず電子工学 な しで はあ りえない。 また,ハ ラウェイの見 る バ イオテクノロジー は,人間の生殖 ‑再生産以上 の ことに感心 を持 ち,肉体
も令 め,生物 に関す るあ らゆる境界 に介入 して くる 。 生物学 はい まや強力 な 工学的体系,暗号学,一種 の記述法 なのである。「 情報 とはまさに計量可能 な 要素であ り,世界翻訳 を可能 にし,無制約 のテ クノロジー効果 をもた らす類 の ものだ ( 6 7 )[ 1 8 8 ] 。 」 「 支配 の情報工学」 の真 の主人公 は情報 ネ ッ トワー ク その ものか もしれないのであ る
。しか し,肉体 的境界 の解釈 を誰が操作す るのか を考 えてみれ ば, このネ ッ トワークの持 つ神話性 も見 えて くるだ ろう。 情報伝達学 と生物学 は, ハ ラウェ イの考 えによる と,要す るに自然 と疲術両面 にお ける知 的対象 を解釈 す る枠 組 みであ り,神話 を作 る道具で もあるのだ。道具 と神話 は互 いに互 い を構成 しあってい る。ハ ラウェイは言 う。「 知性 も肉体 も道具 も,い まや相互 に切 り 離せないほ ど親密 にか らみあってい る。 日常世界 を生産/再生産す る多国籍 的な現実組織 と,文化 と幻想 を生産/再生産す る象徴組織 とは, ともにか ら みあっているように見 える ( 7 0 )[ 1 8 9 ] 。 」サイボーグ・ポ リテ ィクスの 目的が, ハ イテク支配下 の社会 関係 に根 を持 つ人種 ・性差 ・階級 を再組織化 し,西欧 的人間像 を解体 してサバ イバルす る ことにあることを思 えば,「サイボーグ宣 言」が扱 っているの は科学技術決定論で はない ことは明 らかだ。 その間題 は,
「 文化 と幻想 を生産/再生産す る象徴組織」,む しろ人間関係 に依存す る歴史 体 系なのである 。
テクノロジー と科学的言説 は, ある意味 では,流動的な社会 的相互作用 を
ポス ト・ヒューマ ン時代の政治的想像力,あるいはアイロニカルな神話 189
形骸化す る,ーいわ ば凍結効果 として解 され よう
。しか し同時 にテクノロジー と科学的言説 は, さまざまな意味 を産 出す る道具, あるいは権力 のあ らたな る源泉 を提供す るもの として も把握 され るべ きで あるOそ して,テクノロジー 社会 にお ける権力 と幸福 には どの ような意味があるのか, そ うした社会 に別 の形態 はあ りえないのか とい う議論 を闘わせ ることも可能 になろう
。シげ れ にせ よ,「 文化 と幻想 を生産/再生産す る象徴組織」と関わ るためには,分析
と政治活動 のための想像力の源泉が必要 となるのである。
4 . サ イ ボ ー グ神 話 の誕 生
「 支酉己の情報工学」が統合 す る世界 は,家庭や職場,市場や公共 の場 な ど, あ らゆる場 において,空間 と肉体 を含 めたすべてが ほ とん ど無限 ・多様 に分 散 し,接続可能 となる世界である。 はた していかな る種琴 の政治学が,支配 も抑圧 も搾取 もないかたちで,階級 ・人種 ・性差 の本質 に根本的 な変革 をも た らし得 るのだろ うか。
この新 しい政治学 を再構築 す るた め,必要 と思われ る二 つの支柱 をハ ラ ウェイは挙 げている
。まず科学 とテクノロジーの社会関係 を主題 とす る理論 と実践 を通過す ることである
。加 えて不可欠 なのは,われわれの想像力 を構
リ プ ロ ダ ク シ ョ ン
造化 す る‑ 例 えばセ ックス, セクシュア リテ ィ,生殖 ‑再生産 な どに関す る‑ 神話体 系 を考慮 にいれ ることだ。例 えば西欧文化 の中心た る男根 ロゴ ス中心主義的起源神話 は,女性 の意識 に も植 えつ け られているばか りか,「 実 際のテクノロジー に,‑ バ イオ ・テクノロジーやマイクロ・エ レク トロニク スの ように,世界 を書 くテクノロジー諸分野 のなかに ‑ あ らか じめ書 き込
まれている ( 95)[ 1 98]。 」不可視 である とい うことは,神話 の最 も重要 な戦略 のひ とつなのである。
神話 に対 す る最長の武器 は, R ・バル トが言 うよ うに 「 人工的神話 をつ く りだす こと
(12)」 で ある
。新たな神話 を生 むためには,抑圧 のかたちやそれ を
( 1 2 ) ロラン ・バル ト 『 神話作用』現代思潮社,1 9 6 7 ,1 7 8
貢 。打破す る可能性 をいかに想像力た くまし く理解 す るかが条件 とな る
。その想 像力 は, いかなる起源神話 や本質的な自己同一性 の物語 とも関係 を持たず, C
3Ⅰの操作 の裏 をか きつつ境界融合 の空間 を歩 んでい くような,個人 的で し
か も政治的な主体 のイメー ジに焦点 を結 ぶ ことになる
。そ こで,機械 と生物 のハイブ リッ ドであるサイバ ネテ ィクス ・オーガズム,つ ま りサイボーグ と い うイメージが説得力 をもって浮上 して くるのである。サイボーグ とい うの は,ハ イテク社会 の物質的現実 と想像力 との結節点で ある 。 これ ら両者が二 重 の中心 をな し,「さまざまな事物 を実 り豊かに融合 してい く方途 を示唆す る 点で, それ じたいが想像力 の泉 なので はなか ろうか ( 30 )[ 1 7 4] 。 」とハ ラウェ イは言 う
。サ イ ボー グ の イ メ ー ジ は, 実 は ピ グ マ リ オ ン 神 話 以 来 の ,
ガ イ ノ イ ド
〈 女性 としての機械 )とい う伝統 にのっ とってい る。ハ ラウェイは,女性 の非 在性,つ ま り非 ・人間 ‑男性 としての存在性,主体神話 にお ける周縁性 をア イロニー として逆手 に とり, ポス ト ・ヒューマ ン時代 の戦略 として利用 して い るのである。 いっさいの起源神話 を免 れたサイボーグ的存在 は,原始段 階 も,零度 の地点 も,鏡像段階や想像界 も経 由 しない。原罪 の意識 もなけれ ば キ リス ト教的終末論 の脅迫観念か らも自由である。 口唇期 における母子共生 のユー トピアやエデ ィプス期以後 のアポカ リプスに発生 した性差 の裂 け目を 治癒す ることもない。ハ ラウェイによれ ば, ミシェル ・フー コーの生体政治 学 は,「サイボーグ・ ポ リテ ィクス とい う未踏 の領域 をゆるやか に予告す る も のだった ( 31 )[ 1 7 4] 」 とい うことになる 。
ポス ト・ジェ ンダ ー ・ワール
ド
バイセクシュアI)ティサイボーグは脱性差時代 の世界 の産物 であ る。サイボーグは両 性 愛 と も前エデ ィプス神話的共生 とも疎外 なき労働 とも関係が ない。 ともあれ その ように有機的統一 を夢見 て部分的可能性 のいっさいが っさいを見栄 えよ くまとめあげようとす る試 みすべてに対 し,サイボーグは関係 を持 たない。サイボーグは西欧的な起源神話 をまった く欠 いている とい うこ
フ アイナル
ともで きる。そ して,ここに こそ究 極 のアイロニーが潜 む。とい うの も,
ポスト・ヒューマン時代の政治的想像力,あるいはアイロニカJ t / な神話 191 サイボーグはまた,西欧 において個別化思想が猛威 をふ るった あ とに来
る,恐 るべ き黙示的帰結 で もあるか らだ。個別化思想 の果 てには,何者
ア マ ン イ ン ス ぺ ‑ ス
に も依存 しない究極 の 自己が,宇宙空間の人 間像 が夢想 されているか ら だ ( 3 2 ) [ 1 7 5
] 。サイボーグの視点 に立 つな ら, もはや政治学 を人間が特権化 した抑圧即支 配一般 の図式 に立脚 させ る必要が ない。 しか も,機械 であるか らには,支配 の情報工学 のサイバ ネテ ィックな権力網 に精通 している。サ イボーグ こそ, 西欧的伝統 にお ける人 間 ‑男性 の痕跡 を溶解 させ,現代 の生体政治 を構築 し
なが ら同時 に破壊 してい くとい う,二重 の任務 に耐 えうる存在 なのである
。つ ま り,通信 と情報す なわち C と Ⅰを再 コー ド化 す ることによって,指揮 と 管制すなわちふたつの C の コー ドを破壊 してい くとい う任務 である
。その際,サイボーグ ・ポ リテ ィクスが責務 と考 えている点が二点 ある。不 変 の統一理論 を生産 しようとしない ことと,科学 とテクノロジーの社会関係 に対 し責任 を負 うことである
。サイボーグのイメー ジが示す のは,統一的 な 全体像 な どで はない。 む しろ二元論 の迷路 か ら抜 け出 る道で あ り, それが 自 分 の肉体 と道具 についての 自 らの説明 を可能 にす るのだ。 また これ は共通言
アイヂ ンテ イテイ
語 を夢想 す るもので もない。む しろ強力 で異教徒的 な異言語混清 を,同 一 性
アフ イニテイ