はじめに
従来,家族を研究するということは,家族を自明視していることに他ならな かった。しかし,近代家族論の登場を機に家族は相対化され,構築主義的アプ ローチにより家族は構築されるものとして捉えられ,個人の主観的な家族体験 に焦点をあてた主観的家族論は家族研究の方法を大きく変えた。
このように家族あるいは家族と称されていた集団の捉え直しへの試みはこれ まで幾度となく行われている。資源の集積という視点に立ち,現代社会におけ る家族という集団について検討することが本論の課題である。必ずしもこれま での家族研究と比べて目新しい議論となっているわけではないが,資源系の視 点から整理してみたい。
1. 家族の捉え直し
家族社会学を勉強した者は森岡清美による家族の定義を見たことがあるだろ う。家族とは,「少数の近親者を主要な構成員とし,成員相互の深い感情的な 係わりあいで結ばれた,第1次的な福祉追求の集団」である(森岡・望月
1997)
。 ここに示されるようにこの家族の定義は,集団のメンバーシップ,メンバーの 関係性,集団の機能からなる。血族や姻族によって定義される親族とは異なり,第10巻第2号(15−22)
2015年6月
家 族 の 共 同 性
―資源系としての家族―
永 井 暁 子
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家族の定義には多面的な要素が含まれる。一方,1980年代頃から,家族とは 何か,家族は定義できるのかといった議論が盛んに行われるようになった。現 実の家族とは程遠いのではないかという疑念が提示されているのであるが,
我々は日常生活においても,森岡による家族の定義を理念型として用いている といえるだろう。
そもそも家族は,生活共同体の最小単位であった「家」が,近代化により変 容した生活共同体として捉えられてきた。落合や山田を代表とする近代家族論 における議論の活況には,家族に対する新たなアプローチに加え,家族そのも のへの疑いがあったと牟田
(1998)
は述べている。さらに,日本社会が戦前か らひきずっている非民主主義的な「家」の意識や習慣の呪縛から家族が真に解 き放たれ,急速な経済成長・都市化によるコミュニティの解体,親子や夫婦間 の関係の混迷を乗り越えることによって,家族は人間ひとりひとりの安定的な 心のよすが,愛情と幸福の源泉となるはずだという理念をそれまでの家族社会 学が抱いていた,そのことへの批判のあらわれであるだろうとしている。おそ らくそれは家族社会学者のみの幻想にとどまらず,広く共有されていたといえ るだろう。家族はいかなる集団か。いかなる要素からなるのか。「家」が生活共同体と してもっていた機能と,近代化により誕生した家族の機能は自ずと異なってい るが,「家」から継承した生活共同体としての側面(共同性)と私的領域にお ける民主的関係であり近代家族の要件である親密性が,家族の機能として一義 的に導かれるだろう。
2. 共同性と親密性
生活の共同という点では行政用語としての世帯概念があげられる。世帯は,
総務省統計局の定義にしたがえば「住居と生計を共にしている人の集まり,も しくは一戸を構えて住んでいる単身者」である。統計局の定義にかかわらず,
おおよその世帯定義は居住の共同と家計の共同の二側面からなる。
久保田
(2012)
は,少数の近親者を主要な構成員か否かにかかわらず,また,「家計の共同」を緩やかに解釈することにより,「居住の共同」の中に小規模の 経済の共同,相互のケアなどから共同性を見出し,同じ家に暮らす人々を研究 対象とした。
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消費社会の浸透,消費者信用・電子マネーなどの発達を背景として,個計化 は確かに進行した。御船
(1992)
坂井(1992)
等に代表的にみられる家庭経済学 では,このような個計化の進行を指摘するにとどまらず,個計と家計領域の決 定・管理を含めて家計の組織化のプロセスについて検証している。1980年代から家計に限らず家族生活のあらゆる側面に関する個人化・個別 化に関する議論は,しばしば私事化の概念との混乱が見られながらも展開して きた。個別化とは家族の中で起こる単位降下であり,個人の欲求を図る活動の 単位が小さくなる傾向である。個人化とは家族の存在そのものを不要とする変 化である(磯田・香月
2008
など)。一方,「家内領域と公共領域の分離」は個々 の家族が自律性を高めていく過程であり,私事化は「わたくし」を「おおや け」より優先させる生活意識やライフスタイルの普遍化していく過程である。私事化は公私の領域の変化であり,意味の変化でもある。家族に私事化と個別 化・個人化という異なったベクトルが同時に生じ,私事化と個別化は共変関係 にあるとみなされているが,必ずしも両者の関係は重層的ではない(磯田・香
月
2008)
。私事化は家族以外の集団から家族を切り離す作用をもたらし,個人化・個別化は家計と居住の両側面における共同性の縮小を意味していた。
私事化の進行により家族の親密性は,とくに規範レベルでの重要性が増す一 方,虐待など親密な関係における暴力や搾取を隠蔽するものとしても捉えられ る。ギデンズ
(1992=1995)
の提示した親密性の概念は,近代化の中で登場した 民主主義的で純粋な関係性についてである。このような関係性は資源として捉 えることもできる。筒井(2008)
は親密な関係からもたらされるメンタルな満 足を「親密財」とし,私的セクターの必要性について述べているが,これはニ ーズの充足ということであろう。このような親密性は社会関係資本としても捉 えられる。ブルデュー(1984)が人々の間に不平等に配分されていると指摘した のは,文化資本,経済資本,社会関係資本である。これらはいずれも個人の持 つ資源である。それらが何らかの形で総体となることをあらわす概念として親密圏あるいは ネットワークが用いられている。前者はより集団としての要素が強く,後者は 集団性を極めて低く評価し可変性に力点があるといえるだろう。親密圏とは家 族に限定せず,友人,恋人,仲間など親密性の条件を満たす関係性である。ケ アの再編の議論における親密圏とは,家族やそれに代わる多様な私生活の場で あり,愛情やケアなど特別な関係で結ばれた人々からなる(落合
2008)
。一方,― 1 7 ―
集団性を排除したパーソナル・ネットワーク論は,ステップファミリーなど多 様な家族に適応されるものである。このように家族を相対化する試みから始ま り,現実的に生じている「家族外生活者」や未婚者の増加が,親密圏やネット ワークの分析枠組みとしての有用性を高めてきている。
家族の再定義が必要か。「家族」的集団,あるいは「家族」的ネットワーク の視点から家族を検証することが必要か。この2つの問題のうちいずれか択一,
あるいはそれぞれの研究者がどちらの立場に近いのかを表明しながら,あるい は自覚しながら研究を進める必要に迫られているが,本稿では1つの研究視点 の提示として,共同性と親密性を資源と捉え資源系として家族を再定義するこ とから,これまでの家族論で議論されてきたことを整理してみる。
3. 資源の定義
資源の概念を用いた分析枠組として家族システム論を誰もが想起するだろう。
マッカバンの二重
ABC–X
モデルに代表される家族システム論では,家族が保 有している資源として,①家族成員の個人資源(経済力,教育,健康,性格),②家族資源(情緒的結合,自律性,適応力),③ソーシャルサポート(親族,
近隣,友人,社会的サービス,セルフヘルプグループなどによるサポート),
④対処方略をあげ,家族の危機を経た後にはこれらの蓄積もまた新たな資源と なる
(McCubbin 1981)。
生活経営という視点から,御船
(2001)
は生活価値に裏付けられた生活欲求 を満たし,生活目標を実現するために必要な生活資源として人的資源と非人的 資源をあげている。詳述すると,人的資源には個人資源(身体的要素,認知的 要素,情緒的要素,時間的要素)と対人資源があり,非人的資源にはモノ,金 銭,自然などの物的要素,制度や仕組みなど社会的資源,さらに結合資源とし ての情報がある。生活経営の視点においては,生活者が基本単位である。これ らの生活資源を管理することにより生活経営が成り立つのである。さらに生殖,家計生産,プーリングが代表的な家計形成原理となり,家計が組織化される(坂 井
1992)
。これらはいずれも「インプット」という意味を持つ。前述したケアや筒井の 言うメンタルな満足は資源をインプットしたことによる「アウトプット」とい うことになろう。資源の多くは潜在的なものであり,状況に応じて使用される
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ものである。誰が保有しているのか,どのような種類のものであるのか,両者 の弁別は複雑である。それに対して,ウォルマン
(1984)
はロンドンの家庭を 例にとり,家庭を資源システムとして定義した上で,資源を土地・労働力・資 本(家庭レベルでは,住宅,サービス,商品とお金)に時間・情報・アイデン ティティとする定義は至ってシンプルである。ここではウォルマンの資源の定 義に親密財を加えて資源としてみよう。4. 家族機能と家事労働
家族機能論はこれまでも家族論の中で重要な理論の1つであるが,ここでは 家族の経済的機能について限定して機能障害についてふれてみよう。石原
(1988)
の機能障害(個人・家族問題)としてあげられているものを列挙してみた(表1)。
家族機能に照らした場合,家事労働は,資源をインプットし生命・健康・生 活水準(暮らしやすさ)を維持するというアウトプットをうみだすものである。
機能障害あるいは家族問題が生じる際に社会福祉としての援助がなされてくる わけだが,家族の目指すあるいは許容するところの暮らしやすさは,機能障害 に至らないぎりぎりの状況よりもはるかに高い水準にある。このような状況を 考慮し,機能障害について4つの問題点をあげよう。
機能障害は,本来単純な資源不足なのであるが,家族が持つ矛盾から生じる。
とくに近代家族のもつ自助原則,愛情原則により生じる矛盾である。第1に,
自助原則のもつ矛盾は家族内のある資源の不足を,他の資源を用いて,たとえ ば労働不足を情報によって補うことにより対応すべきであるが,これらは家族
表1 機能障害 生活主体の欲求 機能障害
生命維持 生命の危険
身体の自由と安全 虐待
発育・成長 発育不全・身体障害 健康・衛生 疾病・不衛生 収入獲得 生活水準の低下・窮乏 衣食住の物的条件の確保 収入資産の減少 資産の管理・保全 扶養能力の低下
(石原,1988)
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内で解消すべき問題としてしまうのである。
第2に,愛情原則においてはその偏った愛情のとらえ方に問題がある。愛情 で家族は結びついている。同時に家事労働が愛情の現われとしてとらえられ,
さらにそれは妻にわりふられる。これは家事労働の担い手に関する規範となる。
この規範によって,家事労働力が不足しても,家族成員間での家事労働の再配 分は抑制される。また,親密財の男女間での不平等な配分となる。
第3に,近代家族のイメージによって生じた家事労働の水準に関する規範が,
ニーズをはるかに超えたレベルの家事労働を必要であると家族に思わせている。
近代家族のイメージの定着によって,必要なニーズを超えた家事労働量を規範 としているからである。育児や介護を,そして仕事と両立を行えないと思うこ とによって,家族は実際以上に問題を抱え込む。
最後に,家事労働の性質との関連で,家族内的性質が家事労働の外部化を抑 圧する。家事労働力が不足した際に,外部化されにくい。つまり脱埋め込み化 が十分にはなされないということになる
現実の問題とこれら4点に関して,機能障害として最も表われやすいのは,
家事労働力の不足によって生じる,家事労働の遂行者自身の健康障害である。
例えば介護者の過重負担は深刻な問題である。これは第1,第2の問題と関わ っている。自助原則によって家族の負担が大きいこと,家事労働の再配分が十 分に行なわれないことによって問題が解消しない。
家族の特に女性の過重負担は,第1,第2,第3の問題と関わっている。「女 性活躍推進」が叫ばれる中,仕事もいまだ拘束性が高い。ケアを中心とした家 事労働も拘束性が高いが,いまだに家族内で問題を解決しなければならない。
また家族成員数の減少により家事労働の担い手も少ない。つまり資源(労働力 と時間)が不足しているということになる。さらに,家事労働の再配分が十分 に行なわれないことによって問題が解消しない。
高齢者世帯,母子世帯における資源不足は特に深刻である。第1,第4の問 題と関連している。自助原則により基本的には家族で問題を解決されるべきだ とされている。また,家族内的性質によって,さらに自助原則の内面化によっ て,他人の世話になりたくないとする意識となる。このように家族の共同性と はこのような資源のプール,利用であり,まさに資源系なのである。
さらには生活の複雑化・情報化により「新家事労働」という概念が用いられ るようになってきた。家族は日常的に生じるニーズを満たすために,サポート
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資源(人的資源や機関)とのやり取りを必要とするようになった。「生活の複 雑化によって発生する新家事労働」は,①従来の家庭・家族に縛られない,② 専門家の仕事に近い,③日常化・ルーチン化されていない,④自己コントロー ルより組織によって支配される,という特性がある
(Thiele-Wittig 1994)。つま
り,資源としての情報を管理し活用する新家事労働の重要性が増したことも意 味している。機能障害に陥らないために,家族は長期的に潜在的な資源をプールし,それ らを管理している必要がある。必ずしも家族が資源系と言われるほどに資源を 蓄積管理できていないかもしれない。何らかのストレッサーにさらされた時,
十分な対応ができるかどうかはさておき,見積もりが甘いとしても何らかの資 源をプールしているのではないだろうか。
おわりに
本稿では家族を資源系として整理してみた。しかしそれは,1980年代に日 本型福祉国家が論じられる中で「家族は含み資産」とされ過大な重荷を背負わ されてきたこと,家族成員が社会的に負わされている課題を家族に責任転嫁さ れること,家族に対処を任せることにより,社会問題を隠蔽する家族の逆機能 といった側面を看過するものではない。また,フェミニズムなどがこれまで指 摘してきたように,家族内の資源の不平等な配分も現実にある。
現実の問題点とは別に,共同性とは資源の共同使用であり,それを前提とし たプーリングである。家族資源系つまり資源蓄積・資源配分システムである。
本稿における家族の共同性は非親族による共同性の存在を排除するものではな い。しかしながら,家族の共同は実態は異なっているとしても,永続性を前提 としている点で他の集団とは異なる。夫妻間での選択可能性あるものの,親子 間で選択可能性は極めて小さい。
家族の共同性への関心を失わせてきた個人化現象とは,資源の個人向けの使 用とプールの割合の増加である。ステップファミリーのようにモザイクあるい はパッチワークのように見える家族でも,完全な一体性は伴わない,個人が複 数の資源系に所属するともいえるのではないだろうか。一つのアプローチのみ では家族や「家族」を研究することは不十分であると思われるが,家族を資源 系としてとらえるアプローチを今後精査していきたい。
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参 考 文 献
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石原邦雄
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石原邦雄編
(2008)『家族のストレスとサポート(改訂版)
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(2008)「
「個人化」「個別化」と「私事化」概念―概念の整理と指標化に向 けて」『社会情報学研究』第14号,69-74.久保田裕之
(2011)「家族社会学における家族機能論の再定位―〈親密圏〉
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(2012)
「世帯概念の再編―非家族世帯と「家計の共同」をめぐって」『年報人間科学』第33号,27-42.
McCubbin, H. & Patterson, J. M., eds., 1981, Systematic Assessment of Family Stress, Resources, and
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(1992)「家計組織化研究の目的」家計経済研究所編『ザ・現代家計』大蔵省印刷局 5-17.
――――
(2001)「
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森岡清美・望月嵩
(1997)『新しい家族社会学(四訂版)
』培風館.牟田和恵
(1998)「家族制度・変動論の家族社会学における意味と意義」
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野沢慎司編
(2006)『リーディングスネットワーク論:家族・コミュニティ・社会関係資本』勁
草書房.落合恵美子編
(2008)『親密圏と公共圏の再編成』京都大学学術出版会.
坂井素思
(1992)『家庭の経済』放送大学教育振興会.
Thiele-Wittig, M., 1994, “Issues of the International Year of the Family: Changes in the Private Sphere and Its Interfaces and Their Public Importance”『日本家政学会誌』第4
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Wallman, S., 1984, Eight London households, Tavistock Publications Ltd.(=福井正子訳 (1996)
『家庭の三つの資源:時間・情報・アイデンティティ:ロンドン下町の8つの家庭』河出 書房新社).