東インド会社と議会諸法令にみえる帝国
浅田實
東 イン ド会社 と議会諸法令 にみえる帝国
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︑はじめに
商業革命の時代ともいわれる近世ヨーロッパには︑アジアとの交易を企図したいわゆる﹁東インド会社﹂が数多く誕生
した︒イギリス東インド会社の他︑オランダ連合東インド会社︑フランス東インド会社︑デンマーク東インド会社︑ポル
トガル東インド会社︑さらにはオーストリァ東インド会社等々である︒いつれもがいわゆる﹁商業資本家﹂または﹁王室
(1)政府﹂主導の独占的貿易会社であった︒したがって産業革命と産業資本家の時代が到来すると︑いずれの会社もあたふた
と崩壊していった︒産業革命の到来を待つまでもなく倒壊していったとさえいえるかも知れない︒その意味でいわゆる
﹁東インド会社﹂というのは︑産業革命やフランス革命より以前の﹁近世﹂ヨーロッパを代表する組織であった︒それで
もそれはある意味ではヨーロッパ近代化の過程で︑なくてはならない組織であった︒ヨーロッパ近代資本主義世界システ
ムが形成︑強化されるに際して︑近世らしい特色を備えた存在であった︒けれどもそれらは︑フランス革命後の近代がお
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(2)とずれる前に崩壊していかねばならなかった︒
ところがイギリス東インド会社だけは︑むしろ右に挙げた諸東インド会社を代表する典型的な﹁独占的商業資本家﹂の
会社だといわれてきておりながら︑産業革命後も命脈を保ち一九世紀中葉のパックス・ブリタニカの時代につながるほど
(3)の健在ぶりを示した︒なるほど会社はインド大反乱(セポイの反乱︑一八五七〜)の中で解散させられはしたけれども︑
その後も株主には補償金が与えられるなど︑引続いて政府の保護を受けた︒イギリス東インド会社はどうしてそれほどし
たたかだったのであろうか︒そのことを︑ここに示した東インド会社関係の五つの諸法令を史料としてみていくのが︑こ
こでの課題である︒たしかにイギリス東インド会社は︑ここに挙げた﹁ノースの規正法﹂や﹁ピットのインド法﹂等によ
って政府︑議会の製肘を受けることになった︒しかも会社の貿易独占に対する攻撃と自由貿易政策を求める声が高まって
いくなかでさまざまな批判を浴びたのだが︑それでも﹁イギリス東インド会社﹂は存続を許され︑会社は温存された︒一
八三三年の法令では︑本来の営業種目である貿易取引から完全に撤退し︑会社外の人々に自由貿易を許すことになったの
だが︑それでも会社そのものの存在は許されたのであった︒そのような様子を︑一八世紀末から一九世紀はじめにかけて
の諸法令の中でみていこうというわけである︒
二︑五つの議会法令
ところで一八世紀末から一九世紀はじめのこの時代はよく産業革命の時代といわれてきたが︑それはイギリス帝国が形
(4)成される︑その出発点の時期でもあった︒いったい帝国主義といえばわれわれはすぐレーニンやホブスンを想起する︒実
際古典的帝国主義の時代といえば︑かれらが提案した通り一九世紀末を指す︒しかしイギリスに関する限り︑自由貿易帝
国主義という言葉がすでに暗黙に認めている通り一九世紀はじめには帝国は形成されていたし︑それはまた古典的な議会
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制民主主義と軌を一にして拡大︑発展してきた︒そうとすればイギリス帝国の形成は︑黎明期といってもよいが︑それは
いつに求めたらよいのか︒筆者はそれを一八世紀末産業革命開始期に措定したいと考えている︒
イギリス帝国︑英帝国というけれども︑一九世紀はじめの時点ではその大きい部分は︑同時代人であったP・コフーン
の記述によれば︑次のようであった︒英領北アメリカ植民地(上下カナダ︑ノヴァスコシア︑ニューファウンドランド
等)︑ジャマイカ︑ドミニカ︑バーヴェイドス等の西インド植民地︑アフリカのケープ植民地︑のちのオーストラリア︑
(5)ニュージーランドのニューサゥスウェルズ︑それにコフーンが付録のような形で末尾にあげている英領東インドである︒
のちの大英帝国がようやく形を整えつつあったわけだが︑これらのうち﹁東インド会社﹂が関与していたのは東インドと
ケープ植民地とであった︒
やがてヴィクトリァ女王の下で﹁インド帝国﹂が形成されるいわゆるインドは︑﹁東インド会社﹂が沿岸諸地域との貿
易︑商業活動を進めていくうちに︑オランダ︑フランスなどとの競争の中で形成されたものだし︑﹁南アフリカ連邦﹂は︑
なるほど﹁南アフリカ戦争(第二次アングロ・ボーア戦争)﹂の結果二〇世紀に形成されたものだが︑その源流をなす
ケープ植民地は︑フランス革命からナポレオン戦争の時代に形成された︒オランダ東インド会社が消滅していくなかで英
領となったのだが︑イギリス東インド会社がケープ植民地形成に果たした役割もまた無視することはできない︒ただこの
(6)ケープ植民地形成期の事情については先に小論を書いたので︑ここではインドでの帝国形成の本格的第一歩が﹁ピットの
インド法﹂からはじまったことを中心にみていくことにしたい︒
さてここにとり上げる議会法令というのは︑東インド会社の貿易独占に対する反対の声がいやが上にも高まった一八世
紀後半から一九世紀はじめにかけての五つの法令である︒年代順に次の諸法令をとり上げる︒一つは一七七三年の﹃ノー
(7)(8)スの規制法﹄と俗称されている法令であり︑次いでは一七八四年の﹃ピットのインド法﹄である︒東インド会社の貿易独
占に反対する声はその後いよいよ高まったが︑そのような中で一七九三年の特許状更新の機会に出されたのが第三番目の
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(9)法令﹃一七九三年東インド会社継続法﹄である︒続いて一八一三年の︑東インド会社の﹃インド貿易独占を廃止した法
(10)(11)令﹄︑そして最後に︑一八三三年の中国貿易を含めた﹃すべての会社による貿易独占廃止を規定した法令﹄である︒筆者
はこれらの法令を﹃法令集﹄ω$け鼻①彗目震σq︒と略称される史料でみたが︑マグナカルタから以後の主な諸法令が集めら
れたものであるだけに興味深いものがあったけれども︑いずれの法令も冗長︑冗漫で︑どこに焦点があるのか︑つかみが
たいものが多かった︒とりあげた五つの法令についていうと︑時代の隔たりの中に徐々に近代化しつつある様が全く伺え
ないわけでもなかったが︑総じていえば古色蒼然たる法令文書の様式にいささか辟易したと︑告発せねばならない︒
それでもイギリス帝国史研究史との関連でいえば︑古典的帝国主義の時代から更に百年以上遡るこの時代に︑大英帝国
の基礎が築かれ︑後の自由貿易帝国主義の時代や古典的帝国主義の時代を準備したのではないか︒そのような視角から︑
東インド会社に関連した議会史料﹃法令集﹄を読むとき︑﹁法令﹂そのものの中に帝国主義的ともいうべき言々章句が見
出されて︑はなはだ興味深い︒また東インド会社史研究との関連でいえば︑このような法令史料を読む作業が︑近年の会
社史研究で紹介されている結論を今一度確認することになると考える︒
三︑領域的︑領土的支配
いったい貿易会社︑商社であった東インド会社が領土的支配者となり︑インド帝国形成の先兵に転身するのは︑﹁プラ
ッシーの戦い﹂(一七五七年)とそこでのロバート・クライブらの活躍を契機としてであった︒しかしその後インド現地
で生じたことは政治的混乱と私人によるインド成り金の叢生だった︒そしてそのような動揺がようやく鎮静しはじめるの
は︑﹃ピットのインド法﹄が議会を通過した一七八四年ころのことであった︒この年一月東インド会社株主総会は政府︑
議会に譲歩し︑インド統治については政府の監督権を受けいれた︒五月の選挙に勝利したウィリアム・ピット(小)が提
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出したインド法が八月一三日議会を通過し︑﹃ピットのインド法﹄の成立となった︒政府はインド監督庁(局)を新設し︑
(12)ここが東インド会社のインド統治を監督することになる︒具体的にはこの後東インド会社重役会は︑インドの政治︑外交︑
法律︑軍事を監督庁の手に委ねることになった︒これが後のインド省といわれる部局の創始である︒インド帝国のはじま
り︑インドに対するイギリス支配のはじまりを︑われわれはこの﹁インド法﹂に見出すことができると考えた︒
そこでまずこの﹃ピットのインド法﹄からみていくことにしたい︒この﹁インド法﹂がはじめ一七八三年四月下院に提
出された時︑のちにインド庁長官となるヘンリー・ダンダスは︑この法令の中でインド総督の権限を強化しようとした︒
総督をつとめたW・へースティングスの苦い経験やその後任のC・コーンウォリスの意見を汲んで︑在インド政府の権限
強化をはかったわけである︒在インド総督は東インド会社重役会の下にあったが︑その重役会はこの後のインド監督庁の
下におかれたので︑監督庁がインド総督を動かすことにもなった︒実際監督庁長官﹁ダンダスは秘密にしておきたい問題
(13)についてはコーンウォリス総督に私信を書い﹂た︒政府︑議会にとって﹁インド法﹂作成の意義は︑それだけでも十分で
あったということができた︒
(14)実際﹃ピットのインド法﹄第三条には︑監督庁の三人の委員が﹁東インドの英国領土全土に対する監督と管理⁝⁝﹂と
を行う︑とある︒また第六条には﹁東インドの英国領地の民政︑軍政または総収入に何らかの関連をもつすべての法令︑
すべての操作︑すべての行動︑すべての運営︑すべての事業を監督し指図し管理する権能を十分に付与され︑与えられて
いる︑﹂とある︒さらに﹁インド法﹂第=条には次のようにある︒﹁東インドの英国領土の民政︑軍政または総収入に関
する限り︑上記(合同東インド)会社の株主総会または専門部会および重役会での︑すべての議事録︑議事規則︑決議文︑
その他の訴訟手続きのコピーが︑監督庁に手渡されるよう要求され︑指示されるはずである︒﹂また﹁上記会社の重役会
は︑東インド英国領地に関して︑上記監督局から受けとる命令や指示に当然服従するよう要求される︑﹂と︒
しかもそのようにしてインド領地に対する支配と管理を統轄する監督局の委員たちは︑次のように宣誓し誓約せねばな