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桐谷文雄先生の御逝去を悼む

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Academic year: 2021

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桐谷文雄先生の御逝去を悼む

著者 鮫島 輝彦

雑誌名 静岡地学

巻 47

ページ 1‑1

発行年 1983‑04‑30

出版者 静岡県地学会

URL http://doi.org/10.14945/00025537

(2)

静 問 地 学 第

4 7

( 1 9 8 3 )

桐谷文雄先生の御逝去を悼む

鮫 島 輝 彦 *

本会会長桐谷文雄先生は昭和

5 7

1 2

月四日急性心不全のため急逝されました。明治

3 9

1 1

1 7

日のお生まれで、享年

7 6

歳であられました。

は昭和

3 9

年間丹、故望月勝海教授の後任として、電源開発株式会社より、静岡大学文 理学部教授に来任されました。間もなく昭和

4 0

4

月文理学部改組により理学部が発足すると 初代理学部長に推され、

2

4

年に宜り新学部建設の重責を果されました。理学部発足に日つ ては文部省と鋭意交渉されて前例のない地学履習コースの設置の承認を取りつけ、これは後の 地球科学科設立の(昭和50年 4月)萌芽となりました。時あたかも大学紛争の激甚期にあたり、

24時間以上にわたる評議会団交などの酷しい経験もされたのでありました。

昭和

4 5

3

月停年御退官後も、地質調査会社顧問、東海大学講師、静岡

静岡県水資源会議委員、又本会会長として、亡くなられるまで地域社会の発展に寄与を続けち れました。先生は東京帝国大学地質学科を昭和

S

年に御卒業になるとすぐ北樺太石油会社に入 社され、昭和

1 1

年からソビエト連邦北樺太オハの、油田開発事業に参加されました。昭和

1 4

年満 州、│鉱業開発会社に移られ、満州(中国東北地区)で炭田等の謂査に従事されているうち昭和

2 0

年 敗戦となり会社は解散、帰国の途を断たれ、新京(長春)に残留の止むなきに至的、やがて中 国政府留用(長春大学教授、地質調査所研究員)、昭和28年ょうやく留用を解除されて帰国さ れました。この問、一児を栄養失調で失われるなど筆絶に尽くし難い苦労を重ねられました。

に入社され、佐久間@御母衣など当時の薪技術による巨大ダム建設の られ、これら新技術の定着に大いに貢献されました。

に微笑を絶やさず、悠容迫らざる毅然とした態度で人に接せられました。

をした

メをはっきりさせられ、又自ら る

あっ

1 2

年間の長きにわたっ 特に4.  5 ..   6 .

かだが断障としてケジ しい人格者であられました。

に御来任になり、以来常に当会の活動の中心に 又昭和

4 7

年から

5 7

年と

6

期延べ にもしばしば投稿を賜り、

について(その

1"2"3)J

3 0

号所載の

、我々を啓蒙して下さいました。

されたにもかかわらず、その後 としての地学の最近の発展は真に自

もますます増加し、本会の使命も まりないものがあります。しかし先生の蒔い けて活仏先生からのバトンを引継いで、使命の達成に いろいろと有難う御座清ましたのどうぞ安らかにお体み下さい。

て下さっ

く事と存じま

ークランド

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