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外 国語教授法 と初級 日本語教育 におけるその実践

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25

外 国語教授法 と初級 日本語教育 におけるその実践

‑ 理論 と実践 の融 合 をめ ざ して‑

まえ あ き ひ こ

前 田 昭 彦

1 . は じ め に

何 を、いかに教えるかば総ての教科の総ての教師にとっ て最大の課題であろう

日本 の大学教師は学生か らしば しば 「 研究一流、授業 は三流」 という言 い方でその指導 の稚拙 さを排旅 され ることがある。日本語教育、特 に初 級段階の教育 において教師は 「 研究一流」 はさておいて も 「 授業一流」を目指 さな くてはな らな い。 初級 の日本 語学習者 は教師をおいて他 に頼 る術がないのだか ら。

日本語教育 において、何を教え るかは教科書選定の段 階でかな りの部分が決定 され るのに対 し、いかに教える か は教師が常 に腐心す るところである

しか し日本語教 師にとって最大の関心事 であるはずの この問題 に関 して は体系的な研究発表が比較的す くない。本稿 においては 外国語教授法理論 の一端 を紹介 し、実践例 として筆者 の 体験 を通 した教室活動 を報告 し、最後 に初級 日本語教育 の場 において問題 にな りやすい 「 指示詞」について、そ の文法理論 と教室 における指導法の一例について述べた い。なお

、「

〜んです」の表現 、な らびに日本語教育 に おける教科書 の重要性 について も簡単 にふれ ることにす

2. 初級 日本語教育 における教科書の意義

『日本語 と日本語教育

13(

上) 』において田中望 はコー ス全体の計画作成であるコース ・デザイ ンについて、何 を教え るかの決定 を シラバ ス :デザイ ンとし、そ こで は いかなる学習項 目を与えるかが決定 され、また、どう教 え るかの決定 をカ リキュラム ・デザイ ンとし、そ こでは 教授法、教材 、教室活動の在 り方が決定 されるといい、

さらに教科書 に言及 して、教科書 は作成者 によって、 シ

ラパス、教授法、教室活動が選ばれ、時間数 も設定 され ているので、すでにコースデザイ ンを含む ものであると

いっている

教科書 に対す るこのよ うな認識 は重要で、既成 の教科 書を利用す る場合、学習者のニーズを充分 に分析 し、慎 重 な選択がなされないと、受講者 、教授者 ともに苦汁を なめることになりかねない。現在で こそ多様 な教科書 が 出版 され、選択 の余地が広が っているが、わずか

5

6

年前 までは選択の幅 は狭 く、代表的な教科書 といえば数 え るほど しかなか った。そのよ うな事情 もあ って、私 も 関係 している大学で

5

年 はど前、研修や実験 、実習にな ん ら携わ ることのない留学生 のクラスに、研修者 を対象 として編纂 された教科書 が与え られ、担当の同僚教官か らは教えに くさへの不満、学生か らは教科書 の無味乾燥 にたいす る不満を聞いたことがある

その クラスが通常 に増 して2

5%強の落伍者 を出 し、教育成果 をさほど挙 げ

られなか ったとい う事実 は教科書選択 の重要性を教えて いるといえよ う

「 教科書 を教え る」のではな く 「 教科書で教えよ」 と い う教師の創意工夫を もとめる教育現場 の金言 は、やや もす ると教科書軽視 ともとられかねず、留学生の日本語 教育、特 に初級段階 においては危険な表現 といえ る

初 級学習者 の場合、「 教科書で」復習す るケー スが多 く、

また後述 の直接法 による日本語指導 においては教科書 と 教授法が密接不可分だか らである

しか し、日本語教育 において常 に教科書 を重視せよと

い うので はな い。 例えば中 ・上級 のクラスにおいては一

般 にいわれる教科書がな くて も指導 は可能である

初級

後半か ら中級 にかけてのクラスにおいて、通常 の意味で

の教科書 を使わないで ビデオ、雑誌、新聞、小説等を教

(2)

材 に して理解力の向上を図 り、スピーチと作文で表現力 の向上を図 るという方法で成果を挙げた例 もある

ただ し、 これはあ くまで も中級程度のクラスであ り、 しか も クラスの レベルに合わせた教材の準備 には教師の多大な 労力が必要であった ことを報告 しておかなければな らな い。 この場合教師はクラスと同時進行的に教科書 を作 っ たことにな り、予め適切な教科書が選択で きていればそ の労力の大半 は軽減で きたと言 っていい。

3.さまざまな外国語教授法

田中望 は現在の外国語教育の場 における教授法を以下 の

3

つに大別 している

(1)

オーラル ・アプ ローチ

言語を文法項 目、文型、語嚢等の構成要素 に分解 して 捉え、習慣化す るまで繰 り返 し練習す ることを重視す る 学習観。オーデ ィオ ・リンガル法がその代表的教授法。

(2)

コミュ二カティブ ・アプ ローチ

言語を要素に分解せず、コ ミュニケーションの総体 と して捉え、学習は現実のコ ミュニケー ションの経験の積 み重ねとす る学習観 に立つ教授法

(3)

コンプ リへ ンション ・アプ ローチ

聴解、読解 という言語 の受容面、理解面を先行 させ る 教授法。

以上 は言語観、学習観 に基づ く教授法の分類であるが、

一方、指導時におけるテクニ ックに着 目 した リグァ‑ズ の分類 もある

そのい くつかについて簡単 にふれてみよ

う 。

(1)

文法 ・訳読法

ヨーロッパにおけるギ リシャ語、ラテ ン語の古典語学 習の方法に起源を もち、文法、訳読を専 らとす る学習法 で

、19

世紀後半 ドイツの

Plt;tz

によって近代語 の教育 に 採用 され、多 くの国に普及 した。文法を教え、自国語か らの翻訳練習の積み重ねにより目標言語の正確 な記述を 訓練 し、また目標言語か ら口頭や記述 による自国語への 翻訳 により原文か ら意味を引 き出す訓練をす る

上級 レ

ベルでは教材 の文学的意義や価値の理解を も訓練す る。

授業計画や教え方 に想像力を働かせる必要が少ないので 教師にとっては負担が軽 く、多人数のクラスには便利 な 教授法である

学習者 は主 として記述を通 して教え られ るで、正確な発音やイ ントネーションを身 につけること はほとんどな く、また聞 き取 りの訓練 に欠 けるため、目 標言語で話 しかけ られ ると混乱 を起 こしがちになるO規 則 と例外を覚えることに力点を置 き、規則の応用 と例外 の用 い方 の練習に熱心なあま り、時代遅れで不 自然 な言 語形態が教え られがちで、書 く練習において も目標言語 による積極的な自己表現の訓練 はないので、意志伝達能 力 はほとんど身につかない。

10

年勉強 して も英語が話せないという大半の日本人の 嘆 きは、 この種の英語教授法に起因すると考えられるが、

日本においては現在で も、語学 は単 にコ ミュニケーショ ンのためにのみ学習 されるべ きではな く、知的訓練や教 養を高めるための素材 として も利用 されるべきだ という 理由で この教授法を積極的に支持す る識者 も少なくな い。

(2)

直接教授法

子供が自国語を身につけてい く方法を言語の教授法に 応用 した ものである

学習者 は目標言語を豊富 に耳 にす ることによってその言語を理解す るよ うにな り、その言 語 を動作 に結 びっけなが ら話す ことによって話す能力を 身につけるという考えに基づいている

教師 も学習者 も目標言語 のはかにいかなる媒介語 も使 用せず、読みにおいて も学習者 は自国語 に訳す作業 を経 ることな く目標言語か ら直接理解す るよう奨励 される

会話、読み、書 きを通 じて目標言語で考える力を伸ばす

ことを究極の目標 とす る教授法である

教室 においては実物や実演を通 じて単語や語句の学習 を始める

語の意味が具体物で表せない場合、教師は絵、

目標言語 による説明に訴え、媒介語 には一切翻訳 しない。

文法については、練習を通 じて学んだ ことのなかか ら 学習者が帰納的に文法を作 り上 げることが奨励 され、演 緒的な指導 は しない。後に文法の体系的学習の必要が生

じれば、そのときは目標言語 を用 いて教える

直接法 は入門期の段階で外国語を楽 しく、興味深 く学

習できるので、初めて外国語を話す ときにつ きまとう不

安感や抵抗感か ら学習者を解放す るのに成功 したが、純

(3)

粋な直接法においては構文の反復練習など体系的な学習 がなされず、学習者 はあまりにも早 くか ら目標言語での 発表を促 された り、自発的に発話す るよ うになるので、

目標言語 において口達者ではあ るが、のちのち矯正不可 能なまでに不正確 な話 し方を身に付けて しまう傾向があ る。母語の言語習慣を確立 している青年期 の学習者 に、

子供が 自国語を習得す るのと同 じ状態のなかで新 しい言 語を習得 させよ うとい う発想 にかな り無理があるといえ

よ う

この教授法 は例えば外国人が 日本において日本語 を学 ぶ場合のように、教室 の外において も目標言語が話 され る環境 においてが最 も効果的であるといわれ る

またこ の教授法か ら最 も利益 を受 けるのは高 い知能 に恵 まれ、

優れた帰納力 を もっ学習者で、そのような能力 に欠 ける 学習者 はす ぐに途方 に くれ、学習をあ きらめざるをえな くなる

この教授法の欠点 を修正 したものが修正直接法 で、広 く日本語教育に採用 されている

(3)

オーデ ィオ ・リンガル法

2

次世界大戦初期 、合衆国 において連合国問の交流 と敵国 との接触の際の通訳養成の必要 に応 じて考案 され た教授法で、まず聞 き、話す能力を伸ば し、それを基盤 に読 み、書 き技能 の伸長 も図 ろ うとす るので、aur

aレ oralmethod

( 耳 と口の教授法)の呼称が与え られたが、

発 音 上 の 紛 らわ しさ を避 け る た め に の ち に

audio‑

1ingual

の名称 が提案 され、採用 された。

言語 は音声であって記述ではないとい う立場か ら、最 初か らネイテ ィブ ・ス ピーカーの完全な発話を口頭練習 によって導入 し、文字 による提示 は時間を置 いて行われ る

また言語 は習慣であるという考えか ら、模倣 ・記憶 と構文パ ター ン ドリルを採用 し目標言語 の構造 を意識す ることな く自動的に発話で きることを狙 いとした。 さら に 「言語その ものを教 え、言語 については教えるな」 と い うスローガ ンの もとに文法規則の説明 は最少限に抑え られ、またネイティブ ・ス ピーカーの話す言葉が言語で あるとす る立場か ら、口語を教 え、 しか も、綿密 に場面 を設定す ることによって、ぞんざいな表現、形式ぼった 表現 、敬意表現等々言糞 に伴 う情緒面 も理解で きるよ う に指導 された。 この教授法の教科書 には直接法の場合 と 異な り、対話 に自国語 の慣用表現 を用 いた訳をつける場

27

台が多か った。

教室においては、まず教師やテープ レコーダーをモデ ルに日常的で頻度 の高 い構造を含む対話文を学習者 に暗 唱で きるよ うになるまで唱和反復 させ、次 に記憶 した文 を使 って クラスを二分 した り、列 ごとに分 けた りして対 話の練習をさせ る

その後記憶 した文を基 に構文パ ター ンドリルが行われ る

テープ レコーダーや LL装置が利 用 され ることが多 い。

記憶 と ドリル中心 のこの教授法 は教授者 のよほどの創 意 と工夫がないと単調で機械的にな りがちで、優秀 な学 習者を退屈 させた り、文の暗唱 はで きて も内容の理解が 伴わないために実際の会話 に応用で きない学習者 を作 り だす こともある

リグァ‑ズはその他の学習法について も説明 している が ここでは割愛 し、優れた語学教師 とは真 の意味で折衷 的であ り、担当の語学 コースの最終 目標 に向か って効果 的 と考え られ るいかなる教授法、 ドリル、工夫 も採用 し、

豊かな想像力 とエネルギーで授業 を変化に富んだ楽 しい ものにす るよう努力す る教師であるとい う意見を紹介す るにとどめた

い 。

現在、日本国内で行われている教授法 は直接法が主流 を しめている

しか し、それは原初的な直接法ではな く、

場合によっては機能的な文法を媒介語で説明 したり、構 文パ ター ン練習を導入 した りす る修正直接法、ない し折 衷的アプローチとも呼ぶべ きものである

直接法 はその言語が使用 されている環境 において最 も 効果を発揮す るという特性 を考慮 して も、また、クラス が単一 の媒介語 の使用をゆるさない多様 な学習者か ら成 立 している場合が多 いという事情か らも日本語を日本語 でお しえる広義 の直接法が採用 されるのは当然であろう

次に私 自身の体験か ら報告 してみたい。

4.

修正直接法とその実践

4.1 媒介 語 使 用 クラ ス と直 接 法 使 用 ク ラ ス に お ける教授法の効果の比較

過去 6年間の初級 クラス担当において最初の 3年間 は

学年 の前半 は媒介語 として英語を使い、その使用量を徐々

に減 らしなが ら後半 は日本語だけで教えるという方法を

採用 し、その後 の 3年間 は最初か ら日本語 だけを使用す

(4)

るいわゆる直接法を採用 した。 クラスは年度によって規 模が変わ ったが、概ね1

5

名か ら2 5名前後で、学習者 はい ずれ も英語系を主体 と していたが、年度 によっては英語 を解 さない中国や韓国などか らの学習者が混 じることも あった。年齢 は

20

歳前後が最 も多 いが、時には

30

歳代の 学習者 もいた。

クラス構成を出身国でみると、例年、アジアの留学生 が

1

か ら3

で、他 はアメ リカ、カナダの学生であっ た。アジアの学生 のほとんどが将来 日本語 を何 らかの形 で生か したいと考えているのに対 し、アメ リカ、カナダ の学生で帰国後 日本語 と関わ りを もっ と考えている学生 はほんの数名 しかいなか った。 したが って、日本 の平均 的な大学 の平均的な第二外国語 のクラスに似て、 2、 3 割程度が 目標言語の習得に意欲的で、他 は動機づ けが う

ま くなされなければ、熱心 には学習 しないというクラス の雰囲気であった。そのよ うなクラスで初めの

2

年間は 過 に

90

×3

回、その後の

3

年間 は

90

分 ×6回、

1

年だ け

90

分 ×8回の時間数で初級 クラスを 1学年度 ( 実質的 には

32

週程度)担当 した。いずれのクラスも

1

週間の日 本語関係 の全時間数 は

90

×12

回程度であった。

英語 を使用 したクラスと日本語だけを使用 した直接法 のクラスを比較す ると、英語使用 クラスより直接法 クラ スのほうが学習者の授業 に対す る集中度が高か った。ま た英語 による解説が並記 されたテキス トを使用 したクラ スでの集中度の低 さは特記すべ きものがあった。 これは 見慣れぬ日本語 と見慣れた母語が並記 されていれば、ど うして も母語の方 に目が向 くという自然な心理 と、授業 に集中 しな くて も英語 の解説 を読 めば理解で きるという 意識が働 いた ものと考え られ る

直接法を採用 して

2

年間 は、学年終了間際に面接 の形 で学生 に教授法 に関す るアンケー トを実施 したが

、90%

以上が直接法を支持 し、支持 しなか った学生 は日本語が ほとんど身 につかず、日本語による質問が理解できなかっ た学生、かな りよ く話せ るが進度が速す ぎることに不満 を述べた学生、他 に比較のすべがないので明確 に答え ら れなか った学生 の数名にす ぎなか った。支持 した学生 に あっては、学習意欲の高 い学生 はど積極的な支持を示 し、

その理由の大半 は日本語 に早 (慣れたこと、聞 き取 り能 力が予想以上 に早 く向上 した ことを挙 げた。

教授者側か らの教授法の効果 の判定 は、同 じクラスで

対照実験的に異なる教授法を試みて結果 を検証す ること は不可能 なので速断 は危険であるが、

1

週間に

8

回、英 語 は全 く使用せず、英語 による質問 も受 け付 けずに総て を日本語だけで通 したクラスが最 も効果的であったとい う印象が強い

C,

そのクラスでは

3

か月を過 ぎるころか ら、クラスの大 半がまだ流暢 とはいえないまで も3分か ら1 0分 はど日本 語でまとまった話がで きるよ うになった。なかには

1

年 3か月後に長崎のある公民館で40 人 はどの聴衆 を前 にメ モ も見ないで6 0 分間の講演を こな し、日本語学習歴の短 さに対す る日本語 の運用能力の高 さで会場の日本人を一 様 に驚か したカナダの学生 もいた。ただその クラスに天 の配剤 ともいうべ く比較的言語習得能力 に長 けた学生が 多 く配 されて、学生間の切瑳託摩 による相乗効果が働 い てそ うな った可能性 もあ り、教授法の効果かどうかにわ かには判定 し難 いところがある

いずれにせよ、授業中に英語 による質問 も認 めないで 一切を日本語 だけで通 したクラスの学習者が教室内だけ でな く、事務室窓口など日常生活の場 において も日本語 を使用 しようという意欲が最 も高か ったのは事実である

これは媒介語を使用 しないクラスの雰囲気がコミュニケー ションの際の英語依存か ら学習者 を早 く脱却 させ、日常 生活 における日本語使用を促進 した もの と考え られ る

4. 2 教室活動 :初 日の授業

日本語教育の実態 を知 らない人 は日本語 を日本語 だけ で教 えることは不可能 と考えた り、教職 にあるような人 か らさえ小学

1

年生 の国語 の教科書で教えは じめるのか といった類 の的外れの質問を受 けることもある

日本語 教育が盛んになったとはいえ、一般の認識 はまだ この程 度である

次に直接法による一つの実践例を報告す るこ とに し

い。

留学生 の最初の日本語のクラスはアメ リカやカナダの

屈託 のない若者達が多 いクラスであって も、ほとん ど例

外な く緊張 している

私達が外国‑行 って全 く白紙 の状

態でその国の言葉を習 いはじめる時の事 を考 えれば学生

の心理状態 は容易に想像で きるであろう

どんな教師が

来てどんな教え方 をす るのだろ うか、新 しい言語が習得

で きるだろ うか、授業 についていけるだろうか‑‑‑期

待 よ りおそ らく不安 の方が大 きいことであろう

(5)

教師 はそのなかに入 っていき、なんの前ぶれ もな く一 人の学生の前‑ いって、自分の胸のあた りをお さえなが ら 「まえだです。どうぞよろ しく。」 と自己紹介をす る。

その時の学生 の反応 はさまざまである

しか し、状況が 自己紹介であることを教えて くれ るので、ほとんど間違 いな く学生 も自己紹介を始 める。「ど うぞ よろ しく

が うま くいえない もの、比較的 うま く発音で きるもの、い ずれにせよ、最初の硬 い緊張 はとけて、教室 は活気をお びて くる

4、 5人終わ った ら、「は じめ ま して」 を加 えてみ る

新 しい刺激 に新 たな興奮がわ きお こる

長 く な った表現 に戸惑 うもの、慣れない発音 に懸命に努力す るもの、なん ども言 い直す もの、 うま く言 えてやや得意 げな もの、 これ もまたさまざまである

こうして一通 り自己紹介が終わ り、学生 の反応がよけ ればまた元 に戻 って今度 は胸 のあ た りをお さえ なが ら

「私 はまえだです」 と言 い、掌 を広 げた状態 で相手 を指 しなが ら 「あなたは ?」 と尋ね る

学生 には 「まえだ」

が教師の名前であることは既 に分か っているので名前 を 尋ね られていることが推測で き、ほとん ど自分の名前 を 口にす る

2

人の学生 に同 じことを して、手で促す動作 をそえなが ら 「 立 って くだ さい」 と言 って 2人の学生 を 立 たせ、例えば 「ソニアさん

こち らはロバー トさんで す 。 」 と手 の動作 をそえなが ら2人を紹介 す る

2人 が

「どうぞよろ しく」が言 えない場合 は教師がそれを促す。

同様 に して 4組 はど教師が引 き合わせてモデルを示 した ら、

3

人を立 たせ、総 てを学生 にや らせ る

15

名前後の クラスであれば日本語 の知識が全 くなか っ た学生 たちが

2、30

分で 日本語 による自己紹介 と他者 の 紹介がで きるよ うになる

これは単 に日本語 の学習 にと どま らず、直接法で教 え るとい う教師の方針 を学生 に示 す ことに もな り、また学生同士を引き合わせることによっ て クラスの融和 をはかることにもなる。留学生 は来 日早々 か らパ ーテ ィーに出席す る機会が多 いこともあって有用 な学習 となる

4.3

文字の指導

紹介が終 った らひ らがなの指導 を始める

教師 は、例 えば 「あ」を板書 し、で きれば学生 に指 を挙 げさせ、筆 順 を

1

2

3

と言わせなが ら数回板書 を繰 り返す。筆 順 を唱和 させ るのは数字 の言 い方 の学習 と日本語 の発音

29

の訓練を兼ねた もので、濁音 の練習の ころには 5や 6ま で意識す ることな く言 えるよ うになる

クラスの雰囲気 によっては学生が声 を出 したが らない場合 もあるが、教 師は構わず筆順を口に しなが ら板書で書 き方 を示 してい く。数字 を耳 にす るだけで も学習効果がある

唱和 した が らない時で も、学生 は自分で書 く練習 になると小声で 数字 を言 いなが ら書 いてい く場合が多 い。

板書 による指導が終わ った ら書 く動作 をそえて 「 書 い て ください」 と言 い、練習帳で書 き方 の練 習 を させ る

「あ」行が終わ った時点で 「あいうえお」 を教 師 につ い て数回復唱 させ る

それが終わ った ら 「 書いて ください」

と言 って、デ ィクテー ション形式で例えば 「あお」、「い え」など基本的で簡単 な 「あ」行 の ことばを書 き取 らせ る。単語 の意味 は絵や実物を使 って提示す る

その時大 切 なことは、「 私」を教 え るつ もりで教 師が 自分 の鼻 を 指 して 「 私」を繰 り返 した ら、学習者 は 「 鼻」にあたる 日本語 は 「わた し」であると思 い違 いを したとい う報告 があるが、 この種 の誤解 を学習者 に与えないことである。

「あお」を教え る場合、 もし青 い色紙 で教 え たい と考 え た ら、

1

枚だけ示すのではな く、他の色 の色紙 のなかか ら苗 を取 り出 して提示する。さらに、青い服や青いチ ョー クなど身 のB] りの青 い ものを数点示 して 「あお」が形状 で もな く、物 の名前で もな く 1 つの色彩の名称 であるこ とを帰納的 に学生 に認識 させ、誤解を与え る余地 を残 さ ないよう留意す る必要がある

、 このよ うな態度 は初級 、中級 を問わず教師が常 に保持 すべ きもので、例えば後 に副詞 「や っと」が出た場合 も

「や っとテス トが終わ りま した。 」等の例文 を与え るだけ でな く、「や っと授業が終わ りま した。 」 は普通 に使え る 文ではあるが、それを担当教師の前で言 った ら教師 はど のよ うな反応 を示すか、また 「父 はや っと死 にま した。 」 という文がどのよ うな意味を もっかを示 し、「や っと」

が待望久 しい ものの成就や、困苦 の克服 を伴 うものの実 現時 に使われ る言葉であることを理解 させ、学習者 に誤 用を避 けさせ る配慮が必要である

ことばを多面的に教 え る姿勢 は言語の運用 を指導す るうえで常 に大切 といえ る

長時間の書 く練習 は不慣れな学習者 に苦痛 を与えやす いので、ひ らがなの書 き方指導 は

1

回につき五十音の

2

3 行 にとどめ、次 にフラッシュカー ドを使 って既習の文

(6)

字の読 み方 を定着 させ る

この とき単語用 カー ドの裏 に は絵 を描 いた り、実物を貼 りつけて意味を理解 させ る

あ くまで も読 み方が主眼なので単語 の記憶は強制 しない。

それで も授業 のたびに繰 り返 し復習 してい くと、ひ らが なの指導が終わ るころには学習者 は1 00 程度 の単語 を獲 得す ることになる

これ は直接法で教 えよ うとす る教師 をその後ずいぶん助 けて くれ ることになる

1

回 目の授業 で も時間 に余裕があれば身の回 りの もの や実物や ミニチュアで言葉 を教え、「これ は本 です」 な どの指示語 を伴 う完全文 を教 え る

その場合、教師が対 象物 を

1

人 の学生 とのいろいろな位置関係においてモデ ルを示 した後、学生 にや らせてみる

初級 において は特 に学生 を参加 させ ることが重要で、

例えば

、「A

にBがあ ります」の学習 で あれ ば、理解 を 確かめる意味で も、教師が黒板 に大 きなテーブルを描 き、

学生 を

1

人指名 して、教師が 「テーブルの上 に りん ごが

3

つあ ります」 と言 って、学生に絵を描かせ、描 き終わっ た らその学生 が次の学生 に 「テーブルのよこにいすがあ ります」のよ うな存在を表す文を言 って共同で一つの絵 を仕上 げてい く

こんどはその絵 を使 って 「りん ごはい くつあ りますか」「いす はどこにあ ります か」 とい った 疑問文 を言わせてそれに答え させ る方法 も効果的である

また 「 ‑ て形」の学習で は一通 り理解が終わ った時点で 教師が学生 の

1

人 に 「 立 って くだ さい」、「 歩 いて くだ さ い」等 の文 を言 って、学生 を動か してモデルを示 し、学 生 に も順次や って もらうよ うにす る

このよ うに学習者 に動 いて もらって言語を教えるのは、

聞 き取 りに身体で反応す ることによって言語 を習得 させ ようとい う

TPR(TotalPhysicalResponse)

理論 に も 合致す るものであるが、学習者 の知的成熟度 に比 した学 習内容 の幼稚 さに対す る救済 に もなる

文字 の指導 について教授者 によっては体系的な指導 を 排除 し、必要 に応 じて教 えてい くや りかたを採用す る人 もいる

おそ らくオーデ ィオ ・リンガル法等 の影響であ ろ う

それ も一つの見識であるが、学習者 に充分 な時間 がある場合、私 は次の

3

つの理由で系統だ った指導を支 持 したい。五十音の発音練習 によって日本語 の発音 と拍 の感覚が身 に付 くこと、五十音 を言 い慣 れることで、後 に動詞 の変化 に対応 しやす くなること、前述 のよ うにそ の間 にさほど苦労 な く単語が習得で きることの 3点であ

4.4

直接法における教科書 のあ りかた : 「〜ん です」を例 と して

修正直接法においては言語 の

4

技能すなわち聞 き、話 し、読み、書 きを同時に教えてい く方法が主流を占めて いるよ うだが、私 の経験か らも同時 に教えてい くほうが 効果的であると考え られ る

そ して これ らを直接法で教 えるときテキス トの しめる比重 は極 めて大 き

。例えば、

「 . ‑んです」の導入 に買 い物 の場面 を想定 して 「カメ ラ がほ しいんですが。 」を使 ったテキス トが あ るが 、 そ こ で教師 は非常 な苦労を強 い られ ることになる

「 〜んです」 は久野時 も言 うよ うに基本的 には説明 に 関 して使用 され るもので、 したが って、 この表現 を導入 す る場合 は 「どうしま したか。 」 とい う質問 にた い して

「おなかがいたいんです。 」のような答 の形 で導入 し、 さ らに相手 の説明を直接的に求 める 「どうしたんですか」

を提示す るよ うな構成がほ しい ものであ る

そ うであれ ば後に 「カメラがほ しいんですが」 は自己の気持 ちの説 明で相談 の口調 にな り、一方 、教師に 「テス トをす るん ですか」 と質問すればテス トをす る正当な理 由の説明を 求 めているよ うで教師を不快 にす るといった ことも納得 させやす

「カメラが ほ しいんです が」 も挨拶 の言 葉 同様 、買 い物場面の きま り文句であると してそのまま覚 え させ るや りかた もあるが、「は しいです

「 大 きいです 」

などが既 出の場合、学習者 が 「 〜んです」 に疑問 を抱 く のは当然で、熱心 な学習者 や疑問点 は逐一問 い質す習慣 を もっアメ リカ入学生 は必ず質問す る

直接法で教え る 教師 は返答に窮 して立 ちつ くすか、長時間 さいて説明 さ せ られ る羽 目に陥 る

直接法用 のテキス トは学習者がで きるだけ文法的な疑問を抱かないですむよ うに、また疑 問があ って も既習 の事項で説明 しやす いよ うに撤密 に構 成す るのが望 ま しい。

5.

指示詞 :文法理論 と初級 クラスでの指導

紙数 も尽 きよ うと しているので、初級 における最初 の

文法事項 の一つである指示詞 にふれて終わ ることに した

い。指示詞 「こ,そ,あ」 は助詞 「は 」 「が

と ともに

学習者が通常最初 にいだ く文法的疑問である。初級 にお

いては独 り言 について教 え る必要 はないので、話 し手 と

(7)

聞 き手 の関係で教えればよい。

まず現場指示

(deixis)としての 「こ,そ, あ」 の指

導であるが、 これは教師 と学習者 とのさまざまな位置関 係 に物を置 いて実際に指差す ことで教 えればあまり誤 る

ことはない。

理論的には 「こ

」は話 し手 に近 いこと、「そ」 は聞 き 手 に近 いこと、「あ」は両者が共通 に認知 し、かつ両者 か ら離れていることを表す. 。距離 は必ず しも物理的な も のではな く、心理的なものである

その時の心理状態 に よ って同 じ場所 にあるものを ぎ ーこ」で指 したり 「そ」で さ した り、あるい 「あ」で指 した りす ることがある

し たが って、早期 のクラスでは教授者 は導入時に対象をそ のような暖味 な位置に置かないよう巧妙 に計算す る必要 がある。 うっか りす ると自家撞着をお こし、学習者を混

乱 させ ることにな りかねな

い 。

遠近 はあ くで心理的な要素が強いので、間違 って も何 メー トル ぐらいまでが 「そ」の範囲であるとか、対象と 人 との前後の位置関係を問題 に しないことが肝要である

現場指示 は初級後半 に出て くる文脈指示 における照応 と 矛盾 しないので、あ くまで も後々幽塵 を来 たさないよ う 注意す る必要 がある。指示詞 の分析 は 『日本語の指示詞』

( 国立国語研究所)などに詳 しいので 、 ここで は比較 的 初級で問題 にな りやすい現場指示 とその後に出現す る照 応 との関わ りにふれ るにとどめたい。

「こ、そ、あ」が実測距離ではな く心理的距離 に密接 に関わ っていることは次のことか ら分か る. 。教室 と同 じ 階 に トイ レがあ り、「ここ、そこ、あそ こ」 を使 う前提 で日本人が会話 を交わ し、. 「トイ レはどこですか。 」の質 問がなされた とす る

L‑

: :そのとき教室 の ドアが閉 っていれ ば、か りに

20

メー トル離れていて も、「そ こです」 を使 うであろう。 これは、あなたに近 いという心理が働いて いるか らである

「どち ら‑ ?」に対 し 「ち ょっとそ こ まで」 と答え る時の 「そ こ」 も同 じ心理 と考えてよい。

このときの 「 ー そ こ」はたとえ

10

キロ離れていて も、あ り ふれた所であ って日常を離れた特別な場所ではな く、ま た用件 も非 日常的な特殊 な ものではないという心理が働 いていると考え られ る。

また、 ドアが開 いていて、 トイ レが両者か ら見えれば

5メー トルの距離であって も指差 しなが ら 「ぁそ こ」を

便 うであろう

これは、両者か ら離れていて、 しか も両

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者が認知を共有 しているという意識が働 くか らである

認知の共有 という意識 の もとで使用 され、外国人学習者 を戸惑わせ るのが談話 における 「あれ」の多用である

その端的な例が挨拶に使用 される 「今 日はあれですね J で、「あれ」 は好天、暑 さ、寒 さな どあ りふれ た気象状 況をさ し、いちいち明示 しな くて も当然共有 されている べ きものとい う意識の もとに使われ る

家族的、村社会 的なことばの使用法である

村 のお きてを知 らない外国 人を困惑 させ、易 しい日本語 なのに意味が分か らないと 嘆かせる代表的な ものの一つである

指示詞 「こ」が話 し手所属で 「そ」が聞 き手所属 とは 限 らないことは前記 『日本語の指示詞』に阪田雪子の研 究 として紹介がある

阪田は山本育三 の作品か ら、父親 が子供の手 を洗 っている時、子供が 「 \ そこ、いたいんだ よ‑ , 」 と言 う場面を取 り上 げ、「そ」が相手の所属でない 場 合 も使用 されることを例示 し、また柏手の服 に手 を触 れ、「この洋服 は」 と言 うことを想定 して、「こ」が自己 の所属でない場合にも使用 されることを例証 している

Ll

このような例 はい くつ も挙 げることがで きる

.

。例えば 家族間の指圧の場合、施術者 は柏手 の体であるにかかわ らず 「ここ ?」 と尋ね、被施術者 は自己の体であるにか かわ らず 「そこ 」で答え るであろう

もっと極端な例を 挙 げると、歯科医院で医師は患者 の口中を器貝で探 りな が ら 「ここ//これですか 」で患部 を尋ね、患者 は 「そ こ /それ」で答えるであろ うD もっとも、 これは患者のほ うで明瞭な発話がで きる場合のことであるが

.

しか し、 これ も指示詞 を心理的距離の観点か ら考えれ ば何の矛盾 もな

い 。

上記 の例で 「こ」を使用す るのは認 識の面で自己の領域 に入 ったか否かを確認 しよ うとして いるのであ り、自分の体であ りなが ら rそJを使 うのは やはり認識 の点 において相手の領域 に入 ったという意識 が働 くか らである。 このように心理上 の距離の観点か ら 指示詞 を捉えることで現場指示 (

deixis)の用 法 と文脈

指示における照応

(arlaPhora)用 法 を分 けて考察す る

必要がな くなるともいえる

話の内容 を先 に提示 して、「 彼 はこう/そ う言 った。 」 の 「こ/′ そ」 は前方照応的

(anaphori

c)用法 であ り、

逆 に 「 彼 はこう言 った。 」の後で 「こうJ の内容 を提示

す るのは後方照応的

(Cataphoric)用法である

前方照

応における 「こ」の使用には相手 の認識領域 に自ら出む

(8)

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いて情報を持 ち込むか、あるいは情報の受 け手 を自分の 領域 に引 き込むか して立場 を同 じくす ることで臨場感を 生 じさせようとい う意識が働 き、「そ」 の使用 には相手 の認識領域 に情報 を送 り込み、情報が受け手の領域に入 っ たという意識が働 くと考 え られ る

後方照応 において

「そ」が現れないのは、相手 の認識 に入 った と意識すべ き何物 を もまだ提示 していないか らであろう

また前方照応 としての 「あ」 も情報の送 り手 と受 け手 の経験等を通 じた認知 の共有があ り、かつ時間、空間の 心理的距離が遠 い場合に使用 される

かつて日本語 を教 え始めたころ、上級 レベルの学習者 に作文の添削を依頼

され、そのなかに次のよ うな箇所があった。

「 私 は上海へ旅行 して大 きなホテルに宿泊 した。ホテ ルの近 くに公園があ り、あそこでは日曜日に多 くの人が 集 まって日本語会話や英語会話 の練習を していた。・ ‑・ ・

・ ∵ ∵ ∵ ∵ ∵ l

私 は 「あそこ

を 「そ こ」に変えたのだが、理由を問 われて明確 な説明がで きなか った。 これは認知 の共有が ないので 「あ」を使用す ると不 自然 になる典型的なケー スなのである

以上のように指示詞 は現場指示 において も文脈指示 に おいて も心理的距離感 という一点で本質的に共通 してい るので、初級の早 い段階において も、「こ、 そ、 あ」 の 距離 は心理的な もので物理的な ものではないことを教え てお くほうがよい。初級 において も中級、上級 において 矛盾を来す ことのないよ う本質か ら外れない指導をここ ろがけることが大切であると考える

〔 参考文献〕

(1)

田中 望

(1989)

「コース ・デザイ ン

『 講座 日本語 と日本語教育1

3

日本語教授法 ( 上

)

』寺村秀夫編 明治書院

(2)

川口義一

(1989)

「 現代の教授法理論

‑ TPR

の理論 と応用 ‑」 『 講座 日本語 と日本語教育1

3

日本語教 授法 ( 上 ) 』寺村秀夫編 明治書院

(3)

ウィルガ

・M

・リヴァ‑ズ (

198

7) 天満美智子 ・ 田近裕子訳 『 外国語習得のスキ ル』 研究社

(4)

久野 嘩

(1988)

『日本文法研究

大修館書店

(5)

金水 敏

(1989)

「 代名詞 と人称 」 『 講座 日本語 と日 本語教育 4日本語 の文法 ・文体 ( 上 ) 』北原保雄 編 明治書院

(6)

田中 望 ・正保 勇 (

1987)

『日本語 の指示詞 』 国立国語研究所

(7)

安藤貞雄 ・樋口昌幸 ・鈴木誠一 (

1990)

『 言語学 ・ 英語学小事典』 北星堂書店

( 外国人留学生指導センター日本語 コース委嘱講師、長

崎ウエスレヤ ン短期大学非常勤講師)

参照

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②  「統合的言語処理」を必要とする「書く (復習 3 回目) 」「話す (復習 2 回目) 」の 二技能 (脚注 14

永原・尹( 2012 )では、日本で 1995 年以降に出版され、大学の授業で使 われている韓国語の初級教科書 30 冊を調査し、そのうち 2000