• 検索結果がありません。

『 枕 頭 日 誌 』

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "『 枕 頭 日 誌 』"

Copied!
84
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻   市島謙吉︵号春城︑万延元︵一八六〇︶年〜昭和一九︵一九四四︶年︶は︑新潟県水原近郊の豪農の分家に生れ︑新潟学校︵官立の英学校︶を経て東京英語学校︑東京大学に学び︑同校中退後︑一旦三菱気船に入社するが半年足らずで退社し︑大隈重信が同志を募り結成した立憲改進党に入党した︒高田新聞︑新潟新聞︑読売新聞で論説活動の後︑新潟県から衆議院議員に当選し︑政界入りした︒しかし︑明治三四︵一九〇一︶年︑結核を発病し︑政治活動を断念︑大隈の設立した東京専門学校︵後の早稲田大学︶の経営に携わり︑その隆盛に貢献した︒政治家として活躍し︑かつ早稲田大学および大学図書館館長として現在に於ける一大図書館の基礎を作った︒また︑日本文庫協会︵日本図書館協会︶を立ち上げるに尽力した外︑文化活動として国書刊行会︑大日本文明協会等に関わった︒晩年には執筆活動に力を入れ自ら随筆家として名声を得た︒  さらに市島は早稲田大学出版部︑日清印刷等の起業等実業の面でも実績を残している︒

  衆議院議員を三期︑都合八年に渉り務めた業績については多くのことが明らかにされているとは言えない︒日誌を

始め膨大な記録資料を残している市島のその方面の研究は︑今後の課題であろう︒

  市島のこうした記録資料は︑戦災を避けるため︑郷里に移されていた︒その後︑一旦新潟県立図書館に寄託される 市島春城自伝資料

﹃枕頭日誌﹄ 解題・影印・翻刻

金  子  宏 

(2)

が︑昭和三五︵一九六〇︶年に早稲田大学において生誕百年記念の諸行事が行われた後に︑一括新潟県立図書館から︑

早稲田大学図書館に移管された︒

  現在︑この膨大な資料は︑早稲田大学図書館古典籍データーベースに編集されており︑検索︑閲覧が外部からも可

能になった︒これにより︑市島の衆院議員時代︑日本図書館協会の変遷をも含む︑近代日本文化史の研究は更に進め

られよう︒

  筆者は前回︑﹁早稲田大学図書館紀要﹂に早稲田大学図書館の春城資料に洩れている︑新潟市秋葉区大鹿の吉田文

庫所蔵の﹃憶起録﹄を翻刻紹介した︒今回も︑引き続き同文庫所蔵の﹃枕頭日誌﹄の影印︑翻刻を掲載させていただ

く事になった︒以下︑若干の事を記し︑解題としたい︒

  前回の﹃憶起録﹄は︑市島の幼少時代から東京大学入学︑同校を退くまでの記録である︒その後︑新潟二区から代

議士に当選し︑議会活動を続けるが︑前記のとおり明治三四年八月一三日に新潟の旅宿において結核に罹病した︒﹃枕

頭日誌﹄は︑この時の闘病記である︒

  本文共紙包表紙  四つ目紙縒り綴  表題﹃枕頭日誌﹄  一八一×一三〇粍   全三二丁  裏表紙﹁明治三十四年十月下澣  鎌倉長谷僑居に於て  春城病客﹂

  表題は表紙の﹃枕頭日誌﹄を採ったが︑巻頭は﹃枕上日誌﹄とある︒そして︑この記録の序文には︑罹病以来︑市

島の看護に当った吉田東伍︑旗野蓑織︑和泉文三の三人により記された﹃病床日誌﹄をもとに明治三四年一一月五日

に擱筆したとある︒裏表紙の﹁十月下澣﹂とあるが︑序で言う﹁十一月五日﹂また︑巻末で﹁明治三十四年十一月八

(3)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 日 相州鎌倉海荘に於て春城病客しるす﹂とあるように︑一旦一〇月末に纏めた後に︑校訂などを施し︑序文を認め

た事と捉えることが出来る︒本文を見ていくと︑かなりの書き込み訂正︑また半丁切除の個所もあることが分かる︒

この校訂の結果であろう︒

  ﹃病床日誌﹄は︑現在早稲田大学図書館の﹃市島春城資料﹄に収められている︒看病に当った三人は︑吉田東伍︵大

日本地名辞書編纂者︑旧姓旗野︑中蒲原郡大鹿村吉田家入婿︶︑旗野蓑織︵安田旗野家当主︑山林経営︑酪農家︶︑和

泉文三︵五泉和泉家︑市島妻ゆきの甥︑市島家書生︶である︒旗野家は︑和泉家を通じて重縁の関係にあった︒

  ﹃春城日誌﹄はこの間途切れている︒その事情を日誌には八月一三日の項に﹁午時入浴中咳嗽を催し咯血す︑医を

迎へて診断を乞ふ︒本日より九月念二日︑即ち帰宅の日に至る記事は病床日誌にあり︒依之略之﹂と記し︑この﹃枕

頭日誌﹄︵こゝでは﹃病床日誌﹄としている︶を以て繋ぐ意図を明らかにしている︒従って︑﹃枕頭日誌﹄は﹃春城日

誌﹄の部分をなしているのである︒

  内容的なことに簡単に触れる︒この間に市島を︑見舞ったり︑書簡を寄せたりした知友の名前が記されている点で

ある︒阪口仁一郎︑佐藤伊左衛門︑白勢春三︑松井郡冶︑松木弘︑増田義一︑広井一︑小田長四郎︑内藤久寛等新潟

出身の政財界人︑尾崎紅葉︑寺崎広業︑横山大観︑菱田春草︑富岡永洗等の文化人等その交際範囲の広さを語ってい

るのである︒

  宗家市島徳次郎をはじめ︑親族の旗野︑和泉︑伊藤家は︑市島の療養への援助を惜しまなかった︒徳次郎は︑治療

に要した費用は全額負担するとも言っている︒

(4)

  一ヶ月半程で市島は帰京するまでに回復し︑引き続き鎌倉で療養する︒その時に︑﹁無聊に不堪﹂と︑この記録を

纏めたのである︒また︑早稲田大学図書館の﹁市島春城資料﹂には﹃湘南雑筆﹄と︑熱海での静養期を記した﹃回春

日誌﹄があり︑明治三五年八月に復帰するまでの記録をたどる事が出来る︒

  今回の掲載にあたり吉田文庫の吉田ゆき氏にご協力を頂いた︒とりわけ︑﹁早稲田大学図書館紀要﹂編集部のご厚

意で影印を載せることとなり︑これについても吉田氏はご快諾されて︑実現の運びとなった︒

  改めて︑吉田氏と紀要編集部にお礼を申し上げる︒

  なお︑吉田文庫には市島が父直太郎の終焉を記した﹃慟哭録﹄が残されている︒﹁春城資料﹂から洩れたものだが︑ 機会を得て﹁早稲田大学図書館紀要﹂に紹介したいと念願している︒ ︵二〇一一・一〇・三〇︶

︵かねこ  こうじ  元早稲田大学図書館員︶ 

(5)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(表紙)

︿影印﹀

(6)

(見返し)

(7)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(1オ)

(8)

(1ウ)

(9)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(2オ)

(10)

(2ウ)

(11)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(3オ)

(12)

(3ウ)

(13)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(4オ)

(14)

(4ウ)

(15)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(5オ)

(16)

(5ウ)

(17)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(6オ)

(18)

(6ウ)

(19)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(7オ)

(20)

(7ウ)

(21)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(8オ)

(22)

(8ウ)

(23)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(9オ)

(24)

(9ウ)

(25)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(10オ)

(26)

(10ウ)

(27)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(11オ)

(28)

(11ウ)

(29)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(12オ)

(30)

(12ウ)

(31)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(13オ)

(32)

(13ウ)

(33)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(14オ)

(34)

(14ウ)

(35)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(15オ)

(36)

(15ウ)

(37)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(16オ)

(38)

(16ウ)

(39)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(17オ)

(40)

(17ウ)

(41)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(18オ)

(42)

(18ウ)

(43)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(19オ)

(44)

(19ウ)

(45)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(20オ)

(46)

(20ウ)

(47)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(21オ)

(48)

(21ウ)

(49)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(22オ)

(50)

(22ウ)

(51)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(23オ)

(52)

(23ウ)

(53)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(24オ)

(54)

(24ウ)

(55)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(25オ)

(56)

(25ウ)

(57)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(26オ)

(58)

(26ウ)

(59)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(27オ)

(60)

(27ウ)

(61)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(28オ)

(62)

(28ウ)

(63)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(29オ)

(64)

(29ウ)

(65)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻

(30オ)

(66)

(裏表紙)

(67)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 ︿翻刻﹀枕上日誌

ことし明治三十四年八月︑越後に帰省中新潟客舎に

て図らずも肺患を発し︑咯血数次︑病床に在ること

五十日︒此間の日誌は看護を執らるゝ吉田東伍︑旗

野蓑織︑和泉文三諸子によりてしるされ﹁病床日誌﹂

と題する手帳二冊あり︒頃者鎌倉に静養中之無聊N不堪︑日々若干頁を浄写し︑且つ余の記臆を増補し︑

名づけて枕上日誌と云ふ︒

明治三十四年十一月五日鎌倉無機庵

に於て  春城病客しるす﹂︵1 ○八月十三日

此夜は同宿の東京新聞記者と快談に夜を深したれども︑

今朝は例により早く起き︑四︑五の郵信を発し︑九時過

る頃旅宿の下婢の風呂をつかひに来れるを幸とし︑起つ

て浴室に入り︑未た湯漕に入らさる前︑咳気を催し唾を

吐きしに鮮血の交り出でしに驚ろきたれども︑真逆に肺

の血にはあらさるべしと︑そを験せんと欲し︑試みに咳

一咳其都度鮮血の混じ出るに︑さてはと驚ろき倉皇衣服

を着け︑己か室へ駆け戻り︑樓主を召して新潟病院長︵池

原康造氏︶を急に迎へよと命ず︒偶々高岡忠郷氏来訪︑

五分間程談話の後別る︒新潟病院の代診間もなく来り先

づ診す︒曰く︑肺部に﹂︵1多少の申分あれども︑咯

血を見る程の申分にもあらずと︒兎角要領を得す︒斯く

て午後四時に至り︑池原院長来り一診の後曰く︑肺患な

りと︒此の一言は死刑の宣告を受けしと一般︒しばらく

は呆然たり︒実は昨年の暮れ方より身体健康を欠き︑当

年夏前も何にとなくすぐれず︒帰省前のごとき精神懊鬱

して不快を感すること甚しく︑避け得べくんば帰省を見 ︵表紙︶

(68)

合したく思へし程なりき︒然るに差かゝる緊急の用務は

遷延を許さゞるを以て已むなく帰省し︑一応用の片付き

し上は佐渡辺に遊び︑身体を保養せんと故N︑長男さへ 同伴し﹂オ︶ウ切除︶用務も半ば片付きたれば︑一両日

には佐渡へ出発せんと其準備中なりしに︑意外の咯血に

意外の診断を受けたるにぞ︒吾れはしばらく夢にあらず

やとまで疑ひり︒吾か健康は如何にも勝れざりしかども︑

肺に申分ありとは露思はさりし︒何んとなれば一ヶ月程

前︑他の病気に罹りし折医師に診せしめしに︑肺には異

状なしと言しを堅く信じ居たればなり︒自信如此なるに

宣告は如此しとすれば︑余の驚駭も随つて大ならさるを

得さる也︒余は実に驚ひて為す所を知らず︒今までは病

人とも﹂︵3思はず︑談笑自若たりしか︑此宣告を受

ると同時に︑気力は一図に阻喪し︑忽ちにして重病人と

なり終れり︒想ふに余の顔色のごときも必らす同時に非

常の変化をなしたるなるべし︒池原院長の曰く︑直ちに

安臥︑患部に間断なく氷嚢を加へ︑静養を旨とすべしと︒

余問ふ︑幾日治療せば帰京し得へきや︒院長曰く︑咯血 全く止まらば︑一週間後に汽車に乗るも差支なからん︒余又問ふ︑幾月を経ば社会に馳騁し得べきや︒院長曰く︑少なくと二︑三年は万事を廃せさる可らずと︒既に死刑の宣告を受く︒余の云々は宣告の説明に過ぎず︒亦重ねて驚くを要せさる也︒偶々旗野蓑﹂︵3織氏同宿して

他室に在り︒招へて病症を告ぐ︒晩間近藤乕五郎︑肥田

野畏三郎両氏要件を帯び来訪︒病床に延て談話三十分計

にして別る︒咯血以来しば〳〵体温を験するも︑豪も発

熱を認めす︒夜に入り熟睡︑天明を知らす︒今日︑炎暑

なれども空に雲多く夕刻に夕立さへあり︒気温八十六度

に昇る︒

八月十四日  気温八十六度

起︑二階を下り盥嗽す︒一咳︑黒色の小血塊を吐出す︒

蓋し昨日の残りなるべし︒今日︑居室を下座敷へ移す︒

庭に面する一室を余の室とし︑次の間を看護室に充つ︒

旗野氏をして病状の大要を東京宅へ報﹂︵4せしむ︒

旗野帰村につき吉田東伍氏︵偶々帰省中なりし︶代はつ

(69)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 て看護の労を取らんとて来訪あり︒氏をして病状を宗家并に一︑二親族へ報せしむ︒宗家より波多野英太郎︑新潟新聞社より越智修吉氏見舞之為来訪あり︒東京宅并に小崎懋氏へ送銀の手続を為す︒宗家より金弐百円也領掌︒これは来年分奨学金之内都合あり︑前渡を乞しなり ︵ママ︶

︶ ︒

午後三時︑池原院長来診あり︒発熱なく病状依然なり︒

今日より看護婦一名を傭ひ入る︒熟睡︒

         朝 三十六度三分     体温    昼 三十六度五分    搏脈 七十四          夕 三十六度四分     ﹂︵4

八月十五日

炎暑︒風あり︑夜に入り風止む︒気温九十度に上る︒午

前四時頃床中に発咳︑小量の血痰を排出す︒新旧相交は

り色紅黒也︒体温三十六度︑搏脈七十六︒七時半一咳︑

又血痰を出す︒其量小盞一杯もありしか︒田辺久蔵氏よ

り来書あり︵前日の照会に対する返信也︶︒又︑佐藤伊

助氏より書留書状︵金弐百五十円銀行手形封入︶到来︒ 田沢実入︑萩野左門︑肥田野畏三郎︑高橋義彦︑栗林貞吉︑上野喜永次の諸氏見舞之為来訪あり︒一々応接す︒午後四時︑池原院長来診︒下剤を服す︒夜に入り少しく利す︒晩間児機﹂︵5柏崎より帰へる︵去る十一日宗

家の清松氏と佐渡へ行くとて出発之処見合せ︑余の病を

知らす柏崎より帰港せしなり︶︒宿へ金五十円也︑前用

分払之内へ相渡す︒尽日発熱なく︑夜に入り熟睡す︒

八月十六日

快晴︑昨に同じ︒東京宅︑和泉文三子に発電︑看護の為

早く来れと申送る︒今朝︑又血痰を排出す︒此量昨に比

すれば少なし︒朝︑多少の通あり︒藤井寅一郎︑湾月主

人︑坂口仁一郎︑肥田野畏三郎︑高沢喜一郎の諸氏交々

来訪あり︑帰宅中の旗野氏出港N 付︑明日吉田落後氏︑

児機を伴ふて帰京に決し︑午後吉﹂︵5田氏自村へ帰

へる︒晩間︑坂口︑肥田野両氏来訪︑用務に関し三十分

以上談論す︒心気昂然たるを覚ふ︒池原院長来診あり︒

夜に入り熟睡︒

(70)

         朝 三十六度五分     体温    昼 三十六度九分          夕 三十六度八分

八月十七日  朝気温 八十三度

昨夜二時過︑大雨一過︒今朝︑涼気を覚ふ︒午前四時夢

覚め︑咳気を催し血痰を排出す︒次て又一時相踵〳〵こ

と数回︑其都度咯血あり︒而して咳嗽連りに起り底 ︵ママ︶止す

る所を知らさるの感あり︒已むなく食塩を啣むむて阻遏

を図る︑漸効あり︒果然効あり︒漸﹂︵6やくにして

罷む︒此の数次に吐出せし血痰は水飲コップに一杯半計︒

蓋し発病後の大咯血也︒今咯血の痛苦を試みに形状せん

に︑血痰の発出を催すや︑咽喉の右方︵患部に接する方︶

先つ鳴り踵て咳嗽を禁し能はす︒一たび咳すれば咳咳数

次其続出を禁する能はす︒其の都度出血するの気味のわ

るさは到底名状の外に在り︒去る十三日の出血には唯た

血を見て驚きしのみ︒未た咯血の苦悶を知らさりしが︑

今朝はじめて苦悶を感じたり︒こののち肺病の真味は今 朝に至りはじめて覚りたり︒苦悶僅かに収まり万感胸中に出没する折柄︑児は新津駅に吉田落後氏﹂︵6と落

合はんとて別を告げて出発したり︒看護婦︑定刻体温を

検す︒三十六度也︒朝餐後旗野氏︑病状報告旁新潟病院

に院長を訪ひ︑且つ院長不日洋行の事あるを以て︑不在

中若杉医学士︵喜三郎︶を以て主任医となすの件を交渉

す︒医師は︑今朝の咯血を以つて来客と応接の結果に帰

し︑厳に接客を禁し読むを禁し︑便用と雖も起つ可らず

と注意す︒今日より一名の看護婦を加ふ︒市島毅一郎︑

佐藤伊左衛門︑川崎哲太郎︑市島直治︑松井郡冶の諸氏︑

交々見舞はれしも︑医戒により面会せす︒東京宅へ発電︑

和泉の出﹂︵7発を照会す︒今夜︑新潟着の返電あり︒

夜に入り到着す︒晩間︑池原院長︑若杉医学士立会之上

診察あり︒体温は三十六度一︑二分︒就眠後熟睡︒

八月十八日

朝来雨あり︑冷気を覚ふ︒九時頃雨霽る︒気温八十五度︒

今朝四時︑七時の両度に若干の血痰を咯血す︒二回の分

(71)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 量コップに半杯位︒色黒味を帯ぶ︒蓋し昨日の残りならん︒咯血中昨日の如き苦悶を感せず︒東京宅より病状に関し照電あり︒直ちに返電す︒又︑郵書を発して細報す︵十七日咯血後︑十数日間往復の細事は余に図らず和泉 万端取計らへり︶︒今日は来訪者は左﹂︵7の諸氏なり︒

    市島毅一郎氏   三田村太郎氏   小田長四郎氏     真島信城氏    平田重平氏    小師橘三郎氏     佐藤伊助氏    石塚三郎氏    川崎哲太郎氏

又︑宗家より新に見舞之為人を遣はされたり︒定刻池原

院長来診あり︒七時半竹山︵屯︶医師︑又来診あり︒

         朝 三十六度      脈搏九十      体温   昼 三十六度一分    〃七十八          夕 三十七度一分

八月十九日

晴︒気温九十度︒午後五時より驟雨あり︒体温︑昨日と﹂

︵8大差なし︒午前八時︑池原︑若杉︑竹山の三医師

立会診察の上︑池原洋行に付自今若杉氏主ら治療を担当 し︑竹山氏補助をなす事に決す︒今朝︑咳気なく血痰の咯出なく気分も甚た佳也︒家弟より見舞状到る︒和泉より病状を報道す︒宗家より看護補助として本多岩次郎を特に遣はさる︒山田一郎︑金田福太郎諸氏より見舞状来る︒又︑左の諸氏の来訪あり︒    渡辺藤太郎氏   長谷川晋次郎氏  白勢春三氏

    赤塚政一氏    川崎哲太郎氏   飯村修治氏     鈴木久蔵氏    真島桂次郎氏   石津兵吾氏

︵8午後七時︑東京宅より内人の名義にて︑和泉宛

看護の為出発する旨を電報し来る︒和泉等は内人の来る

為︑病人或は小児の為めに心配せんかと気遣ひ︑帰県に

及はさる旨を返電し︑吉田東伍︑江部淳心へも同様の電

報を発し︑別に事情を詳かにしたる郵信を発せり︒

○八月廿日

晴天︒正午気温八十九度︒夜十一時大雨あり︒体温昨日

と大差なし︒東京宅より内人帰国を見合せたる旨電報あ

り︒高田早苗氏より病状の照会あり︒和泉より詳報す︒

(72)

田辺久蔵︑三輪潤太郎︑﹂︵9鈴木弘諸氏より郵書若く

は電報にて見舞あり︒又︑左の諸氏見舞之為め訪問せら

る︒    柏田盛文氏   真島桂次郎氏  真島信城氏     立川三五郎氏  佐藤伊助氏   川崎哲太郎氏

午後四時︑若杉氏来診あり︒踵て竹山氏の来診あり︒看

護婦病気に付他の看護婦と更替す︒

○八月廿一日

晴天︒北風強し︒気温九十度︒体温容躰︑昨日と大差な

し︒東京宅へ病状を報す︒大隈伯爵より見舞之電報到る︒

即時返電す︒午後四時︑若杉学士来診あり︒今日来訪者

如左︒﹂︵9

     曽我直一郎氏  和泉信平氏   佐藤宗弥氏      丹呉俊平氏   真島仲太郎氏  中野平弥氏      市島十五郎氏  吉田善太郎氏  芝田高橋館

本日︑本多岩次郎を宗家へ帰へし病状を報せしむ︒看護

婦一名病気に付他と更替す︒ ○八月廿二日

曇天︒涼気体によし︒朝体温三十五度五分︒午前八時︑

若杉医師来診︒体温低下に付注意あり︒盥嗽の際指頭大

の血塊を排出す︒病状︑昨日と異なるなし︒中野平弥氏

細君︑市島直治︑川崎啓太郎等来訪あり︒東京の富岡永

洗︑尾崎紅葉両氏へ書﹂

10オ︶を発して事を託す︒午後

八時︑竹山医師の来診あり︒今日︑旗野蓑織氏帰村す︒

夜に入り降雨あり︒

○八月廿三日

午前十時夜来の雨霽る︒冷気体に可也︒今朝も亦指頭大

の黒色血塊を排出す︒容体︑昨日よりも可也︒真島仲太

郎︑吉田善太郎︑田辺良平︑市島文太郎︑田沢実入之諸

氏来訪あり︒家信に接す︒午後四時︑若杉医師来診︒曰

く︑血塊の排出︑全く絶へて一週間を経過せば床上に座

するも妨けなしと︒晩間︑直治︑本多静六氏︵氏は直治

其他の大学生を伴ふて北海道旅行を終り︑両三日前此地

へ来りし也︶の慰問﹂

10ウ︶の意を伝へ氏より贈られた

(73)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 りとて盆栽を齎らし来る︒

○八月廿四日  気温八十五度

曇天︑晴︒今朝︑血痰を見す︒容体︑昨日に比すれば可

也︒真島叔母︑和泉叔父交々来訪あり︒病牀無聊に堪へ

ず︒絹本を購ひ︑永井一禾をして巌谷一六︑横山大観︑

菱田春草等に書画を請はしむ︒午後︑若杉︑竹山医師交々

来診あり︒

○八月廿五日  正午気温九十一度

今朝も血痰を見す︒容体︑昨日に比すれば更らに可︒元

気も幾許回復に向ひる思を為す︒左の数氏交々﹂

11オ︶

来訪あり︒然れとも未た接見を許されす︒

    柏田哲男氏   広川東朔氏   坂口仁一郎氏     真島信城氏   和泉巌吉氏   上野喜永次氏     保坂潤治氏   保坂祐吉氏   赤塚政一氏     高橋義彦氏   海治英祐氏

赤塚政一氏︑上京に付東京宅へ病状を報し︑家事を託す︒ 又︑発病以来諸方より贈られたる見舞品山積︑置くに所なきを以て︑これ又同氏に托し東京宅へ送る︒午後例刻︑若杉︑竹山両医来診︒踵而水原の武者医師︑宗家の命により来り診し︑二︑三注意する所ありて去る︒本日︑灌腸を行ふ︒夜に入り﹂

11ウ︶利す︒東京宅へ寝具︑冬服

を遣すべき旨申送る︒

○八月廿六日  気温八十九度

晴︒朝来暑気甚し︒容体︑昨日と同じく血痰の排出なし︒

田中専門学校幹事︑東北旅行を終つて帰校︒余の病状を

照電し来る︒直に返電す︒尾崎紅葉︑高田早苗両氏より

見舞状到る︒栗林細君︑潮田方蔵︑越智脩吉︑滝波重平︑

高橋義彦の諸氏交々来訪あり︒午後例刻︑若杉医師来診︒

自今︑鶏卵︑牛乳︑ソップの外消化し易き固形食物を用

ゆることを許さる︒又︑﹂

12オ︶小時間の読書も許さる︒

而して未た起座を許されず︒昨日灌腸の結果︑今日も多

量の便通あり︒看護婦一名交替す︒

(74)

○八月廿七日

夜来降雨あり︒今朝涼気を覚ゆ︒尽日雨模様︒病状別異

なし︒田辺久蔵︑角田真平︑杉田金之助︑富岡永洗諸氏

より見舞状到る︒富岡氏に揮毫を托し置ける画帖

幷に小

切小包にて到着す︒又︑東京宅へ申遣はせし衣類小包に

て到達︒左の諸氏︑交々来訪ありたり︒

     青木定謙氏   野沢卯市氏   小田長四郎氏      小師橘三郎氏  永井一禾氏﹂

12ウ︶

今日︑晩餐に始めて少量の魚肉と葡萄酒に煮たる林檎を

食す︒

○八月廿八日

晴︒風あり︑涼し︒病状別異なし︒今日より一時間位起

座を試むことを許さる︒東京宅へ病状を報道す︒宅より

若干の書籍︑小包郵便にて到達す︒左の諸氏の訪問あり︒

     千頭清臣氏   広井  一氏   斉藤八郎兵衛氏      寺崎広業氏   石崎佐一郎氏

渡辺嘉一︑田巻義平太両氏より見舞状到来︒午後例刻︑ 若杉病気之為代診来り診す︒看護婦一名﹂

13オ︶交替す︒

○八月廿九日

晴︒北風︒病状別異なし︒東京宅より小包郵便にて衣類

到着︒尾崎紅葉氏より枕上消悶の用にとて数巻の文学書

を送らる︒直ちに謝状を出さしむ︒本日左の諸氏交々来

訪あり︒    丸山新十郎氏  山下覚次郎氏  真島中 ︵ママ︶太郎氏     真島御老母   島興三郎    小林忍氏

又︑左の諸氏より見舞状を寄せらる︒

    佐藤伊三郎氏  桐生吉英氏   小林順造氏     高橋文質氏  ﹂

13ウ︶

午後例刻︑若杉︑竹山両医師交々来診の末︑病状回方な

れば自今日々診療を要せす︒明日より隔日診察すべしと

告ぐ︒下剤を服したるも便通なし︒

○八月三十日  気温八十五度

晴︒病状別異なし︒和泉をして東京宅へ病状を報せしむ︒

(75)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 又︑宗家︑水原本泉︑丹呉等の親戚へ近況を報告せしむ︒寺﨑広業氏より十六羅漢の画幅を贈らる︒これは余の病室に掲けし容斎筆十六羅漢に倣ひ︑広業氏の意匠を加へたるもの︒余か鎌倉に伴いし一幅︑即ち是れ也︒高田早苗﹂

14オ︶

今井鉄太郎氏より見舞状到来︒左の数氏訪問せらる︒

    山岸七郎氏   稲田甫吉氏   吉田善太郎氏     真島信城氏

昨日︑下剤を服せしも利かさりし為︑今日更に用ゆ︒午

後便通あり︒今日より小時間つゝ氷嚢を除き︑不日全廃

の準備を為す︒発病以来今日に至る十七日間︑昼夜間断

なく氷嚢を用へて患部を冷やせしなり︒

○八月三十一日

晴︒病状別異なし︒気分益々可也︒今日より全く氷嚢を

除き去る︒午後︑温湯を以て腰部以下を洗滌す︒看護婦

一名を解傭す︒川上淳一郎︑山田順一﹂

14ウ︶諸氏より

見舞状を寄せらる︒午後例刻︑若杉医師来診あり︒中野 平弥氏人を遣はし病状を問はしむ︒夜に入り永井一禾来訪に付︑目下滞湊中なる篆刻家へ水晶印一顆の彫刻を依頼す︒東京かなめ家へ書を投じて事を托す︒

○九月一日

今日は農家の厄日二百十日に当れとも︑朝来風なし︒天

地まことに静也︒農家の為めに賀すべし︒朝来︑久保田

僢︑小田長四郎︑越智脩吉︑河内広次郎︑和泉信平の

諸氏交々来訪あり︒昨日より客と対話を許されたれば︑

一々延て少時間の談話を為す︒前島密﹂

15オ︶氏より見

舞状を寄せらる︒和泉をして容体を報道せしむ︒金五十

円也︑旅宿払之内へ相渡す︒夜分就寝の後︑大関誠一郎

氏来訪あり︒

○九月二日  正午気温八十七度

晴︒多少の咳気あり︒少しく疲労を感ず︒然れとも口意

すべき程の異常あるにあらず︒尽日平臥︑書を読む︒江

部淳心父乙平︑河内広次郎二氏来訪あり︒午後例刻︑若

(76)

杉医師来訪︑下剤を服す︒東京宅へ書籍を遣す頼申送る︒

夜に入り竹山医師来診あり︒

○九月三日

朝来雨あり

︒今朝

︑咳気なし

︒又

︑便通あり

︒病状﹂

15ウ︶近日平愈に向ふを以て︑今日一先つ和泉を帰京せ

しむるに決し︑家事上の事数件を托し︑且つ高田氏宛親

展書を交付す︒蓋し発病以来自ら筆をとりて書を栽する

は︑これを以て初めとす︒市島文太郎氏帰国中の処︑今

日出京に付延て接見し︑少時間の談話を為し︑家事向に

関し依頼する所あり︒和泉帰京に関し東京宅より照電あ

り︒直に答ふ︒和泉母︑笠原恵の来訪あり︒今日より服

薬に変更あり︒晩餐より食気大に振ふ︒夜に入り山田一

郎氏着湊の趣︑越智氏より報あり︒就寝後︑三島徳蔵氏

来訪あり︒﹂

16オ︶

○九月四日

払暁︑多少の咳気あり︒体温三十六度三分︒気分頗るよ し︒内人に親展書を与ふ︒朝餐後理髪師を招き︑頭髪を五分苅にす︒蓋し坊頭となるはこれか初めて也︒真島仲太郎出京に付︑来つて別を告ぐ︒山田一郎氏︑越智氏同伴来訪あり︒二時間余東京の近況を聞く︒室孝次郎︑小埼懋︑吉田東伍諸氏の見舞状を領す︒午後︑土方︵寧︶︑

岡野︵敬次郎︶の二博士来訪︑少時談話の後別る︒蓋し

二氏は夏期休暇を機とし︑共進会見物旁々来県せし也︒

東京宅より若干の書籍を送り来る︒晩間本山健治郎氏来

訪あり︒﹂

16ウ︶

○九月五日

晴︒朝六時︑体温三十五度八分︒内人に書を与ふ︒横山

大観︑菱田春草に托せし画来る︒壁間に掲けて消悶の具

となす︒永井一禾︑合作の画扇を携へ来り曰く︑前宵宗

家主人来県中の文人を松風亭に会す︒此の扇面︑貴下の

見舞にとて︑座中の文人合作せしものと聞いて之れを見

れば秋色の図︑広業︑大観︑春草︑金仙︑一禾︑玉渓諸

人の筆羅して︑一扇の内に在り︒又︑枕頭の玩となすに

(77)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 足る︒市島直治︑明日帰京之趣に付来訪あり︒東京宅へ物を托す︒五十嵐敬止来県の由にて見舞品を贈らる︒久須美秀三郎氏の見舞状を領す︒紅葉山人﹂

17オ︶より頃

日鐫らせたる印譜を病中の慰にとて郵送し来る︒山田一

郎氏来話︒踵て若杉氏来診あり︒東京宅より早稲田近刊

書を送り来る︒今日︑下剤を仮らす便通あり︒初めて起

つて厠に上る︒夕︑体温三十六度一分︒食気益々振ふ︒

○九月六日

晴︒今朝︑咳痰の気なし︒気分亦甚た可也︒朝来左の数

氏交々来訪あり︒

    旗野蓑織氏   青山佐一氏   高沢喜一郎氏     石沢兵吾氏   佐藤伊助氏   市島直治氏

直治子︑帰京出発を明日に延ばしたるとて来訪︒盆栽﹂

17ウ︶を贈る︒高沢氏も又自家珍愛の盆栽を割愛して贈 ︵ママ︶

らる︒枕頭消悶の具︑日を逐ふて加はるは大慶也︒早川

早治氏の見舞状を領する︒文三子に簡して事を托す︒東

京宅より数種の書籍を贈り来る︒頃日病苦薄らくに連れ 無聊益々甚し︒新刊書籍の頻々到るは︑余の最も喜ぶる所なり︒

○九月七日

容体異別なし︒朝来左の諸氏交々来訪あり︒

    石沢鉄生氏   杉崎勝太郎氏  高沢喜一郎氏     赤塚政作氏   安原吉政氏   平野高吉氏 鉄生氏は石沢兵吾氏の息なり

︒不日出京に付来つて﹂

18オ︶別を告るなり︒赤塚政作氏は数日前出京︑帰国に

臨むて東京宅より云々の事を托され︑今日来つて之れを

伝ふる也︒内人并に石塚三郎の書に接す︒寺崎広業氏よ

り来書あり︑帰京を報じ︑且つ例により絵画を以つて新

潟滞在中のノロケ

0 0

を吹聴す︒噴飯の至也︒久保田金 0

僢に

扁額の揮毫を托す︒夕体温三十六度四分︒例刻︑若杉医

師来診あり︒明日より服薬を変し︑クレヲソートを服す

ることゝなる︒且つ室内運動を許さる︑夜に入り前田仁

太郎氏来訪あり︒

(78)

○九月八日       ﹂

18ウ︶

朝来大雨あり︒今朝多少の咳痰の気あり︒体温三十五度

六分︒坪内雄蔵︑田原栄︒江部淳心︑河井重蔵諸氏より

見舞状来る︒内人并に児女の郵書に接す︒娘よりは余り

手紙を書くな話しをするなと注意し︑二男よりは庭の盆

栽元気よしなど申来る︒小児の音信はやさしきもの也︒

内人に書を与ふ︒東京より中江兆民の﹁一年有半﹂を贈

り来る︒床上半日の友を得たるを喜ぶ︒昨日より屋内運

動を許され︑今は大概の事を自ら所し得る様なりたれば︑

看護婦も手持無沙汰にて枕頭退窟に堪へさる様子あり︒

けふ正午食事の後︑初めてクレヲソート若干を服す︒此

の薬は余﹂

19オ︶か曽て人の服するを視て嫌厭に堪へさ

りしもの︑今は却つて之を服する人となる︒さても〳〵︒

越智脩吉︑高沢喜一郎︑小師橘三郎諸氏来訪あり︒晩間︑

波多野英太郎も又来り︑宗家の命を伝へて曰く︑此度不

慮の疾病に罹られ痛傷之至也︒治療上之経費の如き宗家

に於て弁すべきにより意と為す莫れと︒余は容を正して

深く宗家の厚誼を謝し︑波多野をして近日病状を報せし む︒午後体温三十六度五分﹂

19ウ︶也︒

○九月九日

払暁雨あり︒六時罷む︒気分よし︒咳痰の気なし︒長谷

川晋次郎氏来訪︒踵て丹呉老人︑豊次郎︑長子慶坊を携

へ見舞はる︒内人の書に接す︒午後東京宅より柏崎銀行

牧口吉重郎氏より借入金期限に関し電報あり︒直に牧口

氏宛照電を発す︒増田義一氏より今夜見舞に行く旨の電

報あり︒坂口仁一郎氏来訪︒余か発病後︑知事と交渉せ

し加治川一件の仕末を語る︒寺崎広業へ托せし画︵小切︶

二枚小包にて到達︒児より見舞にとて紅茶羽 ︵ママ︶磨なんど送

り来る︒軽﹂

20オ︶井沢より投郵の直治の書状を領す︒

夜に入り長場龍太郎氏来訪あり︒踵て増田義一氏到着︑

直ちに延て接す︒氏は特に在京校友を代表し見舞はれた

る也︒書籍︑菓子︑果物等の贈りものあり︒本日下剤を

服したる結果︑十一時に過り便通あり︒

(79)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 ○九月十日

晴︒体温三十六度一分︒早朝より増田氏と話す︒氏も曽

て肋膜炎を憂ひ︑余に対して尤も同情あり︒為めに自家

摂養の実験を語ること甚た懇切なり︒余は服膺これより

之を学はんと欲するなり︒朝来頭痛﹂

20ウ︶を覚ふ︒氷

嚢を載へて閑臥︑一日を消す︒昨日便通はか〳〵しから

ざりしを以つて︑けふも少量の下剤を服したり︒午後︑

看護婦に暇を与ふ︒病室蕭然たり︒内人の書に接す︒早

川早治氏より余の枕上の無聊を慰まんとて書籍雑誌を贈

らる︒

○九月十一日

今朝︑体温三十六度一分︒多少の頭痛を覚ふ︒便通あり︒

頭痛漸く罷む︒笠柳裏書の三百円手形を領掌す︒これは︑

新発田貯蓄銀行より借入金期限に付更らに此の手形を以

て延期を請求せんとする也︒五百円約束手形に調印之上

文三子へ郵送す︒柏崎牧口氏﹂

21オ︶へ差入分也︒内人

に書を与ふ︒増田義一氏︑今朝二番汽車にて帰京の途に 上る︒谷資敬氏来訪あり︒山田一郎氏海府より帰湊来訪︑旅行中の事を語る︒浮須善平氏来訪あり︒渡部公彬氏の見舞状に接す︒例刻︑若杉医師来診あり︒又︑小量の下剤を服す︒七時半便通あり︒内人より白髪素麺︑でんぷなど小包にて送り来る︒夜十一時︑腹部疼痛を感する︒激甚厠に入るも利せず︒医を迎へて診せしむ︒曰く︑下剤の然らしむる所意とするに足らすと︒温ジャクを施す︒疼痛すなわち罷む︒

○九月十二日      ﹂

21ウ︶

体温三十六度︒商業会議所聯合大会を不日新潟に開会す

るに付雑を虞れ︑今朝別室に移る︒山田一郎︑肥田野

畏三郎︑丹呉達三︑永井一禾諸氏交々来訪あり︒宗家奥

より特に人を遣はされ︑見舞品の贈与あり︒踵て亀三郎

君よりも同様贈品あり︒近藤乕五郎氏より見舞状到来す︒

金仙に托せし額面の揮毫成る︒又︑高橋香邨に托せし水

晶印の刻も成る︒東京宅より書籍を送り来る︒午後来客

なく牀頭無聊を極む︒紅葉山人より贈られたる小説を読

(80)

むて僅かに悶を遣る︒若杉医師︑例刻来診あり︒午後体

温三十六度五分也︒晩間︑小師橘三郎︑高沢喜一郎氏来﹂

22オ︶訪あり︒内人に書を与ふ︒

○九月十三日

午前三時頃雷雨に驚き夢覚むれば︑多少の咳嗽あり︒六

時体温三十六度︒今朝医師の許可を得て︑頭の洗濯をな

す︒発病以来はじめて也︒首藤陸三氏より見舞状到る︒

氏も前月より重症に罹り︑今尚日本赤十字病院に在り︒

近日大に軽快に赴き︑執筆を許されたる筆始めに此書状

を作りあり︒回復祝すべし︒長崎の小倉鎮之助氏︑目下

出京中の由にて︑山田一郎氏へ宛余の病状を電照し来る︒

古間定︑益田信五郎二氏来訪あり︒門馬尚経氏より近刊

沼間守一伝を贈らる︒﹂

22ウ︶東京宅より書籍并に娘共の

近日撮影せし小照をおくり来る︒午後三時︑山田一郎氏

帰京に付来りて別を告ぐ︒来る二十日一府十四県聯合共

進会褒賞授与式執行に付︑柏田知事より案内状を領す︒

晩間︑波多野英太郎の書に接す︒首藤陸三氏に答ふ︒医 師より自然の便通をはかる為︑つとめて野菜を食すべしとの勧めに︑今日は﹁トメトー﹂の調理を命して食ひ︑いつもながら甘しと舌を鼓せり︒午後体温三十六度八分也︒

○九月十四日

今朝

︑咳嗽の気なし

︒体温三十六度八分

︒半日

︑客﹂

23オ︶の訪ふなく︑雨さへ降り出てゝ︑室内蕭然︑特に

心さむしく感しぬ︒午後︑斎藤庫三氏来訪あり︒柏崎銀

行員佐藤宗︑例之手形之件に付来話︒江部淳心の来書に

接す︒波多野英太郎に簡し︑万松堂より書籍購求之事を

托す︒内人より四女盈の小照を送り来る︒今夜九時前後

より大雨あり︒雷鳴とゞろく︒

○九月十五日

雨霽︒体温三十六度︒今朝︑若杉学士来診あり︒曰く︑

最早戸外に歩を試むるも可なり︑最初は壱弐丁目︑漸次

距離を増すべし︒一両日︑試みて﹂

23ウ︶差閊なくば︑

(81)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 帰京の途に就くも可也と︑宛かも出獄の宣告を受けたると︒一般欣喜禁する能はず︒咯痰壱杯を病院へ遣し試験を乞ふ︒内人に書を与へて︑不日帰宅を報す︒文三子に発電︑来県を需む︒波多野英太郎にも書状にて出湊を求む︒共に帰京の準備に取掛らんとて也︒越智脩吉︑石沢鉄生二氏来訪あり︒岡崎正也︑門馬尚経︑安藤鐇諸氏より見舞状を領す︒宅より小説二種到達す︒東京かなめ家より新案の菓子器に菓子を盛り見舞として贈らる︒内人の書に接す︒直治より二男学業の件に関し云々し来る︒今日︑始めて二階を昇降す︒和泉﹂

24オ︶より出発之旨

返電あり︒午後四時体温三十七度︒ケレヲソート晩餐よ

り一粒を加へ四粒となる︒夜に入り野沢卯市氏来訪あり︒

○九月十六日

午前六時体温三十六度三分︒朝餐後初めて戸外に出で︑

歩して万代橋上に抵る︒信川汪々として流れ︑火船東西

に馳せちがふ︒杖人をして躍如たらしむ︒真島良三郎︑

肥田野畏三郎氏来訪あり︒不日帰京の途に上るに付︑臥 病後慰問を受けたる人々に謝状を送らんとて︑文案を草し其の印刷を新潟新聞社に托す︒家弟の書に﹂

24ウ︶接す︒

安藤︑栗原二氏に返書を投す︒田辺久蔵氏に書留書状を

差出す︒過日笠柳より裏書を請ひ置きし三百円手形封入︒

期限は本年十一月十五日也︒午後︑坂口仁一郎︑斎藤八

郎兵衛二氏来訪あり︒四時︑和泉文三来着︒波多野英太

郎に発電︑出湊を促す︒就寝後波多野来り訪ふ︒東京宅

より綿入衣類験温器等を送り来る︒芝田万松堂へ注文の

活字本大日本史到達す︒夕刻体温三十六度三分︒

○九月十七日

朝体温三十六度七分︒新潟新聞社へ托せし謝状之﹂

25オ︶

印刷出来に付︑慰問を蒙りし県下の知人に発送す︒市内

四十三人︑市外四十七人也︒左の諸氏交々来訪あり︒

    横尾平太氏   白勢春三氏   山岸条太郎氏     片田初三氏   谷  喬氏     肥田野畏三郎氏妻     真島桂次郎氏  藤井寅一郎氏  山下覚次郎氏     杉崎金蔵氏   浜田健次郎氏

(82)

    ︵杉崎︵北海道小樽会議所員︶︑浜田︵大阪会議所

員︶共に聯合会の為来県せし也︶

午前中︑応接に忙殺せらる︒午餐後︑歩を試み万代橋の

中央に抵りて帰へる︒肥田野︵畏︶︑波多野︵英︶両氏

を招き加治川一件に関し協議する所あり

︒三浦宗春﹂

25ウ︶氏来訪︒氏は漢医浅田宗伯高足にて余の郷里の医也︒

一診を乞ふ︒氏曰く︑洋家は肺患と云はんもこれ漢家の

所謂鬱血症にて酒家の往々患ふる所︑深く憂となすに足

らずと︑明後日再診を約して去る︒山田一郎︑田辺久蔵

二氏の書に接す︒佐藤伊助氏へ借用金証書を書留状にて

郵送す︒これは発病前借入れし金に対する証書也︒近日

帰京之途に上るに付︑諸般の経費を概算し三百円の前渡

を乞ひ︑之れを以て波多野英太郎を以て﹂

26オ︶宗家へ

云々の請求を為せり︒

○九月十八日

午前六時体温三十六度︒今朝五時新潟日報社火を失し︑

全焼百十二戸︒六時に至り鎮火す︒和泉文三子を栗林氏 へ遣し近火見舞を為さしむ︒長岡の石塚三郎より余の帰京期を照電し来る︒山田一郎氏の来状あり︒早川早治氏より書籍雑誌を贈らる︒左の数氏交々来訪あり︑応接に忙はし︒    小田長四郎氏   松井郡冶氏    小師橘三郎氏

    吉田春太郎氏   高橋義彦氏    中野平弥氏     長谷川晋次郎氏  石沢兵吾氏    曽我直太郎氏

26     ウ︶和泉巖吉氏肥田野畏三郎氏平野高吉氏

正午便通あり︒若杉代診午後例刻来訪︒

○九月十九日

明朝二番汽車にて帰京之途に上るに決す︒文三子を特に

阪口︑肥田野︑石沢︑越智︑栗林︑二会へ遣はし挨拶を

為さしむ︒三浦宗春来診︒第二回の診察を受く︒氏の意

見は︑全 ︵ママ︶回と異なるなし︒商業会議所用にて来県の岡田

猛熊来訪︒巌谷修︑野沢卯吉氏又踵て来訪あり︒松崎金

蔵氏︑本日函館へ帰へるに付来りて別を告ぐ︒寒山寺和

尚︵山田寒山︶︑信越漫遊之為来りたるとて訪問あり︒

(83)

市島春城自伝資料﹃枕頭日誌﹄解題・影印・翻刻 自刻の印壱顆を贈ら﹂

27オ︶る︒午後︑栗林貞吉氏息︑

石沢氏老母︑山岸条太郎︑肥田野畏三郎︑真島桂次郎︑

大崎屋姉妹妓交々来訪あり︒真島氏より息仲太郎氏の学

資金五十円を托さる︒高橋公彬︑山田一郎両氏の郵信に

接す︒宗家より金三百三十五円電送し来る︒右は三百円

三十五年度奨学生之内請取︒三十五円加治川一件費用也︒

晩餐に初鮭をすゝむ︒深更まで行李をとゝのふに忙はし︒

今日便通あり︒

○九月二十日

体温午前六時三十六度三分︒左の諸氏交々来訪あり︒今

朝︑余︑帰京の途に上るに付︑何れも別を告けんとて也︒

27   ウ︶万千野定之助氏阪口仁一郎氏藤井寅一郎氏     吉田春太郎氏   吉田信吉氏   越智脩吉氏     永井一禾氏    大竹幸吉氏   松井郡治氏     山下覚次郎氏   高沢喜一郎氏  二会主人

出発に先たち︑宗家主人を旅宿に訪はんと欲す︒不在の

由に付止む︒九時︑旅宿を発す︒十数の知人︑沼垂迄見 送る︒沼垂停車場に石塚三郎に会す︒長岡校友を代表し︑余を柏崎迄見送らんとて︑今朝特に来りしなり︒定刻汽車発す︒大谷嘉兵衛︑岡田猛熊の帰車に会し同乗す︒又︑若杉学士︑巌谷一六二氏の新津に赴くに遇ひこれも又同乗す︒長岡停車中︑広井一︑中村﹂

28オ︶常一郎二氏并

に石塚姉見舞にとて車中に入り来る︒午後二時︑柏崎へ

着︑天京支店へ投す︒即時︑体温脈搏を検するに異状な

し︒︵体温三十六度三分︑脈搏九十四︶新潟の諸友に無

事着を報し︑東京宅へ此地着を電報す︒内藤久寛氏夫婦

病気之趣にて︑人をして見舞品を送り越さる︒大関誠一

郎氏来訪︒大学基金募集の件を云々す︒夜に入り石塚辞

して長岡へ帰へる︒

○九月廿一日

夜来雨あり︒今朝未た収らす︒六時体温三十五度七分︒

七時三十五分の汽車にて発す︒佐藤貞雄︑大関誠一郎二

氏停車場迄見送らる︒けふは直ちに入京すべきや︑途中﹂

28ウ︶一泊すべきや︒昨夜来の疑問なりしが︑終に軽井

(84)

沢に一泊と決し︑蓋し万一を慮りてなり︒直江津より安

茂農商務長官︵伴一郎︶︑京都の西村治兵衛等余の車室

に入り来りて荷物堆を為し︑窮屈を感するとて甚し︒雨

は信越の国境あたりにはれたり︒信州に入りなば寒から

んとの予想は全く外れて︑暑気なか〳〵に甚しく︑車室

内纊衣を脱せさるを得さる程の仕末なりき︒信越道中は

往来繁き余に目新しく感せしむるもの一もなし︒唯た浅

間山頂より立のぼる烟の常より幾十倍多きを見て或は変

災の前兆にあらずやと気遣はしめしのみ︒﹂

29オ︶三時軽

井沢に下車し︑油屋に投す︒直ちに体温を検するに亦別

状なし︒便通あり︒東京宅へ発電︑明日帰宅を報す︒今

夜早く寝に就きしも︑夜具重くして眠をなしかたく︑二

時頃漸くまどろむと思ふ間もなく天ははや白らみはじめ

ぬ︒

○九月廿二日

晴︒六時二十分発車︒碓氷を越ゆれば漸く暑気を感し︑

東京附近に達すれば病躯も流石に堪へかたく︑羽織をも 脱して全く単衣一枚となり︑扇やあると行李を探るに至りぬ︒車中無聊菊池幽芳の﹁己か罪﹂を読む︒午後一時二十分

︑上野に﹂

29ウ︶着す︒学校幹事︑家弟︑児等︑

門生出迎へ停車場に在り︒直ちに帰宅︒体温を検みする

に三十六度七分也︒これを病床日誌となす︒

     明治三十四年十一月八日︑相州鎌倉海荘      に於て春城病客しるす︒﹂

30オ︶

︵裏表紙︶

明治三十四年十月

下澣    鎌倉長谷僑店

     春城病客

参照

関連したドキュメント

氏名..

社会福祉士 本間奈美氏 市民後見人 後藤正夫氏 市民後見人 本間かずよ氏 市民後見人

○柏木氏(LIXIL TEPCO スマートパートナーズ) それでは、株式会社LIXIL TEPCO

[r]

(Ⅱ) 貫通部での除染係数と実機への適用」 (渡部氏(Japan Nuclear Energy Safety Organization) ,山田氏,大崎氏(Toshiba Corporation)

再生活用業者 ・住所及び氏名(法人の場合は、主 たる事務所の所在地、名称及び代

活動のテーマ  年度  表彰区分  都道府県  国  氏       名  性別 .