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ロシア人学者が検討した世界史学の中での台湾民族政治史

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はじめに:

ロシアの代表的台湾研究者  アメリカの歴史・政治学者ハッリ・バーヌズの有名な著作 『The History of Historical Writing』に見るように,「歴史学の歴史」はすでに歴史研究 の重要な部分になっている。世界史全体の中で台湾史は,取るに足らない 軽微な研究課題であると思われがちであるが,中国史,日本史に限らず,

ロシア人学者が検討した

世界史学の中での台湾民族政治史

ワシーリー・モロジャコフ

要 旨  ロシアを代表する台湾研究者・ワレンティン・ゴロワテョーフ博士(ロ シア科学アカデミー東洋学研究所中国研究課主任研究員・台湾研究セン ター長)が 2018 年,ロシア語研究論文『世界史学の中での台湾民族政治 史:17~21 世紀』を公刊した。本書は,複数国家,複数言語にまたがる世 界史学の中での台湾民族政治史研究に対する詳細な解説の最初の試みとし て,台湾研究の国際化,グローバル化の過程について論じている。本書は 研究の概説に止まらず,世界史学の中での各国の歴史学,その相互関係と 発展の比較を分析して,世界史の問題としての台湾の地位を明らかにして いる。筆者は本稿において,本書の内容,研究課題・方法を紹介・評価す る。 キーワード : 台湾研究,民族政治史,民族学,原住民,民族政策 〈研究ノート〉

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オランダ,ポルトガル,フランス,イギリス,アメリカ,ロシア等の歴史 及びその外交,国際関係,植民政策の問題として,軽微どころか,とても 重要であると筆者は確信している。  その意味で,ワレンティン・ゴロワテョーフ博士(ロシア科学アカデ ミー東洋学研究所中国研究課主任研究員・台湾研究センター長)が 2018 年に公刊したロシア語研究論文『世界史学の中での台湾民族政治史:17~ 21 世 紀 』 (Головачев В.Ц., Этнополитическая история Тайваня в мировой историографии XVII-XXI вв. Москва: Институт востоковедения РАН, 2018. 320 с.)は,学問としての台湾研究,台湾史の領域も広く扱い,その研究 は台湾の「民族政治史」を中心にして,台湾史 400 年間の世界史学の中で の民族問題の研究を調査・分析している。「民族」というのは,主に台湾 原住民であるが,漢民族系の台湾人も含まれる。「政治」というのは,主 にその諸民族と中央政権との関係である。その関係の「歴史」は本書の問 題提起であり,その調査・分析が研究の目的である。  まず,本書の著者を紹介する。ワレンティン・ゴロワテョーフ博士は, 1962 年北京に生まれ,中国歴史・思想研究者リーディア・ゴロワテョー ワ女史の息子で,中国通の第二世代に当たる。ウラジオストック市の極東 大学東洋学部を卒業して同大学歴史学部世界史学科助手を務めた後,1987 年にモスクワ国立大学付属アジア・アフリカ諸国大学歴史学部の大学院博 士課程に入学した。1992 年に博士論文『北魏国家の民族事情と民族政策: 4~6 世紀』を著して,歴史学博士の学位を授与された。ジャーナリスト, 中国語同時通訳としての仕事もして,1996~2004 年台北で台湾国際ラジ オのロシア語放送編集局長となり,2004 年からロシア科学アカデミー東 洋学研究所で中国研究課主任研究員,台湾研究センター長を務めている。 ロシアを代表する台湾研究の代表的人物である。その研究業績は,単行本 3 冊に加え,論文 120 件以上(ロシア語,中国語,英語)を含む。  歴史学者としてゴロワテョーフ博士の関心分野は幅広く,中国の中世史

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から台湾の近現代史に及ぶ。台湾研究の分野で,ゴロワテョーフ博士が最 も綿密な調査・分析を行ったテーマは,民族問題と民族政策,植民行政, 国際関係の中での台湾,外国人が見た台湾などである。ゴロワテョーフ博 士の研究活動は,ロシア語,中国語,日本語,英語,ドイツ語,フランス 語,オランダ語の資料と研究論文に基づく真に世界史的展望を持ってお り,国際科学・文化の交流としても価値が高い。それと共にゴロワテョー フ博士は,中国研究(台湾を含めて)のロシアにおける歴史と展開を解明 するため,未刊の資料を収集・調査し,また多数の学者にインタビューし ている。

1.世界史の問題として台湾民族政治史

 今回紹介する単行本『世界史学の中での台湾民族政治史:17~21 世紀』 は,ここ十数年来の研究成果であり,世界中で達成された台湾学をめぐる 成果物の「棚卸」だと言えるが,それは物品目録だけに止まらず,内容の 検討,また各国における台湾研究の進化とその特徴の具体的な分析にまで 踏み込んだものである。73 頁の参考文献は,7 言語 600 件以上の作品(史 料,研究論文,旅行記,新聞・雑誌の記事,絵本など)から成り,論文の 土台を示している。  『序文』(8~15 頁)は,本研究の問題提起を説明して,その内容を簡単 に紹介している。多民族社会・台湾の民族政策に関する解釈はデイヴィッ ド・イーストンの良く知られている政治システム(体系)論に基づき(1) 民族政治を,多民族と中央行政との関係,中央行政の対民族政策の意味と する。研究の具体的な目的は以下の通りである。1 つ目は歴史の事実と資 料の発掘・調査・分析,2 つ目は各国における台湾研究の歩みとその特徴 の分析,3 つ目は世界史学の中での各国の歴史学とその相互関係と発展の 比較分析である(14 頁)。著者は,「現代において,台湾の歴史学と中国

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の歴史学は相異なり,それぞれに孤立した科学的伝統を持っている」と強 調している(14 頁)。

2.ロシアの台湾民族政治史研究

 第 1 部『ロシアの台湾民族政治史研究:18~21 世紀』(16~69 頁)は, 3 つの章から成る。  第 1 章『台湾におけるロシア海軍軍人,旅行家,学者による実地研究: 18 世紀末~20 世紀初期』は,台湾を自分の目で見たロシア人(ロシア帝 国,ソ連の国籍を持った多民族の人物)が収集した情報と資料,その記録 と研究論文の具体的分析である。「〔日本の〕植民行政または他の政治的陣 営と利害関係のある日本人・西洋人学者と違って,ロシア人学者とその研 究は,ロシア本国の台湾に対する経済的,政治的,軍事的興味に直接的な 関りを持たなかった。国家から支援と統制を受けなかったので,彼らの行 動はあくまで一個人の情熱であった。また一方で,その研究は自主独立で あったので,真実性と客観性が高く,先入主的結論と解釈がほとんどな かった」と著者は結んでいる(36~37 頁)。その研究の歩みと内容は,塚 本善也博士(台湾・中国文化大学日本語文学係・副教授)が日本語で,代 表的 3 人(海軍将校パーウエル・イビス,昆虫学者・民族学者アルノール ド・モリトレフト,日本学者セルゲイ・エリセーエフ)について,その主 要な著作を翻訳,注解している(2)。このような作業は是非とも継続する必 要があると筆者は考える。  第 2 章『ロシアの東洋学における台湾民族政治史沿革の研究:19~20 世紀』は,台湾を自分の目で見なかった著者の作品を分析している。17 世紀末~18 世紀の資料は翻訳に限られるが,1820 年代から始まったオリ ジナルな研究は,特に日本の台湾出兵(1874 年)と日清戦争(1894~ 1895 年)の後で発展している。特に,フランス人ジャーナリストのエド

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モンド・プロシューが執筆した論文『台湾と日本の〔台湾〕出兵』(1874 年)のロシア語翻訳は,1875 年に,よく読まれていた週刊誌『絵の世界 見学』(Zhivopisnoe obozreniye)で公刊されたので,台湾事情及び日本 の台湾政策についての重要な資料になったが(3),その時に台湾を訪問して いたイビスは,プロシューの親日立場に対して皮肉を込めたコメントをし ている(40~42 頁)。  現地調査が足りなかったので,翻訳も多かった。日本人とその植民行政 を激しく批判したドイツ人アドルフ・フィーセルの台湾旅行記(1898 年 2~3 月の訪問)の翻訳は,1904 年 9~10 月,日露戦争の最中に公刊され たため,「メディア戦争」の様相を呈した(43~46 頁)。ソ連時代,台湾 事情の報告はほとんど「日本の帝国主義・軍国主義・植民主義の批判」に 限られていた。筆者は以前,その著作の紹介・分析を行った(4)。プロパガ ンダの興味深いケースに,矢内原忠雄著『帝国主義下の台湾』の削られて 捻じ曲げられた露文翻訳(1934 年)がある(5)。一方で,戦後,政治的理 由のため現地研究が不可能な状態でも,数名のソ連学者,特にファンニ・ トーデル博士 (1911~2000 年) とミハイル・チギリンスキー博士 (1927~ 1999 年) は, 今でも高い価値をもつ研究論文を執筆・発表している (56~ 62 頁)。  第 3 章『ロシアにおける台湾民族政治史研究の現在:1990 年代初めか ら』は,ソ連の崩壊後,自由な露台関係,学問・文化交流の状態での研究 活動を分析する。その国際的になった活動は,日露台(拓殖大学,ロシア 科学アカデミー東洋学研究所,中央研究院台湾史研究所)の共同研究プロ ジェクトを含む(66~67 頁)。

3.西洋の台湾民族政治史研究

 第 2 部『西洋歴史学における台湾民族政治史研究:17~21 世紀』(70~

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92 頁)は,4 つの章から成る。  第 1 章『ヨーロッパにおける台湾関係情報の収集と整理:17~18 世紀』 と第 2 章『ヨーロッパにおける〔台湾関係〕情報収集の継続と研究の始 め:19 世紀』では,日本統治時代以前の資料と作品を検討している。西 洋の台湾歴史学は,17 世紀から始まって,先に植民政策関係者,後にキ リスト教宣教師によって論文が発表された。アヘン戦争以後,西洋の博物 学者,民族学者も台湾で実地研究を行った。現在,その遺産は台湾で熱心 に検討されている(134~135 頁)。  第 3 章『日本統治時代の西洋〔台湾〕研究:1895~1945 年』は,資料・ 情報は多いが,その紹介・分析が浅すぎると筆者は思う。総督府をはじめ とする植民行政は, 欧米人の台湾滞在・旅行を厳しく統制したが (79, 84~ 85 頁),軍事・政治と関係ない検討・研究にはあまり干渉せず,支援もし た。1906 年に台湾を訪問したフランス人分析官レジナルド・カンは,総 督府からほとんど支援を受けなかったが,『フォルモサ報告』というレ ポートを作成した。ゴロワテョーフ博士の論文では言及されなかったこの カンの報告書はずっと未公刊であったが,台湾の中央研究院台湾史研究所 が 2001 年になって,フランス語原文と中国語翻訳を出版した。筆者はそ の興味深い資料の内容を日本語とロシア語で紹介した(6)。さらに注目すべ きは,日本の明るい印象を作り出すために行った,台湾を「典型的植民 地」とするイメージ工作である。筆者はすでにこの問題の検討に着手して おり(7),現在,さらに詳しい研究を進めている。  第 4 章『西洋の戦後期〔台湾〕研究:1945 年から』でゴロワテョーフ 博士は,先ず「清朝統治時代関係及び日本統治時代関係の日本側の資料は 特に多く,その分析,調査,翻訳は 60 年かかってもまだ終わってない」 (87 頁)と強調した。戦後でも,日本統治時代の成功を高く評価した欧米 の専門家はいる(8)。結論として著者は,「歴史学のグローバル化が進む中 で,台湾人,中国人,日本人の台湾専門家が英語で発表した論文は,西洋

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歴史学にも東洋歴史学にも限定されない,両〔歴史学〕伝統に属していな がら,それを統一するものだ」(90 頁)と述べている。  台湾原住民,特に高砂族の研究は特に多く,評価の高い論文数点を見逃 したことを,筆者は本書の瑕疵だとは思っていないが,ここに若干,主な ものを補足しておく。1 つ目は,アメリカの人類・民族学者エドワード・ ノルベック(1915~1991 年)のタイヤル族の信仰と習慣の研究である(9) 2 つ目は,日本で教育・研究・文学活動を行ったイタリア人アルンデー ル・デル・レー(1892~1974 年)のタオ族の神話の研究である(10)。デ ル・レーの論文は,日本において英語で出版されたので,海外ではあまり 知られてこなかったと思われる。3 つ目は,イタリア人旅行家・作家フェ リテェ・ベロッチ著『台湾:2 つの顔の島』である(11)。研究論文ではな く,読者一般向けの読み物として書かれたベロッチのこの本は,台湾原住 民の詳細な情報を含むが,他者の研究がベースとなっている。

4.日本の台湾民族政治史の研究

 第 3 部『植民時期・戦後期の日本歴史学における台湾民族政治史の研 究:19~21 世紀』(93~118 頁)は,3 つの章から成る。勿論,「日本」が 対象なので,日本では最も知られているテーマであり,筆者は,ここでは ゴロワテョーフ博士による評価と結論に限って論評する。  第 1 章『政治家に寄与する民族学者:「科学的」植民行政の基礎として の民族学 1895~1928 年』で著者は,近代学問としての台湾民族学は日本 統治時代だけに生まれたものだと断じ(94 頁),伊能嘉矩等について以下 のように述べた。「〔日本人学者は〕民族学研究のために豊富な情報を収集 し,用語,規範,方法を確立した際,当時の政治と科学だけではなく,全 ての台湾民族研究に大きな影響を及ぼした。しかし,日本人学者は植民行 政〔と原住民〕の『知的仲裁者』として行動したが,民族対策を作り出す

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ことはなかった。そして,彼らは研究の結論において十分に自由ではな かった」(96~97 頁)。  第 2 章『世界植民政策の経験から見た日本の台湾対民族政策及び民族学 研究の継続:1928~1945 年』で著者は,台北帝国大学の設立から始まっ た新時代において民族学研究は現地の情報収集から理論的民族社会研究に 到達し,それ以降の研究のために基礎を作ったと結論づけている(113~ 114 頁)。  第 3 章『戦後期の日本〔での台湾〕研究:1945 年から』で著者は,こ の時期は「日本社会が植民地時代に関する考察を控えた」ので,台湾民族 学研究は数も少く散漫になったと評した(115~116 頁)。筆者は最近の 10 年間でその状態は改善したと考えているが,最近の新しい研究についてゴ ロワテョーフ博士の論文は紹介・分析していない。

5.台湾(中華民国)の台湾民族政治史の研究

 第 4 部『戦後・現在の台湾歴史学における民族政治史の研究』(119~ 171 頁)は,4 つの章で構成されており,特に詳細に書かれてある。  第 1 章『動員戡乱時期臨時条款時期の〔民族学〕研究:1945 年~1980 年代末』で著者は,「台湾学は一般に日本学の成果と中国学の伝統を継承 した」が,台湾民族学は政治的な理由のため「40 年もの間,中国の研究 過程から離れた」と述べた(119 頁)。その時期から台湾民族学研究は, 原住民(アボリジニ)ばかりでなく,漢民族系台湾人もその研究対象に含 めた(125 頁)。行政と学者の関係を検討して著者は,「1970 年代初頭から 台湾学者は,アカデミックな研究と共に,政府のために〔民族〕社会問題 とその解決について報告書,意見書を準備しはじめた」と強調している (127~128 頁)。  第 2 章『「台湾化」時期の〔民族学〕研究:1980 年代末~2010 年』で著

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者は,台湾の国内情勢,その政治,政権と民族学研究との関係を具体的に 検討している。李登輝政権以後,「〔中国史から〕独立の学問として『台湾 史』研究が盛んになり」,「民族政治学の問題は〔台湾史〕研究の中心に なった」と同時に,「日本統治時代の研究も展開された」と著者は述べて いる(146,134,140 頁)。その 1 つの特徴は,「1990 年代末から原住民系 の大学生,院生は,学位・研究論文のテーマとして自分の民族・家族の歴 史を選択することが多くなった」(144 頁)ことだと言う。  第 3 章『台湾学者の原住民史・民族対策の研究:1980 年代後期~2010 年』は,山地人研究や平埔族研究の詳細な解説を含む。動員戡乱時期臨時 条款の下で国民党政権はその研究をあまり支援しなかったが,特に 2000 年代の「アボリジニ・ルネッサンス」運動のため原住民系学者の役割が高 まり,「各民族が自分の歴史を研究・作成する」のような論文・作品が多 くなった(153~154 頁)。  第 4 章『漢民族の研究:客家,福佬,外省人』は,比較的新しい研究分 野を検討している。国民党政権は,政治的な理由で,漢民族系台湾人を独 立した民族グループとして認めておらず,大陸の中国人と基本的に同じと 見なした。台湾研究の「台湾化」時代になってはじめて台湾学者はその民 族史の多面的な研究に着手し,台湾民族政治史について,より深く正しい 理解を促すこととなった。また国民党政権は,1949 年以後台湾に来た「外 省人」も独立した民族グループとして認めていなかったので,「台湾化」 時代にその民族政治史が新たに特別な研究分野になった(169~171 頁)。

6.中華人民共和国の台湾民族政治史の研究

 第 5 部『中華人民共和国における台湾民族政治史の研究:1949~2010 年』(172~201 頁)は,4 つの章を含み,第 4 部と同じように詳細に記さ れている。著者はその研究の歩みを 4 つの時期に区分する。第 1 時期

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(1949~1966 年)は,「マルクス主義的研究の発生と形成」である。第 2 時期(1976~1990 年)は,「文化大革命で中断された研究の復興」である。 第 3 時期(1990~2000 年)は,「中国における台湾研究の『台湾化』」で ある。第 4 時期(2000 年から)は,「台湾民族学研究の『非中華化』に反 対する総動員」である。台湾民族学研究の「非中華化」というのは,「台 湾化」に近く,台湾を中国の遠く離れた小さな地域ではなく,世界史,東 洋史の中で文化・文明的に独立した主体と見なすという立場である。その 立場が政治的に台湾の独立性を支持することになるため,中華人民共和国 の立場とは対立している。  第 1 章『中華人民共和国における〔台湾〕研究の体制と時代区分』は, 中国における台湾研究の体制と機関を紹介して,以上のような研究時代区 分によって論じている。著者は第 1 時期の台湾研究を 2 つの特徴から説明 する。1 つ目は,台湾と大陸を歴史的,文明的,文化的に不可分とする見 方に基づいて,台湾史を中国史の一部と見なすこと。2 つ目は,「西洋列 強と日本植民政権に反対する台湾人の闘争を強調する」点である(175 頁)。この時期の研究は,資料不足,実地研究が不可能であったこと,イ デオロギーの弾圧,台湾学界との全面的断絶のため,水準がかなり低く, 文化大革命の時にほとんど中断されたと著者は結論づけた(176~177 年)。 文化大革命は 1976 年に終わったが,台湾研究の復興は 1978 年ごろのこと であった。1988 年 8 月 2 日,台湾人学者が中華人民共和国の成立後に初 めて中国を訪問して共同研究会に参加した日は「歴史的に大事な日」と なった(178 頁)。大陸の台湾学者は断絶の 40 年の影響を克服し始めた。  第 2 章『時期区分の見直し:復興(1970 年代末)から中国における台 湾研究の国際化と「台湾化」(1990 年代)』で著者は,2 つの論点を強調し ている。1 つ目は,日本統治時代の研究が旺盛だったので,台湾研究全体 の分野が広がったこと(185 頁)。2 つ目は,台湾独立を支持する民主進歩 党政権の樹立が中華人民共和国における台湾研究にも影響を及ぼしたこ

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と。その時,台湾では台湾史が「国史」,中国史が「世界史」の一部と見 なされた(226 頁)。それは研究・教育の「台湾化」または「非中華化」 と呼ばれた(186~187 頁)。  第 3 章『台湾民族学研究の「非中華化」に反対する総動員:2000 年か ら』で著者は,共産党の立場も国民党の立場も大陸と台湾の歴史的,民族 文化的不可分に基づき,民主進歩党政権時代の台湾における台湾民族学の 「非中華化」,「台湾化」と中華人民共和国のそれに対する反応を分析して, 「総動員」という言葉を用いた。この時期,研究方針の中心は「外国の侵 略者に反対する闘争」から島内民族グループの関係に移動した(192 頁)。 中国における平埔族の研究は 2010 年代に入ってから始まり,台湾,日本, アメリカの研究に追いついた。中華人民共和国における学問としての「台 湾民族研究」は,漢民族系台湾人をほとんど除いており,少数民族を中心 として,対民族政策を対アボリジニ民族政策と見なすものであると著者は 結んでいる(194 頁)。  第 4 章『中華人民共和国の歴史学における〔台湾民族学〕研究の展望』 で著者は,台湾と中華人民共和国の文化・科学交流の発展にも関わらず, 研究の目的と方法が基本的に違うので,両者の台湾民族学の統一,統合は まだ不可能であると論じる。「台湾の学者は諸民族グループの共通性を中 心にしているが,中華人民共和国の学者は諸民族グループの識別を中心に している」(200 頁)。  結論『〔台湾民族政治の〕世界史学の主要な時期,特徴と展望』(202~ 233 頁)は,各部の内容を再び概説して,その結論に導いている。

おわりに

 ゴロワテョーフ著『世界歴史学の中で台湾民族政治史:17~21 世紀』 を総合的に評価すれば,以下がポイントであると筆者は考える。

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 第 1 に,本書は一ヵ国,一言語に限定されない,世界史学の中での台湾 民族政治史研究の詳細な解説の最初の試みである。本書は台湾研究の国際 化,グローバル化の過程を解明している。  第 2 に,本書は様々な研究の概説ばかりでなく,世界史学の中で各国の 歴史学,その相互関係と発展の比較を分析している。本書は世界史学の問 題として台湾の地位を明らかしている。  第 3 に,本書はロシア・ソ連での台湾研究の発展,内容と成果を紹介・ 分析した際,世界史学における台湾研究の中でその位置づけを明確にして いる。  日本では,台湾,中国,日本での台湾研究の過去と現在がよく知られて いるが,西洋の台湾研究関係情報は主に英語に限られる。フランス語,ド イツ語,オランダ語,ロシア語の資料と研究はあまり知られていない。ゴ ロワテョーフ博士の論文で検討されたフランス語とドイツ語の資料・研究 は比較的少ないので,その収集・調査・分析を続けるのは,重要な研究課 題であると筆者は確信している。 《注》

( 1 ) David Easton, The Political System: An Inquiry into the State of Political Science (New York: Knopf, 1971)。日本語翻訳もある。

( 2 ) 例えば次のようなものが挙げられる。塚本善也「ロシアの台湾原住民族 研究を概観する」(『台湾原住民研究』第 20 号(2016 年)124-134 頁)。パー ウエル・イビス著,塚本善也訳・解説「フォルモサ記行」(『台湾原住民研 究』第 8 号(2004 年)。「旧植民地台湾を訪れたロシア人博物学者モリトレ フト」(『異郷に生きるⅣ:来日ロシア人の足跡」(成文社,2008 年)207 -221,277-278 頁)。「エリセーエフの台湾訪問にまつわる問題とその検討」 (『天理大学学報』第 25 号(2016 年)181-194 頁)。「エリセーエフの台湾訪 問をめぐる考察 :『フォルモサ報告』を手がかりとして」(『天理大学学報』 第 27 号(2018 年)83-96 頁)。

( 3 ) Edmond Plauchut, « Formose et l’expedition japonaise »(Revue des deux mondes, 1874, Tome 6. P. 447-466),プリント・オン・デマンド再出

(13)

版もある。 ( 4 ) ワシーリー・モロジャコフ「ソ連,コミンテルンのプロパガンダにおけ る日本植民地政策の批判:台湾を中心として」(『台湾学研究』第 20 号 (2016 年)111-130 頁),「ロシアから見た日本統治時代の台湾:帝政時代と ソ連時代の比較」(『拓殖大学台湾研究』第 2 号(2018 年)101-114 頁)。 ( 5 ) ワシーリー・モロジャコフ「矢内原忠雄,台湾とソ連:『帝国主義下の台 湾』のロシア語翻訳を中心として」 (『新日本学』第 30 号 (2013 年秋) 97 -108 頁)。 ( 6 ) ワシーリー・モロジャコフ「フランス分析官レジナルド・カンとその 『フォルモサ報告』」(『拓殖大学台湾研究』第 3 号(2019 年)111-122 頁), 「フランスから見た明治日本の大陸政策と植民政策:レジナルド・カンの旅 行と著作(露文)」(ロシア科学アカデミー東洋学研究所編『日本研究年鑑 2017 年』(AIRO-XXI,2017 年)183-197 頁)。 ( 7 ) ワシーリー・モロジャコフ「日本のイメージ工作と植民政策:台湾を中 心して, 1900-1930 年代」 (『拓殖大学台湾研究』 第 1 号 (2017 年) 83-91 頁)。

( 8 ) George W. Barclay, Colonial Development and Population in Taiwan (Princeton: Princeton University Press, 1954, 再出版 1972)等。

( 9 ) Edward Norbeck, Folklore of the Atayal of Formosa and the Mountain Tribes of Luzon (Ann Arbor: University of Michigan Press, 1950)。 (10) Arundel del Re, Creation Myths of the Formosan Natives (Tokyo: The

Hokuseido Press, 1951)。

参照

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