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言語は本能であるのだろうか

尾形まり花(Marika

Ogata)

千葉大学人文社会科学研究科

進化心理学者のスティーブン・ピンカーによれば、言語とは人間が生まれ持った本 能であるという。その根拠は多岐にわたり、たとえば地球上のあらゆる人種が言語を 持つことや、また、その場限りのありあわせの言語であるピジン語を聞いて育った子 供たちが、生まれ持った能力によって、それを統語論的に洗練された言語であるクレ オールへと進化させること、類人猿の言語研究のどれもが結局は失敗に終わったとい うことがあげられる。たとえばアメリカ手話を教えられたはずである類人猿の身振り はアメリカ手話のネイティブには手話であるとはまったく認められず、じつは確かな 文法を身に着けた類人猿はいなかったと結論できるからである。

しかし、以上の指摘はすべて「統語論的」な事柄である。われわれの言う「言語」

とは文法的な面にとどまらず、「意味論的」内容をともなうのではないだろうか。ピン カーはこの意味の問題に「心の言語」という概念をあげて答える。「心の言語」は英語 や日本語といった実際に離されている言語ではない。どの言語も越えた、人間に普遍 的な言語である。われわれは日本語という言語で考えるのではなく、心の言語を伴っ て生まれ、どの言語を話していても、心の言語を使って考えているのである。

ピンカーによればここにあるのは W・V・O・クワインの根源的翻訳者の問題であ る。われわれが根源的翻訳者として、現地人の呼ぶ「ガヴァガイ」の意味するところ がウサギの全体であるのかウサギの一部分であるのか、という問題に悩まないのは、

われわれが心の言語を持っているからである。心の言語の基礎的なものは生まれたて の子供(や類人猿)も持ち、そうでないとしたら英語や日本語を習得するためのモチ ベーションをそもそも持たないのだという。英語や日本語とは心の言語を翻訳し他者 に伝えるための言語だからである。

このピンカーの、言語は本能だとする説は、言語を「統語論」的な面からも「意味 論」的な面からも論じ、説得的にも見える。だが、はたしてこの議論、特に「統語論」

と「意味論」という二項からの分析は妥当なものであろうか。ピンカーは両者の関係 を「抽象的な推論や知識を支える前頭葉前部と連絡をとりながら、心的言語のメッセ ージを文法構造に変換している」とする。確かにわれわれは脳で考え脳を使って話す。

しかし、心の言語が推論や知識なのであれば、われわれはその脳内の「連絡」に、精 神と物体をつなげたというデカルトの「松果体」のイメージを見出すのである。なぜ ならそれは、究極的には数学によってあらわされる、統語論をつかさどる物理的機能 と、われわれの思考や心というものが、物理的な何かによって結び付けられるという 図式だからだ。

本稿ではピンカーの言語の自然化は成功しているのかを問い、また、「相対主義を排 するために」あげられている「心の言語」という議論が、はたして相対主義を排する

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ことに成功しているのかを問う。

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