注意事項 一 受験番号、氏名および解答は、すべて解答用紙に記入しなさい。 二 問題用紙に解答を書き込んでも採点されません。 三 字数制限の設問については、特別な指示がない限りは、、や 。「 」などの記号を字数に含めます。
例 (計十四字) こ こ が 、 「 私 の 母 校 」 と な る 。 二〇二〇年度B
(全
13ページ)
国 語
一、次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
これからの教養とは無論、インターネットにある雑多な情報の集合体 ではありません。情報を論理的に体系化したものが知識とすると、これ からの教養は 書
しょ斎
さい型の知識でなく、現実対応型のものでなくてはなりま せ ん。 現 実 対 応 型 の 知 識 と は、 屍
しかばねの ご と き 知 識 で は な く、 生 を 吹 き 込 まれた知識、 情
じょう緒
ちょや形と一体となった知識です。
ここで言う情緒や形とは一体何でしょうか。まず情緒ですが、ほぼ先 天的に備わっている喜怒哀楽ではありません。それなら獣にもあります。 より高次元とも言える、後天的に得られるもの、すなわちその人が生ま れ落ちてからこれまでにどんな経験をしてきたか、によって 培
つちかわれる心 で す。 ど ん な 親 に 育 て ら れ た か、 ど ん な 友 達 や 先 生 と 出 会 っ て き た か、 どんな美しいものを見たり読んだりして感動してきたか、どんな恋や失 恋や片思いをしてきたか、どんな悲しい別れに会ってきたか……などに よ り 形 成 さ れ る も の で す。 美 的 感 受 性 や も の の あ わ れ な ど の 美 的 情 緒、 宗教によって得られる宗教的情緒なども含まれます。
また形とは、日本人としての形、すなわち弱者に対する涙、 卑
ひ怯
きょうを憎 む心、正義感、勇気、 忍
にん耐
たい、誠実、などです。論理的とは言えないもの の価値基準となりうる、獣ではない人間のあり方です。こう書いてくる と、これからの教養とはプラトンやカントまで、様々な哲学者が語った 知 情 意 や 真 善 美 に 似 て い ま す。 こ れ ら を 荒 っ ぽ く 要 約 す る と、 知( 真 ) が知識、情(美)が情緒、意(善)が意志や道徳ですから、私の言う教 養、すなわち情緒や形と一体になった知識、とはそれらに近いと言えま す。 漱
そう石
せきも『 草
くさ枕
まくら』 の 冒 頭 で 言 っ て い ま す。 「 山 路 を 登 り な が ら、 こ う 考 えた。 智
ちに働けば角が立つ。情に 棹
さおさせば流される。意地を通せば 窮
きゅう屈
くつだ。 兎
と角
かくに人の世は住みにくい」 。バランスが大切ということでしょう。
一人前の人間として大切な教養については、人により言い方が異なり ま す。 東 京 女 学 館 女 子 中 高 の 校 長 を し て い た 四
し竈
かま経
つね夫
お先 生 は、 「 私 が 生 徒にどうしても伝えたいのは三つのこと、読書と登山と古典音楽の 愉
たのし さです」と私に語りました。ある会社の社長は「人間にとって最も大切 なのは、人と付き合い、本を読み、旅をすることだ」と言いました。 手
て塚
づか治
おさ虫
むは こ う 言 い ま し た。 「 君 た ち、 漫 画 か ら 漫 画 の 勉 強 を す る の を や め な さ い。 一 流 の 映 画 を 見 ろ、 一 流 の 音 楽 を 聴 け、 一 流 の 芝 居 を 見 ろ、 一流の本を読め。 そしてそれから自分の世界を作れ」 。 表現は様々ですが、 大体、私と同じことを言っているように思います。
ニーチェは「本をめくることばかりしている学者は、ついにはものを 考える能力をまったく 喪
そう失
しつする」と言いました。知識が 充
じゅう分
ぶんにあるだけ では、 死蔵 された知識に過ぎず、考える能力に結びつかないのです。
これからの教養を構成するものは、情緒や形ばかりか知識も、基本は 実体験によって得られるものです。 京都がどんな町かは、京都に行って 見なければ完全には理解することはできません 。象やキリンがどんな動 物かも、何らかの方法で見る必要があります。モーツァルトやビートル ズの音楽がどんなものかは、聴く以外にないのです。ぶたれた時の痛さ
①②
も、貧しくて充分に食べられない悲しさや苦しさも、仲間外れにされる 辛さも、 欺
だまされたり裏切られた時の悔しさも、そんな目にあって初めて 分かります。自分自身の体験によって、そういう目にあっている人に同 情したり、他人をそういう目にあわせないよう心がけることになります。
ここで 大問題 は、充分な知識や情緒や形を得るために、実体験だけで 足りるかということです。一生の間に実体験できることはとても限られ ています。自らが 生
しょう涯
がいに歩いた道路の長さの総和は、世界全道路の長さ の兆分の一にもなりません。出会った人の数だって限られています。言 葉を 交
かわした人の数はさらに少なく、深い意志の 疎
そ通
つうを交した人の数とも なると、大抵の場合、家族を除くと片手の指、多くても両手の指で足り てしまうのではないでしょうか。
にもかかわらず私達は、人間とはこういうものだ、こういう状況では こう考え、 こう思い、 こう行動する、 というかなり正しいイメージを持っ ています。これを持たないと社会生活ができません。私達が、よく知る 人はたった数名なのに、そんなイメージを持つことができるのは、映画 やテレビドラマや読書などで、乏しい実体験を補強しているからです。
家族や学校で親や先生に教わる知識だって、ほんの基礎基本だけです。 人間として真っ当で充実した生き方をするためにはとても充分とは言え ません。これからの教養、すなわち情緒や形と一体化した知識を獲得す るには、まず自ら努力して得る必要があります。実体験では余りにも足 り な い の で、 間 接 体 験( 追 体 験 ) に よ る こ と に な り ま す。 読 書、 文 化、 芸術などに親しむことが大切となるのです。人によっては自然や宗教も あるかも知れません。先ほど京都がどんな町かは京都に行って見なけれ ば分からないと言いましたが、注意すべきは、それでは目に見えるもの しか分からないということです。 例えば京都の 金
こん戒
かい光
こう明
みょう寺
じは、何も知らない人にとって、京大近くの丘 の上のだだっ広いお寺に過ぎません。 書物をひもとけば、ここ は、十五歳より 比
ひ叡
えい山
ざんで修行を積んでいた 法
ほう然
ねん上
しょう人
にんが、四十三歳の時に 山を下りて 草
そう庵
あんを結んだ地であり、初めての 浄
じょう土
ど宗
しゅう寺院であることが分 か り ま す。 、 十 四 歳 の 美 少 年 平
たいらの敦
あつ盛
もりの 首 を 斬
きっ た 熊
くま谷
がい直
なお実
ざねが、 出家しようと法然の教えを受けに来た所と分かります。 バ ク マ ツ に は 京 都 の 治 安 を 保 ち 孝
こう明
めい天 皇 を 守 ろ う と、 京 都 守 護 職 と して 会
あい津
づ武士一千名がここに滞在したことも分かります。御所まで二キ ロ、東海道の京都入口である 粟
あわ田
た口
ぐちまで二キロ、という警固上の絶好の 位置にあることも分かります。京都を京都たらしめている歴史や文化を 知って、初めて京都とは何かが分かるのです。 読書を代表とする疑似体験は、実体験に比べれば 概して 深さも強烈さ も は る か に 小 さ く、 人 間 の 教 養 を 豊 か に す る 力 と し て は 微 々 た る も の、 という声が聞こえてきそうです。その通りです。力としては十分の一か も知れません。しかし、一つ一つは十分の一の深さや強烈さの疑似体験 でも、自ら求めさえすれば実体験の百倍に上る回数を体験することも可 能です。そうすれば実体験だけの人に比べ十倍の教養を得ることができ ることになります。
特に疑似体験の柱となる読書なら時間も金もさほどかかりませんから、
③A
B
a
④
いくらでも重ねることが可能です。読書を通じ、古今東西の賢人や哲人 や文人の言葉に耳を傾けることができます。漱石やドストエフスキーの 言 葉 に 耳 を 傾 け、 紫
むらさき式
しき部
ぶや 清
せい少
しょう納
な言
ごんや シ ェ ー ク ス ピ ア と 親 し く 対 面 す ることもできます。文庫本代を ハラウ だけで、あり得ないような オンケ イ を受けることができるのです。
ポジショントークしかしない政官財の人々や、テレビでもっともらし いことを自信満々に語る人々でなく、幾歳月にわたる歴史の 星
せい霜
そうに耐え た、古今東西の賢人達の精魂こめた授業を、タダで聴講することができ るのです。知識や思想を吸収できます。文学書を読めば古今東西の 庶
しょ民
みんの哀歌に触れることで人間としての美しい情緒や、 醜
みにくい情緒を学ぶこと ができます。それらに共感し、時には涙し、時には フルイ 立つことさえ できるでしょう。 (中略)
また、歴史や文明や文化に関する本を読むことで、世界史の中におけ る現代の立ち位置、日本の立ち位置、そして究極的には自分の立ち位置 が少しずつはっきりしてきます。立ち位置が確立されないと毎日見聞す る社会現象を大局的に見ることができません。
本 を 読 ま な い 人 間 は 井 の 中 の 蛙
かわずと 同 じ に な り ま す。 こ の 蛙 に と っ て、 世界は井戸の底と上に見える小さな丸い空だけです。井戸の外を一切知 らなくても蛙は幸せな一生を終えることができるのかも知れません。し かし私は、この蛙に広い広い世界を見せてやりたくてたまりません。実 体験だけで満足する人は、一度しかない人生をじっと井戸の中で暮らす ようなものです。 こ う し て 実 体 験 は 疑 似 体 験 に よ り 補 完 さ れ、 健 全 な 知 識 と 情 緒 と 形、 すなわちバランスのとれた知情形が身につきます。これこそがこれから の教養であり、あらゆる判断における価値基準となります。別の言葉で 言えば、あらゆる判断における座標軸が形作られてくるのです。哲学を 中心とした 「生とは何か」 を問うのがかつての教養で、 「いかに生きるか」 を問うのがこれからの教養と言ってもよいかも知れません。 ( 藤
ふじ原
わら正
まさ彦
ひこ『国家と教養』より 一部中略)
問一 二重傍線部a〜dのカタカナを漢字で書きなさい。なお、送り仮 名が必要な場合はその部分をひらがなで書きなさい。
問 二 傍 線 部 ①「 死 蔵 」・ 傍 線 部 ④「 概 し て 」 の 語 句 の 意 味 と し て 最 も 適当なものを、それぞれ次のア〜エの中から一つずつ選び、記号 で答えなさい。
① 死蔵 ④ 概して ア しまったままにすること ア 目立って イ いつのまにかなくすこと イ なぜか ウ 取り出して処分すること ウ 一般に
エ 持ち主がいなくなること エ おそらく
bcd
問三 傍線部②「京都がどんな町かは、京都に行って見なければ完全に は理解することはできません」とあるが、この内容について筆者 が 気 を つ け な け れ ば な ら な い と 述 べ て い る の は ど う い う こ と か。 それについて説明した次の文の空欄にあてはまる語句を、本文中 から は七字で、 は五字で抜き出して答えなさい。
寺などの だけではなく、 についても知らなければ、 京都について完全に理解できたとはいえない。
問四 傍線部③「大問題」とあるが、筆者はこの問題に対してどうする 必要があると述べているのか。理由を含めて七十字以内で説明し なさい。
問 五 ・ に あ て は ま る 語 句 と し て 最 も 適 当 な も の を、 それぞれ次のア〜カの中から一つずつ選び、記号で答えなさい。
ア また イ なぜなら ウ 要するに エ ところで オ たとえば カ しかし 問六 本文の内容と合致するものを、次のア〜オの中から一つ選び、記 号で答えなさい。 ア 漱石が『草枕』の冒頭で言っているのは、人の世を生きていく ためには人間関係のバランスをうまくとっていくことが大切だ ということである。 イ 毎日見聞する社会現象を大局的に見ることができれば、世界史 の中における現代の立ち位置や日本の立ち位置、そして自分の 立ち位置がはっきりしてくる。 ウ 手塚治虫は、漫画の上達に必要な心構えとして、漫画を描くこ とだけにこだわるのではなく、他分野の芸術作品も生み出そう とするべきだと述べている。 エ これからの教養を構成する知識は、ただ雑多にあるようなもの ではなく、情緒や形と一体化し、考える能力に結びつく現実対 応型のものである。 オ 実体験によって知識を得ようとしない人は、井戸の底と上に見 える小さな丸い空しか知らないままで生きようとしている蛙の ようなものである。 X Y
X Y
A B
問題は次のページに続きます。
二、次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
番組が始まった。日曜の朝七時という時間なので、何か理由でもない 限り 観
みることはない時間だ。試合や何かのイベントがあればその準備を しているし、そうでなければ昼まで寝ている。 『スポ魂』――しっかり観たことがなかったので「すぽこん」なのかな と思っていたが、すぽたま、と読むらしいことは今回の収録が決まって 初めて知った。
当然タイマー予約してあるのだが、母だけでなく父までちゃんと着替 えてテレビの前で待機しているので、凛は何だか居心地が悪く、いっそ のこと後で一人で観ようかとも考えたほどだ。しかし、父は多分みんな で 一
いっ緒
しょに観たいのだろうと分かってはいたので、三人掛けのソファを半 分占領するその暑苦しい身体からなるべく距離を取りつつ、画面に意識 を集中する。母は、ソファには座らず二人の間でカーペットに横座りし て い て、 父 の 膝
ひざに 肘
ひじを つ い て い る。 仲 が い い の は い い こ と だ と 思 う が、 何かというとベタベタしているのがこそばゆい。 『無敗の弓道女王にライバル登場!』 派手なテロップが躍り、もう既にげんなりしはじめた。自分は「ライ バ ル 」 の 方 だ か ら ま だ ま し だ が、 「 弓 道 女 王 」 と か 呼 ば れ る 側 だ っ た ら とても観ていられない。あの人はきっと平気なんだろうけど。 凛は、自分はあくまでも 脇
わき役
やく、当て馬なんだから出番は少ないだろう と 思 っ て い た の だ が、 〝 女 王 〟 の 方 は 既 に 番 組 で お 馴
な染
じみ だ と い う こ と なのか、先日の試合に始まり、凛の授業風景、練習風景と続いて、今回 に限っては凛に強くスポットを当てた作りだった。 「このカメラマン、プロのくせに下手なんじゃないか? 中田って子の 動画の方が 可
か愛
わいく撮れてるよな?」 「そりゃね、気持ちが出るもんでしょ、好きな子を撮るときには」 父が漏らした文句に、母がまたいらぬことを言い添える。 「なんだって? あいつとはつきあってないって……」 「うるさいな、もう! 静かにしてて!」
話題が変な風にならないよう、慌てて 釘
くぎを刺す。 「……ああいうなよっとしたのは、 俺
おれはあんまりなあ……」
小 さ い 声 で な お も 続 け る の で じ ろ り と 睨
にらみ つ け る と 、 よ う や く 口 を 閉 じ て く れ た 。 番 組 に 気 を 取 ら れ て る 間 に 忘 れ て く れ れ ば い い の だ が 。 ―― て い う か、 「 好 き な 子 」 っ て 何 だ よ。 一 体 あ い つ の 何 を 知 っ て る っ て言うの。そう思い、今度は母の後頭部を睨みつけたが、もちろん気づ きもしない。後でちゃんと誤解を正しておかねば。
そう考えながらテレビ画面に意識を 戻
もどしたものの、父の言うとおり何 〈この場面までのあらすじ〉 弓 道 部 の 篠
しの崎
ざき凛
りんは、 試 合 会 場 で 出 会 っ た 波
は多
た野
の郁
いく美
みに 頼 ま れ、 彼 女 の 出 る ド キ ュ メ ン タ リ ー 番 組 に 対 戦 相 手 と し て 出 演 す る こ と に な っ た。 今 そ の 番 組 が 放 送 さ れ よ う と し て い る。 波 多 野 は 女 優 を 目 指 し て お り、 弓 道 は「 見 せ る た め の も の 」 で か っ こ い い か ら や っ て いると、かつて凛に告げた。
だか自分の映り方がいつも以上に地味でもっさりしているように観えて、 改めて考え込んでしまう。これは一体何だろう。同じ画面で 生
きっ粋
すいのお嬢 様と見比べてしまうからだろうか? それともやはり中田は凛のベスト の 表 情 を 選 ん で 撮 影 し た り、 悪 い の は カ ッ ト し た り し て い る の だ ろ う か?
分からなかった。何にしろビジュアルやファッションで波多野と張り 合うつもりなどないのだからどうでもいい。特に貧乏くさくは見えてい ないことにとりあえずほっとする。
ル ー ル が 説 明 さ れ、 〝 試 合 〟 が 始 ま る。 テ レ ビ に し て は 真 面 目 な 方 の 番組らしく、さほど 煽
あおらない淡々としたナレーションと共に、波多野と 凛の射を色んな角度から見せる。結果はもちろんとうに分かっているし、 中田の撮ったビデオも繰り返し確認させてもらったけれど、それでもや はり凛は息を止めて見入ってしまった。
最初の 二
ふた手
て(四本) は特に、 自分でも 惚
ほれ 惚
ぼれするような気合いの入っ た い い 射 だ っ た。 対 す る 波 多 野 郁 美 は や は り、 き れ い で 精 密 だ け れ ど、 それ以上の「何か」はない 。しかし、たくさんの射を見ている人間でな い限り、二人の射の違いなど分からないだろう。現に、ある程度は見慣 れ て い る は ず の 父 で さ え、 「 や っ ぱ こ の 子 は す ご い な あ。 矢 が 全 部 真 ん 中だもんなあ。そりゃ勝てなくてもしょうがないよ」と敵ながらあっぱ れとばかりに 感嘆 している。
結果を知っている本人でも(本人だからか?)息詰まる 射
い詰
づめが延々と 続く。途中ダイジェストになるのは時間の関係上仕方なかったのだろう が、もしそのまま観せられたらこちらの神経も持たなかったかもしれな い。 十 六 射 目 で 遂
ついに 凛 の 矢 は わ ず か に 上 に 逸
それ て し ま っ た と こ ろ で、 「 女 王 勝 利!」 の 文 字 が 躍 っ た。 父 は 残 念 そ う に 呻
うめき 声 を 上 げ、 凛 の 肩 に手を回して抱き寄せようとする。抵抗したが、ぎゅっと抱きすくめら れ、頭をじゃりじゃりとこすりつけられる。 「よく 頑
がん張
ばった! すごいよ。この間の試合もすごかったけど、これは もっとすごい!」 「いいってば。もういいからやめて! 暑苦しい」
渾
こん身
しんの力で押しのけると悲しそうな顔で身を引く。
現 場 で 生 で 見 て い た 母 で さ え、 「 凛 の 射 の 方 が 好 き 」 と は 言 っ て も く れなかった。違いが分かるのは恐らく極めて限られた人間だけだ。いや、 やはりこれは、射品の問題ではなく、趣味の問題なのかもしれない。テ レビのスタッフも、ほとんどの視聴者も、凛の「健闘を 称
たたえ」つつ、波 多野に 喝
かっ采
さいを送ることだろう。
果たして波多野は、これを観てどう思っただろうか? 自分の射を繰 り返しビデオで観て「 完
かん璧
ぺき」を目指してきた彼女は、これで満足してい るだろうか?
分からなかった。射品とは何か。射格とは何か。そもそもそんなもの は本当に存在するのか。矢が的に当たるという 誰
だれにも見間違いようのな い事実の前で、そんな言葉は余りにも頼りなく思える。
波多野の射は、いわゆる「 中
あて射」なんかではない。もっと 体
たい配
はいもい い加減で、着装も乱れていて、 早
はや気
けで、しかし射れば百発百中という人
①a
もいる。そういう人をこそ「中て射」と言うのだと思うが、それとは全 然次元の違う、美しく整った射ではある。でもそこに、心はない――よ うな気がする。そう、もしも彼女が女優になり、弓道女子を演じること になってドラマであの射をしたなら、何も文句はないだろう。よくぞこ こまで美しい射を見せてくれた、と。それはまさに彼女が目指す「演技 の弓道」としては完璧なものかもしれない。
でもこれまで、凛が 憧
あこがれ、感動したような射とは決定的に何かが違う ような気がするのだ。
力衰え、視力を失いながらもなお 的
まと前
まえに立ちたいと思う 棚
たな橋
はし先生の射 には感動したし、その射を目に焼き付けようと思った。いつかの試合の 前の演武で見た範士の先生の射も、忘れられない。ただ正確で上手い射 など、記憶にも残らないし、ましてや感動とはほど遠い。
――しかしそれは、自分が波多野をライバル視しているから、あえて 過小評価しようとしているのではないかと言われると、どうにも自信が 持てない。中田が「君の射の方が好きだ」と言った言葉に誘導されてい る面もあるかもしれない。射品では負けていない、なんてただの負け惜 しみのような気もする。正しい射は 中
あたるはずなのだから、少なくとも 最後に外れたあの一本は正しい射ではない、とも言える。
分からない。映像を見ていると自分の射は間違っていないような気も するのだが、それで負けた悔しさを誤魔化していちゃいけないような気 もする。
や が て 今 度 は 場 面 が 変 わ っ て、 〝 試 合 〟 後 に 行
おこな わ れ た 波 多 野 郁 美 と のカフェシーン。お互いリラックスした様子で笑い合ったりしているよ うに見えるが、実際には(少なくとも凛の方は)終始ピリピリと緊張し まくっていてリラックスどころではなかった。編集の魔術か、数年来の 友人同士に見えないこともない。波多野の服装も、凛に合わせたつもり なのか本人の演出なのか、ダメージジーンズにロックスターか何からし いグループのTシャツで、さほどの「格差」はないように見える。 ――一言で言って波多野さんにとって弓道とは何ですか? 画面には映っていないディレクターの質問が、テロップで表示される。 『えー』 波多野郁美は、まるでそんな質問されるとは思っていなかった、とい うような 困惑 した笑みを浮かべる。もちろん、収録が始まる前から教え られていた質問だが、とてもそうは見えない。 『よく考えるんですけどね、むっつかしいなあ……。まあでもやっぱり、 人生そのもの、としか言いようがないですよね。何だか、生きる目的の ようでもあるし、弓をすること自体が生きてるってことのような気もす るし。 射□人生 て言うけど、結局そうとしか言いようがないんですよね、 わたしにとっては』 ――そこまで波多野さんを 惹
ひきつける弓道の魅力とは何でしょうか?
腕を組んで考え込む波多野。 『 何 な ん で し ょ う ね。 〝 道 〟 と 名 が つ く も の の 中 で も、 こ こ ま で 自 分 自 身――心だけでなく身体とも向き合うことを 強 いられるものってないん じゃないでしょうか。多分それが、一番の魅力でもあり、難しいところ
b②c
でもあるんじゃないかと思います』
事前に彼女の本音を聞いていなければ、我が意を得たりとばかりに大 きく 頷
うなずいたことだろう。 親友になれる、 と思ったかもしれない。 凛がずっ と言葉に出来なくてもやもやとしていることをすぱっと言い 表
あらわしてく れたような言葉だったからだ。しかし、そんなことを思ってもいないは ずの波多野に言われてしまうと、逆に間違っているような気さえしてく るから困ったものだ。
そして、同じ質問が今度は凜に向けられる。
――。では篠崎さん。一言で言って、篠崎さんにとって弓道とは何で すか?
質問も、その順番も、すべてが仕組まれたものではなかったのかとい う気がしていた。誰が仕組んだのかは分からないけれど。波多野が先に、 凛の言いたいようなことをすべて言ってしまったのでは、 凜としては 「わ たしも全く同じ気持ちです」と言うか、無理矢理別の言葉を探すしかな い。余程のことを言わない限り、波多野の印象を超えることなどできな いはずだ。もちろん、テレビカメラの前で気の利いたことを言いたいな どと思っているわけではない。しかし、自分にとって重要な質問に対し、 はっきりとした答えを出しておきたいという気持ちは確かにあって、波 多野の返答――心にもない返答だ――は、そんな凛の心をぐらつかせる のだった。でもこの時既に、何と答えるかは決めていたから、さほどの 動揺はなかったはずだった。緊張の余りぎこちない 喋
しゃべりなのは仕方ない。 『……あ、えっと、すみません。ずっと考えてるんですけど……正直分 からないんです。何で弓に惹かれたのか、何でこんなに 一
いっ所
しょ懸
けん命
めいやって るのか、分からないんです。頭が悪いんですかね』 自虐的な笑い。今自分で観て、余計なことを言ったと激しく後悔する。 全然面白くもないし、余計頭が悪く見える。 でもそれ以外は今でも間違った答とは思っていない。分からないもの は分からない。それ以外どう言えと言うのか。最初から「○○を一言で 言うと?」という質問自体くだらないと思っていたはずなのに、いざ聞 かれると、無理矢理にでも答えなければならないものだと思い込んでい た。心のどこかに、すぱっとそれらしいことを言って誰かを感心させた いという気持ちがあったのか、それとも逆に、何とか言葉にすることで 分 か り に く い 何 か が 分 か る よ う に な る の で は な い か と い う 思 い 込 み が あったのか。 考えて考えて、考えているうちに、そんなものは錯覚なんじゃないか、 と はたと気づいた のだった。
弓道の教本にしたってそうだ。射法射技や心構えについて、微に入り 細を 穿
うがって説明されているが、初心者には何が書いてあるかほとんど分 からない。どれほど 丁
てい寧
ねいに書かれた文章でも、それを読んだだけですぐ 弓が引けるようになる人などいない。しかし、ある程度のことが出来る よ う に な っ て か ら 教 本 を 読 む と、 途 端 に 文 章 の 意 味 が 頭 に 入 っ て く る。 すべてが納得できる。そして、自分がまだ 実
じっ践
せん出来ていない部分につい ては、相変わらずよく分からないままなのだ。
分からない人間が、言葉を見つけたところで分かるようにはならない。
③それはむしろ言葉に意味を押し込めているだけだ。自分にとって弓道と は何か、ぼんやりとでも分かったなら、それを言葉にすればいい。一言 か、原稿用紙百枚か、分からないけど。
収録の後、結局凛は波多野に請われてケータイのメールアドレスを交 換したものの、確認のために交わした以外、メールは来ていない。そも そも、メール交換する間柄だ、とテレビカメラに見せたかっただけなの だろう。
もしかしたら番組放送後、何か言ってくるかもしれないな、と予感し ていたものの、結局その日は何も来なかった。特段の感想はなかったの かもしれない。 ( 我
あ孫
び子
こ武
たけ丸
まる『凛の 弦
つる音
ね』より)
問一 二重傍線部a〜cの漢字の読みをひらがなで答えなさい。
問 二 傍 線 部 ①「 き れ い で 精 密 だ け れ ど、 そ れ 以 上 の『 何 か 』 は な い 」 とあるが、凜が感じたのはどういうことか。五十字以内で説明し なさい。 問三 傍線部②「射□人生」は「しゃそくじんせい」と読む弓道の世界 で用いられる言葉である。空欄にあてはまる字として最も適当な ものを、次のア〜オの中から一つ選び、記号で答えなさい。 ア 速 イ 即 ウ 促 エ 側 オ 束
問四 傍線部③「はたと気づいた」とあるが、凜はどういうことに気づ いたのか。最も適当なものを、次のア〜オの中から一つ選び、記 号で答えなさい。
ア 弓道を一言で言うとどうなるかをすぱっと答えられても、誰も 感心してくれないということ。 イ 自分が弓道において、基本を知り、ある程度のことが出来るよ うになったということ。 ウ 分かりにくいことは、何とか言葉にすることで分かるようにな るということ。 エ 分からないことを無理に言葉にしたとしても、それで理解が深 まるわけではないということ。 オ 弓道の教本で、射法射技や心構えについて読んだことで、弓が 引けるようになったということ。
問五 本文中で凛が射について考えたり感じたりした内容として 適当で
ないもの を次のア〜オの中から一つ選び、記号で答えなさい。
ア 波多野との〝試合〟での最初の二手は特に気合いの入ったいい 射だったが、そう感じるのは射品というよりも凜の趣味として の感覚によるのかもしれない。 イ 矢が的に当たるかどうかというのは誰にも見間違いようがない のに、それよりも射品や射格というものを主張するのは心もと なく感じられる。 ウ 波多野の射を過小評価することによって自分は波多野をライバ ル視できているが、射品では負けていないというのは負け惜し みのような気もする。 エ 教本の内容は、初心者に実践させるというよりは、ある程度の ことが出来るようになった人に、実践できる部分をよく理解さ せるようなものである。 オ 言葉から理解しようとするのではなく、自分にとって弓道とは 何かを少しでも理解したときに、その内容を、分量にこだわら ず言葉にすればいい。 問六 作品の表現の特徴について説明した文として適当なものを、次の ア〜キの中から二つ選び、記号で答えなさい。解答順は不問とす る。 ア 文 語 調 を 基 本 と し、 さ ら に 漢 語 表 現 を 多 用 す る こ と に よ っ て、 表現のみならず内容にも格調高さを生んでいる。 イ どの場面でも凛と波多野という二人の登場人物を対照的に描き、 物語の構造を明確化したうえで話を展開している。 ウ 場面ごとに、周囲の風景を詳細に描くことで、自然にその場の 様子が思い浮かべられるようになっている。 エ 弓道とは関係のない主題を弓道に重ね合わせ、本文中でしばし ばその内容を示す 比
ひ喩
ゆを用いている。 オ 凜の視点で出来事や心情を描くことによって、読者が自分自身 と重ね合わせながら読めるようになっている。 カ
心情をそれぞれ浮かび上がらせている。 キ 凛と波多野の射の様子を詳しく描写することによって、二人の 言の様子が分かりやすく表されている。 「 ……」 や「 ――」 な ど の 記 号 の 使 用 に よ っ て、 登 場 人 物 の 発
三、次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
フ ィ ー ド バ ッ ク を す る 際 に 内 容 が ネ ガ テ ィ ブ で あ っ て も 、 攻 撃 す る 姿 勢 は 厳 禁 で す 。 そ れ で も 学 生 の 中 に は 、「 そ う だ か ら ダ メ な ん だ 」 な ど 、 つ い つ い 相 手 を 酷
こく評
ひょうし て し ま う と い う 人 が た ま に い ま す 。 こ う な る と 、 言 わ れ た ほ う は 、 案 の 定 、 シ ュ ン と な っ て し ま い ま す 。 さ ら に そ れ に 引 き ず ら れ る よ う に 、 そ の グ ル ー プ の 雰
ふん囲
い気
きも 悪 く な り が ち で す 。
た だ し こ の よ う な と き 、 私 は 落 ち 込 ん で い る 学 生 を 下 手 に
た り は
ま
せ ん 。 な ぜ な ら 「 火 の な い と こ ろ に 、煙 は 立 た な い 」 か ら で す 。 つ ま り 、 誇 張 は さ れ て
か も し れ ま せ ん が 、
こ と は 事 実 で あ り 、 少 し は そ う い う 部 分 も 相 手 が そ う 感 じ た と い う 、 と い う こ と で す 。 こ の こ と は 、 リ ー ダ ー シ ッ プ の 定 義 に も か か わ っ て き ま す 。 繰 り 返 し 述 べ て い る よ う に 、 リ ー ダ ー シ ッ プ の 一 面 は 「 他 者 に 影 響 を 与 え る こ と 」 で す 。 他 人 に そ う 感 じ さ せ 、 酷 評 し た い 気 持 ち に さ せ た と い う こ と は 、 そ の 人 は リ ー ダ ー シ ッ プ を う ま く 発 揮 で き て い な い 、 と い う こ と の 証 拠 だ と も い え ま す 。
そ れ な ら 、 ど う す れ ば い い の か 。 重 要 な の は 、「 相 手 に は そ う 見 え た 」 と い う こ と を 事 実 と し て 認 め た 上 で 、 相 手 の そ の 言 葉 を 自 分 自 身 で 「 前 向 き ・ 建 設 的 に 言 い 直 す 」 と い う 作 業 で す 。 つ ま り 、 そ の 言 葉 を 自 分 が 改 善 し て い く た め に う ま く 使 っ て い く に は ど う す れ ば い い の か を 自 分 で じ っ く り と 考 え て い く の で す 。
た と え ば 、「 お 前 の 話 、 長 す ぎ 。 ダ ラ ダ ラ と り と め な く 話 す ん じ ゃ な く て 、 ま ず 結 論 か ら 言 え よ 」 と 言 わ れ て 、 傷 つ い た と し ま す 。 こ の と き 、 相 手 が あ な た の 話 を 「 長 す ぎ 」 と 感 じ 、 不 快 に 思 っ た の は 事 実 で す 。 で は 、 相 手 に そ う 感 じ さ せ な い よ う に す る に は 、 ど う す れ ば い い の か 。
こ の ケ ー ス で は 、 実 は 相 手 が 改 善 の 方 向 を 示 し て く れ て い ま す 。 そ う で す 。 「 結 論 か ら 言 え 」 ば い い の で す 。 で は 、「 結 論 か ら 言 え る 」 よ う に な る に は 、 自 分 の 話 し 方 を ど う 改 善 し て い け ば い い の か … … こ の よ う に 、 相 手 の 言 葉 を ヒ ン ト に 、 自 分 が 改 善 で き る 部 分 を 探 り 、 そ れ を ど う 行 動 に 落 と し 込 ん で い け ば い い の か を 考 え る 、 と い う 作 業 を 行 っ て い く わ け で す 。
こ の 方 法 は 、酷 評 さ れ た と き だ け で な く 、相 手 か ら の 前 向 き の フ ィ ー ド バ ッ ク で 改 善 点 を 示 さ れ 、 落 ち 込 ん だ と き に も 活 用 で き ま す 。 い く ら 前 向 き の フ ィ ー ド バ ッ ク と は い え 、 自 分 の 行 動 や 発 言 に つ い て 、「 こ う し た ほ う が い い の で は ? 」 と 指 摘 さ れ る の は 、 正 直 、 心 地 よ い も の で は あ り ま せ ん 。
実 際 、 私 自 身 も そ う で す 。 そ う し た 言 葉 を も ら っ た と き は 、 一 瞬 、 カ チ ン と き た り し ま す 。「 相 手 か ら そ う 見 え た の は 事 実 」 と 頭 で は わ か っ て い て も 、 な か な か 気 持 ち の ほ う で は そ れ を す ん な り 受 け 入 れ ら れ な か っ た り し ま す 。
た だ 、 そ れ で 「 あ ん た に 言 わ れ た く な い 」 と 無 視 し て し ま え ば 、 な ん ら 自 分 の 改 善 に 活
いか せ ま せ ん 。 学 生 た ち の 中 に も 、 改 善 の た め の フ ィ ー ド バ ッ ク を さ れ 、「 た し か に そ う か も し れ な い 」 と 受 け 入 れ 、 改 善 に 取 り 組 も う と す る 人 た ち が い る 一 方 で 、「 こ の 人 は 、私 の 真 価 を 何 も わ か っ て い な い 」 と 、ま っ た く 自 分 を 変 え て い こ う と し な い 人 た ち も い ま す 。 そ の 場 合 、 当 然 の こ と な が ら 、 リ ー ダ ー シ ッ プ を 着 々 と 身 に つ け て い く の は 、 前 者 の 人 た ち で す 。
人 が 何 か を 学 び 成 長 し て い く と い う と き 、そ の も っ と も よ い 「 教 師 」 は 「 失
①②a
③ア
慰め
イし
ウいる
エ酷評する
オある
注1 bc
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