企業リポート
ファーマコゲノミクス(Pharmacogenomics、PGx:
ゲノム薬理学)とは、ゲノム情報を参考にして薬物 の有効性や副作用の程度に関する個人間の差異につ いて判定・予測する研究分野です。薬物に対する反 応性に関する遺伝子の発現遺伝子多型やプロファイ ルを調べることにより、個人ごとの薬物応答性の推 定が可能となります。PGx 研究の進展により、治 療成績の向上や投薬に伴うリスクの軽減など個人の 体質にあった薬物の個別化投与、即ち、「個の医療」
の実現に繋がります。「個の医療」とは、患者さん の遺伝子やタンパク質などのバイオマーカーを医薬 品の投与前に調べ、患者さん一人一人にあった医薬 品や治療法を選択する医療です。さらには新薬の臨 床試験に被験者の遺伝子多型の情報が組み込まれる など、医薬品の研究開発プロセスにも大きく影響す ることになります。ここでは、大阪大学大学院薬学 専攻科・臨床薬効解析学分野に在任中に設立した薬
効ゲノム情報(株)の活動と共に、薬効ゲノム情報 と個別化医療の現状について紹介します。
臨床薬効解析学分野におけるゲノム研究の展開:
1995 年の臨床薬効評価学寄附講座の開設以来、
心不全を中心とした従来の循環器領域の研究に加え て、薬物代謝酵素の遺伝子多型を研究主題の一つと 定め、ゲノム研究を進めてきました。この講座は、
山村雄一先生のご提案により、タウリンの臨床研究 で著者の一人が得ていた特許に対し、大正製薬から 2 億円の寄付を受けて開設され、1999 年には応用医 療薬科学専攻医療薬物科学大講座・臨床薬効解析学 分野として正規の専任分野となりました。その後、
薬物動態関連遺伝子のみならず薬物応答関連遺伝子 の研究(薬効ゲノム情報)を積極的に進めました。
具体的には、オメプラゾール、イリノテカン、イソ ニアジド、フルボキサミン、パロキセチン、ワルフ ァリン、ニコチン関連(喫煙)等の循環器領域や精 神科領域等における治療薬の応答性に関与しうる広 範な生殖細胞系の遺伝子の多型と有効性・副作用と の関連性について報告してきました。
2009 年 3 月に大阪大学を退職後、同年 4 月から 兵庫医療大学薬学部・臨床ゲノム解析学分野を担当 し、研究を継続しつつ現在に至っています。なお、
大阪大学臨床薬効解析学分野は 2009 年 10 月より藤 尾慈教授が担当し、「臨床の息吹を薬学に」を基本 理念に、循環器系疾患を中心に基礎・臨床研究が進 められ、また、臨床ゲノム解析学分野と連携した共 同研究を行っています。
薬効ゲノム情報(株)の設立とその後の展開:
薬効ゲノム情報(株)は、「遺伝子情報に基づく 個別化医療」すなわち「個の医療」の推進を目指し て、臨床薬効解析学分野で蓄積した実績とアイディ
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Pharmacogenomics and Personalized Medicine
Key Words:PGx、個の医療、SNP、薬効ゲノム情報、臨床応用
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Tsugutaka ITO
*
Junichi AZUMA
大阪大学医学部卒業(1981年)
現在、兵庫医療大学 薬学研究科 臨床 ゲノム薬理学分野 教授
(株)アスモット代表取締役社長 大阪大学名誉教授 専門は循環器内科学、
臨床薬理学 TEL:078-304-3140 E-mail:[email protected] http://www.asmott.co.jp
名古屋市立大学大学院修了(1972年)
現在、薬効ゲノム情報(株)代表取締役 社長 薬学博士 大日本製薬(株)で抗て んかん薬、消化管運動促進薬、抗アレル ギー薬等の開発に従事。専門は中枢神経 系薬理 TEL:06-6341-4627
E-mail:[email protected] http://www.pgtiptop.com/
東 純 一 * ,伊 藤 継 孝 **
薬効ゲノム情報と「個の医療」
アに基づくビジネスプランを実現するため、2002 年 10 月に大阪大学の有志を中心として設立した大 阪大学大学院薬学研究科発の最初のベンチャー企業 です。また、大阪大学起業支援機構(篠原祥哲理事 長)の支援第一号企業であり、代表取締役を岩田宙 造大阪大学名誉教授にお願いしました。遺伝子解析 を伴った臨床試験を行いながら、薬物動態関連分子 および薬物標的分子の各遺伝子多型を解析し、その 情報に基づき個々の患者さんに対して薬物応答性や 副作用の発現を予測する医薬品適正与薬が可能とな るシステムの構築を目指しました。この基本コンセ プトは、2003 年、特許「遺伝子情報に基づく医薬 品の適正使用ネットワーク」として公開しました(特 開 2003 − 196403)。実施事業は、遺伝子解析を含 む臨床試験に関するコンサルタント、遺伝子解析に 基づく医薬品等の開発技術情報の提供、遺伝子情報 データベースを用いた医薬品適正使用情報の提供、
医薬品の開発を支援し遺伝子情報が関連する臨床試 験の実施および関連する人材の育成としました。
幸いなことに、設立初期の 2003 年に大阪府産学 官共同研究振興補助金「遺伝子情報に基づく医薬品 の適正使用ネットワーク」、2004 年に中小企業・ベ ンチャー挑戦支援事業(近畿経済産業局)「肝障害 に関係する薬物応答関連遺伝子型の探索、その成果 を利用した薬物動態予測および疾患別薬物治療チッ プの開発」、2004 − 2006 年に創薬等ヒューマンサ イエンス総合研究事業「臨床薬理学的視点による薬 効ゲノム情報活用のための基盤研究」の公的補助金 を得て、また、治験実施機関からの遺伝子解析の受 託もあり、順風でした。その過程で、N- アセチル トランスフェラーゼ 2(NAT2)の遺伝子多型に基 づく抗結核薬イソニアジドの肝障害との関連性を検 討するプロスペクティブな臨床試験を実施した際に 採用した臨床試験支援・管理システムには自負し得 るものがあります。MPLS(Multi-Protocol Label Switching)技術によりセキュリティを確保した仮 想専用通信網 IP-VAN(Internet Protocol-Virtual Pri- vate Network)に基づく臨床試験ネットワークを臨 床薬効解析学分野と大阪圏 4 医療機関の間に構築し、
迅速な相互連絡と個人情報管理を行いました。さら に、特定非営利活動法人 大阪ヘルスケアネットワ ーク普及推進機構(OCHIS)の電子認証システム IC カード(PKI カード)を用い、不正アクセスや第三
者からの成りすましを防止する体制を構築しました。
ここでは関西電力(株)の協力も得ることができま した。これらにより、セキュリティを確保しつつ医 療機関から血液試料を入手、遺伝子解析を行い、患 者ごとのイソニアジド投与量を設定して 72 時間以 内に医療機関に伝達することが可能となりました。
ただし、このネットワークシステムは高い維持費が 難点でした。
2005 年 10 月から、薬効ゲノム情報(株)代表取 締役に伊藤継孝(元大日本製薬)が就任し、継続し て遺伝子解析業務を受託すると共に、2007 − 2009 年にヒューマンサイエンス振興財団・政策創薬総合 研究事業「ファーマコゲノミクス情報に基づいた医 薬品の有効性及び安全性評価系の開発と医薬品開発 への応用」と 2009 − 2011 年に厚生労働省科学研究 事業「禁煙関連疾患予防法の再評価と効果的な禁煙 指導法の確立と普及のための多施設共同臨床支援」
プロジェクトの事務局支援を実施しました。これら の成果は、複数の特許として申請しました。この間、
東芝(株)、続いて富士フィルム(株)との共同研究 を通じて遺伝子多型解析機器の開発を目指し、プロ トタイプは完成しましたが、何れの計画も各企業の 方針変更に伴い頓挫してしまいました。
現在、我が国では薬効ゲノム情報に基づく「個の 医療」は必ずしも当初の期待ほどには広まってはい ませんが、ようやく、がん関連遺伝子変化の解析や 分子標的薬の同定を目指す企業が台頭してきました。
分子標的薬とは基本的にはタンパク質を制御する薬 剤で、低分子化合物から抗体タンパク質まで幅広い 製剤が考えられます。当初、がん遺伝子やがん抑制 遺伝子についての細胞増殖関連のシグナル伝達系の 研究から得られたもので、体細胞のゲノム研究の成 果という意味では「個別化医療」そのものです。我 が国でも、昨年、コンパニオン診断薬と新薬の同時 期承認が実現しました。現時点では、分子標的薬と しては抗がん剤が主ですが、抗ウイルス剤や抗ぜん そく薬などでも開発が進められています。
なお、薬効ゲノム情報(株)は、(株)綜合臨床ホ ールディングスと共同出資し、2007 年 6 月に治験 施設支援機関(Site Management Organization:SMO)
である(株)アスモットを設立しました。蓄積して きた治験・臨床研究に関わる知識・経験・技術情報 を生かし、関西圏における治験環境を整備・充実し、
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生 産 と 技 術 第65巻 第2号(2013)
質の高い治験・臨床研究を進め、その展開線上で、
個別化医療を目指した遺伝子解析に基づく治験・臨 床研究を実施し、医薬品の個別化適正医療を実現す ることを目標として掲げ活動を始めました。薬効ゲ ノム情報(株)の事業のうち、治験・臨床研究支援 業務を具現化するもので、最近、SMO として近畿 地区を中心に広く医療施設との提携を進めています。
薬効ゲノム情報と臨床応用:
ハーセプチン、グリベックなど抗がん剤領域では、
既に宿主および腫瘍細胞の体細胞系遺伝子診断に基 づく個別化医療が始まっています。生殖細胞系の遺 伝子判定に基づく多くの医薬品による「個の医療」
としては、我が国ではイリノテカンの抱合代謝酵素 UGT1A1 の遺伝子多型判定が認可されましたが、
多くは未だ検討段階にあり、日常診療での応用の可 能性が取り上げられている薬剤も議論の渦中にある のが現状です。FDA は、薬剤反応性に影響する遺 伝子多型情報として、イリノテカン、メルカプトプリ ン、クロピドグレル、アトモキセチン、ワルファリ ン、カルバマゼピンおよびトラスツズマブ、セツキ シマブなどに関し、薬物代謝または薬効に関与する 遺伝子である UGT1A1、TPMP、CYP2C19、CYP2D6、
CYP2C9/VKORC1、HLA などの遺伝子多型の影響 や HER2、EGFR、KRAS 遺伝子変化解析に基づく 用法用量設定の推奨をこれらの添付文書に追記しま した。我が国でもこれらの流れに追従する対応がと られ、個別化医療が加速すると期待されます。
昨年には我が国でも、コンパニオン診断薬と新薬 の同時承認(実際は診断薬の先行承認)が実現しま した。抗体医薬「ポテリジオ」および肺がんの標的 薬「ザーコリ」とそれらのコンパニオン診断薬です。
前者は CCR 陽性成人 T 細胞白血病リンパ腫を適応 とする抗 CCR4 抗体モガリツズマブ、後者は日本発 の肺がんにおける ALK 融合遺伝子同定を背景に開 発された ALK キナーゼ阻害剤クリゾチニブで進行 性非小細胞肺がんが適応疾患です。さらに昨年には、
ヒトゲノムのシーケンス費用が 1000 ドルを切り、
「1000 ドルゲノム」解析が実現しました。しかし、
膨大なヒトゲノム情報を臨床現場に還元するには、
核酸塩基配列多型を臨床情報(薬効ゲノム情報)へ コンバートする必要があり、確かな臨床試験と膨大 な情報処理が不可欠です。
終わりに: