〔資 料〕
妙幢淨慧撰『戒法隨身
G
五戒章中』
『懴悔通用』翻刻と解題(二)
藤谷厚生
・
大久保美玲
・
関口靜雄
【解 題】 五戒受持の意義と解釈的特徴について 『戒 法 随 身 記』 (中 巻) は、五 戒 章 と な っ て い る。こ の 五 戒 と は、い わ ゆ る在家の優婆塞、優婆夷が守るべき、殺生戒、偸盗戒、邪淫戒、妄語戒、 飲 酒 戒 の 五 つ の 戒 相 を さ す。こ の 中 巻 で は、妙 幢 律 師 自 身 が そ の 序 文 に 「此 ご ろ 信 男 信 女 あ つ て。三 帰 Y ハ 五 戒 八 齋 戒 等 を 受 ぬ。然 れ ど も 其 持 犯 をしらずして。動もすればこれを犯ぜんとし。又ハ邪見の人にいひ破らる。 こ れ に 依 て。謹 I 教 の 要 文 を 取 て。略 五 戒 の 相 を 弁 ず。 」と 記 し て い る よ うに、五戒を護持することの意義やその効果や功徳、さらに五戒を破り犯 す罪過による障礙などを、多くの聖教から典拠引用して要文を挙げて教説 しているのである。以下、各節についてその特徴をここでは述べてみたい。 ま ず、 「五 戒 章 の 序」で は、そ の 冒 頭 に「夫 U に 五 星 あ り。地 に 五 岳 あ り。 (中 略) 皆 是 五 数 を も つ て 成 ず。 (中 略) 故 に 儒 ハ 是 理 を ゝ し て 。 五 常 と K 。釋 ハ 其 源 に 達 し て 。 五 戒 を あ ら は す。 (後 略) 」と 述 べ る 訳 で あ る が、 すでに前回の上巻 ・ 三帰章で論語に説かれる「三畏」を仏教の「三帰戒」 に対照していることは述べたが、ここでも儒教の五常と仏教の五戒は相対 するものであると説き、仏儒一致の立場によって五戒を説明し唱導してい る点は重要と言えよう。 (五戒と五常の相関) 殺生戒 ― 仁 偸盗戒 ― 義 邪淫戒 ― 礼 妄語戒 ― 信 飲酒戒 ― 智 このように儒教理念を肯定しながら、むしろそれに対応するものとして、 仏 教 の 戒 律 論 (理 念) を 解 釈 し て 位 置 づ け 主 張 し て い る 点 に、従 来 に 見 ら れない律師独自の戒律解釈の特色が見受けられる。勿論、これは当時の幕 藩体制下での儒教倫理の普及に相乗して、大衆が理解し易いよう戒律の普 及を意図した律師の工夫でもあると言えよう。 また、この序文には「然るに今。 Y ハ此理に昏して。身にハ殺生偸盗邪 婬をおかし。口にハ。妄語綺語 C 口两舌を。なしいまゝにし。意にハ貪慾 嗔恚愚癡を起し。罪 C 破戒の輩となる。只戒を持たざるのミにあらず。却 て こ れ を 誹 破 る。吁 愚 哉。 」と 律 師 は 述 べ て、身 口 意 の 三 業 を 通 し て、大 衆が日常に十不善の悪業を為して、因果の道理に暗く迷っていることを歎 くのであるが、ここには明らかに五戒のみならず、更なる十善戒の護持の 重要性が強調示唆されている。実はこの一件には『戒法随身記』に続いて 後に律師が著すこととなる『十善戒法論』の著述への伏線が、ここに明確 に見受けられる訳でもある。 さ ら に、序 文 末 に「 予 淺 識 愚 昧 に し て。佛 祖 の 遺 教 を。さ う な く 假 名 に 飜 ず る こ と。そ の 誤 あ ら ん 亊。を そ れ な き に あ ら ず。 (中 略) 然 れ ど も。 𫝑 た ま 〳〵 や む こ と あ た は ず。ミ だ り に こ れ を 述 而 己。 」と 記 し て、経 文 を仮名で邦訳することに律師自身、忸怩たる念があることを仄めかしてい る が、一 方 で「然 れ ど も。𫝑 た ま 〳〵 や む こ と あ た は ず」と 言 っ て 時 代 的 な趨勢が、まさに大衆をして戒法をもって身に随わせる要請の状況下にあ 学苑 第九六〇号 四三〜八一 (二〇二〇 ・ 一〇)ることをここに明示するのである。 先述したように、この頃は幕藩体制下で所謂「生類憐み」の政策が推進 さ れ た 時 流 に あ り、こ の『戒 法 随 身 記』が 著 さ れ た 貞 享 三 年 (一 六 八 六) は、実は「生類憐み」という言葉が、歴史文献の中ではじめて用語として 登 場 し た と さ れ る 歳 で あ り (根 崎、二 〇 〇 五 年) 、こ の「生 類 憐 み」の 時 代 的風潮に相乗して、戒律護持の思想の大衆への普及 (仮名による解説本) 促 進が律師によって企図されたことがよく覗える。この事は、特に序文に続 く「殺生戒の亊 附食肉の科の事 」にも明確に示されている。 「一 殺 生 戒 の 亊 附 食 肉 の 科 の 事 」で は、冒 頭 で「夫 殺 生 戒 と い つ ぱ。一 切 の 生 類 を こ ろ さ ゞ る を 云。又 人 に を し へ て も。殺 さ し め ず。 」と、さ ら に「諸佛 z m の衆生を憐給ふ事。至ずといふことなし。誰か慈恩を B ぜざ ら ん や。 」と 述 べ て、生 類 に 憐 れ み を か け て 殺 生 を し な い の は、菩 薩 の 慈 悲心であり、仏道を修行する者は、この慈悲心を保って不殺生を守ること が強調されている。特に、ここでは不殺生のみならず、入楞伽経などを引 用して肉食をすることによる災難が述べられ、肉食をすることは親の肉を 食することと同等であり、苦業を増長して生死に流転して解脱できない事 など、肉食による十種の罪科があることが力説されている。特に、大乗の 律典などでは殺生を諫め、涅槃経、往生要集などの要文を挙げて、殺生を 行う者が地獄に堕ちて様々な苦悩を受けること、また不殺生を護持するこ とにより長寿を得る功徳があることなど、かなりの紙数を割いて詳説され ている事が、その特徴と言えよう。また、どうしても肉食をする時には、 『文 殊 師 利 問 経』 (大 正 大 蔵 経 第 一 四 巻 ・ 四 九 二 頁 下 段) な ど に 所 載 さ れ て い る噉肉陀羅尼を三唱して食すことを説くなど、便法も挙げているところに 実用的な側面も見られる。章末に「就中殺生戒ハ。儒者の五常にてハ仁の 道 也。 (中 略) こ れ あ に 慈 悲 心 に あ ら ず や。 (中 略) 儒 な ん ぞ 殺 生 を こ の ま んや。况や一 Q 衆生の y 毋たる。佛とならんとほつするものにをいてをや。 (後 略) 」と 述 べ て、殺 生 戒 は 儒 教 で は「仁 の 道」で あ り、仏 教 で 説 か れ る ところの「慈悲心」の実践でもあり、儒教でも殺生は好まぬのであるから、 まして仏と成るべき仏教者は当然守るべきものであると強く唱えている。 「二 偸盗戒の㕝」では、 「夫偸盗戒といつぱ.一さい盗をなさゞる也一 針一草までも。人のゆるしなきにハ 。 とるべからず。况や餘の戝寳等にを い て を や。就 中 三 寳 の 物 を 盗 た る 科。偏 に 重 し。 」と 述 べ、所 有 者 の 許 し なき物をとることは偸盗罪に当たることは勿論であるが、興味深いことは 仏 法 僧 の 三 宝 の 物 (仏 事 に 随 伴 す る も の) を 盗 む こ と は 重 罪 で あ る と 強 調 し ている点である。元和偃武の世から半世紀が過ぎ、幕藩体制下の安定期に 差し掛かった貞享の頃ではあるが、この少し前には延宝の飢饉などもあり、 未だ道徳倫理が敷衍した時期ではなかったのであり、それ故仏教倫理とし て の 偸 盗 戒 が こ こ に 明 確 に 提 唱 さ れ て い る。ま た、 「僧 と し て 人 に 施 バ。 ま づ 十 方 の 三 寳 に 供 羪 し。そ の ゝ ち 施 あ た ふ べ き 亊 勿 論 な り 又 三 寳 物 を 借てかへさゞるハ。大なる科なり。又人佛へ物を献ぜば。佛の亊になし。 I 法にさゝげば。 I 法の事に用。僧へ施にハ。僧へ引。施主の心に隨べし。 M 我まゝに T 别なく用ゐるハ。是三寳の理に違。施主の心にかなはず。 E を 互 用 罪 と て 科 と す」と あ る よ う に、こ こ で は 明 ら か に 出 家 者 (僧 侶) に ついての布施のあり方と三宝に対して、在家施主からの施物は、仏事に対 しての場合は仏事に用い、経法に対しての場合は経法に、さらに僧へ施さ れたものは僧へと用いられるべき事が強調せられ、施主の意に適わぬ使用 は、律に於ける互用罪になるとして強く誡めている。この互用罪という言 葉 は、 『梵 網 経 菩 薩 戒 本 疏』や『四 分 律 行 事 鈔』な ど の 中 に 見 ら れ る 戒 律 用 語 で あ る が、特 に『黄 檗 清 規』 (大 正 大 蔵 経 第 八 二 巻 ・ 七 六 九 頁 上 段) に も 互 用 罪 の 記 述 は 見 ら れ る。前 回 (上 巻) の 解 題 で、こ の『戒 法 随 身 記』は 安居結制での戒律の講義内容であるとの見解を示したが、在家の五戒の護 持のみならず出家者に対するこのような内容が、本典籍中には所々で見ら れ る こ と が、正 に そ の 根 拠 と し て あ げ ら れ よ う。ま た、 『正 法 念 処 経』な ど を 典 拠 と し て、 「人 の か く せ る 狀 文 な ど。ひ そ か に 開 て 見 る ハ 科 な る べ し。人 の 密 事 を も ら し し る。よ ろ し か ら ざ る 亊 也。 」と 述 べ、他 人 の 隠 し た書状文面や秘密の事を漏らすのも偸盗に当たると戒めている。
「三 邪 A 戒の亊」では、 「出家の戒ハ一 Q 不犯なれば。不 A 戒とす。在 家の五戒ハ。夫婦の外を邪婬とす。たとひ夫婦たりといへども。あるひハ 堂塔佛ぼさつの間。師僧 y 毋のつねにゐるところ又は日⺼ともしびのあき ら か な る 處 を。非 處 と 名 づ け て。婬 を 行 ず べ か ら ず こ れ 利 渉 の 䟽 の 説 な り。 (後 略) 」と 述 べ、出 家 は 不 犯 不 淫 で あ り、在 家 は 夫 婦 以 外 の 関 係 を 邪 淫 と 見 な す と し て い る。ま た、夫 婦 の 間 で の 交 渉 で あ っ て も、非 処 (淫 事 を 行 っ て は な ら ぬ 場 所) や 非 時 (淫 事 を 行 っ て は な ら ぬ 時 節) を 弁 え る べ き と される。 ところで、ここでは非処をやかましく規定している訳であるが、これは 利渉の䟽の説であるとしている。利渉とは玄奘に師事した大安国寺利渉の こ と で、 「利 渉 の 䟽」と は 恐 ら く は 利 渉 撰 述 の『梵 網 経 疏』 (三 巻) の 事 で あろう。今日この利渉の梵網経疏は散失して見ることはできないが、凝然 述 の『梵 網 戒 本 疏 日 珠 鈔』の 第 二 一 巻「第 三 淫 戒」の 箇 所 (大 正 大 蔵 経 第 六 二 巻 ・ 一 一 四 頁 上 段) に 利 渉 説 に よ る 出 家 は 不 淫、在 家 は 邪 淫、非 時、 非処についての事が詳説されているので、妙幢律師はこの書を見た上で、 ここの条を記述しているものと推察される。 「四 妄語戒の事」では、 「夫妄語といつぱ。見ざることを見たりといひ。 見 た る 事 を 見 ず と い へ る 類 也。又 ハ た く ミ て 偽 を 搆 人 を 誑 等。大 な る 科 也。 」と 述 べ、嘘 い つ わ り を 言 い 人 を 騙 す こ と が 妄 語 で あ る と さ れ る。特 に、 「さ と ら ず し て さ と り た り と い ひ。安 心 了 解 せ ず し て.し か も し た り と い ふ の た ぐ ひ。是 増 上 慢 に し て。大 妄 語 な り。 」と 述 べ て、悟 っ て い な いのにも拘わらず、悟ったと偽りを言うことは、増上慢であり最も罪の重 い大妄語であるとしている。また「云妄語十の罪あり。一にハ口の息くさ く な り。二 に ハ 善 神 こ れ に 遠 ざ か り。 C 邪 た よ り を う る。 (後 略) 」な ど と 述 べ て、 『大 智 度 論』 (大 正 大 蔵 経 第 二 五 巻 ・ 一 五 八 頁 上 段) に 説 か れ る 妄 語 による十罪があげられ、ここでは妄語による十種の罪障が強調されている。 特にこのあと、 「又綺語 C 口两舌も.妄語の類なり。 」と述べて、十悪業で ある綺語、悪口、両舌も妄語に摂されるとして、紙数を割いてこれらの綺 語、悪口、両舌の内容が詳説されているのであるが、この件はまさに後に 妙幢律師によって著される『十善戒法論』への伏線的解説と見てもよいで あろう。 「五 飲酒戒の亊」では、冒頭「一 Q の酒をのむべからず。梵網 I に云. 酒の過失を生ずること無量也. M 自身の手より.酒の噐をわたして人にあ たへてのましめば。五百世手なからん。いかに况自飮をや。按ずるに發 s に 云。 (後 略) 」と 述 べ、こ の 他 者 に 自 身 の 手 で 酒 を 注 い で 飲 ま せ る と 後 世 に 手 が な く な る と の 因 縁 話 は、実 は『梵 網 経』 (大 正 大 蔵 経 第 二 四 巻 ・ 一 〇 〇 五 頁 中 段) に 説 か れ る も の で あ る が、こ こ で 興 味 深 い の は こ こ で の 件 を 「発 隠」を 引 拠 と し て 解 説 し て い る こ と で あ る。こ の「発 隠」と は 明 の 雲 棲 袾 宏 (一 五 三 五 〜 一 六 一 五) が 著 し た 天 台 智 顗 の『菩 薩 戒 経 義 疏』の 註 釈 である『菩薩戒疏発隠』を指すと考えられる。また特にこの中巻では後の 「十 一 禪 宗 戒 を 守 べ き の 事」で も 明 の 藕 益 智 旭 (一 五 九 九 〜 一 六 五 五) の 『梵 室 偶 談』か ら の 説 が 引 拠 さ れ て い る が、こ う い っ た 明 代 仏 教 界 を 代 表 する袾宏や智旭などの学匠の典籍が、日本への黄檗僧の渡来帰化により日 本僧にもいち早く熟読され、妙幢律師もそれらを引用していることは、当 時の明代仏教の影響を考える上での重要な資料になり得る。 また『未曾有経』に説かれた祇陀太子が五戒の飲酒戒を持ち難き旨を仏 陀 に 相 談 し、懺 悔 を し た 逸 話 を 引 き、 「破 戒 の 罪。さ す が 恐 け れ ば。佛 に いたり。懴悔せられけるに 。 佛つミある事なしとの給へり。これをもつて 見 る Q ハ。人 の 心 を し ら す し て。ミ だ り に 破 戒 を そ し る べ か ら ず。 」と 述 べ、破戒をしても仏前で懺悔すれば許された故事を示し、これに容認的な 意を示しながらも、一方で釈尊は「やうやくに制し給ひ。そのゝち衆生の 根 熟 せ る Q す な は ち 永 く た ち。か た く 制 し て。一 滴 も ゆ る し 給 は ず。 」と も 述 べ て、飲 酒 を 堅 く 誡 め て い る の で あ る。そ の 他、 『大 智 度 論』 (大 正 大 蔵 経 第 二 五 巻 ・ 一 五 八 頁 中 段) に 説 か れ る 酒 を 飲 む 事 に よ る 三 十 五 の 科 (過 失) を あ げ る な ど、か な り の 紙 幅 を 割 い て 飲 酒 に よ る 罪 障、悪 影 響 が こ こ には説かれている。
以 上、中 巻 で は 五 戒 の 説 戒 が 中 心 に 述 べ ら れ た あ と、 「六 五 戒 を 持 も のにハ二十五の守護神ある亊」では、五戒を護持する者には一戒に五神の 守護功徳を受け、総じて二十五神の守護により一切の災難を免れることが 説 か れ、 「七 X 受 の T 别 あ る 事」で は、五 戒 の 受 戒 に 分 受 (分 持) が あ る こ と を 説 き 示 し、 「八 戒 を 受 て ハ か た く こ れ を 守 る べ き 事」で は、梵 網経の浮囊の喩えを以て、浮き袋を破ることなく大海を渡るように、戒律 を破ることなく生死の大海を渡る意義が縷々述べられる。 また、 「九 五戒の㓛德の亊」では、 「凢五戒の㓛德。あげてのべかたし。 大 集 I に ハ。一 戒 に 十 種 の 㓛 德 を あ ら は せ り。 (中 略) た と ひ 五 戒 を た も つとも。人天の果をもとむべからず。 z 薩の心に住して近ハ淨土の k 報を 得。 r ハ佛身の果 a をえんと。発願 Y 向すべし。或ハ信心増上せば。大心 を お こ し て。菩 薩 戒 を う く べ し。 (後 略) 」と 述 べ、五 戒 受 持 の 功 徳 と し て、 死後に人天に生まれるという功徳を求めるのではなく、むしろ今世に於い て 浄 土 の 華 報 を 自 覚 す る こ と (現 世 的 功 徳) や 仏 果 (成 仏) を 願 い 求 め る こ とが説かれ、五戒より更なる菩薩戒の受戒が勧められている点は極めて重 要と言える。特にここに見られる現世的浄土観は、所謂黄檗宗的な唯心浄 土観 (隠元門下の浄土観) と大きく関係するのであろうが、この点の思想的 な考証や論攷も未だ見ることなく今後の研究に期待したい。 「十 業 罪 制 罪 の 了 簡 の 事」で は、大 凡 衆 生 が 作 る 罪 に は 二 種 あ り、自 ら 悪 業 を 作 る を「業 罪」 、破 戒 に よ る 罪 を「制 罪」と 定 義 づ け、特 に 律 で は制罪に対しての懺悔法のある事を示してこの意義を詳説している。また、 元照律師の『芝苑遺編』や新羅の太賢の『菩薩戒本宗要』などを引証とし て、一度受戒すればたとえ破戒の科により悪道に堕ちても、その因縁は朽 ちずまた復戒し、解脱の機会が到来する可能性を示し、所謂戒を受ける因 縁 は「永 不 失」と す る 戒 体 説 (心 法 戒 体) な ど を こ こ に 論 じ、さ ら に 菩 提 心の重要性を強調する点が特徴的である。 さらに、 「十一 禪宗戒を守べきの事」では、 「或曰禪宗ハ見性をもとゝ す 。 あ に 戒 に か ゝ は る べ け ん や 。 戒 を う く る ハ 。 却 て 縛 せ ら る ゝ に あ ら ず や 。 こたへて云。しからず。蓋夫戒定慧の三學ハ。佛祖の通教にして。大小乗 こ れ に よ ら ず と い ふ 亊 な し。 (中 略) 智 旭 の 梵 室 偶 談 に 云。古 の 参 禪 の 人 ハ。増上の要行なり。今の参禅のものハ。戒をすつるの别名。教をそしる の 途 轍 な り と い へ り。誠 に つ ゝ し む べ し。 」と 述 べ、特 に 明 の 智 旭 の 説 を 用いて、三学は仏教の基本であり、当時の禅宗の戒律軽視の傾向を暗に批 判し、禅宗でも戒を本として定慧へと進むべきであると力説するのである。 ま た「十 二 淨 圡 宗 戒 を 持 べ き の 事」で は、 「問 云。 W 佛 の 行 者。戒 を 持 ハ 雜 行 に あ ら す や。答 な ん そ れ ぞ 雜 行 な ら ん。 (中 略) 本 願 を 信 ず る も の ハ。破 戒 を か へ り 見 る べ か ら ず と い ふ の 儀 ハ。是 附 佛 法 の 外 道。外 に 求 べ か ら ず。近 來 W 佛 の U 魔 競 來 り て。か く の ご と き の 誑 J を い だ す。 (中 略) 善 導 大 師 の 觀 W 法 門 に 云。淨 圡 に 生 ぜ ん と お も は ゞ。た ゞ す べ か らく戒を持て 。 W 佛すべし。戒行專精ければ。諸佛讃し給ふとの給へり。 (後 略) 」と 述 べ、戒 は 決 し て 雑 行 で は な く、往 生 の 助 業 で あ る こ と を 力 説 し、善導大師や法然上人の例を出して、持戒念仏の正当性をここに主張し ている。 ところで浄土宗 ・ 東山専念寺の隆円が編著した「妙幢和尚略伝」には、 「か く て 仏 法 の 寿 は、毘 尼 の 存 す る に あ り と て、正 明 寺、寂 門 律 師 に 依 止 して、もつぱら律儀を薫錬す。又出離の要路、浄土の一門に過ずとて、洛 東忍澂上人に謁して、本願念仏の要儀を聞けり。禅を宗とすといへども、 学ひろく内外にいたり、あまねく諸宗に通達し、乗戒倶急にして、正法を 任 持 す。真 に 末 世 の 妙 法 幢 と い ふ べ し。 」と あ り、妙 幢 律 師 が 浄 土 宗 の 忍 澂上人に相い謁えて、 「本願念仏の要儀」を聞いたことが述べられている。 この忍澂上人とは、神鳳寺第二世の快円律師から菩薩戒を受けるなど、極 めて持戒堅固な律僧であり、その影響のもと門下には霊潭律師、敬首律師 が輩出し、江戸時代の浄土律の流れを興さしめたのであった。妙幢律師の ここに見られる持戒念仏の正当性の主張も、勿論忍澂上人の影響によるも のであることが大いに考えられる。なお律師が忍澂上人に「本願念仏の要 儀」を聞法して交流したのは、忍澂上人に関する資料を精査すれば今後明
確 に な る で あ ろ う が、恐 ら く は 妙 幢 律 師 が 寂 門 律 師 に 依 止 し た 延 宝 八 年 (一 六 八 〇) 頃 か ら 近 江 小 松 寺 に 住 す る 貞 享 元 年 (一 六 八 四) 頃 で あ ろ う と 推測される。 最後に「十三 破戒無戒の徃生の㕝」では、前節では往生する要因とし ての持戒が力説されたが、ここでは「然ば破戒無戒のものハ。徃生すべか ら ざ る か。答 て 云。我 破 戒 無 戒 徃 生 せ じ と い ふ に ハ あ ら ず。 (後 略) 」と 答 弁 し て、破 戒 無 戒 の 者 も 心 を 翻 し て 一 向 に 念 仏 す れ ば 往 生 す る こ と を、 様々な経疏の引証を用いて説述するのである。ここにはむしろ妙幢律師独 特の往生観が見受けられる感がするが、ここでの主眼は「いはゆる破戒も 徃生すと信じて。一戒をも破らざれ。破戒なを生ず。いかにいはんや持戒 をや。破戒も生ずと信ずる。是を他力の信と号す。格外の法門即淨圡の别 意なり。一戒をもやぶらざる。是を因果の信となづく。諸宗の法用。即佛 家 の 通 䡄 な り。 」と 述 べ ら れ る よ う に、破 戒 さ え も 往 生 で き る の で あ る か ら、持戒の者は必ず往生できるのであり、これを「他力の信」とし、さら に助業である戒を破らず護持することを「因果の信」とよび、持戒こそは 仏教の諸宗派に共通の軌則であると判ずることにあると言えよう。末尾に 「冀 ハ 宗 門 の 善 知 識 に 因 て。委 こ れ を 决 擇 せ ん 事 を」と 述 べ て、律 師 は 極 めて通仏教的立場で自説を述べたことを明確にしてこの中巻 ・ 五戒章を終 えている。 (藤谷) [参考文献] ◦ 「生 類 憐 み 政 策 の 成 立 に 関 す る 一 考 察」根 崎 光 男[ 『人 間 環 境 論 集』 5( 1)・ 法政大学人間環境学会 ・ 二〇〇五年三月]所収 ◦ 「智 旭 の 戒 律 思 想」岩 城 英 規[ 『天 台 学 報』四 〇 号 ・ 天 台 学 会 ・ 一 九 九 八 年 十 一月]所収 ◦ 「黄 檗 僧 妙 幢 浄 慧 と そ の 戒 律 論 書 に つ い て」拙 稿[ 『四 天 王 寺 大 学 紀 要』人 文 社会学部第五〇号 ・ 二〇一〇年九月]所載 『戒法隨身 G 』(中)の見返しに旧蔵者の書き込有。 日用心法抄 ニ 曰 多食に五 ツ の苦ミあり 一ツにハ 大便の数多く 二ツにハ 小便の数多く 三ツにハ 睡 すい 眠 めん を ね む る 増 四ツにハ 身重くして修行に怠る 五ツにハ 食消化せすして心持 よろしからす
〔解 題〕 『戒法随身記』における引用典籍について(中) 『戒 法 随 身 記』は、上 巻「三 帰」 、中 巻「五 戒」 、下 巻「八 斎 戒」に つ い て、上 巻 序 に「其 レ 綴 ル 二 ヿ ハ 之 ヲ 和 語 ニ 一 者。本 ト 爲 ニ R ス レ バ ナ リ 童 蒙 ノ 一 也。 」と あ り、 中巻序に「優婆塞優婆夷の忘を補はんとするの心也」とあるように、子供 や在家信者にも分かりやすく「和語」で説いた戒法の入門書である。妙幢 淨慧 ( 〜 一七二五) が撰述し、貞享四年 (一六八七) 正月に刊行された。 前回、上巻について内容を調査した結果、次のようなことが分かった。 上巻は、 『梵網経』 『優婆塞戒経』などの基本的な戒律経典、 『十輪経』 『阿 弥 陀 経』 『華 厳 経』な ど の 著 名 な 大 乗 経 典、そ し て『釈 氏 要 覧』 『法 苑 珠 林』といった仏教入門書からの引用により、三帰の重要性について解説し ている。なかでも特徴的なのは、 『釈氏要覧』 『法苑珠林』からの引用に多 く の 紙 幅 を 割 い て い る 点 で あ る。具 体 的 に は、 「三 宝」す な わ ち「仏」 「法」 「僧」の字釈など、主に用語解説に関しては『釈氏要覧』からの引用、 三帰を敬う理由や三帰受法の具体的方法については『法苑珠林』からの引 用 で 詳 細 に 解 説 し て い る。 『釈 氏 要 覧』は 宋 の 道 誠 の 著 で 天 禧 三 年 (一 〇 一 九) に 成 立 し た 仏 教 初 学 者 の た め の 入 門 書 で あ る。仏 教 文 献 中 に 現 れ る 用 語 や 歴 史 上 の 出 来 事 な ど に つ い て 注 解 し て い る。 『法 苑 珠 林』は 唐 の 道 世 の 著 で 総 章 元 年 (六 六 八) に 成 立 し た 現 代 で 言 う 仏 教 百 科 事 典 で、数 多 の聖教 ・ 典籍の引用などにより仏教の思想や事柄について解説している。 いずれも宗旨に関係なく、初学者が仏教の基礎を学ぶことができる入門書 で あ り、 『戒 法 随 身 記』が こ れ ら の 引 用 を 中 心 と し て 成 り 立 っ て い る こ と からも、子供や在家信者にも分かりやすく表したいという淨慧の意図が見 て取れる。 ※ 今回翻刻を掲載する中巻は、上巻と同様多くの聖教 ・ 典籍からの引用に より「五戒」について解説している。中巻の特徴を三点挙げると、一つは、 『論 語』や『礼 記』な ど、上 巻 本 文 で は 見 ら れ な か っ た 儒 教 関 係 典 籍 か ら の引用がいくつか見られる点である。儒教での五常が、仏教の五戒にあた るとし、儒教でも五常が重要とされていることを紹介することで、仏教に おける五戒の重要性を強調している。特徴の二つ目は、禅宗 ・ 浄土宗にお ける五戒の重要性に焦点を絞り、一章ずつを割いて解説している点である。 禅宗 ・ 浄土宗それぞれに関わりが深い聖教 ・ 典籍からの引用をもって、五 戒 を 保 つ こ と の 重 要 性 を 説 い て い る。 「妙 幢 和 尚 略 伝 1 」に よ る と 淨 慧 は 「宝山頂和尚を拝して、剃髪受戒」し、 「鉄眼光和尚に随うて、楞厳、維摩、 法 華 の 三 経 を 研 究 し」 、さ ら に「出 離 の 要 路、浄 土 の 一 門 に 過 ず と て、洛 東忍澂上人に謁して、本願念仏の要義を聞けり」とある。禅宗のひとつで ある黄檗宗下で学びつつ、浄土宗の忍澂と交流があった淨慧は、当時の各 宗派における風紀の乱れを目の当たりにし、その状況に対する深い憂慮の 念を抱いていたと考えられる。例えば「十一 禪宗戒を守べきの事」にあ る「 今 いま 或 あるひ ハ 戒 かい を う く る 人 ひと も。 動 やゝもすれ バ 邪 じやけんを 見 を こ し。 破 は 戒 かい し て 云 いはく 。な ん ぞ 戒 かい に 縳 ばく せ ら れ ん と。 此 これ 等 ら の 人 ひと ハ い ふ に た ら ず。 佛 ぶつ 法 ほう の 中 なか の 賊 ぬすびと な り。 我 われ と 地 ぢ 獄 ごく に 入 いる 亊 こと 。ひ と へ に か な し む べ き 哉 かな 。」 (中 33オ ・ ウ) な ど の 文 面 か ら は、 仏教界の現状に対する淨慧の嘆きや憤りが感じられる。中巻の特徴の三つ 目としては、上巻と同様に『法苑珠林』からの引用が多く見られる点であ る。引用に当たっては『法苑珠林』から引いている旨を明記している場合 もあるが、上巻に等しく、大部分は引用文を調査することで『法苑珠林』 が引用元であることが判明した。中巻における引用典籍の調査については、 以下に詳しく報告する。 ※ 中巻における引用典籍について、上巻の解題と同様の調査を行った。ま ず、中 巻 で 引 用 さ れ て い る 聖 教 ・ 典 籍 の 書 目 を 一 覧 し た [ 56頁 表 1参 照] 。 その数、八十八件であった。それらを調べてみる と 2 、上巻と同様、引用書 目のほとんどは「大正新脩大蔵経」に所載されているが、未所載の書目が 二 十 二 件 あ る。そ の う ち 五 件 す な わ ち「 20孟 子」 「 21孔 子 の 弟 子 の 髙 柴」 「 31論 語」 「 36禮 記」 「 58程 伊 川」は 儒 教 関 係 の 人 物 名 も し く は 典 籍 で あ っ た。ま た 八 件 す な わ ち「 24唯 識 竝 訣 論」 「 29摩 德 勒 伽 論」 「 34提 謂 經」 「 65
優 鉢 羅 蕐 比 丘 尼 本 生 經」は『法 苑 珠 林』に、 「 32利 渉 の 䟽」は『梵 網 戒 本 疏日珠鈔』に、 「 68達磨尊者」は『禪源諸詮集都序』に、 「 73法然上人傳記」 「 76淨土集要」はそれぞれ『九巻伝』 『西宗要』として『浄土宗全書』に見 えた。しかし残る九件 「 19金璧」 「 50明慧上人の傳」 「 52大蔵一覧」 「 63芝苑 遺編」 「 67智旭の梵室偶談」 「 71繪詩傳」 「 74弘法大師の遺誡」 「 75一向宗の おしへ」 「 83淨土晨鐘」は、淨慧の引用したテキストが明らかではない。 次に、中巻に登場する引用文が、示されている聖教 ・ 典籍の中に存在す るかどうか、つまり示されている通りの聖教 ・ 典籍から引用されているの か ど う か を 調 査 し た 3 。そ の 結 果、 『梵 網 経』 『優 婆 塞 戒 経』 『受 十 善 戒 経』 などの基本的な戒律経典、 『菩薩戒義疏』 『梵網経古迹記』などの戒律注釈 書、 『觀 経』 『楞 厳 経』 『十 輪 経』な ど の 著 名 な 大 乗 経 典、 『法 苑 珠 林 4 』や 『往 生 要 集 5 』、 『善 悪 因 果 経 6 』の よ う な 和 刻 本 や 版 本 が 当 時 広 く 出 回 っ て い たものに関しては、書目と内容が一致することが認められた。また、禅宗 と 浄 土 宗 に お け る 戒 律 の 重 要 性 を 説 い て い る「十 一 禪 宗 戒 を 守 べ き の 事」 「十 二 淨 圡 宗 戒 を 持 べ き の 事 附 戒 ハ 諸 宗 の 通 䡄 の 事 」「十 三 破 戒 無 戒の徃生の㕝」に登場する聖教 ・ 典籍の大部分に関しても、書目と内容が 一致することが確認できた。一方、それ以外の多くは淨慧が明記している 聖 教 ・ 典 籍 か ら で は な く、 『法 苑 珠 林』か ら 引 用 し て い る 可 能 性 が 高 い こ と が 分 か っ た。特 に『法 苑 珠 林』と 一 致 す る 内 容 は、 「一 殺 生 戒 の 亊 附 食 肉 の 科 の 事 」か ら「九 五 戒 の 㓛 德 の 亊 附 發 願 廽 向 の 事 」を 通 し て 多 く の 部分で認められた [ 55頁表 2参照] 。 例 え ば「一 殺 生 戒 の 亊 附 食 肉 の 科 の 事 」で 引 用 さ れ て い る 聖 教 ・ 典 籍 名 (儒 教 関 係 は 除 く) と、調 査 の 結 果 引 用 文 と 一 致 す る 内 容 が 確 認 で き た テキスト名は次の通りである。 〇「入楞伽経」 ― 『入楞伽経』 、『 法苑珠林 』酒肉篇食肉部、 『諸経要集』 「鼻奈耶律」 ― 『 法苑珠林 』果報編引證部、 『諸経要集』 ※『鼻 奈 耶 律』に も あ る が『法 苑 珠 林』 『諸 経 要 集』の 方 が より内容が近い ◎「楞厳経」 ― 『大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經』 「鴦掘魔経」 ― 『 法苑珠林 』酒肉篇食肉部 「文殊問経」 ― 『 法苑珠林 』酒肉篇食肉部、 『諸経要集』 、『梵網経古迹 記』 、『梵網戒本疏日珠鈔』 ※『 文 殊 師 利 問 經 』 に も あ る が 上 記 四 件 の 方 が よ り 内 容 が 近 い ◎「五燈會元の第二」 ― 『景徳傳燈録』 「律」 ― 一致するテキストみあたらず ◎「倶舎論」 ― 『倶舍論頌疏』 「楞伽経」 ― 『 法苑珠林 』酒肉篇食肉部、 『諸経要集』 〇「涅槃経」 ― 『 大 般 涅 槃 経 』、 『 法 苑 珠 林 』 酒 肉 篇 食 肉 部 、『 諸 経 要 集 』、 『梵網戒本疏日珠鈔』 〇「涅槃経」 ― 『 大 般 涅 槃 経 』、 『 法 苑 珠 林 』 酒 肉 篇 食 肉 部 、『 諸 経 要 集 』、 『梵網戒本疏日珠鈔』 ◎「往生要集」 ― 『往生要集』 〇「法苑珠林」 ― 『 法苑珠林 』酒肉篇感應縁 「雜寳藏経」 ― 『 法苑珠林 』菩薩部 救厄篇 ※『雜寶藏経』 にもあるが 『法苑珠林』 の方がより内容が近い 「金璧」 ― 『 法 苑 珠 林 』 捨 身 篇 引 證 部 に 一 致 す る テ キ ス ト が 見 ら れ たが「金璧」という書名の記載なし 「律」 ― 『摩訶僧祇律』 『十誦律』 右記の通り、第一章では十六件の聖教 ・ 典籍から引用がなされているが、 引用文と同じ内容が認められたテキストの書名と、淨慧が明記している書 名 が 一 致 す る の は 八 件 (◎ ・ 〇) で、そ の う ち『法 苑 珠 林』に 一 致 す る 内 容 が な い も の は 四 件 (◎) で あ っ た。逆 に、 『法 苑 珠 林』と 一 致 す る 内 容 の引用文は十件見られた。同じような方法で中巻全編を調査すると、引用 文 百 四 十 件 (儒 教 関 係 を 含 む) の う ち『法 苑 珠 林』に 同 じ 内 容 が 確 認 で き たものは五十五件であった。特に第一章から第九章までは、引用文八十七 件 の う ち 四 十 八 件 と、 『法 苑 珠 林』に 同 じ 内 容 が 確 認 で き る 引 用 文 が 五 割
強を占めていることが分かった。つまり、上巻と同様に、中巻も多くの引 用文が『法苑珠林』から引かれている可能性が高いと考えられる。上巻と 異 な る 点 は、い く つ か の 引 用 文 を 連 ね る 際、 『法 苑 珠 林』に 記 述 さ れ て い る通りの順番と内容をそのまま引用するという手法が上巻では見られたが、 中巻では用いられていない。中巻ではより淨慧の伝えたい内容に沿うよう に『法苑珠林』の各篇、各部から選り抜いて再編集するかのように引用し て い る。 『法 苑 珠 林』は 和 刻 本 百 二 十 巻 六 十 冊、黄 檗 版 大 蔵 経 所 収 本 も 百 二 十 巻 あ る。 「飯 を か む で。人 に あ た ふ る」 (中 巻 序) ご と く、初 学 者 で も 容易に理解できるような戒法入門書を、膨大な情報量の『法苑珠林』から 縦横無尽に引用し、編みなおしてゆく技術は、学究の人である淨慧の真骨 頂と言えよう。 ※ 今回の調査の際、 『法苑珠林』に一致する内容が見られた引用文は、 『諸 経 要 集』 『梵 網 経 古 迹 記』 『梵 網 戒 本 疏 日 珠 鈔』で も 多 く 見 ら れ た。 『諸 経 要 集』の 撰 述 者 は『法 苑 珠 林』と 同 じ 道 世 で あ り、 『法 苑 珠 林』の 方 が 淨 慧が頻繁に名を挙げ、世間にも広く流布した典籍であることから、淨慧が 参照したのは『法苑珠林』の可能性が高いと判断した。また『梵網経古迹 記』 『梵網戒本疏日珠鈔』は、 『法苑珠林』から引用している部分が多くあ るため、おのずと重なる部分が見られたと考えられる。しかし二件すなわ ち「 32利 渉 の 䟽」 「 54梵 網 の 義 寂 の 䟽」の 引 用 文 と 同 じ 内 容 の テ キ ス ト は 『梵網戒本疏日珠鈔』でのみ見られた。そこで、 『梵網戒本疏日珠鈔』につ いて少し触れたい。 『梵 網 戒 本 疏 日 珠 鈔』 (以 下『日 珠 鈔』 ) 五 十 巻 は、鎌 倉 時 代 の 華 厳 宗 の 僧 凝然大徳 (一二四〇 〜 一三二一) によって編まれた『梵網経菩薩戒本疏』 (法 蔵 撰) の 注 釈 書 で あ る。建 治 二 年 (一 二 七 六) か ら 執 筆 に と り か か り、晩 年 の 文 保 二 年 (一 三 一 八) に 完 成 し た 約 四 十 年 間 に わ た っ て 編 ま れ た 大 著 で あ る。 『梵 網 経』の 注 釈 書 は、天 台 智 顗 (五 三 八 〜 五 九 七) の『菩 薩 戒 義 疏』を は じ め、元 暁 (六 一 七 〜 六 八 六) の『梵 網 経 菩 薩 戒 本 私 記』 『梵 網 戒 本 持 犯 要 記』 『梵 網 経 疏』 、法 蔵 (六 四 三 〜 七 一 二) の『梵 網 経 菩 薩 戒 本 疏』 、 勝 荘 (生 没 年 未 詳) の『梵 網 経 菩 薩 戒 本 述 記』 、義 寂 (六 八 一 〜 ?) の『菩 薩 戒 本 疏』 『梵 網 経 文 記』 、太 賢 (生 没 年 未 詳) の『梵 網 経 菩 薩 戒 本 宗 要』 『梵 網 経 古 迹 記』な ど 凝 然 の 時 代 ま で 数 多 の 注 釈 が な さ れ て い る。中 で も 『梵 網 経 菩 薩 戒 本 疏』を 撰 述 し た 唐 の 法 蔵 は、凝 然 が 属 す る 華 厳 宗 の 第 三 祖 で あ り、日 本 に 華 厳 宗 を 伝 え た と さ れ る 審 祥 (生 没 年 未 詳) の 師 で あ る ことから、凝然は『梵網経菩薩戒本疏』に重きを置き、注釈を行ったと考 えられる。 『日 珠 鈔』は 法 蔵 の『梵 網 経 菩 薩 戒 本 疏』の 注 釈 を、右 に 挙 げ た も の を はじめとした数々の『梵網経』注釈書からの引用で骨太のものとしている。 福士慈稔 氏 7 によると、元暁『梵網経菩薩戒本私記』 『梵網戒本持犯要記』 、 勝荘『梵網経菩薩戒本述記』 、義寂『菩薩戒本疏』 、太賢『梵網経菩薩戒本 宗 要』 『梵 網 経 古 迹 記』な ど か ら の 引 用 が 多 く 見 ら れ る と い う。ま た 小 寺 文 頴 氏 8 に よ る と、大 安 国 寺 利 渉 (生 没 年 未 詳) の『梵 網 経 疏』 (利 渉 戒 疏) は現存していないが、 『日珠鈔』で百二十三回に及ぶ引用がなされており、 利渉研究の貴重な文献となっている。小寺 氏 9 は、 利 渉 戒 疏 は 凝 然 以 前 の 学 者 が 誰 も 見 て い な い ご と く で あ っ て、凝 然 が ど う し て 利 渉 戒 疏 を 入 手 し た の か、そ の 径 路 に つ い て も 不 明 で あ つ て、文 献 学 上 で は 手 の つ け ら れ な い 利 渉 戒 疏 で は あ る が、大 安 国 寺 利 渉 の も の と し て 凝 然 が 扱 つ て い る の で、真 偽 問 題 は と も か く と し て 利 渉 研 究 に は 除 外 す る こ と の 出 来ぬ文献であろう。 と 指 摘 さ れ て い る。以 上 の よ う に、 『日 珠 鈔』は 多 く の『梵 網 経』注 釈 書 からの引用を見ることができる。 改めて『戒法随身記』中巻に目を戻すと、先に触れたとおり、中巻の引 用 文 の う ち、 「 32利 渉 の 䟽」 「 54梵 網 の 義 寂 の 䟽」が 見 ら れ る の は『日 珠 鈔』だけであった。この二つの引用文と『日珠鈔』の該当箇所を比較する。 まず、 『戒法随身記』における「 32利渉の䟽」の引用文と、 『 梵網戒本疏日
珠鈔』に一致する内容が見られた箇所を挙げる。 『戒法隨身 G 』 (中 16ウ) 三 邪 じや 婬 いん 戒 かい 第 だい 三 出 しゆつ 家 け の 戒 かい ハ 一 いつ Q さい 不 犯 ぼん な れ ば。 不 ふ 淫 いん 戒 かい と す。 在 ざい 家 け の 五 戒 かい ハ。 夫 ふう 婦 ふ の 外 ほか を 邪 じや 婬 いん と す。た と ひ 夫 ふう 婦 ふ た り と へ ど も。あ る ひ ハ 堂 だう 塔 たう 佛 ぶつ ぼ さ つ の 間 ま 。 師 し 僧 そう y ぶ 毌 も の つ ね に ゐ る と こ ろ 又 ハ 日 にち ⺼ ぐわつ と も し び の あ き ら か な る 處 ところ を。 非 ひ 處 しよ と 名 な づ け て。 婬 いん を 行 ぎやう ずべからず これ 利 り 渉 せふ の 䟽 しよ の 説 せつ なり 大正新脩大蔵経所収『梵網戒本疏日珠鈔』 利 渉 云。菩 薩 有 二。在 家 出 家。出 家 菩 薩 爲 成 梵 行 三 界 福 田。但 起 欲 心 即 名 犯 戒 乃至 在家菩薩爲斷惡行不捨夫妻。但起邪心即 名犯戒 云云 (中略) 問。所言邪婬 其 相 云 何 答。瑜 伽 論 五 十 九 云。復 次 若 行 不 應 行 名 欲 邪 行。或 於 非 支。非 時 非 處 非 量 非 理。如 是 一 切 皆 欲 邪 行。若 於 母 等。母 等 所 護。如 經 廣 説。名 不 應 行。一 切 男 及 不 男。屬 自 屬 他。皆 不 應 行。除 産 門 外 所 有 餘 分。皆 名 非 支。若 穢 下 時。胎 圓 滿 時。飮 兒 乳 時。受 齋 戒 時。或 有 病 時。謂 所 有 病 匪 宜 習 欲。是 名 非 時。若 諸 尊 重 所 集 會 處 ・ 或 靈 廟 中 ・ 或 大 衆 前 ・ 或 堅 鞭 地 ・ 高 下 不 平 不 安 穩。如是等處説名非處。 比 較 す る と、 『日 珠 鈔』の 方 が 詳 細 で あ る が、内 容 は ほ ぼ 一 致 し て い る。 先に触れたとおり、小野氏によると「 32利渉の䟽」は現存が確認できてお らず、 『日珠鈔』のみでその内容が確認できるという。 『戒法随身記』が刊 行 さ れ た 貞 享 四 年 (一 六 八 七) ご ろ に『梵 網 経 疏』 (利 渉 戒 疏) が 現 存 し て いたかは明らかではないが、凝然以前に『利渉戒疏』に触れた著作は見当 たらず、管見ではそれ以降も『利渉戒疏』が存在した痕跡は見ることがで き な い の で、淨 慧 は お そ ら く『日 珠 鈔』を 参 照 し て、 『戒 法 随 身 記』に 引 用した可能性が高いと考えられる。次に『戒法随身記』における「 54梵網 の 義 寂 の 䟽」の 引 用 文 と、 『梵 網 戒 本 疏 日 珠 鈔』に 一 致 す る 内 容 が 見 ら れ た箇所を挙げる。 『戒法随身記』 (中 24ウ) 故 に 梵 ぼん 網 まう の 義 ぎ 寂 じやく の 䟽 しよ に。 十 じう 住 ぢう 毘 び 婆 は 沙 しゃ 論 ろん を 引 ひゝ て 云。 在 ざい 家 け の z ぼ 薩 さつ ハ。酒 を 施 ほどこす に 罪 つミ な き こ と あ り。 施 ほどこす と き 此 この W ねん を な す べ し。 布 ふ 施 せ 波 は 羅 ら 蜜 みつ の 法 ハ。こ と 〴〵 く 人 の 願 ぐわん を a まん ぜ し め ん と な れ バ。今 我 われ 酒 を 施 ほどこし ぬ。の ち に ハ 方 はう 便 べん 教 きやう 化 け し て。酒 を やめしむべしと 大正新脩大蔵経所収『梵網戒本疏日珠鈔』 義 寂 亦 引 此 釋。太 賢 云。言 五 百 世 無 手 者。以 極 増 上 惡 心 過 故。非 善 心 等。若 善 心 施。瑜 伽 論 許 施 度 攝 故。如 十 住 云。在 家 菩 薩 施 酒 無 罪。應 生 是 念。施 度 之法悉滿人願。後當方便教他離酒故 内 容 を 比 較 す る と ほ ぼ 一 致 し て い る こ と が 分 か る。し か し、 『日 珠 鈔』に は「 義寂亦引此釋。太賢云。 言五百世無手者。以極増上惡心過故。非善心 等。若 善 心 施。瑜 伽 論 許 施 度 攝 故。 」と い う『戒 法 随 身 記』の 該 当 箇 所 に は見られない記述が挟まれている。傍線部分を現代文にすると「義寂のこ の釋を引いて、太賢が云うに は 10 」ということなので、おそらく『日珠鈔』 ではこの義寂の釋の部分を「太賢」すなわち太賢の『梵網経古迹記』を参 照して引いていると考えられる。確かに『梵網経古迹記』にも一致する内 容が見られる箇所があるので紹介する。 (傍線筆者) 大正新脩大蔵経所収『梵網経古迹記』 又 一 切 聖 不 飮 酒 者。以 諸 聖 者 具 慚 愧 故。飮 令 失 正 念 故。乃 至 小 分 亦 不 飮 者。 以 如 毒 藥 量 不 定 故。 言 五 百 世 無 手 者。以 極 増 上 惡 心 過 故。非 善 心 等。若 善 心 施 。 瑜 伽 論 許 施 度 攝 故 。 如 十 住 云 。 在 家 菩 薩 施 酒 無 罪 。 應 生 是 念 。 施 度 之 法 悉 滿人願。後當方便教化離酒故 。 傍 線 が『日 珠 鈔』と 一 致 す る 部 分 で あ る が、 『古 迹 記』に は 義 寂 か ら 引 い た と い う 記 述 は 見 当 た ら な い。 「梵 網 の 義 寂 の 䟽」に あ た る と 考 え ら れ る 『菩 薩 戒 本 疏』を 調 査 し た が、 「言 五 百 世 無 手 者。以 極 増 上 惡 心 過 故。 」の
部分も、 「十住云。在家菩薩施酒無罪。 」の部分も、内容が一致する箇所を 探し当てることはできなかった。 『日珠鈔』が何をもって「義寂亦引此釋。 太 賢 云。 」と 記 し た の か は 突 き 止 め る こ と が で き な か っ た が、少 な く と も 『戒 法 随 身 記』と『日 珠 鈔』に は「梵 網 の 義 寂 の 疏 に。十 住 毘 婆 沙 論 を 引 て 云。 」の 部 分 を は じ め と し た 共 通 点 が 見 ら れ る こ と か ら、淨 慧 は お そ ら く『日珠鈔』を参照して、 『戒法随身記』に引用したと考えられる。 以上の二つの引用文から、淨慧は『日珠鈔』を参照した可能性が高いこ とが考えられるが、管見では『日珠鈔』は東大寺所蔵本が現存するのみで 非常に貴重な資料である。淨慧がどのようなかたちで『日珠鈔』を参照し たかについては引き続き調査の必要があ る 11 。 ※ 最 後 に、 「表1『戒 法 随 身 記』中 巻 引 用 典 籍 一 覧」中 の「 67智 旭 の 梵 室 偶 談」に つ い て 触 れ る。 「 67智 旭 の 梵 室 偶 談」は「大 正 新 脩 大 蔵 経」に 所収されておらず、淨慧がどのようなテキストを参照したか明らかでない 典 籍 の う ち の 一 つ と し て 先 に 挙 げ た。今 回、 「 67智 旭 の 梵 室 偶 談」に つ い て調査し、いくつか分かったことを報告する。 智 旭 (一 五 九 九 〜 一 六 五 五) は 明 代 の 天 台 僧 で、は じ め 儒 学 を 好 ん だ が、 二十歳の折、父の死をきっかけに地蔵菩薩本願経にめぐりあい出家を志し た 12 。出 家 後 は 禅 と 念 仏 の 融 合、戒 律 の 重 要 性 な ど を 説 い た 雲 棲 袾 宏 (一 五 三 五 〜 一 六 一 五) か ら 強 い 影 響 を 受 け、そ の あ と を つ い で 仏 教 を 振 興 さ せ た。天台の学者であったが、仏教に限らない思想の一元化を唱え、実践の 面では念仏往生を理想とし た 13 。内外の典籍に広く親しみ、諸経論の注釈を 多 く 残 し て い る。中 で も『閲 蔵 知 津』 (全 四 十 八 巻) は、経 ・ 立 ・ 論 ・ 雑 の 四部に分けて、一千七百十三部の経典の解説を試みた大著である。 智旭の著書の一つである『梵室偶談』は、戒律の重要性や、座禅で悟り を目指し念仏で西方浄土に生まれることを目指す禅と念仏の融合について などを綴った随筆である。荒木見吾 氏 14 によると、本書は「参禅者が西方に 生 じ よ う と 思 っ た ら、必 ず し も 改 め て 念 仏 し な く て も、信 願 (信 心 と 願 生 心) を 具 し さ え す れ ば、参 禅 が そ の ま ま 浄 土 の 行 と な る し、ま た 念 仏 者 が 一心不乱 ・ 能所両忘にまで至れば、直ちに無生法忍を得、道を悟ることが できると、念仏参禅併行論をとっている」という。智旭三十歳の著述で、 初期の思想を窺い知ることができる。管見の限りでは現在、愛知県西尾市 の岩瀬文庫、宮島コレクション、京都法然院光明蔵において和刻本を所蔵 してい る 15 。古書市場でも和刻本、漢籍ともに流通しており、現在でも比較 的入手しやすい。所蔵機関が少ないのは、貴重書ではなく、随筆であるこ とからこれまであまり重要視されていなかったためであろう。法然院光明 蔵 所 蔵 本 は 延 宝 七 年 (一 六 七 九) 刊 で あ る。宮 島 コ レ ク シ ョ ン 所 蔵 本、岩 瀬文庫所蔵本は刊行年が明記されていないが、体裁などから見て、同時期 に 流 通 し た も の と 考 え て 大 過 な い で あ ろ う。 『戒 法 随 身 記』が 刊 行 さ れ た の が 貞 享 四 年 (一 六 八 七) 正 月 で あ り、淨 慧 が 和 刻 本『梵 室 偶 談』を 手 に 取り、自著の引用テキストとした可能性も十分に考えられる。 淨慧は『戒法随身記』において、智旭からの引用を上巻で「智旭の見聞 録」 (上 14オ) として一件、中巻で「智旭の梵室偶談」 (中 33ウ) として一件、 下 巻 で「智 旭 の 云」 (下 10ウ) 、「智 旭 註 し て」 (下 21ウ 頭 注) 、「知 旭 禅 師 の 云」 (下 29ウ) 、「智 旭 云」 (下 33オ) と し て 四 件、合 計 六 件 行 っ て い る。そ のうち、上巻の「智旭の見聞録」からの引用文は、宮島コレクション所蔵 和刻本『梵室偶談』収録の「見聞録」で同じ内容が確認できた。また中巻 の「智 旭 の 梵 室 偶 談」 、下 巻 の「知 旭 禅 師 の 云」 (下 29ウ) 、「智 旭 云」 (下 33 オ) は 同 和 刻 本『梵 室 偶 談』で 同 じ 内 容 を 確 認 で き た。そ の う ち、中 巻 の 「智旭の梵室偶談」の引用文と和刻本『梵室偶談』を実際に比較してみる。 『戒法随身記』 (中 33ウ) 智 ち 旭 ぎよく の 梵 ぼん 室 しつ 偶 ぐう 談 だん に 云 いはく 。 古 いにしへ の 参 さん 禪 ぜん の 人 ひと ハ。 増 ぞう 上 じやう の 要 えう 行 ぎやう な り。 今 いま の 参 さん 禅 ぜん の も の ハ。 戒 かい をすつるの 別 ベツ 名 ミやう 。 教 きやう をそしるの 途 と 轍 てつ なりといへり。
る法然院光明蔵には、その他にも智旭の著作の和刻本が二十五種所蔵され てい る 22 。法然院光明蔵に所蔵されている聖教 ・ 典籍には、忍澂収集のもの も 数 多 く 含 ま れ る。忍 澂 は、高 麗 本 大 蔵 経 と 明 本 (黄 檗 版) 大 蔵 経 を 対 校 し今日の「大正新脩大蔵経」の礎を築いた人物で、対校にあたり入手でき うる限りの内外の聖教 ・ 典籍を収集したと考えられ、非常に貴重な資料群 であることは間違いない。平祐史氏は本蔵書について「かつて災厄に遭わ ない史實を知るに及んで、江戸期浄土宗敎學の一大水準を示している」と 指摘されてい る 23 。即ち、江戸期の浄土宗関連出版界の縮図とも言える本蔵 書の中に、智旭関連の書が多く所蔵されているという事実は、当時智旭の 著作がいかに求められていたかを示していると言えよう。ちなみに、本蔵 書には『戒法随身記』をはじめとした淨慧の著作も数多く含まれてい る 24 。 これらのことから、智旭の著書は、当時の戒律研究僧や、忍澂などの浄 土宗の学僧の間で重きを置かれていたと推察される。その背景には、仏教 の廃退を嘆き、戒律復興をはじめとする仏教再興を志す僧達にとって、大 陸で先んじて仏教振興に尽力した智旭の著作を先導書として共感をもって 受け入れられた時代的流れがあったことが考えられる。淨慧もその流れの 中で智旭の著書に触れ、その思想を吸収したことは想像に難くない。淨慧 が『戒法随身記』で智旭の著書を引用した理由としては、思想的共感があ ったことに加え、このような時代的土壌があった上で、智旭の著書を引く ことにより、当時の読者に向けてより説得力のある戒律書とする意図もあ ったと考えられる。またすでに指摘されているように忍澂は鉄眼ばかりで なく黄檗山第四代獨湛と極めて親し く 25 、唐土の聖教 ・ 典籍を入手する機会 に恵まれていたと考えられ、地蔵信仰を通じて忍澂と親近し た 26 淨慧が忍澂 収集のテキストを閲覧することも少なくなかったろうと推察される。 (大久保) [ 注] 1 妙 幢 淨 慧 著『十 善 戒 法 論』 (享 和 三 年 版)第 一 巻 巻 頭 所 収。藤 谷 厚 生 氏「黄 檗 僧 妙 幢 淨 慧 と そ の 戒 律 論 書 に つ い て」 (『四 天 王 寺 大 学 紀 要』五 十 号、二 〇 一 和刻本『梵室偶 談 16 』 ( 03オ) 古 ノ 之 参 ス レ ル 禪 ヲ 者。增 上 ノ 之 要 行 也。今 ノ 之 参 ス レ ル 禪 ヲ 者。捨 ツ レ ル ノ 戒 ヲ 之 別 名。 謗 ル レ 教 ヲ 之途轍也。 比 較 す る と、 「参 禅」の 読 み 方 以 外 は、句 点、訓 点 ま で ほ ぼ 忠 実 に 和 刻 本 を書き下していることが分かり、ここからも淨慧が和刻本『梵室偶談』を 参照したことが推察される。 ところで、なぜ淨慧は『戒法随身記』で智旭の引用を各巻で行ったので あ ろ う か。 『戒 法 随 身 記』は 仏 教 の 根 本 と な る 聖 教 ・ 典 籍 か ら の 要 文 を 引 用することにより、戒律の重要性を説いているため、淨慧と近い時代の典 籍から引用することは珍しい。智旭と淨慧は儒教や地蔵信仰にゆかりが深 い点や、戒律復興に携わった点など多くの共通点があり、淨慧が智旭から 強い影響を受けたことは想像に難くない。しかし、どうやらそればかりで はないらしい。淨慧の時代の戒律解説書や浄土宗関係の典籍を紐解くと、 智 旭 の 著 書 か ら の 引 用 を 用 い て い る も の が 少 な く な い。例 え ば、覚 深 の 『八 斎 戒 作 法 要 解 17 』 (延 宝 七 年 〈一 六 七 九〉 刊) に は「智 旭 云」と し て 二 か 所 引 用 が あ る。懐 音 (一 六 五 三 〜 一 七 一 四) の『諸 家 念 仏 集 18 』 (一 八 〇 〇 年 刊) に は「智 旭 云」と し て 四 か 所、鸞 宿 (一 六 八 二 〜 一 七 五 〇) の『阿 弥 陀 経 諸 解 総 目 19 』 (十 八 世 紀 前 半 成 立) に は「智 旭 要 解 云」な ど と し て 三 か 所 の 引 用 が見られる。 さらに注目すべきは、法然院所蔵の『黄檗版大蔵経』には、他の黄檗版 に は 見 ら れ な い 智 旭 の 著 述 が 入 蔵 さ れ て い る 点 で あ る 20 。具 体 的 に は、 『妙 法蓮華経綸貫』 『妙法蓮華経台宗会義』であり、 『黄檗版大蔵経』は『万暦 版大蔵経』の覆刻であることが知られているが、この二点は『万暦版』に は 入 蔵 さ れ て い な い。法 然 院 所 蔵 の『黄 檗 版 大 蔵 経』は、忍 澂 (一 六 四 五 〜 一 七 一 一) が 購 入 し た も の で、他 の『黄 檗 版 大 蔵 経』の 目 録 21 に は、こ の 二点が見当たらないことから、忍澂が特別に鉄眼に依頼して法然院の『黄 檗 版』に 入 蔵 さ れ た も の と 考 え ら れ る。ま た、 『梵 室 偶 談』を 所 蔵 し て い
〇年九月)に翻刻文が掲載されている。 2 「S A T 大 正 新 脩 大 藏 經 テ キ ス ト デ ー タ ベ ー ス」 ( http://21dzk.l.u-tokyo.ac .jp/SAT/ )を使用し、引用文の内容と一致するテキストを調査した。 3 調 査 に は「S A T 大 正 新 脩 大 藏 經 テ キ ス ト デ ー タ ベ ー ス」 ( http://21dzk.l.u -tokyo.ac.jp/SAT/ )を 使 用 し た。 『戒 法 随 身 記』は 和 文 で あ り、大 蔵 経 は 漢 文 で 記 さ れ て い る た め 引 用 文 と 典 拠 元 の テ キ ス ト が 完 全 に 一 致 す る こ と は な い。そ の た め、引 用 文 中 の キ ー ワ ー ド と な る 漢 字 の 固 有 名 詞 や 仏 教 用 語 を い く つ か ピ ッ ク ア ッ プ し て 検 索 し た。ま た、淨 慧 が 参 照 し た 可 能 性 が あ る 黄 檗 版 大 蔵 経(詳 細 は 上 巻 解 題 を 参 照)等 と、今 回 使 用 す る 大 正 新 脩 大 蔵 経 は、 収 録 さ れ て い る 聖 教 ・ 典 籍 の 文 面 が 必 ず し も 一 致 す る と は 考 え な い が、固 有 名 詞 や 仏 教 用 語 の 表 記 方 法 は 大 き く 異 な る こ と は な い と 仮 定 し、あ く ま で も 調 査 の 導 入 と し て「S A T 大 正 新 脩 大 藏 經 テ キ ス ト デ ー タ ベ ー ス」を 使 用 し た。今回は儒教関係の典籍は、調査の対象外とした。 4 『法 苑 珠 林』は 寛 文 九 年 (一 六 六 九) 、寛 文 十 二 年(一 六 七 二)に 和 刻 本 が 出 版 さ れ て い る。な お、淨 慧 が 参 照 し た 可 能 性 が あ る 黄 檗 版 大 蔵 経 に も『法 苑 珠 林』は 所 収 さ れ て い る。淨 慧 が ど ち ら の『法 苑 珠 林』を 参 照 し た か に つ い てはさらなる調査が必要である。 5 『往 生 要 集』は 源 信 が 寛 和 元 年 (九 八 五)に 撰 述 し て 以 降、多 く の 写 本 や 版 本 が 世 に 広 ま っ て い る。淨 慧 の 時 代 で は、寛 永 八 年(一 六 三 一) 、寛 永 十 七 年 (一 六 四 〇) 、寛 文 三 年(一 六 六 三)に 刊 行 さ れ て い る。ま た、寛 文 十 一 年 (一六七一)には『絵入往生要集』も刊行されている。 6 『善 悪 因 果 経』は 寛 永 二 十 一 年 (一 六 四 四) 、寛 文 五 年(一 六 六 五) 、寛 文 六 年 (一六六六)に和刻本が刊行されている。 7 福 士 慈 稔 氏「十 四 世 紀 ま で の 日 本 律 蔵 関 係 章 疏 に み ら れ る 新 羅 ・ 高 麗 仏 教 認 識」 (『身延山大学仏教学部紀要』第十号、二〇〇九) 。 8 小 寺 文 頴 氏「凝 然 大 徳 に み ら れ る 利 渉 戒 疏」 (『印 度 學 佛 教 學 研 究』第 二 十 二 巻第二号、一九七四) 。 9 注 8同書 六九三頁。 10 義 寂 は 六 八 一 年 生 ま れ の 新 羅 の 僧。太 賢 は (生 没 年 未 詳)も 新 羅 の 僧 で 景 徳 王 十 二 年(七 五 三)に 実 在 し た 記 録 が あ る( 『望 月 佛 教 大 辞 典』 )。そ の た め、 義寂の書を後世の太賢が引用したという意に解釈した。 11 門 外 の 僧 で あ る 淨 慧 が 東 大 寺 所 蔵 の『日 珠 鈔』を 閲 覧 で き た 可 能 性 を、現 在 『日 珠 鈔』を 所 蔵 し て い る 東 大 寺 図 書 館 に 問 い 合 わ せ た と こ ろ、当 時 の 細 か い 公 開 状 況 に つ い て 図 書 館 か ら 回 答 す る こ と は で き な い が、東 大 寺 所 蔵 本 以 外 に も 写 本 が あ っ た 可 能 性 も 考 え ら れ、そ れ も 考 慮 し た 上 で 調 査 を 進 め る こ と をご助言いただいた。 12 塚 本 善 隆 氏 編、望 月 信 亨 氏 著『望 月 佛 教 大 辞 典』 (增 訂 版、世 界 聖 典 刊 行 協 会、 一九五四年) 。 13 水野弘元氏[ほか]編『仏典解題辞典』 (第二版、春秋社、一九七七年) 。 14 荒木見悟氏『雲棲袾宏の研究』 (大蔵出版、一九八五年) 。 15 岩 瀬 文 庫 所 蔵 本 は 全 二 冊 で 智 旭 の 雑 著 四 種 す な わ ち『見 聞 録』 (二 五 丁) 、『梵 室 偶 談』 (二 五 丁) 、『偶 拈 問 答』 (九 丁) 、『 n 益 三 頌』 (二 五 丁)を 収 め る。宮 島 コ レ ク シ ョ ン 所 蔵 本 は 全 一 冊 で、 『梵 室 偶 談』 (二 五 丁)と『見 聞 録』 (二 五 丁)が 収 録 さ れ て い る。い ず れ も 句 点、訓 点 入 り の 和 刻 本 で あ る。刊 年 の 明 記 は な い が、丁 数 や 奥 書 に 記 さ れ て い る 刻 印 者( 「弟 子 通 瑞 較 刻 / 弟 子 通 玄 募 貲 助 刻」 )が 共 通 す る か ら、岩 瀬 文 庫 所 蔵 本 と 宮 島 コ レ ク シ ョ ン 所 蔵 本 は 同 じ 版 元 の 出 版 で あ り、後 に そ れ ぞ れ 装 丁 し 直 さ れ た と 考 え ら れ る。ま た、 『法 然 院 光 明 蔵 書 籍 目 録 稿』 (仏 教 大 学 浄 土 宗 文 献 セ ン タ ー 編 集 ・ 発 行、一 九 八 五) に よ る と、法 然 院 光 明 蔵 に は 二 部 の『梵 室 偶 談』が 所 蔵 さ れ て お り、両 方 と も『見 聞 録』と の 合 冊 で「延 宝 七 年 刊 山 口 忠 右 衛 門」と あ る。刻 印 者 は 岩 瀬 文 庫 所 蔵 本、宮 島 コ レ ク シ ョ ン 所 蔵 本 と 同 様「弟 子 通 瑞 較 刻 / 弟 子 通 玄 募 貲 助 刻」と あ り、い ず れ も 同 じ 漢 籍 版 を 和 刻 本 と し て 覆 刻 し た も の と 考 え ら れ る。岩 瀬 文 庫 所 蔵 本 と 宮 島 コ レ ク シ ョ ン 所 蔵 本 の 刊 行 年 も お そ ら く 延 宝 七 年(一 六 七 九)前 後 と み て 大 誤 な い で あ ろ う。な お、著 者 の 手 元 に あ る 漢 籍 版『梵 室 偶 談』は 奥 書 に「同 治 十 年 金 陵 鋟 板」と あ り、一 八 七 一 年(和 暦 で は 明 治 四 年)に 刊 行 さ れ た こ と が わ か る。さ ら に 現 代 の 古 書 ・ 新 刊 市 場 で も、漢 籍 版、和 刻 本、中 国 語 版 な ど 様 々 な 形 で 流 通 し て い る こ と か ら、永 き にわたり需要があることが見て取れる。 16 翻刻にあたっては、宮島コレクション所蔵本を参照した。 17 『八 斎 戒 作 法 用 解』は 天 台 宗 の 学 僧 で あ る 覚 深 (豪 寛) ( 〜 一 七 〇 七)が、叡 尊 の『八 斎 戒 作 法』に 註 釈 を 施 し た も の。 「日 本 大 蔵 経」第 十 三 巻(宗 典 部 戒律宗章疏 二)所収。
18 『諸 家 念 仏 集』は 忍 澂 の 後 継 者 と し て 法 然 院 の 住 持 を 勤 め た 懐 音 (一 六 五 三 〜 一 七 一 四)が、各 宗 の 聖 教 ・ 典 籍 の 中 か ら 念 仏 に 関 す る 要 文 を 集 め、解 説 を 施したもの。 「浄土宗全書」第十五巻所収。 19 『阿 弥 陀 経 諸 解 総 目』は 知 恩 院 五 十 世 の 鸞 宿 (一 六 八 二 〜 一 七 五 〇)が 中 国 や 日 本 に お け る『阿 弥 陀 経』の 注 釈 書 を 紹 介、解 説 し て い る。 「続 浄 土 宗 全 書」 第四巻所収。 20 松 永 知 海 氏「 『黄 檗 版 大 蔵 経』の 再 評 価」 (『仏 教 史 学 研 究』第 三 十 四 巻 第 二 号、 一九九一年十月、一三二 〜 一六二頁) 。 21 松 永 知 海 氏「 『黄 檗 版 大 蔵 經』目 録 (後 水 尾 法 皇 下 賜 正 明 寺 蔵 初 刷『黄 檗 版 大 蔵 經』目 録) (一 切 経 の 歴 史 的 研 究) 」( 『佛 教 大 学 総 合 研 究 所 紀 要』二 〇 〇 四 (別 冊 三) 、二 〇 〇 四 年 十 二 月) 、會 谷 佳 光 氏「中 央 研 究 院 傅 斯 年 図 書 館 蔵 黄 檗 版 大 蔵 経 目 録」 (『東 洋 文 庫 書 報』 、二 〇 一 〇 年 三 月) 、上 越 教 育 大 学 附 属 図 書 館 編『黄 檗 鉄 眼 版 一 切 経 目 録 上 越 教 育 大 学 所 蔵』 (上 越 教 育 大 学 附 属 図 書 館、 一九八八)を参照した。 22 松 永 知 海 氏「 『勧 修 作 福 念 仏 図 説』の 印 施 と 影 響 ― 獅 谷 忍 澂 を 中 心 と し て ― 」 (『佛教大学大学院研究紀要』第十五号、一九八七)十八〜十九頁。 23 仏 教 大 学 浄 土 宗 文 献 セ ン タ ー 編『法 然 院 光 明 蔵 書 籍 目 録 稿』 (仏 教 大 学 浄 土 宗 文献センター発行、一九八五) 「あとがき」より。 24 仏 教 大 学 浄 土 宗 文 献 セ ン タ ー 編『法 然 院 光 明 蔵 書 籍 目 録 稿』 (仏 教 大 学 浄 土 宗 文 献 セ ン タ ー 発 行、一 九 八 五)に よ る と、淨 慧 の 著 作 は、 『懺 悔 通 用』 (貞 享 元年(一六八四)刊、版元不明)一部、 『戒法随身記』 (貞享四年(一六八七) 刊、永 田 長 兵 衞)三 部、 『地 蔵 菩 薩 利 生 記』 (貞 享 五 年(一 六 八 八)刊、平 樂 寺 小 兵 衞)一 部、 『地 蔵 菩 薩 利 益 集』 (元 禄 四 年(一 六 九 一)刊、浅 見 吉 兵 衞 等)一 部、 『古 今 舎 利 験 論』 (元 禄 四 年(一 六 九 一)刊、永 田 調 兵 衞)一 部、 『十 善 戒 法 論』 (元 禄 十 二 年(一 六 九 九)刊、永 田 調 兵 衞)一 部、 『佛 神 感 應 録』 (宝 永 七 年(一 七 一 〇)刊、永 田 調 兵 衞)二 部、 『佛 神 感 應 録』 (刊 行 年、 版元不明)一部を所蔵している。 25 田 中 実 マ ル コ ス 氏『黄 檗 禅 と 浄 土 教 ― 萬 福 寺 第 四 祖 獨 湛 の 思 想 と 行 動』 (二 〇 一四年二月、法蔵館) 。 26 関 口 靜 雄 氏「妙 幢 淨 慧 撰『佛 神 感 應 錄』翻 刻 と 解 題 (一) 」( 「学 苑」九 百 二 十 二号、二〇一七年八月)所載「解題 」。 [表 2]各章における主な典拠文献 一 殺生戒の亊 附食肉の科の事 法苑珠林 二 偸盗戒の㕝 法苑珠林 三 邪淫戒の亊 法苑珠林 ・ 往生要集 四 妄語戒の事 法苑珠林 ・ 往生要集 五 飲酒戒の亊 法苑珠林 ・ 梵網戒本疏日珠鈔 六 五戒を持ものにハ二十五の守護神ある亊 法苑珠林 七 X 受の T 別ある事 法苑珠林 八 戒を受てハかたくこれを守るべき事 法苑珠林 九 五戒の㓛德の亊 附發願廽向の事 法苑珠林 十 業罪制罪の了簡の事 附戒ハかならず受べき法の事 梵網經 ・ 優婆塞戒經 ・ 法苑珠 林 ・ 梵網戒本疏日珠鈔 十一 禪宗戒を守べきの事 興禅五國論 ・ 梵室偶談 ・ 景徳 傳燈録 ・ 楞厳經 ・ 梵網戒本疏 日珠鈔 十二 淨圡宗戒を持べきの事 附戒ハ諸宗の通軌の事 黒 谷 上 人 語 燈 録 ・ 西 方 指 南 鈔 ・ 法然上人傳記 ・ 法苑珠林 十三 破戒無戒の徃生の㕝 往生要集 ・ 往生拾因 ・ 佛祖統 記 ・ 法 苑 珠 林 ・ 釋 淨 土 群 疑 論 ・ 佛説觀無量壽佛經 ・ 觀經 疏傳通記 ・ 黒谷上人語燈録 ・ 觀無量壽佛經疏 ※ 表 1・ 表 2の掲載順は誌面の都合上順序を 逆とさせていただきました。 (編集担当)
№ 書 名 正式書名(大正新脩大蔵経所載書目番号) 著 者 大正新脩大蔵経所収部 回数 1 薩遮尼乾子經 大薩遮尼乾子所説經(0272) 菩提留支譯 法華部・華厳部 2 觀經 佛説觀無量壽佛經(0365) 畺良耶舍譯 寶積部・涅槃部 5 3 蕐嚴經 大方廣佛華嚴經(0278) 佛馱跋陀羅譯 法華部・華厳部 4 法蕐經 妙法蓮華經(0262) 鳩摩羅什譯 法華部・華厳部 2 5 入楞伽經 入楞伽經(0671) 菩提流支譯 經集部 2 6 鼻奈耶律 鼻奈耶(1464) 竺佛念譯 律部 7 楞嚴經 大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首 楞嚴經(0945) 般剌蜜帝譯 密教部 2 8 鴦掘魔經 央掘魔羅經(0120) 求那跋陀羅譯 阿含部 9 文殊問經 文殊師利問經(0468) 僧伽婆羅譯 經集部 2 10 五燈會元の第二/傳燈録 景徳傳燈録(2076) 道原纂 史傳部 2 11 律 摩訶僧祇律(1425)など 佛陀跋陀羅s 法顯譯 律部 2 12 倶舎論 阿毘達磨倶舍論(1558) 世親造 玄奘譯 毘曇部 13 涅槃經 大般涅槃經(0374) 曇無讖譯 寶積部・涅槃部 6 14 瑜伽戒本 菩薩戒本(1500/1501) 慈氏造 曇無讖譯/ 彌勒造 玄奘譯 律部 2 15 世親の摂論 攝大乘論釋(1595) 世親造 眞諦譯 中觀部・瑜伽部 16 徃生要集 往生要集(2682) 源信撰 續諸宗部 5 17 法苑珠林 法苑珠林(2122) 道世撰 事彙部・外教部・目録部 8 18 雜寳藏經 雜寳藏經(0203) 吉迦夜譯 曇曜譯 本縁部 19 金璧 ― ― ― 20孟子 ― ― ― 21孔子の弟子の髙柴 ― ― ― 22 方等經 佛説濟諸方等學經(0274) 竺法護譯 法華部・華厳部 23 正法念處經 正法念處經(0721) 瞿曇般若流支譯 經集部 2 24 唯識竝訣論 唯識並決論(―) ― ― 25 大集經 大方等大集經(0397) 曇無讖譯 大集部 2 26 五分律 彌沙塞部和醯五分律(1421) 佛陀什譯 竺道生譯 律部 27 因果經 善惡因果經(2881) ― 古逸部・疑似部 28 薩婆多論 薩婆多毘尼毘婆沙(1440) ― 律部 29 摩德勒伽論 摩德勒伽論(―) ― ― 30 千佛名經 過去莊嚴劫千佛名經(0446) ― 經集部 31論語 ― ― ― 32 利渉の䟽 利渉戒疏(梵網經疏)(―) ― ― 33 瑜伽論 瑜伽師地論(1579) 彌勒説 玄奘譯 中觀部・瑜伽部 2 34 提謂經 提謂波利經(―) ― ― 35 智度論/大論 大智度論(1509) 鳩摩羅什譯 釋經論部 6 36禮記 ― ― ― 2 37 善戒經 受十善戒經(1486) ― 律部 38 禪秘要經 禪祕要法經(0613) 鳩摩羅什譯 經集部 39 成實論 成實論(1646) 訶梨跋摩造 鳩摩羅 什譯 論集部 2 40 増一阿含經 増一阿含經(0125) 瞿曇僧伽提婆譯 阿含部 2 41 正報の偈/正報の頌 佛説觀無量壽佛經(0365) 畺良耶舍譯 寶積部・涅槃部 2 42 六祖大師 六祖大師法寶壇經(2008) 宗寶編 諸宗部 43 大日經 大毘盧遮那成仏神変加持經(0848) 善無畏譯 一行譯 密教部 2 44 遺教經 佛垂般涅槃略説教誡經(0389) 鳩摩羅什譯 寳積部・涅槃部 2 [表 1]『戒法随身記』中巻 引用典籍一覧 ※斜体の書名は儒教関係典籍
№ 書 名 正式書名(大正新脩大蔵経所載書目番号) 著 者 大正新脩大蔵経所収部 回数 45 梵網經 梵網經(1484) 鳩摩羅什譯 律部 8 46 天台䟽/天台大師の䟽 菩薩戒義疏(1811) 智顗説 智顗記 律疏部・論疏部 2 47 大賢 梵網經古迹記(1815) 太賢集 律疏部・論疏部 48 四分律 四分律(1428) 佛陀耶舍譯 竺佛念譯 律部 2 49 大莊嚴論 大莊嚴論(0201) 馬鳴造 鳩摩羅什譯 本縁部 50 明慧上人の傳 ― ― ― 2 51 未曾有經 佛説未曾有因縁經(0754) 曇景譯 經集部 2 52 大蔵一覧 大蔵一覧集(―) 陳実編 ― 53 諸經要集 諸經要集(2123) 道世撰 事彙部・外教部・目録部 54 梵網の義寂の䟽 菩薩戒本疏(1814) 義寂述 律疏部・論疏部 55 十住毘婆沙論 十住毘婆沙論(1521) 龍樹造 鳩摩羅什譯 釋經論部 56 正法分經 正法念處經(0721) 瞿曇般若流支譯 經集部 57 十輪經 大乘大集地藏十輪經(0411) 玄奘譯 大集部 58程伊川 ― ― ― 59 七佛經 佛説七佛經(0002) 法天譯 阿含部 60 灌頂經 佛説灌頂七萬二千神王護比丘呪經(1331)帛尸梨蜜多羅譯 密教部 61 優婆塞戒經 優婆塞戒經(1488) 曇無讖訳 律部 4 62 十誦律 十誦律(1435) 弗若多羅譯 羅什譯 律部 63 芝苑遺編 芝苑遺編(―) 元照作 道詢集 ― 64 太賢の集要 菩薩戒本宗要(1906) 太賢撰 諸宗部 65 優鉢羅蕐比丘尼本生經 優鉢羅蕐比丘尼本生經(―) ― ― 66 本業經 菩薩瓔珞本業經(1485) 竺佛念譯 律部 2 67 智旭の梵室偶談 梵室偶談(―) 智旭著 ― 68 達磨尊者 ― ― ― 69 圓覺經 大方広円覚修多羅了義經(0842) 佛陀多羅譯 經集部 70 七固憲法 七箇條制誡(『黒谷上人語燈録』(2611)・ 『西方指南鈔』(2674)所収「七箇條甄録」)法然上人 續諸宗部 71 繪詩傳 ― ― ― 72 觀念法門 観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門(1959)善導集記 諸宗部 73 法然上人傳記 法然上人傳記(―) ― ― 3 74 弘法大師の遺誡 弘仁遺誡(―) 弘法大師 ― 75 一向宗のおしへ 御文章(―) 蓮如 ― 76 淨土集要 西宗要(―) 聖光述 ― 77 佛説須頼經 佛説須頼經(0328) 白延譯 寳積部・涅槃部 78 金光明經の文句 金光明經文句(1785) 智顗説 智顗録 経疏部 79 永觀律師/往生拾因 往生拾因(2683) 永觀集 續諸宗部 2 80 那先比丘問佛經 那先比丘經(1670) ― 論集部 81 佛祖統記 佛祖統紀(2035) 志磐撰 史傳部 82 樂邦文類 樂邦文類(1969) 宗曉編 諸宗部 83 淨土晨鐘 浄土晨鐘(―) 周克復著 ― 84 大悲經 大悲經(0380) 那連提耶舍譯 寳積部・涅槃部 85 群疑論 釋淨土群疑論(1960) 懷感撰 諸宗部 86 良忠上人 觀經疏傳通記(2209)/選擇傳弘決疑 鈔(2610) 良忠述 續經疏部/續諸宗部 2 87 法然上人 黒谷上人語燈録(2611) 源空撰 續諸宗部 88 善導大師 觀無量壽佛經疏(1753) 善導集記 經疏部