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遊びの中の子どもと大人
人間教育専攻
現代教育課題総合コース 松 尾 拓 馬
序 章 問 題 の 所 在
本研究は遊びの世界の中で子どもと大人は区 別されるかということを明らかにし、 子どもと 大人というこつの側面から遊びの世界自体を捉 えなおすことを目的とする。
歴史的人間学の視点では、遊びを定義づける ことは難しいとされており、それゆえすべての 遊びに共通する個別的特徴のなさが遊びの特徴 だと言える。遊びに共通する個別的特徴がない ということは、個々人で認識される遊びには差 異が生じることになる。そこで、 子どもと大人 の聞に生じる遊びに対する認識の差異から、遊 びを捉えることにするO
昨今、子どもの遊びに関して問題視する大人 は多い。「遊びは子どものものJというイメージ から来るこのような声は、大人が遊びについて
自らの関連性を否定していることを表している。 子どもと大人の二つの側面から遊びを捉える本 研究は、「遊びは子どものものJというイメージ を持つ大人に向けて、何らかの回答を示すこと も目的のーっとして考察する。
第 1章 < 子 ど も > と < 大 人 >
本研究では、遊びに対する認識の差異から遊 びを捉えるため、子どもと大人の論理的な思考 能力の有無が遊びを捉える上での重要な指標と なるO そこで本研究では、思考の発達段階にお
指 導 教 員 谷 村 千 絵
ける前操作期までの遊びを<子ども>の遊び、
具体的操作期以降の遊びを<大人>として捉え ることとする。
<子 ど も > の 遊 び の 具 体 例 を 見 て い く と 、 <
子ども>が経験したことのない未知の領域に足 を踏み入れる時、その行動は結果として遊びに 発展するのではなし、かと考えられる。
<子ども>の遊びが、未知の領域に接する時 に生じるものだと考えると、<大人>は未知の 領域に踏み出す時の選択肢が多い。<大人>は
<子ども>に比べ、未知の領域に対する思考が 複雑になってしまう。
矢野は遊びの可能性と実現性について、 4 つ のパターン分けを行った。そこで示された 「遊 ぼう 」として 「遊べる」者の特徴は、木研究に おける <子ども>と<大人>の特徴とは合致し ない。「遊ぼう
J
として「遊べる」ようになるに は、<子ども>は遊びにおける経験を必要とし、<大人>は遊ぶための形式的条件を必要とするO
第
2
章 遊びの世界で交わる<子ども>と<大 人 >ここまでの考察を踏まえ、本章では私の大学 時代の活動であるプレーパークや、丸亀市猪熊 弦一郎現代美術館の「あそびのっくりかた」展、 名古屋市美術館の「ゴー・ピトクイーンズ展:
こどもを通してみる世界」などを考察した。
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プレーパーク活動では、<子ども>との遊び を楽しみながらも時に苦悩するく大人>の姿が 見られた。「あそびのっくりかたJ展では、<子 ども>の回線で楽しめる作品と<大人>の目線 で 楽 し め る 作 品 な ど 様 々 な 作 品 が あ っ た。「ゴ ー・ピトクイーンズ展:こどもを通してみる世 界」では、こどもを題材とした様々な作品を、
<子ども>も<大人>も第三者目線で見ること ができた。
3つの活動や企画展は、<子ども>と<大人
>が遊びの中で出会う場面を映し出してくれる。
これらの活動や企画展は、決して<子ども>、
<大人>のどちらか一方といった偏った見方か らは成立しない。つまり、<大人>は<子ども
>の遊びについて理解を示すことができるし、
<子ども>の想像力、純粋さにも気づくことが できると言える。
終章
< 遊 ぶ 人 ><子ども>の遊びは未知の領域に接した時の 行動の結果であること、そしてその遊びが経験 となった時に<子ども>は「遊ぼう」として「遊 べる」ようになると述べた。 一方<大人>は、
様々な経験に基づいた多様な選択肢を持ち合わ せており、遊びとは選択肢の
1
つでしかなく、そ の た め 遊 ぶ た め の 形 式 的 条 件 が 整 っ た 時 に
「遊ぼうJとして「遊べるJと述べた。
<子ども>の遊びが、<子ども>にとっての 未知の領域を経験に変えることができた時に、
その経験は個々人の間で異なってくると考えら れる。しかし、本研究では具体的操作期以降を
<大人>とするため、<大人>の遊びによる経 験は<子ども>とは比較にならないほど個人差 が生じるはずであるO 経験豊富であれば「遊べ る」かと言うと、遊びはそれほど単純でもない。
<子ども>は経験したことに関しては論理的に
思考することが可能になり、そうした時によう やく「遊ぼう」として「遊べる」ようになるし、
<大人>は経験がもたらす多様な選択肢の中で、
複雑な思考が「遊ぼう」として「遊べるJよう になることを妨げている。つまり、遊びにおけ る個々人の経験は「遊ぼうJとして「遊べる」
ようになるために必要な要素でもあり、障害で もある。この経験を、論理的思考能力を以て 「遊 ぼうJとした時、<子ども>と<大人>は「遊 べる」し、このように同じ条件を満たした両者 は、遊びの世界においては同じ存在であると言 える。つまり、遊びの世界で出会う<子ども>
と<大人>は、ともに<遊ぶ人>だと言える。
では、遊びの世界とは両者にとってどのよう なものか。河合は子どもの中に「宇宙」がある と述べた。この「宇宙j とは決して子どもだけ に内在するものではない。しかしながら、「遊び は子どものもの」というイメージを持ち、遊び から自ら遠ざかってしまう<大人>は、自らに 内在するはずの 「宇 宙jからも遠ざかってしま
フ。
<大人>が<子ども>の持つ「宇宙Jについ
て知ろうと努力した時、それは自らの「宇宙」
について知ろうとしている時であるO つまり、
<大人>が遊びの世界の中で<子ども>と出会 う時とは、<大人>が自らの「宇宙Jを思い出 す時であり、そして「遊ぼう」とする時に<大 人>は「宇宙」を知ろうと努力するのである。