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高齢者の運動パフォーマンスに認知課題が及ぼす影響

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Academic year: 2021

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Title

高齢者の運動パフォーマンスに認知課題が及ぼす影響

Author(s)

西村, 美帆; 成瀬, 九美

Citation

西村美帆・成瀬九美:奈良女子大学スポーツ科学研究(Research

Journal of Sport Science in Nara Women's University), Vol.14, pp. 37-43

Issue Date

2012-03-31

Description

URL

http://hdl.handle.net/10935/3165

Textversion

publisher

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緒言

高齢者が長い老後期間を有意義に,生きがいをもっ て暮らせるような「寝たきり防止」対策がさまざまに 講じられている.「国民生活基礎調査」(平成 19 年厚 生労働省1))によれば,「寝たきり」等の介護が必要 となった理由には,多い順に「脳血管疾患(脳卒中)」 (23.3%),「認知症」(14.0%),「高齢による衰弱」(13.6%), 「関節疾患」(12.2%),「骨折転倒」(9.3%)が挙げられ ている.このうち,「骨折転倒」は,転倒が,骨折などの 重篤な外傷を引き起こし,高齢者の生活機能を低下さ せるだけでなく,転倒恐怖感という心理的な影響をも たらして,運動・感覚機能の低下12)や活動範囲の狭小 化13)等の現象を引き起こし,日常生活における活動量 を制限するという転倒後症候群につながることが指 摘されている9). 高齢者の転倒の要因には,身体的要因を中心とした 内的要因と,生活環境を中心とした外的要因がある. このうち,内的要因として,転倒に関わる運動機能に は,「静的・動的バランス機能の低下」2),「下肢筋力 の低下」3),「関節可動性の低下」4),「歩行能力の低 下」5)などがあることから,主に下肢筋力を鍛える適切 な運動を実施することによって転倒リスクの発生を 抑えようとする取り組みが行われている. しかしながら,高齢者の日常生活場面では,歩きな がら会話をしたり,他の事柄に気を取られることが足 元への注意を散漫にし,ほんの少しの段差でつまずい たり転倒したりすることもある.昨今,理学療法学や リハビリテーションの領域では,転倒の要因として, 身体機能の低下に加えて,認知機能の低下も加味され るようになり,認知課題と歩行動作や立位姿勢保持運 動課題を同時に負荷する「二重課題(dual-task)」を 用いた研究がみられるようになった.2 つの動作を同 時に行う能力は「二重課題遂行能力」もしくは「注意 分配能力」と呼ばれており,この能力は加齢と共に低 下していくことが知られているが7),これらの研究で は,若年層と比較しながら高齢者に特徴的な反応特性 が報告されている. 池添ら 6)は,減算課題と立位姿勢保持課題(静的バ ランス能力)を二重課題とする実験を行い,高齢者と 大学生の遂行能力を比較した.その結果,大学生は単 純課題遂行時(減算課題無し)と二重課題遂行時(減 算課題負荷)に有意差はみられなかったが,高齢者は 二重課題遂行時の対応能力が低下し,特に左右方向の 重心動揺が大きくなった. そして,高齢者は認知課題が負荷された場合にバラ ンス能力が低下するだけではなく,普段の「立ち方」 そのものが変化することが指摘されている.長谷8)は, 立位姿勢保持課題において,認知課題を負荷された高 齢者は重心動揺総軌跡長や重心動揺面積が減少する が,これは前頸骨筋とヒラメ筋の同時収縮によって関 節の硬度を高めた立ち方であり,極めて不安定である と指摘している.また相馬ら11)はこのような足関節筋 の同時収縮が加齢に伴って増大することを報告して いる. 筆者らは高齢者を対象とした運動サークルで運動 指導をしている.このサークルは,高齢者の仲間づく りと運動を楽しむことを目的としたサークルである. レクリエーション・ゲームやリズム運動などを行う中 で,動きを促進するために声をかけたり,音楽のリズ ムに合わせて動くことがあるが,これらの外部から与 えられる刺激に対応しきれずに,参加者の動作が止ま ったり,足どりが乱れてバランスを崩しそうになるこ とがある.つまり,運動を行う場は,音楽や周囲の人達 に動きを合わせたり,次の運動を思い出すといった認 知的な能力と,姿勢を保持したり,筋力を発揮したりと いった運動能力が,様々に組み合わされて求められる 場でもある. 転倒を回避し高齢者が安全に運動が行 なえるように,指導者は,認知的要素が負荷された場 合のパフォーマンスへの影響について把握しておく 必要があるだろう. 従来の研究は日常生活での身体活動が想定されて おり,運動課題には歩行や立位姿勢保持やステッピン グ(できる限り速くその場で足踏みする)が用いられ ることが多い.また,認知課題には 100 から指定され た数を引く減算や過去の出来事を思い出す課題(記憶 課題)などが用いられている. 本研究では,運動場面 を想定し,特に,人の動きや教示などの外部刺激を取 り入れる場面を含めて,指示された速度で動作を行な う運動課題(前腕速度保持課題)や, 刺激音に対して

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出来る限り速く反応キーを押す課題(反応課題),3 秒ごとに繰り返される刺激音に同期して反応キーを 押す課題(同期課題)などの認知課題を加えた二重課 題条件を設定し,高齢者の反応特性を大学生と比較し て把握することを試みた.

方法

1.被験者 運動習慣のある健康な高齢期女性15 名(67.7±5.0 歳)と大学生女子10 名(22.5±2.0 歳). 2.実験課題及び実験装置 2-1.運動課題 ①立位姿勢保持課題 静止両脚開眼立位状況における静的バランス能力 を調べた.被験者は,グラビコーダ GS-11(アニマ株式 会社)の台上に,45 度開足(踵を接し,足尖を 45 度に 開いた足位)で直立し,両上肢を体側に接した姿勢を とった.被験者に,眼前約 2m 地点の壁に設置された (×)印の指標を凝視し,最もまっすぐだと思う姿勢 を 60 秒間保持するよう指示した. 60 秒間の重心動揺 面積と重心動揺総軌跡長および,前後・左右方向の動 揺平均中心変位を測定した. ②ステッピング課題 動的バランス能力および一定時間に発揮できる最 大筋力として開眼立位ステッピング回数を測定した. 被験者は,床に設置されたラインの後方に立ち,両上 肢を体側に接した姿勢をとった.被験者に,眼前約 2m 地点の壁に設置された(×)印の指標を凝視し,実験 者の発する「開始」の合図から「終了」の合図までの 30 秒間に,大腿部を床と平行になる高さに上げ,可能 な限りステッピング動作を多く行うよう指示した. 30 秒間のステッピング回数を測定した. ③前腕速度保持課題 左手で直径 40cm の回転盤(アルミニウム製)を時 計周りに回転し,モニターに映し出される基線に追随 して一定速度を保続する能力を調べた.被験者は,椅 座位で前方に机上に取り付けられた PC モニターと被 験者の中間に設置された机上の回転盤上の(-)印に 左手を乗せた姿勢をとった.被験者に,前方に設置さ れたモニター画面を注視し,モニター画面に映し出さ れる青い基線(10rpm)に追随するべく,回転盤の速度 を左手で調整し,自分自身の回転速度を示す緑色の線 が基線と平行になるように,回転速度を調整するよう 指示した.実験者は,被験者の回転盤回転速度が一定 で滑らかになった時点から 60 秒間の回転盤回転速度 を測定した. 2-2.認知課題条件 ①減算課題 100 から 3 または 6 または 7 を連続して引き,その 計算数と正確性を測定した.運動条件毎に引く数字を 変更し,被験者間でカウンターバランスをとり,計算 数とエラー数を測定した. ②想起課題 実験日から 1 週間前の火曜日または木曜日または 土曜日の 1 日の行動を,可能な限り詳細に思い出すよ うに教示した.運動条件毎に想起する曜日も変更し, 被験者間でカウンターバランスをとり,想起数を測定 した. ③反応課題 ランダムに発生する音刺激に対して,できるだけ早 くスイッチを右手人指し指で押し,スイッチ押し動作 までに費やした反応時間を測定した. 音刺激は,音刺 激発生装置(竹井機器工業株式会社)を用い,周波数 500Hzで被験者の左方から呈示した. ④同期課題 3 秒ごとに発生する音刺激に対して同期するよう にスイッチを右手人指し指で押すように指示し,タッ プ間間隔時間を測定した. 3.実験手続 被験者は実験室に入室後,運動習慣と転倒経験に関 する調査用紙に記入した.記入終了後,実験内容を説 明した.次に,被験者を 3 種類の運動課題のうちいず れかの運動課題遂行位置に移動させた.運動課題の実 施順序は被験者間でカウンターバランスをとった.各 運動課題に対する認知課題無し条件と 4 つの認知課 題の実施順序も被験者間でカウンターバランスをと った.各運動課題の中で 1 条件終了毎に 1 分間の休憩 を,1 運動課題終了毎に 2 分間の休憩を挟んだ.

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4.データの処理 ①認知課題を負荷しない control 条件時における高 齢者と大学生の比較については,課題毎に平均値を 算出した.群間の差の検定は,対応のないt検定を 用いた. ②二重課題負荷時の大学生と高齢者については,各群 内において, control 条件と 4 種類の認知課題条件 負荷時の平均値を比較した.条件間の差の検定には, 一元配置分散分析を用いた.

結果

運動課題の遂行結果を表1に示した. まず,認知課題条件を負荷しない場合の,高齢者と 大学生の測定値を比較する.立位姿勢保持課題におい て,大学生重心動揺の大きさを反映する重心動揺総軌 跡長と,抗重力筋の低下を反映する前後方向動揺中心 変 位 に 有 意 な 差 が 認 め ら れ た ( 総 軌 跡 長 : t=3.66,p<0.01; 前後中心変位:t=3.01,p<0.01).高齢 者の重心動揺総軌跡長(83.0cm)は,大学生(56.1cm) よりも有意に長かった.高齢者の前後方向中心変位 (-0.8cm)は大学生(-2.1cm)よりも有意に前方へ変位 していた.重心動揺外周面積と左右方向動揺中心変位 に有意差は認められなかった(外周面積:t=1.77,左右 中心変位:t=1.38).以上より,高齢者の足圧の中心位 置は大学生よりも前方にあり,大学生と比較して重心 動揺が大きい. ステッピング課題において,高齢者のステッピング 回数(55.2 回)は大学生(59.3 回)よりも少なかっ たが,高齢者の遂行は個人差が大きく(SD=11.8),有意 差は認められなかった(t=0.92). 前腕速度保持課題において,目標値(10rpm)に対し て,高齢者の回転速度(8.0rpm)は遅めであった.大 学生の回転速度(9.3rpm)との間に有意差は認められ なかった(t=0.64). 次に,認知課題を負荷して二重課題として行った場 表1 各課題遂行時の測定値 (平均値とSD) * p< .05 ** p<.01 減算 想起 反応 同期 M 3.6 5.7 6.4 3.3 3.2 1.34 SD 1.6 7.7 7.9 1.4 1.3 ns M 83.0 116.3 120.3 75.7 81.5 2.96 SD 19.9 75.0 66.6 22.9 19.4 ** M 0.3 0.6 0.4 0.4 0.3 0.24 SD 0.8 0.9 0.7 0.9 0.7 ns M -0.8 -0.5 -0.8 -0.9 -1.1 0.58 SD 1.3 1.1 0.9 1.4 1.4 ns M 55.2 48.7 51.9 57.9 54.9 2.12 SD 11.8 7.2 6.3 10.2 9.9 ns M 8.0 9.9 7.6 9.1 9.4 1.06 SD 3.0 4.7 2.9 3.8 3.8 ns M 2.4 2.0 2.2 2.7 1.7 0.81 SD 1.7 1.2 0.8 1.5 0.7 ns M 56.1 65.2 70.5 52.1 48.6 2.97 SD 14.6 20.4 20.2 13.1 14.2 * M -0.1 0.1 -0.1 -0.2 -0.2 0.47 SD 0.5 0.7 0.6 0.7 0.7 ns M -2.1 -1.7 -2.0 -2.4 -2.0 0.66 SD 0.8 1.2 1.0 1.0 0.9 ns M 59.3 59.4 63.4 63.9 64.5 0.17 SD 9.2 16.6 17.4 21.0 27.6 ns M 9.3 13.2 12.4 12.6 14.1 0.37 SD 6.4 9.2 8.5 10.5 11.6 ns 前腕速度保持課題(rpm) ANOVA 統制<想起 *  反応<減算 * 同期<減算 *  反応<想起 * 同期<想起 * 認知 課題 なし 同期<減算 *  反応<想起 * 同期<想起 ** 運動課題 立位姿勢保持課題 立位姿勢保持課題 左右方向 動揺中心変位(cm) 前後方向 動揺中心変位(cm) 認知課題あり ステッピング課題(回) 高 齢 者 大 学 生 ステッピング(回) 前腕速度保持課題(rpm) 重心動揺外周面積 (cm2) 重心動揺 総軌跡長(cm) 左右方向 動揺中心変位(cm) 前後方向 動揺中心変位(cm) 重心動揺外周面積 (cm2) 重心動揺 総軌跡長(cm)

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合の測定値を群内で比較する. まず,立位姿勢保持課題において,高齢者・大学生と もに,重心動揺総軌跡長に有意差が認められた(高齢 者:F(4,70)=2.96, p<.01; 大学生:F(4,45)=2.97, p<.05). 高齢者の場合,重心動揺軌跡長は反応課題時に最も 短く,想起課題で最も長くなった.また,認知課題を負 荷しない条件と比較して,反応課題や同期課題時の測 定値は減少し,減算課題や想起課題時は増加した.下位 検 定 の 結 果, 想 起 課 題 は , 認 知 課 題 な し (t=2.147,p<.05),反応課題(t=2.565, p<.05),同期 課題 (t=2.232, p<.05)よりも重心動揺総軌跡が有意 に長かった.減算課題は,反応課題(t=2.331, p<.05)や 同期課題(t=1.998, p<05)よりも重心動揺総軌跡が有 意に長かった. 大学生の場合も同様に,重心動揺軌跡長は反応課題 時に最も短く,想起課題で最も長くなった.下位検定の 結果,想起課題は,反応課題(t=2.454, p<.05)や同期課 題 (t=2.920, p<.01)よりも重心動揺総軌跡が有意に 長かった.減算課題は,同期課題(t=2.219, p<05)よりも 重心動揺総軌跡が有意に長かった. 重心動揺外周面積において,高齢者の場合は減算課 題(5.7cm2,, SD=6.4)や想起課題(7.7cm2,, SD=7.9)で, 認知課題を負荷しない条件(3.6cm2,, SD=1.6)や反応 課題(3.3cm2,, SD=1.4)や同期課題(3.2cm2,, SD=1.3) と比較して増加する傾向が認められたが,個人差が大 きく有意差は認められなかった. 次に,ステッピング課題において,高齢者の遂行回数 は,認知課題を負荷しない条件時と比較して,減算課題 と想起課題遂行時に減少し,反応課題と同期課題時に 増加したが有意差は認められなかった.大学生の遂行 回数はほぼ同じか,わずかに増加したが有意差は認め られなかった. 前腕速度保持課題において,高齢者の回転速度は認 知課題を負荷しない条件時と比較して,想起課題で減 少し,他の課題で増加したが有意差は認められなかっ た.大学生の回転速度は認知課題を課さない条件時と 比較していずれも増加傾向を示したが有意差は認め られなかった. 2 に認知課題の遂行結果を示した.減算課題につ いては,全ての運動課題において大学生の計算数は高 齢者を有意に上回った.想起課題については,立位姿 勢保持課題において大学生の想起数が高齢者を有意 に上回ったが,ステッピング課題や前腕速度保持課題 では大学生の遂行が低下して高齢者との差異が少な くなった.反応課題については,座位での遂行時に有 意差は認められなかったが,立位姿勢保持課題を含む 全ての運動課題遂行時に高齢者の反応時間が大学生 よりも有意に遅くなった.同期課題については,座位 での遂行時を含め全ての運動課題遂行時に有意な差 は認められなかった.

考察

認知課題を負荷しない場合,高齢者の重心動揺軌跡 長は大学生よりも有意に長く,前後中心変位は大学生 よりも有意に前方にあった.重心動揺軌跡長は重心動 揺の大きさを表す指標の一つであり,計測時間内の重 心点の移動した全長である.星ら9)の研究では,65 歳 以上の健常高齢者 65 名(女性.平均年齢 73.6 歳)の 立位開眼時の重心動揺軌跡長は 41.5cm(30 秒間)と 報告されており,本研究の 83.0cm(60 秒間)と同程度 M SD M SD 減算課題(回) 立位姿勢保持課題 20.60 6.32 33.20 14.76 2.55 * ステッピング課題 11.47 3.83 17.40 6.77 2.80 * 前腕速度保持課題 19.93 7.58 30.90 12.08 2.80 * 想起課題(個) 立位姿勢保持課題 10.13 3.89 13.70 1.95 3.03 ** ステッピング課題 6.13 2.33 7.40 2.17 1.37 前腕速度保持課題 10.07 2.96 11.00 3.37 0.73 反応課題(sec) 反応課題のみ(座位) 236.17 34.77 216.79 30.25 1.44 立位姿勢保持課題 219.19 20.45 264.04 64.85 2.50 * ステッピング課題 290.11 34.13 245.39 25.89 3.52 ** 前腕速度保持課題 317.59 49.75 258.22 18.08 4.22 ** 同期課題(sec) 同期課題のみ(座位) 3210.66 154.92 3138.25 11.25 1.80 立位姿勢保持課題 3145.25 7.71 3130.35 49.18 0.95 ステッピング課題 3129.08 74.96 3144.92 30.69 0.73 前腕速度保持課題 3153.58 42.48 3141.13 15.46 1.04 課題 t検定 高齢者 大学生 表2 認知課題の測定値(平均値と SD) * p< .05 ** p<.01

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である.これらの結果から,高齢者のバランス能力は 大学生よりも低く,また,異なる重心位置で姿勢を保 持している.また,前腕速度保持課題では,追従速度と して比較的遅い速度が提示されていたにも関わらず, 高齢者の遂行速度はこれよりも遅くなった.高齢者の 遅い速度感が何に起因するのか,例えば,筋力の低下 によるのか,或いは提示速度やフィードバックされた 速度の認知の仕方によるものか,についてはさらに詳 しい分析が必要である. そして,運動課題に減算課題や想起課題が負荷され て二重課題になった場合に,高齢者の重心動揺軌跡は さらに延伸した.頭の中で計算をしたり,過去の事象 を思い出すといった,記憶能力が関与するこれらの課 題では,今,目の前に起きていることから注意がそれ た「心ここにあらず」の状況が生まれる.村田ら14) は,健常成人(平均年齢 24.8 歳)を対象に精神作業負 荷(数字の逆唱と果物の名前の想起)の重心動揺に及 ぼす影響を調べ,精神作業負荷時には,統制条件と比 較して重心動揺軌跡長と外周面積が有意に増加した ことを報告している.この研究では計算の要素と想起 の要素が区別されていないが,記憶を伴った認知処理 が要求される課題が負荷された場合には身体感覚へ の意識が低下し重心動揺が大きくなると考えられる. 高齢者の場合,重心動揺軌跡の有意な延伸は想起課 題により強くみられた.一つの正解を順に求めてゆく 計算作業と比較して,「1週間前の出来事を思い出す」 想起作業は複合的かつ探索的であり,注意がより分散 されやすいと考えられる.一方, 本実験で用いた認知 課題のうち,反応課題と同期課題は,外部から与えら れる刺激(本研究では音刺激)を処理する能力が関与 する.これらの認知課題が負荷された場合に重心動揺 への影響は少なく,特に,3 秒ごとに周期的に繰り返 される音刺激に対する高齢者の反応は大学生と同等 であったことから,単純な刺激であればそれに集中す ることによりバランスが維持されることが期待され る. 高齢者では記憶に関する認知課題である減算課題 や想起課題が負荷された場合に,バランス能力の低下 に加えて,ステッピング回数の減少傾向や,速度保持 の低下傾向がみられた.大学生の場合は,立位姿勢保 持については高齢者と同様の重心動揺軌跡長の有意 な延伸が認められたが,ステッピング課題や速度保持 課題では負荷の影響は認められていない.相馬ら10) は,若年者と高齢者を対象に,減算課題が 9m 歩行路の 中間地点に設置された障害物(高さ 2cm,幅 15cm,奥行 き 80cm)跨ぎ動作に与える影響について検討を行っ ている.その結果,障害物を跨ぐために先に上げる足 のつま先と障害物との距離が,若年者は単純課題(認 知課題無し)遂行時よりも二重課題(認知課題負荷) 遂行時に高くなるのに対して,高齢者は単純課題遂行 時と二重課題遂行時に変化がなかった.つまり,若年 者が障害物に対して注意を保ち,その上で,先行する 足のつま先を実際に必要とされる高さ以上に挙げて 障害物を避けているのに対して,高齢者はその対応が できない.本研究の研究結果と合わせると, 記憶に関 する認知課題が負荷された場合に,高齢者の運動パフ ォーマンスは,バランス能力のみならず,最大筋力,速 度保持などを含んで全般的に低下する可能性が示唆 される. 以上の結果を踏まえ,高齢者の運動指導の際に留意 すべき点は次のような事項であろう. まず, 高齢者の立位姿勢は,二重課題状況となる以 前にもともと不安定である.静止立位姿勢から動き始 める際や,座位から立位に移行する際には,指導者自身 が余裕を持ち,対象者の動作を急がせない配慮が必要 である. 次に,記憶に関する認知処理が求められたときに,高 齢者の運動パフォーマンスは低下しやすくなる.この ことから,認知処理の負担を軽減して,運動に必要な情 報が確実に届くように工夫する必要がある.次々と複 数の指示を与えることを避け,パフォーマンスが行え ているかどうかを確認しながら,必要な指示を一つず つ出すことが求められる. また,単純な外部刺激に同期して動くことにより集 中が保たれやすくなることから,指導者が動作のリズ ムやタイミングを声や身振りで端的に伝えることや, 一定のテンポで演奏される音楽を用いることは有用 であろう. ゲーム的要素を加えた運動プログラムは,交流を促 進する楽しいプログラムである.即座に判断したり,

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他者の反応を取入れながら運動することによって,認 知機能と身体機能の両方を高めることが期待される が,一方で,注意が分散しやすく,身体への集中を欠く ことにもつながる.このことから,体力低下が目立つ 参加者に対しては, 同じ動きを繰り返し行うトレー ニング的要素の強いプログラムを提供して,身体機能 の維持を優先することも必要であろう. 注)本論文は西村美帆による平成 23 年度奈良女子大学大学 院人間文化研究科修士論文「高齢者の二重課題遂行時におけ る反応特性-大学生との比較から-」に加筆した.

引用文献

1) 厚生労働省(2010)平成 19 年度 国民生活基礎調査 Ⅳ. 介護の状況. 2) 泉キヨ子(1996)重心動揺ならびに歩行分析による高齢者 における転倒予測因子に関する研究,金沢大学十全医学会 雑誌:603-616. 3) 金俊東・久野譜也・相馬りか・増田和実・足立和隆・西 嶋尚彦・石津政雄・岡田守彦(2000)加齢による下肢筋量 の低下が歩行能力に及ぼす影響.体力科学:589-596. 4) 宮川健・渡部和彦(1992)高年齢の歩容に関するバイオメ カニクス的研究:障害物への対応.体力科學:832. 5) 島浩人・池添冬芽(2008) 施設入所高齢者におけるバラン ス能力および二重課題能力と転倒との関連について.理学 療法学:849. 6) 池添冬芽・浅川康吉・島浩人・市橋則明(2008)若年者と 高齢者における二重課題に対する対応能力の違いについ て.理学療法学:849. 7) 石原治(2003)高齢者の認知機能とバイオメカニズム,バ イオメカニズム学会誌:6-9 8) 長谷公隆(2006)立位姿勢の制御.日本リハビリテーショ ン医学会誌:542-553. 9) 星文彦・山中雅智・高橋正明・真木誠(1995)高齢者の 椅子からの立ち上がり動作パターンと重心動揺.北海道 大学医療技術短期大学部紀要(8):81-87. 10) 相馬正之・増田司・安彦鉄平・植松寿志・島村亮太・山 下輝昭(2008)高齢者における二重課題が障害物跨ぎ動作 に与える影響について.理学療法学:792. 11) 相馬優樹,衣笠隆,漆畑俊哉,三好寛和(2010)重心移動課 題における足関節筋の同時収縮に及ぼす加齢の影響.体力 科学(59):143-156 12) 上岡洋晴・武藤芳照(2000)転倒の病態生理.理学療 法:9-18. 13) 水上諭・釜崎敏彦・渡辺博・富田義人・北田智則・樋口 健吾・金ヶ江光生・千葉憲哉・塩塚順・木戸浩一郎(2007) 転倒恐怖感が生活体力及び QOL におよぼす影響について. 理学療法学:598. 14) 村田伸・津田彰・中原弘量(2005)音楽聴取と精神作業 負 荷 が 重 心 動 揺 に 及 ぼ す 影 響 . 理 学 療 法 科 学 20 (3):214-217.

参照

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