智山学 報第二十六輯
東
北
地
方
への
密
教
伝
播
月
光
善
弘
目 次 一 、 は じ め に 二 、 勝 大 寺 一 山 惣 衆 の 組 織H
支 配 職 ○ 別 当 勝 大 寺 口 衆 徒L
種 類 ω 清 僧 衆 徒 妻 帯 衆 徒 a 席 順 − 戒 臈 a 役 務 ω 院 主 坊 職 学 頭 坊 職 衆 徒 六 坊
4
, 衆 徒 高 国 補 佐 役 四 雑 務 役 国 門 前 衆 三、 お わ り に 一 、 は じ め に 東北 地方へ の密教伝 播 (月光善弘) 高 野 山 を 中 心 と し た 真 言 密 教 ( 東 密 ) と 比 叡 山 を 道 場 と し た 天 台 密 教 ( 台密
) と が 、 い つ 頃 ど の よ う に し て 各 地 方 に伝
播 し た の か 。 こ れ ら を東
北 地 方 の 場 合 に 探 ね て み る と 、 平 安 朝 初 期 に お い て も 国 分 寺 の 勢力
は 強 大 で あ っ ( 1 ) て 、 「 弘 仁 式 」 に よ れ ば 、 陸 奥 国 分 寺 料 六 万 東 、 出 羽 国 分寺
料 四 万 束 と 記 さ れ て い る が 、 『 延 喜 式 』 に は陸
奥 国 分 寺料
四 万 束 と だ け あ っ て 、 出 羽 国 分 寺料
は 書 き 上 げ ら れ て い な い 。 次 に 平 安朝
初 期 に は 定 額寺
制 度 が 隆 盛 に な っ た 時 期 で あ る と さ れ る が 、東
北 に お い て 定 額寺
と し て 史 料 に 見 ら れ る の は、 天 長 七 年 ( 八 三 〇 ) よ り貞
観
十 二 年 ( 八 七 〇 ) ま で の 四 十 一 年 間 に 八 ケ 寺 で あ り 、 そ の 中 ニ ケ寺
は 陸奥
国 ( 3 ) に し て、 他 の 六 ケ 寺 は 出 羽 国 と な っ て い る 。 こ の よ う に 、 出 羽 国 に 定 額寺
が 多 い の は前
述
の 『 延 喜 式 』 に 出 羽 国 分寺
料 が 書 き 上 げ ら れ て い な い こ と と 密 接 な 関 連 が あ る と 考 え ら れ る 。 ・ れ ら 官 寺 と し て の 国 分 寺 お よ び準
官寺
と し て の 定 額 寺 の ほ か ・ 陸 奥 国籍
郡 弘 隆 寺 天 台 別難
出 羽 国飽
海
郡 神 ( 5 )宮
寺 な ど も 建 立 さ れ 、 こ れ ら の 諸 寺 に は 、 真 言 や 天 台 の 密 教僧
も 派 遣 さ れ た の で は な い か と 考 え ら れ る が 明 ら か で は な い 。 が ぐ ぶ ( 6 ) 本 稿 で は 『 宮 城 県 史 』 に 記 載 さ れ て い る 「 楽峯
山 菩 提 院 勝 大 寺 書 出 」 ( 以 下 「 書 出 」 と す ) に 一61
一智山 学報 第二十六 ( 7 ) 一 永 承 二 年 八 月 十 日 二 王 堂 建 立
棟
札
写 ヲ 以 左 二 御 書 上仕
候 事 ( 後 略 ) と あ り 、永
承 二 年 ( 一 〇 四 七 ) 八 月 十 日 、 楽峯
山 菩 提 院 勝 大 寺 の 二 王 堂 建 立 棟 札 写 ( 以 下 「棟
札 写 」 と す )ー
「 資 料 一 」 参 照1
の 表 面 に 、 仏 師賢
等 が 願 主 と な っ て勧
進 し 、 二 王 堂 を 修 造 し たも
の の よ う で あ る が 、 当 時 の院
主 は 実 乗 坊 の 快 舜 律 師 で あ り、裏
面 に は 院 主 ほ か 十 六 坊 の 衆 徒 、 そ の ほ か 八 坊 と 法 橋 行 善 の名
が 書 き 上 げ ら れ て い る の で 、 こ の 一 山 の 組 織 を 明 ら か に す る こ と に よ り 、 東 北 地 方 へ の 密 教 伝 播 に つ い て の 一 端 を 理 解 す る こ と が で き る も の と 考 え ら れ る 。 二 、勝
大 寺 [ 山 惣 衆 の 組 織 勝 大寺
観 音 堂 の 本尊
に つ い て 『 書 出 』 の 中 に 一 当 山観
音 閣 之 義 ハ 田 村 丸御
台 所 鈴 鹿 御 前 守 本尊
弐 寸 八 分 閭 浮檀
金 仏 竜 宮 出 現 之 秘 仏 二 而御
髪 元 結 之 内 二 御 納被
遊 候 由 申 伝 候 大 同 二 年 田 村 丸 御 草 創 二 而 当 山 ハ 伝 教 大 師 御 開 基 故 殺 生 禁断
之 霊 地 と 申 伝 置 候 嘉 祥 三 年 慈 覚 大師
当 山 二 王 を 御 彫 刻 被 成 往 古 ハ 一 村 今 之 当 郡 三 迫 金 成 村 照 山 南 円 寺 観 音 閣 と 右 二 王 堂 同 開 基 二 御 座 候 当 山 ハ奥
州 七 ケ 所 之 内 二 而慈
覚 大 師奥
州 三 十 三 番 順 礼 札 所 を 被 相 撰 候 内 当 山 ハ 廿 三 番 二御
座 候 照 山 観 音 閣 ハ 第 廿 六 番 二御
〔 8 ) 座 候 ( 後 略 ) と あ り 、 勝 大 寺 の御
本 尊 は 坂 上 田 村 麻 呂 夫 人 鈴 鹿 御前
の 守 り 本 尊 に し て 二 寸 八 分 、 当 山 は 大 同 二 年 ( 八 〇 七 ) 田 村 麻 呂 の 開 創、 伝 教 大 師 の 開 基 で あ っ て 殺 生 禁 断 の 霊 地 と 伝 え ら れ て い る 。 嘉 祥 三 年 (=
〇 八 ) に 慈 覚 大 師 が 当 山 の 二 王 を 御 彫 刻 な さ れ、 古 く は 三 迫 金 成 村 照 山 の 南 円寺
観 音 堂 と 勝 大 寺 二 王 堂 と は 同時
に 開 基 さ れ た も の で 、 勝大
寺 の 観 音 は 奥 州 七観
音 の 一 つ で あ り 、 慈 覚 大 師 が 奥 州 三 十 三 ケ 所 の 巡 礼 札 所 を 選 ば れ た 中 の 第 二 十 三 番 に し て 、 照 山 観 音 堂 は 第 二 十 六 番 に あ た る と 記 さ れ て い る 。東北地方へ の密教伝 播 (月光善弘 ) 次 に 観 音 堂 の 創 建 ・ 建 替 お よ び 修 覆 に つ い て 『
書
出 』 の 中 に ( 9 ) 一 当 山観
音 堂 往 古 田 村 将 軍 御 建 立 已 来 御 領 主様
夕 御 建 替御
造 営 御 修覆
共 二 被成
下 候 由 ( 後 略 ) と あ り 、勝
大 寺 観 音 堂 は 坂 上 田 村 麻 呂 将 軍 が 建 立 し 、 そ の 後 は 代 々 の 領 主 に よ っ て 建 替 え や 修覆
が な さ れ て き た こ と が 述 べ ら れ て い る 。 〔 10 ) 「 略 年 譜 」 に よ り 坂 上 田 村 麻 呂 の 事 蹟 を 見 る と 、 田 村麻
呂 は 天 平 宝 字 二年
( 七 五 八 ) に 出 生 、 延 暦 十 年 ( 七 九 一 ) 七 月 十 三 日 、 三 十 四 歳 に し て 征 東 副 使 と な り 、 同 十 二 年 ( 七 九 三 ) 二 月 二 十 一 日 、 征討
に 向 い 、 同 十 三 年 ( 七 九 四 ) 六 月 十 三 日 、 蝦 夷 を 討 伐 、 同 十 四 年 ( 七 九 五 ) 二 月 七 日 、 征 夷 の 功 に よ り 従 四 位 上 を授
け ら れ 、 同 十 五 年 ( 七 九 六 ) 一 月 二 十 五 日 、 陸 奥 出 羽 按 察 使 兼陸
奥 守 に 任命
さ れ 、 同 年 十 月 二 十 七 日 、 鎮 守 府 将 軍 を も 兼 任 、 同 十 六 年 ( 七 九 七 ) 十 一 月 五 日 、 四 十 歳 に し て 征 夷 大 将 軍 に 任 命 さ れ 、 同 二 十 一 年 ( 八 〇 二 ) 一 月 九 日 、 陸 奥 国 胆 沢 城 造 営 に 派 遣 さ れ 、 こ の 年 、 胆 沢 城 完 成 し 鎮 守 府 多 賀 城 よ り 移 る と あ っ て 、 高 橋 崇 著 『 坂 上 田村
麻
呂 』 の 最 初 に い さ わ 胆 沢 城 は 延 暦 二 十 一 年 ( 八 〇 二 ) に 坂 上 田村
麻
呂 が 築 き 、 の ち 鎮 守 府 が 多 賀 城 か ら 移 さ れ た 。遺
跡
は 水 沢 市 の 北 に あ り 、 最 近 の 調 査 で 、 そ の 規 模 が ほ ぼ 六 町 内外
の 方 形 区 画 で あ る こ と 、 中 央 の や や 東 よ り に 堀 立柱
に よ る建
物
、郭
外 南 方 に 柱 脚遺
構 が存
し た こ と な ど が 判 明 し た 。東
( 写 真 上 ) に 北 上 川 が流
れ 胆 沢 川 ( 左 上 ) と 直 交 、城
( 11 )跡
西 南 の 隅 を い ま 東 北 本 線 が 走 り 、 そ れ に 国 道 ( 中 央 斜 ) が 並 行 し て い る 。 ( 九 一 頁 参 照 ) 。 と あ り 、 胆 沢 城 跡 全 景 ( 岩 手 県 文 化 財 調 査 報告
四 『胆
沢 城 跡 』 に よ る ) の 写 真 が 掲載
さ れ て い る 。 ま た 同 書 の 中 に ど し や と こ ろ で 、 一 月 二 十 日 に 田 村 麻 呂 は度
者 ( 僧 侶 )一 人 を
賜
わ っ て い る の で あ る ( 『 類聚
国 史 』 ) 。 こ の こ と は 、 お そ ら く 田 村麻
呂 の申
請
に よ る も の で あ り、 陸奥
へ伴
う た め で あ っ た ろ う 。 田 村 麻 呂 自 身、 仏 に 対 す る 信 仰 心 が 厚 か っ た の で 、 一 応征
服
の 成 っ た 胆 沢 地方
に も僧
侶 を 連 れ て ゆ き、 蝦 夷 の 教 化 を 行 な う 考 え で あ っ た と 思 わ れ 一 63 一智山学 報第二十六輯 ( 12 ) る 。 従 っ て 、 田 村
麻
呂 は 二 十 日 以 後 に 陸奥
へ 下 っ た の で あ ろ う 。 と あ り 、 延暦
二 十 一 年 ( 八 〇 二 ) 一 月 二 十 日 、 田 村麻
呂 は 度者
( 僧 侶 ) 一 人 を 賜 わ っ た が 、 こ の こ と は 、 一 応 征 服 の 成 っ た 胆 沢 地 方 に僧
侶 を 連 れ てゆ
き
、 蝦 夷 に 対 し て 仏 教 に よ る 教 化 を 行 な う 考 え で あ っ た の で あ ろ う と述
べ ら れ て い る 。 以 上 よ り す る と 、 信 仰 心 の 厚 か っ た 征 夷 大 将 軍 坂 上 田 村 麻 呂 が 、 大 同 二 年 ( 八 〇 七 ) の 年 号 は と も か く と し て 、 陸 奥 国 府 ( 多 賀 城 ) と 胆 沢 城 の ほ ぼ 中 間 に あ た る 伊 治 城 の 北 方 小 迫 の 地 に 、夫
人 の 守 り 本尊
で あ る 観 音像
を 奉 祀 し、 観 音 堂 を 建 立 し た こ と は考
え て も 差 支 え な い の で は な か ろ う か 。 そ し て そ こ に 奉 仕 す る 人 々 の 主 体 が 、 密 教 系 の 聖 職 者 た ち であ
り 、 永 承 二年
( 一 〇 四 七 ) の 頃 に は 「 棟 札 写 」 の 裏 に 書 上 げ ら れ て い る 一 山 惣 衆 が 存在
し て い た の であ
ろ う 。 ( 12 ) 「 棟 札 写 」 に よ れ ば 勝 大寺
一 山 は、 永 承 二 年 に は 一 山 寺 院 を 形 成 し て い た と 考 え ら れ る の で 、 一 山寺
院 の 組 織 の 分類
に従
っ て 、 支 配 職 ・ 衆 徒 ・ 補 佐 役 ・ 雑 務 役 お よ び 門 前 衆 な ど に 大 別 し て 考 察 し て み よ う 。の
支 配 職 ○ 別 当 勝 大寺
「 書 出 」 の 「 = 腸 論 教坊
」 の 項 に 廿 五 世 論 教 坊 高 宜 右 高 宜 代 宝 永 年 中 品 川 様 御 祈 祷 之 普 門 品 読 誦 当 山 江 被 仰 付 候節
ハ 別 当 勝 大 寺 法 印 ハ 経 導 師 並 修 法 仕 論 教 坊 始 衆 伽〔 14 ) 徒 六 坊 江 御 経 並 机 六 脚被
渡 下 御 具物
御 入 料 且 又御
扶 持 方 迄被
下 置 候 而 於 観 音 閣 二 相 勤申
候 事 と あ り 、 論教
坊 二 十 五 世 高 宜 代 の 宝 永 年 中 ( 一 七 〇 四 〜 冖 七 一 〇 ) 、 品 川 様 御 祈 祷 の た め 、 普門
品 の 読 誦 を 当 山 え 仰 せ 付 け ら れ た 時 、 観 音 堂 に お い て 別 当 勝 大 寺 法 印 が 経導
師 と な っ て 法 会 を 厳 修 し 、 助 法 を 勤 め た 論 教 坊 を は じ め東北地方へ の密教伝播 (月光善弘 ) と す る 衆 徒 六 坊 え 、 お
経
な ら び に経
机 六 脚 な ど、 さ ら に お 供 物 ・ 御 入 料 な ど 、 そ の 上御
扶 持 ま で お 下 し に な ら れ た こ と が 述 べ ら れ て い る の で 、 宝 永年
中 ( 一 七 〇 四 〜 一 七 一 〇 ) の 頃 に は 、 別 当 職 を 勝大
寺 の 法 印 が 勤 め て い た こ と が 知 ら れ る 。 次 に 「 書 出 」 の 二 臈実
乗 坊 の 項 に ( 前 略 ) 享 保 年 中品 川
様
為
御
菩 提 之 於 松嶋
二 惣御
回 向 被 仰 付 候 節 当 山勝
大寺
並 衆徒
罷 登 候 様 被 仰 渡 候 処勝
大
寺
六 十 五 世宥
澄 法 印 並 実 乗 坊寛
誉 等 御 城 下 江 罷 登 候 処勝
大 寺 並 惣 衆 徒 中 江 為 骨 折 銀 子 壱 枚 御 郡 司 様 ヲ 以 被 仰 渡被
下 ( 15 ) 置 候 由 二御
座 候得
共 (後
略 ) と あ り 、 享 保 年 中 ( 一 七 一 六 〜 一 七 三 五 ) 品 川 様 菩提
の た め 松 島 で 総 回 向 を 仰 付 け ら れ た時
、 勝 大 寺 六 十 五 世 宥 澄 法 印 な ら び に 実 乗坊
寛 誉 等 の 総 衆 徒 が 御城
下 に 参 上 し て お 勤 め し た こ と が 記 さ れ て い る 。 ま た 三 月 三 日 御祭
礼 の 時 に 舞 わ れ る 古 伝 の 式 五 番 の 行 事 の 第 三 番 で あ る 飛 作舞
の 項 に 、 右 ハ 当 山 二 而 ハ名
義本
文 之 通 二 御 座 候 処 大 坂 天 王 寺 二 も 此 舞 有 之 於 彼 地 ハ 小 蝶 の 舞 と申
候 由 二 御 座 候 別 当 勝 大 寺 ( 16 )第
六 十 八 世 来 雄 法 印 於 大 坂 二 見 物 被致
候 処 当 山 之 飛 作 舞 二 少 も 相 違 無 之 由 被 申 伝 候 事 と あ っ て 、 勝 大 寺 一 山 の御
祭 礼 に舞
わ れ る 飛 作 舞 は 、 別 当勝
大 寺 第 六 十 八 世来
雄 法 印 が 大 坂 の 天 王 寺 で 見物
し た 所、 天 王 寺 で 小 蝶 の 舞 と 呼 ば れ て い る 舞 に 同 じ で あ っ た と 述 べ て あ り 、 別 当 勝 大寺
の 第 六 十 八 世 は 来 雄 法 印 で あ る こ と が わ か る 。 さ ら に 「 書 出 」 の 中 に 一 当 山観
音
閣 閻 浮 檀 金 霊 仏 之 深 秘 二 付 ( 中略
) 宝 暦 十 一年
二 も 三 月 五 日 夕 五 月 朔 日 迄 ( 中 略 ) 別 当 勝 大寺
夕 願 申 上 御 代 官青
木弥
太 郎 様 夕 (後
略
) 一 当 山観
音
堂 往 古 田 村 将 軍 御建
立 己 来 御 領 主様
夕 御 建 替 御 造 営 御 修覆
共 二 被 成 下 候 由 ( 中略
) 享 保 十 四 年 十 二 月65
一智 山学報第二十六輯 +
百
遠肇
左 衛門
様 小 野伊
左衛
門 様 門 田 庄助
様 江 別 当 勝 大 寺纛
申 上 候 処顧
略 ) と あ り 、 勝 大寺
一 山 の本
尊 御 開 帳 に 関 す る こ と や観
音 堂 修覆
の 件 に 関 す る 領 主 へ の 請願
は 、 近 世 に お い て は 別 当 勝 大 寺 よ り な さ れ て い る こ と が わ か る 。 以 上 よ り す る と 、勝
大 寺 「 山 に は 別 当 職 を 勤 め て い た 勝 大 寺 と い う寺
が あ り 、衆
徒
と は 別 格 の寺
で あ り、 勝 大寺
一 山 を 代 表 し て 領 主 に 請 願 な ど を行
い 、 享 保年
中 ( 一 七 一 六 〜 一 七 三 五 〜 ) に は 、 別 当 勝 大 寺 の 法 印 は 六 十 五 世 な の で 、 一 世 の 在 任 年 数 は 不 明 で あ る が 、 別 当勝
大 寺 は か な り 古 く か ら 存 在 し 、 近 世 の 間 も 存続
し た こ と が 知 ら れ る 。 口 衆徒
1
種類
「書
出 」 の 初 め に 衆徒 三 迫 惣 鎮 守 白 山
藁
徒 往 古何
年 之蓼
相 立 候 哉 相 知 不 申 候 得 共 歴 代 並 実 名 相 知 候 分奪
一 御 書 上 仕 候. と あ り 、 三 迫 総 鎮 守 白 山 社 の 衆 徒 は、 何 時 頃 形 成 さ れ た の か 不 明 で あ る が、 衆 徒 の 歴 代 な ら び に 実 名 の 知 り 得 る 分 を 書 き 上 げ る と し て 、 十 四 坊 の 衆 徒 の 歴 代 ・ 実 名 に つ い て 記 し 、 そ の 末 尾 に 但 永 承 年 中 迄 ハ 廿 六 坊 御 座 候 処 其 後 円 蜜 坊 顕 智
坊
舜 明 坊 蜜 道坊
明 識 坊 禅 光坊
円 観 坊 舜 円 坊 理 勝 坊 日輪
坊 南 滝 坊 光 ( 19 ) 意坊
以 上 十 二 坊 ハ 退 転 仕 候 事 と 記 さ れ て い る 。 以 上 よ り す る と 、 勝 大 寺 一 山 衆 徒 は 、 古 く は 三 迫 総 鎮 守 白 山 社 衆 徒 であ
り 、 何 年 の 頃 に 開 創 さ れ た の か 不 明 であ
る が 、 永 承 年 中 ( 一 〇 四 六 〜 「 〇 五 二 ) ま で 二 十 六 坊 ( 資 料 二 参 照 ) 存在
し た が 、 そ の 後 、 円蜜
坊 ・ 顕智
坊 ・舜
明東北地方へ の密 教伝播 (月光善弘) 坊 ・ 蜜 道 坊 ・ 明 識 坊 ・
禅
光 坊 ・ 円 観 坊 ・ 舜 円 坊 ・ 理 勝 坊 ・ 日輪
坊 ・ 南滝
坊 ・ 光 意 坊 な ど の 十 二 坊 は 退 転 し 、 十 四 坊 と な っ た こ と が わ か る 。 「 棟 札 写 」 に は 院 主 実 乗 坊 以 下 二 十 五 坊 名 が 書 上 げ ら れ て い る が 、 法 橋 行 善 を 含 め る と 二 十 六 と な る ( 資 料 一 参 照 ) 。 「 書 出 」 で は 法 橋 坊 と し て 衆徒
十 四坊
の 末 尾 に 書 上 げ ら れ て い る の で 、 永 承 年 中 ま で は 二 十 六 坊 存在
し た と い う 場 合 、 二 十 六 坊 の 中 に 法橋
行 善 も 包 含 さ れ て い る も の と 考 え ら れ る 。 以 上 永 承 二 年 ( 一 〇 四 七 ) ま で 二 十 六 坊 が 存 在 し 、 そ の 後 十 二 坊 が 退 転 し て 十 四 坊 と な り 、 そ れ ら 衆徒
十 四坊
の 歴 代 な ら び に 実 名 が 書 上げ
ら れ て い る の を 見 る と 、勝
大 寺 一 山 の 衆 徒 も 古 く は 清 僧 と 妻 帯 の 二 つ に 大 別 さ れ 、清
僧
が 妻 帯 の 上 位 で あ っ た も の と 考 え ら れ る 。 何 と な れ ば 、 「 書 上 」 を 見 て も 、 も と 清 僧 が 勤 あ て い た 坊 は 、 妻 帯 で あ っ た 坊 よ り も 先 に書
上 げ ら れ て い る か ら で あ る 。 田 清 僧 衆徒
「 書 出 」 の 一 萬 論 教 坊 の 項 に 中 興 論 教 坊 宝 舜 阿 闍 梨 右 ハ 古 来 代 々 清 僧 二 而 相 続 仕 大 樹 幕 下御
武 運 長 久 国 家 安 全 之 御 祈 祷 相 勤 候 由其
後 何 世 論 教 坊 代 と 申 義 ハ 相 知 不 申 候 得 共 文 治 五 年 閏 四 月 廿 八 日 源 義 経 公 御 没 落 以 後 藤 原 泰 衡 為 誅 伐 之 源 頼朝
公御
下 向被
成 当 郡 三 迫 平 形 村 並 岩 崎 村 二 を ひ て 御 合戦
被 遊 泰 衡 敗 軍 被 引 退 候 二 付 当 山江
御 入御
旅 陣 二 罷 成 候 折 白 山 社 江 御 祈 誓被
相 懸 候 由 建 久 元 年 九 月 泰 衡 御 征 伐 被成
同 月 十 三 日 御 上 洛 之 砌 当 山 二 数 日御
逗 留御
軍 勢 を 被 休 ( 中 略 ) 其 節 ハ 当 山 ハ 江 州 比 叡 山 之 末 山 二 而 寺 院 坊 舎 惣 而 天 台 宗 二 御 座 候 処 本 山 江 御 願 被成
衆
徒 不残
妻帯
二 御 免 許 罷 成 坊 跡 相 続 無断
絶 様 二 と 頼 朝 公 夕葛
西 ( 20 ) 三 郎 様 清 重 江被
仰 渡 候 由 申 伝 候 ( 後略
) と あ り 、 論 教 坊 は 古 来 代 々 清 僧 が 相 続 し て 武 運 長久
・ 国 家 安 全 の 御 祈 祷 を 勤 め て き た の であ
る 。 そ の 後 幾 世 代 を 経過
し た の か 不 明 で あ る が、 建 久 元 年 ( 一 一 九 〇 ) 九 月 源頼
朝 が 平泉
の 藤 原 泰衡
を 征 伐 さ れ 、 九 月 十 三 日 御 上 洛 の 一67
智 山学 報第二十六 輯 際 、 当 山 に
数
日 逗 留 し て 軍 勢 を 休 め ら れ た 。 そ の 時 当 山 は 比 叡 山 末 で あ り 、寺
院 坊 は す べ て 天 台宗
で あ っ た が 、本
山 に お 願 い し て 衆 徒 は 全 部 妻 帯 と な り 、 坊 跡 を 世襲
相 続 し て 断 絶 す る こ と の な い よ う に と 、 頼朝
公 よ り 当 地 の 支配
に 派 遣 さ れ た 葛 西 三 郎 清 重 え 仰 せ 渡 さ れ た と 伝 え ら れ て い る 。 以 上 よ り す る と 、 三 迫 総鎮
守 白 山社
衆 徒 で あ っ た 論 教 坊 は 、 古 く か ら 建 久 元 年 ( 一 一 九 〇 ) ま で 清僧
で あ っ た が 、 こ の 年 か ら 頼 朝 公 の 仰 せ 渡 し に よ り 妻 帯衆
徒 と な っ た も の の よ う で あ る 。 こ の こ と は 実 乗 坊 円 真 坊 ・ 成 実 坊 ・ 円 林 坊 ・ 光実
坊 ・ 中 台 ( 仲 大 ) 坊 ・ 光 智 坊 ・ 正 円 ( 勝 円 ) 坊 ・ 真 鏡 坊 な ど の 場 合 も 同 じ で あ っ た よ う で 、 そ れ ぞ れ の 項 に 「 ( 前略
) 清 僧 二 御 座 候 処 此 又 建 久 年 中 タ 妻 帯 二 罷 成 候 由 申 伝 候 ( 後 ( 21 ) 略 ) 」 と 記 さ れ て い る 。 側 妻 帯 衆 徒 ( 鎗 ) 「 書 出 」 の 乗 月 坊 ・ 堯 真 坊 ・ 教 実 坊 ・ 法 橋 坊 の 項 に 只 前 略 ) 古 来 タ 妻 帯 二 御 座 候 (後
略
) 」 と 書 き 上 げ ら れ て い る の で 、 こ れ ら の 坊 に つ い て 少 し く 探 ね て 見 よ う 。 ω 乗 月 坊 「 書 出 」 の 乗 月 坊 の 初 め に 前 書 棟 札 写 二 乗 月 坊 廊 丸 と 有 之 往 古 当 坊 境 内 二 阿 弥 陀 堂 有 之 右 別 当 所 二 御 座 候 処 堂 ハ 退 転 罷 成 候 得 共本
尊
ハ 勝 大 ( 23 ) 寺 二 相 納 居 申 候 (後
略 ) と あ り 、永
承 二 年 ( 一 〇 四 七 ) の 「 棟 札 写 」 の裏
に 乗 月 坊廊
丸 と あ る が 、 こ れ が 乗 月 坊 の 中 興 で あ り 、清
僧 衆 徒 よ り は 一字
下 げ て 書き
上 げ ら れ て い る 。 古 く は 乗 月 坊 の境
内 に 阿 弥 陀 堂 が あ っ て、 そ の 別 当 を 動 め て い た の で あ る が 、 御 堂 が な く な っ て か ら 阿弥
陀 像 を 勝 大 寺 に 合 祀 し た こ と が 記 さ れ て い る 。 安 永 六 年 ま で 何 代 を 経 て い る の か 不 明 で あ る 。東北地方へ の密教伝播 (月光善弘) 回 堯 真 坊 「 書 出 」 の 堯 真 坊 の 初 め に 前 書 棟 札 写 二 堯 真 坊 法 師 密 眼 と
有
之 候 ( 中略
) 古 来 夕妻
帯 二 御 座 候 白 山 社 観 音閣
十 ニ ケ 月 常 灯 明 之 役 坊 二 而 油 田 ( 24 ) 之 御寄
進 取 扱 来 候 由 申 伝 候 右 堯 真 坊 法 師 密 眼 中 興 初 代 二 相 立 御書
上 仕 候 事 と あ り 、永
承 二 年 の 「棟
札
写 」 の 裏 に 、 堯 真 坊 法 師 密 眼 と あ っ て 、 古 く か ら 妻 帯 で あ り 、 白 山 社 と 観 音 堂 に 常 灯 明 を 荘 厳 す る役
坊 で 、 油 田 の 寄 進 を 取 扱 っ て 来 た こ と が 伝 え ら れ て お り 、 堯 真 坊 法 師密
眼 を 中 興 初 代 と し て書
上 げ た こ と が 記 さ れ て い る 。 教 実 坊 「 書 出 」 の 教 実坊
の 初 め に前
書 棟 札写
二 教 実 坊 法 師 賢 道 と 有 之 候 ( 中略
)文
治 建 久 之 頃 先 住 教実
坊 代 源 頼朝
公 当 山 江 始 而 御 入 被 成 候 砌 御 案 ( 25 ) 内 相 勤 候 坊 跡 之 由 申 伝 候 得 共 前後
歴 代 相 知 不 申 候 二 付 教 実 坊 法 師賢
道 中 興 初 代 二 相 立 御 書 上 仕 候 事 と あ り 、 「 棟 札 写 」 の 裏 に 「 教 実 坊 法 師賢
道 」 と 記 さ れ て い る ( 「 資 料 一 」 参 照 ) 。 文 治 ・ 建 久 の 頃 ( 一 一 八 五 〜 一 一 九 八 ) 、 先 住 教 実 坊 の 代 に 、 源 頼朝
公 が 当 山 へ 始 め て お 入 り な ら れ た 時 、 御 案 内 を 勤 め た 坊跡
で あ る と伝
え ら れ て い る が 、 歴 代 が 不 明 な の で 、 教 実 坊 法 師 賢 道 を 中 興 初 代 と し て 書 き 上 げ た の であ
る と 記 さ れ て い る 。 目 法 橋 坊 「 書 出 」 の 法 橋 坊 の 初 め に前
書棟
札
写
二 法 橋 行 善 と 有 之其
頃 ハ 代 々 当 坊 ハ 法 橋 之官
位
二 被 成 下 代 々 法 橋 行 善 と 相 名 乗 候 由申
伝 候 処 何 年 之 頃 夕 法 橋坊
と 坊 名 二 罷 成 候 哉 右年
代 共 二 相 知 不申
候 ( 中 略 )鎌
倉 様 江 御 守札
指 上 候 節 ハ毎
年 光 意 坊 並 法 橋 行 善 両 坊 罷 ( % ) 登 候 由 申 伝 候 但 光 意 坊 ハ 退 転 仕 候 処 右 年 月 日 相 知 不 申 候 当 地 ハ 法 橋 行 善 中 興 初 代 二 相 立 御 書 上仕
候 事 一 69 一智 山学 報第二十六輯 と あ り 、 「 棟 札 写 」 の 裏 に 法 橋 行 善 と あ り ( 「
資
料=
参 照 ) 、 永 承 二 年 ( 一 〇 四 七 ) の 頃 は 、 代 々 法 橋 の官
位 に な っ て い て 、 法 橋 行 善 と 名 乗 っ て い た こ と が 伝 え ら れ て い る が 、 何 時 頃 か ら か 不 明 で あ る が 、 法 橋坊
と 坊 名 に な っ た の で あ る 。鎌
倉 様 え 守 札 を 献 上 す る 時 は 、 毎年
光 意 坊 と 法 橋 行 善 の 両 坊 が 鎌 倉 に 参 上 し た こ と が伝
え ら れ て い る 。 そ の 後 、 光意
坊 は な く な っ た が 、 何 時 退 転 し た の か 不 明 で あ る 。 当 地 は 法 橋 行善
の 場 所 で あ り 、 法 橋 行 善 を 中 興 初 代 と し て 書 き 上 げ た の で あ る と 記 し て い る 。2
席 順 − 戒 蕩 「 勝 大寺
一 山 惣 衆 」 ( 「 資 料 二 」 参 照 ) に 書 上 げ ら れ て い る 永 承 二 年 ( 一 〇 四 七 ) の 坊 の 順 序 と安
永 六年
( 一 七 七 七 ) の 「 書 出 」 の 坊順
と は 相 違 し て い る が、 こ の こ と は 、 衆徒
の 席 順 が 戒 藹 に よ っ て 定 め ら れ て い た こ と を 示 す も の で あ る 。 そ の 理 由 と し て、 「 書 出 」 で は 一 蘭 論 教 坊 、 二 璃 実 乗 坊 と あ っ て 、 一 藤 が 先 に 書き
上 げ ら れ て い る か ら で あ る 。3
役 務 「 書 出 」 を 見 る と院
主 坊 職 ・ 学 頭 坊 職 ・ 五 重 宝 塔 別 当 ・ 執 筆 役 ・ 経 蔵 別 当 職 ・ 阿 弥 陀 堂 別 当 な ど の 役 務 を 、 勝 大 寺 一 山 衆 徒 が 勤 め て い た 。 こ れ ら の ほ か 、 衆徒
六 坊 の 役務
が あ っ た よ う で あ る が 、 こ れ ら の 中 、 院 主 坊 職 ・ 学 頭 坊 職 お よ び 衆 徒 六 坊 な ど の 役 務 に つ い て 述 べ て み よ う 。 ω 院 主 坊 職 「 棟 札 写 」 の 表 に 、 永 承 二 年 丁 亥 八 月 十 日 時 之院
主 実 乗 坊 快 舜 律 師 と あ り 、 裏 に は最
初 に 「 院 主実
乗 坊 快 舜 律 師 」 と 書 き 上 げ ら れ て い る ( 「 資 料 一 参 照 」 ) 。 次 に 「書
出 」 の 二 璃 実 乗 坊 の 項 に 一 小 名 湯 屋 ノ 上東北 地方へ の密教伝 播 (月光 善弘)
前
書 棟 札 写 二 院 主 実乗
坊 快 舜 律 師 と 有 之 其 頃 ハ 当 山 衆 徒 之 惣 頭 二 而 院 主 坊 職 二 候 得 共 当 時 ハ ニ 臈 職 二 御 座 候 一 臈 論 教 坊 書 出 之 通 天 下 泰 平 国 家 安 全 之 御 祈 祷古
来 夕 相 勤 清僧
二 御 座 候 処 此 又 建 久 年 中 夕 妻 帯 二 罷 成 候 由 申 伝 候 右 快 舜 律 師 中 興 初 代 二 相 立 御 書 上 仕 候 事 へ 27 ) 中 興 院 主 実 乗 坊 快 舜 律 師 ( 後略
) と あ り 、 「棟
札 写 」 に 、 院 主 実 乗 坊快
舜 律 師 と 書 き 上 げ て あ り 、 永 承 二 年実
乗 坊 は 衆 徒 の 総 頭 に し て 院 主 坊 職 で あ っ た が 、 書 出 の 記 録 さ れ た 安 永 六年
( 一 七 七 七 ) の 当 時 は 二 鷯 職 を 勤 め て い る 。 一 萬 を 勤 め て い た 諭 教 坊 書 出 の 通 り 、 古 来 よ り 天 下 泰 平 ・ 国 家 安 全 の御
祈 祷 を 相 勤 め 、 清僧
で あ っ た が 建 久 年 中 ( 一 一 九 〇 〜 一 一 九 八 ) よ り妻
帯 と な っ た こ と が 伝 え ら れ て お り、 「 棟 札 写 」 に 書き
上 げ ら れ て い る 快 舜 律 師 を実
乗 坊 の 中 興 初 代 と し た の で あ る と 記 さ れ て い る 。 以 上 に よ り 院 主 坊 職 と は 、 永 承 二年
の 頃、 勝 大 寺 一 山衆
徒 の 総 頭 に し て 、実
乗 坊 の快
舜 律 師 が 勤 め て い た こ と が わ か る 。 学 頭 坊 職 「 書 出 」 の 円 真 坊 の 項 に 一 小 名嶺
上 ( お ) 前 書棟
札
写 二 円 真 坊 因 幡 律 師 と 有 之 其 頃 ハ 当 山衆
徒 之学
頭 坊 職 二 御 座 候 由 ( 後 略 ) と あ り 、棟
札
写 に 円 真 坊 因 幡 律 師 と 書 き 上 げ ら れ て い る が 、 永 承 二 年 ( 一 〇 四 七 ) の 頃 は 勝 大寺
一 山 衆 徒 の 学 頭 坊 職 で あ っ た こ と が 記 さ れ て い る 。 「 棟 札写
」 の 裏 に 、 「院
主実 乗 坊
快
舜 律 師 」 の 次 に 、 院 主 と 肩 を 並 べ て 一 般 の 衆 徒 よ り は 一 字 分 上 に 「円
真 坊 一71
一智 山学報第二 十六輯 因 幡 律 師 」 と 書 き 上 げ ら れ て い る ( 「
資
料 一 」参
照 ) 。 以 上 よ り す る と 、 永 承 二 年 の 頃 、 勝 大寺
一 山 に は 学 頭 坊 職 が存
在 し 、 そ の 役 職 は 院 主 坊 職 の 次 であ
る が 、 一 般 の 衆 徒 よ り は 上 位 で あ り 、 当 時 は 円 真坊
の 因 幡 律 師 が 勤 め て い た こ と が 知 ら れ る 。 圖 衆 徒 六 坊 「 書 出 」 の 「 廿 五 世論 教 坊 高 宜 」 の 次 に 右 高 宜 代 宝 永
年
中品 川 様 為
御
祈 祷 之 普門
品 読 誦 当 山 江 被 仰 付候
節
ハ 別 当 勝 大 寺 法 印 ハ 経 導 師 並 修 法 仕 論 教 坊 始衆
徒
六 坊 江御
経 並 修 法 仕 論 教 坊 始衆
徒 六 坊 江 御 経 並机
六 脚 被 渡 下 御 具 ( 29 ) 蹴 物御
入 料 且 又 御 扶持
方 迄 被 下 置 候 而 於 観 音閣
二 相 勤 申 候 事 と あ り 、衆
徒
十 四 坊 の 中 六 坊 が 特 別 に 扱 わ れ て い た こ と が 知 ら れ る 。 ( 鼬 ) 「 中尊
寺
弘 台 寿 院 書 出 」 の 「 寺格
之 事 」 に も 二 当 山 衆 徒 格 六 ケ寺
ハ 何茂
大 番 組 格 二 御 座 候 事 」 と あ り 、 中 尊 寺 一 山 衆徒
の 中 、 六 ケ寺
は 大 番 組格
と し て 、 他 の 衆 徒 と 寺格
が 区 別 さ れ て い た が 、 そ の 役 務 の 内 容 に つ い て は 明 ら か で な い 。4
衆 徒 高 勝 大 寺 一 山 衆 徒 の 禄 高 に つ い て 「 書 出 」 の 中 に 、 一衆
徒 高三 拾 四
貫
三 拾 六文
( 31 ) 但承 仕 両 人 分 共 二 右 高 之 内 二 御 座 候 事 と あ り 、 右 の 三 十 四 貫 三 十 六 文 は 、 安 水 六 年 ( 一 七 七 七 ) に お け る 勝 大 寺 一 山 の 衆 徒 十 四 坊 と 承 仕 二 人 の 禄 高 で あ っ た 。
勝
大 寺 一 山 の 古 い 衆 徒 高 に つ い て 「 書 出 」 に 一 往 古 ハ 源 頼 朝 公 夕 御 寄 附 有 之 由 只 今 二 当 村 御 田 地 二 相 残 候 名義
左 二御
書 上仕
候 事 お つ で ん 一御
仏 き 田東 北地方へ の密教伝播 (月光善弘 ) は な た 一 花
田 で ん 一 し ゃ く し 田 あ ぶ ら た 一 油
田 た 】 お そ な へ 田 略 ) 昔 ハ
花
太 田 と 申 此御
田 地 惣 而 御 供 米 二 罷 成 候 由 申 伝 候 事 昔 ハ 釈 氏 田 と 申 此 御 田 地 ハ 御 寺 並 衆 徒 江被
相 附 候 由 申 伝 候 事 白 山社
観 音 閣 之 常 灯 明 料 御 寄 附 田 と 申 伝 候事
お ふ く (前
略 ) 右 田 の 米 ヲ 以 例年
十 二 月 十 七 日 白 山 社 並 観 音 閣 江 御 福 田 と 申 御 そ な へ 餅 を 取指
上 ( 後 ( 32 ) 一 当 時 之 衆 徒 高 往 古 ハ 其 時 之 御 領 主 様 夕 御 黒 印 地 二 而御
寄
附 高 二 御 座 候 由 申伝
候 事 と あ り、 古 く は 勝 大 寺 一 山 の 田 地 は 、 源 頼 朝 公 よ り 寄 進 さ れ た も の で 、 安 水 六 年 の 書き
上 げ の 時 に も 、 そ の 田 地 名−
御 仏 き 田 ・ 花 田 ・ し ゃ く し 田 ・ 油 田 お よ び お そ な へ 田1
が残
っ て お り 、古
く は 衆 徒 高 も 領 主 よ り 黒 印 地 と し て 寄 進 さ れ た も の で あ る こ と が 述 べ ら れ て い る 。 次 に 「 書 出 」 の 中 に ( 33 ) 一 当 山 御 社 領 御 祭 田 等 之 義 ハ 中 古 大 崎 葛 西 御 両 家 之 変 並 木村
伊
勢 守 平 ノ 吉 清 等 之為
二 被 没 収 候 由 申伝
候 事 と あ っ て 、 勝 大 寺 一 山 の 社 領 お よ び 祭 田 な ど 、 中 世鎌
倉幕
府
の 御 家 人 と し て 当 地 に 派遣
さ れ こ の 地 の 領 主 と な っ た 大 崎 ・葛
西 両 家 の 争 い な ら び に 木 村 伊 勢 守 平吉
清 な ど の た め に 没 収 さ れ た こ と が伝
え ら れ て い る と 記 さ れ て い る 。 以 上 よ り す る と 、 古 く はー
中 世 頃ー
勝 大 寺 一 山 の 社 領 や祭
田 は 、 領 主 よ り 寄 進 さ れ た も の で 、 領 主 の 争 い な ど の た あ に 没 収 さ れ る こ と も あ り 、 衆徒
高 も 不 安 定 な も の であ
っ た と 言 い 得 よ う 。 国 補 佐 役−
承 仕 § ) 「書
出 」 の 中 に 「 承 仕二 人 」 と あ り 、 長 十 郎 と 仲 作 の 歴 代 な ら び に
実
名
に つ い て書
き 上げ
ら れ て い る の で 、 こ れ ら に つ い て 探 ね て み よ う 。1
長 十 郎 一73
一智山学報第二 十六 輯 「 書 出 」 の 「 六 代 相 続 花 田 屋 敷 長 十 郎 」 の 項 に 右 長 十 郎 先 祖 菅 原 左 藤
右
衛 門 義 永 正 年 中 衆 徒 承 仕 太 郎 左 衛 門跡
相 続 仕 候 由御
座 候 処 左 藤 右 衛 門 以 前 之 名 前 相 知 不 申 候 間 右 代 夕 御 書 上仕
候
事 先 祖 菅 原 左 藤 右 衛 門 二 代 佐 藤 右 衞 門善 九 郎
三 代
善 九 郎 子 長 吉 四 代 長 士。 子
長 左
衛
門五 代 孤 左 衛 門 ( 35 ) 長 三 郎 六 代 長 三 郎 子 長 十 郎 七 代 長 + 郎 子 長 内
八 代
長 内 チ
長 太 と あ り 、 長 十
郎
の 先 祖 菅 原 左 藤 右 衛 門 は 、 永 正年
中 ( 一 五 〇 四 〜 一 五 二 〇 ) 衆 徒 承 仕 太 郎 左 衛 門 の跡
を 相 続 し た と の こ と で 、 左 藤 右 衛 門 以前
の 名 前 が 不 明 で あ る か ら 、 こ の 人 を 先 祖 と し て 書 上 げ た の で 、 長 十 郎 が 六 代 目 を 相 続 し 、 安 水 六 年 ( 一 七 七 七 ) 頃 に は 八 代 長 太 が 相 続 し て い る 。2
仲 作 「 書 出 」 の 「 四 代 相続
竹 ノ 内 屋 敷 仲 作 」 の 項 に右
仲 作 曽 祖 父 二 階 堂 久 左 衛 門 義 衆 徒 成 実 坊 然 亮 次 男 二 而 分 地 相 受 別 家 二 相 立 宝 水 年 中 承 仕 二 罷 成 候 間 右 代 タ 御 書 上 仕 候 事 ( 36 ) 先 祖二 階 堂 久 左 衛
門
二 代
弦 左 繕 門
久 三
郎
三 代 久 三 郎 子
仲 左 衛 門
四 代
仲 左 衞 門
仲 作 と あ り 、 仲 作 の 曽 祖 父 で あ る 二 階 堂 久 左 衛 門 は 、 衆 徒 成 実
坊
然 亮 ( 宝 永 年 中 頃 成実
坊 住 職 を 勤 め て い た ) の 次 男 で 、 分 家 と し て 土 地 を貰
い 、 宝 永 年 中 ( 一 七 〇 四 〜 一 七 一 〇 ) 承 仕 と な っ た の で、 二階
堂 久 左衛
門 を 先 祖 と し て 書 き 上 げ た の で あ る と 記 さ れ て い る 。 以 上 よ り す る と 勝 大 寺 一 山 の 承 仕 に つ い て 、永
承 年 中 ( 一 〇 四 六 〜 一 〇 五 二 ) 以 前 に も 存 在 し た こ と が 知 ら れ る が 、 何 時 頃 か ら 何 名 存 在 し た か に つ い て は 不 明 であ
り 、 「棟
札 写 」 に も 承 仕 名 は 書 上げ
ら れ て い な い し 、 承 仕 が 二 名 と な る の は 、 宝 永 年 中 ( 「 七 〇 四 〜 一 七 一 〇 ) 以 後 の こ と で あ る こ と が わ か る 。 ま た 、 長 十 郎 の 項 に 衆 徒 承 仕 とあ り 、 す で に 述 べ た よ う に 承
仕
両 人 の 禄 高 も n 衆 徒 高 の 中 に 含 ま れ て 書 上 げ ら れ て い る が 、 承 仕 に は 坊 号 が な い の で 、 衆 徒 よ り は 一 段 低 い 補 佐 役 で あ っ た も の と 考 え ら れ る 。 画 雑 務 役 国 門 前 衆 右 の 雑 務 役 ・ 門 前 衆 な ど に 相 当 す る 人 々 に つ い て は 「書
出 」 の 中 に見
ら れ な い の で 、 後 刻 他 の 資 料 を 調 べ た 上 で 記 述 す る こ と に し た い 。 三 、 お わ り に 東北地方へ の 密教伝 播 (月光善 弘) 以 上 東 北 地方
へ の 密 教 伝 播 の 手 が か り と し て 、 「 楽峯
山 菩 提 院 勝 大 寺 書 出 」 の 中 に書
き 上 げ ら れ て い る 資 料 を 中 心 と し て、 勝 大寺
一 山 の 組 織 を 探 ね て 見 た の で あ る が、 勝 大寺
一 山 の 本 堂 と な っ て い る 観 音 堂 は 、 大 同 二 年 ( 八 〇 七 ) 坂 上 田 村 麻 呂 の 創建
に し て 、 本尊
は 夫 人 鈴 鹿御
前 の 守 本尊
と 伝 え ら れ 、 こ れ ら を 証 す る 資 料 は 見 当 ら な い が 、 田 村 麻 呂 は 延 暦 十 五 年 ( 七 九 六 ) 、 三 十 九 歳 に し て 陸奥
出 羽 按 察 使兼
陸 奥 守 に任
命 さ れ 、 鎮 守 府 将 軍 を も兼
任 し 、 ま た 同 二 十 一 年 ( 八 〇 二 ) に は陸
奥 国 胆 沢 城 造 営 に 派 遣 さ れ た が 、 そ の 時 は 度 者 ( 僧 侶 ) 一 人 を 賜 わ り 現 地 に 赴き
、 こ の 年 に城
を 完 成 し鎮
守
府 を 多 賀 城 よ り 胆 沢 城 に 移 動 し て い る の で 、 両 城 の ほ ぼ 中 間 に あ た る 金 成 の 地 に 、 大 同 二 年 ( 八 〇 七 ) 観 音 堂 を 創 建 し 、夫
入 の 守 本尊
を 秘 仏 と し て奉
祀 し た こ と は 考 え て も 差 支 え な い の で は な か ろ う か 。 こ の 堂 を 中 心 と し て こ の 地 に 一 山 寺院
が 形 成 さ れ 、 「 書 出 」 に 永 承 年 中 ま で は 二 十 六 坊存
在 し た が 、 そ の 後 十 二坊
は 退 転 し て 十 四 坊 と な っ た こ と が 記 述 さ れ 、 「棟
札
写 」 の裏
に 院 主 を は じ め と す る 二 十 六 坊 名 が 書き
上 げ ら れ て い る の で 、永
承 二年
( 一 〇 四 七 ) に は 衆徒
二 十 六 坊 か ら 一 山寺
院 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 一75
一智山学 報第二 十 六輯 こ の 一 山 組 織 を 見 る と 、 支 配 職 を 勤 め て い た と 思 わ れ る 別 当 勝 大 寺 の 法 印 は 、
享
保 年 中 ( 一 七 一 六 〜 一 七 三 五 ) 、 六 十 五 世坊
澄 法 印 と 知 ら れ る だ け で 、 勝 大寺
の 歴 代 な ら び に 実 名 に つ い て は 記 さ れ て い な い の で 不 明 であ
る 。 勝 大 寺 一 山 の 主体
を な す 衆徒
に つ い て は 、 す で に 述 べ た よ う に 、 永 承 年 中 ま で は 二 十 六 坊 存 在 し 、 そ の後
十 二 坊 は 退 転 し て 十 四 坊 と な る が 、存
続 し た 十 四 坊 の 中 、 十 坊 が 清 僧 衆 徒 に し て 、残
り の 四 坊 が 妻帯
衆 徒 で あ っ た が 、 建 久 元 年 (=
九 〇 ) 以 降 、 衆徒
は 全 部 妻 帯 と な っ た こ と が 知 ら れ る 。 次 に 衆 徒 の 席 順 は 戒 鵠 に よ っ た も の で あ り 、 他 の 一 山寺
院 と 変 り は な い が、 衆 徒 の 役 職 を 見 る と 、院
主 坊 職 が 衆 徒 の 総 頭 で あ り 、 学 頭 坊 職 が院
主 坊 職 の 次 に な っ て い る 点 は 注 目 す べ き で あ る し 、 ま た衆
徒 六 坊 の 役 務 に つ い て も 今 後 の 課 題 と し て 明 確 に す る 必 要 が あ る 。 さ ら に 寺 領 や 衆 徒 高 な ど 、 古 く は 主 と し て 領 主 よ り の 寄 進 に よ っ た も の の よ う で 、 不 安 定 な も の で あ っ た こ と が 感 ぜ ら れ る 。 補 佐 役 で あ る 承 仕 に つ い て 「 書 出 」 に は 二 人 と あ り 、 そ れ ら の 歴 代 な ら び に 実 名 に つ い て書
き 上 げ ら れ て い る が 、 古 い方
が 室 町 未 期 で あ り、 承 仕 二 人 と な る の は 宝 永 年 中 以 後 の こ と で 、 江 戸 中 期 か ら の こ と で あ る 。 雑 務 役 と 門 前 衆 に つ い て は 、 項 目 だ け を 記 す る に と ど め た 。 こ れ ら を 含 め て 、 さ ら に 充 実 し た 内 容 の も の に 纒 め た い と 念 願 し て い る 。 註 ( 1 ) 『 新 訂 増 補 国 史 大 系 』26
一 五 頁 ( 2 ) 『 新 訂 増 補 国 史 大 系 』26
六 四 七 頁 (3
) 「 類 聚 国 史 」 巻 第 百 八 十 ( 『 新 訂 増 補 国 史 大 系 』 6 二 五 一 〜 二 七 二 頁 参 照 ) (4
) 「 類 聚 国 史 」 巻 第 百 八 十 ( 『 新 訂 増 補 国 史 大 系 』 6 二 七 〇 頁 ) (5
) 『 日 本 三 代 実 録 』 (6
) 『 宮 城 県 史 』 25 ( 資 料 篇3
) 五 九 一 〜 六 〇 二 頁 (7
) 『 同 右 』 五 九 八 頁東北 地方へ の密教伝播 (月光善弘) ( 8 ) 『 宮 城 県 史 』
25
( 資 料 篇3
) 六 〇 二 頁 (9
) 『 同 右 』 六 〇 一 頁 ( 10 ) 高 橋 崇 著 『 坂 上 田 村 麿 』 一 四 八 〜 一 五 七 頁 (11
) 『 同 右 』 巻 頭 (12
) 『 同 右 』 九 一 ・ 九 二 頁 (13
) 拙 稿 「 一 山 寺 院 の 研 究 」 ( 『 宗 教 研 究 』 二 一 九 号 二 七 〜 四 八 頁 ) (14
) 『 宮 城 県 史 』 25 ( 資 料 篇3
) 五 九 二 頁 (15
) 『 同 右 』 五 九 三 頁 ( 16 ) 『 同 右 』 六 〇 〇 頁 (17
) 『 同 右 』 六 〇 一 頁 (18
) 『 同 右 』 五 九 一 頁 (19
) 『 同 右 』 五 九 七 頁 (20
) 『 同 右 』 五 九 一 ・ 五 九 二 頁 (21
) 『 同 右 』 五 九 二 〜 五 九 五 頁 (22
) 『 同 右 』 五 九 六 ・ 五 九 七 頁 ( 器 ) 『 同 右 』 五 九 六 頁 (24
) 『 同 右 』 五 九 六 頁 (25
) 『 同 右 』 五 九 六 頁 (26
) 『 同 右 』 五 九 七 頁 (27
) 『 同 右 』 五 九 二 頁 ( 28 ) 『 同 右 』 五 九 三 頁 ( 29 ) 『 同 右 』 五 九 二 頁 ( 30 ) 『 宮 城 県 史 』 27 四 〇 頁 ( 31 ) 『 同 』 25 五 九 八 頁 (32
) 『 同 右 』 五 九 八 ・ 五 九 九 頁 (33
) 『 同 右 』 六 〇 二 頁 一77
一智 山学 報第二十六輯 (
34
) 『 同 右 』 五 九 七 頁 ( 35 ) 『 同 右 』 五 九 七 ・ 五 九 八 頁 〔 附 記 〕本
稿 は 、 財 団 法 人 斎 藤 報 恩会
の 研 究 補 助 を 受 け て 纒 め た 成 果 の 一 部 で あ る 。 調 査 に 際 し て御
協
力
下 さ い ま し た 方 々 に 衷 心 よ り 謝 意 を 申 し 上 げ ま す 。 こ こ に 附 記 し て 感 謝 す る と と も に 、東北地方へ の密教伝播 (月光善弘) 「 資
料
一 」 「楽
峯
山
菩
提
院
勝
大
寺
書
出
」宮
城
県
栗
原
郡
三
迫
小
迫
村
永 承 二 年 ( 一 〇 四 七 ) 八 月 十 日 二 王 堂 建 立棟
札 写 表 衆 徒 同 心 合力
十 方 旦 那 勧 進 同 仏 師 賢 等 旦 那 継 春
轡
放
糶
奉 修 造 二 王 願 主 賢 等 修 之 于 時 永 承 二年
丁 亥 八 月 十 日執 事 円
林
坊 能 舜 時 之 院 主 実 乗 坊 快 舜 律 師裏
院 主実 乗
坊
快 舜 律 師( 律 力 ) 円 真 坊 因 幡 律 師 光
智
坊 俊 海 阿 闍 梨禅
光 坊 秀 海 阿 闍梨
真鏡
坊 弘 海 阿 闍梨
円蜜
坊 光 舜 阿 闍 梨 明 識 坊 慶 海 徒 師中 台 坊 宗 舜 阿 闍 梨
光 実 坊 俊 性
阿
闍 梨円 林 坊 能 舜
阿
閣
梨顕 智 坊 慶 俊 阿 闍
梨
一79
一智山 学報第二 十六輯 舜 明 坊 点 海 阿 闍 梨
蜜
道 坊 永 舜 阿 闍 梨成
実
坊 明 舜 阿 闍 梨 理勝
坊崇
闍 大 徳 日輪
坊 法 師 丸 照 法橋
行
善 教 実 坊 法 師 賢 道 光 意 坊 法 師 明 海 論 教 坊 宝 舜 阿 闍 梨
勝
円 坊 弘 舜 阿 闍 梨 円 観 坊 正 舜 阿 闍梨
乗 月 坊 廊丸 南 滝 坊 涼
清 堯 真 坊 法
師
密 眼 舜 円 坊 法 師 鏡 光東 北地方へ の密教伝 播 (月光善弘) 〔 資 料 二 〕
勝
大
寺
一山
惣
衆
永 承 二 年 (δ
四 七 )清
( 役 務二
六坊
妻
(霧
)案
六 年 ( 一 七 七 七 ) ・ 実乗
坊万
惣2
円
真
坊 頭 ○ 学 頭 坊 職
3
明識
坊○
4
光智
坊
O
5
中 台 坊6
禅 光 坊 〇 五 重 宝 塔 別 当 ○◎
◎
2
同 上3
同 上19
同 上◎
8
同 上 ◎7
仲 台 坊20
同 上 摘 要7
光 実 坊○ ・ 真 鏡
彑
・◎
@
9
円 林 坊10
円 密 坊11
顕智
坊12
舜
明 坊 ○ 執 筆 役◎
○ ○ ○丁
同 上10
同 上5
同 上15
同 上16
同 上17
同 上81
一智山学報 第二十六輯
13
論教
坊
14
密
道
坊
15
勝円
坊
16
成実
坊 ○
丁
同 上 ○ ○ ◎O
経蔵
別 当 職17
円観 坊
す
18
理 勝 坊 「 「◎
19
乗月
坊
亙
○ ○ 阿 弥 陀 堂 別 当20
日輪
坊 ○
21
南
滝
坊
O
2322
教i
堯1
実 1真 坊 ◎薯
灯 明 役B
同±
9
正 円坊
4
同 上21
同 上23
同 上11
同 上24
同 上25
同±
12
同 上望
忽 舜円
坊
% 光 意竺
26
法 橋 行 善 一 ◎ ○言
同 上 ○22
同 上 ○ ○26
同 上玉
法 橋 坊 「餮
+ 郎冨
仲 作 承 仕 〃 〃備 考 1234 清 は 清 僧 衆 徒 、 妻 は 妻 帯 衆 徒 と す 。 六 坊 の 欄 の ◎ 印 は 衆 徒 六 坊 之 内 一 同 と あ り、 ◎ 印 は 衆 徒 六 妨 之 内 江 代 合 と あ る も の 。 書 出 に 衆 徒 高 は 三 拾 四 貫 三 拾 六 文 と あ り 。 但 し 承 仕 両 人 分 共 右 高 之 内 に 御 座 候 事 と 記 さ れ て い る 。 書 出 に 永 承 年 中 迄 は 廿 六 坊 御 座 候 処 其 後 円 蜜 坊 顕 智 坊 舜 明 坊 蜜 道 坊 明 識 坊 禅 光 坊 円 観 坊 舜 円 坊 理 勝 坊 日 輪 坊 南 竜 坊 光 意 坊 以 上 十 二 坊 は 退 転 仕 候 事 と あ り 。 一