平成26年
御嶽山は古来より信仰の山として崇められ、地元 では親しみを込めて「おやま」と呼んでその恵みを 享受するとともに、山を訪れる多くの人々とその楽 しみや苦労を分かち合ってきました。
しかしながら、平成 26 年9月 27 日午前 11 時
52 分に起きた突然の噴火により、紅葉真っ盛りの御嶽山を訪れていた 58 名の方々の尊い生命が奪われるとともに、未だ5名の方々が家に帰ること ができないままとなっています。
身近な山がこんな形で大きな災害をもたらしたことに大きな驚きと、無 念さと、そして木曽や御嶽山を愛していただいた皆さまが犠牲となられた ことに、いまなお胸が張り裂けそうな思いを禁じえません。犠牲になられ た方のご家族、ご親族、ご友人の皆さまの悲しみはいかばかりかとお察し 申し上げ、心より哀悼の意をささげ、ご冥福をお祈り申し上げます。 あの日以来、木曽町では国や長野県、研究機関など様々な方面からのご 協力をいただきながら、御嶽山の火山防災対策の向上に努め、地域の復旧・ 復興を進めて参りました。しかし、大切な人を失われた方々、被災された 方々の心の傷が癒えることはありません。私たちはこのような悲しみを再 び繰り返さないために、今回の噴火災害の教訓を決して風化させることな く次の世代へ繋げ、引き続き防災体制の充実を図って参ります。
この記録誌は、噴火災害から3年を迎えた節目に、関係機関をはじめ木 曽町の噴火当時の活動を記録として取りまとめ、今後の御嶽山の安全対策 に向けた礎とするため発刊するものです。全国各地で激甚災害や火山活動 の活発化が続くなか、もとより自然の脅威は計り知れませんが、本誌の発 刊が防災に携わる方々にとって少しでも参考となれば幸いです。
最後に、町民の皆さまをはじめ発災直後からご協力をいただいた多くの 方々や、心温まるご支援をいただきました全国の皆さまに深く感謝申し上 げ、発刊にあたっての言葉といたします。
木曽町長
原 久 仁 男
神の山 「おやま」 で 63 人が犠牲に
木曽町の人びとは、木曽川沿いの狭い土地で、御嶽山などの山々が育んだ自然の下で暮 らしてきた。御嶽山は 「おやま」 と称され、誰もが一度は登る 「ふるさとの山」 である。 1979 年に有史初の噴火をしたものの、静かな活火山だった。しかも、79 年噴火は静かに 始まり、山頂で眠る登山者に避難の余裕を与えた。その後 2 回の噴火も、いつに噴いたか 解らないごく小規模だったが、噴火の前に活発な地震活動があり、噴火の兆しを人びとに伝 えようとした。ただ、地震は小さく有感でなく、地震観測だけが頼りだった。
3 回の噴火で私たちは鍛えられ、火山活動の観測網を整備し、国も噴火警戒レベルを導入 した。地元も 「まさか」に備え、山小屋にヘルメットなどを置き、立入禁止区域を検討した。 14 年 9 月、「おやま」 は弱いながらも噴火の兆しとなる地震活動を示した。でも何もで きないまま、秋晴れとなった 27 日日曜の昼時、4 回目の噴火が襲った。頂上で休憩と昼食 を楽しんでいた登山者は一瞬に 58 人が命を失い、5 人が行方を閉ざされた。
一人の命も失わなかった地元も喜べなかった。犠牲者63人と犠牲により御嶽山で暮らす 人びとも大きな打撃を蒙った。私も自分の研究フィールドで犠牲者となる空しさが、日々 募った。なぜ、噴火する活火山であることを登山者らに伝えられなかったのか。
二度と犠牲をださないために
私たちが御嶽山と暮らしていくために、どんなことがあっても、二度と犠牲をだしてはな らない。そのために、地元の人びと、登山者や観光客、町村、県、国のすべてが一体で真剣 に検討し、積極的に実践するしかない。登山者、地元、町村、県、国の一つでも手を抜けば、 犠牲が再びでてしまう。
地元の人びとは、私たちの 「おやま」 を楽しむ登山・観光者を守らねばならない。登山・ 観光者を守ることがふるさとと共に生きることになる。この注意は数年間で終わらず、次の 世代から次の次の世代、まさに、人類として今後数百年にもわたり、「二度と犠牲をださな い」 という初志を貫かねばならない。
その一環として、木曽町や王滝村はまさに町村を挙げて、山頂の避難施設や避難道の整備、 活火山御嶽山の安全登山のためのビジターセンター開設など、二度と犠牲をださない決意を 具体的に行っている。14 年噴火時に町などがいかなる取り組みを行ったか、地元の人びと がどのように動いたかを記録に残すことも大切である。加えて、県や気象庁、国もこのよう な記録を整理して頂きたい。
このような取り組みから、日本でも最も安全に登山できる活火山御嶽山を実現していきた いものだ。
東濃地震科学研究所
木 股 文 昭
平成 26 年 9 月 27 日に発生した御嶽山の水蒸気噴火は、私にとっても 痛恨の出来事でした。9月 10 ~ 11 日に山頂直下で地震多発の報告を受 けたときには、平成 19 年程度の小噴火を想定しておくべきだろうと考え ていました。気象庁も同様の見立てでしたが、噴火警戒レベルを上げる判 断には至らず、代わりに火山の状況に関する解説情報を発表しました。も し、その段階で地元の防災担当者と十分な意見交換ができていれば、登山 者に具体的にどの様な注意をすべきかを話し合うことができ、被害を少な くできていたかもしれません。しかし、当時は地元の防災担当者と名古屋 大学との間には、顔の見える関係ができていませんでした。その反省が、 現在三岳支所をお借りしています名古屋大学御嶽山研究施設の設置に至る 大きな動機となっています。
平成26年の噴火の規模についても、よもや昭和54年のような噴火に至 るとは思っていませんでした。御嶽山の噴気活動が長期的に減少傾向に あったからです。マグマ噴火の常識からすれば、火山活動が長期的に静ま ることを示していましたが、実際にはそうではありませんでした。水蒸気 噴火の予測はやはり難しいのです。御嶽山の最近4回の噴火を比較する と、平成19年のような小噴火になるか、昭和54年や平成26年の様な噴火 になるかはどうも紙一重のようです。既存の噴火口から水蒸気が噴出する ときには小規模な噴火となり、岩盤が壊れて新たな噴火口列ができる際に は、急速に水蒸気が噴出して規模の大きな噴火になるのです。水蒸気の元 となる熱水だまりの深さもごく浅いため、明瞭な前兆から噴火開始までの 時間が短くなります。
このようなことを考慮すると、今後も同様な噴火が発生する可能性は大 いにあります。それは遠い先かもしれませんが、次の噴火では、例えそれ が絶好の登山日和であっても二度と犠牲を出さないようにしなければいけ ないと思います。現在、ビジターセンターや火山マイスターの制度の構築 が始まっています。そのような努力が地元の方々と火山専門家との顔の見 える関係の長期的な継続につながって欲しいと期待するとともに、本記録 誌が将来にわたって地元の火山防災力に役立つことを願っています。
名古屋大学
山 岡 耕 春
巻頭言
第1章 御嶽山の特徴
1. 御嶽山とは 10
2. 御嶽山縦走 11
3. 御嶽山の火口湖 12
4. 御嶽山の滝 16
第2章 噴火の状況と対応
1. 有史初の噴火(昭和54年) 18
2. 長野県西部地震の発生 22
3. 小規模噴火が続く 22
4. 噴火発生(平成26年) 23
⑴噴火に先立ち 23
⑵ 平成26年噴火の発生 24 ⑶犠牲者の発生 25
⑷ 山小屋の人々の適切な処置 26
⑸ 噴火の状況 28
⑹ 降灰被害 29
第3章 救助活動の状況
1. 救助活動の開始 32
⑴ 避難の開始 32
⑵ レベル3 入山規制 33
⑶ 救助要請 36
⑷ 水蒸気爆発を発表 36
2. 合同救助隊による救助 37
⑴ 現地対策本部の設置 37
⑵ 捜索隊の待機場所 37
⑶ 頂上付近の捜索 38
⑷ 八丁ダルミ付近の捜索 39
⑸ 一ノ池への着陸 39 ⑹ 徒歩入山による捜索 39
⑺ ヘリコプター着陸場所の確保 40
⑻ 木曽警察署の対応 40 ⑼ 木曽消防署の対応 40 ⑽ 救護活動の状況 41
⑾ 検視と身元確認 41 ⑿ 長野県からの職員派遣 42
⒀ 捜索活動の期間 42
⒁ ヘリコプターによる搬送 43
⒂ 捜索隊員の派遣状況 43
⒃ 救助・捜索活動の状況 43
⒄ 捜索の解散 44
⒅ 翌年の再捜索 45
⒆ 再捜索隊の出動状況 46
⒇ 犠牲者の発見場所 46
3. 木曽町の対応 47
⑴ 職員召集 47
⑵ 対策本部の設置 47
⑶ 入山規制・交通規制 48
⑷ 下山者の輸送 49
⑸ 下山者名簿の作成 49
⑹ 下山者(家族関係者含む)待機所の運営 50
⑺ 遺体安置所の確保 52
⑻ ご家族への対応 54
⑼ 報道機関への対応 56
⑽ 役場本庁の対応 58
⑾ 降灰対策 62
⑿ 土石流対策 64
⒀ 水道施設への影響 66
⒁ 再捜索でのヘリコプターの洗浄 68
第4章 噴火後の復興をめざして
1. 調査登山の状況 70
⑴ 噴火警戒レベルの推移 70
⑵ 情報看板の整備 71
⑶ 最初の山小屋調査 72
⑷ 山小屋の修繕と補強工事 76
⑸ 水道施設被害 77
⑹ 水道水源水質調査 78
⑺ 合同調査の実施 79
⑻ 登山道の被害と復旧 85
⑼ 枯れてしまったハイマツ 88
2. 復興に向けて 89
⑴ 御嶽山安全パトロール隊の設置 89
⑵ 登山道の修繕 90
⑶ 三ノ池ルートの崩壊 92
⑷ 緊急放送設備の充実 96
⑸ 安全対策用品の備え 97
⑹ その後の御嶽山 98
3. 献花台の設置 102
4. 追悼式の開催 102
5. 慰霊碑の建立 104
第5章 活火山とつきあう
1. 活火山観測 106
2. 火山情報の伝達 109
⑴ 御嶽山火山防災協議会の設立 109
⑵ 御嶽山安全対策連絡協議会の設置 109
⑶ 火山情報の発信 110
3. 噴火警戒レベルの認識 111
4. 噴火から登山者を守るために 111
⑴ 避難小屋の整備 111
⑵ 山小屋の必要性 112
⑶ 御嶽山火山防災計画の作成 113
第1章
御嶽山
の
特徴
1. 御嶽山とは
2. 御嶽山縦走
3. 御嶽山の火口湖
御嶽山噴火災害活動記録誌
10
御嶽山は北アルプスには含まれ ない火山独立峰である。以前は北 アルプスの最南端という説もあっ たが、近年は独立峰とされている。 6箇所の火口池が南北に並んで いるため、木曽側から見ると山脈 となって見え、日本のキリマン ジャロとも呼ばれている。特に木 曽福島と開田高原にまたがる地蔵 峠・西野地区柳又や九蔵峠からの 眺めは両裾まで一望することがで き、絶好のカメラスポットで多く のカメラ愛好家に人気の山である。 海抜は3,067mあり国内で14番 目に高い山であるが、火山として は富士山に次いで高い山である。 山頂からは、中央アルプスと南ア ルプスを挟んで富士山が望め、北
開田高原からの御嶽山
岐阜城から望む御嶽山
1. 御嶽山とは
は乗鞍岳が手に届くように見え、 さらには穂高岳、槍ヶ岳、八ヶ岳 連峰を望み、西には白山がひとき わ高くそびえている。また、南に は中央アルプス南端の恵那山が望 め、天候が良ければ名古屋市内ま
第1章 御嶽山の特徴
11
一ノ池の外輪にそびえる剣ヶ峰 を最高峰として南に王滝頂上・奥 の院があり、剣ヶ峰南崖下の谷底 からは水蒸気が噴出し、回りの岩 は硫黄ガスにより黄色くなってい て、地獄谷と名つけられている。 昔は横から谷に降りて硫黄を採取 し、焚つけや虫除けに使ったとい われ、干し柿の殺菌にも使ったよ うだ。
剣ヶ峰北側の尾根は意波羅山と 呼ばれ意波羅天が祀られているが、 意波羅天は三笠山にも三笠山刀利 天とともに祀られている。
噴火前の剣ヶ峰
剣ヶ峰から二ノ池方面を望む
剣ヶ峰から王滝奥の院方面を望む
賽ノ河原のケルン群
摩利支天から望む頂上 賽ノ河原には六ノ池が望める
2. 御嶽山縦走
二ノ池を下ると摩利支天山との 間に広い平地があり、賽ノ河原と 呼ばれている。御嶽信仰では、死 者は賽ノ河原で三途の川を渡ると される。幼い死者はまだ親孝行を していないため石を積み上げて塔 を造る善行をするよういわれるが、 石が積み終わるころになると鬼が 出てきて壊されてしまう。これを 助けてくれるのが地蔵菩薩といわ れる。こうした教えに基づき、賽 ノ河原には大きなケルンが沢山積 み上げられ、また地蔵菩薩像も祀 られている。
御嶽山噴火災害活動記録誌
12
御嶽山には多くの噴火口が見ら れ、火口湖が形成されるのも特徴 だ。
一ノ池は東側二ノ池方面の外輪 はなく水は溜まっていないが、雪 渓の融けた水で広い湿地帯となり、 中心部は底無し沼状態のようにな り、気をつけないと足が沈み込み、 靴が抜けなくなるときがある。湧 水の力なのか、自然に石が動いて 6角形の亀甲状に並んでいる所も ある。剣ヶ峰に登った信者は外輪 山を回ってお鉢めぐりをすること が多く、三十六童子が点在して祀 られている。外輪より西側へ1km 離れた岐阜県境に独立峰があり継 母岳と名づけられていて、最北端 にある継子岳とともに御嶽山縁起 の「阿古太丸伝説」にある継母子 から名づけられた山といわれてい る。
3. 御嶽山の火口湖
一ノ池の湿地帯
第1章 御嶽山の特徴
13
二ノ池は日本最高所の2,905m にあり、一ノ池から流れ出る水や 遅くまで残る雪渓のおかげで一年 中涸れることがなく、周辺山小屋 の大切な飲料水となっている。二 ノ池本館の北側から流れ出る水は ワル沢となり、他の沢と合流し湯 川となって西野川に注ぎ込まれる。
三ノ池は摩利支天乗越えの東下 方にあり、水深が13m以上あっ て御嶽山最大の湖である。水深が 深く湧水が溜まっているため水質 が良く、御神水として持ち帰る信 者が多い。また、湖水に浸した幣 束は万病の薬になるといい、小さ く裂いて丸めて飲むそうである。
朝焼けの二ノ池と雪渓 昔は雪渓上の頂に役行者が祀られていた
御嶽山噴火災害活動記録誌
14
五の池は飛騨頂上にあり、雨季 が過ぎると水は涸れてしまう。こ の周辺はコマクサの群生地が残っ ており、以前より個体数が増えて きている。さらに北側に尾根を進 むと最北端の継子岳に着く。ここ から木曽側の尾根道に回りこむと 高天原のコマクサ群生地を通って 四ノ池に降りられる。
四 ノ 池 は 海 抜2,690m で 直 径 300mほどの草原になっていて、 雪溶け水が小川となって流れてお り高山植物の宝庫である。周りは ハイマツが生い茂りライチョウの 住みかとなる。流れ出た水は滝と なって流れ落ちているが、水量が 多い時期に限られることから「幻 の滝」と呼ばれる。滝の水は開田 高原の冷川源流となる。
四ノ池に流れる小川 四ノ池から流れ落ちる幻の滝 継子二峰から見下ろした四ノ池
第1章 御嶽山の特徴
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六ノ池は二ノ池新館から賽ノ河 原に下ったところにある窪地であ る。登山道から外れているため知 る人は少なく、雪解けや雨季にの み水が溜まり、高山植物が水没し ている時期もある。今回の噴火に より流れた灰が溜まり白くなって いる。
以前は、剣ヶ峰下にたくさんの コマクサが見られたが、薬草とし て持ち帰られたため絶滅の危機に 瀕した。近年はわずかに残ったも のを保護し、試験栽培を繰り返し ながら数を増やし、飛騨頂上西側 斜面や高天原・賽ノ河原は群生地 となりつつある。剣ヶ峰下への移 植も考えられていたさなか、平成 26年の噴火が発生した。
雨季になると現れる
御嶽山噴火災害活動記録誌
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御嶽山の裾には急峻な溶岩の崖 がいくつもあり、沢沿いには数え 切れないほどの滝がある。御嶽山 は滝の山ともいわれ、山全体で 1,200もの滝があるともいわれて
4. 御嶽山の滝
いる。沢登りでも大きな滝は迂回 をしないと登ることができない難 所が多く、すべての滝は未だに把 握されていない。賽ノ河原から飛 騨側のシン谷に流れ落ちる滝は、
三岳地区不易の滝
4箇所の滝が見える絶好のスポットから
覚明や空明行者が修行した尾ノ島の滝 百間滝
第2章
噴火
の
状況
と
対応
1. 有史初の噴火(昭和 54 年)
2. 長野県西部地震の発生
3. 小規模噴火が続く
御嶽山噴火災害活動記録誌
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霊山御嶽山は昔から山岳信仰の 山として親しまれ、毎年信者らが 登拝し、有史以来噴火の記録はあ りませんでした。以前から地獄谷 では蒸気が上がっていましたが地 元では休火山といわれていまし た。それが昭和54年(1979)10 月28日5時20分ころに突如噴火 し、さらに11時ごろから活発化 して14時ごろから一段と盛んに なり、地鳴りとともに1,000~ 2,000m上空まで噴煙を噴き上げ ました。「まさか御嶽が」と山麓 に住む人々をはじめ多くの人を驚 かせました。
当日は晴天で、八丁ダルミで野 営をしていた人がジェット音に気 づき、テントから出て見たときに は湿った降灰が始まっていて、あ
1. 有史初の噴火(昭和 54 年)
わてて王滝口登山道から逃げたそ うです。幸いなことに山の紅葉 シーズンは終わっており、登山者 は少なく、噴火は一日で収束して いきました。噴火がゆっくりと進 んだことも被害を少なくした要因 だったようです。
当時、王滝村では3年前から群 発地震が発生していましたが、御 嶽山では地震観測がなされておら ず、名古屋大学が設置した地震計 が麓の牧尾ダムにあるだけでした。 群発地震はダムが影響していると の意見もありました。そのうちに 震源地が旧三岳村や旧木曽福島町 の北部に移動するなど、群発地震 が噴火の前兆なのか大地震の前兆 なのか、原因がはっきりせず住民 の間に不安が溜まってきたころで
した。
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第2章 噴火の状況と対応
〔昭和54年噴火前の様子〕
最後の登りになる階段
王滝頂上からの剣ヶ峰 地獄谷 わずかに蒸気が吹いていた
噴火前の頂上小屋
頂上の様子
御嶽山噴火災害活動記録誌
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敷板による歩道確保 王滝頂上からの八丁ダルミ
沸騰する火口 噴石による天井の穴
頂上から見る王滝頂上方面
〔昭和54年噴火後の様子〕
山麓の王滝村、旧三岳村、旧開 田村では、噴火当日から噴火対策 本部を設置し、消防団を非常呼集 して連日警戒と観測に当たりまし た。また、11月2日には3村で 構成する「噴火対策協議会」を設 置し、山頂から5kmの範囲を警 戒区域とし、入山規制することを 申し合わせました。
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第2章 噴火の状況と対応
翌年の昭和55年(1980)には、 長靴でなければ歩けなかった八丁 ダルミにコンクリートパネルが敷 き詰められ、山頂登山が許されま した。しかし、火山ガスが多く山 頂に登れない時もあり、御嶽教の 信者は途中に設けた八合目の女人 堂や、田の原上の遥拝場で参拝で きるようにしていました。 住民は一日でも早く収まってく れることを願い、再び登山客が訪 れる日が来ることを祈るばかりで した。スキー客や登山客は極端に 減少し、旧三岳村や王滝村では死 活問題になっていたのです。 翌年6月に開催された火山噴火 予知連絡会※の結果により、噴火
口近くを立ち入り禁止にしたうえ で、入山規制が解除になり山頂宿 泊が再開されました。個人経営で あった頂上小屋は旧三岳村が引き 取り、解体して建て直し、村営と して営業を再開しました。
※火山噴火予知連絡会は、火山噴火予 知計画により、関係機関の研究お よび業務に関する成果・情報の交 換、火山現象についての総合的判 断を行うことなどを目的に、昭和 49年に設置。気象庁が事務局とな り、委員は学識経験者や関係機関 の専門家により構成。
改修された頂上階段
御嶽山噴火災害活動記録誌
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平成3年(1991)4月20日か ら火山性地震が増加し、27日か らは断続的に火山性微動が観測さ れました。5月18日撮影の航空 写真に新しい噴気が認められたこ とから、気象庁と名古屋大学では 現地調査を実施し、昭和54年の 噴火口周辺に火山灰を確認してい ます。また、翌年からは群発地震 が多く発生するようになりました。 平成14年(2002)には長野・ 岐阜両県が御嶽山周辺で地震観測 点を増強し、長野県では王滝頂上、 滝越、御岳ロープウェイの3箇所 に、岐阜県ではチャオ御岳と小坂 町巌立の2箇所に観測点が設けら れました。
平成19年(2007)には山頂直 下での液体の動きを示唆する地震
2. 長野県西部地震の発生
3. 小規模噴火が続く
先の噴火から5年後の昭和59 年(1984)9月14日午前8時48 分、長野県西部地震が発生しまし た。御嶽山南西部にあたる清滝付 近を震源地とするマグニチュード 6.8規模の地震は震源の深さが浅 かったため、旧三岳村と王滝村を 中心に被害が集中し、王滝村では 地すべりによる山腹崩壊が発生し ました。29名の尊い命が失われ、 公共施設や住宅、林野にも甚大な 被害を及ぼしました。
伝上川の「御嶽崩れ」は、奥の 院直下の王滝に八合目付近から2
つの尾根が崩れ、伝上谷を削り取 りながら10kmにわたって一気に 滑り落ち、大量の土石は王滝川を 埋めながら4km先まで達し、岩 肌が剥き出しになった伝上川はま るでグランドキャニオンのようだ といわれるほど大規模なものでし た。堰き止められた王滝川には自 然湖ができ上がったほどです。 王滝村中心部の松越地区でも丘 が一気に崩れ落ち、崖下の生コン 工場などを直撃し、従業員を巻き 込みながらそのまま牧尾ダム湖に 滑り落ちました。
清滝上部の御嶽高原一帯は、赤 土山の草原であったところです。 広い草原一帯が動き、いたるとこ ろに亀裂が入りました。道路は寸 断され、落石で一時孤立状態の場 所もありました。地すべりは滝越 地区でも起きています。濁川の谷 底で営業をしていた濁川温泉は一 瞬にして流され、釣り人も犠牲に なっています。
木曽福島でも線路が30cm沈下 したり、道路が通行止めになった りするなど、少なからず山麓周辺 の町村にも被害を与えました。
ロープウェイ設置看板 黒沢口設置看板
に注意を呼びかける 看板を三岳の黒沢口、 開田の登山道入口、 御岳ロープウェイの 乗降場所に設置し、 登山カードによる入 山者の確認を行いま した。さらに、町内 には防災行政無線で 注意喚起を行い、ス キー場関係者にも情 報提供を行ったほか、 この噴火をきっかけ にヘルメット500個、 メ ガ ホ ン11個、 懐
があり、3月に極小規模ながら水 蒸気噴火が発生したことが観測さ れています。木曽町では気象庁か らの火山観測情報を受け、登山者
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第2章 噴火の状況と対応
噴火40日前の静けさ
⑴ 噴火に先立ち
小噴火から7年が経過した平成 26年(2014)9月11日、火山性 地震が1日に50回を超え、気象 庁は注意を呼びかける解説情報を 発表しました。
これを受け、長野県庁、長野県 木曽地方事務所、木曽町、王滝村 等に電話連絡がなされ、さらに県 庁から関係町村役場や支所に一斉 FAXが送信されました。火山情 報は「火山性地震が増加しており 振幅はいずれも小さく火山性微動 は発生していません」との内容で、 噴火警戒レベル1が継続されまし たが、木曽町では念のため山小屋 に電話連絡を入れています。
4. 噴火発生(平成 26 年)
噴火当日の朝焼
長野県内の関係機関で組織して いた「御嶽山火山対策会議」で は、火山活動がやや活発化してき た状況を受け、登山者の安全確保 と再噴火した際の防災対策を確認 し、火口周辺の調査なども行って いました。また、「噴火警戒レベ