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「声」の記憶

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Academic year: 2021

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研究発表会の発表要旨 145

「声」の記憶

ローベルト・シ.ユーマンの『幻想曲』再考

佐 藤   英

ローベルトシューマンの『幻想曲』の第1楽章は,楽章の末尾に主題が登場する特殊 な構造をしている0彼が主題に用いた旋律に寄せる思いは強く,『クライスレリアーナ』

の第2曲と第3曲,『夜曲』の第4曲,交響曲第2番の第4楽章などに,『幻想曲』で用い られたのと同様の旋律を登場させている。ヘルマン・アーベルトは『幻想曲』の解釈に際 し,この旋律の由来をベートーヴェンの歌曲集『遥かなる恋人に寄す』の一節「この歌を 受け取って欲しい」に求めたことで,こんにち広く支持されている見解を示した。しかし,

先に述べたシューマンの作品群のすべてを,この歌詞と関連付けて理解することは不可能 である0着日すべきはむしろ,上記の作品群において問題の旋律が,突然,現れてくる点 にある0それがシューマンのトラウマと関わりを持っているという見地に立つと,上記の 作品群の成立過程の背後には,いったい何があることになるのか。この問いに答えるため

に本発表では,先の作品群を視野に入れた包括的観点から,問題の旋律の意味を新たに捉 え直すことを試みた。

上記の作品の個々の成立史を確認すると,それらの作品がいずれも,対象喪失の恐怖の うちで作曲されたことがわかる。問題の旋律が突然登場するのは,シューマンの内面にふ と沸いた不安を反映するためなのだろう。この旋律がそのような対象喪失の恐怖を示すメ ルクマールとなるに至った契機は,シューマンが『遥かなる恋人に寄す』をアグネス・カー ルスの歌によって知ったことにあると推測される。シューマンはアグネスに恋愛感情を抱 いていたが,彼女が人妻であったために,その想いは成就しなかった。しかし,この恋愛 体験がシューマンに残したものは少なくなく,失恋の克服として作曲されたと考えられる

『6つの間奏曲』には,彼女が歌った歌曲の引用(シューベルトの『糸を紡グレートヒェン』

とベートーヴェンの『遥かなる恋人に寄す』)が認められる。このことは,シューマンにとっ て彼女の声によって得た体験が,得がたいものであったことを_暗示⊥て上土る。__この体験が,

ロラン・バルトの言う「落ち着きのない身体」の持ち主に特有の分裂的思考のうちで岨噂 されたとしたらどうなるだろうか。アグネスの声によって記憶された旋律は,意味の転換 を起こし,大切なものを失うことへの恐怖を示すものとして,シューマンの記憶に定着す る可能性が大きいのである。

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