ゲームのル
1
ルの修正としての税制改革
山之内 光躬
一
﹃税制改革などというたわごとは大学の教室か︑エコノミストのセミナーで討議される話題で︑現実政治家がまと ︵1︶もに取り組む課題ではない︒そんな訳知りの常識が︑いま米国で覆されようとしている﹄︒われわれはここから出発
しようQ 租税制度は︑市場機構を有効圏としえない財︑サービスの供給費用負担配分システムである︒財︑サービスの消費
からもたらされる受益と︑その費用支払いは︑公共財のケースでは︑直接的︑個別的な対応関係が欠落しているか
ら︑このシステムには︑一つの権力的ルールとしての費用負担方式が導入されなけれぽならない︒つまり︑公共財ゲ
ームのルールとしての租税制度が設定されることになる︒日本国憲法は︑第八十四条で﹃あらたに租税を課し︑また
は現行の租税を変更するには︑法律又は法律の定める条件によることを必要とする﹄として︑いわゆる︑租税法盟主
早稲田社会科学研究 第33号(S61.10)
147
義を定めている︒民主主義の社会では︑国民を代表とする国会において税法が︑そしてまた︑地方財政の場合は︑地 幽域住民の代表としての地方議会において条例が議決され︑これが公共財の費用負担配分のルールとして機能するわけ
である︒ 税制改革というとき︑それは︑日常的には︑租税制度の抜本的な改正を意味し︑税法上の部分的な手直しとは区別
されるであろう︒だが︑具体的な費用負担方式を明示した租税制度を︑公共財ゲームのルールとみなすとき︑租税制
度の抜本的改革であれ︑あるいは︑特定の税目についての部分的な税法上の修正であれ︑それらは既成のゲームのル
ールの変更であるという点において︑両者の間に根本的な差異はない︒
伝統的租税理論では︑具体的な費用負担方式としての租税制度を構築するとき︑その依拠すべき準則として︑いわ
ゆる租税原則が掲げられてきた︒そしてこの租税原則には︑それぞれの社会の︑それぞれの時代のさまざまな要請が
盛り込まれてぎた︒つまり︑租税原則は︑そのときときの社会の包括的な政策目標を反映してきたといってよいだろ
う︒だから︑伝統的な租税原則は︑たとえば︑国民経済的観点から︑あるいは公平の観点から︑さらには国庫政策的
観点から等︑さまざまな準則を展開してきたが︑これらの準則の内容は︑時代や社会によって︑大きく変遷を遂げて
きたのである︒従って︑長期のタイム・スパンをとるならぽ︑制度としての租税ルールは︑必然的にステレオタイプ
化していくはずであり︑このとき︑ルールは現実的な政策目標に整合すべく︑抜本的改革が要求されるはずである︒
だが︑租税制度を公共財ゲームのルールと解釈する限り︑いかなるタイプの税制改革も︑すべて︑社会構成集団の
厚生分布を変更するはずである︒税制改革は︑社会構成集団の利害閾とは交差することなく︑集団利害を超越して︑
いわば︑完全中立的に提案されうるのであろうか︒冒頭に掲げた︑︽税制改革などというたわごとは大学の教室か︑
ゲームのルールの修正としての税制改革
エコノ︑・・ストのセ︑ミナーで討議される話題︾という指摘は︑まさに︑社会構成集団の利害問題を超越した︑完全利害
中立的な税制改革論議は︑現実の政治過程で︑具体的な政策策定のレベルでは不可能であって︑現実の利害とは遊離
した︑理論パズルのテーブル上でのみ進行しうるのだというこれまでの常識を指摘したものにほかならない︒
最近︑世界の大きな関心を集め︑その実現が期待されてきた︑アメリカのレーガン税制改革案は︑ついに議会で可
決された︒そして︑それに呼応するように︑我が国でも︑シャウプ勧告以来といわれる大きな税制改革が提案されよ
うとしている︒果たしてこのような税制改革は︑指摘されているような従来の常識を打ち破るものであろうか︒本稿
では︑ゲームのルールとしてのいかなる租税ルールの制定︑あるいは修正も︑これらを公共選択行動としてとらえる
とき︑このルール導出行動は︑すべて社会構成単位の利害閾に交差しないものはないという想定のもとに︑現在︑社
会の大きな関心を集めている税制改革問題を︑最も根底的なレベルで︑政治過程における選択行動として検討するこ
とにする︒
丁註
)
これは昭和六二年九月に朝日新聞が連載した︑﹁税制改革−納税者の視点l﹂のなかの一節である︒
二
49税制改革は︑既存の権力的ルールとしての租税制度が︑十分な合理性を主張しえなくなったとき︑ルールの目的整 1
合性を復元するために意図される︒このとき︑改革の当事者としての政府について︑いわゆる全能の︑慈悲深い政府
を想定することができるのか︒それは︑完全な倫理基準を備えた監視人として︑理想的な機能を発揮しうるのか︒税
制改革の原理的論議は︑果たして︑現実の政治的パフォーマンスのプロセスを無視したまま︑いわゆる哲人王の仮説
にたつことによって︑その実現を期待することができるのか︒税制改革の問題を︑たとえぽ︑税制の複雑さ︑非効率
性︑不公平性の改善のみに焦点を合わせ︑いわゆる︽社会的に望ましい︾税制についての倫理規範を設定し︑これに
整合する税体系の構築を吟味するという視角とは別に︑いくらか異なった文脈で眺めることが必要ではないのか︒
現実の税制改革提案を見るとき︑まず︑ ︽望ましい税制とは何か︾が議論される︒そこでは負担配分の公平性基
準︑市場メカニズムの資源配分効率性への中立性基準︑税制の明確性︵簡素化︶の基準︑さらには︑税の単収等等︑
そのときときの倫理規範に基づいた観点から︑一見して︑特定の社会集団︑利益集団の利害を超越した︑あたかも社
会的に完全合意されうるかのような︑︽一般的に︾望ましい税制のための目標が準拠標として採用されている︒だが︑
いかなる租税ルールも︑それは︑具体的な財政支出パターンと結合されて︑それぞれの個人ならびに集団の厚生分布
を規定することになるから︑それら租税ルールの改革が社会の構成単位の利害を超越した︑生理学的分析に基づいた
治療学的処方箋として︑パレート的改善を保証しうる真の集団利害超越的社会公正を実現するものとして︑社会的合
意を得ることは極めて困難といわなければならない︒
一般に︑財政論あるいは租税論の中で論じられる︽理想的な租税制度の在り方︾は︑このような集団利害超越的社
会公正の基準に立ってきたといえよう︒だから︑特定の租税ルールがいかなる集団の利益を助長するのか︑このと
き︑どのような圧力がルール形成に関つたのかという問題は︑むしろ︑政界の裏話として取り上げられる類いのもの
150
ゲームのルールの修正としての税制改革
であった︒租税制度が全体として︑あるいは︑特定の租税ルールが︑社会構成単位のどの部分にどのような効果をも
たらすのかについての︑明確な情報が︑少なくとも理論分析のレベルで提供されることはなかったのである︒伝統的
な財政学や租税論では︑政治過程における政策形成の領域は︑射程圏外のものとして︑その理論定式化は回避されて
きた︒従って︑租税ルールをも含めた財政的意思形成に︑いかなる要因が支配するのか︑あるいは︑それらはさまざ
まな社会構成単位の行動と︑どのように結合しているのかについての理論構築には︑ほとんど関心を払うことはなか
ったのである︒
経済分析を主要な理論構築用具にしてきた財政理論は︑具体的な租税制度の形成を︑究極的には︑社会的厚生なり
公共の利益の増進という目的の追及に結合させてきた︒従って︑このような課税の目的は︑具体的には︑租税ルール
の中に盛り込まれて形成されなけれぽならない︒そして︑このとき︑社会的厚生の改善は︑いわゆる︑パレート的な
意味での改善でなけれぽならないだろう︒つまり︑これは︑社会のいかなる構成単位も︑以前に比して厚生上の改悪
を被ることなしに︑少なくともいずれかの構成単位が厚生上の改善をもたらされるような可能性︑あるいは︑社会の
すべての構成単位が︑同時に厚生上の改善を得るようなケースでなけれぽならないであろう︒だが︑現実の︑さまざ
まな社会構成単位の利害が複雑に交錯するフィールドでは︑いかなる租税ルールの変更も各々の利害の分配状態を変
更することになるはずである︒租税ルールはすべて︑各社会構成単位の利害閾と交差しているはずであり︑このとき︑
社会の原初的な厚生状態が︑パレートの意味におけるノン・オプティマムであることを想定しても︑租税ルールの変
更は︑通常は︑ゼロ・サムの結果をもたらし︑社会的合意形成に至る︑全体的厚生改善を保証することは決してない
であろう︒
151
このように︑
察する文脈は︑
い︒ 租税制度すなわち︑租税ルールを︑公共財ゲームのルールとして解釈するとき︑税制改革の問題を考政治過程における︑租税ルール設定のパフォーマンスのフィールドのなかに形成されなけれぽならな
152
三
一九八五年五月にその全容が発表された︑いわゆる﹃公平︑成長︑簡素化のための大統領租税提案﹄︑つまり︑﹃レ
ーガン税制改革案﹄は︑ついに︑一九八六年九月議会で可決され︑いよいよアメリカは︑一九八七年一月から新しい
税制に入ることになった︒ここでは︑その全貌よりもむしろ︑その提案が政治的パフォーマンスの過程とどのように
連結していたかを確認するために︑レーガン税制改革の中核となった︑新しい租税ルールの基本的な柱となっている
ものを挙げておこう︒
一︑現行所得税の税率構造を大幅に修正する︒すなわち︑これまで︑一一パーセントから最高五〇パーセントにい
たる︑一四段階の個人所得税の税率区分を改め︑二八パーセントと一五パーセントの二段階とし︑実質的に税率
のフラット化を図る︒
二︑法人税については︑現行の最高四六パーセントの税率を三四パーセントに引き下げる︒
三︑長期キャピタル・ゲインの分離課税の廃止︒さらに︑個人ならびに企業の︑各種の税制上の優遇措置を縮小︑
廃止する︒
ゲームのルールの修正としての税制改革
このように︑レーガン税制改革における︑新しい租税ルールの基本の一つは︑特に︑所得税︑法人税における大幅
な税率緩和という減税方式が打ち出されたことである︒アメリカで所得税が導入されて以来︑七〇年ぶりの大税制改
革の基本目標はこのように︑近年いよいよ複雑化を増してきた税制を大幅に簡素化し︑同時に︑負担の︽公平性︾を
復元すること︑そしてまた︑経済活動を可能なかぎり市場経済の自律的な資源配分機能に委ねようとする基本姿勢か
ら︑税制の資源配分中立性を復元することに集約されたのである︒このレーガンの租税改革案は︑もともと︑一九八
四年一一月に発表されたアメリカ財務省の租税改革案を基礎としてきたといわれる︒そして︑この﹃財務省案﹄に対
する一般国民の支持が︑既得権益の維持をはかろ3とする特定の利害集団を除けば︑きわめて高かったといわれる︒
さらにまた︑共和党︑民主党のいずれの議会筋も︑米国の現行税制が複雑でしかも不公平で︑改革を必要とするとい ︵1︶う認識では︸致していたという︒
一九八○年代の税制改革が提案されるに至った素地は︑過去に累積されてきた租税ルールのシステムが︑現代の新
しい社会経済の局面に直面して︑社会の要請に十分に応えられなくなった点に見いだされる︒だが︑その直接的背景 ︵2︶は︑つぎのような一九七〇年代のアメリカ経済の状況と︑当時の経済政策を抜きにしては︑的確な説明はできないだ
ろう︒一九七〇年代︑アメリカ経済は︑周知のとおり︑深刻なスタグフレーションという未知の経済状況に直面した︒
すなわち︑激しいインフレーションが同時に進行するなかで︑実質経済成長率が低迷し︑国際収支が悪化していった
のである︒そして︑この経済的悪化の主要原因の⁝つとして指摘されたのが︑所得税︑法人税を中心とした租税ルー
ルの構造とインフレーションによる名目所得の上昇の関係からもたらされる︑実質税負担の過重問題であった︒急激
な所得税の累進税率構造は名目所得の上昇のなかで︑いわゆるブラケット・クリープの問題をもたらし︑また︑法人
153
税の規定する原価償却法が取得価格をベースにしてきたこと︑さらに︑在庫評価法として先入先出法を採用してきた
ため︑インフレーション進行過程で︑租税構造そのものによる税の実質的な過重負担が生じ︑これらが市場経済活動
の活力を奪ったというわけである︒他方において︑税制の構造からもたらされた実質的な過重負担は︑納税者のサイ
ドにおける強い租税回避の誘因を︑そのインパクトとしてもたらしたのである︒納税者は租税回避の道を探索し︑脱
税行為が拡大していくという深刻な事態の中で︑直接税の申告納税制度を中核としたアメリカの課税体系そのものが︑
一つの危機的状況に直面することになったという︒過去における︑さまざまな経済環境の中で採られてきた︑個々の
経済政策と結合されて累積してきた雑多な租税特別措置とともに︑各種の︽税金逃れ︾の広がりは︑これらの手段を
持たない納税老の間に︑税負担の不公平感をますます増幅させることになったのである︒
一九八○年代の税制改革提案の背景には︑このような七〇年代以降のアメリカ経済の困難な状況と︑補綴的な租税
政策の累積がもたらした税制の複雑さ︑そして︑そこから拡大してきた不公平性の認識︑アンダーグラウンド.エコ
ノミー︑税のギャップの増大等︑租税制度のパフォーマンスの基盤が危くなりかねない事態が進行しつつあったので
ある︒ レーガン税制改革提案は︑かくてアメリカ国民の圧倒的な支持を得てきたといわれる︒もちろん︑この事実を︑こ
こで否定するものでは決してない︒しかしながら︑このとき︑既得権益に固執する特定利害集団を除いて︑改革案に
対するコ般国民の支持がきわめて高かった﹂というとき︑ ︽一般国民︾は︑ゲームのルールとしての租税ルールの
提案を︑それぞれの︽効用関数︾に基づいて判定するのではないのか︒ ︽一般国民︾は︑完全に同等の効用関数を持
った︑単一集団では決してないであろう︒それは多様な効用関数を持った︑それぞれの利害閾を設定した社会構成集
154
団にほかならない︒だから︑社会のすべての構成単位に共通の︽一般意志︾︵く︒ざ葺ひσq曾爾2①︶の存在を容認する
のでないかぎり︑そしてまた︑個人は︑その効用関数を構成する変数のうち︑社会的合理性を追及する要因よりも︑
個人的合理性を追及する要因︑つまり自利的要因の方を常に優先させるという仮説にたつかぎり︑この︽一般国民︾
は︑それぞれの利害を超越した︑ ︽既得権益を擁護する︾特定利害集団とは異質の︑ ︽汚れなき︾社会構成単位など
では決してないのである︒
いま︑個人の効用関数を次のように表すことにする︒
ゲームのルールの修正としての税制改革
d首陛︑︵草噂﹃り﹃⁝:・噛﹃︶
このとき︑内一1︵﹃り﹃ぼ︾......り ︵H︶
﹃︶は︑個人︑一の私的合理性を充たす項目のヴェクトルであり︑
d齢11︑︵9凸ご 9のN矯 ⇔o◎℃ ︒.....℃ 卑臼︶︵卜︒︶
においては︑︾11︵曽μ︾ 曽牌︾ ①ω噂 ......噂 ㊤日︶は︑個人︑一にとっての︑
している︒従って︑ここでは︑個人の包括的効用関数は︑
d︑d︑︵d§d齢︶︵ω︶ 社会的合理性に結合する項目のヴェクトルを表
155
のように表すことができる︒このとき︑社会構成単位の行動は︑常にd6をd黄に優先させるのである︒だから︑
既得権益を擁護する特定利害集団も︑改革提案を支持する一般国民も︑かれらのd弼がd蒔を支配しているかぎり︑
その行動動機において︑一方が他方の邪悪性を責めることは︑正当性を欠くことになろう︒少なくとも︑公共財ゲー
ムのルールとしての租税制度を選択する︑社会構成単位の行動という視座をとるかぎり︑まず︑すべての集団の選択
行動の背後に横たわっている共通項を︑確認しておくことが不可欠であろう︒
レーガン税制改革案は︑前述のように財務省の税制改革案の基本姿勢を受け継いだものであるが︑主要項目につい
ても︑大きな修正が加えられている︒特に︑資産所得︑企業所得︑特定産業分野に関する財務省提案は︑政治的パフ
ォーマンスの過程で︑各種利益集団への配慮から︑大きな譲歩がなされたという︒ここには︑政治的パフォーマンス
の過程を欠落させて︑比較的純理論的な︑いわばエコノミストの立場からの税制改革案の作成が可能な財務省の性格
と︑その本質的な部分として︑政治的パフォーマンスの機能を果たすべき大統領の性格が︑対照的に明示されている
といえるだろう︒
156
︵1︶ 註
︵2︶ 本間正明﹁レーガン税制改革の基本戦略﹂エコノミスト 一九八五年六月二五日号参照
宮島 洋﹃租税論の展開と日本の税制﹄日本評論社 ︸九八六年九月 第九章参照
四 ゲームのルールの修正としての税制改革
租税制度は公共財ゲームにおけるルールであり︑それらは政治過程を通じて設定される︒民主主義の政治システム
では︑この権力的租税ルールの形成も︑多様な個人︑集団からなる社会構成単位の意思を無視することはできない︒
それぞれの効用関数に行動を支配されている社会構成単位の政治的支持は︑政権担当集団にとっては︑その行動上の
最も重要なファクターに外ならない︒政策策定が実践される政治過程で︑税制改革が立案され︑具体的な租税ルール
として税制が組み上げられていく作業経路には︑投票制度に支えられる民主主義政治システムが本質的部分として持
つ︑投票者選好からのインパクトが強力に働くという︑もともと経済分析がその対象となし得なかったフィールド
が︑ここでは主役にならなけれぽならない︒
一般に︑税制改革が立案されるステージは︑政治的パフォーマンスのプロセスを基準にして︑大きく二つに分類す
ることができる︒一つは︑政治的パフォーマンス中立的な組織であり︑エコノミストなどを中心に︑集団利害にとら
われない︑理論的な議論に基づいた立案が可能なレベルである︒だが︑このレベルでの立案が︑具体的な租税ルール
に結実するためには︑現実の政治的パフォーマンスのプロセスに入り込まなければならない︒この政治的パフォーマ
ンスとの接点で税制を立案するのが︑第二のステージとしての政府である︒アメリカの税制改革では︑財務省案が第
一のステージの立案であり︑レーガン提案は第ニステージの立案に該当するであろう︒だから︑大統領提案では︑特 卿に︑資産所得︑企業所得︑特定産業に関する財務省提案の重大な譲歩がみられるが︑このような譲歩こそ︑実は︑こ
の第二のステージがその本質的部分として持っている︑政治的パフォーマンスという現実的作業工程の必然的帰結に
外ならないであろう︒たとえぽ︑財務省提案と大統領提案を比較したとき︑その主要な譲歩修正項目として指摘され
ているのは︑
ω キャピタル・ゲインの全面課税提案は︑五〇パーセント免除に後退し︑しかも最高限界税率が引き下げられた
ため︑実効最高限界税率は︑免除率六〇パーセントの現行制度におけるよりも︑低くなることになった︒
② 法人税の三三パーセントの一律課税提案は︑三段階におよぶ軽減税率を追加提案し︑また︑支払配当控除制度
において︑控除率を五〇パーセントから一〇パーセントに引き下げた︒さらに︑タックス・シェルターとしての
パートナーシップへの課税が見送られたこと︒
㈹ 早期コスト回収制度に代わって提案された実質コスト回収制度は︑資本コスト回収制度に修正された︒
︵宮島﹁前掲書﹂参照︶
もちろん︑これらは財務省案のうち︑大統領提案で修正されたものの一部であり︑しかも大統領提案そのものも上下
両院の審議過程で修正を受けることになる︒だが︑ここでは︑制度改革の最終的内容の具体的説明よりも︑まず︑租
税ルールの修正を立案するステージでは︑政治的パフォーマンスというファクターが入り込むことによって︑各種の
利害閾が複雑に交錯することを明確に認識しておかなければならない︒つまり︑現代の民主主義システムでは︑比較
的政治パフォーマンス中立的な第一ステージで作成されるの立案も︑それに続く政治的行動のフィールドで︑さまざ
まな利害関係をもつ社会構成単位の側からのインパクトを受けながら︑修正されて具体的な最終的租税ルールが導出
されていくからである︒
158
ゲームのルールの修正としての税制改革
このような観点から︑看過することのできない近年の歴史的出来事は︑いわゆる︑一九七八年六月に経験したカリ
フォルニアの提案二二号の承認であろう︒つまり︑カリフォルニアにおける︑住民の直接請求に基づいた固定資産税
の税率引き下げという︑租税ルールの修正の実現であった︒これは︑しぼしば﹃納税老の反乱﹄︵↓9︒図閃①<oδの重
要なスタートとみなされたが︑カリフォルニア州の住民投票は︑固定資産税の税率を︑資産市場価格の一パーセント
に制限する租税ルールの修正に成功したのである︒このカリフォルニア提案一三号の本質的な問題は︑立憲的観点か
らの課税権の制限として論じられているが︑ここでは︑政治的パフォーマンスのプロセスでは︑社会構成単位の側か
らのインパクトが︑租税ルールを変更していく重要な要因であることを指摘しておきたい︒だが︑このとき︑われわ
れの想定からは︑レフェレンダムに参加する住民口投票老を︑一括して︑まったく同質の集団として︑公共権力体対
住民投票者としてとらえることは正しくない︒カリフォルニア提案二二号の投票結果は二対一であり︑この結果は
投票者集団がそれぞれの利害閾を交錯させた︑個別集団から形成されていたことを示しているからである︒
レーガン税制改革においても︑社会構成集団としての強力なインパクトを与えたものとして︑特に︑ ︽全米納税者
同盟︾ならびに︽課税公正化の市民連合︾が︑過去に累積してきた各種優遇税制の廃止を︑強く要求してきたことは
よく知られている︒しかし︑この︽全米納税者同盟︾にしても︑また︑ ︽課税公正化の市民連合︾にしても︑これら
の集団は︑自らの利害問題を全く持たない︑完全に集団利害を超越した︑禁欲的団体では決してありえないだろう︒
権力的ルールとしての租税制度の形成過程にインパクトを与えていく行動動機は︑根底的には︑それぞれの効用関数
に支配されているはずであり︑その意味では︑これらの団体も︑ ︽特殊権益を擁護する特定利益集団︾と公共財ゲー 畑ムの行動レベルにおいてなんら異なるところはない︒
このように︑租税制度を公共財ゲームのルールとみなし︑この権力的ルールの獲得をめざして︑各社会構成単位が
それぞれの側からインパクトを結集させていく︑民主主義の集団行動という視座に立つかぎり︑たとえぽ︑一九七七
年に日本で結成された︑ ︽総評︾︑︽中立労連︾︑︽日本生協連等労組︾︑︽消費者団体︾︑︽婦人団体︾︑︽業者団体︾等幅
広い組織が結集して発足した﹃不公平税制をただす会﹄もまた︑それぞれの利害閾と交差した効用関数に支配されて
行動しているはずであり︑この﹃会﹄もまた︑それぞれの集団利害を超越した︑個別利害中立的な禁欲的倫理観に基
づいて行動する集団では決してありえないだろう︒個人︑集団の行動を支配しているそれぞれの効用関数において︑
d6とd黄が同一方向を示さないかぎり︑dちが常にd茜を支配するというわれわれの最初の想定から出発するな
らば︑公共財ゲームにおいて︑いかに利害中立的︑禁欲的集団を装った団体も︑たとえぽ︑ ︽業者団体︾等に代表せ
られる︽特殊権益擁護団体︾と行動上の差異を認めることはできない︒
民主主義システムによる政治過程において︑しぼしぼ︑その実体が具体的に定義されないまま︑ ︽公益︾という曖
昧な行動目標が︑美化されたまま受容されているように︑租税ルールを選択する行動領域では︑ ︽公平︾という絶対
的基準が︑何等の客観的内容を付与されることなく設定されている︒この行動基準は︑このフィールドでのすべての
行動主体に是認されるはずのものであり︑この基準にたいする︑いかなる異論も介入する余地のないものとして︑ま
さに不動の地位を確保しているようにみえる︒もともと︑税負担配分の公平という規範は︑古くから古典的な租税原
則のなかで活発な議論が繰り返されてきた︑いわぽ不可侵のテーマであり︑この伝統は︑財政学や租税論の現代理論
にも︑そのまま受け継がれている︒だが︑公平概念は︑つねに特定の倫理規範と不可分に結合しており︑その意味に
おいて︑これまで定式化されてきた個々の租税配分原則は︑それぞれの時代︑それぞれの社会において︑まったく集
160
ゲームのルールの修正としての税制改革
団利害を超越した︑完全中立的なものでありえたのか︒ここでもまた︑一つの︑余りにも美化された行動目標として
の︽公平︾が具体的内容の定義を持ちえないまま︑すなわち︑ ︽美学としての倫理的公平︾が︑超然たる道徳的規範
として︑行動の正当性を主張してきたのではないか︒
さらにまた︑かりに︑租税論のレベルで定式化される租税制度に関する提議が︑利害中立性を確保し得ていたとし
ても︑現実の租税ルールが形成される政治的パフォーマンスの過程では︑これらは︑多数の利害閾と交錯し合いなが
ら︑すなわち︑多元的な公平基準を巡っての政治的交渉の過程から︑最終的な権力的ルールが導出されることにな
る︒たとえば︑財政史や議会発展史が教えているように︑土地階級や貨幣階級といった集団間に激しい租税の転嫁闘
争が展開されてきた歴史のプロセスは︑このような事情を如実に物語る一例に過ぎないだろう︒われわれが︑民主主
義システムにおける公共財ゲームの租税ルールの選択という観点から︑つまり︑ ︽伝統的な窓︾とは異なった視角を
採用するならば︑政治的パフォーマンスの過程では︑ ︽公平︾の主張は︑根底的には︑社会構成単位の自己の利害に
支配された動機に基づいているのではないかということになる︒ ︽公平︾は︑行動を正当化するたあの︑美化された
︽虚構︾ではないのか︒このとき︑権力的租税ルール獲得過程では︑個別集団の側からは︑自己の行動を正当化する
ためには︑この︽虚構︾としての︽公平︾の着衣をいかにして意うかが︑重要な戦略になるわけである︒
五
観現代の社会契約論的財政論では︑租税制度を︑公共財ゲームにおける立憲的ルールと解釈し︑社会的選択行動の第
図
(1)
メR・
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ノ
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ノ !
※二/
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イR
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45。
,▼R2
Gb E(makb)
Ga
E
(maXa)
0
一次的ルール決定のフィールドで︑社会構成単位の完全合意を
導出する可能性が定式化されている︒だが︑現実の財政過程に
おいて︑各社会構成単位の問では︑公共財ゲームは不断に進行
しているのであり︑そこに︑真の意味でのゲームの開始点︑つ
まり︑利害空白の起点は存在しないだろう︒まして︑現実財政
過程における︑税制革改︑すなわち︑既成の租税ルールの変更
は︑明示的に社会構成単位の利害関係︑したがって︑現在の社
会的厚生の分布状態を変更するはずである︒
投票制度によって支えられる︑民主主義政治システムを基調
とする社会では︑税制改革によってもたらされる社会の厚生分
布変更は︑政府に対する政治的支持と連結しているはずであ
る︒すなわち︑いかなる税制改革提案も︑そしてまた︑いかな
る租税ルールの修正や新規提案も︑政権担当者への政治的支持
の変化に︑完全に中立的ではありえない︒特に︑先に定義し
た︑税制改革立案の第一ステージから第ニステージに移行して
以降の︑現実的な政治的パフォーマンスの進行経路では︑この
ファクターは︑より明示的なものになってくる︒ここでは︑こ
162
ゲームのルールの修正としての税制改革
のような文脈で︑租税ルール変更の経路を︑単純化した構図によって確認しておこう︒
いま︑レーガン税制改革が前提にした︑税収中立性を想定するならぽ︑図1ωでは︑国︵ヨ㊤×騨︶1国︵ヨp︒×σ︶線は一
定租税収入線を表し︑このとき︑09および○げは︑それぞれ集団︵A︶と集団︵B︶が負担する税額を示している︒
すなわち︑国︵ヨ㊤×蟄︶では︑一定租税収入の全額を︑集団︵A︶が負担し︑集団︵B︶はゼロの税負担をするような
課税構造が︑そして︑国︵日僧×σ︶は︑一定租税収入の全額を︑集団︵B︶が負担し︑ このとき集団︵A︶では︑完全
に税負担を免れているような課税構造が示されている︒税制改革の基本条件として︑税収中立性がとられるかぎり︑
国一国線の位置は固定される︒そして︑いま︑税収中立性の前提を解き︑現行の課税構造を固定したまま︑租税収入
総額を変動させるとき︑集団間の税負担配分点︑たとえぽF点は︑矢線︑Rの経路上を移動することになる︒いま︑
集団︵A︶の課税ベースを︑﹂︑集団︵B︶の課税ベースをπとし︑それに対する税率を︑それぞれ︑δおよびηで
表すならぽ︑一定租税収入Eは︑
国﹂・動+自・唱
(H)
である︒しかし︑このとき︑集団︵A︶と集団︵B︶が︑それぞれその集団形成をしているの背後には︑相互に異な
った課税ベースを持っているという事実があるから︑ここでの税制改革の提案は︑税率︑δおよびηの変更のみなら
ず︑課税ベースの算定方式における︑ウェイトのつけ方の修正をも含まなけれぽならない︒
いま︑租税改革案が提出され︑税率の修正とそれぞれの課税ベースのウェイトの変更が計画されるとしよう︒税の
163
課徴構造は︑次のように修正されることになる︒
国11﹂奪・勉+自s・英
(N)
164
Eはつねに一定であるから︑いま︑ω式で示す行動起点を図1ωのF点とするならぽ︑租税ルールの変更による︑
②式への課徴構造の転換は︑集団間の負担配分点を︑国一国線に沿って︑︵ヨ①×箇︶あるいは︵ヨρ︒×σ︶に向かって修
正するはずである︒このとき︑Eが不変であるから︑租税ルールの修正はつねに
﹂〇四+﹂OσはO
を成立させる︒だから︑税収中立性の税制改革は︑公共財の給付パターンが不変であるかぎり︑
ームを展開することになる︒税負担額増減の数値は︑課徴構造の変数に依存するから︑ 典型的なゼロ・和ゲ
﹂O即11\︵黛$︶
﹂90︑︵♂s︶
したがって︑このゲームでは︑特に︑政治的パフォーマンスの過程で︑行動起点の税負担配分経路︵矢線R︶上のF
ゲームのルールの修正としての税制改革
点から︑課税べ!スのウェイトに関する変数︑ψおよびωと︑税率に関する変数︑δとηの一方か︑あるいは双方の
変更を組み合わせることによって︑税負担配分経路を︑たとえぽ︑幻から閑Hへとシフトさせ︑男 線と国一国線と
の交点︑ 分点に税負担配分点を求めること︑あるいは︑税負担配分経路を︑たとえぽ︑国から園Nへとシフトさ
せ︑菊N線と国−国富との交点︑碧眼に税負担配分点を求めることが︑重要な戦略となるわけである︒
だが︑公共支出︵公共財︶の給付パターンが所与であるかぎり︑このようなゼロ・和ゲームとしての租税ルール変
更は︑必然的に各社会構成単位の厚生状態の再分布をもたらすことになるだろう︒
予算過程における二つの側面のうち︑支出サイドを所与とするとき︑たとえぽ︑財政収入不変のもとにおいて︑公
共財を社会に共通の均等な便益をもたらす純粋公共財と想定するならぽ︑税負担配分率の変更によってもたらされ
た︑ある社会厚生単位の厚生状態の劣化は︑もはや公共財の給付分布を修正することによっては︑補償することはで
きない︒この状態における租税ルールの変更は︑社会の利害得失を︑ゼロ・和状態に導くから︑われわれは︑このフ
ィールドでのゲームを︑パレートの意味での利害対立領域内部で進行するものとして扱うことができる︒
このような利害対立領域を︑集団︵A︶と集団︵B︶に関する効用フロンティアに示したのが図1②である︒
︵竃曽×笛︶および︵ζ9×σ︶は︑図一ωのそれらの点が表している︑集団︵A︶︑集団︵B︶がそれぞれ租税の全額を負
担し︑他方がゼロ負担をする状態に外ならない︒しかし︑ここで︑人々の集合的行動領域のなかに︑一定範囲で︑個
別合理性と全体合理性との整合部分を認めるならば︑︵﹈≦9×σ︶から>8に至る経路と︑︵竃9詳︶からUd︒bに至る経
路は︑両者の利害が同一方向に進行する︑いわゆる合意領域となる︒だから︑租税ルール変更による利害対立領域は︑
︾9からゆ昌に至る範囲で定義されることになる︒行動起点︑Fにおいて︑集団︵A︶は政治パフォーマンスの過程
165
図・.(2)
4・P
F
B
FN
∂
︽
\
S
\
2
BOP
MaXa Ub
UaMaXb
0
での行動を通じて︑自己の税負担の軽減を目指して︑負担配分
点を変更して︑厚生状態を雷へとシフトする誘因を持ち︑同様
に︑集団︵B︶は︑税負担配分点を修正して厚生分布を国へ
とシフトする誘因を持つであろう︒このようにして︑特定の租
税ルールの変更は︑ある社会構成単位の厚生状態を改善し︑同
時に︑他の構成単位の厚生状態を改悪することになる︒もちろ
ん︑財政収入︵租税収入︶ ﹁定という想定のもとでも︑支出構
成の調整が可能であれば︑租税ルールの変更による厚生喪失集
団に対する︑補償の可能性が開かれている︒しかし︑行動起点
が︑>81しd薯のような集団の利害対立領域内にある場合には︑
厚生損失補償の合意の可能性はない︒ここでは︑経済理論が教
える通り︑何等かの外部的な倫理基準に基づかないかぎり︑一
意的な社会的改善は定義できないから︑このフィールドでの調
整のための権力的ルールの決定は︑さまざまな集団利害閾の交
差する政治的パフォーマγスから導出されることになるQ
行動起点がノソ・オプティマム︑つまり集団合意領域の内部
にあるとき︑少なくとも経済理論的には︑租税ルールの変更か
166
ゲームのルールの修正としての税制改革
ら被る集団厚生喪失は︑社会的合意のもとに補償され︑社会的な厚生改善が実現されることになる︒だが︑財政支出
パターンの決定︵公共財の構成の特定化︶︑その費用負担配分の決定の導出は︑政治的パフォーマンスの過程と切り
離しては論じられないだろう︒いま︑図一②において︑このような合意領域における行動起点をSとしよう︒このと
き︑税収ならびに支出構成不変のもとで︑租税ルール修正による︑集団問の負担率の変更のみが導入されるならば︑
新規の厚生分布点は︑Sを起点として・λのフィールドを東南方向にか︑あるいは︑︑θのフィールドを北西方向へと
シフトしていくことになる︒このケースは本質的にゼロ・和ゲームであり︑新厚生分布点が・λのフィールドに入る
か︑あるいは︑・θのフィールドに入るかによって︑集団利害は相互に対立する︒ ノン・オプティマムとしての合意
領域のなかに︑利他的動機に基づく再分配の部分を含まないかぎり︑このことが妥当するであろう︒
税収不変のとき︑租税ルールの変更とともに︑財政支出構成の修正が含まれるならぽ︑新規厚生分布点は︑行動起
点Sから斜線の・κフィールドを東北方向にシフトすることが可能になる︒だが︑ この可能性は常に保証されている
わけではない︒集団行動は︑政治的パフォーマンスの領域を経由して︑一定財政収入のもとで支出構造を変えること
によって︑少なくとも短期的には︑ここでも︑より有利な分布点を・λフィールドに︑あるいは︑θフィールドに求め
ていくからである・
このセッティングでの︑・κフィールドへの分布点のシフトは︑社会的厚生のパレート的改善を意味し︑所与の財
政収入のもとで︑税負担率と支出構成の変更によって︑最低限︑一方の厚生状態を不変のまま保ちながら︑他方の厚
生状態を改善していくような経路が想定されている︒しかし︑ £フィールドを東北方向にシフトするという行動経 下路は︑摩擦を伴わない安定的な進行を︑決して保証してはいない︒少なくとも短期的には︑個別集団にとっては︑忌
フィールドの分布点よりも︑・λフィールドあるいは・θフィールド内の分布点に︑行動上の優先を与えることが有利 鵬であるかもしれないからである︒つまり︑個別集団にとっては︑行動上の関心は社会厚生の改善ではなくて︑新規の
厚生分布状態︑すなわち︑自己に帰属する厚生の新規分布にあるからである︒
租税収入と支出構成に関するこのような想定のなかで︑租税ルールが変更されるとき︑最終的な厚生分布の均衡点
を経済理論的に導出することが︑ここでの関心ではない︒ここでは︑税制改革という︑公共財ゲームのルールとして
の租税負担方式の変更を︑政治的パフォーマンスに対する個別集団のインパクトという地平でとらえ︑その連結点を
明確にすることが課題なのである︒このような視座に立つとき︑現実に税制改革案を作成し︑最終的な権力的租税ル
ールの形成に至る過程で︑投票者の政治的支持というファクターを無視することはできないであろう︒すでに指摘し
た︑アメリカ財務省提案という第一ステージから大統領提案の第ニステージを経て︑議会審議という第三ステージに
至るプロセスにおける︑政治パフォーマンスからのリアクションとしての提案の譲歩修正は︑まさに︑租税ルールの
形成過程にこのようなファクターが強力に作用することの証左であろう︒
租税ルールの変更による集団間の厚生分布の変化は︑当然投票者の政治支持率に影響を与えるはずである︒投票者
の政治的支持によって支えられる政党や政治家に︑第一次的な租税改革を立案するステージにおいてさえ︑投票老の
政治的支持というファクターから全く解放された︑集団利害完全中立的な立案を期待することができるのか︒提案が︑
いかに︽公平︾︑︽中立︾︑︽簡素︾︑あるいは︑︽活性︾を歌い上げたとしても︑立案そのものは︑その根底において︑
政治的支持率への配慮と連結しているのではないのか︒このとき︑税制改革の立案者は︑特定集団に対する減税方式
の導入からもたらされると予想する政治的支持の増加と︑他の集団に対する増税方式の採用から予想される政治的支
ゲームのルールの修正としての税制改革
図 ︵3︶
S
K
V
一 一 一
一 一 一
一 『
一 一
一
G T E
M
N
<11︑︹﹂O︵き
国喚︹﹂Oσ︵唱い H .O
負︶︺e︑︶︺
(」n﹂9︶
OP?一一一一一一
(N−H)
↓
R
持の減少を比較考量しなけれぽならないだろ
う︒この関係は︑図i㈲ に示されている︒横座
標︑Gには租税収入中立性のもとにおける︑減
税すなわち増税の規模が表され︑縦座標のSに
は︑政治的支持の増加および減少がとられてい
る︒曲線Vは︑減税による政治的支持の増加関
数を表し︑曲線Kは︑増税による政治的支持の
減少関数を表している︒Rは正の政治的支持余
剰である︒図i㈹では︑増減税規模がTに至る
全領域にわたって︑政治的支持余剰が生じる構
造になっているQつまり︑
のとき︑政治的パフォーマンスの過程で︑税制改革を提案し得る領域は︑最低限において︑
169
170
<i目yO
でなければならないからである︒そして︑政治家の得票最大化という行動仮説にとどまるかぎり︑このときの税制改
革立案者の最大の行動目標は︑政治支持余剰︑Rを最大にすることであるから︑かれらはRの最大点を求めて︑増減
税規模をE点に決定しなければならない︒増減税規模の最適条件は︑
< 匙函
織O 犠○
が成立することである︒すなわち︑この増減税規模の点において︑限界政治支持獲得と限界政治支持喪失が均等する
わけである︒そしてこのとき︑税収不変のもとにおける︑税制改革による最大の政治支持余剰を獲得することができ
る︒もちろん︑この単純化したモデルでは︑税制改革を税収一定のもとで︑さらに︑公共財の構成︑つまり財政支出
の内容もまた変更されないという想定が採られた︒しかし︑ここで公共財の構成の変更という︑セヅティソグを導入
しても︑さらにまた︑租税収入総額の変化という前提を採用しても︑政治過程における基本的な行動動機についての
仮説の内に止どまるかぎり︑結論は何等修正されないだろう︒
⊥
/、
ゲームのルールの修正としての税制改革
レーガン税制改革は︑圧倒的な支持を得て議会を通過したという︒だが︑このとき︑議会の圧倒的支持とは︑ある
いは︑国民の圧倒的支持とは︑果たして︑それぞれの個別便益につながる効用関数とは切断したまま︑ひたすら︑実
体のない︽公益︾という目標を是認して︑個別利益よりも全体利益を優先するという文脈から理解しうる性質の︽支
持︾であり得るのか︒われわれは︑社会構成単位が︑集合的な政治的行動領域においても︑個別利益を社会的利益に
優先させるという想定をしてきた︒財務省提案から大統領提案に至る過程で︑さらに議会審議へと進行する段階で︑
さまざまな集団からの激しい圧力が加えられたという︒たしかに︑最終的には︑重要な部分で譲歩がみられ︑また︑
特定の権益集団の利益は︑たとえば︑国家安全保障という名目で存続された︒このレベルの提案修正は︑想定されて
いる︑政治行動における個別便益優先の明示的な表徴に外ならない︒だが︑特殊権益を擁護する既成租税ルール撤廃
への圧力︑あるいは租税ルール変更に対する支持表明もまた︑既成ルールの存続を主張する集団行動と︑政治的行動
の動機としては︑同質のものであることを看過してはならないだろう︒
税制改革案が国民の圧倒的多数により支持されたのは︑現行租税ルールが︑国民の圧倒的多数に支持されていなか
ったという意味において︑提案された租税ルールの施行によって︑予想される厚生分布の変化が︑国民の大多数にと
って自己に有利な方向に個別効用関数に入り込むと予想されたからに外ならない︒少なくとも︑税制改革案を立案す
る充電ステージ以降の政治パフォーマンスのフィールドでは︑立案者は現行租税ルールと修正租税ルールとについ
171
て︑その政治的支持の得失を比較考量しなけれぽならないという︑議会制民主主義システムにおける︑政治行動の基
本的特徴は︑アメリカの政治行動だけが例外では決してないだろう︒
税制改革によって︑新租税ルールのもとでは︑所得税の税率構造のフラット化による大幅な簡素化︑人的控除の約
二倍の引き上げと課税最低限の引き上げによって︑六〇〇万世帯の低所得心は所得税が非課税となり︑納税者の八○
パ:セントは︑一五パーセントの所得税率が適用されることになる︒これらは︑主として低所得者に対する税負担の
軽減を狙ったものであり︑このような租税ルールが︑さらに︑キャピタル・ゲインに対する分離課税の廃止という︑
高所得者の節税手段の切り捨てになる租税ルールと結合されたとき︑租税ルールの変更は︑所得別社会集団の厚生分
配状態を大きく変えることになる︒
法人税は最高税率四六パーセントから三三パーセントへに引き下げられたが︑それと同時に︑企業設備投資に大き
な誘因を与えてきた︑投資税額控除︵一日O︶が廃止され︑加速償却制度が見直されることになった︒また︑これまで
多数の節税手段を持ってきた不動産業界︑建設業界は︑節税用の抜け穴を埋められてしまった︒このような企業税制
の全面改正によって︑企業の税負担は全体として強化されることになる︒個人所得税の簡素化︑減税と租税特別措置
の整理を中心とした企業課税改革によって︑ここにまた︑社会的な利益配分の変更がもたらされる︒
このステージでは︑税制改革の立案老は︑いかに︑哲学的道標を掲げたとしても︑議会制民主主義のセッティング
のもとでは︑最も根底的なレベルでは︑その租税ルール変更によって予想される︑政治支持の得失を計算しなければ
ならないはずである︒民主主義システムでは︑租税ルールの設定は︑究極的には︑社会構成単位の選好を切断して
は︑実現しえないからであるQ
172
ゲームのルールの修正としての税制改革
しかしながら︑民主主義の社会で税制改革が実施されるとき︑個々の租税ルールの修正案︑あるいは︑新規の租税
ルールの採用が︑社構社号単位にとっていかなる利害修正をもたらすのか︑そのルールがいかなる社会的︑経済的効
果を及ぼすのかについて︑かならずしも的確な知識︑情報は与えられてはいない︒納税者は︑税制改革によって︑自
己の税負担がどれだけ変化するのかについてさえ︑ほとんど的確に知ることはないだろう︒すなわち︑このプロセス
では︑財政イリュージョン︑特に租税イリュージョンが創出されやすい土壌を︑その特質として持っている︒税制の
広範囲にわたる改革が意図されるときには︑殊に︑いくつかの租税ルールが一括して提案されるため︑納税者はしぼ
しぼ改革される税制全体について︑漠然とした印象で判断する傾向があるからである︒
したがって︑民主主義の社会では︑社会構成員の選好から集合的決定が導出されなけれぽならないというとき︑財
政的決定については︑その選好が自生的であれ︑あるいは意図的なものであれ︑イリュージョンに基づく選好であっ
てはならないだろう︒だから︑ある租税ルールが新規に採用されたとき︑それが納税老間の相対的な税負担率を︑ど
のように修正することになるのか︒また︑それにともなう公共サービスの.ハターンの修正が︑どの集団の便益配分を
どのように改善︑あるいは縮小することになるのか︒さらに︑より基本的なレベルでは︑公共財のコスト負担と連結
する︑公共財の供給関数はいかなるものなのか︒これらについての︑的確な知識に基づいた︑社会構成員11納税者U
投票者の選好が︑租税ルールの形成に反映することが︑民主主義社会の効率的な決定導出のためには不可欠となろ
う︒このような理論のブレームワークでは︑租税ルールの形成過程での重要な情報項目に関しては︑実証的な分析を
通じての︑適正な答えを準備することが︑現代財政学研究者の重要な課題であるといわなければならない︒
173