研 究
イ ギ リ ス に お け る 商 事 裁 判 所 の 生 成 と 裁 判 手 続
重
永 田
井 晴
口禾 生 之
イ ギ リス に お け る 商 事 裁 判 所 の 生 成 と裁 判 手 続
一二
目次
序説
商事裁判所の生成
ω商事裁判所の誕生
②商事裁判所の確立
商事裁判所の裁判手続
ω商事事件
序 説
(7)(6>(5>(4)(3)(2)
召喚状の発給
商事事件表への移送
移送のための召喚状と指図のための召喚状
訴答
証拠
審理
イギリスにおける現代的な﹁商事裁判所﹂の起源は︑一九世紀の末葉に求められる︒
遠く中世においては︑主要な都市や市場・要港などに商事事件を取り扱う地方的な商事裁判所が散在し︑いわば即
決的に私的紛争を処理していたのであるが︑イギリスの場合︑そうした地方的な裁判所は比較的早い時期に衰退の傾
向にむかい︑おそくとも︑一七世紀には︑ほぼそのすべてが姿を消した︒
37(253)
1ρ1
その後︑一八世紀から一九世紀にかけて︑かかる中世の伝統的な商事裁判制度は︑国王の裁判所の中ではかなくも
命脈を保ちえたが︑一九世紀の末葉に至って︑法曹界を中心に展開された裁判機構の改革は︑すべての商事事件を高等
法院女王座部の一判事に専轄せしめ︑この裁判官が商事専門の法廷を開くという︑新しい意味での商事裁判制度を実
現させた︒イギリスにおいて︑従来︑現代的な﹁商事裁判所﹂(o︒ヨヨ興島巴o︒霞叶)︑として通称されているものは︑
実は︑こうした訴訟法上の意味での女王座部の一法廷を指称するものであり︑決してそれは︑ドイッ︑フラソスのよ
うに特別の商事裁判制度(商事裁判部ないし独立の商事裁判所)を表わすものではなかった︒ところが︑一九七〇年に成
(1)立した司法法(︾血∋貯6賃ゆユo昌o{ピ馨凶8>9ちδ)の第三条は︑従来︑単に訴訟法上の意義しかもたなかった商事
裁判所を改めて︑これに制定法上の根拠を付与し︑商事裁判所が︑既存の海事裁判所と並び︑高等法院女王座部の独
立の裁判部として設置されるものである旨を明定したことから︑ここに︑再びイギリスの商事裁判所は新たな位置づ
(2)けがなされることになった︒そこで︑これを機に︑以下では︑イギリスの﹁商事裁判所﹂について︑その歴史的な生
(3)成過程と実際の裁判手続面を概観してみたいと思う︒
※本稿は︑二人の共同研究の成果を纒めたものであるが︑執筆にあたっては︑序説および第一節を重田が︑第二節を永井が
分担した︒ここにお断りしておく︒
(1)一九七〇年の司法法(一㊤刈ρ03帥7ω一)は︑裁判所(巡回裁判所を含む)の事務・管轄権および訴訟手続に関する規定を設
け︑高等法院判事が仲裁合意に従って仲裁人または審判人として選任を受けうるものとし︑また︑金銭債務ないしその他の
債務の執行に関する法の改正︑および一九六八年の賃料法第一〇六条の改正など︑諸々の改正を目的とした法である︒一九
七〇年司法法については︑堀部政男﹁﹀匙ヨ一ロ一ω茸9︒二〇口oh言︒︒仲一〇Φ︾9一㊤刈O﹂比較法研究(一九七一年)二一九頁以下の
紹介のほか︑一九七一年度日本比較法学会において新井正男教授がその概要を報告されている︒また︑堀部政男﹁裁判制
度﹂(砂田卓士.新井正男編﹁英米法講義﹄の第三章‑特に九一〜九三頁﹀参照︒
︑
隔
イ ギ リス に お け る 商 事 裁 判 所 の 生 成 と裁 判 手 続
(2) 件翫 難 莚 縫 欝 酬華 蓑 裁難 縫 諜 繕 の蹴 鎚 繊糠 饗 鎌 奮 鐸 臨壌 讐 舞 融蕪 慧 蕪 鍵 (3)趨 舞 溝 繋 藁 隔嚢 誰 墾 講 題 蕩
嘲 商 事 裁 判 所 の 生 成
① 商 事 裁 判 所 の 誕 生 議 蕪 霧 欝 霧 総 謙轟 繋 諜
難 馨 籍 霧 羅 露 μ燵 羅 欝 鍵 繕 霧 惚 藩 胤籔 藷 鐘 蝋離 誕 鍵 退擁 鍵 鰐配 (釘 粥
ピロ≦︒︒二.榊.)や海事高等法院(国茜ず︒§ζ︾血書苞が︑急速にその管纏を伸長喜ていつ(架39(255)
卿、 で・
続いて︑天世紀の中葉に至り︑王座裁判所の幕裁判官として︑マソスフrルド卿が着任するや・ひろく︒ーマ法や大陸法に通暁する同卿は︑﹁商慣漠﹂に脈絡する法則奎座裁判所の執行する法(コモン三‑)に馨させ
るべく奪闘し︑商業社会に即応できる商事法潅立するため︑積極的に法改革を推し竃㎏・そして﹄九世紀に入って以後もなお︑.﹂うしたマソうイールド体制が引き継がれる中で︑コモソ三み一部としての商事法は・主に当時における粟の中心地ロソドソの市庁(︒菱藝)で執務する王座部の裁判官達の手によって徐々に体系化がな
されていったのである︒
しかし︑その後︑+九世紀の半ば頃から︑マソスフィールドの法改革に対するリアクショソが現われ︑その過程で強
調されていく訴訟手続の厳格化は︑次第に裁判遅延と訴訟費用高騰化の現象をもたらした︒そのため商人が・その商
業活動から発生する紛争の解決を司法裁判所箋ねようとする場倉は︑常に︑長期間にわたる退屈な法廷闘争と高
額な出費を覚悟せねばならず︑また︑ひとたびこれが決意されたとしても︑粟界の特殊な秩序や慣習は・とかく裁
判官や陪審員のなじまぬξ﹂うが多い︑﹂ともあって︑ときとして商事紛争の審理が衡平を失することもまれでなく・商業界の不満はかなり深刻なものであった.そのため︑当時の商人綾︑すでに裁判制度を商事紛争解決のための唯
一量口の方法として評価しなくなっており︑・﹂のことが︑芳でスピィディな紛争処理で名を売る非司法的な﹁仲裁制度﹂の発達を促す原因にもなった︒︑︑のため︑三世紀後半期の裁判霧成に関する法改革の中で・天六九年から天七四年にかけて設置された裁判覆構委員会に対しても︑商人および一般喪より商事訴訟の麺のための制
度改革について執拗な請願があり︑商事事件のための独立の裁判所の開設や商妻件のために仲裁人たξる有能な
裁判官の任命といった改革黍提示された︒しかし︑こうした商人や市民袋の愁訴も︑結局は・裁判所馨委員会を
動かすほどの力となりえずわずかに︑商事事件の審理にあたり︑その生ずる技術的・霧的爆ξいて裁判官を
︑
イ ギ リス に お け る 商 事 裁 判 所 の 生 成 と裁 判 手 続
助号口する商事謹人(げ落ωω塑・・ω①ωω§)の陪席を勧告したにとどま竜
騰 欝 懲 . 雛 総 耀 饗
41
鍵 晦 黙 郵 御ボ 齢蓼 艘 難 藻 纏 銭 隙擁 阯糟 蕪
等法院奎座部に・コ撃件表﹂と各一名の裁判官が預かる二冊の事件表よりなる﹁商事事隻﹂(︒.ヨ∋..︒}.;︑け
幾 筋 譲 難 警 摘縣 懇 鋪 磯 壕 饗 鰯網嚢 難 議
リッジ卿の強い反対にあって再度保留に附された︒(21)
芳 で 裁 梨 健 肩 油 を 注 ぐ よ う 潅 事 訴 訟 が 現 実 に 発 生 す る 中 で ︑ 天 九 四 年 五 月 ︑ 奎 座 部 の 裁 判
その後︑官議・再び裁判製肇の先撃つけ︑同月二+四日の奎座嚢判官会議は︑商事裁判所設甦関する規則を
練り上げ・これを決議匙・そして︑同年六是なって︑コ事ッジ卿の死去にともない︑新たにキロウェソの一フ.
セル卿が裁判長に就任するや・その下で商事事件表の設置の動きが活発になり︑慎重な討議釜ねられた.そして︑
やや月日をおいて二八九四年δ月二+四日の女王座嚢判官会議では︑商事裁判所の開設に関連し星ずる諸問
題(特に華原因の霧の問題)を本格的曇議すべく︑同座部のラッセル︑ポロック︑マシュ下︑ケイ︒フ︑チャーレス︑
ウィルブ・ライトの各判事からなる規制制定委員会の発足を決め︑続いて︑一八九五年頁+百の同会議では︑右委
員会から報告され窺則案の審議に入り︑これを承認した.これによれば︑一定の裁判官輩独で︑ないしは市から
番された陪審員とともに・商事事件の処理に関し萎任を受くべきものとし︑併せて︑商事事件に関する恒久的な
特別の事隻の作成を命じて・すべての商事事件は︑この事件表を与る裁判官の面漣提出されるよう命ずるもので
あった・芒てそれにもとづき新裁判所の機構と訴訟手続を公表すべく︑翌三是︑﹁商事訴訟原因に関する規則﹂が
告示さ稲併せて・商事問題籍通するマシ︑裁判官が初代の商事裁判官として任襲うけ︑ここ琢たな意味に
イ ギ リ ス に お け る 商 事 裁 判 所 の 生 成 と裁 判 手 続
おける﹁商事裁判所﹂が誕生するにいたったのである︒
(1)市場裁判所・宿場裁判所・埃足裁判所の管轄権は︑一五世紀頃から次第に普通法裁判所の浸食を受けた︒また︑地方的な
海港裁判所の管轄権は︑一五・六世紀を通じて︑海事高等法院の攻撃をうけた結果︑わずかに五港(Ω昌ρ=o℃o二︒︒)裁判
所を除き︑そのすぺては︑一八三五年の地方自治体法(竃ロao骨巴Oo目℃o昌暮δ昌>9)によって形式的に廃止される以前
に事実上消滅した︒小堀憲助訳・イギリスの裁判所(改訂版)一=二ー一=四頁︑戸田修三﹁英国海法の黎明期に於ける海
事裁判所の変遷﹂中央評論新制学部記念号一八頁以下︒
(2)早くも十六世紀の中葉には︑海事高等法院の管轄権は︑捕獲審検事件や民事.刑事.財務事件をも掌中に収めて︑全盛期に
達した︒しかしその後まもなく︑海事高等法院は︑他の裁判所︑とくに有力な普通法裁判所の(その中心人物がコークである)
の反感を買い︑その商事管轄権も次第に奪われた結果︑一八世紀末には︑その民事管轄権は純粋に海事事件のみを残すまで
に蚕食された︒その後十九世紀に︑いくつかの制定法によって海事高等法院は幾分その地位を回復し︑若干の管轄権を伸長さ
せたが︑結局︑﹁海事裁判所﹂の域を脱しえず︑遂に﹁商事裁判所﹂となるまでには至らなかった︒戸田・前掲中央評論二
六‑二九頁︑高柳賢三・英米法源理論二八‑三〇頁︑田中・前掲基礎=ハ○・一六六・一七四頁︒一方︑普通法裁判所は︑
商事管轄権を吸収するとともに︑商慣習法のコモン・ローへの融合をはかるが︑しかし︑コークの時代には︑まだかかるコモ
ン・ローの商化は実現していなかった︒すなわち︑当時の普通法裁判所は︑商取引の準拠法である﹁商慣習法﹂をイギリス
の法(コモン・ロi)として評価せず(マンスフィールド卿の時代までこれがつづく)︑単に事実たる慣習として認めたに
すぎなかったから︑商事事件の審理においては︑個々の事件ごとに︑当事者をして商慣習にもとついて契約を締結したこと
を主張させ︑その﹁商慣習法﹂の内容については︑他の特殊的慣習と同様に︑いわゆる事実問題として︑商人からなる陪審
に決定させていたのである︒当時のロー・リポーツに商事事件が数少ないのも︑このためであるといわれる︒のo≡暮09
↓ゴ①芝O同吋O臨昏①OOヨヨΦ円O一巴OO口同↓9↓げ①O聾§げ村置αqΦピゆミ﹄O二目昌巴.娼﹂N.田中和夫・英米法の基礎一七四.一
九三頁︒
(3)イギリスにおける商法の開祖マンスフィールド卿(ピo円鳥]≦帥⇔ω自①冠.一刈切OI嵩ΦQQ)は︑ローマ法系であるスコットランド
の出身であり︑一七五六年から一七八六年にわたる三〇年間︑王座裁判所の首席裁判官を務め︑コモン・ローを大陸法化す
る大事業を推進した︒同卿は︑ゲルマンの慣習法に発したコモン・ローの中に近代商事法的原則の欠如する点を見抜き︑ス
{259)
43
︑
コ.上フンド法︑ロ←法および古い海法などにあたり︑・←法的な商人の慣習藩む原則を法として成文化し・固定化山⇔せようと努力した︒同卿は︑王座裁判所に実業家からなる特別の陪審をおき︑事件に現われるすべての商慣習を︒ンドン市庁舎において.あ陪竃判断させた︒同卿は︑.︑れらの陪奮達と親交を結び︑畠な対話の中で彼らに対し熱心に法の原則を説くと同時に︑また直接彼らから取引の慣行についての知識を会得し︑それ塞礎に近代的な商事法をきづき上げた︒ω︒丹βぎコ蓼睾︒昆︒;Φ︒︒§§一餌;§︒℃・︒凶ζ﹂N⊥ω二罎ヨ§角﹃島§﹃Φ︒;Φ︒︒量§Σ
Ooロニこo轟ヨ巴o{切三巴ロΦωのピ帥≦(一¢①一)も・㊤.田中・前掲基礎一九三頁︒
(4)ζ舞①き︒℃・鼻も・一‑p司法資料第五三号(大正+三年九月)﹁英国裁判所構成論﹂一〇五頁・
(5).﹂の占描︑たとえば天九〇年には︑﹁⁝⁝・ンドン市の商業界は実際上9霞撞から離れ去った﹂という報告がなされている・
ピm≦ω︒6一①q・℃﹁︒6①㊦&∋αqω卿幻①ω︒一ロ寓8ωoコ9︾言ロ巴寄o<一暑芭ζΦ碧言鴫魯Zg二昌αq冨ヨ㍉俸︒︒Og︒げ①﹃一Q︒㊤ρ
やお.
(6)]≦馨ザ①≦層o℃.o詳二や刈・司法資料・前掲一〇六頁︒
(7)︒ンドン市庁法廷の難占ぼ︑商事問題に精通した裁判官の審判を受け墓という確実な保証がなかったことであったこ
方︑当薯を召喚せずに︑見本や契約書だけで裁定を下した仲裁制度は︑訴訟当事者の都合に倉て︑場所.日時等を設定できるため紛争を極めて迅速に処理できたし︑同時に簡便・安価であり︑また︑取引慣行の専門家たる仲裁人の判断は・結
果的にも適確であったので︑商業界の要求によりかなうものであった︒ω︒﹃三葺導︒≦︒昆︒;①︒§日§巨︒︒葺"Oや︒︒霊も・誌‑鼠二切H一P︒昌﹀げ①7ω白諦ず俸夘Oげ①Hけω3<Φ器・い㊤≦団魯︒︒雪Ω9①O︒ロ﹃け︒︒も.Q︒刈・}二碧訂09↓げ①ζ碧三コ母望
︒h﹄ロω二︒①一昌国昌σq一印昌島(置①位)や・①ωーO劇・Q◎◎︒・なお︑当時の仲裁制度としては︑マンチェスター商工会議所が一八八一年独
自の恒久的仲裁法廷を設けたほか︑ロンドン商工会議所も一八九二年に私的な仲裁事務所を設けている︒しUHす昌︾げ㊦〒ωヨ一・什ゲ一〇℃'O搾二や畢QO刈.50け①(①)"(刈)・
(8)ピ"≦目巨㊦ω・琶×鼻なお︑法曹委員会が任命した養については︑罫9︒き8・6三ミ岩骨︒δ)を参照(9).﹂の決簗は︑二・対五で可決された︒反藁を投じ姦判官は︑ピ︒a︒︒誓書u・毒き一誉芸邑﹄邑"しウ§島餌三であった︒閃﹄≧印︒喜§論ぽ︒ユαqぎ;︒︒︒塁Φa巴・︒⁝鳶g[餌零︒︒餌二Φ二夷①<雪
くO一.Oρや・ωNα・
︑
㌦
イ ギ リス に お け る 商 事 裁 判 所 の 生 成 と裁 判 手 続
撫 灘 鐸 灘 難 糖 繋
45
門 β 咽
魍 卵 冒趾}
"一資 r't.
門 ウ噂団'
唖海灘"冨撃ら峡虫抽匿憂匪鎮葺暮‑鋤翫軽影︑ーダド舛︒響れズ︑氏輌・,ビ鉱髪ードし瞬・齢h鰍・卜fト弾トーーゼレー, ︑ρ
(u 輪 蕪 罎 端 疑 霧 靴警 薩 座翻 醸 鶴 謹 雛 蕪 饗 翔鞭 鴨 鷲
轟薯の解釈.商︒悶の輸出入.運送.保険.銀行.商事代理商慣翼どを含むこと︑②別個の商事召喚状表が私蓬
蛉讐 幾 鵡 藩 鍵 "壕 詳 商難 鷲 難 霧 嚢 羅 輌繕 齢
の場倉はそのすべてが︑また地方の商事原因の場A︑には当薯の同意により︑直接︑塞霧を担当する裁判庭対して
雛 蕪 鞭継 濾繍 へ灘 騰 難 糠 難 雛 難 蕪
する判決のために商事裁判官に対して行な‑.﹂と︑㈲商事裁判官は︑出頭後に︑また馨芒に・現に当薯問で論争中の問題を迅速に決定するため適切と田心われゑ叩Aπをなし‑ること︑⑨当事者は︑原因または事実に対する裁判官の判決決定を最終的なものとしてA.意できる.﹂と︑㈹緊急事件の場倉は︑商事裁判官に対し原因または妻の箋のための早い日時を指定すべく豊醐ができる.︺と︑⑳召喚状は︑天圭年二月二・日(水)以降︑商事召喚状表に登録されること・およびこれについては同三旦日(金)にマシュ裁判官が鐘し︑以後も継替れること︑および必要な場倉は・女王座部の他の裁判官が肇霧を援助する.﹂と︑α⇒地方の商事原因は︑響巡回裁判最扱われること・である・ω§§Oゴ卑﹃け㊦Hb帥村蔓螢昌Oしd一一一︒{訂象a(嵩㊥血)b.念一二竃母9≦︒や●6幽仲二も.一ρ
② 商 事 裁 判 所 の 確 立
現 代 的 な 装 い を も っ た ﹁ 肇 裁 判 所 ﹂ の 初 代 商 嚢 判 官 に 就 任 し た マ シ 置 は ︑ 天 九 五 年 三 月 百 か ら 業 務 を 開 始 す る 芳 ︑ そ の 商 事 法 に 関 す る 塁 晶 な 学 識 と 霧 経 験 を 薙 に 駆 芒 ︑ 精 力 的 に 裁 判 手 続 の 改 芝 あ た 竜 そ の た め ︑ マ シ ︑ ‑ 判 事 の 藷 中 お よ び 少 な く と も ︑ 一 九 ・ ・ 年 代 の 商 妻 判 所 は ︑ 極 め て 円 滑 に 機 能 し て お り ・ そ の
イ ギ リ ス に お け る 商 事 裁 判 所 の 生 成 と裁 判 手 続
欝 難 鱗 織 雛 繋 灘 響 雛 鰹
( ‑ ) あ 塞 馨 黙 瀦 讐 餐 侃 鰯 時 多 く の 事 件 で 単 に 訴 鷺 が ー ー る ば か り で ・ さ ほ ど 実 効 を (,)撫 癬 灘 叢 嚢 慣 蜜 糠 簾 鎌 柵漏
4
胴 引枷 髄一 守一 岬皆,羽へ 噛}}了γ 押r‑
「桶σ「門・