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飛鳥奈 良時代 にお け る写経 生産 の経 済 一 一日本 出版 経 済 前 史

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(1)

飛鳥奈 良時代 にお け る写経 生産 の経 済

一 一日本 出版 経 済 前 史

箕 輪 成 男

人ト済

化 ﹁ 鑑 麗 き

文者場品者過・通出が来版製格較と渡出市製著複価流比あ

12345678901

目 次

1渡 来 文 化

わ が 国土 にお け る文 字 の使 用 の は じ ま りが5世 紀 の頃 で あ る こ とにつ いて

1)

は考 古 学 的 な証 拠 が あ る。 これ まで の無 文 字 国 が 時 間 と空 間 の 制 約 を超 えて 正 確 な情 報 の伝 達 を可 能 とす る文 字 を手 に した こ との意 味 は大 きい。 しか も そ こで は漢 字 の 訓読 化 が は じ ま って い る。 こ う した 文 字 が 大 陸 と くに朝 鮮 か2}

らの渡 来 人 に よ って もた らされ た こ とは い う まで もな い。 渡 来 人 た ち は4一

113

(2)

5世 紀 に は また 文 字 を記 す た め の書 写 材 料 として紙 を もた らし,製 紙 の技 術 を伝 えた と考 え られ3}.文 字 を書 く こ とは こ う して5‑6世 糸己に は行 わ れ た が,そ れ は主 と して外 交 上 の信 書,記 帳 とか登 記 の 目的 で あ り,そ の担 当者 は長 い間大 陸 と くに朝 鮮 系 渡 来 人 の史 官 で あ った。

G・B・ サ ン ソム は文 字 が 伝 わ っ た 後 も,紀 元700年 に至 る2世 紀 間,日 本 で は ほ とん ど著 作 が行 わ れ ず,わ ず か に聖 徳 太 子 の十 七 条 憲 法 と三 経 義 疏, 近 江 令 な どが 知 られ て い るすべ て で あ り,こ の よ う に学 問 の進 歩 が驚 くほ ど 遅 れ た の は,国 内 の政 治 的混 乱 か ら大学 制 度 が しっか り根 着 か なか った た め で あ る と して い4).か な文 字 成 立 以 前 の この段 階 で1ま,躰 語 の表 記 自体 が 容 易 で なか っ た こ とに も大 きな原 因 が あ っ た ろ う。

5世 紀 に文 字 が受 容 され る と共 に儒 教 につ いて の 知識 もい くらか は この 国 の支 配 者 層 に伝 え られ て いた と思 わ れ るが,6世 紀 に入 る と史 実 は よ りは っ

あ や の こう あん も だ んよ う に

き りして くる。513年 に段 楊 爾,そ の3年 後 に は漢 高 安 茂 が 百 済 か ら大 和 古 代 王 権 へ 派 遣 され て来 る。 彼 らは交替 で儒 教 教典 の講 義 を してい る。 さ らに, 易 博 士,暦 博 士,医 博 士 な ど も百 済 か ら派 遣 され た。 こ う した動 きを 「文 化

の 交 流 」 と呼 ぶ の は適 当で は な い。 む し ろ文 明 とい う もの が先 進 地 帯 か ら後 発 地 帯 へ と直 流 す る好 例 と思 わ れ る。 そ して 先 進技 術 の伝 播 が,半 島 諸 国 と 大 和 古 代 王 権 との政 治 的対 応 関係 の 中 で そ の ひ とつ の要 素 として用 い られ た

5) こ とはい うまで もな い。

言 いか えれ ば,文 明 の浸 透 とい う もの は,先 進 国 が 力 ず くで行 うか(侵 略, 植 民 地 化)後 発 国 が政 治 的 な意 図 に よ って輸 入 す る こ とに よって起 る ので あ

り,真 空 地 帯 に空気 が 入 り こむ よ うに,無 意 識 下 に 中立 的 に行 わ れ る ので は ない とい う こ とで あ る。 仏 教 の伝 来 も同様,わ が王 権 との 同盟 関 係 強 化 とい

う百 済 の外 交 政 策 の一 環 として行 わ れ た。

政 治 哲 学 として の儒 教 を,実 践 に駆 使 す る ほ ど現 実 の政 治 が 成 熟 して い な か った この 国 にむ しろ有効 な の は呪 術 として の宗 教 で あ り,事 実 仏 教 は呪 術

と して 受容 され た の で あ っ た。

(3)

い か な る思 想 もa全 く中 立 的 に真 空状 態 の 中 で移 植 され る こ とは な い

。 そ れ が 受容 され るの は,受 容 す る側 に とって都 合 が よい か らで あ り,ま た 受容 され た もの は受容 者 の都 合 の よい よ うに変容 を受 け るの が 普 通 で あ る。

明治 維 新 に 際 して,西 洋 の科 学 技 術 思 想 や 社 会 思 想 が受 け入 れ られ た の は, 日本 の近 代 化 に とって都 合 が よか った か らで あ る。 しか もそ れ はす ぐれ て 日 本 的 な屈 折 を受 けつ つ受 容 され た の で あ る。

仏 教 も同 じで あ る。 それ が まだ脆 弱 な基 盤 の上 にあ った王 権 一 一 王 朝 の権 力 補 強 に役 立 った か ら積 極 的 に受 け入 れ られ た の で あ り,迎 え入 れ る につ い て は,仏 教 は王 朝 に都 合 の よい よ う に解 釈 され た の で あ る。 こ う して奈 良 時 代 の 仏教 は,釈 迦 の 思 想 と全 く異 質 な形 で展 開 す る こ とに な った 。 仏 教 受 容 の政 治 的背 景 につ い て は...田 精 司 氏 の謙 が 詳 し&氏 の と く と ころ は こ うで あ る。

「は じめ仏 教 は,国 家 の統 制 の下 で,国 家 に呪 術 奉 仕 を果 す もの と して, 国家 に従 属 す る形 で 受 入 れ られ た 。 外 来 の霊 力 ・威 力 を国家 支配 の 目的 に利 用 す るた め で,仏 教 は蕃神,仏 神,他 神 な ど と呼 ばれ た が,要 す る に国 家 は そ の権 力 強 化 の た め に,8世 紀 以 前 にお い て は,仏 教 を もそ う した霊 力 の ひ

とつ と して利 用 しよ う と した の で あ る。

農 耕 儀 礼 と祖 霊 崇 拝 に発 す る 日本 の固 有 信 仰 として の カ ミの世 界 の 素 朴 さ に対 し,高 度 な教 義 と教 団組 織 を もつ 仏 教 を取 りこむ に は 国家 に よ る統 制 が 必 要 で あ っ た か ら,飛 島 時 代 の 大 和 王 権 は 国 営 に よ っ て 官 大 寺 を 創 建 し

(655年 川 原 寺 創 建 以 来 奈 良 時 代 を通 じて),僧 尼 令(701年)に よっ て僧 尼 の 統 制 を は か っ た の で あ る。 しか し,律 令体 制 の矛 盾 が激 化 し,社 会 不穏 が 拡 大 す る と,官 寺 仏 教 や あ るい は共 同体 的信 仰 を前 提 と した従 来 の神 祇 信 仰 で は,救 済 され る こ との な い,社 会 の底 辺 に向 か って ,私 度 僧 の 布 教 活 動 が 盛 ん に な る。 律 令 体 制 側 は そ う した 官 寺 の枠 外 の私 度 僧 の活 動 に対 して,統 制, 弾圧 を しば しば は か った が,奈 良 時代 の なか ば以 後 藤 原 氏 の進 出 と共 に仏 教 の 国教 化 が進 行 し,行 基 に代 表 され る民 間仏 教 の私度 僧 に よ る活 動 も また 国

飛鳥奈良時代における写経生産の経済115

(4)

家 仏 教 の 中 に取 り こ まれ る よ うに な る。

藤 原氏 以 前 の皇親 政 治 が,神Itを 中心 とす る宗 教 統 制 政 策 を と り,仏 教 は 神 祇 信 仰 の下 位 に立 つ,国 家 統 制 下 の 呪術 サ ー ビス と位 置 づ け られ て きた の に対 し,皇 親 政 治 に対 立 す る藤 原氏 は,皇 親 政 治 の神 舐 中心 主 義 を否 定 し, それ に代 わ る もの と して仏 教 に よ る鎮 護 国 家 を唱 道 した。 す な わ ち,藤 原 氏 の進 出 と共 に,神 仏 の位 置 の逆 転 が起 こった 」 とい うの が,岡 田 氏 の 説 で あ

る。 こ こで藤 原 氏 が金 達 寿 氏 の 暗示 す る よ うに,朝 鮮 渡 来 人 の有 力 豪 族 で あ

7)

った とす れ ばy一 層 そ の意 味 が 明 瞭 とな ろ う。

奈 良 王 朝 は,新 宗 教 思 想 と して の仏 教 を,国 家権 力 強 化 の手 段 と して 国家 の統 制 の下 に保 護 しs寺 院,僧 侶,経 典 一 場 所 と人 と教 義 一一 の整 備,掌 握 に努 力 した 。経 典 の整 備 は,国 家 に よる写 経 生 産 の形 で な され たが,そ れ

は仏 教 思想 の伝 播 とい う情 報 活 動 で あ る以 前 に,む し ろ写 経 行 為 その もの が 一種 の呪 術 的 意 味 を持 って い た こ とを忘 れ て はな る ま い。 と もあれ政 府 の命 令 に よっ て,あ るい は政 府 の直 営事 業 と して,仏 典 は,奈 良 時代 を通 じ大 量

に生 産 され た の で あ った 。

奈 良 時代 は,し た が っ て先 ず 何 よ り も 「写 経 の時 代 」 で あ った 。

注D勿紛の

上 田 正 昭 『帰 化 人 』 中 央 公 論 社,1965年,72頁 。 同 上,76頁 。

町 田 誠 之 『和 紙 と 日 本 人 の 二 千 年 』PHP出 版,1983年,16頁 。

G・B・ サ ン ソ ム(福 井 利 吉 郎 訳)『 日 本 文 化 史 』 東 京 創 元 社,1976年,70 頁 。

サ ン ソム は682年 に編 集 され た古 事 記 に よ って,そ れ まで 口承 され て きた も の が は じめ て文 字 化 され た こ とを,著 作 活 動 の お くれ の例 証 として い る。

5)上 田正 昭 前 掲 書,115頁 。

6)岡 田 精 司 「古 代 国 家 と宗 教 」 『講 座 日本 史1』 東 京 大 学 出 版 会,1970年,

(5)

274‑275A

7)金 達 寿 『日本 の 中 の朝 鮮 文 化2』 講 談 社

,1972年,122‑125頁 。 藤 原 氏 の 出 身 氏 族 で あ る中 臣 氏 の根 拠 地 は現 在 の 高 槻 市

,茨 木 市 辺 りで あ り・ 茨 木 の安 威 古rの 一部 と考 え られ る安 武 山 古 墳 の被 葬 者 は お お む ね藤 原鎌 足 に比 定 され て い る。 この古 墳 の 出 土 品 が 朝 鮮 渡 来 の もの と考 え られ る こ とか ら も,藤 原 氏 は恐 ら く渡 来 人 の 系 統 で あ ろ う と金 氏 は 暗 示 して い る

。 古 墳 時 代 に お け る先 進 文 明 ・ 先 進 技 術 の所 儲1鍍 来 人 の人 々 で あ り

,先 進 技 術 を持 つ都 詩 た ぬ 者 に対 して社 会 的 やこ優 位 に立 つ の は当 然 だ か ら古 墳 時 代 の 躰 に お い て有 力 だ った 氏 族 は,一 応,灘 人 系 拷 え る 方 が 科 学 的 だ ろ う。 まだ 国 家 を形 成 す る以 前 の こ う した 時 代 に つ い て

,明 治 以 後 の ナ シ ョナ リズ ム に基 づ く史 観 で,半 島 との 関 係 を歪 曲 して 考 え る こ とが ,日 本 の 古代 史 を科 学 的 に理 解 す る こ と を妨 げ て い る

z出 版 者

飛 鳥 奈 良時 代 にお け る写 本 生 産 の 中心 力雪仏 典 に あ った こ とは

,上 記 の通 りだが,そ れ に加 えて儒 教,医 学 ,暦 学,文 学 な どの作 品 の写 本 が 小 規 模 な が ら生 産 され た こ とは}言 う まで もな い。 写 本 生 産 とい う作業 が,な ん ら特 別 の大施 設 を必 要 とせ ず識 字 者 は いつ で も生瀦 に転 化 し う る とい う条件

にあ った か ら・ それ らの特殊 な臓 を必 要 とす る人 々 が

,腰 な文 献 を書 写 す る こ とは・ 自然 に行 わ れ た で あ ろz> .し カ・しそれ ら はむ しろ小 獺 か つ 孤 立 的 な作 業 と してす す め られ た の で あ り,社 会 的 な広 が りを もっ た 出版(複 製 ・頒 布)活 動 で は なか った 。 わ れ わ れ に とっ て最 大 の関 心 事 は

,飛 鳥,奈 良 時代 を象徴 す る仏 典 の製 作 で あ る。 その他 の経 典 につ い て は

,補 足 的 に触 れ る こ とに し よ う。

さて 出版 とい う行 為 は,本 来 多数 の読 者(利 用 者)に 向 けて複 製 した著 作 を供 給 す る作 業 だ か ら,そ れ が成 立 す る た め には

a読 者 の存 在,い いか えれ ば市場 一 一マー ケ ッ トー 一 の存 在 が 前提 で あ る。 だ か ら出 版 の経 済 史 は,市

飛 鳥 奈 良 時 代 に お け る写 経 生 産 の経 済ll7

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場 の確 認 か らは じ め るの が常 道 だ が,出 版 前 史 の 飛 鳥,奈 良 時代 にお い て は, 多 少事 情 を異 に して い る。 こ こで の 出版(複 製 ・頒 布)は 市 場 の需 要 とい う

よ りは,む し ろ王 権,王 朝 側 の意 思 に よ って 実施 され た と考 え られ るか らで あ る。 した が って,本 稿 にお い て は考 察 は先 ず,著 作 の複 製,頒 布 行 為 の発 起 者 で あ る政 治 権 力 側 の分 析 に向 け られ ね ば な らな い 。

飛 鳥,奈 良 時代 の 出 版者 が 政 治権 力側 で あ っ た と して も,そ の政 治権 力 と 出版 活 動 は どの よ うな推 移 を示 して い るの で あ ろ うか。

寿 岳 文 章 教 授 の 『日本 の紙 』 に よれ ば,天 武 元 年(673年)川 原 寺 で は じ め て一 切 経 書 写 の こ とが あ って 以 来,約100年 間 に一 切 経 の書 写 は18回 行 わ れ,22部 が 生 み 出 され て い2)。 これ を・・年 ご との 回 数 と緻 で み る と・ 表1

の よ うに な る。

表1

年代 回数 延部数 出 来 事

670

1

710

1

1

1

1

川原寺一切経 平城遷都

720 1 1

730 1 1 藤 原氏進 出

740 5 5 大仏鋳造

国分寺建立

750 2 2

760 4 4

770 3 7 百万塔陀羅尼経

18 22

また大 屋 徳 城 氏 は,奈 良時 代 の写 経 を次 の通 り三期 に分 け,中 期 が最 盛 期 3)

で あ っ た と し て い る 。

(1)奈 良 時 代 初 期 元 明 ・元 正14年 間 (710‑'124)

(2)奈 良 時 代 中 期 聖 武 ・考 謙 朝 の 天 平 勝 宝8年 ま で33年 間

(7)

(724‑756}

(3)奈 良 時代 後 期 天 平 宝 字 元 年 か ら光 仁 朝 まで28年 間 (756‑784}

大 屋 氏 は写 経 全 般 か ら見 て,奈 良 中期 が そ の全 盛 期 で あ り,後 期 は い わ ば 惰 性 的 な時 代 として い るが,こ の観 察 は前 記 一 切 経 書 写 の歴 史 と も一 致 して い る。 回数 の 急 増 す る の が740年 代 で あ り,こ の時 こそ大 仏 の鋳 造,全 国 国 分 寺,国 分 尼 寺 の創 建 とい う 日本 仏 教 にお け る国 家 的 大 事 業 が 一 斉 に実施 さ

れ た熱 狂 時 代 で あ った 。

奈 良 時代 の 中 期,730年 代 以 後,藤 原 氏 の 進 出 が 顕 著 に見 られ,天 皇 の 外 戚 と して権 力 を ふ る った こ と,そ れ に対 して他 の諸 勢 力 が対 抗 的行 動 を繰 り 返 し,天 平 文 化 の花 ひ ら く陰 で,陰 惨 な権 謀 術 数 が 次 々 に展 開 した こ とは政 治史 の説 くと ころだ が,そ う した個 々 の権 力 の推 移 は出版 経 済 史 に とって直 接 関 わ る とこ ろで は な い。

疑 問 として浮 か ぶ の は,な ぜ 仏教(造 寺 ・造 像 ・造 経)が 国 の財 政 を危 う くす る ほ ど国 家 事 業 の 中心 に据 え られ た の か,そ れ は ど う して必 要 で あ りs また どれ ほ ど政 治 目的 に とっ て有 効 で あ った の か とい う こ とで あ る。

こ こで我 々 は仏教 を単 な る宗 教 と見 るの で はな く,奈 良 時 代 の人 々 が手 に した最 初 の高 度 な思 想 体 系 で あ り,そ れ だ けに そ れ を護 持 す る こ とは,権 力 の 存 在 に対 す る大 き な権 威 づ け とな り,補 強 の役 割 を果 た した の だ と考 え る べ きだ ろ う。

明 治維 新 以後 の近 代 化 過 程 で セ ッ トと して受 け入 れ られ た 「西 洋 文 明 」 が 近 代 化 を支 え る イ デオ ロ ギ ー,錦 の御 旗 として極 め て効 果 的 で あ っ た よ う に, 奈 良 時 代 の仏 教 もまた,新 しい世 界 観 ・新 しい人 間観 を支 え て くれ る 「新 文 明 」 と して,奈 良 時 代 の政 治権 力 に とっ て有 効 だ っ た に違 い な い。 国 家 の財 政 を危 う くして まで遂 行 され た造 寺 ・造 像 は決 して天 皇 の仏 教 帰 依 とい っ た 個 人 レベ ル の話 で は な い は ず で あ る。

この こ とは,6世 紀 半 ば の仏 教 伝 来 か ら飛 鳥 時代 を経 て の仏 教 受 容 の動 き 飛鳥奈良時代における写経生産の経済119

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を見 て も明 瞭 で あ る。 中央 集 権 的 律 令 国家 の成 立 以 前 にお い て は,仏 教 は思 想 そ の もの として受 容 され た。 諸 豪 族 間 の権 力争 い が続 いた 大 化 改新 以 前 に あ っ て は,仏 教 を政 治 的 イデ オ ロ ギー として利 用す る社会 的基 盤 が まだ成立 し て い な か った 。6世 紀 末 頃 の 藤 原 氏 と物部 氏 の崇 仏 ・排 仏 の争 い は政 治 権 力 が 外 来 の新 思 想 を政 治 的 に ど う利 用 す るか を決 め る,い わ ば前 哨戦 で あ った 。

以 後7世 紀 末 に至 る100年 以 上 の 期 間 は,仏 教 が 漸 進 的 に人 々 に受 容 され た 時 代 で あ った。 そ れ は もっ ぱ ら呪術 と して の性 格 が 強 か った が,医 療 も保 障 もな い古 代 にお い て,呪 術 へ の 依 存 度 は,今 日で は到 底 想 像 で きな い もの

が あ った の だ ろ う。

その よ うな,い わ ば個 人 レベ ル の宗 教 と して の仏 教 が政 治 と結 び つ き,強 力 な イ デ オ ロ ギ ー的 役 割 を期 待 され る よ う に な った の が,奈 良 中期 以 後 で あ っ た。 そ こで はお な じ仏 教 で も,期 待 され る社 会 的(政 治 的)役 割 が 異 な っ て い た の で あ る。 政 治権 力 の 目に は,当 然 唐 に お け る仏 教 隆 盛 の様 子 が強 く イ メ,̲...ジされ て いた 。 国 家 の保 護 の下 に盛 大 を告 げ,鎮 護 国家 の 呪 的 サ ー ビ ス と して,唐 朝 と一 体 を成 す 中 国仏 教 を 目の辺 りに して帰 国 した遣 唐使 の 報 告 に よっ て,仏 教 を,国 家 の確 立 され た機 構 の 一部 と して と りこむ こ とが, 奈 良 王権 の 政 策 と し て採 用 さ れ た の で あ る。 近 代 日本 が,西 洋 の 思 想 ・科 学 ・技 術 を西 洋近 代 社 会 の 機構 の一 環 として捉 え,そ の イ ミテ ー シ ョン実 現

に遙 進 した の と軌 を一 に して い た の で あ ろ う。

と もあれ,奈 良 写 経 は こ う して奈 良時 代 の 中期 以 降,藤 原氏 を中 心 と した 国 家権 力 に よっ て,「 鎮 護 国 家 」 とい う政 治 的 イ デ オ ロ ギ ー実 現 の一 手 段 と

して意 図 的 に推 進 され た もの で あ った 。 それ が 王権 に とっ て,経 済 的 に どの よ うな 負担 を意 味 した か は,次 第 に明 らか に な ろ う。

Dた だ し,写 経 生 に は と くに能 筆 の 者 が 選 ば れ た 。 正 倉 院 文 書 に は,写 経 生

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の 写 字 能 力 を テ ス トした,採 用 試 験 の 答 案 が 残 さ れ て い る。 だ か ら,文 字 を 書 け る者 が 誰 で も,プ ロの 写 経 生 に な れ た わ けで は ない 。

2>寿 岳 文 章 『日本 の紙 』 吉 川 弘 文 館,1967年,147‑149頁 。

3)大 屋 徳 城 『写 経 』 仏 教 考 古 学講 座 第8巻,雄 山閣,1936年 ,40‑42頁 。

3市 場 人 口 ・ リ テ ラ シ ー ・知 的 関 心 ・図 書 館

飛 鳥,奈 良 時代 の 写 経 に つ い て,通 常 の意 味 で 市場 とい う用 語 が 当 て は ま らな い こ とはす で に述 べ た。 写 経 は主 と して国 家 事 業 で あ り,官 寺 の事 業 で あ っ て一 般 市販 を 目的 とした もの で は なか った の で あ る。 こ こで はi市 場 」 を経 典 に対 す る社 会 的 需 要 とい った,広 い 意 味 で捉 え る こ とに し よ う。

奈 良 時 代 の 日本 全体 の人 口 は約600万 人,奈 良 の都 の人 口 は 約20万 人,そ の う ち中央 政 府 の 役 人 と して職 制 に定 め られ た ものの総 計 は,8117人 で あ っ

1)

た との沢 田吾̲̲̲.氏や 直木 孝 次 郎氏 の報 告 が あ る,zこ の ほか に,都 庁 や 警 視 庁 職 員 に 当 た る,い わ ば都 の 地 方 自治体 関 係 の人 々 や,官 庁 に下働 き として徴 集 され て い た人 々 を加 え る と,1万 人 を軽 く超 え る人 数 の人 々 が,政 府 関 係

2)

者 と して働 い て い た とい わ れ る。

これ に加 えて,ど れ だ けの人 員 が地 方 の 国府(国 衙)や 郡 衙 に役 人 と して

3)

配 置 され て いた の だ ろ うか 。 青 木 和 夫 氏 に よれ ば郡 衙 に は郡 司 の配 下 と して, 書 生 以 下 我 々 に関係 の深 い造 紙 手2名 をふ くむ60名 程 の 人 々 が い た ら しい。

当時 の 全 国 の郡 の数 は約500で あ るか ら,3万 人 とい った 数 が 出 て くるが, それ ら郡 衙 の働 き手 の ほ とん どす べ てが 年 間60日 とい う雑 徳 の代 わ りに徴 集 , 使 役 され る人 々 で あ り,そ の最 大 の 部 分 が護 衛 ・守 衛 の任 に当 た る人 々 で あ

った か ら,知 識 階 級 は極 め て 限 られ た もので あ っ た ろ う。

他 方,文 字 と経 典 に最 も近 い所 に い た はず の仏 教 関 係 を見 る と,624年 に

4)

お け る寺 の 数 は46,僧 侶816人,尼569人 で あ る が7世 紀 未 か ら8世 紀 前 半 に か け て,諸 豪 族 に よ る造 寺 が 爆 発 的 に 拡 大 し,700寺 に及 ん だ 。 僧 侶 数 は747

飛鳥奈良時代における写経生産の経済121

(10)

5)

年 に は6563人 に達 して い る。 こ う して見 て くる と,奈 良時 代 にお い て リテ ラ シー を有 し,文 書 や 記 録 を取 扱 い,経 典 を読 む能 力 を もった 当時 の知 識 階級 は,多 くみ て も1万 人 な い し2万 人 程 度 とい う こ とに な る。 飛鳥 時代 は当然 にそ れ よ り少 なか った ろ うか ら,飛 鳥,奈 良 両 時代 の文 字 の世 界 が,極 め て 限 られ た サ ー クル 内 の 出 来事 で あ った こ とを我 々 は まず 認 識 しな けれ ば な ら な い。

しか も第 二 次遣 随 使 に 同行 して派 遣 され た留 学 生,留 学 僧,計8人 の 多 く が 渡 来 人 で あ った こ とに示 され る よ う に,飛 鳥 時代 に リテ ラ シー を有 した の は,ほ とん ど渡 来 人 た ち で あ り,彼 らを通 して在 来 の 日本人 は文 字 と経典 を 学 ん だ とい う こ とを忘 れ るべ きで なか ろ う。

さて,無 文 字 に加 えて ほ とん ど無 思 想状 態 で あ っ た古 代 日本 王 権 は}渡 来 人 に接 し,ま た渡 来 人 達 の もた ら した 技 術 と体 系 的 思 想 を前 に,そ の摂 取 受 容 の 必 要 を痛 感 した。 勿 論 そ れが 権 力 の維 持 に効 果 的 で あ る限 りにお い て で あ る こ とは,前 項 です で に述 べ た。 百 済 との 間 の頻 繁 な往 来 や,命 が けの遣 随 使,遣 唐 使 の派 遣 は そ う した 国家 的熱 望 の現 れ で あ った 。

三 次 に わ た る遣 随使 で は,延 べ10数 名,19回 企 て られ た 遣 唐使 で は毎 回平 均20人 ほ どの学 生,学 問僧 が 送 られ た 。 これ ら留 学 生,留 学 僧 は国 費 留 学 生 で,経 費 が 多額 にか か った し,ま た留 学 は往 復 の危 険,異 国 で の生 活 の困 難 等,多 くの苦難 をか か えた 命 懸 け の仕 事 で あ っ たが,貴 族 の子 弟 や僧 侶 の う

ち,秀 才 を え りす ぐっ た これ らの人 々 が,大 陸 の文 明 を導入 す る う えで大 き

6)

な役 割 を果 た した こ とは い う まで もな い。

遣 唐 使 節 団 の 規 模 は,時 代 が 下 る と共 に次 第 に大 き くな り,500人 を超 す よ う にな る。 その うち船 員 や雑 役 夫,護 衛 兵 が 半 数 以 上 を 占 め,知 識 階 級 は 100人 内外 で あ った とされ るが,留 学 生 以 外 の これ らの 知 識 階 級 も また 大 陸 の 文 明 を 目の 辺 りに し,と くに唐 初 の盛 大 な る時 代 を体 験 した の で あ るか ら,

7)

そ の受 け た 知 的 刺 激 は 極 め て 大 き か っ た と思 わ れ る。

さ て,以 上 で,飛 鳥,奈 良 両 時 代 に お け る一 般 的 な 市 場 の ス ケ ー ル を イ メ

(11)

一 ジ して きた の だ が,そ う した市 場,い い か えれ ば経典 利 用 者 の実 態 に迫 る もうひ とつ の ア プ ロー チ は,当 時 に お け る図書(経 典)収 蔵 の 状 況 を と らえ る こ とで あ る。 後 に見 る とお り経 典 が 貴 重 品 で ほ とん ど個 人 的 所 有 を不 可 能 として い た これ らの 時代 にお い て,そ れ らが 収 蔵 され て い た 諸機 構 の実 態 を 探 る こ とは,社 会 全 体 と して の 経典 に対 す る需 要 の ス ケ ー ル を推 測 す る,有 力 な手 段 とな るだ ろ う。

幸 い 日本 の古 い時 代 の 図書 館 史 につ い て は小 野則 秋 氏 の詳 細,該 博 な研 究

8)

が あ る。 もっ と も原 史 料 に制 約 が あ るた めiそ の 内容 は我 々 の 目的,と くに 蔵 書 量 の 推 定 とい う 目的 の た め には,必 ず し も十分 に応 え て くれ るわ けで は な い が,飛 鳥 奈 良 時 代 に お け る,官 私 の蔵 書 の 全体 像 につ い て,一 定 の想 像 を可 能 と して くれ る。 い まそ の所 説 に も とつ い て 当時 の 図 書館(文 庫)を 概 括 す る と,次 の とお りで あ る。

ず しよ りよ う

(D図 書 寮

大 宝 令 に よ って定 め られ た 官 制 の一 部 として設 け られ,日 本 の 歴 史編 纂 の参 考 とす る経 籍 や仏 典 の保 管 と複 製 を 目的 と した。 い わ ば国 会 図書 館 の よ うな役 割 を もった もの で,書 庫 と蔵 書 目録 を作 っ た こ とが 知 られ て い るが,蔵 書 量 につ い て の 記録 は な い。 図 書 寮 に お け る写 本 の 生産 担 当 者 は職 員62人,う ち写 書 手20人,造 筆10人,製 本4人,造 墨4人,造 紙

4人,雑 役20人 とな って い る。

② 写 経 所

天 平 以 前 は写 経 所 は図 書 寮 の一 部 と して設 け られ,諸 国 の寺 に装 置 す る 金 光 明経 な どの護 国 経 典 を写 経 した。 元 正 天 皇 の 養 老6年(722年)に

は,写 経 所 の作 業 が 写 経 ブ ー ム に よ って大 規 模 化 し,図 書 寮 か ら分 離 独 立,皇 后 宮 職 の 管 理 下 に入 った 。 奈 良 時 代 最 盛 期 の 写 経 所 は,職 員392 人 を擁 し,う ち208人 が 写 経 生(書 生)で,そ れ ぞ れ写 す 経 典 の 種 類 ・

レベ ル に よ っ て専 門 が 分 か れ て い た。 仏 典 の み な らず 漢 籍 も写 され た。

写 経 用 原典 が 常 時収 蔵 され て い た の か必 要 に応 じ他 の収 蔵 機 関 か ら借 出 飛鳥奈良時代における写経生産の経済123

(12)

され た の か は明 らか で は な い が,常 時 こ こ を多数 の経 典 が通 過 した こ と

9)

は明 らか で あ る。 平 安 時 代 に入 る と,写 経 所 はふ た た び 図書 寮 の管 理 下 に展 る。

(3)官 庁 文 庫

各 官 庁 は,政 策 決 定,行 政 判 断 の 参 考 とす るた め経 籍 ・記 録 ・報 告 書 等 の情 報 を備 えた。

ふ どの

ω 太 政 官 文 殿(内 閣資 料 室 に あた る文 書館)担 当者(史 生)11人 。 (ロ)外 記 文 殿(内 閣書 記 官 用 資料 室 に あた る文 書 館)担 当者10人 。 の 中務 省 文 庫(宮 内省 ・内 務 省 を兼 ね る役 所 の 図 書 室 に あ た る)全

国 の戸 籍,税 帳 ・僧 尼 名簿 等 を置 く。

←)天 皇 御 文 庫

蔵 人 所(侍 従 官 府)に おか れ,昼 と夜 の両 文 庫 が あ った。

㈱ 御 書 所,内 御 書所,一 本 御 書 所 天 皇 の た め の一 般 書 籍 を所 蔵 した 図書 館 。

←9冷 然 院,嵯 峨 院 の 文 庫 天 皇 の離 宮 に お か れ た文 庫 。 (4)学 校 文 庫

α)官 学

671年 の近 江 令 に も 「学 校 」 の制 度 が 見 られ るが,701年 大 宝 令 に よ っ て学校 制 度 は は じめ て確 立 した。 中央 に貴 族 子 弟 の官 僚 養 成 の た め の 大 学 寮 が お か れ,儒 学 を 中心 に学 生400人 と され た 。地 方 で は お な じ目的 で 大 国 は学 生50人,上 国40人,中 国30人,下 国20人 と学 生 数 を 定 め,郡 司 お よび庶 民 の子 弟 の教 育 に 当 た った。 これ らの学 校 に は図 書 室 が 設 け られ,学 生 の学 習 に用 い られ た。

(ロ)私 学 ・私 塾

私立 の 学校 と して は,有 名 な空 海 の綜 芸 種 智 院 が あ るが,こ れ は平 安 時代 に属 す る。 奈 良 時 代 の末 期 に は私 立 の学 塾 として弘 文 院,文 章 院,勧 学 院,学 館 院,奨 学 院,淳 和 院 等 が,各 氏 族 の貴 族 子 弟 の た め

(13)

の 勉 強 室 と して設 け られ た こ とが知 られ て お り,こ れ ら私塾 は文 庫 に 一 定 の経 籍 を蔵 書 して学 生 の勉 強 に資 した

。 例 え ば弘 文 院 で は和 気 清 麿 の蔵 書 をひ きつ いだ と思 わ れ る内外 の経 書 数 千 巻 を以 て,和 気 広 世 が 延 暦4年(785年)に 文 庫 を開 設 し,大 学 の 学 生 お よび 諸 儒 の 参 考 に資 した こ とが 日本 後 記 にで て い る。私 立 の 公 開 図書 館 で あ った と考 え られ る。 但 し・785年 は正 に長 岡 京 へ の 移 転 決 定 の 翌 年s平 安 時 代 の幕 開 けの時 代 で あ るが,当 時 奈 良 の都 に この よ う な私 的 な動 きが あ った こ とは,我 々 に 図書 普 及 状 況 へ の ひ とつ の情 報 を与 えて くれ る。

⑤ 寺 院文 庫

ω 経 蔵

寺 院 文 庫 の第 一 は経 蔵 で,一 切 経 を収 蔵 す る。 す な わ ち 内容 は仏 典 の みで,そ の 主 目的 は参 照 に はな く,む しろ礼 拝 の対 象 で あ り,寺 院 の装 置 の一 種 とみ るべ き もので あ る。 文 字 を知 らぬ信 者 が 経 蔵 の廻 転 式 収 納 庫 に納 め られ た 一切 経 を一 廻 転 す る こ とに よ って,読 経 した と 同 じ供 養 を果 たせ る とい う もの で あ る。 経 蔵 は南 都 七 大 寺(東 大 寺 , 興 福 寺,法 華 寺,唐 招 提 寺,大 安 寺,西 大 寺,薬 師 寺)を は じめ有 力 寺 院 に次 々 と設 置 され た。 飛 鳥 時 代,推 古 天 皇32年(624年)の 寺 院 数46,奈 良 時 代 の それ が700で あ る こ とを考 え る と き,経 蔵 の た め の 写 経 の需 要 が 巨 大 で あ った こ とが想 像 され る。 聖 武 天 皇 の天 平13年 , 全 国 に国 分寺,国 分 尼 寺 を置 くこ とが決 ま った が,こ れ ら国分 寺 に置

か れ た経 典 は種 類i数 量 共 に大 部 の もの で はな く,経 蔵 を設 け るほ ど で は なか った か ら,安 置 所 に安 置 され るに止 ま った。 全 国60有 余 の 国 分寺,30の 国 分 尼 寺 に完 全 な経 蔵 を設 け る こ とは,一 方 で写 経 所 の 拡 充 が行 わ れ た けれ ど,急 に は不 可 育邑だ った の で 認 。

(ロ)文 庫

一 私 人 と し て の 僧 侶 が

,自 分 の 勉 強 の た め ま た は愛 蔵 の た め に 設 け る もの で,内 外 典 を 含 む 。

飛鳥奈良時代における写経生産の経済125

(14)

の 学寮 文 庫

仏教 の各 教 派 ご とに僧 侶 養 成 機 関 として設 け られ た学 寮 に付 属 す る 図 書 室 で あ るがy主 として鎌 倉 時代 以 後 に属 す るの で,当 面 の対 象 に

は な らな い。

(6)公 卿 文 庫 ・個 人 蔵 書

聖 武 天 皇 の 神 亀7年(735年)帰 着 した 遣 唐 使 一 行 の 僧 玄 防 は経 論 常 議5。。。余 巻 を伝 え,同 時 に帰 国 した吉 瀬 備 は唐 礼 ・3・巻,太 禰1

巻,太 衛 暦1立成12巻,楽 書 要録10巻 を将 来 し,太 衛 暦 を朝 廷 に献 上 した。

写 経所 が 玄 肪 か ら度 々 原 典 の借 入 れ を して い る こ とか ら見 る と玄 肪 は 将 来 した一切 経 を私 蔵 して い た よ うだ。 眞備 が将 来 本 を どれ だ け私 蔵 し た か は不 明 で あ る。個 人 の蔵 書 と して 歴史 に記録 され て い る例 と して は, 橘 奈 良 麿 が480余 巻 を所 有 した こ とが 見 え る ほか,有 名 な の は石 上 宅 嗣 が蔵 書 数 千巻 を もっ て芸 亭 と名 づ けた公 開 図書 館 を開設 し,本 邦 にお け

る公 開 図 書 館 の は じ ま り と目 され て い る事 跡 で あ る。

以 上 見 て きた とお り,諸 文 庫 に は仏 典 の みで な く儒 教 経典 等,い わ ゆ る外 典 もまた収 蔵 され て い る。 と くに政 府 諸機 関 お よび官 僚 貴 族 養 成 のた め の官 学,私 塾 等 はそ の 目的 か ら当 然 に政 治 哲 学 と して の儒 教 経 典 を多 く備 えて い た と思 わ れ る。 しか し,そ の量 を考 え るな ら ば(5)の寺 院 関係 にお け る仏 典 の 蔵 書 が 寺 院 数 と仏 典 の浩 潮 さか らい って圧 倒 的 に多 か った 。 それ は,情 報 伝 達 が 目的 で な く,呪 術 の た めの 用具 で あ った か ら,情 報 伝 達 の ニ ー ズ を超 え て生 産 利 用 され得 た の で あ る。

注D勿①

沢 田 吾 一 『奈 良 朝 時 代 民 政 経 済 の 数 的 研 究 』 冨 山 房,1927年,143‑153頁 。 青 木 和 夫 『日 本 の 歴 史3奈 良 の 都 』 中 央 公 論 社,1965年,23頁 。

同 上,178頁 。

(15)

)))4ρ07nQ

サ ン ソム 『日本 文 化 史 』,61頁 。 青木 和 夫 前 掲 書,283頁 。

木 宮 泰 彦 『日華 文化 交 流 史 』 冨 山房,1955年,157‑159頁 。 同上,158頁 。

小 野 則 秋 『日本 文 庫 史 研 究 』 上 巻,大 雅 堂a1944年 。

皆 川 完 一 「光 明 皇 后願 経 五 月 一 日経 の書 写 に つ い て」 『日本 古 代 史 論 集』

上 巻,吉 川 弘 文 館,1962年,に よれ ば,「 五 月 一 日経 」 一 切 経 書写 の 原典 とし て 用 い られ た の は,玄 防 の蔵 経 で あ り,写 経 所 の 写 経 請 本 帳(正 倉 院 文 書 の 一 部 として残 る)は

,借 用底 本 の 目録 で あ る。

五 月一 日経 は,開 元 釈 教 録(唐 の一 切 経 目録)所 収 の す べ て を書 写 す る こ とを企 図 した もの で あ るが,実 際 に は まだ 将 来 し て い な い 経 典 もあ り,そ の す べ て を壷 して い な い。 一 方,開 元 釈 教 録 に な い注 釈 書 が加 え られ た か ら, 量 的 に はs中 国 撰 述 の 最 新 目録 を凌 駕 す る,約7000巻 と想 定 さ れ る一 切 経 と

な っ た。

当時 の状 況 下 で は,底 本 の蒐 集 は極 め て 困 難 で あ り,多 くの 学 僧 等 か ら原 典 を借 用 した様 子 が 生 々 し く正 倉 院 文 書 に記 録 さ れ て い る。(皆 川 論 文534‑

543頁)

10)正 倉 院文 書 に は,南 都 各 宗 が,写 経 所 か ら経 巻 を借 用 した こ と を示 す もの が 多 数 あ り,各 宗 は単 に講 読 の た め ばか りで な くa蔵 書 整 備 の た め,書 写 を

目的 に借 り出 した もの と考 え られ る。(皆 川 完 一 同上 論 文,562頁) 11)開 元 一 切 経 と考 え られ て い る。

4製 晶

日本 語 表 記 法 が まだ確 立 せ ず,外 国 語 と して の漢 文 が文 字 コ ミュニ ケー シ ョ ンの 唯̲̲̲..の手 段 で あ り,印 刷 術 と市 場 の メ カニ ズ ム を欠 い た飛 鳥 ,奈 良 時 代 にお い て,国 立 写 経 所 を中心 に生 産 され た経 典 を製 品 と して観 る時,そ れ

は どの よ う な内容,特 色 を持 っ た もの で あ った ろ うか 。

先 ず何 よ り も,こ の 時代 の 主 製 品 が 全 くす べ て漢 訳 仏 典,す なわ ち 中 国語 訳 され た仏 典 の そ の ま まの 複製 で あ った こ とで あ る。

飛鳥 奈 良 時 代 に お け る写 経 生 産 の経 済127

(16)

本 稿 で は取 上 げ る余 裕 が な い が,日 本 で も次 第 に 日本 人(と い っ て も多 く は渡 来 系)の 手 に成 る著 作 が つ くられ る よ うに な る。 しか しす で に見 た通 り 飛 鳥,奈 良両 時 代 を通 じて,写 経 の大 部 分 は仏 典 で あ り,し か も聖 徳 太 子 の 三 経 義疏 の よ うな例 外 は あ る もの の,何 よ り も中 国人 の解 釈 を その ま ま受 け 入 れ る形 で の複 製 で あ っ た。 日本 人 の著 作 は,写 本 作 りを社 会 的 現 象 と して

見 る限 りまだ 問題 にな らぬ程 度 の 量 で しか なか った 。

外 国 製 の文 献 を その まま に受 け入 れ,そ の解 釈 を疑 う とい う よ りは単 純 に 読 調(復 唱)を くり返 す とい う形 で の受 容 を行 っ た の は,未 開 の古 代 王 国 が, 圧 倒 的 な大 陸 文 明 に接 して の 自然 な帰 結 で あ った。

筆者 はか ね て か ら,文 化 は交 流 す るが,文 明 は直 流,浸 透 す る と主 張 して い る。 文 化 人 類 学 的 レベ ル で,各 民 族 の持 つ 文 化 的 特 色 は,国 際 的(と い う よ りは正 確 には部 族 際 的)な 人 々 の接 触 を とお して交 流 し合 うだ ろ うが,高 度 な技 術 の優 位 性 に も とつ く文 明 の場 合 に は,常 に文 明 的 に高 圧 の地 域 か ら

1)

低 圧 の地 域 へ と浸 透 す る。 交 流 で はな く直 流 で あ る とす る もの で あ る。 か つ て人 類 は農 業 革 命,精 神 革 命 等 人 類 史 の い ろ い ろな段 階 を,各 地 域 の 主 要 文 明 が 同 時発 生 的 に経 験 して きた が,近 代 科 学 革命 の み は西 洋 が 先 行 し,そ の

Z)

西 洋 文 明 の強 烈 な影 響 下 に,人 類 は過 去300年 を西 洋 優 位 の 中 に生 きて きた 。 西 洋 文 明 の浸 透 で あ り,そ れ は植 民 地 支 配 とい う形 を とっ た。 国境 とい う も の が厳 然 と確 立 され た 近代 に お け る そ う した文 明 の浸 透 は}武 力 支 配 を通 し て 実現 され て い った が,近 代 国 家 以 前 で は,文 明 の浸 透 は必 ず し も武 力 支 配

を伴 う こ とは なか った 。 武 力 支 配 す る こ とに よ る利 益 が必 ず し も市 場 支配, 資 源 確 保 とい っ た基 幹 的 な経 済 上 の ニ ー ズ を もった近 代 の場 合 の よ うに大 き

くな か っ た か らだ ろ う。 日本 が 島 国 で,簡 単 に は武 力 支 配 で きなか った こ と も大 きか った。

もっ と も中華 思想 の シ ナ王朝 は,日 本 も服 属 す る蛮 族 の ひ とつ で あ る とい う姿 勢 を常 に保 と う と した が,日 本 は 日本 で独 立 国 の つ も りで あ った。 あ い ま い さが許 され る と こ ろが,古 代 の お お らか さで あ りs東 洋 的 な現 実 主義 か

(17)

も しれ な い。

第 二 次 世 界 大戦 敗 戦 後,1965年 の 日韓 条約 締 結 に際 し,日 本 は韓 国 に5億 ドル を支 払 い,こ れ は韓 国 の経 済 発 展 に対 す る協 力 金 で あ る との立 場 を と り, 一 方 韓 国 側 は,こ れ を請 求権 に も とつ く賠 償 金 で あ る との解 釈 を とっ た ら し

3)

い 。 江戸 時 代 の朝 鮮 通 信 使 の上 表 文 が 問 に立 っ た対 馬 藩外 事 係 に よ っ て ,双 方 に都 合 の よい よ う訳 文 を改 ざん され た の と軌 を一 に して い4)。

と もあ れ大 陸文 明(中 国 お よび朝 鮮)の 圧 倒 的 な影 響 力 の下 に,こ の 国 の 文 化 は次 第 に前進 す る こ とに な った 。 そ の時,大 陸 と くに半 島 か らの渡 来 人 が 大 きな役 割 を果 た した こ とは明 らか で あ る。 とい う よ りはs近 代 的 な意 味 で の 国境 意 識 もパ ス ポ ー トもなか った 古代 に お い て は,人 々 は交 通 の 許 す 限 り自由 に往 来 し,交 流 して い た とい うの が 実 態 だ ろ う。 交 通 の便 の 最 も良 か った半 島 か ら大 量 の 朝鮮 系 の人 々 が渡 来 し,自 然 豊 か な この 国土 に住 み つ い た こ とは当然 で,大 化 改新 後 の律 令 体 制 の 中 で お こなわ れ た戸 籍 調 査 に よ っ

5)

て も明 らか で あ る。

この よ うな飛 鳥 時 代 か ら奈 良 時代 にか け て この 国 に書 物 と して 存 在 した も の に は次 の よ うな ものが 考 え られ る。

(1)大 陸 か ら将 来(輸 入)さ れ た漢 籍,仏 典 (2)日 本 人 の 著作

(3)大 陸 将 来 の書 物 や 日本 人 の 著 作 を 日本 人 が書 写 した もの(日 本 に於 い てで あれ,留 学 生,留 学 僧 が現 地 で 書 写 した もの で あれ)

この 中 で(2)の 日本 人 の著 作 が まだ この 時代 で は大 変 限 られ た もの で あ る こ とはす で に述 べ た 。(1)は我 々 の本 稿 の対 象 で あ る写 本 生 産 の た め の い わ ば原 典 とな っ た もの で あ るか ら,将 来 書 の実 態 を知 る こ とは,写 本 製 品 の 中 身 を 知 る こ とで もあ る。

そ こで 記 録 を頼 りに,遣 晴使,遣 唐 使,渡 来 外 国人 の将 来 書,輸 入 書 を見 て み よ う。

飛 鳥 奈 良 時 代 に お け る写 経 生 産 の 経 済129

(18)

(1)原 典 と しての 輸 入 書

大 陸 の す ぐれ た先 進 文 明 に接 し,今 日 と同 じ く知 的 興 味 の旺 盛 で あ った古 代 日本 人 が,大 陸文 明 の 結 実 で あ る書 籍 の入 手 に狂 奔 した で あ ろ う こ とは,

6)

容 易 に想 像 が つ く。

飛 鳥 奈 良 の知 識 階級 が 手 に した の は,も っ ぱ ら中 国 の 経典 で あ り,そ れ ら は朝 廷 へ の使 節 団 が将 来 献 呈 した もの,遣 階 使,遣 唐 使 と くに 同行 した留 学 生,留 学 僧 が入 手 し持 ち帰 った 書 籍,遣 唐 使 以 外 の民 間船 が将 来 した書 籍 で

あ り,ま た それ ら を 日本 にお い て書 写 複 製 した もの で あ った 。

一 体 どれ ほ どの書 籍 が将 来 され た の か を遣 唐 使 の記 録 に よ って 見 て み よ う。

遣 唐 使 一 行 が い か に典 籍 の入 手 に熱 心 で あ った か は 旧唐 書 等 に 中国 側 の記

7)

録 として残 って い る。 い つ の時代 に も学 者 は文 献 の入 手 に すべ て を忘 れ る も の で あ る。 留 学 生,留 学僧 た ち は,自 ら苦 心 して探 索 し,書 写 し,あ るい は 乏 しい学 資 を割 い て購 入 した もの で,し か も交 通 不 便 の 時代 に あ って,こ れ ら を運搬 す るに は 多大 の労 苦 と犠 牲 を払 った に違 い な い。 留 学僧 が しば しば 従 僧 や行 者 数 名 を伴 った の は,写 経 を分 担 させ た り,運 搬 す るた めで あ っ た。

この よ うに苦 労 して将 来 した もので あ るか ら,内 容 は決 して か き集 め で な く, か な り精 選 され た もの で あ り,日 本 に未 だ伝 え られ た こ との な い新 訳 経 巻 と か,優 れ た 著 述,珍 しい詩 集 とい った もの が 多 か った 。 だ か ら これ らの将 来

8)

書 籍 は,日 本 の文 化 の発 展 に大 き な イ ンパ ク トを与 えた の で あ る。

飛 鳥 時 代 の留 学 生,留 学 僧 の 将 来 品 につ い て は文献 が 乏 し くよ くわ か っ て い な い が,日 本 書 紀 等 の記録 か ら,石 田茂 作 氏 は,飛 鳥 時 代 に伝 来 した もの と して18部 百 数十 巻 を,ま た 白鳳 時 代 伝 来 の もの として11部 六 百 数 十 巻 を表

9)

示 し て い る。 奈 良 時 代 の 留 学 生,留 学 僧 で は 吉 備 眞 備 唐 体130巻,暦 書13巻

玄 肪 経 論5000余 巻 行 賀 聖 教 要 文500余 巻

が あ る 。 玄 肪 の 経 論5000余 巻 は 開 元 一 切 経 と 目 さ れ る。 開 元 一 切 経 は唐 代 に

(19)

な っ てか ら新 訳 され た密 教 経 典 をふ くん で お り,こ の経 典 の将 来 が 日本 にお け る密教 の興 隆 に影 響 を与 え た。

また 中 国 か らの 渡 来 僧 も当然 に多 くの典 籍 を将 来 した。例 え ば756年 に来 朝 した鑑 眞 は,

大 方廣仏花厳経 大仏名経

金字大 品経 金字大集経 南本浬薬経 四分律

法励師 四分疏 他26点

とい う大 量 の書 籍 を持 参 して い る。

この よ うな仏典 将 来 の結 果,奈 良 時 代 の 日本 に存 在 した と考 え られ る仏 典 で正 倉 院 文 書 に記録 の 現 れ る もの2979点(部)を 採 集 し,一 切 経 諸 目録 との

11)

対 比 を行 っ た石 田茂 作 氏 の研 究 に よれ ば,奈 良 時 代 一 切 経 の部 数 とその 内 訳 は次 の通 りで あ る。

イ ン ド撰 述

大乗経 小乗経 大乗律 小乗律 大乗論 小乗論 経 秘 密

80巻 16巻 1部 1部 1部40巻 1部60巻 5本 各10巻

160巻

10)

440部 294部 38部 69部 111部

41部 61部 139部 1193部

2125巻 621巻 49巻 492巻 535巻 705巻 108巻 249巻 4884巻

飛 鳥 奈 良 時 代 に お け る写 経 生産 の 経 済131

(20)

経 経 律 論

偽 繹 繹 繹 雑

撰ナシ

計 総 計

40部 約74巻 256部 約1790巻

28部 約199巻 117部 約1208巻 195部 約947巻 636部 約4218巻 1829部9102巻

残 念 な が ら,石 田氏 は総 採 集 点 数2979部 か ら どの よ うに して一 切 経1829部 を析 出 した か の プ ロセ スの説 明 を して い な いが,要 す るに唐 に お け る新 訳, 研 究 の進 行 と共 に一切 経 が拡 大 した こ と,奈 良時 代 末 に はそ れ が1万 点 に近 か った こ とを示 して い る。

石 田氏 は さ らに,新 しい仏 典 名 の正 倉 院 文 書 に お け る初 出 年代 をた どる こ とに よっ て,奈 良時 代 の写 経 に数 回 の ピー クが 観 察 され る こ と,そ れ が 玄 防 の将 来 や遣 唐 使 の帰 国 に よ る新 訳 の 伝 来,ま た 新 羅 僧 の渡 来 等 の動 き と連 動 して い る こ とを分析 して い る。 さ らに石 田氏 は,唐 の新 訳 が早 い もの は7年 以 内 に,多 くは十 数 年 内 に 日本 に将 来 され て い る とい う興 味 あ る事 実 を報 告

して い12).や が て鞍 時 代 の9世 細 よじめ に は,最 澄 空海 ら有 名 な入 宋 八 家 と呼 ばれ る留 学僧 た ち が お び た だ しい 量 の書 籍 を持 ち帰 って い るが,そ れ は次 の時 代 の話 で あ る。

② 製 品 写本 の 量 的 分析

大 陸 か ら もた らされ た 作 品 で あ れ,日 本 で 日本 人 の手 に よ って編 纂 され た 書物 で あれ,印 刷 とい う手 段 が定 着 して い な か った飛 鳥奈 良 時代 にお いて は, 複 製 はす べ て筆 写 に頼 る しか な か った。

第1章 で見 た よ う に,一 切 経 を は じ め と して,奈 良 時 代 の終 わ りまで に は 1万 巻(す な わ ち1万 種 類)に 及 ぶ 経巻 が 日本 に将 来 され 現 存 した として, そ う した種 類 数 とは別 に どれ だ け多 くの写 本 が そ れ らの原 典 か ら複 製 され た

(21)

の で あ ろ うか 。 そ う した書 物 複 製 の 量 的計 測 は,デ ー タ の乏 しい この 時 代 に あ って は不 可能 だ が,そ れ を類 推 す る方法 を一,二 試 み て み よ う。

第 一 は写 本 の生 産 記録 で あ る。 奈 良 時 代 に お け る写 本 の 最 大 規 模 の もの は 一 切 経 の筆 写 で あ る

。 本 邦 最 初 の集 団 的 仏典 書 写 事 業 は,673年(天 武 元 年)

13)

の 川 原 寺 に お け る一 切 経 書 写 で あ る。 この 時 代 に は 一一切 経 は2500巻 ほ どで あ っ た と推 定 さ れ る。 一 切 経 の 巻 数 は,奈 良 時 代 中 に新 訳 が 加 わ り5330巻 に達 し た 。 天 武20年(673)か ら宝 亀3年(772)の100年 間 に 都 合18回

,延 べ22 部 の一 切 儲 写 糊 廷 に よ って行 わ れ た カ・競 れ だ け で̲部5。 。。巻 と して1。

万 巻,紙 数 に して150万 枚 を こえ る量 で あ る。

この ほか 特 定 の経 典 だ け を書 写 す る企 て が 多 数 行 わ れ,と くに大 般 若 経 600巻 が しば しば書 写 され た。 寿 岳 文 章 氏 は,正 倉 院 文 書 に記 され た写 経 用 色 紙 の生 産 記 録 に も とつ い て,天 平 期 中 に500万 枚(1巻 平 均15枚 とす れ ば 33万 巻 分)が 写 経 に用 い られ た で あ ろ う と考 えて い る。

第 二 は写 経 生 の生 産 能 力 か らの類 推 で あ る。 写 経 生 は1日 に8枚 程 度 を書 写 の ノ ル マ とし て い 認.写 経 所 の 韻 が5。人 で あ っ た か翫 間25。 日働 く と す る と,写 経所 の年 間 生 産 量 は10万 枚,1巻15枚 とす る と7000巻 ,20枚 とす

る と5000巻 とい う こ とに な る。 実 際 に は一 切 経 書写 に は臨 時 の写 経 生 が 召集 され た し,国 立 写 経 所 以 外 で 官 寺,貴 族 等 の雇 用 す る写 経 生 が あ り,地 方 の 国 司 の 下 に もまた書 写 能 力 を もつ人 々 が い た の だか ら,全 体 と して 年 間 に1 万 巻 平 均 の 生産 力 は優 に あ っ た と考 え られ る。 奈 良 時 代70年 で は,50‑70万 巻 が生 産 され た と して も,理 論 的 に は十 分 可 能 な範 囲 で あ る。

第 三 は 当時 の蔵 書 の実 態 で あ る。 飛 鳥 奈 良 時 代 の 図書 館(文 庫)や 個 人 蔵 書 につ い て の 定 量 的 記 録 は ほ とん ど見 出 さ れ な い。 例 え ば平 安 時 代 の891年

に成 立 した藤 原 佐 世 撰,日 本 国見 在 書 目録 は,当 時 日本 にあ っ た漢 籍1580部 , 1万7000巻 を採 録 して お り,文 徳 実 録 の854年 の 条 に石 川 河 主 父 子 の 蔵 書 が

ユの

数 千 巻 あ っ た と記 し て い る が,そ れ よ り100年 な い し200年 以 前 の状 態 を そ こ か ら推 測 す る こ とは 無 理 で あ る 。

飛鳥奈良時代 における写経生産の経済133

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ひ とつ の 方 法 は,奈 良 時 代 に お け る文 庫(図 書 館)の た ぐい とそ の人 的 規 模 を可 能 な限 り量 的 に観 察 す る こ とでyこ れ はす で に第3章 で み た と ころで あ る。 奈 良時 代 の書 物 の複 製 はほ とん ど筆 写 だ か ら,中 央 政 府 に は写 経 所 が あ った もの の,諸 寺,貴 族 等 は そ の文 庫 や 経蔵 に蔵 書 す るた め,自 ら写 字 生 を使 って 生産 に 当た っ た はず で あ り,第3章 で み た文 庫 や経 蔵 の存 在 自体 が 蔵 書 量 と写 本 生 産 量 を想 像 させ るひ とつ の傍 証 とな り うるの で あ る。

以 上 この 国 で複 製 され た経 典 の量 を生 産 記 録,生 産 能 力 お よび蔵 書 実 態 の 3つ の側 面 か ら観 察 して 来 た 。 定 量 的 記録 が 限 られ て い るた め,奈 良 時 代 に どれ だ けの 量 の 経典 が 生 産 され利 用 され た か につ い て正 確 な数 字 を結 論 づ け る こ とは不 可 能 だが,奈 良時 代70年 を通 して平 均 年 間1万 巻 の生 産 能 力 が あ っ た とす る筆 者 の立 場 か らは,奈 良時 代 を通 じて,70万 巻 が 生産 され た こ と にな る。 一 方 寿岳 文章 氏 は,天 平期 の写 経 用紙 の生 産 量 か ら,写 経 量33万 巻 と推 定 して い る。 寿 岳氏 の い う天 平 期 が 奈 良時 代 を意 味 す るか否 か は不 明 だ が 氏 は別 の箇 所 で写 経 が 次 第 に年 間1万 巻 を超 え る よ うに な った と書 いて い

る。 奈 良 時 代 全 体 とす れ ば,70万 巻 は妥 当 とい え よ う。

最 後 に点 数(種 類)に つ いて は ど うで あ ろ うか。 一 切 経 だ けで5000巻 を超 え,日 本 国見 在 書 目録(891年 成 立,藤 原 佐 世 撰)に 登 載 す る もの1580部,

1万7000巻 で あ る。 た だ し見 在 書 目録 は平 安 時代 の もの だ か ら,割 引 して, 奈 良 時 代 の 日本 に存 在 した典 籍 の種 類 は,粗 っぽ く考 えて,1万 巻 とい え そ

うだ。

この1万 巻 の 中 味 が この時 代 に お い て圧 倒 的 に仏 典 で あ った こ とは言 う ま で もな いが,次 に くる疑 問 は,一 切 経 は別 として,仏 典 の 中 の と くに どれ が 多 く複 製 され た か,仏 典 にお け る流 行 の 問題 で あ る。

③ 製 晶 写本 の 内容

飛 鳥 時代 につ い て は い う まで もな く,史 料 の比 較 的 多 い奈 良 時 代 に つ い て もそ こで 生産 され た写 経 の 内容 に よ る生 産 量 の分 析 は不 可 能 で あ る。 た だ 断

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片 的 な記 録 か ら,ど の よ うな仏 典 が よ り頻 繁 に書 写 され た か,と い う一般 的 な傾 向 はつ か む こ とが で き る。

奈 良 時 代 の写 経 に は3つ の ケー ス が あ っ裂 。 ω 一 切 経

@一 括 写 経 の 特殊 願 経

で あ る。 一 切 経(あ る い は大 蔵 経)は 本 来 漢 訳 仏 教 聖典 の 集 成 を意 味 して お り,奈 良 写 経 の原 典 とな った の は ま さに この漢 訳 聖 典 で あ った 。 一切 経 にふ くまれ る仏 教 聖 典 は 内容 的 に分 類 す る と,

経 蔵 一 シャ カ 自身 が 説 い た と信 ぜ られ る教 え 律 蔵 一 修 行 者3僧 団 の修 学 規 定

論 蔵 一一 前二 者 につ い て の注 釈 的研 究

とい う こ とに な り,時 代 を経 る につ れ て翻 訳 が す す み,注 釈 が加 え られ た 結 果,次 第 に増加 した 。 本 邦 最 初 の一 切 経 書 写 で あ る,川 原 寺 の一 切 経 で は約 2500巻 で あ った が,奈 良 時代 中期 に は5000巻 を超 す よ うに な っ た。 い わ ば公 認 され た仏 教 聖 典 の 集大 成,全 貌 を示 す もの で あ る。

一 切 経 書 写 は す で に述 べ た 通 り

,飛 鳥 時 代 の末673年 の 川 原 寺 一 切 経 の 書 写 か ら奈 良 時代 の終 わ りまで に,通 算18回 企 て られi22部 が生 産 され た が , 一 部 の総 巻 数5000巻 以 上 とい う大 部 の作 業 で あ り

,大 事 業 で あ っ た。18回 の うち8回 は天 皇,ま た は皇 族 の 発願 で あ り,僧 侶 の発 願 に よ る もの3回 ,東 大寺等寺院 の発願4回,そ の他貴鰭3回 となって曙 。

これ ら一 切 経 の写 経 は,そ れ だ けで通 算10万 巻 を超 え る大 量 の製 品 とな る が,実 はそれ以外 の一括写経や詩 瀬 経 による写経 のほ うが多 か っ契 ♂ 括 写 経 とは,同 一 の経 典 を数 部 ま とめ て書 写 生 産 す る こ とで あ り,特 殊 願 経 は写 経 の 目 的 に よ り,そ れ にふ さわ しい仏 典 を選 択 的 に書写 す る こ とで あ る。

国分 寺 に配 置 す る金 光 明 経 な どは,同 じ もの を国分 寺 の数 だ け多 数必 要 と した か ら,一 括 写 経 され た の で あ る。

飛鳥奈良時代における写経生産の経済135

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特 殊 願 経 の対 象 として,く り返 し書 写 され た 経典 を寿 岳 氏 の著 書 か ら引 用

Z1)

して お こ う。 次 の もの で あ る。

法華 経

金 光 明 最 勝 王 経 華 厳 経

22)

大般若経 金剛般若経 能断般若経 仁王般若経 般若心経

23)

観世音経 不空絹索経 諸観世音経

z4)

梵網経

25)

薬師経

26)

阿弥陀経

27)

理趣 経

大 仏頂 陀 羅 尼 経 随 求 陀 羅 尼 経

これ らの経 典 が 奈 良時 代 の人 々 に信 仰 の 対 象 と して と くに愛 好 され た背 景 に は,奈 良仏 教 の一 般 的特 性 が あ る。

28)

大 屋 徳 城 氏 の所 説 を要約 す る と次 の よ うに な る。

奈 良 時代 にお いて は人 々 の間 に密 教 の影 響 が 強 く,彼 らは罪 悪 を餓 悔(悔

過)し 無 垢 浄光 陀 羅 尼 経 の勧 め に した が って 「陀羅 尼 」 を念 論 し,ま た書 写 す れ ば そ の功徳 に よっ て延 命 と招 福 が実 現 す る と考 えた 。 生命 の 危 険 と生 活 の苦 労 に常 に さ ら され て い た この 時代 の人 々 に とっ て,延 命 と招 福 の た め に は神 仏 に頼 る しか な か っ た ろ うか ら,「 悔 過 」 に対 す る熱 意 は今 日の我 々 の

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想 像 を絶 す る もの が あ った ろ う。

こ う して 「悔 過 」 は,奈 良 時代 を通 じて,上 は天 皇 か ら下 は民 間 まで広 く 行 わ れ た 宗 教 風 俗 もし くは宗 教 儀 礼 とな った 。 そ う した宗 教 風 俗 か ら,仏 教

は鎮 護 国家 の 国 家 仏 教 とな っ た の で あ る。

こ こで 陀羅 尼 とは,平 凡 社 百 科 辞 典 に よ る と,「 サ ンス ク リ ッ トの ダ ー ラ ー こ の 音 訳 で,漢 訳 で は 総 持(一 切 の こ とを 記 憶 して 忘 れ な い 力),能 持 (い ろ い ろ の善 を よ く保 つ力),能 遮(い ろい ろの悪 を よ く退 け る力)な ど と され る。 本 来 陀 羅尼 は一 種 の記憶 術 だ が,形 式 化 され た 結 果,呪 と混 同 され, 後 に は呪 をす べ て 陀羅 尼 と呼 ぶ よ うに な っ た。 呪 とは災 厄 を除 くた め の ま じ

な い の言 葉,真 言 の こ とで あ る。 だ か ら陀羅 尼 は翻 訳 せ ず,原 典 どお り音 訳 して い る。」 とあ る。

仏典 の な か に は,陀 羅 尼 経 と名 づ け られ る もの と,名 称 は陀 羅 尼 経 で な く て も陀 羅 尼 を ふ くむ もの が あ り,こ れ らいず れ もが 写 経 の対 象 と して 多 用 さ れ た 。 す なわ ち写 経 とは,無 垢 浄 光 陀 羅 尼 経 の教 え に従 っ て 陀羅 尼 を念 訥 し 書写 す る こ とで,功 徳 を得 よ う とす る こ とで あ り,し た が って書 写 の対 象 と

され た の は,多 くは陀 羅 尼 経 とそ の 他 の 陀 羅 尼 をふ くむ諸 経 な の で あ る。

そ う した 諸 経 の うち金 光 明 経(義 浄 訳 で は最勝 王 経 と され た の で,金 光 明 最 勝 王 経 と もよ ばれ る)は,35種 もの 陀羅 尼 を持 っ て い る の で,奈 良写 経 の

29)

もっ と もポ ピ ュ ラー な対 象 とな り王 朝 は護 国 の寺 と して の国 分 寺 に は,金 光 明 経 また は最勝 王 経 を,滅 罪 の寺 として の 国分 尼 寺 に は法 華 経 を配 置 させ, 五 穀 豊 穣,国 土 安 穏 を祈 願 す るた め転 読(抜 き読 み)さ せ た の で あ る。

こ う して金 光 明経 と法華 経 は,仁 王 経 と共 に,鎮 護 国 家 の 三 部 経 として愛 用 され,奈 良時 代 を通 じ て,最 も多 く生 産 され た。 と くに金 光 明 経 の影 響 が 大 き く,そ の結 果,奈 良仏 教 は平 面 的,装 飾 的,律 令 国 家擁 護 的 色 彩 が 濃 厚 に な る こ とを避 け られ ず,し か もそ う した 写 本 の生 産 の た め に,奈 良 時 代 の

30)

製 紙 の ほ とん ど す べ て を消 費 した の で あ る。

い ず れ に せ よ,以 上 の 観 察 を 通 し て,わ れ わ れ は 奈 良 時 代 の 写 経 生 産 に よ 飛鳥奈良時代における写経生産の経済137

(26)

っ て,ど の よ う な 仏 典 が な ん の た め に 作 ら れ た か を は っ き り知 る こ とが で

3i) き る 。

(4)製 品 写本 の物 的 形態

奈 良 時 代 写 経 製 品 につ い て,次 に は その物 的 な実 態 を確 認 しな けれ ば な ら な い。 幸 い これ まで の 写経 研 究 に よっ て,そ う した物 的 確 認 は か な り詳 細 に 記 述 され て い る。 それ に 出版 の 経 済 史 を指 向す るわ れ わ れ に とって,出 版 技 術 史 的 あ るい は文 化 史 的 に は重 要 な そ れ ら詳 細 は,必 ず し も同 じ様 な重 要 性 を もって い な い。 した が っ て,こ こで は,こ の時 代 の写 本 が,本 体 は タテ1 尺3寸(39.5セ ンチ)ヨ コ2尺3寸(69.5セ ンチ)の 手 抄 紙,毎 張17字24行

を書写 した もの を張 り継 ぎ,巻 子 本 として軸 と表 紙 を附 して巻 物 に仕 立 て ら れ た こ と,1巻 の平 均 は10な い し15張 で あ った こ と,紙 は,産 地,原 料,色, 染 料,形 状,用 途,品 質,加 工 過 程 の相 違 に よ っ て233も の 異 な る名 称 が 付

32)

され た ほ ど多 様 で あ った こ と くらい を確 認 して お け ば十 分 で あ ろ う。

1)箕 輪 成 男 「国 際 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン と し て の 出 版 」 『外 文 出 版 』 日 本 エ デ ィ タ ー ス ク ー ル 出 版 部,1993年 。

2δ4[Dρ07

伊 東 俊 太 郎 『比 較 文 明』 東 京 大 学 出版 会,1985年 。 1992年9月,NHKテ レ ビ放 送 に よ る。

田代 和 生 『書 き替 え られ た 国書 』 中公 新 書,1983年,123‑182頁 。 吉 村 武 彦 『古 代 王 権 の展 開』 集 英 社,1991年,118頁 。

木 宮 泰 彦 『日華 文 化 交流 史 』196‑197頁 。

旧唐 書 の倭 国 日本 伝 に は そ の 短 い本 文 中 に留 学 生 が あ る限 りの 金 を投 じ て 典 籍 を購 入 し持 ち帰 った こ とな ど,遣 唐留 学 生 等 の 動 きが よ く出 て い る。

『旧唐 書 倭 国 日本 伝 ・宋 史 日本 伝 ・元 史 日本 伝 』 岩 波 文 庫 版,1956年,39頁 。 8)木 宮 泰 彦 前 掲 書,197頁 。

9)石 田茂 作 『写 経 よ り見 た る奈 良時 代 仏 教 の 研 究 』 東 洋 文 庫,1930年,22‑23

(27)

頁 。

)))))¥)))01234567890121111111111222

木 宮 泰 彦 前 掲 書y198‑199頁 。 石 田 茂 作 前 掲 書,6‑7頁 。 同 上,42‑fit頁 。

寿 岳 文 章 『日 本 の 紙 』142頁 。 同 上,148‑149頁 。

同 上,173頁 。 同 上,172頁 。

小 野 則 秋 『日 本 文 庫 史 』 教 育 図 書 株 式 会 社,1942年,55頁 。 寿 岳 文 章 前 掲 書,155頁 。

同 上,147‑149頁 の 表 に よ る 。 同 上,151頁 。

同 上,151頁 。

般 若 と は,悟 り に い た る た め の 知 恵 で あ り,大 乗 仏 教 の 最 も基 本 的 な 原 理 で あ る一 切 皆 空 の 思 想 に よ っ て,悟 りの た め の 知 恵 を得 る こ とを 説 い た の が 般 若 経 で あ る。 従 っ て般 若 経 こそ大 乗 仏 教 の 中 心 的教 説 とい っ て よ い。 諸 説 が 加 え られ 大 般 若 経 は600巻 もの 大 部 の もの とな った 。 そ れ を要 約 した もの が 般 若 心 経 で あ る。

23)観 世 音 は,衆 生 が 現 実 生 活 にお いて遭 遇 す る あ らゆ る災 難 ・苦 難 か ら,た だ 観 世 音 菩 薩 の 名 を 唱 え るだ けで,即 座 に救 って くれ る救 世 の権 化 と し て, 大 乗 仏 教 に お い て重 要 な存 在 。 観 世 音 菩 薩 が 種 々 の 姿(普 門)を とっ て 示 現 す る様 を三 十 三 身 と数 え,そ こか ら西 国33箇 所 霊 場 等 の33と い う数 が 出 て い る。

24)僧 侶 の 守 るべ き戒 律 を示 した経 。

25)薬 師 は万病 を治 癒 し,人 の寿 命 を延 ばす こ と を本 願 とす る仏 。 日本 で は薬 師寺 建 立 に見 られ る よ う,奈 良 時 代 以 降,薬 師 信 仰 が 盛 ん で あ っ た。 延 命 に 対 す る人 々 の願 い の 強 さ を反 映 して い る。 密 教 時 代 に成 立 した 薬 師 経(薬 師 七 仏 本 願 経)を 書 写,読 請 し,ま た薬 師 悔 過 す る こ とが 流 行 した。

26)阿 弥 陀如 来 の 名 号 を一 心 不 乱 に唱 え れ ば,そ れ だ けで す べ て の 罪 障 を許 さ れ,浄 土 に往 生 す る こ とが で きる とす る阿 弥 陀 信 仰 は,古 くか ら行 わ れ た。

この教 え を説 く無 量 寿 経,観 無 量 寿 経,阿 弥 陀 経 の三 経 を浄 土 三 部 経 とい う が,そ の 中 で も,阿 弥 陀 経 は古 今 を通 じ最 も尊 重 さ れ た 経 典 の ひ とつ で あ る。

飛 鳥 奈 良 時 代 に お け る写 経 生 産 の経 済139

(28)

27)唐 代 に成 立 した般 若 経 典 の ひ とつ。 「空 」 の思 想 に最 終 的 解 釈 を与 え よ う とす る もの。 真 言 宗 で は最 も これ を重 ん じて い る。 松 長 有 慶 『理 趣 経 』 中公 文 庫,1992年 に詳 しい。

28)大 屋 徳 城 『寧 楽 刊 経 史 』 内外 出版 株 式会 社,1923年,9‑19頁 。

29)町 田 甲一 『大 和 古 寺 巡 礼 』講 談 社 学 術 文 庫,1989年,263頁 に金 光 明 経 は と くに 白鳳 時 代 に流行 した とあ る。

30)寿 岳 文 章 前 掲 書,147頁 。

31)石 田 茂 作 氏 は,『 写 経 よ り見 た る奈 良 朝 仏 教 の研 究 』 第 二 編 に於 い て,正 倉 院 文 書 に現 れ た寺 院,僧 侶 間 の 写 経 の 貸 借 記録 を分 析 し,南 都 六 宗 各 派 の 教 学研 究 の性 格,重 視 され た 主 要 註 釈 書 の 確 認 を行 って い る。 奈 良 仏 教 の盛 時 に お け る,各 宗 各 派 の研 究 活 動 が活 発 な もの で あ った こ とは,前 節(1)で 見 た よ う に,唐 か らの新 研 究 の 導 入 が極 め て迅 速 に行 わ れ た こ とか ら もわ か る が,そ れ に もか か わ らず トー タル と して は,写 経 の 生 産 は,実 用 よ りは呪 術 の た め で あ っ た。 石 田 氏 は,同 書 第 三 編 に お い て,写 経 所 に お け る経 生 と校 生,装 漬 の人 数 の 比 率 を分 析 し,奈 良 時 代 も後 期 に な る と,写 経 は実 用 か ら 讃 歎 の手 段 へ と転 化 し,装 飾 性 を増 す 。 天 平15年 に は,経 生 に対 す る校 生 の

率 が 最 高 に な るが,天 平 勝 宝4,5年 に は,校 生 の比 率 は半 減 し,代 わ っ て 装 横 が校 生 と伯 仲 す る ほ どに増 加 して い る とい う興 味 深 い事 実 を報 告 して い る。(同 書252頁)

5著 者

前 項 「製 品 」 で見 た よ う に}こ の 時代 に複 製 され た 経 典 は まず 第 一 に仏典 で あ り,付 随 的 に儒 教 漢 籍 で あ る。 その いず れ に お い て も,著 者 あ るい は訳 者 が 中 国人 や,中 国化 した西 域 人 で あ った こ とは い う まで もな い。 パ ー リ語 仏 典 の 中 国語 訳 に当 った有 名 な西域 人,鳩 摩 羅 什 や 安 世 高,中 国 人 の玄 笑 や 義 浄 とい っ た人 々 の 苦心 の作 を奈 良 時代 人 は無 報 酬 で 受 け入 れ た わ けで,こ

の時 代 で は,出 版 の 経済 的過 程 に,著 者 は まだ全 くか か わ る とこ ろが な か っ た。 儒 教 等諸 子 百 家 の作 品 につ い て も同 じで あ り,後 に別 稿 で見 る こ とにな

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