日本 人 の 中 国 観
「敗 戦 」 は そ れ を ど う変 え た か
田 畑 光 永
は じめ に
16世 紀 中葉 に欧 米 諸 国 との 接 触 が始 ま る ま で 、 日本 に とっ て の外 国 は朝 鮮 半 島 を もそ の 一 部 とす る 中国 世 界 の み で あ っ た。 も と よ りそ の 地 理 的位 置 か ら、 日本 列 島 に は先 住 民(が い た と して)の ほ か に大 陸 や 太 平 洋 の 島 々 か ら の渡 来 人 も混 住 して い る以 上 、 この列 島 とそ の周 辺 地 域 との往 来 、交 流 は古 くか ら不 断 に 続 い て来 た わ けで あ るが 、歴 史 時 代 に入 っ て 自分 た ち とは 違 う 社 会 と して意 識 され た の は 中 国世 界 の み で あ っ た と言 っ て い い 。
そ れ が いつ の 時代 に 、 どの よ うに始 ま った か は 明 らか で は な い が 、 中 国 の 史 書 に初 め て 日本 が登 場 す る の は 、前 漢 ・武 帝 の 時代(前2世 紀 中葉)を 描 い た漢 書 地 理 志 の次 の記 述 で あ る。
「夫 れ 楽 浪 海 中 に倭 人 あ り、 分 かれ て 百余 国 を なす 。 歳 時 を以 っ て 来 献す 、 とい う」
「来 献 す 」 とあ る以 上 、 自分 た ち よ りも強 い もの 、上 の もの とい う意 識 を 当 時 の倭 人 た ち が持 って 、 大 陸 に対 して い た こ とは 明 らか で あ る。 以 来 、 中 国世 界 は 日本 人 に とって 先進 文化 の供 給 地 、学 び の対 象 と して存 在 して きた。
時 に そ れ に反 発 す る こ とは あ っ て も(平 安 の 国風 文 化 の 時 代)、 ま た 中 国 世 界 の 一構 成 部 分 で あ る朝 鮮 半 島 の政 権 と格 付 け を争 うよ うな 場 面 が あ っ て も
(朝鮮 通 信 使 の 時 代)、 基 本 的 に そ の 関係 は変 わ らな か っ た。
そ うい う両 者 の 関係 に欧 米 とい う第 三者 が 登 場 す る の は 、16世 紀 中葉 以 降 の こ とで あ る。 そ の 新 た な接 触 が 織 田信 長 を経 て 、 豊 臣秀 吉 の朝 鮮 半 島へ の 出兵(16世 紀 末)と い う破 天 荒 な行 動 を生 ん だ の は 、後 の 歴 史 を考 え る時 に 示 唆 的 で あ る が 、 欧 米 との 関係 を どの よ うに構 築 す るか が 具 体 的 、 か つ 緊急 の課 題 とな っ た19世 紀 中葉 以 降 、 日本 人 の 中 国 世 界 に 対 す る 見方 は劇 的 に 変 化 す る。
1860年 、徳 川 幕 府 は米 国 へ 初 め て使 節 を派 遣 す る が 、 米 艦 ポー ハ タ ン号 に 乗 っ た 正 使 、 副使 とは別 に成 臨 丸 で 同行 した 福 沢 諭 吉 は 「日本 を 出 るま で は 天 下独 歩 、 眼 中 人 な し怖 い もの な し と威 張 って い た嘉 落 書 生 も、初 め て ア メ
リカ に来 て花 嫁 の よ うに小 さ くな っ て しま っ た」(『 福 翁 自伝 』)。
一方、1862年 、 西 洋 諸 国 との 交 易 の 可 能性 を探 る幕 府 の千 歳 丸 に 同乗 して、
清 国 の 上 海 に渡 った 長 州 藩 の 高 杉 晋 作 は 、 港 に林 立 す る欧 米 商船 の マ ス トと どこ まで も連 な る商 館 の 白亜 の 壁 に圧 倒 され る と同 時 に 、 そ の列 強 に カ で 押 さ えつ け られ て い る清 国 と清 国 人 の 姿 を見 て 、 危 機 感 を募 らせ た。
そ して 幕 末 の動 乱 期 、薩 長 土 肥 を 中心 とす る勢 力 は 「尊 王 擁 夷 」 を表 看 板 に して幕 府 軍 を破 り、 明治 維 新 政府 が成 立 す る が 、 そ れ は成 立 直後 か ら 「外 国 トノ和 親 」(勅 諭)を 掲 げ 、 欧 米 式 の 近 代 化 に ま い 進 す る。 そ の 際 の重 要 な課 題 で あ っ た不 平 等 条 約 の 改 正 を実 現 す るた め の前 提 と して近 隣諸 国 との 条 約 関係 の 整 備 を進 め る。
清 国 とは 欧 米 諸 国 か ら押 し付 け られ た 不 平 等 条 項 を互 い に相 手 に課 そ うと し、結 果 的 に は双 方 が 領 事 裁 判 権 を認 め合 う とい う 「日清 修 好 条 規 」(1871 年)を 締 結 す るが 、 鎖 国 政 策 と対 日警 戒 感 か ら交 渉 に応 じな い 李 氏 朝 鮮 に対
して は 、 政 権 内 部 に 「征 韓 論 」 さえ 台頭 す る。 そ れ は現 実 とは な らなか った が 、 そ の 後 、 軍 部 に よ る朝鮮 に対 す る武 力 挑 発(江 華 島 事 件 ・1875年)を 導 火 線 と して 、 高 圧 的 な 態 度 で き わ め て 不 平 等 な 「日朝 修 好 条 規 」(1876年) を締 結 させ る。
この 段階 で 中 国 世 界 を 文化 先進 国 と して振 り仰 ぐ伝 統 的 な観 念 は 欧米 文 化
の強 力 、華 麗 さの 前 に す っか り色 槌 せ て しま い 、 欧 米 へ の接 近 の 度 合 い を清 国 、朝 鮮 との優 劣 争 い の 基 準 と して 日本 は 自 らの うち に建 て る にい た っ た と 言 え る。
そ れ を世 論 の上 で リー ドした の は 、 も っ と も早 く欧 米 文 化 に直 接 触 れ た 一 人 で あ る福 沢 諭 吉 で あ っ た 。 福 沢 は 言 論 で 国 内 を リー ドした ば か りで な く、
朝 鮮 に対 して も改 革 派 の 金 玉 均 を通 じて 実 力 行 使 を とも な う政 変 の企 画 、 実 行 にふ か く関 わ り(甲 申政 変 ・1884年)、 そ の こ とが破 れ るや 、一 転 して朝 鮮 、 清 国 を文 明 に 取 り残 され 、 いず れ 亡 国 にい た るべ き遅 れ た存 在 と して 、 そ れ
と同列 に見 られ る こ と を拒 否 す るだ け で な く、欧 米 に倣 っ て 朝鮮 、 清 国 に対 す べ し とい う 「脱 亜 論 」 を世 に 問 うた の で あ っ た(1885年)。
そ う した風 潮 の 中 で 、 朝鮮 を清 国 の支 配 下 か ら奪 い 取 っ て 、 自 らの 支 配 の 下 に置 き 、南 下 す る ロシ ア へ の防 壁 とす る こ とが 当 然 の政 策 方 向 と して 定 着 し、 伊 藤 博 文 内閣 は朝 鮮 にお け る東 学 の 乱(1994年)に 際 して の 強 行 出兵 、 さ らに清 国軍 との 強 行 開 戦(日 清 戦 争)へ と突 き進 ん で い く。
この戦 争 に勝 利 した後 、 国 内 で は清 国 を軽 蔑 の対 象 とす る見 方 が 知 識 人 の み な らず 、庶 民 の レベ ル にお い て も定 着 す る。 福 沢 諭 吉 は 自伝 の最 後 で こ う 喜 ぶ 。
「とこ ろで 顧 み て 世 の 中 を 見れ ば 堪 え難 い こ と も多 い よ うだ が 、 一 国 全 体 の大 勢 は 改進 進 歩 の 一 方 で 、 次第 々 々 に上 進 して 、 数 年 の 後 そ の形 に顕 われ
あ りが た
た るは 、 日清 戦 争 な ど官 民 一 致 の勝 利 、愉 快 とも難 有 い とも言 い よ うが ない 。
さき
命 あれ ば こそ コ ンナ こ とを 見 聞す る の だ 、 前 に死 ん だ 同 士 の朋 友 が 不 幸 だ 、 ア ア 見 せ て や りた い と、毎 度 私 は泣 き ま した 」(『 福 翁 自伝 』)
また 、 明治 、 大 正 期 の ジ ャー ナ リス ト、 生 方 敏 郎 は 日清 戦 後 の庶 民 の 心 理 を こ う描 い て い る。
「あ ま りに 脆 く敗 北 した とい う事 実 が 、 日本 国 民 を してす っか り支那 を安 く値 踏 み させ た 。 爪 の長 い こ と、足 の 小 さい こ と(纏 足 … 引用 者)、 音 い こ と、 滑 稽 な豚 尾(辮 髪 … 同)等 が 、 す っ か り漢 人 や 唐 人 の 絵 を 見 て胸 に描
い て い た 我 々 の イ リ ウ ジ ョ ン を 打 ち 破 っ て し ま っ た 。 … 支 那 な ん ぞ 地 図 の 上 に ば か り大 き く て も 実 力 が な い 。 憎 く は あ る が 、 こ れ か ら の 若 い 者 は 西 洋 か ら物 を 学 ば な け れ ば な らな い 。 漢 文 よ り英 語 を 、 とい う考 え が 、 自分 の 将 来 ば か り見 つ め て い る神 経 質 な 少 年 た ち の 頭 に 来 た 」(『 明 治 大 正 見 聞 史 』 中 公 文 庫 版)
目清 戦 争 の 勝 利 で 、 清 国 か ら 当 時 の 国 家 予 算 の4年 分 も し く は そ れ 以 上 に も相 当 し よ うか と い う巨 額 の 賠 償 金 を 得 た 日本 は そ の ほ と ん ど を 軍 備 拡 張 に つ ぎ 込 み 、 ア ジ ア で 唯 一 の 軍 事 国 家 へ と成 長 す る。 そ して そ の 軍 事 力 を1941 年 の 太 平 洋 戦 争 突 入 ま で は 、1918年 に ロ シ ア 革 命 に 干 渉 して シ ベ リア へ 出 兵
した 以 外 、 も っ ぱ ら 中 国 大 陸 で 行 使 し た 。 義 和 団 事 変 へ の 出 兵(1900年)、
日露 戦 争(1904‑5年)、 青 島 占領(1914年)、 山東 出 兵(1927,28年)、 満 州 事 変(1931年 一)、 日 中 全 面 戦 争(1937年)で あ る。
こ の い ず れ に お い て も 日本 は 軍 事 的 に 敗 北 す る こ と は な か っ た 。 前 の3度 の 相 手 は そ れ ぞ れ 義 和 団 で あ り、 ロ シ ア 軍 で あ り、 ドイ ツ 軍 で あ っ て 、 中 国 軍 で は な か っ た 。 次 の2度 の 相 手 は 北 伐 途 上 の 国 民 革 命 軍 で あ り、 張 学 良 軍 で あ っ て 、 中 国 軍 で は あ っ た が 、 い ず れ も 日本 軍 と戦 う こ と を想 定 して い な い 時 に 、 日本 側 か ら軍 事 行 動 を し か け た も の で あ っ た 。
した が っ て 、 満 州 事 変 ま で は 日本 は 中 国 と戦 争 して 勝 っ た と い う よ り、 中 国 領 内 で 日本 が 軍 事 力 を 振 り回 し て 、 そ の 時 々 の 相 手 を 押 さ え っ け た り、 痛 手 を 与 え た り と い う結 果 に な っ た(ロ シ ア 軍 に は 完 勝 した と は 言 い が た く 、 ま た 北 伐 軍 は 日本 軍 と の 衝 突 の 後 、 戦 闘 を避 け て 北 上 した)の だ が 、 と に か
く敗 北 し な か っ た こ と が 、 日清 戦 争 後 に 生 ま れ た 中 国 蔑 視 を よ り強 固 な もの と し、 そ れ が1937年 、 戦 わ な け れ ば な ら な い 理 由 も な い ま ま に 「暴 支 麿 懲 」 の 掛 け 声 の も と、 日 中全 面 戦 争 へ と突 っ 込 ん で い く無 謀 さ を 生 ん だ と言 え る 。
し か し、 こ の 戦 争 に お い て は 、 中 国 側 は そ れ ま で 十 年 間 に わ た っ て 「掃 討 」 対 「抵 抗 」 の 争 い を 続 け て い た 国 民 党 と 共 産 党 が ま が り な りに も抗 日統 一 戦 線 を結 成 して 抵 抗 した 。 と な れ ば 、 た と え 個 々 の 部 隊 の 戦 力 に お い て 有 利 で
あ ろ う と、 自国 の領 土 の25倍 もの広 さを軍 事 力 で 制 圧 す る こ とは所 詮 不 可能 で あ り、 結 局 、 日本 軍 は広 い 大 陸 で 点 と線 だ け を抑 え た ま ま 、 戦 局 終 結 の方 途 を見 出せ な い状 況 に 陥 っ た の は必 然 で あ っ た。
そ の 局 面 を打 開 す るた め に 、 資 源 を求 め て 東 南 ア ジ ア へ の 南 進 を 図 る が 、 それ が 米 国 そ の他 を警 戒 させ た結 果 、 米 国 か ら 日本 軍 は 中 国 か ら撤 退 せ よ と い う要 求 を突 きつ け られ 、 日米 交渉 決 裂 、太 平洋 戦 争 へ とい う破 局 へ の シナ
リオ に進 む こ とに な る。
この よ うに 、19世 紀 末 か ら20世 紀 半 ば にい た る 日本 の 対 外 関係 の 歴 史 は 中 国 との 関 わ りを主 軸 に 展 開 して きた の で あ り、 それ は 目清 戦 争 で 生 ま れ た 中 国蔑 視 に も とつ く軍 事 力 優 先 主 義 で事 に あた る歴 史 で あ っ た。
1945年 、 日本 は 主 要都 市 を戦 火 で 焼 かれ 、 あ まっ さ え開 発 され た ば か りの 原 子 爆 弾 の投 下 実 験 場 と され る とい う、 ま さに完 膚 な き ま で に 叩 き の め され た形 で無 条 件 降伏 した。 物 的 損 害 は言 わず もが な 、 軍 民 あ わせ て の 犠 牲 者 は 310万 人 に 達 した と され る。 勿 論 、 そ こに い た る ま で に 日本 軍 に よ っ て 中 国 は じめ ア ジ ア 諸 国 が こ うむ っ た物 的 、 人 的 被 害 は 日本 の そ れ に数 倍 す る。
この よ うな 戦 争 終 結 は 、50年 間 日本 が抱 い て き た 、 自 らの み が 欧 米 へ の接 近 を果 た した ゆ え に 中 国 を は じめ ア ジ ア 近 隣 の 国 々 よ り優 れ て い る の は 自明 の こ と とい う中国 観 、 ア ジア観 を清 算 す る機 会 で あ っ た。
そ れ は どの よ うに行 わ れ た の か 、 い や そ れ 以 前 に そ れ は果 た して 行 わ れ た の か ど うか 、 が この 小 論 の主 題 で あ る。 主 題 の設 定 は この よ うに簡 単 で あ る が、 実 際 に説 得 的 な回 答 を得 る こ とは簡 単 で な い。 とい うよ り不 可能 に 近 い 。 多数 の 人 々 の 中 に あ る意 識 的 、無 意 識 的 な 中 国観 を、 掌 を さす ご と くに取 り 出す こ とは 不 可能 で あ る か らで あ る。
に も関 わ らず 、 あ えて この よ うな 主 題 を設 定 した の は 、 ほか で も な く最 近 の 日本 の 変 化 が尋 常 で な い と感 じ られ る か らで あ る。 中 国観 、 ア ジ ア観 の 清 算 が行 わ れ た か ど うか よ り以 前 に 、60年 前 に は 無 条 件 に 承認 され て い た 歴 史 事 実 、 た とえ ば 「日本 が 中 国 を侵 略 した 」 とい うよ うな こ とで さ え 、今 や 必
ず し も国 民 共 通 の認 識 とは 言 え な くな りつ つ あ る。 この 変 化 は な に に よっ て も た ら され た の か 、 それ を考 え る前 提 と して 、や は りこの 主 題 に な に が しか の解 を求 め た い の で あ る。
と りあ えず 手 が か りと して 、1945年(と46年 の一 部)の 新 聞(そ れ も物 理 的 な理 由 で 『朝 日新 聞』 に限 ら ざ る を えな か っ た が)に お け る中 国報 道 を分 析 した の が 、 この小 論 の 内容 で あ る。 も と よ り本 主題 につ い て は 、題 材 、方 法 いず れ に お い て も、 よ り広 汎 な探 求 が 必 要 で あ る こ とを認 識 しつ つ 、 この 小 論 を そ の 一 歩 と した い 。
(一)記 事 本 数 で 見 る敗 戦 前 後 の 中 国 報 道
内容 の 検 討 に入 る前 に 、1945年 ・ 日を は さむ 一 時 期 、 特 に敗 戦 後 を重 点 に朝 日新 聞 にお け る 中 国報 道 を 量 の 面 で お さ え て置 く。 対 象 期 間 は45(昭 和20)年 か ら47(同22)年 ま で の3年 間 、 そ れ を半 年 ず つ に 区 切 っ て 、 内容 別 に記 事 本 数 を掲 げ る。(分 類 項 目は 同紙 縮 刷 版 に よ る)
045年 上 半 年
・満 州 国
・蒙彊
・国府(南 京 の 江 兆 銘 政 権)
・華 北 政 務 委 員 会(日 本 の偲 偲 機 構)
・蒋 介 石 政 権
・同政 治
・同 国 防
・同対 外 関係
・延 安(共 産 党)政 権
・国 共 相 克 問題
十善口
3S 6 29
3 16 13 12 23 6 18 164本
045年 下 半 年
・中 国 全 体
・重 慶(蒋 介 石)政 権
・同 政 治
・同 軍 事
・在 華 米 軍
・対 外 関係
・マ ー シ ャ ル 米 特 使 動 静
・ソ(連)支(那)友 好 条 約
・中 共 政 権
・国 共 交 渉 ・内 戦 へ
・満 州 お よ び 同 地 で の 内 戦
・親 日政 権
・外 蒙
・香 港
046年 上 半 年
・中 国
・国 民 政 府
・同 政 治
・同 軍 事
・同 対 外 関 係
・同 対 米 関 係
・同 対 ソ 関 係
・中 共 政 権
・政 治 協 商 会 議
・国 共 内 戦
計
60366398561875鉢34122211519
ゴ■00 72282988111⊥り41⊥り0丑0
・マ 特 使 動 静
・ソ連 の 満 州 施 設 撤 去 問 題
・満 州 争 奪 戦 終 結 へ
・親 日戦 犯 処 刑
・外 ・内 蒙
・香 港
046年 下 半 年
・中 国
・国 民 政 府
・同 蒋 介 石 主 席
・同 国 民 大 会 開 催
・同 政 治
・同 軍 事
・同 対 外 関 係
・同 対 日
・同 経 済
・中 共 政 権
・国 共 内 戦 激 化
・国 府 軍 延 安 を 爆 撃i
・国 共 和 平 交 渉
・第 三 勢 力 国 共 間 を 斡 旋
・国 府 軍 停 戦 令
・満 州 関 係
・マ 特 使 の 活 躍
・盧 山 会 談 と三 人 委 員 会
・五 人 委 員 会
十一言口
11 47 50 16 5 1 308本
899327924665668881613117131211
・米 機 撃 墜 と在 華 米 軍 襲 撃
・親 日戦 著巳裁 半IJ
O47年 上 半 年
・中 華 民 国
・国 共 戦 線
・反 戦 デ モ
・国 民 参 政 会
・中 国 共 産 党
・対 外 関 係
・旅 順 大 連 接 収 問 題
・新 彊 事 件
・経 済
・戦 争 犯 罪 人
・社 会
・台 湾
・台 湾 事 件
047年 下 半 年
・中 華 民 国
・四 中 全 会
・国 共 戦 線
・戦 闘
・国 府 対 中 共 総 動 員 宣 言
・中 共 軍
・ウ ェ デ マ イ ヤ ー 特 使
十善ロ
計
計
本
00ρ0711⊥匿﹂
3
9143153022324[﹂01⊥9山噛⊥‑⊥1本 39 2
本04839240ΩU£U711
この 表 か ら見 て とれ る の は 、 敗 戦 直 前 の45年 上 半 年 に お け る中 国報 道 が意 外 に 少 な い こ とで あ る。 しか も計164本 の 内 、親 日の 満 州 国 、 蒙 彊 、 国 府 、 華 北 政務 委 員 会 関係 の76本 は い わ ば身 内 の こ とで あ り、 敵 と して の 中国 につ い て は88本 にす ぎ な い 。15年 戦 争 の 発 端 が満 州 事 変 で あ り、37年 か らの 日中 全 面 戦争 が 太 平 洋 戦 争 へ とつ な が っ た こ と を考 え る と、 こ の数 字 は 奇妙 で あ
るが 、 そ の理 由 と して は 二 つ の こ とが 挙 げ られ る だ ろ う。
一 つ に は この年 の 戦 局 の焦 点 はす で に フ ィ リ ピン か ら硫 黄 島
、 沖縄 、 さ ら に本 土 へ と迫 っ て くる太 平 洋 戦線 で あ っ て 、 そ こ に 国 の 運命 が か か っ て い た か ら当然 の こ と と して 関 心 は そ ち らに集 ま って い た こ と。
二 つ に は戦 争 の性 格 につ い て 、 日本 と中国 が 戦 っ て い る ので は な く、 ア メ リカ のせ い で 日本 と中 国 は戦 わ され て い る、 あ る い は 日本 とア メ リカ が戦 っ て い る横 に 中 国 が い る とい っ た 受 け止 め方 が 広 ま っ て い た こ と。 それ は 中国 に対 す る 関心 の低 下 を物 語 る。
た とえ ば この年 元 旦 の紙 面 に は 中 国 に つ い て は た っ た 一 本 の記 事 しか載 っ て い な い。 そ れ は2面 に[南 京 発 同 盟]電 で 、 日本 が 南 京 に つ く った 偲 偏 政 権 の 主席 だ っ た江 兆 銘 氏 の未 亡 人 、 陳 壁 君 女 史 が 「比 島 の決 戦 場 に必 勝 の翼 を送 っ て頂 き た い 」 と五 百 万 元 を支 那 派 遣 軍 総 司令 部 に 献 金 した とい う6行 の短 信 で あ る。
と こ ろが敗 戦 とな っ た 後 、 中 国 関係 の記 事 は俄 然 増 え る。 戦 後 、急 激 に 国 民 党 と共 産 党 の 間 の 緊 張 が 高 ま り、 内戦 の危 機 が 迫 っ た か らで あ る。 本 稿 の 主題 とは 直接 関係 な い が 、 こ の 頃 の 国 共 両 党 関係 に つ い て の 記 事 はお お む ね 客観 的 で あ り、 冷 静 で あ る。 日中 開 戦 時 に 「暴 支 麿 懲 」 とい う政府 の ス ロー ガ ン を担 ぎ ま わ っ て 、 い た ず らに 中 国 をの の し り、 国 民 党 政 権 を軽侮 す る記 事 を 書 き ま くっ た の と比 べ る と、 自 らは敗 戦 後 で あ り、 ま た 日本 とは 関係 な い第 三者 同士 の争 い とい うこ とを考 慮 にい れ て も、 そ の冷 静 さか ら逆 に 開 戦 時 の新 聞 の あ り方 が いか に異 常 で あ っ た か に 思 い を致 さな い わ け に は い か な
い 。
国共 の 妥 協 か 内 戦 か を 中心 と して 、 中 国 関係 の 記 事 が 多 い 状 況 は 翌46年 ま で続 く。 ま た46年 に は 中国 か らの帰 国者 が 戦 後 の 体 験 な ど を語 る記 事 や 、東 京 国 際 軍事 法 廷(東 京 裁 判)で 日中戦 争 につ い て 国民 の知 らな か っ た事 実 が 証 言 され て記 事 に な る こ とが 多 くな る。
(二)敗 戦 直 前 の 中 国 関係 記 事一 一 「真 の 敵 は ア メ リカ 」
45年 元 旦 に は6行 の 記 事 が1本 だ け だ っ た こ とは前 述 した が 、 翌2日 に は1 面(こ の 頃 の 新 聞 は 原 則 と して1枚 の 両 面 、 つ ま り2面 しか な い)題 字 下 の
「海 外 探 知 機 」 とい う欄 に 、 当時 、 重 慶 政 権 の 蒋 介 石 が憲 法 制 定 に動 き始 め た こ とを伝 え る次 の記 事 が登 場 した 。
「蒋 、 憲 法 制 定 を宣 誓 △蒋 介 石 は 三 十 一 日夜 、 重 慶 国民 に対 し憲 法 制 定 を宣 言 した が 、 そ の 要 旨次 の 通 り。 重 慶 は 本 年 中に 憲 法 を制 定 す るた め 国 民議 会 を召 集 す る準備 を進 め な けれ ば な らぬ。 余 が今 や 国 民 議 会 を招 集 す る の は 戦 争 の 終 結 まで 待 つ 必 要 が な い と感 ず る に至 っ た か らだ 。 よっ て 余 は 戦 争 行 為 終 結 後 一年 以 内 とい う従 来 の 原 則 に 変 わ り、重 慶 の 軍 事 的状 態 が 安 定 し、 重 慶 軍 が反 攻 作 戦 を 開始 し うる に 至 るの を待 っ て 直 ち に 国 民議 会 を招 集 し、 政 権 を 国 民 党 か ら人 民 の 政府 に委 譲 し うるや う憲 法 を制 定 す る措 置 を 党 中央 委 員 会 に提 案 す る で あ ろ う。(リ ス ボ ン 同盟)」(引 用 者 注 ・ ・リス ボ ン は 当時 、邦 人 記者 が駐 在 で きた数 少 な い 西 欧 都 市 で あ る。 なお この 当時 の新 聞記 事 は 旧仮 名 遣 い で 、 か つ 句 読 点 が少 な く、 ま た句 点 を読 点 で 代 用 して い
る場 合 も多 い 。 読 み や す さ を考 え て 、 随 時 句 読 点 を補 っ た) この記 事 に は以 下 の 「註 」 が つ い て い る。
「… 右 は重 慶 独 裁 、 専 制 に対 す る米 英 側 の論 難 を緩 和 せ ん た め蒋 介 石 の行 っ た措 置 で あ り、 一 方 これ に よ り重 慶 側 民 衆 の抗 戦 意 識 をつ な ぎ とめ ん と した もの で あ る。 今 回 の 蒋 の 宣言 は 十 二 中全 会 決議 を さ らに 敷 衛 し、加 重 苦難 の た め戦 意 を喪 失 しつ っ あ る 国 民 の 士気 昂 揚 を図 らん と した もの で あ り、
蒋 の焦 慮 ぶ りが 看 取せ られ る」
最 後 の部 分 は い か に も戦 中 ら しい こ じつ けで あ る が 、 冷 静 に読 め ば蒋 介 石 が す で に戦 後 を に らん で動 き始 め た こ とが わ か る記 事 で あ る。
45年 年 頭 の記 事 を も う少 し見 て お く と、3日 に は1面 下段 にベ タ で 南京 の 国 府(親 日政 権)陳 公 博 ・行 政 委 員 長 と満 州 国 の 張景 恵 ・国 務 総 理 の戦 争 勝 利 を誓 う談 話 が あ り、2面 に は 「明 朗 敢 闘 大 陸 版 」 とい う中 国 戦 線 の 軽 い 話 題 を集 め た 企 画 が あ り、 そ の 中 に 「敵 鬼 の"皇 軍 慰 問"」 とい うタ イ トル の記 事 が あ る。
「『けふ は皇 軍慰 問 は ま だ か い な』 『雨 天 順 延 だ ろ う』 あ る警 備 隊 で 耳 に挟 ん だ この 珍 問 答 、皇 軍慰 問 は 毎度 や っ て くる米 空 軍 に わ が将 兵 が奉 っ た別 名 で あ る。 敵 の 落 下傘 爆 弾 の ナ イ ロ ンは冷 い の さえ我 慢 す れ ば結 構 揮 にな る し、
焼 夷 弾 の 蓋 は ち ょっ と細 工 す れ ば ス キ焼器 と して 、 重 慶 軍 十 八番 の 地 雷 の容 器 と甲 乙 を 決 し難 い 逸 品 。 『皇 軍 慰 問 』 の名 前 も決 して負 け惜 しみ のみ とは い はれ な い。 真 の敵 が在 支 米 軍 とい うこ とが 将 兵 一 人 々 々 の骨 の 髄 ま で滲 み 込 ん だ苦 しい 大 陸 の 一 面 で は あ っ た が 、呑 敵 の気 魂 は か くの ご と く、 大 陸 の 将 兵 は 明 朗 に敢 闘 して い る」
負 け惜 しみ で な い と言 い つ つ 、 ふ ん ど しや 鍋 に も事 欠 く状 況 で あ る こ とが 、 問 わ ず語 りに 明 らか に され 、 「真 の敵 が在 支 米 軍 」 の 一 句 は、 米 軍 さえい な けれ ば戦 い は 楽 な の に 、 とい う戦 争 観 を反 映 して い る。
2月1日 は 珍 し く 中 国 戦 線 が トップ 記 事 に 登 場 す る。 「尋 漢 線 打通 な る 南 下 、 北 進 両部 隊 連 絡 」 とい う見 出 しで 、 広 東一 武 漢 間 の 鉄 道 を 南北 か ら挟 む 形 で確 保 した こ とを伝 えて い る もの で 、 前 日の 大 本 営 発 表。 そ の 関連 記 事 が2面 に あ り、 そ ち らが な か な か 興 味深 い 。 「南 支 軍 堂 々 の北 上 」 とい うキ ャ プ シ ョン の写 真 つ き の記 事 で あ る。
「敵 陣 を 指 さ す住 民 、 昂 ま る 皇 軍 へ の信 頼 続 出 す る逃 亡 兵 敵 軍 の三 割 は徴 用 の 老 兵 」 〔英 徳 に て 中澤(本 社 特 派 員)報 道 班 員 三 十 日発 〕
「英 徳 に近 い 螺 藤 とい ふ 部 落 に入 った とき の こ と、 白梅 の咲 き こぼれ る庭 先 で一 人 の 老 婆 が落 着 い た顔 で ニ コニ コ見 送 っ て い た。 わ れ われ の傍 に い た
情 報 班 の 中尉 が広 東 語 で 挨 拶 を した ら、『ど う して こん な に 同 じ よ うな顔 を した もの 同 士 が 戦 争 を しな け れ ば な らな い の か 』 と反 問す る で は な い か。
『ア メ リカ 軍 が い るか らだ よ 、 お ば あ さん 』 若 い そ の 将校 は こん な 田舎 で し か も こん な 老 婆 か ら意 外 な言 葉 を 聞 か され て も う感動 して しま った 。 兵 隊 さ ん もみ ん な び っ く り して い た。 … 」
こ こに もま た 米 軍 が 登 場 す る。 戦 争 末 期 、 中 国 で の軍 事行 動 の 意 味 が ま っ た くわ か らな くな り、 そ れ を米 軍 の存 在 に転 嫁 す る の が指 導方 針 で あ っ た こ とが うか が わ れ る。 現 に 太 平 洋 戦 線 で は 米 軍 の猛 攻 で 、 日本 軍 は後 退 を続 け て お り、 苦戦 の 原 因 は す べ て 米 軍 とい う図 式 が わ か りや す か った こ とは 事 実 で あ ろ う。
しか し、 そ れ は 同時 に 中国 と戦 争 を始 めた こ とが す べ て の発 端 で あ る こ と を曖 昧 に して い る。
そ の 後 も中 国 に 関す る大 きな 記 事 は対 米 関係 を め ぐる もの が 多 い 。
4月30日 の1面 左 下 に は1月2日 の 記 事 の続 報 と も言 うべ き 「憲 政 実 施 ・蒋 の 狙 ひ 」 と題 す るか な り長 文 の記 事 が 載 っ た が 、 「桑 港 会 議 へ の お 膳 立 て 迫
られ た 空 手 形 の 清 算 」 とい うサ ブ見 出 しの 下 に 以 下 の 原 稿 が続 く。
「わ が 軍 の 支 那 大 陸 大 縦 断 作 戦 成 功 に 拍 車 され た重 慶 政 権 の 危機 は 昨 年 末 各 国 の 重慶 特 派 員 に よっ て 流 布 され た"重 慶 政 権 六 十 日説"と い っ た赤 信 号 に見 られ たや うに動 きの とれ な い どた ん 場 に 立 た され て ゐ た の だ が 、 最 近 重 慶 は レ ド公 路 の 打 通や 世 界 戦 局 の進 展 に幾 分 気 を よ く した も の か 、 専 ら戦 後 問題 と将 来 の 空 手 形 に よって 治 下 民衆 を抗 戦 に ひ きず ら う と して ゐ る よ うだ 。 戦 後 四 大 強 国 の 一 とな る夢 は も とよ り、 安 全保 障 だ とか 工 業 建 設 だ とか 数 多 い題 目の 中で 、 い ま盛 ん に重 慶 側 で 論 議 され て い る憲 政 実 施 問題 は 重 慶 側 の い は ゆ る"国 内 統 一"の 前 提 で あ る と と も に 内外 の複 雑 な矛 盾 を包 蔵 して い
るだ け に 、 これ が 空 手 形 に 終 わ るか ど うか 注 目に値 す る。 … 」
こ の後 、 記 事 は 「内 外 の複 雑 な矛 盾 」 と して 、 「重 慶 政 権 を 意 の ま ま に 操 縦 せ ん とす る米 の 野 望 と これ に反 発 す る国 民 党 強 硬 分 子 との 妥 協 、 軋 礫 」 を
指 摘 し、 次 の よ うに続 く。
「米 は さ し迫 っ た対 日反 攻 の 一 翼 と して 重 慶 、延 安 間 の 対 立 を解 消 して大 陸 にお け る総 反 攻 を実 現 せ ん と し、 この た め に は 国 民 党 の独 裁 を排 除 して民 主政 体 に塗 りか へ 、延 安 との 連 立政 権 を 実 現せ ん と夢 み て ゐ る」
5月5日 に は 「米 蒋 合 作 そ の後 」 とい う[上海 特 電]が これ もか な り長 文 で登 場 す る。
「昨 年 来 ア メ リカ の対 支 態 度 は重 慶 延 安 を巧 み に利 用 し、 と も ど もに対 日 戦 に立 ち 向 か はせ ん とす る に あ っ た が 、今 回 ア メ リカ が 明 らか に した 重慶 支 持 の 切 札(引 用者 注 ・ ・米 が 延 安 へ の武 器 供 与 を停 止 した こ と)は 更 に政 治
的 に重 慶 を対 日戦 に 引 き 出 さん とす る野 望 に ほ か な らな い」
これ らを通 じて 、戦 争 末 期 に お い て は 、 日中戦 争 は 日米 戦 争 の付 属 品 と意 識 され て い た こ とが は っ き り と見 て取 れ る。 これ が敗 戦 後 にお い て 日本 は米 国 には 負 け た けれ ど も、 中 国 に負 け た わ けで は な い とい う意 識 を生 み 、 い わ ゆ る歴 史 問 題 に対 す る 日本 国 内 の一 部 の意 識 に微 妙 に影 響 して い る と考 え ら れ る。
さて 、 日本 の敗 戦 が い よい よ近 づ くにつ れ 、 中国 国 内 で は 国共 両党 の対 立 も激 しさ を増 して くる。 そ して 日本 の 新 聞 も こ の両 者 の 対 立 の根 源 に 目を 向 け る。
7月20日1面 、 「民 衆 組 織 基 盤 に抗 争 重 慶 の 他 力 本 願 衝 く延 安攻 勢 」 [北京 十 九 日発 同 盟]「 … 蒋 介 石 の か か る他 力 本 願 に対 し延 安 の抗 戦 力 は 自力 中心 で 、 毛 沢 東 の新 民 主 々義 を基本 と して そ の独 特 の 自主性 を昂 揚 し つ つ あ る。 …
米 国 へ 身 売 りを急 ぐ蒋 介 石 が 民 心 の離 反 を食 止 め る為 に打 っ 各種 の 彌縫 手 段 に 対 し延 安 は村 政府 、県 政 府 、 区政 府 、 辺 区政 府 と一 貫 せ る政 治 機 構 を通 じ各 種 の 救 国 会 を 結成 、 自衛 民 衆 組 織 を確 立 す る と共 に 二 百 五 十 万 の民 兵 組 織 を形 成 し、 老 人 か ら幼 児 にい た るま で適 当に これ を配 置 して い るので あ る」
7月23日1面 、 「延 安垂 誕 の的 都市 民族 資本 農 村基 盤 か ら対重慶 新攻勢 」
[北 京 二 十 二 日発 同盟]「 … 一 、 重 慶 延 安 の 経 済 的 基 盤 延 安 は農 村 経 済 の把 握 にお い て遥 に重 慶 に 卓越 し、 重 慶 は 都 市 民族 資 本 の把 握 に お い て延 安 よ り優 っ て い る。 … 一 、 重 慶 経 済 の脆 弱 性 大 体 重 慶 の 民族 資 本 の 主 流 を な す も の は所 謂 宋 一 門等 の米 資本 で 独 自の 意 思 を持 た ぬ の み か 、 米 国 資 本 に隷 属 して ゐ るの で専 ら利 益 を 追 うに汲 汲 と して い る。 従 っ て 民族 自主 の 主観 的 動 機 か ら出発 した 抗 日を米 国 資 本 の利 益 に結 び つ け る重 慶 は か う した 資 本 力 を把 握 す る こ とに よっ て政 権 を維 持 して ゐ る だ けに 国 内的 に は頗 る脆 弱 な もの で あ る。 これ に 反 し延 安 の農 村 経 済 は 純 粋 な土 着 経 済 で あ り、 貧 し
く とも 自主 的 で あ り外 国資本 の 製肘 は究 極 に お い て農 民搾 取 を もた らす を以 っ て農 村 経 済 の 立 場 が この 外 国 資 本 の手 先 で あ る買 弁 資 本 に反 擬 す る の は 当然 で あ る。 将 来 か か る農 村 経 済 を把 握 す る も の が延 安 で あ る か或 は重 慶 とな る か は 予 断 出来 な い が 、楡 延(重 慶 と延 安 の 意 。 楡 は重 慶 の別 称 … 引用 者) 交 渉 今 後 の発 展 の 関係 は ま さ に こ こに あ ら う。 … 」
この2本 の 記 事 は 同盟 通 信 の 同 一 記 者 の筆 に な る と思 われ る が 、 自国 の 無 条 件 降 伏 ま で あ と一 ヶ月 もな い 段 階 で あ る こ とを考 えれ ば 、そ の 冷 静 な筆 致
に驚 く。
国 共 両 党 の 対 立 は7月 末 に 国 民 党 側 が 西 安 北 方70キ ロ 、延 安 の 守 備 地 域 で あ る淳 化 、耀 県 地 区 に攻 撃 を仕 掛 け、激 しい 戦 闘 を展 開 す る に 至 っ た 。7月27
日1面 は この 衝 突 を 「重 慶 、 胡 宗 南 軍 出 撃 延 安 軍 本 拠 に 攻 勢 激 闘 三 日、
停 戦 の 兆 しな し」 と地 図 つ き で 報 じ、 さ ら に 「延 安 政 権 の狙 ひ 」 「痛 し痒 し の重 慶 」 と特 派 員 の解 説 記 事 を加 え て い る が 、 興 味 深 い の は、8月6日 の 「楡 延 内 戦 の限 度 」 と題 す る社 説 で あ る。
この 社 説 は 国 共 双 方 とも に背 後 の黒 幕(米 ソ)に 動 か され て い る の だ と論 じ、
「従 っ て抗 日支 那 に 於 る 内戦 の続 発 は 決 して 和解 の折 衝 を挫 折 せ しむ る も の で は な い。 和 解 の折 衝 が 重 ね られ て ゐ る折 か らだ け に却 っ て 内戦 を発 生 せ
しめた の で は あ る ま い か。 武 力 衝 突 の激 発 直 ち に 両 者 の全 面 的 な武 力 抗 争 に
ま で 拡 大 発 展 す るで あ ら うといふ が如 き希 望 的 観 測 に 堕す る こ とは この 際厳 に 戒 め な くて は な らぬ 」
と説 く。 この段 階 で 中 国 内部 に衝 突 が 起 こ っ た こ とを喜 ぶ よ うな心 の余 裕 が 日本 国 民 に あ っ た と も思 え な い が 、 とに か く この よ うな警 告 を発 して い る。
この 日、広 島 に原 爆 が 投 下 され た。
(三)敗 戦 直 後 の 中 国 関係 記 事 一 一 敗 戦 を ど う受 け とめ た か
8月16日 、 つ ま り敗 戦 の 翌 日の紙 面 に 「死 せ ず 『亜 細 亜 の 魂 』 東亜 解 放 の 途 へ 団 結 」 と題 す る約80行 の記 事 が 載 っ て い る。1面 の左 下 、 「阿南 陸 相 自刃 す 」 の 記 事 の 隣 に 置 かれ た この 文 章 は 、 日本 の 敗 戦 が ア ジ ア の前 途 に ど
う影 響 す るか を論 じた もの だ が 、 そ れ ま で の 日本 の 政 策 を反 省 す る とか批 判 す る とか で は な く、 そ れ ま で の政 策 に な ん とか つ じつ ま合 わ せ を して 、新 事 態 につ な げ よ うと して い る。 つ ま り、 一 連 の戦 争 は米 英 か らの ア ジ ア解 放 の 戦 い で あ り、 不 幸 に して 敗 れ た が 、 ア ジ ア は な お 団 結 しな けれ ば な らな い 、
と呼 び か けて い る。 戦 後 の 「初 物 」 な の で 、や や 詳 しく紹介 してみ よ う。
「大 東 亜 戦 争 の終 結 と と もに 、 大 東 亜解 放 の理 想 も潰 えた 。 日本 国 民 の辿 るべ き道 が 筆 舌 を絶 す る苦 難 に満 ちて ゐ るや うに、 大 東 亜諸 民 族 のそ れ も同 じ く荊 棘 の 途 で あ ら う。 しか し大東 亜 戦争 に よ って 点 ぜ られ た 有 色 人 種 覚 醒 の 火 は不 滅 な もの で あ る。 この戦 争 の 結果 は恐 ら く、 外 面 的 に はア ジ アの 奴 隷 化 に拍 車 をか け る点 、 に もか か は らず 内面 的 に は ア ジ ア の 覚 醒 に偉 大 な 貢 献 を な した 点 に存 す る で あ ら う。(中 略)」
こ の よ うに 戦争 を肯 定 した 後 、 中 国 を論 じる。
「現在 こそ勝 利 国 家 群 の 末 席 に列 な っ て ゐ る重 慶 支 那 で あ るが 、 そ の延 安 に 対 す る 関係 は 、 支 那 の 内 部 問 題 た る と同 時 に 国 際 的性 格 を も ち、 この狂 瀾 怒 涛 に翻 弄 され る支 那 民 衆 の 姿 は、 勝 利 国 の名 とは お よそ 縁 遠 い もの で あ ら
う。 い な 、 同胞 相 殺 鐵 す る凄 惨 は、 国外 か ら、 国 内 か ら操 る糸 が は っ き り し て ゐ るだ け 、一一層 目を蔽 わ しめ る も の が あ るの だ 。(中 略)」
中 国 を勝 利 者 と認 め た くな い 気 持 ち が あ りあ り と うか が われ る。 そ して そ の理 由 は 中国 内部 の 国共 の対 立で あ り、 そ の不 幸 を嘲 笑 して い る気 味 が あ る。
そ の 上 で 自 らの 「誤 謬 」 に触 れ る。
「率 直 に い っ て 、 わ が 大東 亜 政 策 は過 去 幾 多 の 重 大 な 誤 謬 を犯 した。 に も か か は らず 大 多数 の東 亜 諸 民 族 が我 々 に 協 力 を惜 しまな か っ た の は 、 自 由 と 解 放 へ の熱 意 が い か に強 か っ た か を 明示 す る もの に ほか な らな い 。 ま た 米 英 が い か に ア ジ ア の 団 結 を怖 れ た か は 、 か れ ら伝 統 の 分 割 統 治 政 策 に渾 身 の 努 力 を傾 け 、 い や し く も買弁 的 性 格 を有 す る もの に 対 して は あ らゆ る援 助 を与
えて 惜 しま な か った 一一事に も露 呈 して い る。(中 略)」
言 外 に米 英 の 対 蒋 介 石援 助 さへ な けれ ば 、 とい う 口惜 し さが に じみ 出 て い る。
「かつ て 日露 戦 後 、 同 じ く解 放 へ の熱 望 に燃 え る支 那 の 国 民 的 要 請 を我 々 が 正 確 に把 握 しなか っ た とこ ろ に 、そ の 後 にお け る東 亜 の悲 劇 の発 端 が あ っ た。 だ が我 々 は あ くま で ア ジア を救 う唯 一 の 道 が ア ジア の 団結 に あ る こ とを 信 じ、 そ して 途 上 に来 るべ き幾 多 の試 練 を克 服 し抜 か ん こ と を期 す る もの で
あ る。」
これ が 結 び で あ るが 、 「日露 戦 後 … 」 の くだ りは文 意 不 明 で あ る。 こ の時 期 、 つ ま り20世 紀 初 頭 は 清 朝 の衰 亡 、 辛 亥 革命 、哀 世 凱 の 権 力 掌握 、第 一 次 大 戦 と続 くの だ が 、 第 一一次 大 戦 で は 日本 は 山東省 の青 島 を攻 略 して 、 ド イ ツ の 権 益 を奪 い 、哀 世 凱 に21か 条 要 求 を突 きつ け た。 中国 人 の 「国 民 的 要 請 を正 確 に把 握 しな か っ た」 とい うの は 、 これ らの こ とを指 して い る の だ ろ うか 。 これ らは ま ず か っ た が 、満 州 事 変 以 降 は正 しか った とい うの で は つ じ っ ま が 合 わ な い。
次 に 中 国 の ニ ュー ス が記 事 と して初 め て 登 場 す る の は22日 で あ る。 この 日 の1面 トップ は 「連 合 軍 の第 一 次 進 駐 二 十 六 日厚 木 へ 空 輸 横 須 賀 へ 艦 船 部 隊 」 で あ る が 、 そ の 下 段 に 「太 原 付 近 で 楡 延 衝 突 朱 徳 の 対 蒋 提 議 内 容 」
とあ る。
翌23日1面 左 下 に 「対 外 政 策 の座 標 道 義 に立 つ 国 際 協 調 血 で 学 ん だ 対 支 新 政 策 」 とい う130〜140行 の 評 論 風 記 事 が 掲 げ られ た 。 「外 交 権 が な く な った とは い え、 対 外 政 策 は 存 在 す る。 そ こで第 一 に 念 とす べ きは 国 際協 調 で あ る」(要 旨)と しつ つ も 、 「大 戦 の 結 果 、世 界 は ア メ リカ 的 勢 力 圏 と ソ連 的 勢 力 圏 に分 割 され た。 この 両 者 か らの激 浪 が わ が 国 土 を侵 す こ とを覚 悟 せ ね ば な らな い」(要 旨)と 指 摘 した 後 、 「対 支 政 策 の急 転換 」 とい う小 見 出 し
を立 て て 、次 の よ うに論 じる。
「こ の 際 われ らは 支 那 の現 実 をか か る意 味 にお い て 冷 静 に直 視 し、現 在 支 那 の耐 えつつ あ る同 じ苦 悩 が 明 日の 日本 に激 しい渦 とな って訪 れ るこ とを はっ き り知 らね ば な らな い 。 か か る視 野 に 立 って 考 え うる第 二 の 点 は対 支 政 策 の 急 転 換 で あ る。 われ らは過 去 にお い て 支那 に対 し幾 多 の過 誤 を を か した。 い ま最 も緊 要 な こ とは 対 支 政 策 に 対 す る痛 烈 な反 省 で あ ら う。 支 那 事 変 は血 を もっ て わ が 国民 に支 那 を学 ば しめた 。 一 昨年 一 月 廟 議 決 定 を見 た対 支 新 政 策 の基 本 は 、 当時 の情 勢 にお い て 、 不 徹 底 な る表 現 を免 れ な か っ た し、 か つ そ の後 そ の 実 行 は文 字 ど ほ りに は不 可 能 で あ った が 、そ の根 本 精 神 が支 那 の 民 族 的 自決 権 を認 め 、 一切 の 租 界 並 び に不 平 等 条約 を撤 廃 す る こ とに よ る支 那 の解 放 とい う方 向 に従 っ て 新 た な 日支 友 好 の 関係 を設 定 せ ん とす る精 神 に 根 ざ して ゐ た こ とは認 め られ て よ い で あ ら う。 しか もか か る精 神 は 数 多 の彼 我 国 民 の 血 潮 を流 した 戦 野 か ら芽 生 え た こ とは 明 か で あ る。 支 那 は い ま わ が 国 に戦 勝 者 と して 臨 ん でい る。 しか し、 われ らの解 す る と こ ろ で は 、世 界 史 発 展 の過 程 にお い て 、 日本 と支 那 は 今 や 同一 の 陣 列 に 立っ 基 盤 を得 た と見 る の で あ る。」
記 事 は この 後 、 「国 民 外 交 へ の 要 望 」 と して 、 「世 界 性 を もつ こ と」 「徹 底 した 誠 実 の 精神 」 「毅 然 た る 民族 的 信 念 の把 持 」 を唱 え て締 め く く られ るが 、 検 討 す べ きは 引 用 した 「対 支 政 策 の急 転 換 」 で あ る。
こ こ に は 「幾 多 の 過 誤 」 「痛 烈 な反 省 」 「 「血 を もっ て 国 民 に支 那 を学 ば し め た 」 「彼 我 国 民 の 血 潮 を流 した 戦 野 」 とい っ た 言 葉 が 連 ね られ て い るが 、
それ らは 自 らの過 ち を 自認 す る もの で あ っ て 、 中 国 あ るい は 中 国 国 民 に 対す る謝 罪 の意 は 感 じ取 れ な い。 俗 な 言 葉 で い え ば 、 「ま ず か っ た 、 失 敗 した」
と 自 らに言 い 聞 か せ て い るだ けで 、 「悪 か った 、 申 し訳 な か った 」 で は な い 。 43年1月 の 「対 支 新 政 策 」 は 中国 の民 族 的 自主 権 を認 め 、租 界 と不 平 等 条 約 の 撤廃 を根 本 精 神 と した もの だ と、 あ た か も戦 中 か ら 日本 政 府 は 戦 争 政策 を反 省 し、 転 換 して い た か の ご とき 口ぶ りだ が 、 この 新 政 策 な る も の は じつ は{鬼偏 の 注 兆 銘 政 権 との 間 に結 ば れ た 「戦 争 完 遂 につ い て の 日華 共 同 宣 言 」
(傍線 は 引用 者)で あ っ て 、 ま さに 戦 争 政 策 の 一 環 に す ぎ な い。 しか も それ は 前 年10月 、 米 英 が 蒋介 石 政 権 に 対 して対 中不 平 等 条約 の撤 廃 を発 表 した た めに 、対 抗 上 、 涯政 権 に 同 じこ とを認 めた の で あ る。 「新 た な 日支 友 好 の 関 係 を設 定 せ ん とす る精神 に根 ざ して ゐ た」 とは言 え な い しろ もの で あ る。
さ らに、 最 後 の 「支 那 は い ま」 以 降 の一 段 は な ん と解 す べ き な の で あ ろ う か。 こ こで も ま た 中 国 が 「戦 勝 国 」 と して 日本 に対 して い るの をす ん な り と 受 け入 れ て は い な い 。 そ して とも に米 ソ対 立 の 「激 浪 」 に洗 われ る とい う意
味 で 「同一 の 陣 列 」 な の か 、 あ るい は 「世 界 史 発 展 の 過 程 に お い て 」 とあ る か らに は もっ と別 の 意 味 が あ るの か 。 普 通 に読 め ば 、 中 国 は 「勝 っ た 」 つ も りで い る よ うだ が 、 日本 が 負 け て ち ょ う ど同 じ程 度 に な っ た にす ぎ な い 、 と 言 っ てい る よ うに見 え る。
とに か く こ の敗 戦 直 後 の 時 期 に は 、 中 国 に対 す る 「敗 戦 」 とい う事 実 を そ の ま ま認 め た くな い 心 情 が 一 貫 して い る。 それ は配 色 濃 厚 とな っ た 戦 争 末 期 か ら継 続 して い る もの で あ る。 戦 後 何 十 年 経 っ て も、 日本 の政 治 家 や 言 論 人 の 中に 、 一般 論 と して は 「侵 略 」や 「植 民 地 支 配 」 を認 め て も(そ れ も認 め な い 人 間 もい るが)、 い ざ当 の 相 手 に対 す る と素 直 にそ の 事 実 を認 めて 頭 を 下 げ な い ど こ ろか 、 そ う した 行 為 を何 とか 理 屈 を こね て 正 当化 しよ う とす る 傾 向 が 存 在 す るが 、そ の原 型 が こ こに あ る。
この記 事 の約 一 ヶ月 後 の9月28日 、 「対 支 態 度 の究 明」 と題 す る社 説 が載 る。
日中戦 争 につ い て の戦 後 最 初 の 社 説 で あ る の で 、全 文 を紹 介 す る。
「これ ま で 対 支 政 策 の上 で犯 され て 来 た もろ も ろの 誤 謬 の 究 明 は、敗 戦 の 諸 因 の検 討 の うち で 極 め て重 要 な部 分 を 占め るで あ ら う。 これ が 正 しく見 き は め られ な けれ ば 『ア ジ ア の悲 劇 』 の歴 史 的 本 質 を完 全 に理 解 す る こ とは ほ と ん ど不 可 能 のや うに 思 はれ る。 この 究 明 は 出 来 るだ け厳 正 に行 は るべ きで あ る。 そ して 、 そ れ に よ っ て結 果 づ け られ る真 摯 な 自己批 判 こそ 、今 後 の 日本 の進 むべ き道 の探 求 の態 度 で な け れ ば な らな い。
近 年 に お け る 日本 の対 支 政 策 の 顕 著 な一 般 的 特徴 とい はれ る帝 国 主 義 的 大 陸 政 策 は 、 日本 の 資本 主 義 経 済 が 第 一 次 世 界 大 戦 を基盤 と して 一応 の 身 つ く ろ ひ を整 へ る と とも に急 速 に推 進 され 、 二 十 一個 条 要 求 を頂 点 とす る一 聯 の 強 硬 政 策 が採 用 され た の で あ る。 この新 た な る事 態 は、 北 京 学 生 の 五 四 運動 の 抗 争 を発 火 点 と して 熾 烈 な反 撲 を受 け、 や が て 支 那 全 域 を 通 ず る深 刻 な反 日運 動 の 展 開 とな り、 日支 の結 び つ きの 本 来 の 姿 は 次 第 に崩 れ て ゆ くの を避 け得 な か っ た の で あ る。
しか し、 当時 の支 那 の 一 般 的 状 勢 は 旧軍 閥 の封 建 的 な 内 乱 が繰 返 され る国 内 分 裂 の 時代 で あ っ た た め に、 ま だ民 族 的 な闘 争 を発 展 せ しむ るま で に は至 らなか っ た の で あ る が 、 昭 和 二 年 の春 、若 槻 内 閣 に代 わ っ て 田中m大 将 が 内 閣 を組 織 した の を転 機 と して 、 対 支 政 策 の 相 貌 と性 格 は 急 激 にそ して著 し く変 改 す る に 至 っ た の で あ る。
当時 、 支 那 に お いて は 、蒋 介 石 氏 を 中核 とす る国 民 革 命 軍 の 北 方 軍 閥 打倒 の運 動 が進 行 し、 国 民 党 に よ る国 家 の 統 一 と再建 の 事 業 が新 し く動 きか けた とき で あ り、 北 伐 軍 が 揚 子 江 を越 えて 北 方 軍 閥 の 牙城 を衝 か う とす る時 に決 行 され た 山東 出 兵 に よ って 日本 の強 硬 政策 は必 然 的 に 支 那 の新 た な る傾 向 と 激 しい 摩 擦 を生 じ、 日本 帝 国 主 義 は支 那 が 近 代 国家 に 飛 躍 す るた め の統 一 と 再 建 を破 壊 す る意 図 を 帯 び る もの と して 、支 那 民 族 の 深刻 な反 撲 に立 ち 向 か ふ こ と とな っ た の で あ る。 これ が た め 、南 京 政府 の成 立 と と もに 、反 日教 育 の方 針 が 正 式 に採 用 され 、抗 目運 動 は 全 国 的 に組 織 され 、 両 国 の あ らゆ る接 触 面 は先 鋭 化 し、 重苦 しい空 気 が東 洋 の上 を 支 配 した の で あ る。 この 状 態 を
改 善 す る た め に、 両 国 の側 か らあ らゆ る努 力 が 払 はれ は した けれ ど も、 日本 の 政 策 の本 質 そ の もの が修 正 され ない た め に、 そ の努 力 は何 等 の効 果 を もた らす こ とな く、 この 趨 勢 が満 州 事 変 を必 然 的 な ら しめ 、 そ して ま た 支 那 事 変 へ の 移 行 を不 可避 な ら しめ た の で あ る。
支 那 事 変 に入 って 以 来 、東 亜新 秩 序 建 設 の 戦 争 目的 が掲 げ られ 、 ア ジ ア 民 族 の 解 放 が説 か れ 、 東 亜 経 済 ブ ロ ック の結 成 が 主 張 され た けれ ど も、 これ が 支 那 民 族 を抗 戦 か ら協 調 へ 転 換 させ る上 に動 力 の役 割 を果 た し得 な か っ た こ とは 注 目す べ きで あ る。 それ は 要 す る に 、 日本 の主 観 的 な 特 殊 性 を 強 調 す る こ とだ け に急 で あ って 、そ の理 念 の 上 に普 遍 妥 当的 な 客観 性 を持 た な か っ た こ とが 致命 的 な訣 陥 で あ っ た し、 しか も 多 くの 場 合 、 そ の政 策 の裏 づ け と し て の 支 那 に 関す る認 識 な い し理 解 が 実 に低 調 で あ っ た こ と も指 摘 され な けれ ば な らない 。
日本 の政 治 そ の もの も 、戦争 の進 行 の諸 段 階 にお い て修 正 を余 儀 な くされ 、 近 衛 声 明か ら対 支 新 処 理 方針 採 用 に至 る政 策 な い し態 度 の発 展 過 程 を見れ ば 、 戦 争 以 前 と戦 争 が長 期化 して か らの 政 策 との 問 に は著 しい質 的 変 化 が 見 出 さ れ る けれ ど も、 もは や 戦 争 が苛 烈 な 民 族 戦 争 の 形 を取 り、 しか もそれ が 世 界 的規 模 に ま で拡 大 した 以 後 に お い て は 、 この 変 化 は 日本 の 国 力 の弱 化 に よ る 政 策 の 後 退 に過 ぎな い との 印象 を与 え る だ け に と どま っ た や うで あ る。
戦 争 の終 結 に よ って 、 この長 い 伝 統 を もつ 大 陸政 策 も 日本 の 国 際 的 地 位 の 転 落 と共 に完 全 に終 止 符 を打 た れ た の で あ る が 、 この 大 陸 政 策 が犯 した誤 謬 を精 細 に検 討 し率 直 に反 省 し、 そ して最 も謙 抑 な態 度 を も っ て 日支 の 関係 の 本 質 の あ りか た を探 求 す るの で な けれ ば 、 日本 の今 後 の 進 む べ き途 は拓 か れ よ うは ず は な い の で あ る。」
この社 説 も前 の記 事 と同 じく、対 中 国 政 策 の 「誤 謬 」 を反 省 せ よ とい うの だ が 、 そ の 「誤 謬 」 の核 に な に が あ るの か に 目を 向 け よ う と して い な い 。 あ る い は 故 意 に 目を そ ら して い る よ うに 見 え る。
日本 の 中国 政 策 の 「顕 著 な一 般 的 特 徴 」 と して 「帝 国 主 義 的 大 陸 政 策 」 の
「一 聯 の強 硬 政策 」 を挙 げ 、 田 中義 一 内 閣 の 山東 出兵 に 至 っ て 中 国 国 内 に広 く反 日運 動 を 巻 き起 こ した と して い るの は い い と して 、 そ の 政 策 の本 質 が修 正 され なか った た め に、満 州 事 変 か ら 「支 那 事変 」 へ と進 ん だ の は 「必 然 的」、
「不 可避 」 だ っ た とす るの は簡 単 す ぎ る。
田 中 内閣 の 「山東 出兵 」 に は過 剰 防衛 の性 格 が強 い とは い え 「居 留 民保 護 」 とい う 目的 が あ り、革 命 軍 と衝 突 は した けれ ど も、 そ の後 とに か く撤 退 した。
しか し、独 りよ が りに 「満 蒙 は生 命 線 」 と決 めつ け て 、 そ の領 有 を 目指 し た満 州 事 変 、 盧溝 橋 事 件 を格 好 の き っか け に 、抗 日、排 日をや め させ るた め に 「国 民政 府 に 一 撃 を」 と大 量 出兵 に踏 み 切 っ た 「支 那 事 変 」 は 、軍 部 に も 国 民 に も根 強 か っ た 、武 力 を使 え ば 中国 は ど うに で もな る とい う軽 侮 の 念 が 駆 り立 て た もの で は な か った か 。 「暴 支 丁 」(37年8.月)、 「蒋 政 権 を相 手 に せ ず 」(38年1月)と い う 「事 変 」 初 期 に 出 され た近 衛 内 閣 の声 明 は ま さ に
そ の ムー ドを反 映 した もの で あ る。
そ の後 の 「東 亜 新 秩 序 声 明 」(38年11月)は な ん とか 戦 争 終 結 の き っ か け をつ か も う とす る も ので あ った し、 「ア ジ ア 民族 の解 放 」(43年11月 の 大 東 亜 会 議)に い た っ て は 「大 東 亜 共 栄 圏 」 とい う建 前 上 とに か く掲 げ た ス ロー ガ ンにす ぎない。それ らは 「日本 の主観 的 な特殊 性(ア ジア の盟 主た る地位?・ ・
・引 用者)を 強 調 す る こ とだ け に急 で あ っ て 、 そ の 理 念 の上 に普 遍 妥 当 的 な 客 観 性 を持 た な か っ た こ とが致 命 的 な鉄 陥 で あ った 」 とい うの は そ の 通 りで
あ る。
問 題 は 中 国 側 の 予想 外 の 抵 抗 に あ っ て 、 「一 撃 を加 え て頭 を 下 げ させ る」
とい う戦 争 目的 が 達 せ られ な くな っ て も、 相 手 に対 す る軽 侮 が 「この ま まで は 引 くに 引 け な い 」 とい う心 理 的 呪 縛 とな り、そ れ が結 局 対 米 交 渉 を も決 裂
させ る とい う、 後 か らみ れ ば 愚 か しい行 動 につ な が っ た こ とで あ る。
そ こ に 目を 向 け た くな い 心理 が 、 大 げ さな言 葉 使 い に もか か わ らず 、 この 社 説 を隔 靴 掻 痒 の感 を免 れ な い 文 章 に して しま って い る。
ま た この 社 説 が 冒頭 の 部 分 で 「ア ジ ア の 悲劇 」 とい う言 葉 を使 っ てい るの
も 目を 引 く。 「悲 劇 」 とい う言 葉 は起 き た事 態 を 客 観 的 に表 現 す る もの だ か ら、第 三者 が あ の戦 争 を悲 劇 と呼ぶ の は い い が 、 当事 者 が使 うの は 奇 妙 で あ る。 戦 争 は 山火 事 や 津 波 とは違 う。 加 害 者 が い て被 害 者 が い る。 お そ ら く筆 者 を して この 言 葉 を選 ば せ た の は 、 自 らを 「被 害者 」 と呼 び た く と もそ れ は さす が に 出来 ず 、 しか し、 「加 害者 」 と も認 め た くな い とい う心 理 で あ ろ う。
そ れ は前 の記 事 と共 通 す る。
さて 、す こ し時 日は先 に飛 ぶ が 、 この年 の 末 に か けて 「日本 の敗 戦 」 を め ぐる在 日中 国 人 と 日本 人 との 投 書 の応 酬 が あ る の で 、 こ こ で合 わせ て紹 介 し てお き たい 。 こ こで は新 聞記 者 が 目をそ ら した 問題 が 率 直 に と りあ げ られ た。
ま ず11月26日 の 「声 」欄 に 「中国 人 よ り」 と題 す る投 書 が 載 っ た。 筆 者 は 高 玉樹 とい う技 術 評 論 家 。 全 文 を引 用 す る。
「◇ 日本 人 よ 、諸 君 は数 々 の罪 悪 を犯 した。 諸 君 の指 導者 達 の幼 稚 な 指 導 原 理 に よっ て、 諸君 は大 東 亜諸 民族 の盟 主た る資格 を享 受 し得 る との錯 覚 に 陥 っ て ゐ た。 諸君 は今 日敗 戦及 び 中 日関係 の不 幸 な顛 末 の 責任 を軍 部 官 僚 に帰 し、
自 ら顧 る に謙 虚 の 心 を失 っ て い る。
諸 君 に警 告 す る。 今 日で さ え諸 君 の 心 の奥 深 く巣 食 っ て ゐ る対 中 国 感 情 は い か な る もの で あ るか 。 満 州 事 変 後 、 軍 部 の尻 につ い て 大 陸 に進 出 した い は ゆ る一旗 組 は か の 地 で 何 を な した か 。 諸 君 に よ っ て迎 え られ て い る復 員 兵 士 は 、 か つ て 我 等 の 国 土 で い か な る行 状 記 を残 した か。
◇ 我 等 の 国土 を 見 て くれ 。 か くも諸 君 の子 弟 に よっ て 丹念 に破 壊 され 、無 專 の 民 衆 は虐 殺 され 、 そ して 目ぼ しい も の は掠 奪 され た の で あ る。
我 等 は今 日、既 往 を 問 う程 、 け ち な根 性 を持 っ て ゐ な い 。 我 等 は 諸 君 の 暴 兵 の 行 状 を発 表 して い な い し、 ま た 我 等 の委 員 長(蒋 介石 … 引 用 者)は 諸 君 の 指 導 者 達 を憎 ん で も、 諸 君 に対 す る復 仇 の 心 を 持 っ て は な らぬ と厳 重
に戒 めた 。
◇ 我 等 は今 日以 後 を 問題 に す る。 私 は 日本 で 教 育 を受 け、 長 年 在 住 し、 日本 人 に 多 数 の知 己 を持 ち 、 そ の 生 活 、 習 慣 を知 り、 そ して 日本 人 の 持 つ 幾 多 の
長 所 に傾 倒 す る に も拘 らず 、 な ほ 日本 人 に直 言 す る もの 多 き を遺 憾 とす る も の で あ る。
八 月 十 五 日の歴 史 的 な放 送 を知 人 の 日本 人 宅 で 聞 い た 私 は 、我 等 と諸 君 と の前 途 に とっ て 実 に暗 澹 た る も の を示 唆 す る片 言 を耳 に挟 ん だ。 諸 君 の 中の 無 思 慮 な 一 女 性 は 、 チ ャ ン コ ロま で来 る の か 、 と言 っ て 働 実 した。 借 問 す 、 諸 君 の 中 の 幾 人 が 、 この 片 言 に よ っ て窺 わ れ る優 越 感 を払 拭 し去 った で あ ろ
うか 。
◇ 諸 君 は言 ふ で あ ら う。 諸 君 は 米 国 に対 して の み敗 戦 した もの で あ り、 文化 的 に見 れ ば む しろ我 等 の 先進 国 を以 っ て任 じ得 る と。 我 等 は も と よ り単独 で 日本 に勝 つ 公 算 は信 じな か っ た が 、 例 をイ ギ リス 、 ソ ヴエ ー トに借 りる に、
この 二 国 は単独 でナ チ ス ドイ ツ に勝 ち得 る と信 じた者 は、そ れ ほ ど多 くな かっ た で あ ら う。
日本 人 よ、 こ の理 を弁 え よ。 諸 君 が わ が 国 土 で得 た 勝 利 は 単 に戦 術 的 な も の にす ぎ な か った 。 戦 争 が フ ラ ン ス の領 土 で 終 結 を見 た 前 大 戦 に於 て 、誰 が
ドイ ツ は敗 戦 国 で な い と断 定 した か 。
◇ 諸 君 は嘗 て 強 大 な軍 備 を もっ て 、 世 界 三 大 強 国 の一 、 東 亜 の最 高 文 化 国 で あ る と 自認 した。 軍 備 の み が 一 国 の 格 式 を決 定 す る尺 度 な らば 、 日本 は あ る 時 期 に は 米 や 英 よ り も優 等 国 で あっ た 。 然 し諸 君 の 自大 的 自負 を世 界 中 で誰 が 認 め た で あ ら う。 軍 備 は 国民 の犠 牲 にお い て 出来 る もの だ が 、 文 化 の創 造 は 真 に そ れ に値 す る国 家 のみ 可能 で あ る。
諸 君 の 自讃 す る 文 化 は 借 り物 で あ り、 模 造 品 で あ る。 諸 君 の 国粋 論 者 は、
今 で も無 理 な 姿 勢 を もって 固 有 の文 化 を誇 示 す る。 そ の 固有 文 化 とは何 ぞや 。 神 道 は最 原 始 的 宗 教 の 一 つ で あ り、 建 築 の 簡 素 美 や 茶道 、華 道 等 は 中 国 か ら 渡 来 した もの で あ る。
◇ 諸 君 は今 こそ完 全 に 心 を空 し う しな けれ ば な らぬ。 我 等 に対 す る い はれ の な い優 越 感 こそ 、 嘗 て諸 君 の 軍 閥 を して便 乗 せ しめ た最 大 因 子 で は な か っ た か 。 諸 君 はつ ね に 、 当 の権 力 者 に 対 して極 力 頭 を垂 れ 、 専 ら恭 順 の意 を表 す
るに 汲 々 と して ゐ る。 しか しこれ は実 に危 険 千 万 で あ る。 このや うな娼 婦 的 従 順 こそ 、 かつ て 諸 君 の軍 閥 に易 々 と制 御 せ られ 、 そ して 将 来 も新 しい暴 力 に よ って 統御 され る可 能 性 を 暗示 す る もの で あ る。 や が て 諸 君 の 国 土 を踏 む で あ ら う我 等 の軍 隊 は決 して か か る従 順 を 強 要 しな い で あ ら う。 そ の 代 わ り 我 等 に対 して 正 しい認 識 を持 ち、節 操 あ る独 立 の批 判 力 を持 っ た諸 君 に見 え る事 を期 待 す る も の だ。 要 す る に す べ て の 不 幸 の遠 因 は諸 君 の 中 に胚 胎 し、
諸 君 のす べ て が責 任 を負 わ な けれ ば な らぬ こ とを、 この 際徹 底 的 に銘 記 す べ き で あ る。」
こ の 投 書 に 対 して 、 二 人 の 日本 人 か らの 返 書 と も言 うべ き 投 書 が12.月4日 の 「声 」 欄 に 「中 国 人 に答 ふ 」 「他 を軽 侮 せ ぬ こ と」 と して掲 載 され た 。 こ れ も全 文 を 引 用 す る。
「中 国 人 に答 ふ 」(林 克 己 一東 北 帝 大 医学 部 講 師)
「◇ 中 国 人 よ 、 われ わ れ は 敗 れ た 。 破 れ た 民 に語 る資 格 は無 い か も知 れ ぬ 。 しか し高 玉樹 君 の 一 文 に対 して 少 な く とも私 は 心 か らの誠 意 を 以 っ て応 え る 義務 を感 ず る。 わ れ われ は卿 等 の 国 土 に 兵 を起 し、卿 等 の 民 を 塗 炭 の苦 しみ の 中 に陥 れ 、 しか も な ほ傲 然 と して 、卿 等 の 土 地 に 表 忠 塔 を建 設 してiら な か っ た。 われ われ は潔 くわ れ わ れ の 『錯 覚 』 を 深 い 呵 責 の うち に認 め よ う。
少 な く と も、 わ れ われ は 高 君 の い ふ 如 くそ の責 任 を軍 部 官 僚 に の み 帰 し、 自 ら婁 如 と して ゐ る もの で は ない 。 中 日関係 の過 去 の 不 幸 な顛 末 は、 われ わ れ 一 人 一 人 の うち に巣 くっ た 対 中国 感 情 に基 づ い て ゐ た こ と を率 直 に認 め る。
わ が軍 閥 をか く も野 放 しに して そ の非 を鳴 ら さず 、 況 や あ る時 期 に は 中華 民 国 大 地 図 を前 に 、 そ の戦 況 を楽 しむ が 如 き傾 向 さえ あ っ た 事 を われ わ れ は忘 れ て は ゐ ない 。 更 に東 亜 を指 導 す る役 割 を もつ筈 で あ っ た 日本 文 化 に つ い て の 、仮 借 な き反 省 も常 に怠 らぬ所 で あ った 。 鎖 国 の 殻 を脱 して か らの 八 十 年 の歳 月 は、 真 の 日本 文化 の育 成 に は 短 す ぎ た。
◇ か く して 日本 は敗 れ た 。 われ わ れ は高 君 の 『直 言 』 の前 に 、 中 国 民 衆 の前 に 、 更 に卿 等 の聡 明 な る委 員 長 の 前 に潔 く帽 を脱 ぐ もの で あ る。 しか し、 中
国人 よ、 われ われ は 高 君 の敢 て触 れ る こ との な か っ た 点 に っ い て暫 く考 えな けれ ば な らぬ 。 われ わ れ が過 去 に卿 等 の 上 に抱 いて 来 た 『優 越 感 』 は 高 君 の 言 ふ 如 く、 は た して 『い はれ な き』 もの で あ っ た ら うか。 中国 人 の過 去 の歴 史 と精 神 の 上 に 、更 に 一 層 の毅 然 た る何 物 か を加 へ て ゐ た な らば 、 日本 人 は
『い は れ な き優 越 感 』 を卿 等 の 上 に持 して 譲 らな か っ た で あ ら うか 。
近 頃 悲 し くも学 ばね ば な らな くな っ た 『没 法 子 』(「 しか た が な い 」 「ど う し よ うもな い 」 とい うあ き らめ の感 情 を表 す 中 国語 … 引用 者)と い ふ言 葉 は 、 実 に卿 等 の民 衆 の 間 の 所 産 で は な か っ た か。 この 一 語 に こそ 、卿 等 の郷 土 の 政 治 と経 済 の 混 乱 が 如 実 に表 現 され て ゐ るの で は な か ら うか 。
◇ 日本 軍 の全 面 的 武 装 解 除 と共 に 、 卿 等 の 国 土 は 再 び 内乱 の危 機 に立 っ て ゐ る。 それ は思 想 の粧 ひ を新 た に した 古 き歴 史 の繰 り返 しで な けれ ば幸 で あ る。
わ れ われ は 中国 の か か る事 態 を新 た な る東 亜 首 国建 設 の構 想 の 前 に、 新 た な る意 味 で 心 か ら悲 しむ もの で あ る。
過 去 の 中 日両 国 の 間 の 悲劇 に つ い て 、 われ われ はそ の 責任 を負 ふ で あ ら う。
しか し中 国人 も亦 、 われ われ の 軍 閥 に 跳 梁 を許 す 基 とな った 感 情 上 の遠 因 に っ い て 三 思 す る とこ ろ あ らね ば な らぬ。 さ うして 、 中 国 人 自身 が確 固 た る地 盤 の 上 に、 毅 然 た る精 神 と、誠 意 あ る政 治 と美 しき文 化 とを築 き 上 げ るや う 努 力 せ ね ば な らぬ。
か か る敗 戦 国民 の 回答 を高 君 並 に 中 国人 は意 外 とす るか も知 れ ぬ。 しか し か くの如 き相 互 間 の誠 実 な る直 言 と、反 省 とに こそ 、 新 しき東 亜 設 立 の命 題 の鍵 が あ る こ とを信 じて 疑 わ ぬ もの で あ る。」
「他 を 軽 侮 せ ぬ こ と」(長 井 真 琴e文 学 博 士)
「◇ 『中 国人 よ り』 を見 て 、 私 も今 更 な が ら懸'1鬼の念 に 冷 汗 を覚 えた の で あ る。 私 は か の偏 狭 固 随 の 国粋 論 者 を好 ま な い が 、 貴 国民 が 中 国 、 中 国 と誇 っ て ゐ るや うに 、各 国 民 が 一 つ の誇 を持 っ こ とを悪 い こ と とは 思 は ぬ。 個 人 と して も独 尊 の 信 念 あ っ て 他 に対 せ ぱ 、 互 尊 の信 念 も生 じて来 る。 他 を軽 侮 す る こ とは 、 や が て 自 らを軽 侮 す る こ とに な る。 日本 に も 固有 の 文 化 が あ っ た
れ ば こそ 、 古 く支 那 の 文 化 も、 印 度 の 文 化 も、 近 く欧 米 の文 化 も 、容 易 に受 容 出 来 た ので 野 蛮 国 に は そ ん な 力 は無 い筈 で あ る。
◇ 儒 教 に して も孔 子 や そ の 書 は 貴 国 人 に劣 らず 崇 め られ 読 まれ た も の で 、 そ の科 学 的研 究 に 至 って は他 の 追 随 を許 さな い も の が あ る と信 ず る。 ま た そ の 実践 にお い て もそ の 発 祥 地 よ りも我 国 民 の 日常 生 活 に よ り多 く実 現 され て ゐ
る と思 は れ る もの も あ る。
我 国 は今 後 文 化 日本 と して 立 上 る よ り外 に道 は ない 。 貴 国 は古 来 文 武 とい っ て 、文 を先 と して ゐ るの で あ るか ら、 相 互 親 善 協 力 して 世 界 の文 化 の た め に 寄与 しよ う と念 ず る次 第 で あ る。」
この投 書 の応 酬 は双 方 が 十 分 な率 直 さ と節 度 を持 っ て 日本 の 敗 戦 とい う事 態 を論 じてお り、 前 掲 の 論 説 や 社 説 よ り読 み ごた えが あ る。 と くに林 克 己氏 が 日本 の非 を認 め た 上 で 、 中 国 の歴 史 的 な混 乱 と次 な る 内戦 の 予 兆 を挙 げ て 、
日本 人 の 中 国 に対 す る優 越 感 が必 ず しも 「い はれ な き」 もの で は な か っ た と 論 じて い る の は、 そ の後 、 中 国共 産 党 に よ る建 国 、 文 化 大 革 命 に よ る混 乱 と い った 大 き な 変 動 の た び に 日本 人 の 中 国観 が 揺 れ 動 い た こ と を思 う と、 な か なか に示 唆 に 富 む 発 言 とい え る。
(四)敗 戦 と 中国 各 地 の 日本 人
日本 の敗 戦 とい う事 態 は 「満 州 国 」 を は じめ 、 大 陸 各 地 にい た 多 数 の 在 留 日本 人 に 大 き な運 命 の 転 換 を 強 い る こ とに な っ た が 、 以 下 で はそ の動 き が ど の よ うに報 じ られ た か を見 て お く こ とにす る。
「五 族 協 和 十 三 年 転 換 す る満 州 日本 人 居 留 民 会 も結 成 」(45年8月20日) [新京(長 春 … 引用 者)特 電 十 七 日]「 十 五 日正 午 万餌 の涙 の 裡 に ラ ジ オ 放 送 に よ りポ ツ ダ ム 宣 言 受 諾 の大 詔 を 百 五 十 万在 満 日本 人 は直 立不 動 千 万 無 量 の感 慨 の裡 に謹 ん で 拝 した。 建 国 十 三 年 世 界 に比 類 な き急 速 な る画 期 的発 展 を遂 げ た満 州 国 、 そ れ は 日本 人 の 参 画 した 前 史 未 曾 有 の 大 建 設 事 業 で あ っ た が 、遂 に 青 年 国家 満 州 に終 止 符 を打 っ 悲 痛 な 時 が 来 た の で あ る。 顧 れ ば満