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水谷

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Academic year: 2021

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全文

(1)

「橙」の

は「

『文

」なりや

』 の原 を求めて

水谷

『文

』の 釋をめぐって、今日まで多くの

ていることは知の事柄であり、中國古典學に一つの 究がなされ

『文 けられていない部分がある。すなわち、ここで取り上げる の峰をなしているといえる。しかしこの中でほとんど手のつ 究上 』での

れた範圍で、李善 である。兩論文とも「序」や「歸去來兮辭」といった限定さ (1) は、かつて本誌に發表された松浦友久氏の二本を數えるのみ に關するものである。有力先行論文として や五臣

の本來の

方法を の可能性を探る っている。この點こそ筆

にとって、たいへん示唆 べきであると考える。そこで、今回筆 であり、より廣い範圍に押し廣げて、さらに深い考察をす

もまねて、司馬相如 「子

賦」「上林賦」での一部

『文 い。 について考察を加えてみた 』

收の司馬相如「子

賦」「上林賦」は、李善

部分において郭璞 の が用いられている。この點で、『 (2)

顏師古 書』

での司馬相如傳

收の「子

賦」での

に郭璞

部分 が

に引かれており、いわば共

項をなしている。試みに、

みに利用したテキストは、『文 の部分に限ってこの樣子を少しばかり見てみよう。ちな

であり、『 』(文と略す)は四部叢刊本 書』(

と略す)は中

書局排印本である。

)師古曰「

(文)善曰「張揖曰、丑亞切」 丑亞反」

)師古曰「

讀如本字、又

莫風反……」

「橙」の

は「

」なりや(水谷)

135

(2)

(文)善曰「

、莫諷切」

)師古曰「

(文)善曰「司馬彪曰、 」 、

轜( 」

)師古曰「轜、

(文)善曰「轜、而 反」

( 切」

)師古曰「、

一頓反」(師古

(文)善曰「、一損切」 訓詁)

)師古曰「郭璞曰、

(文)善曰「郭璞曰、 佛」

(3)

崟( 佛」

)師古曰「崟、

(文)「崟、 吟」

吟」(本文

罷( )

)師古曰「郭璞曰、罷、

(文)「罷、 疲」

疲」(本文

陂( )

)師古曰「郭璞曰、陂、

(文)「陂、 婆」

婆」(本文

り )

)師古曰「郭璞曰、

(文)「 」

、 」(本文

り )

以上、「子

賦」の

變の仕方は上記例からわかるであろう。郭璞の 頭から引いてきたが、おおよその改

目し てみると、「善曰」で始まる細字雙行の

のや本文 釋の中に收めるも り るものを、顏師古 あるように見えない。また、「」のように顏師古に由來す の中に收めるものがあり、取り立てて法則が

では去聲に、李善

では上聲に

んでいる。ただし、「崟」では、顏師古 えて讀 ・李善

まで同一である。「 とも用字 」では、李善

の方が顏師古

詳しい。さらには、「轜」では、兩 よりも で が大きく

李善 なり、

は郭璞や顏師古でない他の

このように李善 であることがわかる。 義家から引いてきたもの は多く(郭璞

を含む形で)顏師古

存するかたちで に依 を形

則はなさそうである。そこで、司馬相如「子 形態については、上記の例のみでは少なすぎるが、一定の法 していることがわかる。その引用

の 賦」「上林賦」

體について、上記

査を續行すれば、李善

での(郭璞 を含む形での)顏師古

これはこれで意味のあることであるが、あまりに の利用範圍が明確になるであろう。

純 のない單

査であり、非顏師古系の

という結果をもたらすことになる。むしろ、『文 については何もわからない

』 改變という面に の りも、よくわからない非顏師古系の 目すると、すぐにわかる顏師古系の改變よ

がどのように改變さ 中國詩文論叢第十九集

(3)

れたかということが、より重

であろう。たとえば五臣の

はどれなのか、李善が自分で付けた

問題は、多くの困 はどれか、などの を とらえられれば、『文 うが、それぞれの傾向性の一端でも 』 の 立に關するこれまでの究 果に することになるであろう。本稿では、この目

て少しでも本來の實像に に沿っ

ってみたい。

一の序において、いささか大言壯語を吐いたが、『文

』 に顏師古

するのである。基本 はなく、別の文獻をフィルターにしてそこでの像を見ようと というフィルターをかけて像を見ようするので に方法は同じであるからして、

なかった像が結ぶとするならば、これはこれで一應の ると威張れるものではないが、しかし、そこに今まで見られ があ になる。それは『集韻』です、とここで いえるであろう。それでは、その文獻とは何か、ということ 果と の べたなら、あまり さに といっても、趣味ならいざしらず、究ということでは 無關係なものをフィルターにしてそこでの像をああだこうだ かれるであろう。關係ないではないか、そんな

無意味である。こう斷言されるであろう。少し待っていただ く きたい。これには筆

なりの長い究上の

のをいっているのである。ここでそのことについて、少しの のりがあっても

明をした上で

斷をしていただきたい。そこで

『集韻』が『文 に、なぜ 』 と關係があるのかについて、解

筆 することにする。 を は、この『集韻』の究に取りかかる

わば兄弟といえるような關係であって、 の究をしてきた。そして、『集韻』と『禮部韻略』は、い に『禮部韻略』

も同じ

も同じという 纂時期 柄にある。兩書の相

一口にいえば、大規 點は、いろいろあるが 部韻略』という點にある。そこで、『禮部韻略』の究を の『集韻』に對してコンパクトの『禮

めるに當たって、『禮部韻略』のみを見て究するよりも、『集韻』を

野に入れつつ究を

がある。本稿と關 める方が何かと有利な面 文字の する事柄を例に取れば、『禮部韻略』の

釋(以下、義

という)と『集韻』義

細に比較してみると、關 ると表記法がなっているため無關係のように見えるが、子 とは、一見す らかを究する上でも、相互の比較が必 は相補分布をなしているようなところもあって、兩書のどち をもっていることがわかる。中に

された。 (4) であることが痛感

「橙」の

は「

!」なりや(水谷)

137

(4)

兩書義

の中で、とりわけ興味深かったのは、『文

』の いであった。『集韻』は、『文

とが非常に少なく、たとえば上 』と明記したものを引くこ 韻の「

」に「幽

と篇名を明記して『文 賦」

もう一方の『禮部韻略』には『文 』から引くことなど例外に屬する。

百三十九例という數は、經書以外では『書』に 』が多く引かれている。

ある。この兩書の相 ぐ多さで 點は、『集韻』が『文

』の書名を

げないで訓詁を引くのに對して、『禮部韻略』が『文

書名を 』の

なら、筆 げて訓詁を引くというのにすぎないであろう。なぜ

のこれまでの

義 究から『集韻』と『禮部韻略』の

『集韻』には『文 には密接な關係があることがわかっていることからして、

る。すなわち、文字數の少ない『禮部韻略』に『文 』からの訓詁が相當多いことが豫想され

く見られる以上、『集韻』ではさらに多く見られるに相 』が多 いと。以上の事柄が、まず第一の な ひとつフィルターにして、『文 提となって、『集韻』を 』の しかし、これだけでは『文 う。このような試みをする原因となっている。 の樣子を見てみよ り 』にいきなり向かうのはやは すぎる。もう少し筆

と同樣に回り

たい。實は、『集韻』が『廣韻』に比べて、 をしていただき 二 七千もの

字を行っている。この

いうのが、 字をどこからもってきたのか、と の筆 たとえば『經典釋文』『書』『史記』『玉篇』『文 の關心事であった。可能性のあるもの、

ろいろな文獻を、 』などい

査してみた。

々しい

れも自慢できるものではないが、筆 果をあげたとど う自負ぐらいは持つことができた。この中で一番の かっていなかった事實を指摘することはできるであろうとい なりにこれまでよくわ

えるものに、『文 果とい 』の六臣

は、現在の形のものが『集韻』

纂以 にできていたということがわかることである。

○(文)卷十二郭璞「江賦」

( り 波浪回旋 )於營切善曰、皆 而

(集)下 之貌。

・韻・

!小韻(娟營切)

、 "、波浪

之貌。

○(文)卷十二郭璞「江賦」善曰、『南越志』曰、……水母、東

#曰

$。……

$

(集)去聲・ %、竝除嫁切。

&韻・

$小韻(除駕切)

$・ 越志』曰、水母、東 %、蟲名。『南

#曰

$。 中國詩文論叢第十九集

(5)

○(文)卷十二郭璞「江賦」

( り

)於粉切、

( り 力殞切善曰、 )

(集)上聲・隱韻・ 、(蛇)行貌。

小韻(委隕切)

、 上聲・準韻・ 、蛇行貌。

小韻(縷尹切)

、蛇行貌。

○(文)卷十三宋玉「風賦」、五臣作

。 謳。翰曰、

(集)下 、沙堆也。

・侯韻・謳小韻

、聚沙。

○(文)卷十三宋玉「風賦」

( り )徒寸(切)良曰、

(集)去聲・恨韻・鈍小韻(徒困切) 溷、惡亂也。

溷、惡亂也。

以上、「江賦」「風賦」のみからの

の 例であるが、『集韻』

義が『文

』六臣

わかる。たまたま、「江賦」が李善 からの求められたものであることが

で、「風賦」が五臣

いうようになったが、『集韻』では李善・五臣の兩 と を 引いている。本論の司馬相如の部分も、六臣 宜

らここでは「江賦」「風賦」から引いてみた。 のであることがよくわかるが、この部分は後に論ずることか から引いたも この考察から、六臣

の 立下限が、『集韻』

立以 寶元二年(一〇三九)以 の 六臣 ということになる。つまり、ここで 用したテキストが六臣 立の下限が設定されることと同時に、『集韻』が利

本論では、いきれなくなるであろう。『文 る結果を考察してみることはあながち意味のないこととはい 『集韻』をフィルターにすることによって、そこから得られ 本であることがわかる。だから、

』に關係する信 できるテキスト六臣

本と『集韻』を用いてさらに論を

めていきたい。

それでは『集韻』をどのように用いて『文

』 わけ司馬相如「子 (とり 賦」「上林賦」での

を以下に )を考察するのか

『A べてみたい。この『集韻』を利用するに當たって、

書』顏師古

なぜなら、この兩賦での顏師古 に見えないものを中心に考察してみたい。

は同李善

のであり、李善 の根幹をなすも の範圍を確定でき、李善

できるからである。ただし、この點を を排除して考察 にまで

か否かについては豫斷を持たずに考えてみたい。一 ぼし得る みても、郭璞 いて ・顏師古

等を混ぜてしまう可能性はな

「橙」の

は「

」なりや(水谷)

139

(6)

くなる。さらに、B『廣韻』(澤存堂本)にあるものや『

(大徐本)に引く 文』

と一

してみたい。『廣韻』『 するものについても除外して考察

文』等と一

『文 するものについては、

』 A・Bの二除外規定を基に『集韻』に見える『文 を來源とするものといえないからである。この

以下の は

りになる。

(文)羊爾切(り

)・向曰、

靡、

(集)上聲・紙韻・演爾切 長貌。

(胡本)司馬彪曰、 貌。

靡、

② 靡貌。善曰、弋爾切。

(文)

積(り

)・良曰、襞

(集)入聲・昔韻・ 綴貌。

昔切襞

、衣

(胡本)釋 也。

③怕(文)蒲各切(り なし。

『廣(胡本) (集)入聲・鐸韻・白各切憺怕、靜也。 )・五臣本作泊。善曰、怕與泊同。

(集)去聲・怪韻・ ④湃(文)蒲拜反。銑曰、水聲也。 各切。 』曰、憺怕、靜也。善曰、怕與泊同。蒲

(胡本)蒲拜切。司馬彪曰、澎湃、波相 拜切水聲也。

也。 ⑤湃(文)浦宏切(り

)・銑曰、滂

漑、

(集)下 流貌。

・庚韻・披庚切滂

(胡本)司馬彪曰、滂 、水貌。

、水聲也。

⑥ 享切。

(文)五臣

委(り )・善曰、張揖曰、摧

(集)上聲・紙韻・ 、高貌。 (5)

毀切摧

⑦ (胡本)卒鄙切。 、山高貌。

(文)力水切(り

)・翰曰、皆山勢高峻長

(胡本) (集)上聲・紙韻・魯水切山貌。 之貌。

⑧橙(文) 壘。

(り

(6))(集)下

・ 韋昭曰、(胡本)持 ない) 韻・持陵切橘屬。(この小韻に持字は 古 。(胡本作持。この部分は顏師

⑨(文) にない)

紛(り )・善曰、郭璞曰、

(集)上 !、文理貌。

・文韻・

"文切玉

(胡本) !、文理貌。

⑩ 紛。

#(文)

差(り )・善曰、張揖曰、

(集)上 #池、參差也。

(胡本) ・支韻・叉宜切柴池、參差也。

差。 中國詩文論叢第十九集

(7)

⑪ (文)

襄(

)・良曰、

佯、

(集)下 貌。

・陽韻・思將切逍遙也。(

(胡本)(襄羊に作る。釋 に作る)

なし)

以上の十一例を『文』司馬相如「子

「子 』韻』に見えるものばかりである。これらのすべてが『文 り得ることができた。いずれも、『廣韻』等には見えず、『集 賦」「上林賦」よ は、廣く他の 賦」「上林賦」から得られたものであるか否かについて

料を見た上で

で初めて收められた特殊な 斷すべきであるが、『集韻』

そこでこの十一例をどの 然性は高いといえよう。 であることを考慮するとその蓋 討してみると、「① 釋書から引いてきたものかを檢 」は李善

と良く合う。「②

」は五臣 のようであるが、『集韻』義

からすると他の

の可能性も高い。「③怕」は李善 釋家から である。「④湃」は五臣

である。ただし、反切に「反」を使っているところからすると、蕭該等のさらに古い

「⑤湃」は五臣 釋から來たものの可能性もある。

のようであるが、『集韻』義

の からすると他

釋家からの可能性もある。「⑥

」は 李善である。六臣 は五臣、訓詁は 本を使った論據をこのような

からも示 すことができる。「⑦

」は五臣

「⑨たい。 の可能性もある。「⑧橙」については、後で論ずることにし のようであるが、他から 」「⑩ 」は李善

から、ただし現行の顏師古

の缺損部分である可能性もある。「⑪

外の 」は、李善・五臣以 も、現行本で「 釋家からのものである可能性が高い。むしろそれより

佯」に作るのは

「 りで『集韻』のように 」に作るべきであろう。文字の

素の もその方が から見て

「⑧橙」を除いて、ある 當である。

度の振り分けを、『集韻』の

を基にしてできることが確 義 點も李善・五臣レベルまでで蕭該・曹 できるであろう。ただし、この

といったより古い

にまで入ることはできないことも確

では、「⑧橙」はどのように分 李善が①③⑨⑩、五臣が②⑤⑥⑦、その他が④⑪となる。 できた。總じていえば、

「 できるであろうか。この 」の

!に見える「橙」には「直庚切」の釋

いる。テキストによって「⑧橙」の六臣本と「持」の が付いて

"書

本・胡刻本とに分けて考えることが必

釋 であろう。さらに、

の面から、「橙」に「

「 」を付けた六臣本と「持」に 」を付けた胡刻本とに分けて考えることも必

きであろう。本文では香 な手續

#のことが

$べられているので、義

「橙」の

は「」なりや(水谷)

141

(8)

「橘屬」が

「持陵切」の「橙」についても きが惡いが『集韻』に收められている

まず指摘しておくべき點として、胡刻本の「韋昭曰、持 れることはできない。

」が『

書』顏師古

る。しかも、韋昭などと威めかしているところと「 同文であることから、後に付け加えられたものの可能性があ に見えないことである。他の部分は

「この胡刻本が問題にならないとなると、橙」に「 に作るところから、胡刻本のケースは排除して良いであろう。 の「持」が他に見えないところ、そして『集韻』では「橙」 」 付けたのはどの 」と というのは、庚韻と 易になる。 釋家かという問題を解くことは一面では容 韻とを混用した新しい時代の釋

のである。なぜなら「⑧橙」のすぐ後の「 あると結論できるからである。少なくとも五臣よりも後のも で に付けられた釋 甘橙」の「橙」

は、顏師古

から見て五臣

れるからである。五臣 のものと思わ で庚韻と

い。六臣 韻のあきらかな混用はな 本が

まれた時、

のものまで利用したのであろうか。ともかく典據を抹 義を利用した際にかなり後

『文 した

「⑧橙」において『集韻』を持ち出さなくても、同じ結論に の不純さを見せつけられるようである。この 到るであろう。が、『文

(つまり最大の韻書作りの)う字書作りの 』のこの用例を見て『集韻』とい

を、我々は古典 であろう。 れは、「⑧橙」以外の①から⑪のケースで容易に理解できる 料としてより有效に生かさなければならないであろう。そ

以上のように『集韻』に關

づけて『文

』 た。そこからは、『集韻』での義 を見てき

訓詁例とも關

づけて

の をある

度 班固の賦についてもできると思われる。このような 別することができた。同じように楊雄や

とに一部李善 果をも また、今回同樣の手法を使って『文 の復元も試みることも可能であろう。

』 への繰り入れの樣子を見てみると、六臣 から『集韻』

字が 卷一の張衡「西京賦」から卷九潘岳「射雉賦」までの反切用 本と胡刻本とでは、

ぜ卷一の なっている。以下の部分では同じになることから、な (7)

中から卷九の

中まで反切用字が

然 なるのか、當

目して良いであろう。假にこの部分だけでも李善單

橙」をどのように考えるのか、もう一度再考することも必 が殘っていたと考えることも可能であろう。その場合、「⑧ 本

中國詩文論叢第十九集

(9)

になるのである。ともかく『集韻』を利用することによって、『文

に對していくつかの問題點を指摘することができた。ここでの指摘に對して、『文

』を專攻する多くの

究 ある。 どのような意味を持つのかを有效にするためにであるからで 示していただけたら幸いである。私の投げかけたスポットが の見解を

(付記)本年五

より八

末まで、中國、北京大學にて

た。三ヶ 修をしてい の短期であるため、日本からは何の

歸國後一 究材料も持參せず、

う。本來は、第四 であわてて書き上げたため、多くの不備があるであろ

に べた反切用字の不一

もりであったが、時 について論究するつ ここに記してお禮のことばとしたい。 國學院大學大學院古谷徹氏との雜談の中から得られたものである。 に無理であった。最後に、本稿のテーマは、

(1)「李善

「趨、

する一考察」(一九九五年一〇 聲也」「歸去來兮辭」の修辭效果に關

「李善 『中國詩文論叢』一四)、 本「文

序」の

について「加

入「別、聲」の解釋」(一九九七年一〇 」の檢討と

『中國詩文論叢』 (2)以下に見るように『 一六)

書』顏師古

(3)四部叢刊本では、「 は胡刻本の記載にしたがってこのようにいう。 を使っているが、ここ 」を「

」に

(4)拙稿「『附釋文互註禮部韻略』義 る。

より見た『集韻』義

(一九九六年十二 」

『中國文學

(5)「向曰、摧嶮、……嶮貌。」五臣 究』二二)

(6)底本、木 では、訓詁が合わない。

を手 に トについては、 る。この部分を「橙」に作るテキス の『

書』顏師古

俗流書本持字或作橙、非也。後人 に據ってわかる。「今

(7)以下、例を示す。上が六臣 改耳。」 本、下が胡刻本である。

蒲結切・

結切張衡「西京賦」

側家切・子加切張衡「西京賦」

浦 切・

赤切張衡「西京賦」

甲・智甲切張衡「南

賦」

蓬・蒲工切左思「

賦」

子切・子軟切左思「魏

賦」

! "

・余日切楊雄「甘泉賦」

#七

$切・七悴切潘岳「藉田賦」

%敕 以上、一部をここに &切・丑占切潘岳「射雉賦」

'げた。

「橙」の

は「

(」なりや(水谷)

143

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