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発掘調査現地説明会資料 ]

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Academic year: 2021

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平 城 京 左 京 三 条 二 坊 二 坪 ( 平 城 宮 跡 第 186次) 発 掘 調 査 現 地 説 明 会 資 料

1988年 5月 14日(土)

奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部 調査地 奈良市二条大路南一丁目

調査期間 1988年 4月〜 面積約2500而

1 はじめに

1986年 I0月以来、平城京左京三条二坊ー・ニ・七・八坪にまたがる「そ ごうデバート」建設予定地に対して、継続的に発掘調査を実施してきた。これま でに調査が終了した面積は 145001n2しこのほ'る。その結果、奈良時代前半には この地に 4町(坪)を占める広大な宅地が存在し、それは出土した木簡から、政 府の中心として権勢をふるい、後に非業の死をとげた長屋王の邸宅である可能性 が強いことが明らかとなった。他にも、平城京内の宅地では最大の而積をもつ建 物や四面廂付の建物を主殿とする双堂形式の建物の検出、日本で最古の猿の墨画 土器の発見など、平城京の実態を解明する上で大きな成果をあげつつある。これ までも、既に 3回の現地説明会を開催し、その都度調査の概要を報告してきた。

今回の調査区は、平城京左京三条二坊二坪にあたり、前回の調査で検出した奈 良時代前半の 4町占地の時期の主殿のさらに西方となる。調査区のすぐ南方では、

1979年に東鮨本店建設の際に部分的な発掘調査(平城宮跡第 118‑15次 調査)を行なっており、その成果をも合わせて二坪の中心部の様相が明らかとな

った。

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2  調査の概要

今回の調査で検出した遺構は、掘立柱建物 20棟、掘立柱塀 5条以上、溺 5条 以上、井戸 3基、土概などである。そのほとんどは奈良時代のもので、遠構の重 複関係、配置などからA期〜D期の4期に区分できる。

六期

奈良時代前半にあたる。長屋王の邸宅と推定される、ー・ニ・七・八坪の4町 を占める広大な宅地の時期で、敷地内に掘立柱塀による区画を設ける。今回は、

西限を画する掘立柱塀を検出した。東・南・北を画する掘立柱塀はこれまでの調 査で検出しており、今回の調査結果と合わせて、区画の概要がほぼ明らかとなっ た。 A期は、更に細かい時期区分がされているが、今回はA期に屈する造構は少 なく、こうした細分は行なわない。

調査区の東では、桁行7問、梁問5間で南北に廂のつく東西棟(建物9)を既 に検出しており、これが主殿となる。柱間の寸法は、桁行の中央 5間が 10尺(

約 3m)等間、両端間が 14尺 (約 4.2m)、梁間は 10尺で、建坪にして 1 0 3坪の広大なものである。建物内には、 3個ずつ 4列の床柱を立てた柱穴があ り、この部分に床を張っていたことがわかる。建物 9の西の妻柱から、西へ 9 0 尺で、束ー坊大路の中軸線から東へ 270尺の位置に、南北方向の掘立柱塀 12 

がある。この塀が区画の西限を画する施設であり、 A期を通じて存在していた。

区画の広さは、七坪に双堂型式の建物が建ち、配置が最も整った時期で、東西が 4 0 5尺 (12 1. 5 m)、南北が 280尺 (84m) となり、 3000坪以上 の広大なものである。塀 12は、南から 5間分、北から 6間分を検出し、中央の 3間分は未検出である。出入口に関する施設が想定されるが、この位置にはB期 の建物 14が建ち、その基礎工事で破壊されている可能性もある。また、建物9 の南 2 0尺の位罹には東西塀 7があり、塀 12から、建物 9の東西の中軸線上ま でのびる。

•B期

奈良時代中期にあたる。一坪と二坪、二坪と七坪の問に坪境の小路をつくり、

4町規模の敷地から二坪のみの 1町規模の敷地となる。この時期の主殿は、 19  7 9年の調査でその一部を検出していた建物 3で、桁行 7問、梁問 4間の南北廂 付建物に復原できる。建物3の北廂から 15尺の位置に、柱筋を揃えて建物4が 建つ。柱間は、桁行が 10尺、梁間が 8尺で、建物 3が主殿、建物 4が後殿とい

う配置となる。その西北には、桁行3問、梁間2間の総柱の建物 14がある。柱 間は、桁行が5尺、梁間が6尺と規模は小さいものの、柱穴と柱穴の間をも溝状 に掘る(布掘り)という特殊な構造をとる。その性格は不明であるが、楼開状の ものとするのも一考であろう。建物] 4の南の妻柱には、南北塀13がとりつく。

その西側には桁行 5間、梁問 3間で西廂付の建物 2 3、北方には建物 18 2 6  がある。

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奈良時代後半にあたる。坪境の小路が廃され、再び 2町以上規模の敷地となる。

調査区の東南隅に束雁付の南北建物1、その西方に西廂付の南北建物6が、柱筋 を揃えて並ぶ。建物 6は 1979年の調査区にも続いており、南の妻柱を検出し ていないので、桁行が10間以上の長大な建物となる。建物]も、建物6・と同じ 規模をもつものであろう。北方には、建物] 0・塀1]がある。・ー棟の建物とし て復原したが、東西建物が南北に並び、間に塀を介するとも復原できる。その場 合は、妻柱と、側柱のうちで東から、 2•4•6 間目の柱穴がないということに なる。いずれにしろ、これまでの発掘調査では検出していない特異な構造をとる。

柱間は、束西方向が十尺等間、南北方向は南から十八、十六、十四、十八となる。

建物 I0は、調査区のさらに北方に延びる可能性もあり、どの様な構造をとるの かということをも含めて、今後の検討課題としたい。 C期には、七坪にかなり規

(2)

模の大きな南北棟があるが、建物I0が位置、規模から考えて、正殿としての性 格を持つものであったと推定できる。建物I0の西方には、桁行7間、梁問2問 の東西建物 I6があり、東西2間ずつに間仕切りをもつ。建物 I0の南の柱列と 建物 I6 の南の側柱はほぼ柱筋をそろえる。ほかに、建物 22•25 もこの時期

のものであろう。

また、建物 I0の東方、建物1の北方には、井戸28が掘られた。方形の掘形 の一辺が5 m、深さが3.5mという巨大なもので、井戸枠が完存していた。井戸 枠は、横I3 5cm,たて25 30cm,厚さ6cmの板を正方形に組んでI3  段重ね、板と板しま柄で結合する。底近くから、和同開弥、神功開宝、煎年通宝が 計38枚出土した。祭祀に用いたものらしい。井戸枠内からは、土器、瓦に混じ って、ウマの骨が出土した。最も新しい土器は平安時代初頭のもので、この頃ま で使用していたことがわかる。

!D期

奈良時代末〜平安時代初頭にあたる。坪境の小路を再び設け、 1町規模の敷地 となる。建物4とほぼ同じ位置に、桁行7間、梁間3間の北廂付の束西建物5を 建て、主殿とする。その東方には、桁行4問以上、梁問3間の束廂付の南北建物 2が建つ。北の妻柱は建物5の身舎の北側柱と柱筋を揃え、東の脇殿となるが、

これに対応する西の脇殿はない。 C期の建物I6は規模を縮小して、桁行5間、 梁間2間の建物I7 に建てかえる。他に、建物 21•24•27 があるが、いず れも今回の調査区では一部を検出したのみで、具体的な規模は不明である。

3  出土遺物

今回の調査では、全域から多蛍の 土器、瓦が出土したが、軒瓦、硯、

土馬などの土製品は、七坪を調査し た第 I7 8次、 184次調査に比較 して少ない。その中で、 C期の建物 I 6から出土した漆器(右図)が注 目される。これは、東北隅の柱穴の 柱抜取穴から出土したもので、柱穴 に重なって現代の撹乱坑があったた めか、上半部を欠失する。復原する と口径が45cm,高さ 15cmほ どになるとみられる。ケヤキ材を削 ってつくった素地の全面に黙漆が塗 られている。器形は高台のつく浅い

が削りだされている。奈良時代の漆器としてはあまり例をみない大型の製品で、

高台がこわれて低くなったあとも器として使われた形跡をとどめている。

4  まとめ

1) Al!)]の区画の西限の掘立柱塀を検出し、これまでの調査の知見と合わせ て、区画の概要が明らかとなった。

2) B!tJl • C 期 •DJ!)] の中心的建物を検出し、二坪の中心部の様相が明らか となった。

3)京内における宅地の建物配置に、新たな知見を加えることができた。こ れによって、主殿が敷地の中央に位置し、その東西に脇殿が並び、ほか の建物も左右対称に並ぶという従来の復原では捉えられない例があるこ

とが判明した。

A)漆謡浅鉢が出土した。正倉院宝物にも例をみないもので、奈良時代のエ 芸の研究において野重なものである。

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漆器浅鉢(縮尺2分の1)

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調査位置図

.平城京左京三条二坊周辺の地形•発掘調査位置図

(4)

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平城京左京三条二坊二坪発掘遺構図

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ー坪・七坪の遺構変遷図

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参照

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