「計画の大失敗」の体制論的考察
著者 福田 亘
雑誌名 同志社商学
巻 57
号 6
ページ 53‑70
発行年 2006‑03‑15
権利 同志社大学商学会
ドウシシャ ダイガク ショウガッカイ
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007340
「計画の大失敗」の体制論的考察
福 田 亘
蠢 壮大な実験とその破綻 1.壮大な実験の帰趨 2.ケインズ他の達見 3.実験の経験の総括を 蠡 なぜ多くの人々を魅了したか
1.擬似宗教的性格とその陥穽 2.絶対権力の絶対的腐敗 3.完全システムへの憧憬 4.「計画の神話」の無謀性 蠱 青写真で何が見落とされていたか
1.市場経済への一面的評価 2.量より質への転化 3.理性の有限性
4.利害調整の等閑視とその帰結 5.素朴すぎる人間・社会観 蠶 なぜ長期間存続しえたのか
1.ソ連型経済の一定局面での有効性 2.成功の故に消滅した有効性 3.見かけ上高められた有効性
4.抑圧体制の徹底した情報管理と変革の困難性
Ⅰ 壮大な実験とその破綻
1.壮大な実験の帰趨
二十世紀における政治・経済面での最大の出来事として,マルクス・レーニン主義思 想に導かれる社会主義運動の跋扈とその世界的規模での壮大な実験を挙げることに多く の異論はあるまい。周知のように,この実験は
1917
年のロシア革命に始まったが,第 二次世界大戦後,東欧,それに中国もその実験に参画するに及んで,世界人口の約三分 の一を擁することとなった社会主義経済圏は彼らの打倒の対象であった資本主義経済圏 とともに世界を二分する一大勢力にのし上がっただけでなく,一時は後者を凌駕するか のごとき勢いをすら示したのであった。しかし,その勢いもせいぜい1960
年代までで あって,その後は行き詰まり傾向がますます顕著となり,それから脱却できないまま,1989
年末のベルリンの壁の崩壊を迎えたのであった。そして,両陣営対立の象徴とも 言うべき,このベルリンの壁の崩壊と正に符合して,それから僅か二年の間に,旧ソ連(445)53
・東欧諸国では実験は失敗であったとの烙印を押され,相次いで実験そのものに終止符 が打たれるという,まことにあっけなくも劇的な展開が見られたことは我々の記憶にま だ新しい。二十世紀の世界を揺るがせた壮大な実験も,二十一世紀を目前にして厳しい 歴史の審判に抗し切れずに,歴史の表舞台から退場することを余儀なくされたわけであ る。
ところで,この実験で採用された経済体制は,(1)共産党の一党独裁制(政治的決定 の経済的決定に対する優越),(2)生産手段の公的所有制,それに(3)中央からの統一 的計画化を基本的特徴とするもので,ここではそれを最初に確立し,またその普及にあ ずかって最も力のあった国に因んで,ソ連型経済体制(ないし,より簡潔にはソ連型経 済)と呼ぶことにするが,この経済体制が,その掲げた目標とは裏腹に非効率と社会的 悲惨さの宿痾を脱せずに結局のところ破綻せざるをえない運命にあることについては,
筆者は夙にそれを「計画の大失敗」と呼
1
び,いわゆる「市場の失敗」や「政府の失敗」
とは失敗の次元を異にしていることを強調してきた。しかし,少なくとも我が国では,
この点についての認識は曖昧で,理論的清算も不十分というよりも回避する形で推移し てきたと言っても過言ではないと思われ
2
る。ソ連型経済終焉後,十数年経た現時点で,
「計画の大失敗」というテーマでソ連型経済の問題を取り上げることは,あるいは時代 遅れのように思われるかもしれないが,上のような状況を想起するとき,その謗りは当 たらないだけでなく,二十世紀の教訓という意味では今なお重要な意義を持ち続けてい ることを改めて確認しておきたいというのが本稿の主眼でもある。
その確認作業の手始めとして,ソ連型経済をめぐっての,前世紀における論議から入 っていくことにしよう。ところで,そのような作業を少し手掛けてみれば容易に気づく ように,ソ連型経済成立の当初から,上のような帰結の不可避性を見抜いていて,その 意味で現段階での歴史的評価にも耐えうるような見解は予想外に少ないことにむしろ驚 かざるをえない。実際,ソ連型経済体制のよって立つ特定のイデオロギー的立場への
「思い入れ」が強すぎたり,あるいは資本主義経済に対する反感から,ソ連型経済を含 め,社会主義経済に対して肩入れしがちであった,前世紀に特有とも言うべき支配的風 潮や特に知的雰囲気に影響されて,今日から見ると甘いとしか言いようのない,価値判 断と事実判断を混同した議論の方が圧倒的に多かったことを改めて想起しておくべきで あろ
3
う。もちろん,ここで言おうとしているのは,ソ連型経済の行く末を完璧に予想し
────────────
1 例えば,福田[6]を参照。
2 特に経済学者による本格的な研究の少なさがそのことを裏付けているが,そのような我が国における状 況の中で例外的存在と言ってよいのが盛田[11]である。同書の「第一部 社会主義経済の失敗」は本 稿と同じ問題意識で貫かれており,必読文献として推薦に値する。
3 実際,このような例は枚挙に暇がないが,そのような中で異色であったのがシュンペーターの議論であ った。彼は社会主義経済を中央管理当局が生産手段や生産そのものへの統制権をもつ集権的システムと 定義した上で,社会主義経済の運営の比較的容易さについて論じるとともに,資本主義経済はその成!
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ていた(そのようなことはいくら天才と言えども人間の能力の遠く及ぶところでないで あろう)か否かということではなく,経済体制としてのソ連型経済の実行可能性や,そ の「理念と現実のギャップの大きさ」について,どの程度事態を冷静に見つめ,透徹し た判断を下せたか否かということであるが,ここではそのような慧眼を有していた代表 的な経済学者として,ハイエク(Friedlich von Hayek, 1899〜1992)とケインズ(John
Maynard Keynes, 1883〜1946)を特に取り上げておきたい。その卓見ぶりはやはり二十
世紀を代表する知性と言われるに値するものを披瀝していると思われるからであ4
る。
2.ケインズ他の達見
まず,ハイエクであるが,彼は師にあたるミーゼスととともに,1920年代から
40
年 代にかけて行われた,いわゆる「社会主義経済計算論争」において論争の一方の主役を 務め,論争の期間を通じて,私的所有制に基づく市場メカニズムを排除した社会主義経 済(言うまでもなく,ソ連型経済もそのなかに含まれる)は極めて非効率な経済システ ムとならざるをえないことを首尾一貫して主張していた。彼らの主張は,当時こそ無視 されるか,考慮された場合でもそれほど重要でないとして軽視されたものの,ソ連型経 済の実験が失敗に終わった今日から見ると,正に問題の核心をついており,その意味で 先見の明を誇るに値する内容をもつものであったことが近年では再評価されるようにな っている。このことは,経済理論なり学説の評価がいかに時代的制約から自由でないか を物語る格好の実例といってよいが,それについては他のところで詳しく論じたことが あるので,ここではこれ以上立ち入ることはしな5
い。
ハイエクとともにケインズを挙げるのは,あるいは意外に思われるかもしれない。両 者は資本主義経済の運営に関して,政府介入の必要性を認めるか否かで決定的な一線を 画しており,その観点から対立的に取り上げられることの方が多いからである。しか し,ことソ連型経済の評価に関する限り,両者は相違点よりも一致点の方が多いことは ここで強調しておくに値しよう。すなわち,ケインズは,マルクス派社会主義を「健全 な思想の持ち主や思慮分別のある人々」なら到底受け入れられるはずのない「貧弱な思 考の見本」であると断定し,またそこに嫉妬と憎悪といった反知性主義を看取していた
────────────
! 功の故に社会主義経済に道を譲らざるをえないという彼独特の資本主義経済崩壊論を展開し(Schum-
peter[17]),価値判断と事実判断を峻別した議論としても注目を集めたが,今日から見るとき彼の事実
判断に誤りがあったことははっきりしたと言ってよく,その意味で彼もやはり社会主義経済に肩入れし がちな当時の知的雰囲気の影響から自由ではなかったと言える。
4 達見ということでは,ここでは狭義の経済学者に収まりきらないところから取り上げなかったが,マッ クス・ウェーバーの見解もハイエクやケインズのそれを凌ぐほどの内容をもつものとして触れておくべ きであろう。特に,ロシア革命をめぐってのシュンペーターとの対話はシュンペーターの皮相とも言う べき見解に対してウェーバーの時代を見る目の確かさを裏付けるものとしてきわめて興味深いが,それ について詳しくは大林[16]1−4ページを参照。
5 福田[5]を参照。
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から,その教義に立脚するソ連型経済の実行可能性,ましてやその体制の優越性につい て幻想をもつことを強く戒めた。なぜなら,彼にとって,資本主義は多くの点で特に道 徳的に好ましくないとしても,経済問題を有効に解決するうえで,「資本主義の本質的 特徴と思われるもの──すなわち,経済機構の主要な推進力として,個人の金儲け本能 および貨幣愛本能に依存しているという点」を活用すること以外に実際的方法はありえ ず,しかも彼は「資本主義は賢明に管理されるかぎり,おそらく,経済的目的を達成す るうえで,今までに見られたどのような代替的システムにもまして効率的なものにする ことができる」と考えていたからであ
6
る。
もっとも,ケインズにとってソ連型経済は唾棄すべきものであったが,原則的反対論 に終始したハイエクとは異なり,現実主義者ケインズはソ連型経済の実行可能性につい ても一定の留保条件付きながら,それを是認していた。たとえば,妻リディア・ロポコ ヴァとともに彼女の祖国ロシアを訪問した印象記である『ロシア管見』において,彼は 次のように述べている。「私は一つの結論を確信している──もしもコ
!
ミ
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ュ
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ニ
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ズ
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が一 定の勝利を収めるとすれば,それは,改良された経済運営技術としてではなく,一つの 宗教としてその勝利を収めるだろうという結論であ
7
る」。後にも見るように,これはソ 連型経済の成功の正に一面を言い当てているわけであるが,ケインズの時代を見る目の 確かさがここからも窺うことができよう。
3.実験の経験の総括を
このようにソ連型経済の将来とその可能性を的確に見通していた点で,ハイエクやケ インズの議論は卓越した先見性を示してはいたが,それにしてもソ連型経済の実験は短 くとも約半世紀,ソ連の場合は七十年以上も続いたわけで,特にハイエクのような破綻 必然説のみでこの世紀にわたる大実験をすべて説明するにはあまりに長期にわたりすぎ ているし,第一それではこの数十年間にわたる実験の経験から学ぶことが余りに少なす ぎるとの謗りは免れないであろう。「事実は小説よりも奇なり」の譬えの如く,現実は はるかに変化に富むものであったことはやはり否定できないからである。
したがって,結局は破綻することになったにせよ,この実験の原動力は何であり,ど こにどういう形で破綻につながる問題点が生じたのか,また何故数十年間にもわたって 実験は持続することができたのか,そしてまたそれを支えた要因は何であったのか,等 について,実
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際
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,改めて立ち入った総括を加えておくことが,今なお 必要とされているように思われる。とは言え,このこと自体多岐にわたる,極めて厖大 な検証を必要とする事柄であるだけに,この小論で論じ尽くすというわけにはとてもい
────────────
6 Keynes[8],p. 285, pp. 293−4(邦訳 341ページ,350−52ページ)を参照。
7 Keynes[8],p. 267(邦訳 316ページ)を参照。
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かないが,以下では,その方向に向けての,一つの試論ということで論じてみることに したい。
Ⅱ なぜ多くの人々を魅了したか
1.擬似宗教的性格とその陥穽
マルクス派社会主義が宗教的側面をもっていることは,先に取り上げたケインズもそ うであったが,その思想を科学的分析の対象とした多くの論者によって,しばしば指摘 されてきた。とりわけ,有名なのはシュンペーター(Joseph Alois Schumpeter, 1883〜
1950)で,主著の一つに数えられる『資本主義,社会主義,民主主義』の冒頭の章を予
言者マルクス(Karl Marx, 1818〜83)と題し,そのなかで,次のように述べている。「一つの重要な意味において,マルクス主義は宗教であ
!
る
!
。信奉者に対して,それは第 一に,人生の意義を体現し,かつ出来事や行動を判断する絶対的基準となる究極的目的 の体系を授与し,第二に,救世の計画と,人類ないしその選民階層にとって免れるべき 害悪の予示とが含まれる,そのような目的のための指針を提供する。さらに言うなら ば,マルクス主義的社会主義もまた,この世に天国を約束する宗教の一派に属す
8
る」。 シュンペーターによれば,マルクス派社会主義の,このような宗教性こそ,その成功を 説明する鍵にほかならなかったが,実際,その思想を一度体得すれば,世界の出来事す べてについての正しい判断と何をなすべきかについての的確な行動指針が与えられると いうのは,言わば万能思想であり,この万能思想としての宗教的魅力が多くの人々を引 き付ける原動力となったことは想像に難くない。
しかし,この宗教的魅力は,マルクス派社会主義の普及を図るうえで強力な武器とな った反面,自らに跳ね返って身を滅ぼす両刃の剣としての側面を合わせ持つものでもあ った。というのは,マルクス派社会主義の場合,宗教は阿片として忌避し,「科学的社 会主義」の立場こそ自らの真髄であると主張していたから,宗教的魅力と言ってもそれ が純粋に宗教教義上のものに止まっているはずはなく,世界に関する絶対的真理の体系 であるとの自負のもと自らの主張を科学の名において正当化することにならざるをえな かったからである。このように宗教を峻拒しながら,実は宗教性から抜け出せないとい うマルクス派社会主義のジレンマ的状況を最も象徴的に示しているのが,その思想の絶 対的優越性を強調すればするほど,マルクス派社会主義の創始者たるマルクス・エンゲ ルスの原典が言わば経典として祭り上げられる度合いが強まっていくということであっ た。しかし,少し考えてみれば分かるように,あらゆる主張が経典と矛盾しているかい ないかによって,その正当性が決められるというのはおよそ科学の世界とは最も縁遠
────────────
8 Schumpeter[17],p. 5(邦訳 6ページ)を参照。ただし,訳については一部修正を加えた。
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く,かつ相容れないものであって,宗教の世界にこそ似つかわしいものであることは言 うまでもなく,かくて科学の世界にこのような教条主義の傾向を持ち込んだマルクス派 社会主義は科学としては閉塞状況に陥っていくことにならざるをえなかった。
2.絶対権力の絶対的腐敗
マルクス派社会主義が落ち込んだ陥穽が,この科学としての閉塞性の問題に限られて いたならば,実はそれほど重大視するに足らなかったかもしれない。しかし,マルクス 派社会主義はすぐれて実践的な思想でもあったから,それが実際における行動原理とし て採用されたとき,その教条主義的体質は最も醜悪な側面を露呈することになった。そ れは反対者に対する徹底した不寛容性ということであり,非マルクス主義者に対しては もちろんであるが,正統派マルクス主義者に反対する異端派マルクス主義者に対しても 同等か,多くの場合,それ以上に厳しい非難が浴びせられた。およそ絶対的真理という ものに複数の解釈が許されない以上,反対者や正統的解釈に対する異端派は単に知的に 誤っているだけでなく,罪をも犯しているとして,道徳的にも糾弾されねばならなかっ たからである。マルクス派社会主義が実践に移された国で,例外なく,反対者に対する 苛酷な弾圧と物理的抹殺が行われたことは,このような宗教戦争を連想させる,魔女狩 りの行為が避けられなかったことを如実に物語るものである。
このような弾圧と粛清の実態については,それに関する情報が徹底した秘密主義のヴ ェールに包まれていたために,その全貌は未だに明らかでなく,今後の調査によっても どの程度まで解明できるかさえ危ぶまれているが,確かなことは大粛清,しかも自国民 による自国民の集団殺害というおぞましい現象が史上未曾有と言ってよい規模の大きさ で,理想社会を建設するためという名目において繰り広げられたということである。旧 ソ連の場合,犠牲者は二千万人を下らないと言われ,歴史学者ユーリィ・アファナーシ ェフによれ
9
ば三世代の間に少なくとも約五千万人という恐るべき数字が挙げられてい る。また,中国の場合は,文化大革命期だけでも死に追いやられた者は約一千万人を下 らず,大躍進期などをも含めるとその数はやはり数千万人に達すると言われている
10
し,
最も残虐な例としてはクメール・ルージュ政権のもとで何と国民の四分の一に相当する 約二百万人が命を奪われたと言われるカンボジアの場合を挙げることができ
11
る。
それにしても,何故これだけ大規模な人的犠牲が許容され,また可能であったのかは なお理解の域を越えていると言われるかもしれない。そこで,ここでは先に述べたこと
────────────
9 和田他[18]第2巻 239ページ。
10 ユン・チアンとジョン・ハリデイの最近著(Jung Chang & Jon Halliday[1])では七千万人を優に上回 るとされている。
11 共産主義体制下での人的犠牲者数の推計とその実態解明については,例えば,クルトワ他著[2]に詳 しい。
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に加え,さらに二つのことを指摘しておきたい。一つは,マルクス派社会主義の試みは 権力は腐敗するとの「健全な常識」に対する挑戦という意味をもっていたが,神ならぬ 人間の社会において,そのような無謀な企てが成功するはずもなく,逆に史上例をみな いほどの絶対権力であったが故に,その腐敗もまた前代未聞の規模に達したということ である。批判を許さない絶対権力は自己神格化に陥り,その行動に歯止めを失うことに よって,言わば絶対的に腐敗したというわけである。いま一つは,弾圧や粛清に一度手 を染めると,それはますますエスカレートしていかざるをえないという悪循環の法則と も言うべきものがはたらくということである。もともと血を伴う弾圧は復讐を招き,そ れを防ぐためには弾圧を一層強めざるをえないということになりやすいが,その過程で 人間性の荒廃,堕落も進むことが異常な状況に対する正常な判断能力をも見失わせ,と りわけ密告,しかも言われなき密告までもが奨励される結果となったことは恐怖と不信 のどん底に人々を陥れ,偽善,迎合,裏切りといった,およそ人間性の最も醜い部分に 最大の活路を開くことになったのであった。
3.完全システムへの憧憬
ソ連型経済もその一例であるマルクス派社会主義の実験を経済システムの面より見れ ば,社会の経済活動を中央から統一的に制御することが可能であり,またそうすること が望ましいとする,中央計画至上主義を明らかに唱導するものであった。もし,このこ とがその期待どおりに実現可能であったとすれば,ソ連型経済はすべての経済問題を解 決できる完全システムとして登場しうるはずであった。そして,この完全システムとし ての可能性を秘めていたからこそ,資本主義市場経済に代わるシステムとしてソ連型経 済システムに多くの人々が魅せられたことを今日から見て否定することはできない。先 にマルクス派社会主義は万能の思想としての魅力をもっていたことに触れたが,ソ連型 経済は経済システムの面から,そのことを裏付ける万能の完全システムとして位置づけ られるものであったのである。
もっとも,ソ連型経済システムの完全システムとしての可能性に魅せられた人といえ ども,よほどの楽天家でないかぎり,文字通りの完全システムが直ちに実現可能である と考えたわけでないことは確かであろう。ここで確認しておくべきは,特に二十世紀前 半にさまざまな弊害を露呈して,一般的危機の状態にあると言われた資本主義経済の現 実の姿にも影響されたにせよ,ソ連型経済システムを支持する人にとって,その経済が 資本主義経済よりもはるかに良好なパフォーマンスを示すことだけは確実であると考え られていたという事実である。
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4.
「計画の神話」の無謀性しかし,今日から見て言えば,どちらの考え方であるにせよ,やはり「計画の神話」
の幻想に囚われていたことには変わりはなかった。そこには中央から国民経済全体を統 一的・総合的に管理運営していくことが途方もない天文学的な仕事量にならざるをえな いことについての基本的認識が不足していたために,そもそも可能であるか否かについ ての検討すら十分になされず,当然可能であるはずだという確信が無批判的に受け入れ られていることでは共通していたからである。
このように言うことはあるいはソ連型経済にとって厳しすぎる評価であると思われる かもしれない。しかし,そうではないのであって,今日改めて再確認しておくべきこと は,ソ連型経済のように,既存のシステムを否定して,全く新しいシステムを導入しよ うという試みの場合には,その新しいシステムが少なくとも既存システムと同程度には 実行可能であり,かつ存続可能であることが,その導入に先立って厳しく検証されてお く必要があるということであり,そうでなければ無謀な試みであることが判明した場合 の結果責任は,取り返しのつかない巨大なものとならざるをえないということである。
この点は,たとえば,「鳥と飛行機」の例になぞらえると分かりやすいかもしれな い。つまり,鳥は何故飛べるかということがたとえ分かっていなくとも,鳥は空を飛べ るし,実際に飛んでいるという事実そのものには変わりがない。しかし,鳥の飛び方が 気に食わないからといって自ら空を飛んでみようという場合には,人を運ぶ飛行機の設 計に万全が期せられていなければ,致命的な事故を引き起こし,身を滅ぼすのは必至で あるということになる。資本主義市場経済の場合には,自然発生的要素にそれが多分に 依拠しているかぎりにおいて,言わば鳥が空を飛んでいる状態にたとえられ,その実行 可能性と存続可能性には曲がりなりにせよ歴史の試練に耐えてきたという実績により,
一応のお墨付きが与えられているのに対し,ソ連型経済の場合には,その「導きの糸」
となるべき主導原理が実績の裏付けを欠き,不備というか,好意的に見るとしても希望 的観測に頼りすぎていたために,机上のプランとして留まっておればともかく,現実に 実施に移されたときには,大きなぼろを出すことにならざるをえなかったというわけで ある。
ともあれ,ソ連型経済の破綻の原因を突き詰めていけば,結局のところ,この青写真 自体が杜撰なものであったという事情に行き着かざるをえない。しかし,ここまでの議 論はやや一般的にすぎるし,また破綻の原因という観点からもきわめて重要な論点であ るので,青写真の杜撰さということが実際問題としてどういうことを意味していたかに ついて,より立ち入った考察をさらに加えておくことにしよう。
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60(452)
Ⅲ 青写真で何が見落とされていたか
1.市場経済への一面的評価
ソ連型経済の青写真が杜撰であったという場合,まず第一に取り上げられるべきは,
経済システムとして見た場合,ソ連型経済の青写真が実は資本主義市場経済を裏返しに した,写真で言えばポジに対してネガの関係にあるという問題であろう。そのことは前
節(蠢
. 1.)で指摘した三つの基本的特徴からも容易に看取できようが,資本主義市場経
済の現実を厳しく告発し,そこにおける言わば諸悪の根源を断つためにはその止揚,つ まりは全面的見直しこそが必要であるとの立場から導入されたのがソ連型経済であって みれば,このような資本主義市場経済に対する徹底した拒否の姿勢はその意味で当然と 言えば当然のことであった。
しかし,今日から見てやはり問題とせざるをえないのは,資本主義市場経済に対する 憎悪にも近い敵対的姿勢であり,そこには「坊さんが憎けりゃ袈裟まで憎い」式の感情 が支配していたと思われることである。確かに,特に二十世紀前半において,多くの困 難を露呈した資本主義市場経済がそれだけの憎悪の対象となりえたことは想像に難くな い。にもかかわらず,そうであるからと言って,資本主義市場経済の全面廃棄の主張に まで行き着いたのは論理的に考えても飛躍がありすぎたことは認められねばならない。
もっとも,全面廃棄の主張は極端で,かつ単純明快であるだけに現状批判の武器とし ては強力で,実際功を奏し,またそのことがソ連型経済の未知の可能性に対する魅力を も高めた面のあることは否定できない。しかし,ここで問題としているのは,そのよう に批判の論理(むしろ破壊の論理と言うべきであるかもしれないが)として成功を収め たことこそ,逆に建設の論理としての致命的な弱点を浮き彫りにするものであったとい うことである。というのは,否定の標的とされた資本主義市場経済自体,現代経済を運 営していくうえで不可欠な一連の要素を実は合わせもっていたから,それらの排除をも 前面に押し立てて主張することは,言わば「産湯とともに赤子を流す」という過ちを自 ら犯す羽目に陥らざるをえなかったからである。要するに,資本主義市場経済の糾弾に 急な余り,その掛け替えのない特性までをも無視して省みないという一面的評価の通弊 をそこには指摘できるということである。
2.量より質への転化
このような資本主義市場経済に対する一面的評価が,たとえ一定期間にせよ,何故定 着しえたのか,今となってはすこぶる疑問に思えるかもしれないが,その疑問を解くた めには先に述べた「計画の神話」の幻想が何に立脚するものであったのか,その内実に
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まで立ち入って明らかにしなければならない。市場経済に対する一面的評価と計画の神 話とは実は表裏一体の関係に立つものであったからである。
マルクス派社会主義思想の社会主義経済運営観を特徴的に示していると言えるのが,
国民経済全体をあたかも一つの工場のように意識的・計画的に管理運営することが可能 であり,その際市場メカニズムといった回りくどいやり方に頼ることなく,より直接的 な現物経済の方式でそれに代替できるという発想であった。このような発想はもともと サン・シモン主義者に由来すると言われているが,よく知られているように,マルクス はもちろん,エンゲルス,レーニンなどもそれを基本的に継承していた。例えば,マル クスは『資本論』の第
1
部第12
章において,社会的分業の意識的規制を工場内分業の 計画的規制になぞらえて説明することによって,工場内分業の直接的で意識的な性格が 社会全体の分業の場合にも成立することを示唆している12
し,またエンゲルスは『反デュ ーリング論』の中で国民経済全体の計画的運営に伴う経済計算の簡便性と実物計算の容 易さについて無邪気と言えるほど楽観的に語ってい
13
る。さらにレーニンは『国家と革 命』の中で社会主義経済の運営に関して次のように述べてい
14
る。「計算と統制──これ が共産主義社会の第一段階[社会主義社会のこと:引用者注]が具合よく運営されるために必 要とされる主要なものである。……必要なことは彼らが仕事の基準を正しく守って,平
────────────
12 なかでも,よく引用される最も有名な記述は次の箇所である。「作業場のなかでの分業ではア・プリオ リに計画的に守られる規則が,社会[ブルジョア社会のこと:引用者注]のなかでの分業では,ただア
・ポステリオリに,内的な,無言の,市場価格の晴雨計的変動によって知覚される,商品生産者たちの 無規律な恣意を圧倒する自然必然性として,作用するだけである。マニュフアクチュア的分業は,資本 家のものである全体機構のただの足でしかすぎない人々にたいして資本家のもつ無条件的権威を前提す る。社会的分業は独立の商品生産者たちを互いに対立させ,彼らは,競争という権威のほかには,すな わち彼らの相互の利害関係の圧迫が彼らに加える強制のほかには,どんな権威も認めないのであって,
それは,ちょうど,動物界でも万人にたいする万人の戦いがすべての種の生存条件を多かれ少なかれ維 持しているのと同様である。それだからこそ,マニュファクチュア的分業……を,労働の生産力を高く する労働組織として賛美するブルジョア的意識が,同様に声高く,社会的生産過程のいっさいの意識的 社会的な統御や規制を,個別資本家の不可侵の所有権や自由や自律的『独創性』の侵害として非難する のである。工場制度の熱狂的な弁護者たちが,社会的労働のどんな一般的な組織に向かっても,それは 全社会を一つの工場にしてしまうだろう,という以上にひどい呪いの言葉を知らないということは,ま ことに特徴的なことである」(マルクス『資本論蠢a』,マルクス=エンゲルス全集 第23巻第1分冊 大月書店 1965, 466−7ページ)。
13 様々な箇所でそのことに言及しているが,ここでは最も直截に述べている所を引用しておこう。「社会 が生産手段を掌握し,生産のために直接に社会的に結合して,その生産手段を使用するようになったそ のときから,各人の労働は,その特殊な有用性がどんなにさまざまであっても,はじめから直接に社会 的な労働となる。そうなれば,ある生産物にふくまれる社会的労働の量を,まず回り道をして確かめる には及ばない。平均的にどれだけの社会的労働が必要かということは,日々の経験が直接に示してくれ る。蒸気機関一台,最近の収穫期の小麦1ヘクリットル,一定品質の布100平方メートルに,どれだけ の労働時間がふくまれているかを,社会は簡単に計算することができる。だから,そのときになれば,
生産物に投入された労働量が社会には直接にまた絶対的にわかっているのに,その後もあいかわらず,
以前には便法としてやむをえなかった,単なる相対的な,動揺的な,不十分な尺度で,……それを表現 し,それの自然的な,十全な,絶対的尺度である時間で表現しないなどということは,社会にとって思 いもよらないことである。……人々は高名な『価値』の仲だちによらないでも,万事をしごく簡単にや っていくであろう」(エンゲルス『反デューリング論』マルクス=エンゲルス全集 第20巻 大月書店
1968, 318−9ページ)。
14 レーニン『国家と革命』岩波文庫 141ページ。
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62(454)
等に働き,平等の賃金を受け取ることだけである。これを計算し,これを統制すること は資本主義によって極度に単純化され,監督や記録,算術の四則の知識や受領証の発行 というような,読
!
み
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書
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き
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の
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で
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き
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」(傍点は引用者)。
このような発想に共通して欠落していたのは,国民経済全体を管理運営することと一 工場を管理運営することとの間には,人知では決して越えることのできない,途方もな く巨大な溝が横たわっているという認識であった。つまり,国民経済レベルでの問題解 決のために必要とされる仕事量と一工場レベルでのそれとの相違を単に量的なものにす ぎないと見るのはあくまで純粋論理としてのみ許されることであって,実際問題として は両者の間には問題の量から質への転化が見られると言ってよいほどの,大きな懸隔が あるということである。
3.理性の有限性
このことは実は案外見落とされやすいことであるが,問題を少し具体的に考えてみれ ば,それが実際にどれほど決定的な意味をもつかは容易に確かめることができる。そこ で,今一つの例として,相互に依存し合っている
1,000
個の変数から成るシステムを考 え,各変数には2
つの状態が対応しているものとしよう。これはシステムとして,特に 社会経済システムを念頭においた場合,複雑というよりもむしろ単純な部類に属するも のと言ってよいが,このシステムを完全に把握するために必要な情報量は実に10
の100
乗ビットにも達するとい15
う。この情報量がいかに膨大なものであるかを理解するには多 数の最新のコンピューターをつぎ込み,10年単位の相当な時間をかけても,処理可能 な情報量の上限は
10
の60
乗から70
乗ビットの範囲に止まるという事実を指摘するだ けで十分であろう。このように,システムがある程度複雑性を増すだけで,それを認識するための情報量 は人間の能力をはるかに凌駕する天文学的な数字に達するのであって,いわんや国民経 済レベルにおけるような複雑なシステムということになればなおさら,そのギャップは さらに途方もなく拡大することにならざるをえない。しかも,現実のシステムは絶えず 変化をしていることをも考えれば考えるほど,国民経済レベルでのシステムを中央から 一元的に管理運営しようと企てること自体,いかに人間理性の有限性を全く弁えぬ,無 謀極まりない試みであるかは明らかであろう。先の数字例からすればむしろ控えめと思 われるかもしれないが,旧ソ連邦のウクライナ共和国の場合について,そこでの資材供 給計画に万全を期そうとすれば,その計画作成の仕事だけで世界人口の
1,000
万年分の 労働力が必要であるとの試算結果が出された例もあることを参考のために付け加えてお────────────
15 Hu[7],pp. 34−5.
「計画の大失敗」の体制論的考察(福田) (455)63
こ
16
う。
それにしても,何故このような単純とも言うべき事実が無視されたのか,単なる無知 や見落としということだけで片付けるには問題はやはり大きすぎると言われるかもしれ ない。そこで,これまで述べたこととも一部関連はするが,「計画の神話」が幅を利か すようになった背後の事情として,他に二つばかりのことをここで強調しておきたい。
一つは,マルクス派社会主義者にとって資本主義市場経済を裏返しにした社会主義経済 は地上に実現された言わば豊かな楽園であり,そこでは稀少性の軛から基本的に解放さ れるから,稀少性世界で頭を悩ませていた,稀少な資源をいかに効率的に利用するかと いう国民経済の合理的運営の問題は重大視するにあたらないと考えられていたと思われ ることである。いま一つは,理性信仰と言うべきであろうが,人間理性の可能性に対し て無限と言ってもよい信頼がおかれていたことに加え,将来社会は何はともあれ現存社 会よりは必ずよくなるはずであるという進歩史観が,意識すると否とを問わず,前提と されていたということである。
4.利害調整の等閑視とその帰結
「計画の神話」の虚構性は理性の有限性の無視だけに尽きるわけではない。というの は,たとえ百歩譲って理性の有限性の問題が存在せず,したがって完全な計画が作成で きるとしても,その計画が筋書き通りに実行できることが保証されなければ,完全な計 画も画餅に帰し,やはり「計画の神話」は成立しないことになるからである。ここでの 問題は計画の実行に携わる具体的人間を計画が体現しているはずの社会的利益の実現に 向けて,いかに誘導していくかという利害調整ないし動機付けの側面に係わるが,この 面でも「計画の神話」の虚構性は白日の下に晒されることになった。
まず,社会的利益と言っても,例えば,アローの社会的選好に関する「不可能性定 理」が示唆するように,多数決制のもとで,しかも一つの争点についてのみであるとし ても,その合意形成は可能であるとは限らないから,ましてやソ連型経済のように中央 で細目にまで立ち入って決められる多くの計画目標が全員一致で追求されるなどという ことはまずありえない。つまり,個別的利益と社会的利益の乖離は中央で決定されるこ とが多ければ多いほどむしろ顕在化するし,またそうなれば社会的利益と称するものの 実体もその時の権力者の意向を反映するという傾向が強まることにもならざるをえな い。したがって,中央で決められた計画が首尾よく達成されるためには,社会的利益を 体現していると称する計画目標の実現を各個別主体が図るように誘導していく利害調整 の仕組みがうまく機能していることが決定的に重要ということになる。
しかし,問題の複雑さから考えて,そもそも市場メカニズムを抜きにして,このよう
────────────
16 Nove[14],pp. 33−4,およびNove[15],p. 37.
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な仕組みを実際に考えることができるのか否かがより根本的な問題として問われていた にもかかわらず,現実のソ連型経済の場合,そのような認識自体が欠けていただけでな く,利害対立の事態そのものに否定的か,それを軽視する姿勢をとり続けたから,個別 的利益と社会的利益の乖離は拡大こそすれ,縮小には程遠いというのが実態であった。
そして,そのような中で社会的利益の実現を優先させればさせるほど,個別的利益を強 権によって押さえつけることにならざるをえなかった。前節(蠢
. 2.)で見た権力の腐敗
現象がこのような利害調整の失敗を糊塗しようとする企てに付随して発生した出来事で あることは改めて指摘するまでもないであろう。5.素朴すぎる人間・社会観
では何故このような利害調整の問題が等閑視され,その結果として深刻な問題を生み 出すことになったかと言えば,最も決定的な事柄としてはやはり所有制の転換というこ とが挙げられよう。すなわち,私的所有制を廃棄して公的所有制に全面的に転換した暁 には,搾取や人間疎外が一掃されることに伴って,個別的利益と社会的利益の乖離は完 全にとまでは言わないとしても,少なくとも大幅に縮小するはずであるとの期待が,こ こでも資本主義市場経済の裏返しとしてのソ連型経済にやはりかけられたのであった。
しかし,現実の不完全な人間に抜き難く存在する自利心は,革命直後の社会的意識が 異常に高揚した一時期を別とすれ
17
ば,所有制の転換で消滅するどころか,公的所有制を むしろ逆手に取って,社会的利益をかえって害する方向にはたらくことになった。「人 は自分のお金を使うときに最も注意深く使う」と言われるが,すべての人の所有という のはその実誰のものでもないという側面を強くもっているから,共有財産の浪費や管理 の手抜きといった問題が表面化し,計画当局にとって言わば頭痛の種になるとともに,
システムそのものの機能効率を大きく引き下げることになったからである。また,公平 性を重視する余り,賃金格差を極度に縮小したことは一生懸命働いても,熱心に働かな くとも結果の差に反映されないことから,努力に対してペナルティーを科すことを事実 上意味し,人々の士気を低下させることにつながったこともここで指摘しておくべきで あろう。
────────────
17 もっとも,個人の利益よりも社会・国家の利益を優先する雰囲気が醸成されやすいのは,何も革命直後 の時期に限られるわけではなく,国内外における敵対的勢力からの脅威といった,国家存続を危機に陥 れる状況が,客観的に存在している場合はもちろん,たとえ主観的にせよ存在すると信じ込んでいるに すぎない場合であっても,観察されうる。実際,ソ連型経済諸国の指導者にとってそのような効果を狙 った政治的キャンぺーンは自らの体制固めのための常套手段であったとすら言いうる(中国におけるい わゆる不断革命論や社会主義社会における階級闘争論もこの観点からそれに一定の意義を与えることも 可能であると思われる)。しかし,たとえ意図した社会的緊張状態が一時的に創り出せたとしても,そ の状態をいつまでも持続させることは不可能であるという意味で,この方策には本来的に大きな限界が あり,それを無理して強行し続けようとすれば,例えば文化大革命に典型的に見られたように,狂信的 行為にまで行き着く破滅的帰結が待ち受けているだけであった。
「計画の大失敗」の体制論的考察(福田) (457)65
ここには人間の本性を余りに理想化し,また社会の利害対立を調和的に把捉しすぎた ことの限界が鮮やかに示されていると言ってよいが,先に触れた大量粛清との結び付き をも考え合わせるとき,このような素朴すぎる人間・社会観の余りに高価な代償を見な いわけにはいかない。この点市場メカニズムが問題を有しながらも,人間を過度に理想 化せず,人間性のむしろ低い部分に合わせることによって強靭な生命力を保持している のとは著しい対照をなすものと言わねばならない。
Ⅳ なぜ長期間存続しえたのか
1.ソ連型経済の一定局面での有効性
ソ連型経済の青写真がいかに杜撰であり,したがってその経済が結局破綻せざるをえ ない運命にあったことは分かったとしても,旧ソ連の場合で約
70
年,東欧諸国の場合 でも40
年以上ソ連型経済が存続しえたという事実はやはり重いと言わねばならない。そして,その事実判断を無視することができない以上,ソ連型経済がこれほどの長期に わたってなぜ存続しえたのか,また存続を現実に可能とした要因は具体的に何であった のかが当然次に問題として提起されることにならざるをえない。それにソ連型経済の実 際の経験を総括してみようとする場合にも,この問題はそれに答えることを避けて通れ ないほど重要な論点の一つであると言ってもよい事柄なので,以下ではその設問につい て筆者なりの解答を提示してみることにしたい。
まず第一に指摘しておくべきは,ソ連型経済の問題点にこれまでは焦点を合わせすぎ たきらいがあるかもしれないが,ソ連型経済はいつ,いかなる状況の下でも有効性を全 くもたないということではなく,一定の条件が満たされるならばそれなりに機能するこ とも可能であるということである。では,その一定の条件とは何かが次に問われねばな らないが,それについての最も行き届いた整理を行った公文の議
18
論を主に参考として言 えば,次のような三条件を挙げることができる。
(1)経済構造が比較的単純であり,また模倣できるキャッチ・アップ対象国が既に存 在すること。
(2)追求すべき政策目標が比較的単純かつ少数であり,また短期間に限られるもので あること。
(3)社会や政治が混乱し,敵対的な環境が醸成されていること。
第一の条件と第二の条件の前半とが,中央からの一元的管理の困難性,とりわけ計画 当局の情報収集・処理能力の限界を大幅に緩和させ,中央計画の相対的有効性を高める
────────────
18 村上・公文・熊谷[12]410−13ページ。ただし,公文においては4条件が挙げられているが,ここで はそれを3条件に整理した。
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方向にはたらくであろうことは容易に推察されよう。また,第三の条件が,強力な中央 主導体制を要請する事情としてはたらくとともに,個人の利益よりも集団・国家の利益 を優先する雰囲気を作り出すことを通じて,利害調整の必要性を背後に押しやる結果に つながるであろうことも了解されよう。なお,第二の条件の後半は,単純明快な政策目 標(ソ連型経済の実際の例に即して言えば,急速な重化学工業化)ほどその代償も大き く,それ故その政策は長続きしないとの期待が抱かれることがやはり利害対立を激化さ せないために必要であることに注意を喚起しようとしたものである。
2.成功の故に消滅した有効性
これら三条件に関する議論から確認できることは,それらの条件が満たされている限 り,ソ連型経済はそのシステムに固有の致命的な限界を露呈することなしに,それなり に有効に機能できるということである。そして,このような状況こそ,ソ連型経済の存 続可能性を保証するものに外ならないということである。実際,ソ連型経済を採用し た,いずれの国においても初期の頃には今日から見て素晴らしいと言えるかどうかはと もかく,少なくともかなりの成果が現実に達成されたわけであるが,ソ連型経済成立の 経緯を振り返ってみれば分かるように,その時期においては実は上の三条件がほぼ満た される状況が成立していたのである。
しかし,ここで確認しておくべき,より重要なことは,ソ連型経済の存続可能性を保 証する,これら三条件はいずれも永続しうるものではなく,むしろ早晩消滅するか,放 棄される筋合いのものであるということである。すなわち,ソ連型経済の初期局面にお ける急速な工業化政策が成功すればするほど,後進的要素が次第に払拭され,経済構造
・政策目標は高度化・複雑化していくことになり,それに伴って社会も安定化し,政策 転換の必要性も高まっていくからである。第三の条件は別とすれば,この点は遊休資源 や過剰労働力の追加投入による量的拡大を特徴とする外延的成長(extensive growth)か ら,稀少化した労働力や資源の効率的利用による質的成長を特徴とする集約的成長(in-
tensive growth)への移行として取り上げられることも多いが,その議論に結び付けて言
えば,ソ連型経済は外延的成長の局面では有効性をもちえても,集約的成長の局面では その限界を露呈せざるをえないというように言い換えることもできよう。しかも,ソ連 型経済にとってまことに皮肉であると言わざるをえないのは外延的成長を支える体制と しての成功が自らの存立基盤を掘り崩し,その有効性が消滅するということである。3.見かけ上高められた有効性
このように,ソ連型経済は発足当初から失敗の連続であったのではなく,経済発展段 階の特定の局面では一定の有効性をもちえたわけであるが,発足直後のソ連型経済への
「計画の大失敗」の体制論的考察(福田) (459)67
強い思い入れと士気の高揚のもとでは,ソ連型経済の有効性がそのような相対的なもの にすぎないという認識は受け入れられるはずもなく,存続可能であるということ自体が 絶対的有効性をもつものと錯覚された。そして,この錯覚が続いたことこそソ連型経済 を予想以上に存続させる一因となったことをまず指摘しておくべきであろう。
だが,単なる錯覚のみにソ連型経済の長期存続の理由を求めるのは余りに安易である ことは明らかで,もっと実体的な要因をも捜し求めてみる必要があるが,ここではその ようなものとして,実は相対的有効性にすぎないものが異常な手段によって言わば大幅 に嵩上げされたこと,および一度確立された抑圧体制の堅牢性という事情を特に挙げて おきたい。
まず,有効性の嵩上げに貢献した異常な手段について言えば,最も劇的であるのは消 費の極めて大幅な切り下げが断行されたということである。例えば,ソ連の場合,1930 年代から
50
年代にかけて,それ以前のネップ期と比べると極度に消費が圧縮され,一 説では実質国民総生産に占める個人消費のシェアーは,1928年の65% から,37
年には33%,40
年には30%,50
年には26%,55
年には28% にも落ち込んだと言われ
19
る。こ れだけ劇的に消費が切り下げられたとすれば(一部は軍事支出に回されたにせよ),公 表された二桁の高成長率はソ連型経済の有効性を示すというよりもむしろ,その投資効 率の低さを表していると言ったほうがよいように思われる。
また,特にスターリン時代に広範に利用された強制労働の存在をもこの異常な手段の 一つとして数えることができよう。大量粛清の犠牲者数と同様,強制労働に従事させら れた者の正確な数は未だ明らかになっていないが,1950年
1
月の時点で強制収容所の 受刑者256
万人,その他流刑植民地などへの流刑者や追放者266
万人,合計すると優に500
万人を超えたという報告もなされてい20
る。これらの人々は苦役労働を強いられ,奴 隷のごとく酷使されたから,事実上の無償労働がこうして大量に得られたわけである。
4.抑圧体制の徹底した情報管理と変革の困難性
さらに,統計を改ざんして実態よりもよく見せることが常套手段として用いられたこ とにも触れないわけにはいかないであろう。ソ連型経済諸国の統計に信憑性の欠けるこ とは夙に知られていたが,いわゆるグラスノスチの進展以降,その改ざんぶりはこれま での予想を大幅に上回るとの推計結果が次々に出されてきた。例えば,最も大きな反響 を呼び起こしたハーニンとセリューニンの推計で
21
は,1928年から
1985
年までにソ連の 生産国民所得は6.6
倍にしか伸びていないのに対し,公式統計ではこれまで何と88.83
────────────
19 野尻・丹羽・福田・嵐田[12]64ページ。
20 和田他[17]第4巻 162ページ。
21 Khanin and Seliunin[9].彼らの推計結果と公式統計との相違についての論評はEricson[4]に詳し
い。
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68(460)
倍であるとされていたから,そこには実に約
13
倍もの開きがあるということになる。これはまことに驚くべき乖離と言う外ないが,彼らの推計の方が実態をよりよく反映し ていることは確実であるとすれ
22
ば,ソ連型経済における公式統計の杜撰さが改めて浮き 彫りにされるとともに,外延的成長期における高いとされてきた成長実績そのものも見 直される必要があるということになる。先にソ連型経済の外延的成長における相対的有 効性について述べたとき,常に「それなりに」という控えめな表現を用いたのは実はこ のような統計改ざんの問題を意識していたからであった。
それにしても,このような長期にわたる大々的な統計改ざんが可能であったというこ とは,権力批判を封じた独裁型全体主義国家の情報管理がいかに徹底していたかを物語 るものであるが,そのことは同時にまた一度確立された独裁体制はよほどのことがない 限り,簡単には崩れそうにない堅牢性によって特徴づけられるということをも意味して いる。この意味で,史上稀に見る程の絶対権力を掌握したソ連型経済が通常ならとっく に放棄されてしかるべき状態をも持ちこたえて存続することができたのは決して偶然で はなかったと言えよう。もっとも,強権体制のこのような硬構造体質は矛盾や対立が深 刻さを増せば容易に体制の脆弱性に転化しうるわけで,ソ連型経済の一見唐突な終焉は この脆弱性の現れでもあることを付け加えておくべきであろう。
参考文献
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[宮崎義一訳『説得論集』東洋経済新報社 1981].
[9]Khanin, G. and V. Selyunin, Lukavaia tsifra[狡猾な数字],Novyi mir, no. 2., 1987.
[10]Lavigne, M.,The Economics of Transition : From Socialist Economy to Market Economy,2nded. Macmil-
────────────
22 このような条件付きの言い方しかできないのは,ソ連経済の成長率に関する真実の数字を得ることが,
うその累積で塗り固めれているがために,今となっては不可能に近いと言われているからである。この 点については,ラヴィーニュの最近の議論(Lavigne[10],Chapter 4)を参照。
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lan, 1999(栖原学訳『移行の経済学:社会主義経済から市場経済へ』日本評論社,2001年)
[11]盛田常夫『体制転換の経済学』新生社 1994年。
[12]村上泰亮・熊谷尚夫・公文俊平『経済体制』岩波書店 1973年。
[13]野尻武敏・丹羽春喜・福田敏浩・嵐田万寿夫『ひとつのドラマの終り 共産主義の倒壊』晃洋書房 1990年.
[14]Nove, A.,The Economics of Feasible Socialism, London(George Allen & Unwin),1983.
[15]Nove, A.,The Economics of Feasible Socialism Revisited,London(Harper Collins Academic),1991.
[16]大林信治『マックス・ウェーバーと同時代人たち』岩波書店 1993年。
[17]Schumpeter, J. A.,Capitalism, Socialism and Democracy, New York(Harper),1942[中山伊知郎・東 畑精一訳『資本主義・社会主義・民主主義』全3冊 東洋経済新報社 1951−52].
[18]和田春樹・下斗米伸夫・NHK取材班他『NHKスペシャル 社会主義の20世紀』第2巻 および 第4巻 日本放送出版協会 1990, 1991年。
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