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『剪燈新話』「渭塘奇遇記」の戯曲化について :『

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『剪燈新話』「渭塘奇遇記」の戯曲化について :『

脈望館鈔校本古今雑劇』を中心として

その他のタイトル Dramatization of Weitang qiyu ji in Jiandeng xinhua : focusing on Maiwangguan chaojiaoben gujin zaju

著者 多田 光子

雑誌名 關西大學中國文學會紀要

巻 42

ページ 39‑57

発行年 2021‑03‑31

URL http://doi.org/10.32286/00023301

(2)

三九

『剪燈新話』 「渭塘奇遇記」の戯曲化について ―

『脈望館鈔校本古今雑劇』を中心として

多   田   光   子

はじめに

  『剪燈新話』

とは、元末明初の人瞿佑(字は宗吉)によって著された、四巻二十編と付録「秋香亭記」からなる文言

怪異小説集である。もとは四十巻あったようだが散逸し、今残るのは瞿佑が筆禍により、陝西省の保安に流されてい

たころ、四巻を持って校閲を願い出たものがおり、それを書き直したものである。それは日本に渡り、江戸時代には浅井了意が『剪燈新話』を翻案し『伽婢子』に収録したことや、上田秋成が『雨月物語』を作ったことはよく知られ

ている。『剪燈新話』のなかでも「牡丹灯記」は、明治時代の落語家、三遊亭圓朝の『怪談牡丹燈籠』のもとになったことで知られ、その後も歌舞伎に改作され、現在でも人気を誇る花形役者が演じる演目の一つとなっている。また「渭

塘奇遇記」は、それをモチーフにした落語や歌舞伎はないものの、芥川龍之介が『奇遇』のなかで、編集者と小説家の会話を通して、その物語を小説家に語らせている

  一方、中国では、『剪燈新話』は正統七年(一四四二年)に国子監祭酒の李時勉によって禁書に指定された。そのた

(3)

四〇

め、中華民国の蔵書家である董康が来日の際、内閣文庫にて『剪燈新話』を見つけて書き写し、中国に持ち帰って一九一七年に出版するまで、四巻二十編と付録「秋香亭記」を備えた『剪燈新話』が人の目に触れることはなかった。

それを読んだ魯迅は『中国小説史略』において、「その文題意境は、ともに唐人に倣つたものであるが、而し文筆は頗る冗くて弱く唐人のものとは似つかぬものであつた、だが閨情を粉飾し、艶語を点綴したので、そのため特に時流の

喜ぶところとなり、それを模倣するものが紛起した、後にそれが禁止されるやうになつて、その風は始めて衰へた」

と述べている

)(

  このように、『剪燈新話』は出版を禁じられたにもかかわらず、その物語は明代の短編小説集『三言二拍』や清代の

『聊斎志異』のモチーフとなり、あるいは『国色天香』などの通俗類書にも収録され、さらには戯曲にも改編されて伝わってきた。とりわけ「渭塘奇遇記」は、通俗類書に繰り返し収録され、戯曲に改作された作品もあることからすれ

ば、当時の人々の間でおおいに人気を博した物語だったと考えられる。ところが、「渭塘奇遇記」という物語に関する

先行研究はわずかしかなく、徐州師範大学の楊鋮、王銀浩は「瞿佑《渭塘奇遇記》的素材及本事考

」を書いているが、これも「渭塘奇遇記」のもととなった内容と『本事詩』についての考察である。そこで本稿では、「渭塘奇遇記」がど

のような形で雑劇「王文秀渭塘奇遇記」に改編されたのかを詳細にみていきたい

)(

。文言小説がいかに雑劇へと改変されたか、その過程を考察する一例になると考えるゆえである。

「渭塘奇遇記」について

  『剪燈新話』

は文言で書かれた短編小説集である。物語の来歴は「唐代伝記」であると言われ、近藤春雄氏の研究に

(4)

四一 詳しい

)(

。構成については、作者瞿佑の生い立ちが関わってくるため、まずは瞿佑とその時代背景について簡単に触れておく。瞿佑(一三四一~一四二四年)、字は宗吉、号は存斎、浙江省銭塘県の人である。十四歳の時、とりわけ江南

地方で人気を博した詩人楊維禎に詩の才能を褒められたというエピソードがある

。その影響もあってか、『剪燈新話』には詩が挿入された作品が多い。一方、この時期は江蘇地方で頭角を現した張士誠や方国珍が朱元璋に敗れ、明朝が

成立に向かう時代である。瞿佑の幼少期は、ちょうどその反乱が各地に頻発した頃で、その禍から逃れるため瞿佑は

家族と江南地方を転々としていた。過酷な幼少期を過ごしたせいか、『剪燈新話』の物語の中には、「牡丹灯記」の「方氏之据浙東也(方国珍が浙江東部を占拠していたころ)」や、「渭塘奇遇記」の「至順中、有王生者(元代の至順年間

のこと、王という青年がいた)」のように、具体的な時代設定や背景が明示されている作品も多い。

  では本稿でとりあげる「渭塘奇遇記」とはどのような物語なのか、まずはそのあらましを示しておこう。

  元代の至順年間のこと、金陵(現在の南京)に王という美しい青年がいた。王は舟で松江(現在の上海と杭州の間に位置する)に年貢を取り立てに行った帰りに、渭塘の酒楼に寄った。酒楼のそばの風景は美しく、柳は伸

び、槐の葉が舞う。芙蓉の花が咲き、白い鵞鳥は遊泳している。王がその酒楼で蟹や鱸、蓮根や栗を肴に美しい盃で紅酒を楽しんでいると、店主の娘がカーテンの陰からこちらを覗く。王も気になり娘と眼を合わすも、飲ん

でいた酒が尽きたため、しかたなく舟に戻る。

  その日の夜、夢の中で王は酒楼へ行く。裏には娘の部屋があり、部屋のそばには葡萄棚や金魚のいる池、緑の

風景に鳥籠の鸚鵡、鶴の飾りを施した香炉などが見える。また娘の教養を思わせる筆や硯、碧玉の簫が机に置か

(5)

四二

れている。壁に貼られた四枚の金花箋には蘇東坡の「四時詞」にならい、趙松雪の書体をまねた四幅の詩が書かれ飾られている。娘は王がやってきたのを見て出迎え、部屋で楽しみをともにして一夜を明かす。翌日、王が目

を覚ますとそこは舟の中で、王はぐったりしている。

  王は家に帰ってからも毎晩その娘の夢を見る。ある晩は娘に簫を吹くことを所望し、またある晩は、薄衣にぬ

いとりをしていた娘の手元を明るくしてやろうと燈心を切ると、その燈心が靴の上に落ちてしまい染みとなる。

ある夜は夢で娘から銅の螺鈿細工の指環を贈られ、王はそのお礼として水晶の双魚をかたどった扇の飾りを贈る。そして明くる日、目が覚めると王の扇の飾りは無くなっている。不思議なことだと思った王は、元稹に倣って「会

真詩」三十韻を作り、この出来事を書き留めた。好事家たちは好んでこの詩を歌い、語り伝える。

  翌年も王は年貢を取り立てに行く。帰りに再び渭塘の酒屋へ寄ると、酒楼の主人は喜び、奥へと招く。王はた

めらいながらそのわけを聞くと、主人が言う。「うちの一人娘は去年あなたに会ってから恋煩いをし、昼夜問わず

眠ったように、酔ったように、うつらうつらと独り言を言っておりました。薬も効かず困っていたところ、昨晩急に明日あなたがこちらに来られるというので、初めは信じられなかったものの、こうして本当にいらしたので

喜んでいたところです」と。主人は王が独り身で家柄も良いと聞き、よろこんで娘のところへ招く。すると娘の部屋の様子はかつて夢にみたのとそっくり同じである。娘は王と毎晩夢で逢っていた事を伝え不思議なことだと

言う。また夢で起きた出来事も互いに違わず、娘が扇の飾りを見せると王もまた指輪を見せ、天の決めた縁だと信じ、二人は夫婦となり仲むつまじく一生を暮らす。これこそ奇遇と言うべきである。

(6)

四三   以上が「渭塘奇遇記」のあらましである。元代に成立したとされる才子佳人の長編文言小説「嬌紅記」のように、場面ごとに男女が詩を作って応酬するパターンがすでにあったことを考えれば、詩を詠むことを得意した瞿佑が、短編文言小説である『剪燈新話』でもこのようなパターンを取り入れたことは、自然なことであろう。  ここで注目すべき部分は出会いの場面である、酒屋の傍の風景の美しさや、豊富な肴の種類が描かれているが、さらに王に対して積極的な娘のようすが描かれている。ここに本文を挙げておこう。

其女年十八、知音識字、態度不凡。見生在座、頻於幕下窺之、或出半面、或露全体、去而復来、終莫能捨。

その娘、年は十八、音楽もわかり文字も読め、その様子は非凡である。王がそこに座っているのが見えると、しきりに暖簾から窺い、あるいは顔を半分出したり全部を現わしたり、行ったり来たりして、去りがたいよう

である。

  この自分の意思をはっきり示すという大胆な女性像は『剪燈新話』の恋愛譚における特徴であるが、儒教道徳の観

念に照らせば、このような行動は許されがたいものであろう。しかし、章培恒氏は『剪燈新話』の作品について、「最も重視に値するのは愛情に関する作品である。「聯芳楼記」と「翠翠伝」は市民家庭の女性の愛情に対する大胆な追及

を描き、あわせて、彼女たちの才能に対して衷心から賛美しており、この点は中国の文言小説の中ではいずれも新たな一面を切り開いたものである」と述べる

。これは「聯芳楼記」と「翠翠伝」を例に挙げているが、「渭塘奇遇記」に

登場する娘もまた市民家庭の女性であり、才能を持った積極的な女性として描かれているので、この章培恒氏の評論

(7)

四四

に一致するものと言ってよい。

戯曲への改編

  『剪燈新話』に収録されている物語について、章培恒氏は「描写の緻密さにおいては、

『嬌紅記』に及ばない」とも

指摘する

。しかしながら、詩に込められた歌い手の情、読者をして飽きさせない物語の展開など、決して味気ない作

品というわけではない。それゆえに『剪燈新話』の刊行後、それを模倣した『剪燈余話』(一四二〇年)や『覓燈因話』(一五九二年)が著されるなど、怪異小説の人気はしばらく衰えることがなかった。ところが、『剪燈新話』や『剪

燈余話』は正統七年(一四四二年)に国子監祭酒李時勉によって禁書として指定される。では、なぜ禁書扱いとなったはずの『剪燈新話』の物語が複数の異なるジャンルに素材を提供できたのか。その経緯をそれぞれに把握すること

は難しいが、改編後の作品と比較対照することで、その変遷過程を調べることは可能であろう。そこで本節では、『脈

望館鈔校本古今雑劇』(以下『脈望館本』)に収める「王文秀渭塘奇遇記」についてみていくこととする。

  まず、「脈望館」とは文人でもあり蔵書家でもあった趙琦美(一五六三~一六二四年)の館号である。江蘇省常州に

位置する。『脈望館本』については小松謙氏の「『脈望館抄古今雑劇』考」に詳しい

)(

。それによれば、『脈望館本』の雑劇テキストは内府本、于小穀本、来歴不明の三種の抄本、古名家本、息機子本と、五種類に分けられるとしている。

ここで本稿に関わってくるのは于小穀本である。于小穀本は成化年間(一四六五~八七年)を中心に文字化されたもので、さほど厳しくはないものの教坊司もしくは鐘鼓司による検閲があり、内府本、つまり宮廷の役所に存在したテ

キストと同類である。嘉靖年間(一五二二~一五六六年)に文字化された、皇帝の前で上演するための台本である内

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四五 府本より早くに存在していた。  そして「王文秀渭塘奇遇記」の巻末には、「于小穀本録・此村学究之筆也。姑存之。旹丁巳六月廿七日清常記(于小 穀本を記録する。これは村の学究の書いたものであるが、ひとまずこれを残す。萬暦四十四年(一六一七年)六月二十七日  清常記す)」とある。また、「王文秀渭塘奇遇記」は四折に分かたれておらず、これが于穀本の特徴としても

指摘されていることから (1

、これを于小穀本と断定することに差し支えはなかろう。さらに、物語の最後には「一家児

答謝皇恩(一家して御上の恩に感謝せん)」とあるので、これが皇帝の前で演じられた可能性は高い。于小穀本が成化年間に文字化されたとするならば、『剪燈新話』が正統七年(一四四二年)に禁止された後も、この「王文秀渭塘奇遇

記」は何らかの形で伝えられたと考えられる。

  ここからは戯曲の台本としての「王文秀渭塘奇遇記」について考察したい。言うまでもなく、文言小説は完全に読

み物として作られ、戯曲は観客を意識して作られているので、目に見えるしぐさや、感情を込めた曲など、文言小説

にはない視点をもって書かれている。この雑劇「王文秀渭塘奇遇記」は「渭塘奇遇記」をもとにしており、物語の骨格に違いはないが、やはり詳細を比べてみると、戯曲の方はかなり肉付けされていることがわかる。その違いを分析

することによって、いったい何が見えてくるのだろうか。ここではまず、「王文秀渭塘奇遇記」のあらましを確認しておくことにする。先述したように、于小穀本では折に分かれていないが、ここでは便宜のため標点本『孤本元明雑劇』

を参照し、折を加えていることを断っておく。

(第一折)

(9)

四六   句容県の王守信は先祖代々金陵に住み、家畜や田畑を有して、人から員外と呼ばれている。王守信は妻といっしょに息子の王文秀を呼び出し、松江へ租税を取りに行くことと、戻ったら妻を娶るように話をする。

  王文秀は詩文を学んでいるが、まだ官途にはつけずにいる。両親に挨拶をして松江へ出発する。

  長者と呼ばれる盧順斎は、人からの信頼も厚く粋な様子。玉香という聡明な美しい一人娘のために部屋を作り、

周囲には草花を植え、一流の調度品も飾ってある。ただ決まった相手がいないため、盧順斎は玉香に結婚相手を

探すように言うが、玉香にその気はない。良縁があれば決まると思っている。

  そんなとき仲人(老婆)が縁談話を持ってくるが、玉香はこれを邪険に扱う。

(第二折)

  王文秀は租税を取り立てにいく途中で渭塘鎮の酒屋に寄る。店の手代が王文秀の相手をする。玉香は王文秀の

詠む詩が気になり、暖簾から王文秀を覗き見る。気づいた王文秀は玉香に声をかけ、求婚を申し出る。玉香が返

事をする前に母に呼ばれ、二人はやむなくその場を離れる。(第三折)

  玉香は侍女の梅香に促されて眠りにつく。日暮れ、王文秀が再び酒屋に戻ってくる。玉香が部屋のまわりを歩いていると、王文秀が玉香を見つけて声をかける。玉香が王文秀のために庭を案内する。二人は部屋に戻る。王

文秀は刺繡を施した赤い靴がよく見えるよう、蝋燭の燈心をかき立てようとして、そのかすが玉香の靴に落ちて染みになる。その後二人は契りを交わす。前途の約束のしるしとして、玉香は螺鈿をあしらった金の指輪を王文

秀に贈り、王文秀は双魚をかたどった水晶の扇に下げる飾りを贈る。王文秀の退場と同時に玉香は目覚める。す

(10)

四七 べては玉香の見た夢であったが、ときに王文秀も同じ夢を見ており、その出来事を三十韻の詩に書き留める。  手代が舟までやってきて、王文秀を酒屋の旦那のところへ呼び戻す。盧は自分の娘と王文秀が互いに気があることに気付く。王文秀を見た盧は気に入り、租税の徴収の帰りに官の試験を受け、及第すれば婿に迎えたいと持ちかけ、王文秀も承諾する。(第四折)  王守信は息子が功名を立てた上に渭塘の夢の話を聞いて喜んでいたところ、盧長者から手紙が届き縁談がまとまったことを知る。王守信はまず結納の品を送り、妻と王文秀を連れて渭塘へ向かう。盧順齋は王文秀が功名を立てたことを喜び、王文秀が来るのを待つ。王文秀が渭塘に到着する。  占い師が新郎の様子と新婚の夜のことを詠ずる。占い師の手引きのもと、玉香と王文秀が互いに拝礼する。占い師は今宵の情事のことを再び言いながら、金貨や果物を四方に撒く。  玉香と王文秀は夢の出来事を確認しあい、たがいに贈ったものを見ると、これぞ天地の思し召しだと感じ入る。王文秀の両親も登場し、玉香を気に入る。  盧が観客に向かって、夢でめぐり逢った二人の婚儀に感謝し、生涯をともに送ることを願い、一家そろって御上に感謝する。

  右のあらましによって、「渭塘奇遇記」には見られない明らかな改編がかなりあることは一目瞭然である。特に大き

な違いを列挙しておく。

(11)

四八    ・全体を通して主役を演じるのが王文秀ではなく、玉香であること    ・登場人物が多いこと    ・詩が省略されていること    ・もとは一年の夢の内容が、一晩の夢の出来事になっていること    ・玉香が病で倒れないこと   そもそも戯曲には、曲が入っていたり、白を伴ったり、しぐさがついたりという芝居ならではの要素があり、それらは文言小説にはないものである。しかし、右に挙げた違いは、戯曲への改編に必須の要素であるとはいえないので

はないか。では、なぜこのように改編されたのだろうか。

  まず主役の交代について見てみよう。これは劇中の役柄に関することだが、北曲では一人の主役が物語の最初から

最後まで唱うことになっており、男性であれば正末、女性であれば正旦という役柄が担当する。この雑劇は「王文秀

渭塘奇遇記」と、その題名に王文秀とつけながら、劇中では正旦つまり玉香が主役を務めている。正旦は以下のようなせりふを述べて登場する。

(正旦引梅香上云)妾身姓盧、小字玉香、年長一十八歳。幼承父母鞠養成人。習成針指女工、及于文翰、我平昔最

愛清致。(正旦、梅香を連れて登場、セリフ)わたくし姓は盧、幼名は玉香と申します。年は十八、幼い頃より父母に大切

に育てられてきました。針仕事はお手の物、詩文もいささかたしなんでおります。わたくしは日頃から清らかで

(12)

四九 雅やかなものを愛しています。

  では、この玉香は本劇において、どのような人物として描かれているのだろうか。あらましを見る限り、結婚をはっきり両親に断ったり、仲人を邪険に扱ったりと、「渭塘奇遇記」の娘よりさらに意志の強い女性として描かれている。

ここでその人物像をさらに理解するため、玉香の感情がより表れる唱の部分を場面ごとに挙げてみよう。

(第一折)

  玉香が両親に結婚を勧められる場面。玉香は無理に勧めてくれるなと両親に反論する。【寄生草】父親你休憂慮。莫要嗔。從来道女孩児釵頭裙帯衣食分。夫妻美満姻縁分。夫栄妻貴前生分。一朝得遇棟

梁材。泰来否極合交運。

お父さま、ご心配には及びません。どうかお怒りにならないで。かねて言う、女の子とは簪を差し、羅裙を穿くもの、夫婦の円満は縁によるもの、栄達するかは前世の縁にて決まるもの。ひとたび大黒柱を得たならば、

いよいよ幸運がめぐり来る。

  老婆役の仲人(浄)が、失礼な態度でお見合い話を持ってくる場面。気の強い玉香の一面が認められる。【柳葉児】這溌婦無些謙遜、常好是眼肉無珎。我可是那嬌里生、富里長。閨門近。你可去人前問。(浄云)怎麼羞

了我。(正旦唱)你那里顕精神。(云)與我叉出去。(唱)父親呵、從今後不要他踏我家門。

(13)

五〇

この厚かましい無礼者、まったくその目は節穴ね。わたくしは、富貴な家で見目麗しく生まれ育ち、慎み深く貞節を守る。仲人ならば別のところをあたるべき。(浄、セリフ)どうしてわたしを辱めるのです。(正旦、唱

う)ここで意気込むもお門違い。(セリフ)すぐにつまみ出してちょうだい。(唱う)お父さま、今後は一切この人に、うちの敷居を跨がせないで。

(第二折)

  初めて二人が出会う場面。自分に気があるのかと思い大胆にふるまう様子が見て取れる。

【闘蝦蟇】我心中想、自忖量、仔細參詳。我是一个艶粧、他是一个白衣卿相。我掲起湘簾視望、他見了咱家模樣我把身子半将、料他意思惆悵。我急〻出了画堂、他早心中歡暢。姻緣今生勾當、想必前生有望。他不敢向前問訪、

在眉尖眼⻆情況。這一塲不索忙。有日相逢、會在蘭房。共効鸞鳳、哎你个楚襄王、引巫娥一片俏心膓。我未知他

行藏、爲人可有相如量。他若是肯滌器、我也索将爐當。わたくしは、心であれこれ推し量り、ひとりよくよく考える。わたくしは、身なりも華やか。あの人は、いず

れ官途につくお方。わたくしが、湘竹で編んだ簾を掲げてちらりと見れば、あの方も、わたくしの姿見えたはず。わたくしが、半身を隠せば、あの方は、残念そうに心痛めているみたい。わたくしが、いそいそ広間に出

てみると、あの方は、ぱっと心が浮き立つよう。ご縁は現世の一大事、これはもう、前世からのさだめだわ。あちらのほうから近づいて、声をかけてくる気配なし。そうはいっても、目は口ほどに物を言う。いまここで、

何も慌てることはない。いつの日か、鴛鴦さながら寝室で、逢瀬を遂げる日もあるでしょう。ああ、あなたこ

(14)

五一 そ、巫山の神女の心をつかむ楚の襄王。あの方のこと、わたくし何も存じませんが、皿を洗う司馬相如となる度量があるなら、わたくしも、進んで酒を燗しましょう。

  求婚されるものの、母に邪魔される場面。玉香は王文秀を気に入るが、諦めようとする心境も含まれる。

【尾声】從來好事多磨障、被俺娘打散鴛鴦在兩廂。我偶會書生俊俏郎、言語非俗錦綉膓、他那君子行藏禮義講。送

與此春情眼⻆傍。俺两个怎能勾配偶成雙、今夜个各自在夢児中慢〻的想。昔から、好事魔多しと言いますが、お母さまに邪魔されて、鴛鴦がこちらとあちらに引き離される。わたくし

が、めぐり逢った洒脱な書生、言葉遣いは野暮でなく、心も清らか。あの君子さまは礼儀を尽くすお人柄。その眼で訴え、恋心をば、わたくしに送る。どうして二人が結ばれましょうや。今宵はそれぞれ夢で想いを交わ

しましょう。

(第三折)

  玉香がなかなか寝付けず、思い悩む場面。第二折の【尾声】では夢で逢いましょうと唱いつつも、ここからは王文秀を素直に慕う気持ちが表れている。

【正宮・端正好】夜将、初更至、悶懨坐想行思。冷清〻落的咱獨自、多少傷心事。夜深く、初更に至るも、悶々と、座して思いをめぐらせる。ぽつねんと、心寂しく一人きり。どれほど傷心し

ていることか。

(15)

五二   玉香が夢で王文秀と再会する場面。眠りにつけず、部屋の外を月明かりの下を歩いていると、花影に隠れていた王文秀に声をかけられ、驚きながらも相手の気持ちを受け入れる。

【倘秀才】你道是因妾身忽〻在斯、有顧恋姻縁在邇。我爲你半夜無眠想念時、喒两个心児順。休要苦相思、我和你調和琴瑟。

わたくしのために思い煩い、ここまで来たと。慕い合う二人の縁は目の前に。わたくしも、あなたを想うてこ

の夜更けまで眠りにつけず。二人の心はただひとつ、思い焦がれたりしなくとも、和音を奏でる琴と瑟。

  王文秀が夢の中で結ばれる場面。玉香が王文秀に庭や部屋を案内する。そして部屋で王文秀に酒を注ぐ玉香に対し、「その気持ちは一生忘れない」と玉香に言うセリフに続く曲で、二人の気持ちが最も高まる場面である。

【脱布衫】煖融〻和氣春時、笑吟〻酒泛金巵。則我這俏盈〻風流様子、遇今宵一場好事。

【小梁州】抵多少人約青楼夜月時、綵扇題詩。龍涎香裊紫金獅、心間事、情趣那些児。ぽかぽかと仲睦まじい春のとき、にこにこと金の杯に満ちる酒。あの方の心を奪うこの艶姿、一場の、よろこ

び事が今宵かなう。月の照らす高殿で、華美な扇に詩を書きつける、逢い引きの約もものかは。ゆらゆらと、獅子をかたどる紫金

の香炉に、竜涎のけむり漂うあいだ、心の靄もよろこびに晴れ。

(第四折)

(16)

五三   王文秀は無事科挙に及第し婿入りが決まる。そして蘆長者に家に到着する場面。この場面から最後までは「渭塘奇遇記」には無く、もともとは娘が王に嫁ぐ話から改編されている。いわゆる完全に創作された部分である。

【雙調・新水令】今日个画堂春煖玳筵開、動笙歌樂声一派。雙親未老時、一女掌家宅。今日个孔雀屏開。則願的人不老、月常在。

春もうららか、今日は屋敷で開く饗宴、のびやかに響く笙と歌声。二親が老いるその前に、一人娘が家を立つ。

今日は孔雀の屏風が開く。ただ願うのは、人老いず、月が空から沈まぬこと。

  二人が両親に拝礼を行ったのちに、玉香が誓う場面。【收江南】方信道月明千里故人来。夫妻一世永和諧。願来生做並帯瑞蓮開。連枝樹共栽、則願的天長地久樂心懷。

これぞまさしく、月明千里、故人来 きたる。今生は、夫婦仲よく共白髪。望むらくは、来世は並蒂の蓮となり、連

理の枝とならんことを。願わくは、二人の幸せ、天地のごとく永からんことを。

  右に挙げた玉香の曲の内容から、「渭塘奇遇記」の娘に比べて、自分の意志をさらに強く持った、感情豊かな女性へと変化していることがわかる。また、玉香という名前がつけられていることも、芝居における要請とはいえ、当時の

時代背景から考えると大きな違いである。ではなぜこのように変化したのか。その一つの可能性として、「渭塘奇遇記」を読んだこの戯曲の作者が、章培恒氏と同じように登場人物の娘の描写に大胆さを感じ取り、戯曲へと改編する

にあたってその特徴を拡大描写したとは考えられないであろうか。さらに言えば、この劇を皇帝の妻もしくは娘や親

(17)

五四

戚の女性のために演じさせた可能性もあり、いっそう存在感を強くしたとも考えられる。ただ、いずれにしても憶測の域を出ないので、あくまで可能性として指摘するに留めておきたい。

  次に登場人物の多さについてである。この戯曲の登場人物は「渭塘奇遇記」に比べて増えているが、特に物語の展開に関わる登場人物は、玉香と王文秀、それぞれの両親、そして占い師である。主役の玉香は、いわゆる才子佳人も

のの典型的な令嬢として描かれている。次に王文秀だが、科挙に及第することを目標としており、四折では故郷に錦

を飾った上で玉香と夫婦になるという、やはり典型的な才子像であろう。ただ、才子と佳人のあいだを邪魔する役が配されていない(玉香の母が意図せず二人を引き離す描写はあるが)のは特徴的である。さらには王文秀と玉香の両

親が登場する。王文秀の母も玉香の母も、二人の結婚を勧める役回りである。王文秀の父である王守信は、家畜や田畑を有し、員外と呼ばれている。一方、玉香の父である盧順斎は、登場詩で「名利相牽鬂髪白(名利を追ううち年取

るも)」と読んでいることから、歳を重ねた男性で、人からは長者と呼ばれており、かなりの財産を有する目利きの酒

屋のオーナーといったところだろう。この盧順斎の役どころは、仲人を招き入れたり、王守信に手紙を送って王文秀を婿に迎えたり、そして物語の最後には締めくくりのせりふと韻文を詠む役割が与えられている。これらはもちろん

「渭塘奇遇記」には描かれていない。以下が、皇帝に向けて感謝を述べる最後のせりふである。

(盧云)天下喜事、父子夫婦團圓。您聴者。俺女孩児年少青春、問不着盛族名門。則爲這儒流秀士、因此上夢里相逢。則爲他儀表相稱、招爲壻今日成親。今日个華筵大會、两親歡歡笑相。則願的百年繾綣、一世児不得離分。

夫婦毎如魚似水、一家児答謝皇恩。

(18)

五五 (盧、セリフ)天下の慶事で、親子と夫婦の団円に勝るものはない。みなさま、お聞きくだされ。うちの娘は花盛り、家柄は問うまでもなし。ただこの風流な秀才と、夢路にめぐり逢ったため。その風貌はふさわしく、婚儀を行い婿となる。今日は豪華な披露宴、両家の親も笑みは満面。ただ願うのは夫婦添い遂げ、今生で縁の切れぬこと。新郎新婦は水魚の交わり、一家して御上の恩に感謝せん。

  右のせりふと韻文から、特に盧順斎を登場させた理由が垣間見える。つまり、若者二人が夢で交わったのは若気の至り、最も大事なことは、男が科挙に及第して故郷に錦を飾り、良家の令嬢と結婚すること、そうすれば双方の両親

も歓喜に満ち溢れる、そしてこれこそは御上のおかげであるという、劇の内容をまとめた韻文を詠み、幕引きを告げるための配役であったという一面である。これは先述したように、芝居が皇帝の前で上演される際の通例でもある。

  第三に、詩が省略されている点について着目する。これは、「渭塘奇遇記」と「王文秀渭塘奇遇記」の両者におい

て、詩の挿入される場面が異なるためと考えられよう。「渭塘奇遇記」には瞿佑の作った詩が二種類見える。一つは王が娘の部屋に入ったときに目にした四幅の詩である。ここには王を想う娘の少し物悲しい心境が書かれている。そし

てもう一つは王が夢での出来事を綴った詩である。後者に関しては、「王文秀渭塘奇遇記」でも同じ部分で全く同じ詩が挿入されている。では、一つ目の詩はなぜ削除されたのか。これは「王文秀渭塘奇遇記」の詩の挿入場所と関係が

ある。「王文秀渭塘奇遇記」では二人が夢で再会した後に、玉香が王文秀に自分の部屋を案内する場面で、「東坡吟聯四季詩、俺家壓伏些村厮(蘇東坡が四季を詠じた連作四首。田舎者には跨ぎはできぬ、わが敷居)」と唱う。つまり、

相手を想う物悲しい詩にはそぐわない場面ということになる。

(19)

五六   残る二点についても簡単に確認しておこう。「渭塘奇遇記」では一年の夢の内容が、「王文秀渭塘奇遇記」では一晩の夢の出来事になっている理由について、これは舞台上で演じる芝居という性質ゆえ、一晩ごとに登場や退場を繰り

返す、もしくは一年が経ったことをせりふで言うよりも、一晩のこととして演じるほうが展開としてスムーズで、代わりに二人の掛け合いを入れて舞台の流れが止まらないように工夫したとは考えられないだろうか。このような改編

については、今後も類例を探して検討を進めたい。最後に、玉香が病で倒れる場面がない点についてであるが、これ

は宮廷で演じられる作品が縁起の悪い内容であってはいけないという小松謙氏の指摘から考えると ((

、恋に悩む姿は許容されても、そのために病に伏せるということは演じられなかったと言えるのではないか。

おわりに

  本稿では短編文言小説集に収める『剪燈新話』「渭塘奇遇記」と『脈望館本』「王文秀渭塘奇遇記」を比較すること

によって、その特徴や違いを少しは分析できたのではないかと考える。特に主役が女性に変わったことで、もとより大胆な娘がさらに意志の強い大胆で聡明な女性像に変化したこと、またそのような女性像、及び儒教道徳に反する婚

姻前の夢での男女の逢瀬が、宮廷の中で受け入れられたこと。そして、その宮廷で使用されることを意識して、無名氏の作者、もしくは検閲役人の手で、ここまで大胆な改編が行われた可能性を示唆できたように思う。

  しかし、このテキストが于小穀本であることが明白である以上、正統七年(一四四二年)に『剪燈新話』が禁書とされた後も、この物語は于穀本の成った成化年間(一四六五~一四八七年)まで、何らかの形で引き継がれ、それが

明代の宮廷で演じられていたという点は、なお考察を深める余地がある。また、本劇における仲人と占い師の役割に

(20)

五七 ついても言及できておらず、その他の推測部分の検討も含めて、今後の課題としておきたい。

注釈(

)芥川龍之介『芥川龍之介全集』第四巻(岩波書店、一九七七年)、四五九~四七一頁参照。

)增田渉訳『支那小説史下』(岩波文庫、一九四二年)第二十二篇参照。

( 「《渭塘奇遇記》与《異夢記》之比較」があるが、これはフォーラムの要旨のみである。 )楊鋮、王銀浩「瞿佑《渭塘奇遇記》的素材及本事考」(『漢河師範学院学報』、二〇一二年)。他に黒竜江大学、許秋雪氏の

( 学会紀要』第四十一号、二〇二〇年)を発表しており、本稿の訳もこれによる。 刋四集』脈望館鈔校本による。なお、筆者は先に「『脈望館鈔校本古今雑劇』「王文秀渭塘奇遇記」翻訳」(『関西大学中国文 )「渭塘奇遇記」のテキストは『古本小説集成』(上海古籍出版社、一九九二年)に、「王文秀渭塘奇遇記」は『古本戯曲叢

)近藤春雄「剪燈新話と唐代小説」(愛知県立大学国文学会『説林』二三、一九七三年)参照。

( 田詩話』巻下「香奩八題」に残されている。 た。これを見た楊維禎は、叔父の士衡に「君の家の千里の駒である」とほめたたえたという。このエピソードは、瞿佑『歸 )当時江南地方で詩人として名を馳せていた楊維禎が瞿佑の家を訪れた時、瞿佑は楊維禎の作った詩「香奩八題」に和し

( することで、作品の意義を示している。 十~五三頁参照。『剪燈新話』の描写はあらっぽいとしながらも、そこに描かれた登場人物の状況や心理などを詳細に分析 )章培恒・駱玉明主編、井上泰山・四方美智子共訳『中国文学史新著(増訂本)』下巻(関西大学出版部、二〇一四年)五

)前掲注(

)五頁参照。

( 程―、第三章『脈望館抄古今雑劇』考、二〇〇一年)参照。 )小松謙「『脈望館抄古今雑劇』考」(汲古書院、『中国古典演劇研究』Ⅱ明代における元雑劇―讀曲用テキスト成長の過

(0)前掲注(

)参照。

(()前掲注(

)参照。

(21)

参照

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