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明治前期東京大学理学部における機械工学教育 : 1877年度〜1880年度

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(1)

1877年度〜1880年度

著者 植村 正治

雑誌名 社会科学

巻 50

号 1

ページ 33‑67

発行年 2020‑05‑31

権利 同志社大学人文科学研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2020.0000000163

(2)

《研究ノート》

明治前期東京大学理学部における機械工学教育

─1877 年度〜1880 年度─

植 村 正 治

本稿では綿糸紡績業を

1

つの具体的事例として取り上げ,技術者という人間類型の 内面に焦点をあて技術移転の成功要因を探ろうとした。すなわち彼らの脳裏と身体に 刻まれた機械工学に関する専門知識や技能の内容,およびそれらの教育過程について 検証した。1877年に設立された東京大学理学部工学科の機械工学教育に検討を加え た。東京開成学校から機械工学教授に就任していた

R・スミスが東京大学への改組後

も機械工学教育の中心となっていたので,授業科目やその内容は東京大学になっても 大きな変化はなかった。1878年

7

月に退職した彼に代わって

J・ユーイングが同年 7

月に着任し,重学,機械学,図画推算学,物質強弱論などの授業内容の変更や閉講が 行われた。また機械工学コースに

4

年生が初めて進級してきたため

4

年生科目の整備 が進んだ。スミスもユーイングも授業内容に関する文献を残しているので,その内容 をうかがうことができるが,本稿では,ユーイングが担当した

5

つの授業のシラバス

(現在と同じ意味)からそれぞれの授業内容を検討した。重学,物質強弱論,結構強 弱論,熱動学及蒸気機関学,機械学である。これらの授業を修得することにより,工 学に関する科学技術の知見が学生たちの脳裏に焼き付けられた。3年生終了後に横須 賀造船所で

9

か月間の実地研修を体験することにより教室や実習室などで修得した学 識や学理が実地に応用された。

は じ め に

前近代社会における生産の社会循環の中で鉱物資源への依存は限られていたが,近代 に入り鉱物資源利用を解き放ち未知の工業化を始動させたのが近代工学技術,もしくは 技能を含めた幅広い意味を持つ近代工業技術であった,という視点から1),お雇い外国 人2),工学博士3),工学士4)を介して近代工業技術の移転が進んだことを検討してきた。

工学技術の中身を検討しないまま,何らかの工学技術を持った工学士らが各産業,もし くは省庁・地方庁・陸海軍・教育機関・民間部門5)に相互移動するばかりでなく,その 現象が拡大することにより技術移転が増進し,工業化も自動的に進展するという考えを 前提としていた。

(3)

前稿では6),綿糸紡績を例に取り日本の在来技術と近代技術とがいかに隔絶していた かを検証した。近代綿糸紡績業において,精紡糸が完成するまでに経なければならな い,体系的に配置された生産工程と,それぞれの工程に設置され前後の作業機と一体と なって稼働する各種作業機のメカニズムについて図を提示しながら詳論した。技術者は このような生産工程を体系的に把握していなければならないし,それぞれにおける機械 の細部にわたるメカニズム,メカニズムを構成する各種部品,それらが破損した際の交 換方法を熟知していなければならない。さらに稼働中における各種機械部品に加わる荷 重,回転軸にかかるトルク,荷重やトルクに耐えうる金属素材などに関して,また動力 源の蒸気機関の構造,蒸気の性質や熱に関する専門知識も習得していなければならなか った。本稿では,上記の綿糸紡績業を具体的事例として取り上げ,技術者という人間類 型の内面に立ち入り技術移転の成功要因を探りたい。すなわち彼らの脳裏と身体に刻ま れた機械工学に関する専門知識や技能の内容,およびそれらの教育過程について検証す る7)

さらに本稿では,技術移転の初期段階を一括技術移転時代と人的資源代替時代に区分 する試みを行った。一括技術移転は,イギリスからノルウェー紡織会社への技術移転を 考察した

K・ブルランドが,その特徴を「all-inclusive technological packages

8)」と表現 したことに依拠する。人・機械・文献などの各種技術移転媒介手段をパッケージにして 技術移転が行われる。日本における典型例は幕末期の鹿児島紡績所や,明治初年設立の 富岡製糸場であったろう。人的資源代替時代は,機械本体や部品については,海外依存 が続くが,時代経過にともなってお雇い技術者・技能工に日本人が取って代わる時代と いう意味を持たせた。1890年代にその転換期があったという仮説を提示し,その一つ の重要な成功要因を技術者が工学系高等教育機関で学んだ専門知識や技能であったとと らえた。

すでに工部大学校における機械工学教育や,東京大学の前身校である東京開成学校に おける機械工学教育について検討したように9),本稿でも,工学技術の要である機械工 学を取り上げ,1877年に後者を改組して発足した東京大学における教育過程とその内 容をうかがう。

1 1890

年代綿糸紡績業における工学士たちの活躍

高辻奈良造は,1889年(明治

22),帝国大学工科大学機械工学科(工部大学校出身)

(4)

を「On cotton spinning in Japan and its future prospect10)」という卒業論文を提出して卒業 し,同年,大学院に進んで綿糸紡織に関する機械工学を

2

年間にわたって学ぶ一方 で11),前年

8

月に設立された大阪金巾製織会社で紡織機械の実地研修を行った。同社で はプラット社製のリング機と織機,ヒック・ハーグリーブス社製の蒸気機関やボイラー を導入することになり,それぞれの機械を据え付けるために,3人のイギリス人,ジョ ン・ロー(紡機据え付け),アイゼア・ホーフ(織機据え付け),ウォルター・ハント

(蒸気機関とボイラーの据え付け)を雇用した12)。据え付け工事は

1889

11

月から

12

月にかけて行われた。工場建設については滋賀県庁から招聘した小原益知(工部大学校 造家学科

1881

年卒業)が設計・監督を行った。高辻は後に「私はもとより学校を出た だけで実際その以前に実地の仕事を手にかけたわけで(「は」脱か−筆者)ございませ んから私も西洋人を指図するだけですべてその三人のイギリス人がやったわけでござい ます13)」と回想している。高辻は工務支配人の肩書きを持ってはいたが,実際にはイギ リス人技術者が工事を行い,彼らから実地を学んだのである14)。ただ工科大学在学中に 得た専門知識や実地研修は近代綿糸紡織技術・技能の吸収力を高めたであろう。

2

工場建設にともない,高辻は,1892年

8

月,紡織機の購入,工場設計,綿糸紡 織業視察などのため,イギリスやアメリカに出張し,ボンベイを経て翌年に帰国した。

機械類の到着は

1893

4

月以降のことであるが,高辻が「その後(第

1

工場建設後−

筆者)だんだん日本の職工連中も実際の仕事に馴れて参りまして,それからもう四,五 年も経ちました後はもう内地人の手で据え付けもし,運転もし,また操業もするように なったのでございます。その後は全然外人の手を借りずしてわれわれだけでの手で紡績 機械,織物機械の据え付けをなし,取扱い操業をするようになりました」(「,」の配置 は原文のまま−筆者)と指摘していることから,第

2

工場の監督,機械据え付け,機械 運転・修繕,紡織製品加工・品質管理を日本人の手で行えるようになったことがわか る。

工部大学校機械工学科を

1885

年(明治

18)に卒業した菊池恭三は,2

年間横須賀海 軍造船所に勤務した後,3か月間の造幣局勤務を経て平野紡績会社技師となり,紡績技 術習得のために

8

か月間のイギリス留学を果たす15)。彼は,留学前に新設工場に導入予 定の精紡機をプラット社製リング機と決め,リング機に収斂する作業機一式を選定して いた。プラット社の代理店でもあった三井物産が仲介した。留学先はマンチェスター で,夜学校のテクニカル・スクールに通う一方で,プラット社に紹介されたミドルトン にあるウードという個人紡績工場で紡績技術の実地研修を行った16)。同紡績工場では同

(5)

一機種のリング機が稼働していたのであろう。平野紡績への紡機据え付けはプラット社 技師トランスフィールドが行い,菊池はこれを監督する立場だったようであるが,彼か ら据え付け技能などを学んだものと考えられる。蒸気機関類の設置は今田清之進(工部 大学校機械工学科

1879

年卒業),工場建設は吉井茂則(同校造家学科

1883

年卒業)が 行った。2人とも大阪砲兵工廠から一時的に借り受けた技術者であった。その後,平野 紡績とトランスフィールドとの契約が

1889

10

月に解除された17)。また菊池は

1891

2

月に開業した尼崎紡績設立に貢献するが,外国人技術者・技能工は参加していな い18)

また菊池は紡績機械に関する専門書をイギリスから持ち帰り,紡績技術の普及に貢献 した。菊池の後輩にあたる高辻は,『菊池恭三翁伝』に収録の「懐旧談」において,「当 時私は必要上専門的に研究をした発表物を読みたかったがさうしたものがない,(中略)

処がイギリスから菊池さんが帰って来られて,今度かう云う本を見つけ出して来たか ら,お互に研究することにしようと云って見せられたのが大いに参考になった。それは 綿糸紡績の機械のことを秩序立って記述せるテキシタイル・マニフアクチユアラーのエ ヂターが書いた コットン・スピンニング と題せる本であった。(中略)これが端緒 となって追々秩序的科学的な研究の途に進むことを得る順序となり,洵に大なる仕合を 得た訳である19)」と述べている。同書は『Cotton Spinning : Its Development, Principles,

and Practice

20)』であろう。著者は

R. Marsden

であったが,著者名の下に「Editor of

The Textile Manufacturer

」とあった21)

谷口直貞は,1876年

6

月,東京開成学校工学科下級時に

5

年間にわたってイギリス に留学した22)。1878年

11

月,グラスゴー大学を優秀な成績で卒業して23),Bachelor of

Science

の学位を得た24)。卒業後,ケント州にある「イーストンス及アンダーソン氏」

の製鉄所で実地研修を行い,1879年に入ると,ロンドン府工学会員となり,ロンドン 府農学社において機械工場を監督するまでになった。翌年,ベルギーのアントワープに わたり「貯水場建築,蒸気機関ノ設置,水道測量及ビ地中鉄管ノ装置等」に関する事業 実習を行った。1881年

7

月に帰国して東京職工学校教諭に就任し,1883年

9

月には東 京大学理学部授業も担当することとなった25)。東京大学理学部では熱動学及力源機,機 械学及工場諸道具,機械図及機械計画を担当した26)。1886年,農商務省三等技師に任 ぜられ,同年

8

月には帝国大学工科大学機械工学科教授を兼任した。

このような高水準の教育歴・実地経験を持つ谷口を,「機械工学につきては比類なき 権威者なり」と高く評価した鐘淵紡績会社(設立当初は東京綿商社。1888年

8

月に改

(6)

称)は「紡績所創業監督トシテ」招聘し,「機械購求トシテ在官ノ侭欧洲ヘ航行嘱 托27)」したのであった。1887年(明治

20)5

月,谷口は農商務省技師と工科大学教授 を兼任したまま「凡一年間自費ヲ以テ欧米各国ヲ巡回シ実地ニ就テ絹綿機織ノ術業其他 ノ工業ヲ研究センコトヲ」,農商務省大臣を経て総理大臣伊藤博文に出願した28)。同年

8

月にロンドンに到着した谷口は29),ミュール機,リング機いずれの精紡機を採用すべ きかについて,大阪紡績第

2

工場用の紡績機を買い付けに来た山辺丈夫とロンドンのホ テルの一室で議論したという。さらに英国女皇即位五十年を記念して開催されたマンチ ェスター工業博覧会に何度も赴いて,最終的にサミュエル・ブルックス社製のリング機 を選定した。谷口は,ロンドンから日本の鐘紡発起人達に「当時未だ我が紡績会社一と して用ゆる者なく,其の之を本邦に輸入し改良紡績機械の標本を示せし者は実に鐘淵紡 績会社を以つて嚆矢となす30)」と,電報したとされている。

工場の設計は谷口とサミュエル・ブルックス社が行い,建設工事監督には辰野金吾

(工部大学校造家学科

1879

年卒業)があたり,清水満之助が建設工事を請け負った。

1888

4

月に着工して翌年

3

月に竣工した31)。蒸気機関とボイラーの据え付けは

1888

12

月から翌年

5

月まで,紡績機械類の据え付けは

1889

3

月から同年

12

月までの 期間に,谷口が採用したイギリス人技術者

5

人によって行われた。表

1

は彼らの名前,

役割,雇用期間を示したもので,機械類の据え付けばかりでなく日本人職工の指導など も分担していたことがわかる。後者の中には製品加工や品質管理の指導も含まれていた ものと考えられる。C・B・スウイックの場合,機械据え付けが完了した後の翌年

2

月 まで雇用されていたので,機械操作や修理方法の指導も行った可能性がある。谷口はイ ギリス出張前の

1887

6

月から事業監督となっていたが,実際には帰国後の翌年

10

月 からその業務に就き,1890年

1

月に取締役に就任するが,翌年

1

月には退任した。

鐘紡にはもう

1

人の技術者・吉田朋吉がいた。彼は東京大学理学部工学科(機械工学 専攻)を

1881

年に卒業した後,印刷局機械部に勤務し諸機械の設計や製作に従事して

1 鐘淵紡績会社雇用のイギリス人技術者の役割・雇用期間

名前 役割 雇用期間

ジエームス・ブルークスピー アルバート・ブルークスピー C・B・スウイック G・H・ソネリー ヒューズ

紡績業全般 機械据付

紡績機械据付,従業員訓練 紡績機械据付

電気機器据付

188711月〜188911 188711月〜188911 18893月〜18902 18893月〜同年12 18893月〜同年6

出所:矢倉伸太郎(1988)「明治期綿紡績企業の経営−形成期鐘淵紡績会社の場合」,『経済経営研究』

(神戸大学経済経営研究所)第38号(Ⅰ・Ⅱ),310頁。鐘紡株式会社編(1988)『鐘紡百年史』

鐘紡株式会社,22頁。

(7)

いたが32),1887年に鐘紡技師として採用された。ボイラー室に設置された芝浦製作所 製煙突を計画したとされているが33),蒸気機関やボイラーの据え付けにも携わったもの と推測する。1890年

1

月に工務支配人となり,同年

7

月に技師長に就任した段階で,

谷口の役割を引き継いだものとみられる。

鐘紡は,1890年の不況期を乗り越えたものの,他社に比して利益が上がらなかった。

『鐘紡東京本店史』では

10

の経営不振の原因を掲げた34)。その一番最初に「(一)会社 の規模大に過ぎたり,会社に至りて宏大なる建築物と精巧なる機械を一見する時は,我 国工業の長足なる進歩を確認するを得べきも,亦同時に如何に創業費を損失し如何に機 械の買入運転の方法に失敗したるかを察知し得らるべし,創業発起人は何故先づ壱万錘 より始め徐々に経験を積んで今日の参万錘に至らざりしや,工場の位置,石炭の割合,

賃銀の高低等一々其の当時に於て充分考究したるや,酷評すれば一時の工業熱に浮かさ れ前後の思慮を廻らす違《(遑カ)》(原文のまま−筆者)あらずして設立したりと云ふ も過言にあらざるべし」としているのである。導入機械類は技術的には高度なものであ ったが,買入れや機械操作に関して失敗であったこと,創業時としては規模が過大で,

1

万錘規模からはじめるべきであったこと,工場の立地,原材料費に関して充分な配慮 がなかったことをあげ,「一時の工業熱に浮かされて」設立した,とまで酷評した。明 らかに谷口を批判している。このような状況を打開するために,1892年,吉田に欧米 の紡績工場を視察させ,翌年の帰国後の

3

月から兵庫県において新工場の建設がはじま った。この時はプラット社製リング機が導入され,1894年(明治

27)3

月,操業開始 にいたった。経営改革に乗り出した三井の朝吹英二が,来日中のプラット社技術者エイ ンレーとの紡績機械購入交渉に当たったということ以外に,外国人技術者の存在をうか がわせる記録が見いだせないことから,この時,機械据え付けなどの作業は吉田を中心 としてすべて日本人の手で行われたと考えていいであろう。

それでは,彼らの脳裏や身体に刻まれた専門知識・技能,およびその教育過程はどの ようなものであったか,東京大学理学部工学科を時代にそくして見ていこう。

2

授業科目の変遷

1877

年(明治

10)4

月に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学法学部,理 学部,文学部,医学部が設置されるが,当初,医学部は前

3

者の「法理文三学部」とは 学年暦,修学年数,本科は勿論のこと予科もしくは予備門におけるカリキュラムなどが

(8)

全く異なる組織であった35)。表

2

は東京開成学校最後の年度(1876年

9

11

日〜1877 年

9

10

日)における学科別・等級別学生数を見たものである。物理学科は東京開成 学校時に諸芸学科を改組して一時的に設立された仏語物理学科と称された学科で,1880 年度を最後に消滅した。法学科は法学部,化学・工学科は理学部となり,文学部は新設 学部であったが,史学などの予科授業を担当した教員も構成メンバーとなった。

「法理文三学部」の場合,修学年数は

4

年間に延長され,第

1

年(以下,1年生とす る)には学部ごとに共通科目が課せられた。また予科と東京英語学校が合併して修学年 数

4

年間(後に

3

年間)の東京大学予備門が設置された。表

3

は,1877〜1879年度に おける理学部学科別学生数を見たものである。「諸学科」は

1

年生に在籍して理学部共 通科目を履修した学生数を示す。修学年数が

1

年延長されるに応じて,各学年は

1

年飛 ばしで進級することになった。東京開成学校の本科下級(1年生)の場合,1877年

9

月 からは東京大学

3

年生(第

3

年)となる。化学科に関して前者

11

人(表

2)のうち,8

人(表

3)が後者に進級し,工学科についても同じ人数が 1

年生から

3

年生に進級して

いる。4人が新設の地質及採鉱学科に転学科した。

4

は,1876年度における東京開成学校工学科36),1877年度から

1883

年度までにお ける東京大学理学部工学科,それぞれの学年別授業科目の推移を見たものである。1876 年度と

1877

年度の授業科目を比較すると,学校組織変更後も授業科目については,東 京開成学校の授業がほぼ継承されたことがわかる。1877年度

2

年生授業に機械図が追 加され,3年生では地質学が除外された程度にすぎない。1874年

9

月に工学教授として 着任し,1878年

7

月に退職したイギリス人,ロバート・スミス(Robert Smith)が中心 となって授業科目が配置されたことによろう。ただ

1877

年に英語を必修科目とし独語

2 東京開成学校における学科別・等級別学生数(18778月調べ)

等級(学年) 法学科 化学科 工学科 物理学科 合計

本科

上級(3年)

8 12

3 10 11

5 11

6 14

3

中級(2年) 29

下級(1年) 48

予科

1 49

37 84

49

2 37

3 84

上級 14 14

下級

合計 230 34 264

出所:東京大学法理文三学部編(1877)「東京大学法理文三学部第五年報 明治十年」(東京大学史史料研究会編

(1993 b)『東京大学年報』第1巻,東京大学出版会,75頁)。

(9)

・仏語を選修科目とすることになった結果,2, 3年生において英語が加えられた。ま た,前掲表

2・3

からわかるように,1876年度には工学科

3

年生は在籍していなかった が,1877年度には

1

年飛ばしで

2

年生から

4

年生に

3

人が進級してきた結果,表

4

の ように,1877年度は

1876

年度に比して

4

年生の授業科目はより整備されたことがわか る。ただし

1877

年度以降に工学科

4

年生段階で機械工学と土木工学の

2

コース37)(当 時コースという名称は使用されていなかったが38),本稿では学科の下位専門分野という 意味でコースを使用した)に区分することが制度化されたが,この年度の

4

年生

3

人と もに土木工学を選択したので,表

4

のように土木工学コースに

4

つの授業科目が配置さ れたのに対して,4年生が在籍していない機械工学コースの授業科目は

1876

年度と同 様に未整備のままであった。

筆者は,『東京帝国大学五十年史』に

1877

年度の授業科目として掲げられていたもの が39),1878年度授業科目にあたると推測した(表

4

では「1878年度?」と表記)。同書 では,「東京大学法理文学部第六年報 自明治十年九月至同十一年八月40)」(以下「第六 年報」とする)に掲載された理学部に関する文章を引用したあと41),「以て理学部創立 当時の学科編成の体様を知るべし」として,理学部学科別・学年別授業科目を掲げた。

本来ならば,「第六年報」に掲載の授業科目(表

4

1877

年度授業科目)が収録されて いなければならないのが,1878年度の授業科目が「理学部創立当時」の授業科目とし

3 1877年度〜1879年度における東京大学理学部学科別・学年別学生数 年度 学年 化学科 工学科 地質及

採鉱学科 生物学科 物理・数学・

星学科 諸学科 物理学科 合計

1877 年度

4 3 2 1

7 8 8

3 8 10

1 4

3 1

18

5 11 15

11 25 33 33

合計 23 21 8 1 18 31 102

1878 年度

4 3 2 1

7 9 4

6 7 6

3 3 4

1 2

39

8 9

16 28 25 39

合計 20 19 10 3 39 17 108

1879 年度

4 3 2 1

7 7 5

9 6 6

3 4 10

1 2

1 4

44

9 20 28 26 44

合計 19 21 17 4 4 44 9 118

出所:東京大学法理文三学部編(1878)「東京大学法理文三学部第六年報」,同(1879)「第七年報」,同(1880)「第 八年報」(東京大学史史料研究会編(1993 b)『東京大学年報』第1巻,東京大学出版会,107頁,136頁,

151頁)。いずれも翌年の年度末人数。

(10)

41876年度東京開成学校工学科から1883年度東京大学理学部工学科までの学年別・コース別授業科目の推移 学年

東京開成学校 (学年1876年度)

東京大学理学部 (

1877年度)

東京大学理学部 (1878年度?)

東京大学理学部 (

1880年度)

東京大学理学部 (

1881年度)

東京大学理学部 (

1882年度)

東京大学理学部 (

1883年度) 1年生

高等数学 重学及機械構成法 物質強弱論 図画推算法 陸地測量 物理学 法蘭西語

2年生

純正及応用数学 重学及機械構成法 物質強弱論 図画推算学 陸地測量 物理学 機器図 法蘭西語或日耳曼語 英吉利語

純正及応用数学 重学 物質強弱論 陸地測量 物理学 機械図 法蘭西語或日耳曼語 英吉利語

数学 重学 物質強弱論 陸地測量 物理学 機械図 仏蘭西語或独乙語 英吉利語

数学 重学 物質強弱論 陸地測量 物理学 機械図 独乙語 英吉利語

数学 重学 物質強弱論 陸地測量 物理学 機械図 独乙語 英吉利語 冶金学

数学 重学 物質論 陸地測量及地誌図 物理学 機械図 独乙語 英吉利語 鉄鉱冶金法 衛生工学 運動学及機工論 2年生

熱動学理論及応用 結構強弱論 機器図 機器功力及工場実験上 鉄道測量及築造 物理学(講義及実験 [地質学] 法蘭西語

3年生

熱学及蒸気機関学 結構強弱論 機器図 機器功力及工場実験上 鉄道測量及構造 物理学 法蘭西語或日耳曼語 英吉利語

熱動学及蒸気機関学 結構強弱論 機械図 道路及鉄道測量及構造 物理学 [和漢文学] 法蘭西語或日耳曼語

熱動学及蒸気機関学 結構強弱論 機械図 道路及鉄道測量及構造 物理学 機械学 法蘭西語或独乙語

熱動学及蒸気機関学 結構強弱論 機械図 道路及鉄道測量及構造 物理学 機械学 独乙語

熱動学及蒸気機関学 結構強弱論 機械図 道路及鉄道測量及構造 物理学 機械学 独乙語

熱動学及力源機 物質抗力論 機械図及機械計画△ 橋梁及屋背構造論 物理学 機械学及工場諸工具△ 独乙語 機械図○ 道路及鉄道構造法○ 3年生

海陸蒸気機様式ノ講義 工業計画及製作図及計費 採鉱学

4年生 機械 工学

海陸蒸気機様式ノ講義 工業計画製作図及計費機械計画製図実験 材料試験 機械所実験 卒業論文

機械計画製図実験 材料試験 機械所実験 卒業論文

機械計画製図実験 材料試験 機械所実験 卒業論文(邦文漢文若英文

機械計画製図実験 材料試験 機械所実験 卒業論文(邦文漢文若英文機械所実験 卒業論文(邦文漢文若英文 測地術 水機工学4年生 土木 工学

測地術 海上測量 水機工学 造営学

橋梁構造 測地術 海上測量 水機工学 造営学 [和漢文学] 卒業論文

橋梁構造 測地術 海上測量 治水工学 造営学 応用地質学 卒業論文

橋梁構造 測地術 海上測量 治水工学 造営学 応用地質学 卒業論文(邦文漢文若英文

橋梁構造 測地術 海上測量 治水工学 造営学 卒業論文(邦文漢文若英文

拱及擁壁構造法等 測地術 治水工学 造営学** 隧道構造論 基礎構造論 卒業論文(邦文漢文若英文 出所:東京開成学校は,東京開成学校編(1876)『東京開成学校一覧明治九年』(東京開成学校)とTokioKaisei-Gakkoed.)(1876)『TheCalendaroftheTokioKaisei-Gakko.』との合冊版(国立公文書館 蔵)による。東京大学理学部工学科授業科目については次の通りである。1877年度は,東京大学法理文三学部編(1878)『東京大学法理文三学部一覧略明治十一年丸家善七国立国会図書館デ ジタルコレクション)1878年度は,東京帝国大学編(1932)『東京帝国大学五十年史』上册(中外印刷株式会社,621頁)1880年度は,東京大学法理文学部編(1881)『京大学法理文学部一覧 明治十三年,十四年』(丸屋善七)とUniversityofTokioed.)(1881)『TheCalendaroftheDepartmentsofLaw,Science,andLiterature』との合冊版(同デジタルコレクション)1881年度〜1883年度 は,東京大学法理文三学部編(18821884)『東京大学法理文三学部一覧従明治十四年至十五・年従明治十五年至十六年・従明治十六年至十七年』丸家善七(同デジタルコレクション) 注:1883年度3年生授業科目のうち,末尾に△を付したものは機械工学コース,○のそれは土木工学コースの専修科目。これら以外の科目は両コース共通科目同年度2年生のを付した英吉利語は 18831012日に授業科目から削除された(東京大学編(1883)「東京大学第三年報起明治十五年九月止同十六年十二月」(東京大学史史料研究会編(1993a)『東京大学年報』第2京大学出 版会,217頁)。同年度土木工学コースの4年生の「**」を付した造営学は1884131日に授業科目に加えられた東京大学編1884)「東京大学第四年報起明治十六年九月止同十七年十二月 (同上書,364頁))。

(11)

て収録されたと推測する。少なくとも

1877

年度当初の授業科目ではなかった。

また,1878年

2

月から

7

月の間に作成されたとみられる『東京大学法理文三学部一 覧略 明治十一年42)』には表

4

1877

年度のものと同一の授業科目が掲げられている。

1875

10

月〜1877年

2

月 に 土 木 工 学 教 授 と し て 勤 務 し た ジ ェ ー ム ス・ワ ッ ソ ン

(James R. Wasson)に 代 わ っ て,ウ ィ ン フ ィ ー ル ド・チ ャ ッ プ リ ン(Winfield S.

Chaplin)が 1877

2

月に着任したが,彼の

1877

年度「申報43)」には,「第四年生ハ第

ママ

二学期ニ於テ石・鉄・木・ノ構造ヲ計画スル事ニ就テ煩忙極メタリシカ,余ノ予期セル 如ク其業ヲ終ルコトハ為シ能ハサリキ,其故ハ新ニ生徒ヲシテ卒業ノ際策文ヲ出サシム ルノ議ニ決シ,五月一日以後ハ全ク教場ノ授業ヲ止メ専ラ作文ノ業ニ従事セシメタルヲ 以テナリ」(原文は連続する文章であるが,適宜「,」を挿入した。また原文に「、」と ある場合,「・」に変換した。以下,同じ)とあった。外国人教員の英文申報を見いだ すことができなかったが,表

4

の脚注に掲げた『東京開成学校一覧 明治九年』などの ようにその英語版が合冊されている資料(以下,『学校一覧和英合冊版』とする)から 当時の英文・邦訳の対応関係をうかがうことができる44)。上記の「計画」は

design

の 当時の邦訳であったので,4年生

2

学期(1878年度まで

2

学期制,翌年度から

3

学期 制)に石・鉄・木からなる構造物の設計に関する授業に忙殺されていたが,ワッソンが 予想した通り,4年生に卒業論文を課すことが決定したので,この授業を完了できない まま,4年生は予定された授業を中止し,1878年

5

1

日から卒業論文作成に専念する ことになった,ということであろう。2学期は

2

月から

7

月までなので,あと

2

か月を 残して急遽,4年生は卒業論文を作成することになった。

1876

年度の東京開成学校と

1877

年度の東京大学理学部それぞれの授業科目について 前稿で比較検証したので,本稿では

1878

年度の授業科目について検討するとともに,

4

に掲げたこれら授業科目が

1878

年度のものであったことを追加論証しておきたい。

機械工学の前任教員のスミスは

1878

7

月に退職した。彼はイギリスやドイツの工場 現場で働きながら,正規の大学教育ではなかったが,エジンバラ大学でフレミング・ジ ェンキン(Fleeming Jenkin)の下で工学教育を受けた45)。彼に代わって

1878

9

月に ジェームズ・ユーイング(James A. Ewing)が東京大学に着任した。スコットランド・

エジンバラで

1855

年に生まれ,エジンバラ大学に進学してジェンキンの下で学び卒業 した。入学年・卒業年が定かでないが,入学年が

1870

年代初頭とされているので,ス ミスが

1874

7

月に

22

歳で日本に来る以前に,2人は同じ教室で学んだ可能性があ る。

(12)

スミスが授業を担当した

1877

年度と,ユーイングが担当した

1878

年度を比較してみ よう。ユーイングの

1878

年度「申報46)」(以下,特筆しない限り同年度申報による)に よると,1878年

9

月に着任して「乃チ直チニ授業ニ従事」した。「第二年生ニ授クル講 義ハ分テ二課目トス,曰ク重学曰ク物質強弱論是ナリ,此課目中曽テスミッス氏カ教授 セ シ 所 ト 要 旨 ヲ 異 ニ ス ル ハ,只 稍 重 学 ノ 意 ヲ 拡 張 シ テ 従 来 独 立 ノ 一 課 目 タ ル

グラフィツク・メソード・オフ・カルキュレイション

図 画 計 算 法ヲ其内ニ包有シ」たとする。重学(Mechanics:現在では力学 と訳されているが,以下,重学という当時の訳語を使用する)と物質強弱論(Strength

of Materials)を担当したが,スミスが図画計算法(Graphic method of Calculation:表 4

では図画推算学(Graphic Calculation))を単独の

1

科目として教えたのに対して,ユー イングは重学の授業の中に含めて教えた。表

4

1878

年度授業科目一覧にはこの科目 が掲げられていない。申報には指摘されていなかったが,1877年度

2

年生の重学及機 械構成法(Mechanics and Mechanism)は,1878年度には機械構成法が省かれて重学の みとなった。Mechanismはこの時は「機械構成法」と訳され,後に機械学と訳されたが

(現在では機構学と訳されているが,以下,機械学を使用する),1878年度にはこの科 目は見いだせない。

物質強弱論に関して,ユーイングは「現今本部中ニ材料試験ノ料ヲ設クルモ,此レヨ リ得ル結果ニ於テ果シテ学術教育上ニ居多ノ裨益アリト信セス,何トナレハ原来精密ノ 試験ヲナスニハ許多ノ時日ト労力ヲ要セサレハ十分奏功ヲ見サルコトナルニ,現ニ本部 生徒ノ如キ余暇ナキ者ニ望ムハ到底能ハサルコトナレハナリ」とする。スミスは,木材 や金属などの各種機械材料に関する強度実験に力を入れていたが47),ユーイングはこれ に批判的であった。材料試験には緻密な作業を必要とするため「許多ノ時日ト労力」が かかるが,学生たちにはその時間がない。ただし「亦上級生ヲシテ親ク学術ヲ経験セシ ムルノ方法ヲ設ルハ余ノ大ニ希望スル所ナリ」と,必要性は認めて上学年で学ぶべきだ として,表

4

のように

4

年生の科目に材料試験(Experimental Work)を持ってきた。

さらに「第三年生ニモ亦二課目ヲ修メシム,一ハ熱動学及ヒ蒸気機関論,二ハ結構強 弱 論 是 ナ リ,但 其 教 授 ノ 順 序 等 ハ 課 程 表 ニ 詳 ナ レ ハ 茲 ニ 贅 セ ス,而 シ テ

フリクショナール・エフィシェンシー

機械摩擦功力論ハ第四年ニ譲レリ」とある。1877年度では熱学及蒸気機関学(Heat

and the Steam Engine)であったのが,1878

年度には熱動学及ヒ蒸気機関論(Thermody-

namics and the Steam Engine)に変化した。ただしスミスは 1876

年度において

Thermo-

dynamics

という語を使用していたので,スミスとユーイングが意図した授業内容は同

じであったろう。機械摩擦功力論(Frictional Efficiency of Machines)は,1877年度

3

(13)

生科目の機器功力及工場諸業ノ講義(Efficiency of Machines and Lectures on Workshop

Practice)のうち前者の Efficiency of Machines

にあたり,4年生に回されることになっ た。後者の工場諸業ノ講義は,4年生科目の機械所実験(Workshop Practice)にあたろ う。また土木工学系の鉄道測量及構造が道路及鉄道測量及構造と変化し,道路に関して も測量・構造を学ぶこととなった。

4

年生の土木工学コースでは橋梁構造と和漢文学が追加され,卒業論文が正規科目と して配置され,より充実したことがうかがわれる。前述のチャップリンがかかわったの であろう。機械工学コースでは機械計画製図実験(Machine Design with Practice in mak-

ing Working Drawings),材料試験(Experimental Work),機械所実験(Workshop Prac- tice)が整備された。阪田貞一が機械工学コースを選択したためである。より具体的な

授業科目名となった。授業科目を講義科目と実習科目に分けるとすると,これらは実習 科目にあたろう。もちろん卒業論文も課題とされていた。

また

4

年生の授業は「上ノ二級ト一般必スシモ規律ニ順ハスシテ,学術理論ノ諸件ヲ 講究シ傍ラ実地職業ニ必要ナル書籍雑誌等ヲ参読セシメ,主トシテ実用機械ノ計画及其 計画セル機械各部ノ図ヲ製ラシメ,以テ他日製造場ニ入リテ実際操業ノ階梯ト為ス」と している。2, 3年生とはことなり,必ずしも規則的に授業を行うのではなく,学理を追 求し実地の職業に関連する文献を読む一方で,「実用機械ノ計画及其計画セル機械各部 ノ図ヲ製ラシメ」るという。後者は上記の機械計画製図実験にあたろう。前述のように

「計画」は

design

のことなので,「施工図作成実習と機械設計」ということになろうか。

また製造場というのは,横須賀造船所のことで「生徒ヲシテ真ニ実用ニ適セシメンニ ハ,少クモ一年間許横須賀造船所ノ如キ完全ナル機械場ニ遣シ修練セシムルニ若カサル 可シトナスナリ」とある。授業科目としては機械所実験にあたろう。阪田は,最初の機 械工学コース学生として横須賀造船所へ派遣されることになった。「其間月々自ラ履修 スル学業ノ順序景況等ヲ詳記シ余ニ報告ス,乃チ按検シテ該所ノ規則法方ノ寔ニ宜ヲ得 タルヲ知悉シ,益此挙ノ大裨益アルコトヲ信セリ」と,ユーイングは,阪田の実習報告 書を読み横須賀造船所実習の教育効果がいかに大きいかを確信した。また前述の吉田朋 吉は機械工学コースを志望し,3年生最後にあたる夏休暇中(7月

11

日から

9

10

日)

に横須賀造船所に派遣されて実地研修を行った。申報では,これらの事実を記したあと に改行して「又生徒ハ本学年中余ト同伴シテ数々(屡々か−筆者)赤羽工作分局小石川 砲兵工廠横須賀造船所等ニ到リ,諸機械使用方法ヲ点検セリ」とあった。ここでいう

「生徒48)」が阪田と吉田を指すのかどうか不明だが,赤羽工作分局や小石川砲兵工廠で

(14)

も実地研修が行われた。

ユーイングの

1878

年度申報の最後に,「全然自国ト脈絡ヲ異ニスル外国語ヲ以テ修学 スルハ素ト困難ノ業ナルニ,本部生徒ノ其事理ヲ通暁スルニ易々タルハ実ニ奇ト称スヘ シ」とし,その理由として「予備門ニ於テ充分ノ教育ヲ受ケ」たためと推測した。さら に「今試ニ該生徒ノ学識ヲ平均シ之ヲ英国ニテ同科ヲ修習スル生徒ニ比較セハ,却テ彼 ニ優ルノ件多カルヘシ,但シ其及ハサル所ハ理論ヲ実地ニ活用スルノ才幹ノミ」と,理 学部工学科の学生は学識や学理についてはイギリスの学生よりも優れている点が多い が,理論を実地に応用する能力が不足している。「然レトモ本部已ニ四年級ニ実地教導 ノ規アレハ,爾後此幣ヲ矯正スルコト難カラスト信スルナリ」,すなわち,4年生にお ける各種実習科目を履修することにより克服することができるというのである。

1879

年度(明治

12)の授業科目一覧は見いだせなかったが,機械工学コースに着目

して

1878

年度と

1880

年度とを比較すると,3年生において和漢文学が除外されて機械 学が追加されたにすぎない。ユーイングの

1879

年度「申報49)」には「第三年生ハ六名 ニシテ皆学則ニ従ヒ第一熱動学及蒸気機関,第二結構強弱論ノ両科ヲ修メタリ,但シ余 ハ学年終リノ数週間ニ於テ特ニ機械学ノ要略ヲ講義ス故ヲ以テ,当第三年生ハ昨学年ノ 同級生ヨリモ業ヲ受クル稍多シト為ス」とある。3年生に前年度と同じ

2

つの科目を教 え,学年末には数週間にわたって機械学を開講したため,1878年度生に比べて負担が やや大きくなったとしている。1877年度にスミスが重学とともに開講した機械構成法 が復活したのである。

1879

年度も機械工学コースを選択した学生は吉田

1

人だけであった。「同氏ハ則チ第 一学期中ニハ本部ニ於テ機械計画ヲ習修シ,第二第三学期中ニハ横須賀造船所ニ在留シ テ実地ニ器械学ヲ研究セリ」とあり,彼が

3

年生の時には「器械学」が配置されていな かったので,横須賀造船所で実習を兼ねて勉強したということであろう。後述のよう に,3年生終了後の

9

か月間にわたる横須賀造船所実地研修がカリキュラムの中に組み 込まれている。彼はすでに

3

年生終了後の夏休みに同所で実地研修をしているので,

2,3

学期の研修期間を合わせるとほぼ

9

か月間の研修を終えたことになる。ユーイン グの

1880

年度「申報50)」には,「前学年ニ工学第四年生タリシ吉田朋吉ハ横須賀造船所 ニ於テ実地修業ノ後,卒業論文ヲ撰シ考試ヲ経テ明治十三(四か−筆者)年十月十六日 ヲ以テ卒業セシ」とあった。

(15)

3

機械工学コースの授業内容

通常のシラバスは授業の概略,計画,参考書などを個々の科目について示したもので あるのに対して,当時,コースごとに,当該コースの履修にあたって重要な複数の学年 別授業科目とそれぞれの科目別通常シラバスが記されていた。本稿では後者全体のこと をコースシラバスと称したい。表

5

1877

年度と

1878

年度の工学科授業科目と担当教 員を示したものであるが,機械工学コースシラバスにはこれらすべての科目が含まれた のではなく,表

6(1876

年度)のように「機械工学教授」であるスミスが担当した科目 に関してのみ授業概略などが掲げられていた。その英語表題は「Syllabus of the Course

in Mechanical Engineering」,日本語表題は「機械工学科要略」であった。「機械工学科」

とあるが,厳密にはこの時,学科としては「工学科」しか存在していない。1877年度 のシラバスは見いだせなかったが,スミスが引き続き機械工学コースを担当していたの で

1876

年度のものと同内容であったと考えられる。表

7

1880

年度の『大学一覧和英 合冊版』から作成したものである。前掲の申報を考え合わせると,ユーイングが作成し

5 1877年度・1878年度工学科授業科目と担当教員

学年 1877年度 1878年度

担当科目 担当教員 担当科目 担当教員

2年生 数学 重学 物質強弱論 図画推算学 陸地測量及測量図 物理学講義及実験 機器図

英語

菊池大麓 スミス スミス スミス チャップリン ヴィーダル 松本荘一郎 ホートン

数学 重学 物質強弱論

陸地測量 物理学 機器図 英語

菊池大麓 ユーイング ユーイング

チャップリン メンデンホール 多賀章人 ホートン

3年生

熱論及蒸気機関 結構強弱論 機器図 機器功力講義 鉄道築造法及測量 物理学実験 日耳曼語 英語

スミス スミス 松本荘一郎 スミス チャップリン ヴィーダル 今井巌 ホートン

熱学及蒸気機関学 結構強弱論 機器図

鉄道築造法及測量 物理学

日耳曼語

ユーイング ユーイング 多賀章人

チャップリン メンデンホール 今井巌

4年生 土木工学

英語

チャップリン ホートン

土木工学 造営学

チャップリン スメドレー 出所:東京大学法理文学部編(1878)「東京大学法理文学部第六年報 自明治十年九月至同十

一年八月」(東京大学史史料研究会編(1993 b)『東京大学年報』第1巻,東京大学出 版会,106頁)。東京大学法理文学部編(1879)「東京大学法理文学部第七年報 自明 治十一年九月至同十二年八月」(東京大学史史料研究会編同上書,135頁)。

(16)

6 1876年度東京開成学校機械工学コースシラバス

Syllabus of the Course in Mechanical Engineering 機械工学科要略

First Year 第一年 専門科 下級

In the first year of the course the pupils will attend to the following

subjects of study. 此学期ノ第一年生ニハ生徒左ノ課目ニ従事ス

可シ

図画推算学

1. They will continue Geometrical Drawing as applicable to machin- ery, the exercises being selected as far as possible to familiarize them with the projection, on different planes, of elementary parts of ma- chinery.They will also devote considerable time to the study and prac- tice of the various graphic methods which are applicable to many classes of Engineering calculation. The subject of Graphic Calculation is treated in the following order;-Graphic Arithmetic, Graphic Alge- bra, Grapho-Kinetics, and Grapho-Statics;in the last division of the subject numerous practical applications being made to the calculation of the strength of parts of machinery and of bridge-work.

(第一)生徒ハ機械ニ適用スヘキ幾何図法ヲ 引続テ学習ス可シ,其演習題ハ成ルヘキ丈ケ 生徒ヲシテ機械諸部ノ図ヲ画ク法ニ慣熟セシ ム可キモノヲ択出ス,生徒ハ又工学計算ノ諸 種ニ適用スヘキ図画推算法ノ学習及ヒ実際使 用ニ多ク其時ヲ用ユ可シ,図画推算学ノ目次 ハ則チ図画算術,図画代数,図画動勢法,図 画静勢法ニシテ順序ニ従ヒ之ヲ講ス,但シ図 画静勢法ニ於テハ屡々実際ノ使用ヲ器械及ヒ 橋梁ノ諸部強弱ノ計算ニ施ス

重学及機械 構成法

2. They will pursue a more advanced course of study in Mechanics and Mechanism. The home exercises for this class will plentifully il- lustrate the numerical results of all propositions and formulae ex- plained in the lectures.

(第二)生徒ハ重学及ヒ機械構成法ニ於テ一 層高等ノ科ヲ修ムヘシ,而シテ各自室内ノ練 習ニ依テ其講義ノ時説明セシ諸題諸式ノ数目 ノ結果ヲ十分ニ解得スルヲ要ス

物質強弱論

3. They will at the same time enter upon the study of the Strength of Materials. They attend the Metallurgical lectures given in the Chemi- cal course(1st Year), and in the special class on strength of materials the mechanical processes to which the materials used by engineers are subjected in the course of their commercial manufacture, are described with reference to the influence which those operations exert upon the final prices, and upon the physical properties of which the Engineer has to take account. Attention is drawn to the comparative costs of different shapes and sizes, and to the fluctuations in the market prices of the various materials. In order to gain a more intelligent familiarity with the subject, the students will make practical tests with different Testing Machines, and will calculate the strength, etc., from the results of their experiments. The materials experimented on will for the most part be Japanese products.

(第三)生徒ハ物質強弱論ヲ学フヘシ,又各 種物料ノ形状及ヒ大小ニ準スル比較価及ヒ時 価ノ浮沈ヲ研究シ,尚ホ一層此学科ニ熟達ス 可キ目的ヲ以テ生徒ハ各自ラ各種ノ試験器械 ヲ用テ実験ヲ行ヒ,而シテ其経験ノ結果ニ就 テ物質ノ強弱等ヲ算計ス可シ,但シ其経験ス ル所ノ物料ハ大抵日本産出ノ物ヲ用フ可シ

Second Year 第二年 専門科 中級

The following is an outline of the second year’s course of study : - 第二年間ニ研究スヘキ学科ハ大略左ノ如シ

物質強弱論

1. The students will apply the principles of the Strength of Materials, and the experimental data upon which they rest, to the practical de- signing of Boilers, Bridge-work, and a few examples of Machinery.

(第一)生徒ハ物質強弱ノ理及ヒ試験上其理 ノ帰着スル原由ヲ汽鑵橋梁及ヒ機械ノ実地ノ 計画ニ適用ス可シ

熱学及蒸気 機関学

2. They will also be made thoroughly acquainted with Thermodynam- ics, developing in full detail those portions of the subjects which have practical applications. First is considered the Generation of Heat in Furnaces, or Combustion of Fuel. After this Furnace and Boiler effi- ciency. Next Mathematical Thermodynamics, and lastly the applica- tions of Thermodynamic principles to the practical calculation of the efficiency of Steam Engines and Air Engines. This last part of the subject will include descriptions of the methods of Testing Steam En- gines.

(第二)生徒ハ又熱動学ヲ通暁スヘシ,殊ニ 其実用ニ供ス可キ部分ヲ詳細ニ研究スベシ,

其法先ツ竈中火熱生起ノ理或ハ薪炭焚焼ノ理 ヲ講シ,其後竈或ハ汽鑵ノ功力ヲ論シ次ニ数 理熱動学ヲ修メ,而シテ最後ニ熱動学ノ理ヲ 蒸気機及ヒ空気機ノ功力ノ実際計算ニ使用ス ル法ヲ学ヒ,且ツ蒸気機試験ノ法式ヲ明カニ

機器功力及 工場諸業

ノ講義

3. They will also attend lectures explaining the theory of Frictional Efficiency of Machines and describing the construction of the fric- tional parts of machines. In the second part of the year they will learn the most important details of work-shop practice, and this will include the calculation of the power required to drive various machines.

(第三)生徒ハ又機械ノ摩擦功力ノ理論ヲ講 究シ且ツ機械ノ摩擦スル諸部ノ構造ヲ論スル 講義ヲ聴聞スヘシ,此年ノ第二期ニ生徒ハ工 場実験ノ最要ナル詳説ヲ学ヒ且ツ機械ヲ運転 セシムヘキ力ノ計算法ヲ学ブベシ

Third Year 第三年 専門科 上級

During the third year the work of the students will have an entirely

practical bearing. 第三年間ニ生徒ノ学習スヘキ学科ハ全ク実地

ニ渉ルモノトス

海陸蒸気機 様式ノ講義

工業ノ計画 及製作図及 計費ノ実験

1. The designing of different forms of Land, Locomotive and Marine Engines, and of Propellers, will be explained in full detail, and all necessary calculations, including estimates of cost, and drawings, will be made by the students themselves. If there is found sufficient time, the design of Machine Tools and Shipbuilding will be treated of in the lectures.

(第一)海陸蒸気機及ヒ翅蝶等ノ詳細ニ講解 シ,而シテ入費ノ見積及ヒ図式ニ関係スル諸 ノ必用ナル計算ハ生徒ヲシテ自ラ之ヲ做サシ ム,若シ余暇アルトキハ講義ヲ以テ機械器具 及ヒ造船ノ計画ヲ説示スヘシ

2. The machinery of Water-works, Harbour-works, and Town- Drainage, will occupy a part of the year.

(第二)属水工事,港湾工事,市井放水法ニ 適用スベキ器械用法ニ此年ノ一部ヲ用ユベシ 3. Most of the students’ time, for a large part of the year, will be

spent in the designing office, and an extended course of reading upon technical subjects will be prescribed. Both the practical work, and the reading prescribed for each student, will have special reference to the special branch of engineering intended to be pursued.

(第三)生徒ハ此年ノ間重モニ計画室ニ於テ 其時ヲ費ヤシ,且ツ工業必需ノ書籍ヲ習読 ス,尤モ各生徒ノタメニ指定スル実地工業及 ヒ参看書籍ハ其修メント欲スル所ノ工学ノ課 ニ従テ同シカラザルベシ

出所:東京開成学校編(1876)『東京開成学校一覧 明治九年』和英合冊版(表4出所参照)。

注:邦文は一続きであるが,適宜「,」を挿入した。第二年専門科中級の物質強弱論は結構強弱論(表4参照)の誤りであろう。英文 シラバスのStrength of MaterialsStrength of Structures(表7参照)でなければならない。邦文最下欄の(第三)欄に引用した

「計画室」には「デザイニングオッフィス」とルビが振られている。

表 6 1876 年度東京開成学校機械工学コースシラバス
表 7 1880 年度東京大学理学部工学科機械工学コースシラバス
表 8 1880 年度各学期の授業日数と授業週回数 学期 学期期間 学期日数 神嘗祭など の休日数 授業日数 授業週回数 1 学期 2 学期 3 学期 9 月 11 日〜12 月 24 日1月8日〜3月31日4月8日〜6月17日 1058371 43 1018071 14.4311.4310.14 出所:表 7 と同じ。 注:夏期・春期・冬期休業,試業期間を除く。授業週回数は授業日数を 7 で除した値。 表 9 1880 年度学年別・学期別・科目別週授業時間数,および科目別年間総授業時間(機械工学コース)
表 10 『The Steam-Engine and Other Heat-Engines』の章題
+4

参照

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