本書は、山岸徳平博士の旧蔵吾で、現在は本学の所有に帰し、山岸文庫として、本学図書館に収蔵されている。﹃雫に濁る物語﹄ という名は、﹃風葉和歌集﹄巻九︵哀傷︶と巻十一︵恋︶とのそれぞれに、歌の作者名として、﹁しつくににこるの中納言﹂﹁しつ くににこる贈皇后宮﹂とあることによって、鎌倉時代に存在していたことが知られ、また山岡竣明の﹃古ものがたり目録﹄︵雫に 註一 ぬれる中納言︶、伴直方﹃物語書目備考﹂︵しつくに濁るものかたり同︿風葉﹀︶、黒川春村﹃古物語類字紗﹂︵しづくににごる物
註二註一
語︶、岡本保孝﹃物語書名寄﹄︵しつくに濁る物語風哀情︶、横山由清﹃古物語名寄類韻﹄︵しつくにぬる上風︶、藤井貞幹﹁国 朝書目﹄︵△しつくに濁る︶とそれぞれの目録にあるが、これらの目録の著者は、実際にこの物語をその目で見たわけではなく、 ﹃風葉和歌集﹄によって、その名を知って、目録に収めただけのことらしい。その意味では、﹁風葉和歌集﹄以後、その名は知ら れていたが、その存在を実際に確めえた人はいなかったのかもしれない。 註一﹁雫にぬれる中納言﹂﹁しつくにぬる呉風﹂は不慮の誤記、又は﹃風葉和歌集﹄の異文であろうか。 註二﹃古物語類字抄﹄には、この物語名の次に、|﹁風葉哀傷︵しづくに濁の中納言︶恋一︵贈皇后宮︶、按に古物語目録に、雫にぬれる中納 言、とあるは、非なり。﹂とある。 右のようなことで、この物語は名の調査報告四
雫に濁る物語一冊
一、本書の来歴
この物語は名の糸知られて散扶したものと考えられていた。それが再発見された経緯は次の通りである。 声 司阿
∼I
立口秋生・前田
一裕
子
一 ・ 1 − −しつくににこる贈皇后宮 獅つ入めとも袖のしから桑せきわひぬ涙の川やうき名なかさむ︵校本風葉和歌集、一七九頁︶ とある二首の中の前者と、第一、二句に小異はあるが、同じ歌と考えられることを知り、とすればこの﹁逸名の物語﹂は、﹃風葉 和歌集﹄にいう﹁しつくににこる﹂物語であるとして、この事実が山岸博士に報告され、同時に、当時改訂中の久松博士編﹃日本 文学史﹄中世篇︵改訂新版、昭和三十九年六月一日刊︶に、この物語の存在が報告された︵同文学史中世篇、二○頁︶。小木氏は、その 後、昭和四十二年五月三十一日、この原本を直接調査し、その結果を昭和四十四年六月の﹃国語と国文学﹂に発表した︵﹃散逸物語 昭和三十八年六月﹁文学・語学﹂第二八号に、﹁ある逸名の物語とその本文﹂として山岸徳平博士が、一応の書誌と本文とを紹 介されたのが最初で、当時既に山岸博士の所蔵に帰していたものであるが、山岸博士は、これが﹃風葉和歌集﹄にある﹁雫に濁る 物語﹄であることには気づいておられなかった。お伽草子よりは古い擬古物語の一つとして、新資料を紹介されたものらしい。 この紹介を見た小木喬氏が、全体で九首あるこの新資料中の歌の一首、 まことにやむすぴあはせし忍草などあやにくに露けかる覧 という中納言の歌が、﹃風葉和歌集﹄に﹃雫に濁る物語﹂の歌として、巻九、哀傷に、 贈皇后宮にうちとけすなからふなれ侍けるかかくれ給ひてのちのきのしのふを桑てよめる しつくににこるの中納言 師まことには結ひやはせししのふ草なとあやにくに露けかるらん︵校本風葉和歌集、一六二頁︶
伽まことには結
と、巻十一、恋一に たいしらす これと相前後したころと思われるが、中野幸一氏が、山岸博士所持の原本を調査して、﹃﹁しづくににごる物語﹂考﹄を発表した。 ﹃物語文学論孜﹄︵昭和四十六年刊︶に収録されているが、それによれば未発表原稿で、昭和三十八年の執筆とある。山岸博士によ る﹁逸名の物語﹂との紹介のあった直後のことである。 ここまでの来歴によって明らかなように、この物語の成立は﹃風葉和歌集﹄の成立した文永八年︵一二七一︶以前であることまで は判明するが、それ以上の詳細は不明である。作者も不明である。 ﹃雫に濁る物語﹄という題名は、﹃古今和歌集﹄巻八、離別の紀貫之の歌、 の研究﹄︵昭和娼・2︶に収められている︶。 へ へとある。物語の幸 本文には、聿豆 あるの承である。 本書は、縦一四・八糎、横一五・二糎の綴葉装の枡型本写本、全一冊である。 表紙は、茶褐色の殿子で、木の葉と蔓草の模様があり、端は擦りきれて地の紙が見えている、原装であろうかともいわれてい る。見返しは金銀の切箔散らしの料紙。裏表紙とその見返しも同様である。題釜、外題内題はない。 料紙は薄手の鳥の子紙である。紙数は、前後に各一枚、計二枚の遊紙があり、これらを含めて三六枚である。綴りは三帖であ る。第一帖は二枚四葉、その第一葉は、表紙裏打紙の下にはさゑこまれ、第二葉が遊紙となり、第三、四葉の二枚が本文の墨付で ある。第二帖は一二枚の料紙を二つに折って二四葉が本文の墨付と一面分︵第十八丁ゥ︶の空白とになっている。第三帖は、八枚の 料紙を二つ折とし、本文墨付八葉、と遊紙一葉、残る七葉は裏表紙の裏打紙の下にはさみこまれている。従って本文墨付は、三四 葉六七面となる。一面十一行、一行十五字前後、歌は、改行一宇下げで、上句と下句とにわけて、二行に書く。歌は九首見える。 本文の最後の第三十五丁ウは、本文五行で終った後、一行分ほどの空白をおいて、その次に、約二字下げで、 む これを御らんせ人は 州むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな﹃ によるといわれるが、その理由は判然としない。﹁あかでも人に別れぬるかな﹂という下の句が、この物語の主題と関るとするの であろうか。 奥書、識語等はなく、極札もないが、第一丁︵遊紙︶の表の右に寄せて、縦一四糎、横六糎の貼紙があり、次のようにある。 念仏申させ給へし しがの山ごえにていしゐのもとにて物いひける人の別れけるをりによめる かならす,r、 物語の本文とは一応別のものかと思われる。 は、書き入れ、貼紙等はない。蔵書印かと思われるもの
二、形態
一 第十八丁オ、本文七行の次の空白の右端に墨字の矩形のものが 戸 つらゆき _ Q − u近衛前久は、関白近衛植家の子として天文五年誕生、本名は晴嗣、天文十年六歳で従三位に叙せられ、天文二十三年には十九歳 で関白、左大臣正二位で、氏長者になった。.天文二十四年には前嗣と改名、永緑三年九月二十五歳の時、長尾景虎︵上杉謙信︶を頼 って越後へ下向、同五年に帰京して、前久と改名した。永祗十一年︵一五六八︶三十三歳までは関白でいたが、この年︵信長上洛の 年︶十一月︵十二月とも︶、﹁被下違二武命一出l奔上﹂とある。出奔先は﹁丹州﹂とある。天正三年︵一五七五︶四十歳の六月一旦上洛した が、九月には薩摩へ下向した。天正五年二月には帰京し、閨七月から出仕した。天正十年︵一五八二︶、四十七歳の二月、太政大臣 に任ぜられたが、六月二日︵本能寺の変のあった日︶落飾出家、龍山と号した。慶長十七年︵一六二一︶五月八日、七十七歳で莞じ、 ﹃綾錦﹄︵菊岡沽涼著、享保十七年︿一七三二﹀刊︶の上巻、﹁誹道大系譜﹂の中の松永貞徳の条の註に、 近衛殿下龍山公、九条殿下玖山公より法印玄旨法橋宗狼法眼紹巴等に仰有テ、誹諾一道ノ宗匠ヲ免許 とある。貼紙はこの記事のことに言及しているものである。 # なお、厨和漢書壹古筆鑑定家印譜﹄によると、古筆鑑定家の了佐︵一五七二’一六六二︶について、 源姓江州西川人、平澤氏、初名彌四郎、薙髪ソ法名了佐、従互近衛関白前久公一一、古筆目利傳授、遂爲古筆鑑定家ノ祖、 とある。前久は古筆にも関心をもち、その目利について見識をもっていたものらしい。 本書の筆蹟は、前久時代の人のものとは考えられない、かなり湖るもの、室町時代の初期、糊れぱ吉野時代のものといわれてい る。とすると、この遊紙の貼紙が近衛前久の名を掲げ、その人を紹介したのは、前久を本書の書写者としてではなく、むしろ鑑定 家として紹介したのであったかもしれない。古筆鑑定家の鑑定として掲げる個人名までを鵜呑承にすることはできないが、時代を 大幅に間違えることは少い。室町時代初期又は吉野時代の筆蹟を安土・桃山時代の筆蹟と鑑定することは少い。龍山公を本書の筆 者としたとは考えられないであろう。あるいは、龍山公前久が、本書の筆者、少くともその書写年代について一つの意見を提示し 東求院と称する。 に任ぜられたが、 氏説︶。 近衛殿前久号龍山公極札添云佐藤□口教忠記之 誹害綾錦ニ松永貞徳誹諸一道ノ宗匠を﹂龍山公より免許すと有九條玖山公山崎宗鑑﹂細川幽斎紹巴杯同時也龍山公和吾連誹 之達人﹂世二しる所也可賞翫言也と安部行貞申キ﹂凡享和頃迄誠百三四拾年余成か﹂ ﹁佐藤教忠﹂については未詳であるが、この貼紙が書かれた享和Q八○一’四︶ごろには、本書の筆者を近衛前久︵天文五年I慶 長十七年五月八日︿一五三六’一六一二﹀︶とする極札があって、それに添えて前久について注記したものかといわれている︵中野幸一 へ へ ,
以上、本書の来歴と形態のあらましを述べた。本書は、零本であり、かつ錯簡もあるが、﹃風葉和歌集﹄にいう﹃雫に濁る物 語﹄の唯一の伝本である。鎌倉時代物語の物語史の空白部分を埋めるものとして貴重な資料であることに変りはない。 本書については、次のような研究が発表されている。この解題を作るに当ってもさまざまの教示をえたことを深謝するものであ る ○ は困難であろう。 ていたのかもしれないが、いずれにしても一つの推測にすぎない。 なお、本書の本文に関して、次のような異常な点が見える。 一、﹃風葉和歌集﹄によれば、その巻十一、恋一にある﹁つ上めども袖のしがらゑ⋮﹂の歌が、本書の中に見えない。この歌の 小 中 木 野 幸 喬 一 以上のことから、本書には、脱落と錯簡とがあるものと考えざるをえない。現存本による限り、その錯簡を訂正、復原すること 四、本書第十八丁オは七行だけで終り、その後に四行分の空白があり、その裏の第十八丁ウは白紙である。つづく第十九丁オ、 ウと第二十丁オの四行、つまり﹁まことにやむすぴあはせし忍草﹂という歌の前の部分は、この歌と結びつかない内容であ 二、本書の冒頭が、﹁なかにもつゆばかりはつみゆるされぬくけれど.:﹂とあってこれが物語の書き出しの文とは考えられな い。現在の書き出し以前の部分があったことが考えられる。 三、本書は三つの綴りでできているが、その第一帖が極端に少く、今の本文墨付の前にあった皇付の何葉かが入りうる形になっ る ○ ている。 入る部分があったはずである。 、﹃風葉和歌集﹄によれば、︾ ﹃しづくににごる物語﹄考︵﹃物語文学論孜﹄昭和四十六年十月刊所収︶ ﹃しづくににごる物語﹄考︵﹃散逸物語の研究﹄平安鎌倉時代編、昭和四十八年二月刊所収︶ 一 〆 司 − 5 −
︹白紙︺︵右寄り’一極札添書、貼付︶ ︹〃︺ なかにもつゆはかりはっ承ゆる されぬへけれとひとへに ひんなきものにのゑおほし めすらんとこの御事に つけてもは上の御こといか はかりかはおほしめしいつらん と思やりまいらするもわか つ承さりかたく思つ上けて ゐたまへり三ゐくれぬとい そきたまへはないしのか承 はあるかなきかの心ちにも かくとき上たまへは心やす くおほしすてさせたま はさりけるもうれしなから このよにはいまはいかてか 見たてまつるへきとおほ すにもさるへくてこそ か上るうぎ身のはらにや とりたまひけめ見たて まつらんとおほしめし て中納言かくれたまへはひま↑ に御そをしくLゑあま かつなにくれなとそ坐のぎ へ 2ウ﹂ ワ竺︲オ﹄ 1 1 ウ オ ー ー あひたるにかたはらに ふせたてまつるを見たて まつりたまへはなにのあや めも見ゆましきほとなれ とた異うゑの御かほふうつし とりたるやうなるを見給 もかきくらす心ちしては かノく、しくも見へたまはす これ見きこゆるさい将のめ 雪江一 のと中将なとはいまいましく ゆ坐しくをもはしとをもへ ともなゑたのゑそをつる ありしま上にてか上る御 事のをはせましかはい かはかりめてたからましと 思にも中納言とのそうらめ しきあやつなとひたいに かきたてまつるす坐りを ひきよせてふてとるても わなふかしけれともす入 りのしたなるしろきうす やうにものかぎつけてし とけなけにをしまきて 中将にさしとらせたま へるをさなめりと心えて へ no命/﹂ 3オ﹄
うるはしくひきむすひ つ上象なとしてさい将の 中将にうちゑまいらせよ とおほすにやとてたて まつるいかやうなる事 ならんとかなしくあは れにおほす人々に御ゆ なとまいりよく御ゆなと まもりたてまつれなといひ をきてわか宮の御をくりに はへらんとそのたまふちある人の やむことなきなと車にくし たまえりくれぬへしとて 宰相中将御車にいたきたてまつ りてのせまいらせ給つ上御車 ひきいつるなこりいゑしく あはれなり内侍督はた入世二 なからへんとさらにおぼえね は ゆをたにまいらすさはかりひ ころくつをれたまえるかさる たいしのわさをし給えるに おのつからいかはやとも心をもえて 神仏をねんしたまは上やあらん た坐ふかくの承おほしいれは たの承すぐなし中納言いと上 一 4オ﹂ 4ウ﹂ いかに我をうしとおほすらむ とをしはからるいまさりとも たいらかにておはするの拳う れしとおほすうちにはわか 宮わたらせ給えりときかせ給 にもは坐なからとおもはまし かはとそれにつけても御むね ふたからせ給てさい将の文 まいらせ給えるをもゆめかと まて 御心さはきして御らんすれは おのかよ上ひきわかれぬる竹のこの おひしふるねをそれとしらなん 君ならてあふせあらしと象つせかは しての山地へ恩こそいれ た上よはけにとりのあとのやうに か其れたるめてたかりしてとも 見えぬにいかはかり思けるにか と御らんする御心地なのめならん やはせめて思あまりける心のうち をしらせまほしくてかぎつらん 心の程かなしさにとはかり御か ほにをしあて坐おはします御 なぷたはたきの水なとのを つる心地そせさせたまふ宰相 中将はおほつかなくこもちの事 _ 一 5オ﹄ 5ウー I 一 ワ ー ‘
おほしやれとわかみやの御こと 象 も。すてかたくてさふらひ給御 ゆとの上きしきなとはた上た ちそひたまはすといふはかりこそ あれ御つるうちれいのことな れはきよけにさわりなきを えりすぐりて五位十人六位 十人御ゆとの上くそくなのめならぬ ことLもなりなに入も今上一 の承ことかきつけられたるを も給宰相か坐る人のをやとなり給 はかりの人の御すくせのなとかをな しくはくもりなからさりけん と くちをしきことかぎりなし 内侍督はた坐よはに心地なり 給にさすかあはれなる事おほく めのとなと宰相中将をはしめて いかにあはれにあえなくおほさんと おもふをうちはしめさすか中納言 わか心をたかへしとちかくもよらす 心をつくしおほしあつかひつるも いまはさりともとおほしたりつる もあはれけにいきたらはさの承も いか坐したかはさらんとおもふ心う さまたなひきにけりとうちの へ 7オ﹄ ︽、ウ/− 6 6オ﹄ きかせ給はんはつかしさなとにも 中J1、なからんの承そよからめとふかく おほしとりてた坐をなしき さまにのゑおはす中納言はかたわ らにの象そひふしてわか宮なと を糸給しにもいと上いかににく しとおほすらんとをしはかり 給にもことはりの程思しられ 侍れはそれもさるへきこと入 おほしなせむかしよりさるふ しなきにしも侍らすさり とも月ころをこかましくし く れノI、しきおもふ人も侍らむ それもさも侍れ御心にたにあは れとおほさはと思ねんしつる 心の程はをくのえひすなりとも あはれはしるなるものをいま たにすこしよのつねにてぷえ させたまえそれのぷそ日ころの 心おほししりけりとも思侍ら んなときこえたまふにけ にいかにあえなくおほさんとあ りかたかりしをりの御心もいは きならねはおほししられて 日ころもあまりくるしくてもの へ 8オ﹄ 7ウ﹄
︽ 一ことはもをたにもきこえさり つるもむけに思いてなくおほさんも とあはれなれはいまこのよもと おほせはくるしきをねんして かほひきいれなから御こ坐るの ほとはありかたくうれしく思 しらぬにはあられとこの世になから へて侍ましぎ契にや日ころも いまノf、と思侍しにけふまてもいかて 侍けるにか御心さしのほとをもむ けにこの世にてはしらぬさまにてやみ はへりぬなときこえ給御こゑも たヘノr、になりゆくあやしくて 御そをひきあげて御かほ入をゑれは しるくうつくしけにそこらの 月ころしつみたる人ともおほえ す心くるしけにめてたきことかき りなしとこはいかにして むそとものもおほえ給はぬに 宰相めのといまはかきりにこそ と見たてまつる気しきとかく ものおほえんやはた上御ともに くしておはしませとこゑもを しますなきたまふさまこと わりなり宰相の中将のもとへつけ 9オ﹄ 8ウ﹄ たてまつる中納言いまはさりとも とおもふことなくおほえつるもむな しく見なしたてまつる心地 あるましきわさをして神仏 のしわさなめりとなき人にそ ひふしてなきこかれたまふさ まあはれなりそこらの月ころ そひたりつれとこゑをたに きかせたまはさりつるにいまはの をりしもいかはかりくるし かりつらんに心さしの程を上ほし しりたりけるをいはんとおほし よりける御心の程とてもかくても 人の御心をつくさせんとなり にける人かなとおもふもこの世には ちぎりもおもはさりけるをのち の世にたにおなしはちすの露と むすは入やとおほしまとふさままして ︾﹂ おなし心にあはれをかはしまとのち きりにておはせましかはこの世にも と異まり給はさらましと見たてま つる人jI\もいとをしき心地ともは もよをさる人心地そしける宰相 中将はわか宮の五夜七夜の程はさふ らはせ給へとおほせられわれもさおほし 一 9ウ﹄ 、オ﹄ 叩ウ﹄ 9
つるにかくとぎ上給にものおほえ 給はんやは心もあはた坐しくうちにか うノく、とそうしてまかて給をきかせ 給御心いまはさはよそながらたにき くましきにこそと象つせかはの わたりにわれもいそぎいかまほしく あさからすおほしめさる土に御そを ひきかつきておほとのこもりぬさ い将の中将にはさりともいかてかさる 事あらんたしかなることきかせよ とすぐjく、しくおほせられなせとも 一の宮の御こと一日の御文なとのあは れさによそなりとてもつゆをろか に思なさるへしともおほさす 宰相いそぎおはして見きこえ給 に中納言おなしさまにてそひふし 給えりねいりたるやうにてしるく うつくしけなるを見きこえ給心地 あまたあらむはらからにてたにか異る かぎりの御ありさまいまはとおもはん うれしさはおろかなるましぎをかた 身にまたなき御おもひともなれは 給は ものもおほえすもしやと人I!、まも り給へといまはの御ありさましるぎ わさなれはかなしとてもさてあるへ へ 、オ﹄ 、ウ﹄ きならねはおとはのやまのふもと にてけふりとなしたてまつり給に さらにもゑやり給はぬを人,J、思をく 御ことあるにこそと申すいかさまにも 一の御この御ことにてこそはあるらめ 註二 とおほせはしのひやかに御心しりの入 このよしをそうし給にあるかなき 註三 かにておほとのこもれるにまいりて このよしを申になくノ︲∼いかなる へぎことそとおほせらるLに御文 なとの候へぎにこそと申にこの世 にてありしかへりことをたにいは すなりにしにうれしきついてに いふへきにこそとあはれにかなしくて なくノーか上せ給 もえやらすむすほをるらむけふりにも たちをくるへぎ思ならぬを みつせかはあふせありやといそぎつる しての山地はわれもをくれし この世こそおもはすならねはちすはの うゑをく露はへたてさらなん あはれなることさまノ#\か入せ給てふん せさせ給てそのうゑにかよせ給 契をきしこょろもあれはなきあとの をくりこそやれむらさきの雲 一 皿オ﹂ 吃ウ﹄
きさきの宮のせむしかふらせ給一の ぷやの御ことおほしめすにもなをあ かすおほさるれはいまひとぎはそふ へし一の宮の御は里なるによりて そうくわう御宮とをくりたてま ︵マ↓﹃︶ つらせ給ふたせんみやうよゑあけたる をき入給宰相中将中納言なとはいま一 ぎわのかなしさそひてそ坐るさむき まておほしけるにくちをしくて や染たまひにしかは中納言た入はれ ゆえそかし人をもいたつらになし たてまつりぬとおそろしくなに上 つけてもをんなの御ためはかたし けなき御すくせなりせめて思あまり そのことAなき御契なれと中納言も 御おくりし給へは宰相はあはれと見 たまえるま坐にうちの御ふみを けむりのなかにうちいれてのち は雲とやなりまかてのほりたまひ にけるこのよしをうちはきかせた まふにかのまほろしかことつけぎ かせ給けん御心もかぎりあれはまさ らせたまはしとそおほしめさる上 いまはいかにおほすともこの世にば かひなき思なりかはかりうぎこと 一 超オ﹄ 超ウ﹄ を見る,I、よにありてなに上かはせん ぎしかたゆくさきもこれにまさる 思我身にはあるへからすこのついてに か坐るうぎ世をおもひすて入つ染 ふかくもの思いれてうせにし人をも いかてはちすの露となさんとおほ しめしけるにも一宮の物入心し らせたまはんまてはあらまほしけれ な とそれまてなからふへきならすとお ほしつLくるにこの世はた上ゆめ まほろしとのみおほしめしすてさせ たまふになをこの御心のや承にまよ ひぬへくおほしめすそくちをし かりける仏はさひしちんほうとこ そおほせられたれとおほししり なからひめみやの御かたへわたらせ給 えれはこれも内侍督のこときか せたまえるかいみしくなかせ給 える御気しきいと上つ上ませ給えと 御なぷたは袖にあまるをせめて をしのこはせ給て内侍督はうせ侍二 けるにくしといひなからよしな きことをさへしいたさせ給てそれに よりはL宮をもうしと思とり きこえて人もいたつらになりぬるに 声 、 皿オ﹄ 皿ウ﹄ 晦オ﹄ − 1 1 −
はうぎことにあらすや見なれたりし われらをたにつねはものつ上まし けなりしをましてしらぬ人に 象えんとは思らんやその思にうせぬる 人に侍めりかた身にと上めをきて侍 る入またも侍らぬを見をきかたくなと おもひ侍御こにせさせ給てわか侍ら さらむをりのかた身とも御らんせょ 七日すぎなはむかへとりてあっけたて まつらんとおほせられてい糸しけなる ︵ママ︶ 御気しきにいと上みめみやも御袖し ほるはかりになりぬるををのつから ちかく候人は見きこえたてまつる になみたと上めかたかりけりとの上 うゑ内侍督の事とものたまふわかみや むかえたてまつりて一日はかりおはし けるきさいのくらひをくらせ給ける ことなとこまかにきかせ給に中 しめ 納言はいかはかりあはれにおほ・すらんと おもふにわれをもうしとこそは おほしめさるらめとおほすうゑはおほ しめしたつ御ことも心もとなく ︵ママ︶ おほしめさるふし承にはかなしと いへと御いゑもすゑつかたになりゆ くに一みやにことつけたてまつりて 一 賂オ﹄ 妬ウ﹄ こちたきまて御とふらひありお ほやけさたなれはさはいへともよの中 のひ具きにそありけるなに上つけ てもめてたき人の御ありさま ︵ママ︶ にそありける中中納言はこのよには ちきりをはせさりける人にをこ かましくいたくなけかしとおほせ とたくひなかりし御さまはなに ならさらん人とてもおろかに思ふ へかりし御ありさまかはほうしにも ならまほしくなに坐かへたる身 ともなくやと思ふはかりにと上こほり 給えといまはのぎはにしもあは れをしらせたまはんの御気しき はこの世ならても思わするへきよし なかりけりいかなる人を見るとも かた つゆなくさむへぎはあるへきな 二戸 らすとのうゑいまノーしくおこか ましくもありなにしにさて はいつとなくおはすらんとかた﹄、 にのたまふもことわりなり四十 九日にをのかおのノーあくかれたまふ 中納言のぎのしのふをつくJ1と ︵ママ︶ なかめいてょいまははとおほす かさしもなこりあはれになに上 へ Ⅳオ﹄ 蝿ウ﹂
めと坐まる心地し給すそろなる もの思してをくりしいゑ なとにさへこもりてなきこかれ たまふなとき上ていまノ︲Iしくよし なきことなり承かとにはなかくひ むなき物におもはれまいらせてと おほせとわれらか心あはせてし いて坐しことなれはえかくも物 ものたまはすけにめてたかりし ありさまよの中の入このころ あはれなるさたにそしける 画 ︹四行分余白︺ 御かとはつれならいよとふかくおほ しとりつれはなにことも かすならす七日すきぬれはよき、 日してわかみやむかえたてまつ りて見たてまつらせ給に御か些承 のかけかはらぬものゆえは入の御さ まも思いてられさせ給におもひす てつるよも心のやみはくるしかり ︹白紙︺ 一 Wウ﹂ 肥ウ﹄ 肥オ﹄ けりといと心ほそくおほしめさる ひめ宮一ほんのみやになしたて まつらせ給てその御かたに一の一みや はおはしまさせたてまつらせ給 にかたノ︲∼のあばれにもおろかにおほ しめされんやはともすれはいた きあつかはせ給を中宮は心つきな くおほしめさるれとは坐のをは せはこそはめさましからめいま坐て まうけの君もをはしまさぬに ひめ宮の御ためゆくすゑたのもしく おほしめしをきつるもさすか にあはれにおぼえさせ給へはおほし もはなたれすみたてまつりなと せさせ給にいまより気しきこ とにたふうゑの御かほ上うつし とりて又は入かたさえそひなへて ならぬさまを まことにやむすひあはせし忍草 なとあやにくに露けかるらん と思しられたまえとすぎにし かたのこひしぐかなしけれは御 めのとの宰相めしいて上たれにもうし とのゑおもはれきこえにしかは 露のあはれもなさけもかけ給へ 一 里 岨オ 四ウ﹄ 釦オ﹄ − 1 3
しとはおもはねと月ころなれ ︵ママ︶ きこえしかはいまははと思ふは いとなんかなしかりけりすぎに し御心たかへすしたてまつりし をなき御心にはあはれとおほしけるを わか身にたにをこかましくしれノー∼ しき名をもなかし侍りぬるに 思しる人も侍りぬへしよのつれ のまことの契にかくまておもひまと はんはことわりのことに侍りなん 心をはせん人は中,I1なとかあはれ おかけ給はさるへきと心やりてなん 思侍とのたまふにこれにもなゑたに むせぷて御かへりことも申さす おはしためらひてあさましかりし 御ありさまをあさからすおほし めしあつかひし御心さしはなに ことをいかにともおもひわかれ候はす かたしけなしとのみおもひ侍しかと もひころはかくておはしますにこそ 思なくさめて侍りつるをいまより はなに異いのちをかけ侍へきとそ ︵ママ︶ のをりよりもきえぬへけなる 気しきともあはれとみ給のちの御 ことなとつれなくつらかりし御 へ 副オ﹄ ”ウ﹄ 事とも呉なくこまかにいとなゑ つるはありかたかりつる御心かなと 宰相中将もおろかならすおほえ給 御ゆえにかくはかなくなり給ぬる そかしとうらめしくおほすも それもさるへき契にこそとひこ ろの御心のあはれさにおほしめされ けりすそろにむなしくなして おほすらん中納言の御心も心くるしく あはれなり宰相もさての桑をは すへきならねはなくノー、とまる人 のことLもさたしをき御はかへ まいりなとして中納言殿ももる ともにいて給心地ともあへなくかな しともおろかなり御かとは月日 のすぎゆくも心もとなくいそかしくのみ おほしめすにとしもかへりぬれは 又きしろふへき人やあるへきと おほしめせは二にて春宮にすへた てまつらせ給て宰相中将おほし めす御心あれはしたゐになしあけつ上 人のそしりうらぷもしらせ給はす 大臣にて右大将かけたまひつこん 中納言はよにをそれてまいり給はす またひんなき人とふかくおほし へ 型オ﹄ 副ウ﹄
めしてしかはまいり給えともめ さすはしたなき事ともあるへけ れともいまはこの世にてもかくて もとおほしめせはおほしめし かへすいつとなくこもりゐたまへる との上うゑはよしなかりけるわ さかなとくやしくおほえ給うち はよるひるねん仏にこ上ろをいれ てもなをあちきなくおほしめせは おりゐなんの御心あるへしうち の大将殿をめしよせてかうノー、なん おもふ一の象やのすこしこ坐ろつ きたまはんまてとねんすれは猶 いと心もとなしまたきしろふ へき人やはあるくらゐゆつりたて まつりてんとなん思ふとおほせ らる坐にいかにおほしなるにかと おもふにかなしくてむけにいまた 註四 一の象やはいはけなくおはしますに うえに御よいまたすゑにならせた まはぬにいかてかさる事と申 給えばさらなりおほろけに思はん に人のそしりもありむつきの 註五 うゑなる人にゆつらむと思困んや 心あさくもいはる上かななとお 咳 司 配ウ﹂ 詔オ﹄ ほせられてにわかに御くら ゐゆつりありて内大臣関白し たまふかたわらいたくいか具とを ほしたれとこの一のみやをそこ よりほかにあはれとおもひたてまつ るへき人さらになしわれとても 一のひとのすちにてあらすはこ坐ろ はあらめいまの御かとはひとへにき 承にあつけてんすおさなくて まつりことしたまはさらん程は 一ほんの承やに申あはせてしむか おこかましからすひたうまつり ことなくよくノ、うしろ承たて まつられよなんとけふあすもの へいかんする人のやうにいそかしけに おほせられをくこと入もた上内侍 かみのゆかりと見ゆかくにわかに御 くにゆつりなとのあるをたれも あえなくめてたかりつる御よを とあさましきたみにいたるまて もてかなしぷたてまつることかぎ りなし一ほんの宮にわれいかになり 侍りいともけうやうともおほしめして うちにはなれたてまつらせ給なは上 ともち上ともき象ひとりをたの桑 口 ■ 認ウ﹄ 型オ﹄ − 1 5 −
たてまつるへき人にこそあめれ むけにをさなからん程は女御たいにて 君せつしやうとよのまつりことはせ させ給えかしなとそ申させ給さか に御くわんありけれはそれへわた らせ給て御さまかへんとおほし ︵ママ︾ めしたちてはいまははとおほしめすに はさすかに一品宮の御こともとおほ せは中宮いまは女院とそきこえ 給いま一とのたいめんなからんもくち をしかりぬへけれはわたらせ給え と申させ給てこの世はいくはく 侍ましけれはあらん程たにしはし おこなゐせんとおもひ侍ををさなう に より見そめたてまつりしかはおろか にも思たてまつらぬによしなき ことひとつによりわれも人も心を きてたてまつりにしもいまはくや しく侍一ほんの承やおはしませは むけにおほしめしすくらしと なんおもひきこゆまたなくてそ 人のと申こともおほししることも 侍りなん一ほんの象やひと人ころ おはしますもかぎりすぐなきこと にて侍りうちのうゑをいまは我か へ 路ウ﹄ 妬オ﹄ はりとも御ことも思て心をく事 た なくて思はく呉承・てまつり給なと さまノー、にあはれなること基もをきこ えあかしてあくる日そかへらせたまふ いかにおほしなるにかとあはれに おほさるそのつきの日一ほんの宮 くしたてまつりてきやうかうなり ぬ見たてまつらせ給にかしこく おほしすてつるよなれとないしのか 糸にた入それとおほゆれは御めかき くらされてかなしなとはかぎり なくおほしめさる上 はくくまむをやはひとりもそはすして いかてかつるのこはそたつへき とおほしめすにはいたきたてまつら せ給御かほにな染たのか入れるをゆ坐 しくおほしめせは御めのとにうつし きこえ給つ一ほんの承やにはあなか しこ御めはなたせ給なた些我 かはりと御らんすへきなりとさまノー、 に申させ給こと上もおぼけれとも いかてかなへての人のきぐへき ひくらしおりまくらしてかき りあれはえと里めたてまつり給はす あかすかなしなから行幸なりぬ へ 記ウ﹄ 妬オ﹄
︵ 一品宮はいかなるへき御ありさまにかと 心もこ上ろならすなく、J1かへらせ給 けるあくる日さかへわたらせ給て 山のさすめしおろして御くし おろさせ給えとおほしをぎつる をいまのせつしやうはその御けしぎ せ みたてまつるにかなしく心もうき はてぬる心地してかふりのひたいを つちにつけていかなる承ちにもをくれ まいらすへからすわれもともにこそ と申給をそこをたの桑てこそ いまたちの中なる人をうちすて坐 思たちぬれうちのうへをこそわかるの ともまたうせにしは坐のかはりとも 思なしてかまへてたいらかにて ぷむとおもはるへけれうちすてL われにくせんとおもわれはなかノー なきあとまてはとなんうらめし かるへきと御めをしのこはせ給 てまたこないしのか桑の御れう にかならす御たうたてらるへし うちはいふにかひなくおはします そこにこそとふらひきこゆへけ れなとおほせられをくこと入も かなしともおろかなり事ともさた ”ウ﹄ 訂オ﹄ まりてさすめしいれて御くし おろさせ給こ坐ちのかなしさい堂た わかくさかりにめてたき御さまを にわかにかくならせたまひぬる いかはかりの御心ならんとよの人を しゑかなし象たてまつるさま ことわりもすぎたり御くしをろ させ給えれは人にもゑえさせ給はて 仏の御まゑに御きやうよませ給て ひもくれたれとも山のさすはあまり かなしくおぼえ給へはしはしやすらひて うちなきてさふらひたまふに四の まきのほ師品になりて一花一く ないし一念すいきとゆるかにうち あけてよませ給御こゑ雲の上に すぷのほるときこゆるにやうJ1 御こゑのとをくなるやグにておとも せさせ給はす念仏せさせ給にやと おもふにかうはしきかゑちノ、てそら にえもいはすめてたきかくのこゑ かすかにぎこゆ山のさすあやし さにこれはきこしめすにやと申 給ことをともせさせ給はすなをあ やしくて御しやうしをひき あけて見させ給にさらにをはし r 両 ”オ﹄ 詔ウ﹄ 記オ﹄ − 1 ワ ー上 I
まさすなをいかなることそとこ上 かしこ糸たてまつるにをはしまさす せつしやうとのはなぎほれてかた す象にゐたまへるにかうノーとの たまへは物もおほえ給はすいか てかさることのあらむと糸な人 あきれまとひたりはてはから をたにとAめすならせ給ぬるめ つらかにこそそくしんしやうふっ といふことありときけ又見き かさりつることをさにこそをはす めれとめてたうたうとぎ物からあへ なしともおろかなり一ほんの宮女 院なときかせ給御こ入るともおろか ならんやは御さまのかはらせたまふ たにあさましくかなしと思つるに さなからもよにおはしますへし とおもひつれ御からをたに見す しらすなりぬる事とせつしやう 殿はなきたまふさまことわり なりみたてまつる人もいと入かな ︵ママ︶ しささりとてあるへぎことなら れはのちの物さたにもか上るた めしあらしかしと夢の心ち のみせさせ給せつしやう殿はいかさ へ 、 釦オ﹄ 羽ウ﹄ まにも御い象にもこもらせ給け れとうちの御ことをおほせられ をきしもおそるしけれは うちえまいり給てもかたし けなくあはれなりし御心はえ いかなるよにかなのめにおほゆへか 覧とこひしくかなしくゆめに たにいかてかさたかにゑたてまつ るへきとこゑもをしますそ おはしける一ほんの象やはうち を承たてまつらせ給にも御おも かけ御身にそひたる心地して おなしをやと申なからあはれに たくひなかりし御心の程を この世ならてもあひゑたてま つるわさもかなとなけきこかれ させ給えり女院も内侍督こと ゆえにこそかたゑに御心をかれ たまひしかそのさぎノー\はいつれ の御かたさふらひ給えとわれをは すくれてえさらぬものにこそ おほしたりしか一ほんのみやの 御ことを思きこえ給えばいかてか おろかにおもはんおほせられし 御こともあはれなれはうちのうゑ 一 釦ウ﹄ 釦オ﹄
︵ の御事をはわか御こにもをとら す一ほんのゑやとをなしくおもひは く凡みたてまつらせ給をもかけを とりとめ給へるを見るもいみ しくて 象とり子は見るたひことにかなしきを つらきゆかりとなに思けん と女ゐんはあやにくにたえぬ御なゑた なりとし月すぐる程にうちのうへ 七にならせ給程うつくしくこ院 の御かほ上うつしとりては上のおも かけにもたかはねはこの世の人とも みたまはす関白殿よのまつりこと めてたくあめのしたにあやしきた ゑまてうけられめてたきためしに ひきけりさきのをと上はよるつ めのまへにかはることをゑてくち をしくおほしけれともことわり のことなれはものもいはて田す ぐし給けるうちのうへは一ほん のゑやをは上とおほしめし画と上に なにことをもおほせあはせられて あさましきまておもひいてたまふ さまためしなき程なり三月 廿日あたり南殿のさくらさかりなる 銘ウ﹄ 鉈オ﹄ 釦ウ﹄ ︵ にせいりやう殿のみなゑをもてに 花御覧するついてに御あそひあり 女はらのなかには中納言のすけ宰相 こ弁侍従みやうふなとおのノー心 をつくしたる物些ねともなり うちも御桑具いつかしぐおと上さへ おはすれはてふれにくしとやす らえともかきたまふに殿些左大将 御この頭中将中宮すけなとをはし ます右大将のをと入よむかしの人ノ、 のこともおのjr、とり/’、によこふえ ︵ママ︶ しや固のふゑなとふきたまふ いとおもしろきよの御あそひなり それにつけてもおと坐はむかし こひしぐおほしいて入うちし ほたれたまふしはてLいつる程 のろくともおの,I、めてたし女は うのさうそくほそなかなとし たるへしうちのうへ御くしのう つくしけに御ゐたけはかりにて はしりあそはせたまふに一ほん のみやの御かたにおはしましたるに 承やあなうれしと御らんして あはれこないしのかゑにもよく にたまえるかなとおほせらるれは 鍋ウ﹄ 詔オ﹄ − 1 9 −
こゐんの御よに候し中納言のすけ うちなきてさればこそこゐん も御身もうせたまひにしかなと ︵マー宅︶ おほさなき御み上にきこし めししりて御めになみたをう けておはしまたもあはれに御ら んして御袖もしほれぬめり おと上のまいりたまえるに はしりおはしてあのよな内侍 督とはたれそとおほせらるれは それは御うゑの御は異よと申給えは 御くしかきなて上八月に御けん ふくあるへしそひふしにはを と坐のひめ君まいりたまふへしと いまよりの異しるめりそちの 中納言といひしはいまの大臣そかし とあはれにてうちなきたまひぬ まよく,11申きかする人あるへし られてなゑたをうけ給へる御さ かし内侍督こそは人よとおほせ は上よと申給えはあらぬよあねそ たるさまあはれにめてたしそれも さてみやはたれそとおほせられ おと坐の御しうとよおと入はうち にっとつきまいらせてをはすれは 一 認オ﹄ 認ウ﹄ そのま坐にそまつりことはあり けるをと入のきたのまん所 はこゐ殿とてつとさふらひたまふ きんたち七人をはします なにこともさきのよの契と御心 はへともさへめてたくいはれ給 へしおと入は一ほんのみやと申 あはせてめてたきまつりこと た註六 なりとみまていわれめてた かりけるとかや 計泣一 斗註二 壽辻二一 註四 斗江一立 卦江一ハ ︹白紙︺ む これを御らんせ人は 念仏申させ給へし かならすノー ﹁は﹂の上に﹁い﹂とある︵三オー皿︶。 ﹁の﹂の上に﹁し﹂とある︵一二オー9︶。 ﹁や﹂の上に﹁に﹂とある︵一二オー皿︶。 ﹁こ﹂の上に﹁に﹂か。又は見せ消か︵二三ウー3︶。 判読しがたい。﹁な︲一は試案︵二三ウー8︶。 ﹁き﹂の上に﹁ま﹂か︵三五ウi4︶。 へ 弱オ﹄ 363635 ウ オ ウ