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人間の育つ環境としての“子どもの実態”

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Academic year: 2021

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2004年度 人間環境学コロキウム

人はどこへ進むのか

∼現代における順応の姿∼

― 報 告 書 ―

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∼総 括∼

はじめに 2004 年度人間環境学コロキウムの開催にあたり、企画全体を通して私たちが常にもちたいのは 人間への まなざし である。20 世紀は「失われた世紀」と言われる。二度の世界大戦によって失われた人命ばかりで はない。大量生産と大量消費の時代、私たちは快適性や利便性を追求するあまり自然環境やコミュニティー など、様々なものを失ってしまった。確かにこれらの中には避けられない必要性からその代償として払われ たものもあるが、一方で無意識のうちに失ったものも多い。私たちが失ってしまったものは本当に価値のな いものばかりであったのだろうか。ときに彼らは、大きな社会問題として私たちの前にその影を見せる。そ のたびに私たちは感じるのである、「私たち人間が、快適に生きるためにつくり変えてきたこの環境と、その 日常に順応してしまった私たち自身は、果たして人間として確実に進化しているのであろうか、いや、本当 は緩やかに退化しているのではないのだろうか」と。この問題に対して答えを見出すことは容易ではない。 しかし、このことについて常に問題意識をもち、考えることは価値あることである。これは、各学問領域の 第一線で活躍する専門家がその領域を越えて対話することにより可能であり、さらに人間環境学コロキウム の意図からも妥当である。専門領域という、深いゆえに狭い領域での日常に順応してしまった私たちが、そ の領域を越えて対話することは、一方でその領域内で無意識に前提としてきたことを再考し、自分自身の立 場やよりどころをより明確にする必要性にせまられるという点で非常に意義深いことである。 以上の問題意識のもと、本企画は①「個としての 人間の形成 」、そしてその②「個と個が 共に生きる 」 ということ、さらにはその③「共同体が育んできた 歴史と文化 」の問題という、相互に関連性・連続性を もった 3 つのテーマによって構成され、心理学、教育学、建築学、社会学等、それぞれ異なった学問領域の 第一線で活躍する専門家からの各テーマに沿った話題提供を通して、多角的・学際的視点より議論を行うこ とを目的とする。 企画概要 <第1回> 人の育つ場所∼現代の子どもたちの日常と居場所∼ 日 時:11 月 14 日(日)14:30∼17:30 会 場:21 世紀交流プラザ(理系)カルチャーカフェ パネリスト:村瀬 嘉代子(臨床心理学、大正大学 人間福祉学科 臨床心理学専攻 教授) 赤松 佳珠子(建築家、シーラカンス アンド アソシエイツ) 森 孝一(福岡市発達教育センター) <第2回> 共に生きる∼現代生活における人間関係とコミュニティー∼ 日 時:12 月 4 日(土)14:30∼17:30 会 場:21 世紀交流プラザ(理系)2 階講義室 A、B パネリスト:立花 均(教育哲学、久留米工業大学 工学部 助教授) 志賀 勉(建築計画学、九州大学大学院 人間環境学研究院 講師) 益田 悦子(冒険教育プランナー) <第3回> 痕跡の行方∼都市空間と歴史・文化の関わり∼ 日 時:12 月 7 日(火)16:30∼19:30 会 場:21 世紀交流プラザ(理系)2 階講義室 A、B パネリスト:遠城 明雄(都市地理学、九州大学大学院 人文科学研究院 歴史学部門 助教授) 重信 幸彦(民俗学、北九州大学 比較文化学科 助教授) 西村 幸夫(都市計画学、東京大学大学院 工学系研究科 都市工学専攻 教授) (敬称略)

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第1回 人の育つ場所 ∼現代の子どもたちの日常と居場所∼ 企画主旨 今日、犯罪の低年齢化、学級崩壊や不登校、引きこもりなど、子どもに直接的に関わる問題が増加し、子 ども自体、さらにその子どもを取りまく環境の様々な変化やそれが引き起こす問題に対する社会的関心も高 まっている。この現代社会で子どもたちは何を感じ、何を考えて生きているのか。この問題について考える ことは「人間の育つ環境」について考えることであり、人間環境学の非常に大きなテーマのひとつである。 はたして、これまで教育は子どもたちを豊かな人格の形成へと導いてきたであろうか。建築と都市は子ど もたちにとって真の意味で豊かな体験の場となってきたであろうか。特に現代の子どもたち自身の変化に関 しては、社会性、コミュニケーション能力、身体能力などの低下が指摘されるが、その実態はどうなのか、 またこれらの問題に対し、それを取りまく環境としての場の視点からはどのような働きかけが可能であろう か。本テーマでは、子どもたちが1 日の大半を過ごす場として、その人間形成に大きな影響を与える小学校 を中心に各分野からの話題提供を通して、現代社会に生きる子どもたちの実態とそれを取りまく環境に関す る問題を学問の領域を越えた学際的視点から考える。 企画のねらい 本企画は人間環境学府の基本理念である心理・教育・建築各領域の学際的交流の可能性を模索するための 実験的試みとして位置づけている。 そのため本企画ではパネリストとして心理・教育・建築各領域から一名ずつの講師を招き、統一したテー マのもと話題提供をしていただいた。 企画立案に際し、その中心テーマを 子ども に設定したことは、子どもに関わる問題が今日の社会問題 の中でも極めて注目度の高い 時代性 を有していることに加え、この問題が様々な分野に関わりをもつも のであり、本活動がめざす細分化された専門分野の学際的連携の 可能性 と 必要性 を十分にもつテー マであると考えたからである。 本企画は、今後さらに高まるであろう学際的取り組みを、より内容のある充実したものとするために以上 のような条件設定のもと行った。 当日の様子と第1回のまとめ 話題提供1「現代の子どもたちの日常と実態」 村瀬 嘉代子 先生 子どもの問題を取り上げる前に、そもそも本当に大人が言うほど現代の子どもたちは変わったのか、考え るべきことは何なのか。神経症、精神病および発達障害などの幅広い臨床経験と長年にわたる研究活動から 話題提供をしていただいた。 まず 居場所 という言葉に関して、先生より 「 自分が時間と空間、そして人間関係の網の目の 中に自分独自の所在する所をもっているか とい う一種のメタファーと考えることができる」と、 本テーマの基礎となる貴重なご意見をいただいた。 「いつの時代も子どもは現実にはそれが叶わぬ と知りつつも、その居場所として家族が必要不可 欠な存在であるということを認識しており、生活 の様相は変わってもその本質は変わってはいない のではないか。そしてその本質を知るためには大 人のものの見方やとらえ方を変えていく必要があ

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るのではないか」というお話は、私たちを含めた大人の社会に対するアンチテーゼでもあったように感じた。 「子どもは大人の社会を映す鏡である」というご指摘は、このことを表す言葉として非常に印象的であった。 話題提供2「小学校における子どもたちの居場所」 赤松 佳珠子 先生 子どもたちの居場所として、子どもが一日の大半を過ごす学校において、建築家としてどのような配慮を されているのか、実際に先生が設計に携わられた千葉市立打瀬小学校、吉備高原小学校、吉備高原幼稚園、 宮城県迫桜高等学校などの幅広い事例から話題提供をしていただいた。 ただ建物自体が美しいだけの学校をつくるのではなく、そこで活動する子どもたちが生き生きできる学校 をつくることをめざす、つまり いかに子どもたちのアクティビティを誘発する学校をつくる事ができるか という学校の設計における先生の基本姿勢は、魅力に欠ける学校空間の体験しかもたない私たちの世代にと って非常に新鮮なものであった。ただ空間をつくるというよりは、まず子どもたちの活動を考えてその キ ッカケ を敷地全体にちりばめていくという手法や、アクティビティの誘発には家具の配置が非常に重要に なるといった考えには、子どもの一日の行動のシミュレーション映像などによる視覚的な説明に加え、誰も が学校の空間というものを体験としてもっているというイメージのしやすさからも専門分野を超えた大きな 反響を得た。 何よりも「学校にかかわらず建築というもの自体が、人間の活動を規制したり強制したりするものであっ てはいけない」という言葉からは、建築家として学校を利用する一人一人の子どもを大切に考える先生の姿 勢が非常によく伝わった。 話題提供3「コミュニケーションに困難を持つ子どもたちの居場所」 森 孝一 先生 子どもの居場所 を考える上で、その対象を 軽度発達障害の子どもたちにしぼり、そのような 子どもたちの居場所づくりに必要な配慮に関して 話題提供をしていただいた。 今日の教育改革により障害児教育の考え方が 特殊教育から特別支援教育へ と変化したこと は、従来の障害児に加え、LD(学習障害)やA DHD(注意欠陥/多動性障害)、PDD(自閉症) といった軽度発達障害の子どもたちもその対象と してとらえるきっかけとなった。このような障害 児教育の対象の拡大は、これまでのように障害児 を特別なものとして学級から切りはなしてとらえ

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るのではなく、学級を構成する一員としてとらえる必要が出てくるという点で、その教育のあり方を見直す 大きな変化であるといえる。 では、このような子どもたちにとって学校がス トレスの少ない 居場所 となるにはどのような 配慮が必要なのか。現代の学校に潜む様々な物理 的、心理的ストレスの要因を具体的な場面イメー ジをもとに説明していただいた。その中で、配慮 の必要な子どもたちの問題には、何よりも一人一 人の特性をよく理解することが大切であるとの指 摘があった。例えばADHDの子どもにとって、 何もなくただ広いだけの多目的スペースは学習の 弊害になることや、赤松先生の話題に関連して、 家具の配置による明快な活動の場の設定や、アル コーブなどの少人数で落ち着ける場所の設定など は非常に有効であるといった指摘から、普段私たちが気にかけないような事柄でも、そのような子どもたち にとっては大きなストレスの要因になるということを気付かされた。 第1回を終えてのまとめと今後の課題 本企画を終えて、すべての先生方に共通していたことは 一人一人の子どもを大切にする という真摯な 姿勢ではないだろうか。これは専門分野を超えて、本企画の問題を扱う上で最も基本的であると同時に、最 も重要な姿勢ではないだろうか。この姿勢に立ち戻り、物事を多角的な目から見直してみると、それらをよ り明確にとらえることができるという事に気付かされたように思う。当日の運営に関して、各話題の提供時 間が短く、先生方に負担を与えたことや、異なる専門分野の先生方、学生の間での興味・関心が予想以上に 高く、後半のフリーディスカッションの時間が未消化に終わったことなど開催に際しての問題は多かったも のの、今後の学際的取り組みのあり方への非常に大きな指針を得ることができたように感じた。 何よりも、本企画に対し深い理解と温かい協力をしていただき、あらためてこれらのことに気付かされた 機会を与えていただいた講師の先生方に厚く御礼申し上げます。

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第2回 共に生きる ∼現代生活における人間関係とコミュニティー∼ 企画主旨 凶悪な少年犯罪や高齢化問題、地域の防災、防犯機能の低下などの様々な社会問題を背景に、近年、人と 人とのつながり、あるいは地域コミュニティーの重要性が再認識されつつある。しかしながら、現状の社会 基盤の発展と変化は人と人、人と地域とのつながりの意識をますます希薄化させる方向へと向かわせている。 本テーマでは、人と人との関係の希薄化が進行する現代社会において、その希薄化の要因と、それが引き 起こす問題を明らかにする。さらに、それらの問題を改善するために現在、建築や教育の分野で行われてい る働きかけや仕掛けづくりに関する具体的な事例の話題提供を通して、多角的・学際的視点から現代社会に おいて「共に生きる」ことの意味とは何か、またそのために私たち一人一人に何が出来るのかを考える。 企画のねらい 人間環境学府が発足して数年にしか満たない中で、本学府でしかできないことはなんだろうか、そして大学 の授業でできないことはなんだろうか、学生だからできることはなんなのだろうか。本テーマのねらいは、 この3つの疑問を軸とした。 人間環境学府であるから可能であること 人間環境に携わる学問であれば少なからず関係する「共に生きる」という1つのテーマを、幅広い視点か ら専門的に考える。これは、学問の高度化に伴い細分化されてきた専門分野を、その専門性を保ちつつ再び 組み上げていく作業であり、今後の人間環境学府の学生にとって必要となるであろう1つの思考プロセスの 提示でもある。 授業ではないから、しかし大学だから可能なこと 学生にとっては、大学での企画であるからこそ多くの専門家を招くことが可能である。しかしながら、授 業では、専門性の高さを保つためにも、思考的なプロセスと実践のプロセスを連続的に教わることは少ない。 このため、本企画では、このプロセスの連続性を与えることをねらいの 1 つとした。 学生だから 大学において、知識として学ぶことは多い。ただ、論理立った説明があっても、写真や映像で具体例を見 たとしても、実体験がなければただの知識として残るだけである。頭だけでなく、実際に身をもって体験す ることが、特に学生にとって今後の財産ともなると考えられる。このため、本企画では、「思考的プロセス」 から「実践的プロセス」へ、そして最後に「実体験」という流れにより、知識を「知る」のではなく「得る」 ことをテーマとした 当日の様子と第2回のまとめ 話題提供1「現代日本人の価値観と人間関係は変化したか?」 立花 均 先生 現代社会において、そもそも「共に生きること」 は変わったのだろうか。大学だからこそ、その哲 学的な疑問から出発する。その疑問に対しての1 つのヒントとして、立花先生から「共に生きる」 ことのベースである、「人の価値観の変遷」を、 先生の言葉を借りるならば「日本人」と「非日本 人」というカテゴリーで比較しつつ紹介していた だいた。 われわれは、現代社会の「共に生きること」を 考える以前に、日本人が経済発展国の中では特殊

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な価値観を形成している(実は日本人の価値観は変わらず、環境だけ変わっているのではないのか)ことに 注意を払う必要があることに気づかされた。これは、近年多くの海外の書物からわれわれは知識を得ること ができるが、そのまま丸ごと日本で成り立つかを 1 クッションおかなければ、実態は不合理となってしまう 危険性を意識する必要性を感じさせられた。 話題提供2「地域のまちづくりにおける 共に生きる こと」 志賀 勉 先生 「共に生きること」とは、具体的にどのようなことであるのか、そしてなぜ特に近年その重要性が叫ばれ ているのかを、具体的な事例を通して紹介していただき、リアリティーのあるイメージを膨らませるきっか けとした。 北九州市での地域での活動を主として紹介していただいた。アンケートの感想でもあったように、地域の 人々が主体的に活き活きと活動する姿をみると、より良い地域のあり方のお手本を見ているようであった。 一方で、地域住民の普段の活動があってからこそ可能であり、いきなりどのような地域でも実践可能かとい うと、そうでもないという現実もあることも教わった。いずれも実体験にもとづくお話で、すっきりと頭の 中に納まった。また、こういった活動を主体的に行うためには、実行力を持つ人が住民側にも求められてく る。このことからも、今後「共に生きること」の重要性が高まるにつれ、教育機関において、こういった地 域活動のリーダーになり得る人材の育成も意識していく必要性があるのではないかと感じた。 話題提供3「 共に生きる 力を育てる∼ 冒険教育の現場から提案できること」 益田 悦子 先生 冒険プランナーという立場から、「共に生きるこ と」とは、実際にはどういったことから学ぶこと ができるのかということを、実演を交えて紹介し ていただいた。また、実際に全員が参加してグル ープでの課題挑戦をするということを経験し、「共 に生きること」とはどんな「感じ」であるのかを 体験させていただいた。 体験教育においての「学ぶプロセス」を学ぶと 共に、志賀先生のビデオでの活動も、あたかも自 分が体験したかのような気分にもさせられた。 一方で、非常に段取りが良くテンポも良い益田 先生を見ていると、こういった共同作業をうまく勧めるにあたっての実行能力というものは、自然に任せて つくものではなく、個々の才能が必要であり、逆に言えばそういった実行能力の積極的な教育も今後大学で 求められてくる部分ではないかと感じさせられた。

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第2回を終えてのまとめと今後の課題 少し意外ではあったが、例えば益田先生のゲームはまちづくりの最初で使えそうだ、などといった、分野 だけ考えれば大きく異なる先生方が、それぞれの分野に興味を示されており、狙いの一つである、細分化さ れた専門分野を再びくみ上げていく作業のプロセスの 1 手法となりえるのではという手ごたえは感じられた。 また、授業ではないということで、参加者全員に楽しんで学んでもらえる場を提供できたと思う。今後の課 題としては、可能であればこのような多くの分野の先生との交流を継続的なものへとできるような仕掛け作 りや働きかけがあれば、本コロキウムの価値も高めることができるのではと思う。 ただ、なれない作業のために企画が全般的に不備も見られたため、今後のためにもできるだけの資料とデ ータを整理して残していきたい。 なお、本コロキウムが非常に良い雰囲気で進行できたのも、各パネリストの先生方の暖かいご理解とご協 力が得られたことが大きいと思います。多忙ながらも快く参加していただいた3人のパネリストの先生へ、 厚く御礼申し上げます。

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第3回 痕跡の行方 ∼都市空間と歴史・文化の関わり∼ 企画主旨 私たちが生きる共同体を「歴史・文化」という視点から眺めたとき、そこから見えるものは一体何であろ うか?急激な近代化の流れの中で、共同体は快適性や利便性を得てきた。またそうした快適性や利便性は、 我々の生活を豊かなものにしてきた。 しかしながらその追求のために行われてきた開発によって、私たちは何か大切なものを失ってきたのでは ないだろうか?特に近年活発に進められている都市再生プロジェクトは、場所のコンテキストを無視したス ラムクリアランス的な再開発であり、それはもはや共同体が「場」で育んできた歴史・文化という痕跡を見 ることはできない。歴史という流れから切り離された開発、文化という土着性がリセットされた開発。勿論 それは、新しい共同体の創造といった見方も出来る。しかし、それだけを「発展」と言ってしまってよいの だろうか? 歴史や文化はもはや必要とされないのだろうか。歴史・文化とうまく付き合う方法はないだろうか。本テ ーマでは、特に都市空間における開発と歴史・文化の保存の問題に焦点を当て、第一線で実践を通して活躍 されている都市地理学、民俗学、都市計画学等の専門家の幅広い知見を交え、具体的な事例をもとに考えて いきたい。 企画のねらい 本企画は「分野の異なる研究者においても類似した目的・キーワードのもとに研究を進めていることが多々 ある」という所謂タテワリ的な現代の科学研究に対して、共通のキーワードを介して異なる立場から話題提 供いただくことによって、より多角的な視野に立った議論が展開されることをねらいとした。人間環境学府 がその理念に掲げる「学際性」は、どのような「相乗効果」が得られるかを試みたものである。 「痕跡の行方∼都市空間と歴史・文化の関わり∼」といタイトルからも理解されるように、このタイトル の中には「痕跡」「都市」「歴史」「文化」などいくつかのキーワードが隠されている。このなかで、異分野の パネリストを包括するキーワードは「痕跡」となった。各分野がどのようにも扱えるキーワードを設定する ことで、話題が膨らむことを期待した。 当日の様子と第3回のまとめ 話題提供1「都市空間と 共同体 の変容∼「地のもん」と「加勢」の関係からみた博多祇園山笠∼」 遠城 明雄 先生 本話題では、「都市空間と 共同体 の変容」に ついて、博多祇園山笠を事例として「地のもん」と 「加勢」の関係について話題提供いただいた。「地 のもん」とは「地元の人間」を意味し、本話題では 博多で生まれ博多で育った人たちのことを指して いる。一方「加勢」とは、博多に居住せず山笠に魅 力を感じて祭に参加している「外部の人間」のこと を指している。本話題では、そのような内部の人間 と外部の人間が祭を介して作り出す 共同体 の変 容について、歴史的な視点から「場所・空間」「個 人・個」という2つの観点から話題提供された。そ の結果、博多で展開される NPO などの活動も、山笠の人間関係を引きずっていることが多く、人間を動員す る力はあるが山笠の上下関係が自由な発展や自由な意見交換を阻害しているのではないか、そしてそれが、 都市空間と 共同体 を停滞させる原因となってしまっていないかということを指摘された。

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博多祇園山笠における「地のもん」と「加勢」がつくる一時的な「バーチャル共同体」が、日常的な活動 においても幾らか弊害をもたらしているという指摘は刺激的であった。 話題提供2「都市文化と民俗文化∼それでも、「流シ」は走るのか?∼」 重信 幸彦 先生 本話題では、長年に渡り「流シ」のタクシードライバーを研究された立場から、「都市文化と民俗文化」に ついて、タクシードライバーという住民とはまた違った視点から彼らが見つめてきた「都市」という生きた 場における生きた「民俗の有様」を提示しながら語って頂いた。 「流シタクシー」とは、1920 年代半ば以降東京と大阪に現れた大都市の非常に特徴的な営業形態で、運転者 が自分の経験とカンに従って、町の人々の脈動を解釈して読んで、車を走らせて人を拾って稼いでいくとい うもので、「円タク」とも言われる。「街路」で一斉を風靡した「流シ」だが、規制緩和の流れの中でその存続 は危うい。我々の知らない間に「裏道をすいすいいくドライバーたちがいなくなったね」それでも、だれも 不便とは思わない。ただ、そこで何が進んでいくのかを見ていく必要がある。私たちの日々の移動は単なる 移動ではない。生活の「場所」のなかで、それぞれ意味をもつ移動をしている。同じように「流シタクシー」 の移動も意味を持っている。「流シ」匿名性・関係性のなかでタクシーというメディアを埋め込んでいく実践 であるということができる。 「流シ」が無くなっても何ら不便と感じないだろう。だが彼らが走った「街路」は「生活の場所」から、 まさに交通利用を消費するという「空間」に一歩ずつ近づいていくのではないだろうか。生活の都市から利 用消費の都市へ作り替えていくのだろうか。最後に、「流シ」が痕跡になってしまうか否か、そのことを通し てむしろ我々の有り様というのを問うてみたいと問題提起された。 都市を消費するのではなく、生活の場として考え直すとき、我々が利便性に気を取られて失いかけている ものがあるのではないだろうか?と考えさせられた。「街路」が無くなってしまう・・・それは私たちの生活 から「生きた生活の有様」という「匂い」が失われてしまうことではないだろうか。 話題提供3「歴史的環境とまちづくり」 西村 幸夫 先生 本話題は、歴史を活かしたまちづくりを提言し実践してこられた立場から、歴史という時間軸の「痕跡」 を可視化する「空間」の魅力について、またそれを後世に継承していく手法について、具体的に飛騨・高山 の事例を取り上げながら話題提供いただいた。都市計画・都市開発・都市再生。歴史的コンテキストを読み 取ることなく計画され形づくられている現代の都市に対する取り組みは、必ずしも日本の都市づくりにおい て正しいものとはいえない。都市、街、通り、路地、どのような場所にも個別に積み重なってきた時間があ り、その時間軸がつくる「歴史」は「痕跡」となって必ずその場所に遺されている。都市づくりには、まず、 そのような「痕跡」を読み取ることから始めることが必要だと指摘された。そして、たった1枚のレイヤで 造られた近代的都市空間よりも、複数枚のレイヤが積み重なった歴史的都市空間のほうが重層的な魅力をも

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つということを説いていただいた。 提供いただいた内容は、単に都市空間における歴史的「痕跡」の継承に留まらず、今なお忘れられつつあ る日本文化の「痕跡」、日本人としての精神性の「痕跡」を後世に継承することにも置き換えが可能であると いえるだろう。 第3回を終えてのまとめと今後の課題 本企画では、「痕跡の行方∼都市空間と歴史・文化の関わり∼」というタイトルから、特に「痕跡」という キーワードが各パネリストを繋ぐ糸口となった。「痕跡」という言葉は、空間や共同体に刻まれた歴史や記憶、 文化すべてを内包する言葉として設定している。つまり歴史的建造物の保存と言う観点に立てばモノが「痕 跡」であり、都市地理学的にみれば、都市化に対応する形で順応していった都市空間そのものが「痕跡」で あり、そして日々の生活でみられる人々の「民俗」そのものが「痕跡」でありうるだろう。この「痕跡」と いうキーワード設定に関しては、パネリストの重信幸彦氏からは「刺激的なキーワード」だとの評価を頂い た。アンケートの中には「それぞれのパネリストの話の関連性がわかりにくい」という意見もあったが、「痕 跡」に着眼すればその関連性は理解できるであろう。また、本企画に参加したことによって、参加者自身が 「痕跡」について考えるきっかけになったとしたら、企画担当者としては成功であると考える。 話題提供いただいた後に、3話題を通した議論を展開する予定であったが、会場からの質疑応答のみに終 わってしまったことは反省すべき点であり、議論を楽しみにして参加された方々には大変申し訳なく思って いる。 最後に、御多忙のなか話題提供の準備をしていただき、またわざわざ遠方よりお越しいただいた先生方の ご協力が無ければ、本企画が無事終了することは不可能でした。ここに記して感謝申し上げるとともに御礼 申し上げます。

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全企画を終えて・・・ 本年度の人間環境学コロキウムを終えて、全3回の各企画が一貫した全体テーマをもちつつも、個別の内 容や活動の形態については良い意味で独自性をもった、特色ある企画として成立させることができたように 思う。 第1回では人間環境学府のもつ分野構成をモデルに、その中での学際的連携を模索する実験的試みを、第 2回ではその人間環境学府がもつ特色を生かし、私たちが普段学ぶことの少ない思考と実践のプロセスの連 続性を体感できる活動を行い、さらに第3回では人間環境学府の枠を超えた幅広い専門領域に働きかけるこ とで学際性というもの自体に立ち戻り、それがもつ意味について考える活動を行ったことで、自身の専門分 野の再確認、他の専門分野への興味・関心、そしてそれらが連携することへの可能性を感じることができた。 何よりも、企画・立案・実行とすべての過程を学生自身の手で行い、異なる専門分野に所属する学生が一 つのイベントを共につくり上げたことは 学生だからこそできること 、 専門分野の枠を超えるからこそ見 えるもの を実感し、今後の専門性と学際性のあり方や大学教育のあり方に対してあらためて考えさせられ る貴重な時間になったと感じる。

◆ 2004 年度 人間環境学コロキウム実行委員会メンバー ◆

志波 文彦(企画実行委員長) ・・空間システム専攻 建築計画学コース 宋 永学・・・・・・・・・・・・・空間システム専攻 建築環境学コース 徐 培蓁・・・・・・・・・・・・・空間システム専攻 建築構造学コース 箕浦 永子・・・・・・・・・・・・都市共生デザイン専攻 アーバンデザイン学コース 福原 武史・・・・・・・・・・・・都市共生デザイン専攻 都市災害管理学コース 後藤 晴子・・・・・・・・・・・・人間共生システム専攻 共生社会システム学コース 森田 美登里・・・・・・・・・・・人間共生システム専攻 心理臨床学コース 黒木 美沙・・・・・・・・・・・・行動システム専攻 心理学コース 村上 雅彦・・・・・・・・・・・・行動システム専攻 健康科学コース 有源探 ジェラート・・・・・・・・発達・社会システム専攻 教育学コース 大田 千波留・・・・・・・・・・・発達・社会システム専攻 社会学コース 順不同

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∼反省と今後の課題∼

活動の期間について 本活動では、その開催以上に企画立案のプロセスを重要視した。このプロセスの中でも、異なる分野の学 生からなる実行委員が議論を重ねることは、互いの問題意識を共有化するうえで必要不可欠な過程であり、 分野によって異なる、ものの見方や考え方にふれるという点で最も重要なプロセスであるといえる。そして 質の高い企画立案のためには、いかに充実した期間をここに費やすことができるかがポイントとなる。本年 度はブレーンストーミングなどを用いて、できるだけ長い期間をこの活動に注いだがそれでもまだ十分であ ったとはいえない。その理由として活動の期間自体の短さもあるが、多くの実行委員が開催までの流れをイ メージできていなかったことがあげられる。 実行委員会の構成について 本活動の実行委員会は各専攻・コースの博士課程の代表 1 名ずつ、計 11 名の学生から構成されているが、 博士課程 2 年の学生(2 年連続で実行委員となった学生も含める)にとって、実行委員として活動を行うこ とは、自身の研究活動に対する負担が大きいとの声が多く聞かれた。本年度の博士課程 2 年の実行委員から も「配慮してもらいたい」との強い要望があったが、現状のように各専攻・コース 1 名ずつからなる実行委 員会の構成では、その中の 1 名でも欠けるということが一つの分野の声が聞けなくなるということにつなが るため、結果的にそのような学生に対して大きな負担をかけざるをえなかった。このようなことからも今後、 博士課程 2 年の学生を実行委員とすることは本活動の運営上適切ではないと感じる。また、もし参加させる としてもアドバイザー的な役割として、実行委員とは明確に区別した位置づけをするなどの配慮が必要であ ると感じる。 大学における本活動の位置づけについて 本企画のポスターは修士課程の学生に広く募り、コンペ形式で作成したものである。実際には 4 名の修士 課程の学生の作品から最終的に 1 作品を選出するというプロセスをとったが、この試みは大学における本活 動の位置づけについて考えさせられるきっかけとなった。このようなポスター作成の機会があったことは、 参加した修士課程の学生にとっても大学内外に対して自身の能力を試す良い機会となったであろうし、複数 の案を比較することによりポスター自体の質も非常に高いものとなった。このような経験から、実行委員以 外の学生が本活動に関わりをもつ仕組みをつくることで、本活動がより活性化したものとなるという実感を 得た。例えば、自身の興味ある分野の専門家を招いて直接議論ができるといった本活動の特徴は、自身が将 来進む道について考えるきっかけとして修士課程の学生にとっても価値は大きい。今後、企画立案のプロセ スにおいて、いかに本活動を大学の中で位置づけるかということが本活動を大学全体の取り組みとして発展 させるためにも重要なポイントであると思う。 次年度への引き継ぎについて 本活動を発展的な活動とするためには、本年度の活動で得た成果や課題を次年度へと引き継ぐという作業 が重要になる。しかし、企画書と議事録のみという昨年度までの引き継ぎ体制では十分とはいえない。前述 のように現状の最も大きな問題は、はじめて活動を行う実行委員が開催までの全体の流れをイメージできな いという点である。限られた活動期間の中で最も重視すべきは異分野の学生間での議論の期間の確保であり、 経験的に解決可能な作業に時間を費やすべきではない。今後は Web の活用なども含めて、会計資料やパネリ ストとの交渉手順、会場設営にかかる物品や人員などの経験的な資料やデータを次年度の実行委員がスムー ズに利用することができるようなシステムづくりを行う必要があると感じている。

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∼各企画に寄せられた参加者の意見∼

<第1回> 話題提供1「現代の子どもたちの日常と実態」 ・ 「今日は子どもの意見から学びたい」という村瀬先生の目の高さは、絶対に忘れてはならないと思いま した。環境に依存し、その中で「自分」をつくっていく子どもは、一生懸命にまわりに合わせ、親をと りこみ、様々な価値観にさらされて生きていると思いますが、子どもゆえに必死に親など大人(依存対 象)に近づくために、相手にしてもらうために、とりこんでしまったことで苦しんでいることもあるの では、子どもの本当にやりたいこと、子どもの見つけたたのしみに、耳をかたむけようとして、ハッと することが多いのではと思います。大人が本当に子どもを「相手にする」ことを子どもも求めているの だなぁと思いました。[心理臨床学] ・ 村瀬先生のお話を聞いて、子どもにとっての居場所感といったものが人の中、とりわけ家族の中にある のだということを実感しました。その中で、先生が最後に述べられていましたが、子どもへ接する際に 様々な想像力や洞察力をもって接すること、マニュアルを超えること、ということが子どもが居場所感 を感じる上で大切なのではないかと思いました。一方で、子ども同士の居場所感の感じあいというか、「大 人と子ども」ではなく、子どもと子どもの関わり合いを促進させる(させるという言い方は不適当なの かもしれないのですが)大人の役割といったものは何なのだろう、どうあるべきなのだろうと感じさせ られました。[心理臨床学] ・ 子供と関わる仕事をしていて感じたのが、子供の「自分がやりたい」という気持ちのなさでした。子供 が課題に取り組んでいるのを見ていると、何かにつまずくとすぐに助けにきてもらいたがったり、一度 やってみせると自分でやろうとせず、さらにやってもらおうとすることが多いように感じます。母親同 席で子供に課題をやってもらっていると「それできませんから」とすぐに母親が言うのが気になります。 できないからとアプローチするのをあきらめてしまっているが子供の能力の向上や好奇心をなくさせて しまっているのではないかと思うことがあります。[心理学] ・ 居場所とはメタファーという発想、ハッとしました。どうしてもplace として連想してしまうが、「人・ 物・事・時間とのここちよい関係性が保障されるあり様」なのだろう。居場所を今和英でひいたら適切 な訳(word)がない。いったいどのように英訳するのだろうか。それを考えてみるとより「居場所」概 念がうきぼりにされるかもしれません。[健康科学センター] ・ 村瀬先生の調査のお話から、今の子ども達の生の声を聞けたような気がしました。子どもにとっての父 親、母親のイメージ、求めることがきちんと彼らの中にあるということがわかりました。先生のお話は いつも本当に勉強になるし、とてもとても視点が優しくて感動します。最後に先生がおっしゃったよう に、子どもと向き合うには、本当に真剣に洞察深く一人一人の子どもと向き合うことが大切だと思いま す。先生のお話から、まさに一人一人の子どもとじっくり向き合う先生の姿が拝見されて、とても勉強 になりました。遠い所をわざわざ起こし頂いてありがとうございました。お身体に気をつけて下さい。[心 理臨床学] ・ 自分の未来に向けてのビジョンを子どもから語られるとき、今の自分のあり方から出発した期待、切望 として、強い思いとして語られるのだなぁ、と思いました。村瀬先生の言われた 良い真実 というこ とばが面白いなぁ、と思いました。子どもと共によりそって探り出された 良い真実 といわれたこと がらたちは、本当に素朴な核のようなところなのかもしれないと思います。[アーバンデザイン学] ・ 家庭で暮らしている児童と、養護施設で暮らしている児童とで、調査結果に大きく違いが見られたこと に改めて驚かされました。実際には回答にあるような親との関係が得られていなくても、そういった両 親イメージ(特に母親イメージなのでしょうが…)が心象として持てるということも、児童にとっては 大切なことなのかなぁと思いました。そしてそれを持てるか持てないかという違いは、一体どういうこ となんだろうか…と考えさせられました。[心理臨床学] ・ 「居場所」をメタファーとして考えるというのはものすごく納得できました。レヴィンの言う「場」な

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どよりも明確に理解できました。調査について考えたのは、今の社会の背景となっている世代が、人が 育つ過程に埋め込まれている、見えにくいもの(家族、関係性、精神的な面での幸せ)を認識できなか った and / or そのような状況においこまれていたのだろうと感じました。[行動学] ・ 途中からの参加になってしまったので、とても残念ですが、聞けた限りの話だけでとても興味深く感動 しました。「子どもは本気で語りたがっている」・・・すばらしい。とても刺激されました。[心理臨床学] ・ 興味深いお話、ありがとうございました。現代の子どもの大切にしたいものが「家族」が多いというの がとても切なく感じました。家族、両親という存在は圧倒的に特別な存在なのだなぁと思います。悲し いとき、落ち着かない時に支えとなる存在として援助者が想起されるにはどのようなことができるのだ ろうと思いました。[心理臨床学] 話題提供2「小学校における子どもたちの居場所」 ・ 建築関係の方のお話をおききするのが初めてということもあり、とても興味深く聞かせていただきまし た。様々な学校を紹介して頂く中で「こんな学校で私も学びたかったなぁ」と感じてしまいました。私 自身、大学に入ったばかりの頃、自分の居場所をどこに求めてよいのかわからなくて(小・中・高と違 い教室がないので)右往左往してしまった覚えがあります。芝生のあるような場に行くけど蚊にかこま れて悲しくなったり、階段途中のスペースに座ってもなんだか人がザワザワとうるさかったり。でも、 最後には「落ちつく」場所がみつかってそこでよく過ごしていました。ここが「居場所」というわけで はなく、いろんな居場所があることが素敵だなと思いました。[心理臨床学] ・ 外部との壁がないことで、不審者などの心配はないのかということと、そうじが大変そうだなと思いま した。子どものスケールで考えていること、どのような活動が展開されるかを見通して設計されている ことなどとても興味深く、すてきな学校だなぁと思いました。[心理臨床学] ・ 学校の中に押し入れのような場所があるというのは、とてもいいなぁと思います。完全にではなく、ち ょっと隠れられるみたいな空間って大事ですね。家具の配置によって、児童の活動やコミュニケーショ ンが生まれるということは今まで考えてもみませんでしたが、なるほどもっともだなぁ、と目からウロ コが落ちました。その中で何をするのか(させるか、教えるか)、どう関わるかということばかりに目を 向けるのでなく、子どもたちの側から活動や関わりを引き出すための器(仕掛け?)にも目を向けてい くことも大事だし、楽しくもあるかなと思いました。あんな学校に通ってみたかったです。[心理臨床学] ・ とても素敵な学校で、私もあんな学校に行きたかったなと思いました。子どもはどんな場所でも遊び場 や居場所にしてしまう能力があります。私も子どもの頃、色々な「自分の場所」を見つけて大切にして いたなと思い返しました。けどみんな考えることは同じで、場所がかぶってしまったので、子どもの場 所をたくさん作ってあげるというのは子どもにとってとてもうれしいことだと思います。貴重なお話、 ありがとうございました。[心理臨床学] ・ こんな学校行ってみたーい、と思いました。子どもしか通れないところ、ちょっとした段差、せまいと ころ、わくわくさせるところであり、ほっとできるところでもある。活動と休憩の両方の機能が子ども の居場所としてさりげなくつくられているということに感動しました。中学校の相談室についても、守 られる感じと子どもにひろく開かれた感じとの兼ね合いがむずかしいなと感じます。侵入者を防ぐこと と地域への開放というのをどうするかというのもよくニュースでききますが、むずかしいところですね。 [心理臨床学] ・ 3 人の先生のお話を聞いて、 居場所 、特に こころの居場所 は確かにその場にあるとは思うけれど、 それを子ども自身が気付くためにはきっかけが必要だと思いました。話すことによって自分の心をふり 返る時間、自由な場所の中で、自分の活動を伸び伸びしようとする時間、課題に取り組むという時間、 大人の考え方、きっかけの与え方を考えていかねばと思いました。 ・ 子ども中心に考えた設計、すごい!必然的に対人関係スキルの向上につながる環境作り。びっくりしま した。枠を作るのではなく、可能性を提供する。子どもたちが、これらを活用できればいいですね。安 全性の心配が頭をよぎった感もあります。

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・ ちょっとした段をつくったり、丸いものを置いたりという配置は大切だと思いました。「これは○○する もの」と決まりきった場所で生活することは生活規範を学ぶことには有効ですが、想像力は育めないと 思います。昔は近所の公園でいろいろなものを見立て遊びに使っていたように思いますが、最近は決ま った遊びしかしていないようです。子供独特の想像力で新しい遊びをたくさんしてほしいと思います。[心 理学] ・ 小学校建築がこれまでの全国どこに行っても同じ形式といった 型 ではなくなってくると、それに対 応する先生側の意識の変革といったものが必要なのではないのでしょうか?子どもたちは順応性が高く、 すぐに自分たちの好きなように使っていくと思うのですが、先生が学習に使う際に、十分活かしきれる かどうかが今後の課題なのではないでしょうか?空間自体は整備されても、使う側の意識が変わらなけ ればもったいない気がします。[アーバンデザイン学] ・ 家具や仕切りなどを通して人の行動を制限するのではなく、ひきだすというお話、おもしろいなと思い ました。できたら 居場所 ということばとからめて、もう少しお話しをきけたらうれしいのですが。[ア ーバンデザイン学] ・ 楽しそうな学校空間、とてもうれしかったです。(いつも学校は兵舎に似ている、設計以前のところだと 思っていたので。)①den、hideout(隠れ家)といった機能をもつところが学校にほしい。学校で楽しか った場所の一つは、「まなざしの外」の空間だった。交流だけが人を育てるのではなく、公の場で一人(あ るいは数人)になれることも大切だろう。(孤独能力の育成)②設計者の意図・ねらいはフォローアップ すると必ずしもそのように使われないことがある。十年・二十年後のフォローアップを。また、兵舎的 学校で育てられても結構人は育ったものだ。教育観などとの関数として空間は機能することもあると思 う。教師の学校空間の利用について勉強会のようなものがあってよいのでは?[健康科学センター] 注 1)文章はすべて原文のまま記入 注 2)[ ]内は各専門コースを記入(無記入のものは所属不明)

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<第2回> 話題提供1「現代日本人の価値観と人間関係は変化したか?」 ・ 科学万能主義の行き詰まりに直面している今日的状況に大変重要な提言でした。日本人の生面間の特殊 性を大変わかりやすく教えていただいたと思っています。 ・ 人間の行動や文化といったものを規定している思想的背景についてあまり考えたことがなかったが、今 回立花先生のお話を聞いてなるほどと思えることが多々あった。日本人として生活していると生命本位 思想に適合した性質を発見することがよくある。 ・ 理性的なものに絶対的な価値を置くことは、本来ならば、生命への価値(十分の価値を見出すこと、他 者とのつながり)を守るため、体系化するためのものであったはずなのに、それが逆転し、非日本人的 な価値観の二段構造になったのではないだろうか。そのため、現在は政治や経済などの有機的なものに、 最早、絶対的な基準となってしまった価値観を用い、行きづまりを感じるのだろう。 ・ 日本は「生命本位」の上にまだ特殊な 2 段階目がある気がするのですが、うまく説明できなかったので、 そのような直感的な感想にとどめておきます。[福大人文科学社会文化論専攻] ・ 西洋と東洋での人間と自然の関係で、西洋は自然を支配する、東洋では自然と共存するというのを知っ ていたが、今回は、さらに生物の中で人間をどういう場所に位置付けるかという新たな見方を知り勉強 になった。その国の人を形作っているものが、何であるのかということを知ることは、その方向性を知 ることにもなり、その大切さを実感した。[農学部] 話題提供2「地域のまちづくりにおける 共に生きる こと」 ・ 町づくり(バンコづくり)を通してさまざまな世代の人々が活き活きととり組んでいる姿が印象的でし た ・ 街づくりは、そこで生活している住民自体を主役とすべきといういい見本だと思った。従来の行政主導 の生活実体・要求とかけ離れた開発では不十分であると思う。「お金をかけるだけかけて後で必要ありま せんでした」というプロジェクトを生まず、これからの街づくりの潮流は、住民を主体、専門家・行政 をサポートするあり方だと認識させられた。また、住民を引き込む工夫が必要だと思う。 ・ 住環境整備は、いくつかの理念をもとに、街や町、人々の住み処を再構築する高度な営みである。その なかで、プランナーに求められるのは、その理念に基づいた計画であるが、それにはそこにいる人々の 生きる行為が生かされなければならない。そのプロセスの中自体に、人々が主体的にかつ意識をもって とりくむ機会を設けられたのはひとつの幸福だろう。 ・ 街作りにしても何にしても、ものは媒体でしかなく、そこに人が係り人の活動が行わなれなければ、そ の計画は有効性を持たないと感じることができた。[農学部] ・ 街作りは、その地域の特徴をうまく引き出せるかにあると思った。また、計画そのものでなくそこから 派生する活動も同じくらい重要であると感じた。 ・ バンコ作りをしている小さい子供からお年寄りの楽しそうな姿がとても印象的だった。現代の子供は、 違う世代の人と触れ合う機会が極端に少なく、その結果傷つきやすかったり、キレやすかったりするの ではないかと思う。[文学部] 話題提供3「 共に生きる 力を育てる∼ 冒険教育の現場から提案できること」 ・ ささやかな目標に対してみなでやりとげた時の充足感を久々に味わいました。自然のふところに抱かれ て、心身共に成長していく体験は今の子たちには重要ですね(自然は厳しく優しい) ・ 冒険教育という言葉を今日はじめて知ったが、非常に面白かった。人間教育という観点からは、とても 有用な方法だと思う。ゆとり教育という言葉が叫ばれる中知識の詰め込みではない、この体験教育をも っと広めて欲しい。 ・ 人生、生きることそのもの、行動を起こす→考える→成長する→次の行動につなげる という体験学習 そのものに活用する中で、自分を見つめていく、理性によらずに、自分の中に意味付けを行うという点

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が面白かった。子供の教育に導入していくのも頷ける。 ・ 体を使うだけでない、そこから自分のことや他人のことを学ぶことによって意識の幅を広げることがで きるようになるのだなあと思った。 ・ ゲームがとても面白かった。子供たちがこのような体験を通して、他人と関わることを学ぶ場というの は大切だと思った。しかし、このように大人がそのような活動を与えてあげないと、現代は仲間と共に チャレンジする機会は少なくなってきているのかもしれない。[文学部] アンケート結果 良い点 ・ 興味のある内容でした。 ・ 会の時間配分・構成が巧みで良かった。 ・ 構成がしっかりしていて、時間は延長したのは問題にせず、まとまりがあったと思います。 ・ 少人数で先生たちを身近に感じ気持ちが軽く参加できた。 ・ 雰囲気がなごやかで、積極的に話を聞けた。 悪い点 ・ 休み時間が少し多すぎる気がした その他 ・ 外部からの参加でしたが、とても楽しめました。他校のイベントは参考になります。 注 1)文章はすべて原文のまま記入 注 2)[ ]内は所属する学部を記入(人間環境学府の場合は無記入)

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<第3回> 話題提供1「都市空間と 共同体 の変容∼「地のもん」と「加勢」の関係からみた博多祇園山笠∼」 ・ 参加者の 70%が博多の外部居住者ということだが、博多の内部に住んでいながら、山笠に参加しない人は いるのか?増えているのか?[文学部4年地理学専攻] ・ 「場」と「個」という2つの視点を設定していて、とても分かりやすかった。関東出身の自分としては、 山笠の概要についての説明が欲しかった。[理学部地球惑星学部1年] ・ 祭によって作られた組織により、自治活動を進めていくのは、閉鎖的で広がりをもたないが、一方では強 いつながりを持っているのではないかと思われた。[農学部] ・ 私は、先祖代々博多の「地のもん」なので、慣れ親しんでいる祭を外の方がどういう分析をされるのか興 味深く思いました。「どんたく」は、松囃子の部分と通りもんの部分があり、昔は各町毎の舞台や家々で、 自由に芸能をしていましたが、市によってパレード化されてつまらなくなりました。[人間環境学府] 話題提供2「都市文化と民俗文化∼それでも、「流シ」は走るのか?∼」 ・ 将来的に流シのドライバーは大手会社に回収され得るか?企業タクシードライバーからの流シへの視線 はどのようなものか? 企業タクシードライバーには流シのような「誇り」「職人気質」はないのか?流 シと企業ドライバーとが共有するモノがあるのではないか?[人間環境学府] ・ 「流シ」はなくなるのかもしれないが、そのことが、人々が「都市」を生活の場所から利用の消費の場所 へと変化していくことが関係するのか、よく分からない。都市が利用の消費の場所だから、流シの生活 が成り立ったのではないか。とすれば、新たな利用の消費の契機が生活の契機をつくり出していくので はないか。それが都市という場所ではないか。[文学部4年地理学専攻] ・ 消えかけようとするものはジタバタしては裏道をつくりだし、生への渇望が思いがけない突破口を探し出 すのかと興味深く聴きました。[農学部] ・ 都市と民俗という意外な組み合わせが新鮮に感じられた。「保守」「場所」という言葉の使い方が参考にな った。[理学部地球惑星学部1年] ・ 日頃何気なく利用している流シのタクシーも、この様な視点、分析をもってみてみると、様々な問題を提 起しているのだと、非常に興味深く思いました。[人間環境学府] 話題提供3「歴史的環境とまちづくり」 ・ ジェーン・ジェイコブズの4番目のルールは、「完全につくってしまわずに変化に応じてつくっていく」 ではなかったか。[文学部4年地理学専攻] ・ 実は「日本の都市の大半は計画都市である」ということを初めて知った。[理学部地球惑星学部1年] ・ 歴史を生かした都市設計を頼もしく思いました。現地の地図に重ねてみるということは重要なことですね。 私自身元々歴史の出身なので、歴史が歴史として終えるだけでなくそれをどう生かしていくかを大きな 課題と考えています。本日は、そういった意味で大変刺激を受けました。ありがとうございました。[人 間環境学府] アンケート結果 良い点 ・ 他の学問分野の方々の話が聴ける。[文学部4年地理学専攻] ・ 企画のコンセプトが魅力的である。[理学部地球惑星学部1年] ・ ポスターデザインが素晴らしい。[理学部地球惑星学部1年] ・ 規模も小さく、3つの話を身近に聞くことができた。[工学部建築学科] ・ 丁度良い規模の会場で、話が聞き取り易かった。[工学部建築学科] ・ 社会の多角的な面を知ることができた。[人間環境学府] ・ 短い時間ながら複数の先生の話を聞くことで、多様な価値観を得られることが、多くの視点を持てるので

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よかった。[農学部] ・ いろいろな分野の先生の発表が聞けた。[人文科学府研究生] ・ 異なる専攻の方々のセッションから生まれ出るものが多いと思います。[人間環境学府] 悪い点 ・ 日程が混みすぎではないか?1ヶ月感覚くらいで開いては?[文学部4年地理学専攻] ・ 六本松にもポスターを貼ってほしい。[理学部地球惑星学部1年] ・ テーマにまとまりがなかった。[人文科学府研究生] その他 ・ 発表と質問を連続して行ってほしい。[人間環境学府] ・ 毎回面白い話が聴けて喜んでいます。[文学部4年地理学専攻] ・ パネリストの専門について予習してくるべきだった。[理学部地球惑星学部1年] ・ 興味深い話ばかりでおもしろかったです。[工学部建築学科] ・ 勉強になりました。[工学部建築学科] 注 1)文章はすべて原文のまま記入 注 2)[ ]内は所属を記入

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∼会計報告書∼

支出項目 内 訳 支出額(円) 講師旅費・謝金 392,143 <第1回> 181,781 村瀬 嘉代子 氏 旅 費 64,850 謝 金 32,685 赤松 佳珠子 氏 旅 費 61,800 謝 金 22,446 <第2回> 96,443 立花 均 氏 旅 費 1,640 謝 金 29,757 益田 悦子 氏 旅 費 42,600 謝 金 22,446 <第3回> 113,919 重信 幸彦 氏 旅 費 4,700 謝 金 27,069 西村 幸夫 氏 旅 費 53,650 謝 金 28,500 ポスター制作謝金 20,500 ※4 名の学生作品によるコンペ形式 その他 7,650 郵送費 6,210 記録用テープ費 240 実行委員名札制作費 1,200 総 計 420,293

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参照

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