• 検索結果がありません。

渡邊淳司著 情報を生み出す触覚の知性 情報社会をいきるための感覚のリテラシー

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "渡邊淳司著 情報を生み出す触覚の知性 情報社会をいきるための感覚のリテラシー"

Copied!
2
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

DOI: http://dx.doi.org/10.14947/psychono.34.41 290 基礎心理学研究 第34巻 第2号

渡邊淳司 著

情報を生み出す触覚の知性

情報社会をいきるための感覚のリテラシー

化学同人,2014

触覚。 それは,さまざまなモダリティの中でも,妙に生々し さを感じるモダリティと言える。1つにはそれが人と外 界,あるいは人と人をつなぐ物理的な接点であるからだ ろう。たとえば,握手をするという行為は,挨拶の1つ としてよく見られるが,そこで感じる相手の手の柔らか さ,ごつごつした感じ,冷たさ,温かさ,力強さ,か弱さ などはとても強い情動を持って伝わってくる。触覚は, とても身体的で,情動を強く喚起し,限り無い近さ・接 触をイメージさせる。 それに関係して,あまたの商業サービスが開発・提供 され,あるいはコミュニケーションや情動に関する科学 研究が行われている。また,古来一部の研究者は,触覚 は人と外界をつなぐ接点であり,視覚や聴覚の遠隔帰属 (あるいは外化)が生じるのは触覚による外界との直接 的な接触と視覚・聴覚などの連合によると考えている。 基礎心理学においても,バーチャルリアリティのような 工学研究においても,近年は触覚ブームと言えるほど多 くの研究・開発がされ,さまざまな触覚インタフェース や触覚と他の感覚との相互作用の研究・インタフェース 開発がなされている。例えば,離れた場所にいる2人が 触覚インタフェースを介してキスをできる装置や,自分 の身体を刀でばっさり切られる感覚を体験できる装置, 咀嚼音を変えるだけで食べ物の食感(ぱりぱり,しっと り等)を制御できる装置などが多くの注目を集めた。ど れもたいへん面白く,科学的にも興味深いものばかりで ある。本書も,そのような触覚ブームの紹介,あるいは 触覚にまつわる最新研究の紹介なのだろうと思った。 しかし,それは間違いだった。 本書のアプローチ,著者である渡邊淳司の志向するも のは,少し違う。著者は「情報を生み出す触覚の知性  情報社会をいきるための感覚のリテラシー」(渡邊淳司  著,化学同人,2014年刊。Figure 1)で,「触覚そのもの の新しい学問領域」を作ろうとしているように思える。 第一章ではまず触覚とは何か,情報とは何かが概観さ れる。シャノンによる情報理論の話だけでなく,ベイト ソンの差異の概念を引用することで,受け手あるいはそ の背景にある文化によって意味が変わる社会情報という 考えを導入する。そのうえで,メディアにおける触覚の 役割に着目するだけでなく,触覚自体がメディアである こと,その有り様を対象とすることを明示する。 第二章,第三章では,「心臓ピクニック」と「Yu Bi Yomu」という著者が主体的に関わった2つのワークショッ プをとりあげ,触覚のメディア化を具体的に示し,それ によって「情報」が自分のものとして身体的に理解され, 他者へ伝えられ,共有されていくさまを生々しく紹介す る。そして,その背後にある理論がデネットの志向姿勢 という概念も借りながら説明される。 なかでも,「心臓ピクニック」はとても魅力的な体験, ワークショップだ。心臓ピクニックで使われる装置は, 手のひらに乗る豆腐のような白い立方体状の心臓ボック スと,それに接続された聴診器と制御回路からなる。聴 診器を自分の胸にあてれば,その心音・心臓の鼓動を心 臓ボックスの振動として体験することができる。相手の 胸にお互いの聴診器をあてれば,心臓を交換することも The Japanese Journal of Psychonomic Science

2016, Vol. 34, No. 2, 290–291

書 評

Copyright 2016. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Figure 1. Front cover of the book.

(2)

291 北崎: 情報を生み出す触覚の知性 できる。普段は意識することのない心臓の動きをありあ りと体験し,それが変化すること,そして他者の心臓の 動きが自分とも違うことを現実に体験する。また,自分 や他者の心音を記録し,再生・追体験することもでき る。この体験を通して,人は自己の,そして他者の「生 命」を感じ,そのかけがえのなさを理解する。心臓ボッ クスをハート型や心臓の形にせず,あえて無機質な形に したこと,そしてワークショップの最後は体験者自身で 心臓ボックスの電源を切ることが,「生命」の体験をよ りリアルにしていることに感嘆する。ワークショップで は,著者を含む講師やファシリテーターが参加者に何か を教えたり,説明したりすることは極力少なくし,各々 が感じたことを言葉にし,お互いに話し合い,参加者が 自分のこととして理解するよう見守る。 第四章,第五章では,オノマトペとファセテラピー マッサージを題材に,触覚の言語体系化を試みており, 最終的には「触覚の新しい情報学」の構築を目指してい るようにさえ思える。正直なところ,私はマッサージが 好きではなく,うさんくさい感じすら持っている。そし て,著者によって紹介されるファセテラピーの部分を読 み始めたときには,おいおい大丈夫かと不安になった。 しかし,著者はニュートラルな立場から触覚の1つのメ ディアとしてファセテラピーを取り上げ,その言語的な 分析を行っている。それによって,むしろ著者の触覚の 真の理解への真摯な態度と,新しい考え方が伝わる。著 者が,科学者,工学者,教育者,学芸員,アーティスト などさまざまな人たちと現場で研究や仕事を一緒に行 い,好まれ,評価されている理由がそこに見える気がす る。 どうして著者はサブタイトルに「情報社会をいきるた めの感覚のリテラシー」とつけたのか。情報端末とイン ターネットが発展し,歩いているときもスマートフォン から様々な情報がリアルタイムに入って来る社会に我々 は生きている。そのような世の中では現在,情弱とか情 強という表現がある。それぞれ情報弱者,情報強者の省 略語であり,情報に疎く損をしている人や情報をうまく 活用して情報の海原を軽やかに泳いでいるような人を意 味する。私も18歳で田舎から東京に出てきて人の多さ, 看板の多さ,電車の中吊り広告の多さ,そしてテレビ放 送局の多さに愕然として情報の波に溺れた気がした。今 もLINEのアカウントすらなく,情弱の一翼を担ってい る。しかし,本書が情強になるための指南書であるとは 到底思えない。本書を通して著者が伝えたいのは,情報 を自分事として感じ,記号として理解し,生きるための 判断を自らできる能力を磨くことの大切さである。あと がきにある東日本大震災の話は身につまされる。その自 分事の体験の1つの例が,触覚のメディア化であり,著 者らが行っているさまざまなワークショップである。著 者は,それらのワークショップを通して参加者自らが 「情報社会をいきるための感覚のリテラシー」を身につ けることを願っている。 本書は第69回毎日出版文化賞 (自然科学部門) を受賞 した。著者である渡邊淳司氏は,情報理工学の教育を受 けた後,感覚や知覚に関する基礎科学研究,ヒューマ ン・インタフェースの開発,アートの領域でもあるさま ざまな科学,教育,開発の展示を精力的に行っている。 日本基礎心理学会でも「心の実験パッケージ開発委員会」 で「触力を測ろう: わたしの顔で見るホムンクルス」と 「他人のそら似: 自分の顔を探せ」の2つのメディアワー クショップに携わり,子どもが自分事として知覚や認 知,脳を理解するための試みを行っている。常に,基礎 心理学と情報学,科学教育,そしてアートを直接融合す る秀逸な仕事を続けている。 (豊橋技術科学大学 北崎充晃)

Figure 1. Front cover of the book.

参照

関連したドキュメント

「系統情報の公開」に関する留意事項

Google マップ上で誰もがその情報を閲覧することが可能となる。Google マイマップは、Google マップの情報を基に作成されるため、Google

排出量取引セミナー に出展したことのある クレジットの販売・仲介を 行っている事業者の情報

排出量取引セミナー に出展したことのある クレジットの販売・仲介を 行っている事業者の情報

SFP冷却停止の可能性との情報があるな か、この情報が最も重要な情報と考えて

「TEDx」は、「広める価値のあるアイディアを共有する場」として、情報価値に対するリテラシーの高 い市民から高い評価を得ている、米国

D