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JICA( 国際協力機構 ) のシニア海外ボランティアとしてカンボジアに派遣されている川口博行さん ( 山口県キャンプ協会 ) の 第 1 回レポートです 川口さんは 2 年間にわたって教育省スポーツ青少年局で青少年キャンプの企画運営にあたられることになっています 今回のレポートは 川口さんが着任後

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Academic year: 2021

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 JICA(国際協力機構)のシニア海外ボランティアとしてカンボジアに派遣されている川口博行さん(山 口県キャンプ協会)の、第 1 回レポートです。川口さんは、2 年間にわたって教育省スポーツ青少年局で青 少年キャンプの企画運営にあたられることになっています。  今回のレポートは、川口さんが着任後はじめて参加されたスタディツアーの様子です。スタディツアーは、 児童対象、中高生対象、学校に行っていない子ども対象、大学生対象の計4回が予定されており、川口さんは、 その様子を視察したうえで、スタディツアーやユースキャンプの企画・指導だけでなく、カンボジアの青少 年教育のための体験プログラムの開発全般にあたられます。

Siem Reap Study Tour

川口 博行

1日目

 4 月 20 日に着任して最初のスタディツアーが、 いよいよ始まる。当初は、教育省の車でスタッフと 一緒にシムリアップに行く予定だったが、出発予定 前日の 21 日になって一緒にいく予定だったスタッ フから「自分は朝4時には出発しなければならなく なったので、別のスタッフがバスで一緒に行くこと になった。」との連絡があった。そこで、一緒に行 くことになったスタッフと電話連絡で出発時間を確 認して、朝 7 時 30 分にオフィスで落ち合うことに なり、どうにか出発日を迎えることになった。  出発の朝、オフィスで 7 時 30 分まで待ったが、 迎えが現れない。電話をすると「今そちらに向かっ ているから」と言う。こんな時の“カンボジア時間” は本当に心細い。顔を合わせて、あいさつをして、 まずは一安心。一緒にバス停があるオルセイ・マー ケットに向かった。電話で一緒にチケットを買って ほしいと言っておいたので、彼はすでに予約チケッ トを持っており、バスの到着を待って指定席に。  プノンペン市街を出ると、全く絵で描いたような 田園風景。周囲は広い田んぼが地平線まで広がり、 時折、周囲をヤシの木やバナナの木、マンゴーの木 で囲まれた高床式の家が見える。今はちょうど田植 えの時期なのだろう、田んぼでは数人の人が苗を束 ねたり、田植えをやっていたりする光景が見られる。 昔の日本のように近所が総出で一緒にやるというよ りも、家族が総出でやっているといった感じだ。こ こでも子どもたちの労働力が重要な位置を占めてい ることがわかる。  バスに揺られること 6 時間 30 分。途中で 3 度の 休憩があったとはいえ、全く変わらない風景の中を ただ揺られているだけの時間は、本当に長く感じら れた。シムリアップのバス停らしきところには着い たのだが、乗客は降りずに、またバスが出発。今度 はスピードを落として市街地に入っていく。しばら くして着いたバス停で乗客が降り始めた。本来は、 町はずれのバスターミナルまでしか乗客は乗せない で、小型のバスで街中に入ることになっているらし いが、この会社のバスは小さいのでそのまま入ると いうことらしい。  バス停からトゥック・トゥックで目的のユースセ ンターに到着。準備中のスタッフを横目に、センター

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の中や周辺を見て回る。「ここに一緒に泊まりたい」 と主張したが、ゲストハウス(ホテルのこと)に移 るように言われる。今日からの 4 泊 5 日は、ホテル 住まいということになった。  夕方までには、次第に子どもたちの姿が見え始め、 5 時 30 分くらいから食事も始まった。到着した子 どもたちは、掲示されたグループ一覧で自分の班を 確認して夕食の食卓についているらしいが、どうも 班別というよりは、州別で同等の人数になるように 組み合わされているようだった。夕方 7 時 30 分の 時点で確認してみると、これまでに 22 州が到着し ており、残り 2 州がこちらに向かっているとのこと だった。  最終的な参加者は、男子 60 人、女子 64 人の計 124 人。引率は、男性 27 人、女性 10 人の計 37 人。 そして、教育省スタッフ 40 人おり、総計 201 人だ という。本来 200 人の予定だったので、端数 1 人が 私だろう。

2日目

 翌朝、5 時 30 分から 6 時まで朝の集い、国旗掲揚、 朝の体操という予定を見ていたので、夜明け前にセ ンターまで行ったが、結局動きがない。女生徒が泊 まっているという近くの教員養成校の教員宿舎を訪 ねてみたが、ここでも動きがない。予定変更なのか、 今日は見送ったのかは定かではない。しかし、朝食 の時刻までには、子どもたちが集まってくる。  食事は、特設会場で調理スタッフがあたっている。 そういえば、街中でよく同じような光景を目にして きた。葬式だと思うが、道路上に仮設テントを立て て大勢の人が食事をともにする。まさにその光景と 同じである。  参加した子どもたちがユースセンター敷地内の森 に集まり、班編制が始まった。全体を「アンコール」 「バイヨン」「バンテアイ・クデイ」「タ・プローム」 とそれぞれ遺跡の名前が付けられた 4 班に分け、そ の中に 10 人程度の小グループを 4 つ作るという。 小グループは、男子が 3 ~ 4 人、女子が 4 人で編成 され、8 人程度になるのだというが、各州からの参 加者はできるだけ同じ班になっているようだった。  班編制ができるとそれぞれの班を担当するスタッ フが紹介され、班別に分かれて全員が自己紹介をし た後、班別にゲームが始まった。各州から集まって きたので、緊張をほぐすためだという。いわゆるア イス・ブレークの考え方があるようだ。ゲーム指導 は各班担当になった教育省のスタッフで、引率の教 師や州教育省スタッフは周辺で見ている。  ゲームの後は昼食。この時からテーブルは班ごと になったようだが、一緒に来た州ごとのメンバーと 新しい班とが混在しているようにも思える。午後は 支給されたお揃いのTシャツに着替えて開会式が始 まる。開会式終了後には、アプサラ機構の専門家か らアンコール遺跡群の説明があった。3 時間近い説

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明だったが、小学生中心の参加者には難しかったの ではなかったかと思えた。しかし、各学校から選抜 されたよい子たちは、話を聞くマナーもよく、長時 間の講義もメモを取りながら集中していた。日本の 小学生では考えられないほどの我慢強さである。  夕食後は、隣にある芸術学校(Art School)で 生徒たちの演じる伝統舞踊のショーを見るのだとい う。9 世紀頃に生まれた宮廷舞踊、いわゆるアプサ ラ・ダンス(Apsara Dance・天女の舞 ) だろうと興 味津々で同行した。実際には、アプサラ・ダンスだ けではなく、各州に残る伝統舞踊の保存、継承を目 指しているとのことで、アップテンポの激しい動き のダンスやコミカルなダンスなど多彩なダンスが紹 介され、予想以上のすばらしい夕べとなった。子ど もたちも各州の踊りを見る機会は少ないのだろう、 大喜びだった。後で質問してわかったのだが、この 芸術学校の生徒たちは、通常の小学校に通いながら 放課後にこの学校に来て伝統舞踊や伝統的音楽を練 習しているのだという。  翌日は、いよいよアンコール史跡群の見学である。 当初、プノンペンのオフィスで見せてもらったスケ ジュールとは違って、1日かけてバンテアイ・クデ イ、タ・プローム、バイヨン、アンコールを回るの だという。

3日目

 翌朝、ユースセンター前にはマイクロバスが6台 並び、白バイとパトカーも護衛の準備をしている。 国主催の行事ならではの大行列である。  最初に到着したのは、人造湖に面した広い広場。 道路を挟んで、写真でよく見る仏頭が付いた石造り の門が見える。広場の横にあるのが王の沐浴場とい われるスラ・スラン (Sras Srang)、石造りの門は バンテアイ・クデイの東門だという。スラ・スラン にあるカンボジアの寺院ではよく見かけるシンハ像 (シンハは、サンスクリット語でライオンのこと)は、 日本の神社の狛犬のようでもある。もう一つの像、 カンボジアの至る所で見られる蛇の神様ナーガ(イ ンドの神話に出てくる7つの首を持つ蛇の神様)は、 不死の象徴であるらしい。  子どもたちは、スラ・スランの説明をガイドに聞 いた後、石の門を入り、僧坊の砦を意味するバンテ アイ・クデイ (Banteay Kdei) を通り抜けて、タ・ プローム (Ta Prohm) 遺跡に向かった。リエップ(ス ポアン)の巨木の根が回廊や建物にからみついた写 真は日本でも何回か見たことがあるが、発見時の姿 を止めるために木の根を取り払っていないことが、 かえって神秘性を漂わせている。それにしても、私 の認識は本当に甘かったことが痛感される。アン コールワットというイメージと、アンコールワッ ト遺跡群との区別がまるで付いていなかった。これ までに見た写真は、全てアンコールワット (Angkor

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Wat) のものだと思いこんでいた自分が恥ずかしい。  タ・プローム遺跡を出たところから再びバスに乗 り、遺跡群の中を走って昼食会場に向かった。昼食 会場は広い城跡のような場所だ。ここがいわゆるア ンコール・トム (Angkor Thom) だという。目の前に 広い台座のようなものが見える。像のテラスとライ 王のテラスらしい。子どもたちは弁当をもらうと森 の中に入っていってしまったが、引率の先生や教育 省のスタッフはここで弁当を食べるようだ。  昼食後、スタッフが遺跡を案内してくれるという ので、ライ王のテラスまで歩いてみたが、そのまま 子どもたちがいるとことまで行くという。森の中を 歩いていくと、次第に子どもたちの声が聞こえてき た。これではぐれないですみそうだ。子どもたちは 森の中でレクリエーションタイムのようだ。一斉に ゲームするのには、120 人は多すぎる気もするが、 今回は見学中心で口出しはしない方がよさそうなの で、黙っておく。  子どもたちのレクリエーションを見ているうち に、スタッフにコーヒーを飲みに行かないかと誘わ れて、一緒にその場を離れた。  森の中を歩き、いろいろな遺跡を通り過ぎ、バプー オン (Baphuon) 遺跡を過ぎて、たどり着いたのは、 どうやらバイヨン遺跡らしい。コーヒーを飲みなが らかなり歩いてきたが、「子どもたちはここに来る のか?」と聞くと「そうだ」と言う。ほかの引率の スタッフの姿も見えるので安心していると、「帰ろ う」と言われ、また森の戻ったが、すでに子どもた ちの姿はない。森の中を子どもたちが歩いたと思わ れる方角に進んでみたが、声も聞こえないし姿も見 えない。電話をしてみたが、この付近は圏外らしい。 不安が強まったが、スタッフと一緒なのでどうにか なるだろうと高をくくっていると、やっとほかのメ

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ンバーに遭遇した。  しかし、バイヨン遺跡の入口で、書類が不備だか ら中には入れないという。カンボジアのスタッフは よいようだが、問題は私と二人の JOCV(青年海外 協力隊)らしい。かなりの時間やりとりがあったが、 結局はトゥック・トゥックに乗って料金所まで走り、 遺跡を管理するソリア・ホテルの受付印の入った書 類の原本を持って子どもたちと合流した。世界遺産 に指定されたアンコールワット遺跡群を維持管理す るためにアプサラ機構 (Apsara Authority) が作ら れ、料金の徴収等の事務はソリア・ホテルに委託さ れているため、たとえ政府の文書であっても厳しく チェックがされるのだという。  ハプニングはあったが、いよいよアンコールワッ トに入ることになった。ここでも子どもたちとは分 かれて、外国人の私たちは先に入場。遺跡内で子ど もたちが来るのを持つようになった。さすがにアン コールワットは修復が行われ、他の寺院とは違った 風格を漂わせている。  アンコールワットの中でアプサラ機構に派遣され ている JOCV の高橋さんと会い、アプサラ機構につ いてや、ここでの仕事について詳しく聞きながら遺 跡内を歩いた。そして、ちょうど裏側に待つバスに 乗って帰ることになったのだが、このころになって 初めて教育省のスタッフが「以前自分は日本の奈良 に行ったことがあるけれど、シムリアップは奈良の ようなものだ」と言った言葉が実感としてわいてき た。  ジャヤヴァルマンⅡがアンコール朝をひらいたの が西暦 802 年。カンボジア最初の石造りピラミッド 型寺院バコン (Bakong) をロリュオス遺跡にインド ラヴァルマンⅠが造ったのが 881 年。スールヤヴァ ルマンⅡがアンコールワットを建設し始めたのは 1113 年、バイヨン (Bayon) 遺跡をジャヤヴァルマ ンⅦが建設したのが 12 世紀末だというから、いわ ゆるアンコールワット遺跡群は、日本の平安時代か ら鎌倉時代までに造られた石造り寺院群だというこ とだ。最澄・空海が唐に渡ったのが 804 年だという が、カンボジアではちょうどそのころ、アンコール 朝が始まったということになる。当時の人々に世界 観とは一体どんなものだったのだろう。先人たちの エネルギーを感じる遺跡巡りとなった。

4日目

 翌日は、スタディツアーまとめの日。子どもたち は木陰で話し合いをして、大判用紙にまとめを書き 出している。もっとクメール語がわかば、子どもた ちの生の声が聞けるのだが…と、語学力のなさが悔 やまれてならない。しかし、次回からのスタディツ アーのあり方をどのように提言していけるのかが、 いちばんの問題である。  スタディツアーのまとめが終わって閉会式の準備 が始まり、午後には教育省の長官も到着して、いよ いよ閉会式。事前に選ばれていた子どもの司会で閉

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会式は進み、子どもたちの代表が感想を述べ、お礼 の言葉を言う。教育省の長官は子どもたちの言葉に 目を細め、時には笑い、大満足のようだった。その 証か、閉会式のあいさつも事前に準備されたものを 読み終わった後、原稿なしで長いお言葉が続いた。  夕食終了後には、片づけが始まり、資材もどん どん片づけられていく。プノンペンからシムリアッ プまでバスで約 5 時間。遠い州から来た子どもたち は、もっと時間をかけて帰らなくてはいけないのだ ろう。移動に 1 日かかってしまうが、参加した子供 たちにとっては貴重な体験となったであろう。  次回は中学生対象だという。さらにその後には大 学生対象のスタディツアーもある。アンコール遺跡 群が現在のカンボジアの人々に語ろうとしている声 をどのような方法で聞こえるようにするのか。どの ようにすれば、ここでの体験を今後に生かすことが できるのか。大きな課題をもらったスタディツアー だった。

参照

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